刻一刻と時間は近づいてきている。
秋も深まり、冬と言ってもいいほどには寒くなってきた。
特に今年の冬は厳しい寒さになるらしい。
相変わらず、トレーニングはいろんなトレーナーに見てもらっている。
トレーナーを付けないのかと言われたこともあったが、そもそも僕にはメニューが決まっているのだ。必要ないとは言わないが、今はそこに割いている時間はない。
それが終われば自主練をしに行く。
追い込んで追い込んで追い込んで。
僕はそれしかできないし、知らない。
そうでないといけない。
精神は、肉体を超越する。
僕はそう信じているから。
とはいえ、やらなきゃいけないこともある。
特にその日は絶対に外せない日だ。
11月11日。
この日、もう一つの伝説が誕生する。
そう、クラシック最後のレース、菊花賞だ。
京都レース場にはリギルとシービーと共にやってきていた。
今回はダービーの時とは違い、URAが席を用意してくれたのだ。
URAは変わりつつある。
それは噂によるとシンザン会長が改革を行っているらしい。
ウマ娘なくしてURAなしとウマ娘ファーストの改革と聞いている。
それに加えて学園も変わってきている。これは理事長が精力的に動いてくれている結果だ。
簡単に言うと、自由な校風になりつつあるのだ。
ウマ娘は正直言って、ストレスに弱い。
それを緩和するためにそうしているのだろうと思われる。
今回の席だってそうだ。
トレーナーがいなければ不安なウマ娘もいる。
そのための措置で、そこに僕たちはお邪魔しているのだ。
二つの改革の結果がこの席だと言える。
「シービーは誰が勝つと思う?」
「えー? それ聞いちゃう?」
「去年の三冠ウマ娘だし?」
「ルドルフかな」
「まあ、そうだよね」
「うん、でも、レースだからね。何が起こるかわからない。あのルドルフだって足元を掬われるかもしれない」
「そっか」
シービーはレースには結構厳しい視点を持っている。
それは頭で考えていると言うよりも本能がそうでないといけないと感じているからなのだろう。
「マルゼンスキーは誰が勝つと思う?」
「ルドルフよ」
「即答だね」
「ええ、ルドルフ以外ありえないわ」
「言うねー、それまたどうして?」
「……じゃあ、逆にラックちゃんはルドルフ以外が勝つと思う? 合宿で一緒に走ったんでしょ?」
「菊花賞で僕かシービーに勝てるウマ娘がいたら勝てるかな」
「答え、出てるじゃない」
「でもほら、一番近くで見てたんでしょ? 聞きたいなって思って」
そう言うとマルゼンスキーは少しだけ上を見て、考えるような仕草をする。
そして、人差し指を頬にあてて首を傾げる。
「言葉じゃ説明しづらいわねぇ。でも、そうね。今のルドルフは別なのよ」
「別?」
「そう。レベルがとかではなく、ステージが」
マルゼンスキーがそう言うのは意外で、僕はまじまじとその顔を見つめる。
「ステージ?」
「そう。きっと伝説になるウマ娘というのは歴史上に数人出てくる。ルドルフはそのうちの一人よ」
「伝説っていうと……シンザン会長とか?」
「そうね、日本の伝説のウマ娘の一人目がシンザン会長なら、ルドルフは二人目よ」
「マルゼンスキーがそこまで言うなんてねぇ」
「もし、私とルドルフが一緒の時代に生まれてたら、私はチャレンジャーだったわ。それか、トレーナーにルドルフとは被らないように走ろうって提案されてたかも」
僕は東条トレーナーを見る。
話は聞こえていただろうに、東条トレーナーは否定しなかった。
「ま、後はレースで見ましょ」
「うん、わかった」
パドックが始まったのはその会話が終わってからすぐだった。
『11月、それは伝説の生まれる月。菊花賞、それは最強を決めるレース。丁度1年前、二人のウマ娘がデッドヒートを繰り広げました。一人は魔王と呼ばれたブラックトレイター。もう一人は英雄と呼ばれたミスターシービー。激戦の末、一人の三冠ウマ娘が生まれました』
そのアナウンスを観客は身じろぎ一つせずに聞いていた。
『そして、今日! 新たな伝説が生まれる! そのウマ娘の名前はシンボリルドルフ! シンボリ家の最高傑作にして史上最高のウマ娘! そのウマ娘が三冠を取るのか、その最高のウマ娘を打倒し、最強のウマ娘が誕生するのか! 菊花賞が今、始まります!』
そうして、ウマ娘たちは呼ばれていく。
ルドルフは3枠5番、少しだけ内側よりの位置。
今回、ルドルフに食らいついていたビゼンニシキちゃんはいない。ビゼンニシキちゃんは短距離路線に進むことを決意したからだ。
短距離路線がマルゼンスキーやニホンピロウイナーちゃんの活躍で整備されていったこともあり、賢い選択だったと言われている。
ビゼンニシキちゃんはルドルフ以外には負けていないので、本当に強いウマ娘だったのだろう。この世代ではルドルフに次いでの人気がある。
さて、三冠ウマ娘はある意味では悲劇的で、幸運なウマ娘だと言われることがある。
それはライバルがいない年に生まれることが条件だと思われているからだ。
それもそのはず、毎日王冠でシービーが言ったことだが、三冠ウマ娘は1万人の頂点であり続けないといけない。頂点に立つのではない。年間を通して頂点を譲らないというとんでもなく無茶をした者だけがその称号を持てるのだ。だから、他に強いウマ娘が生まれた年にはどれだけ強くても三冠を取るのは難しい。
シービーが評価されているのは本人のカリスマ性はもちろんあるのだが、僕やモンスニーちゃんという存在がいたのも大きい。ライバルがいながらも三冠ウマ娘になったという事実が好かれているのだ。
もはや、ルドルフには有力なライバルはいない。
だから、パドックに現れたルドルフを見た観客たちは歓声を上げるのも忘れ、絶句してしまった。
――何も、そこまでしなくてもいいんじゃないか?
口には出さなかったが、誰もがそう思った。
その仕上がりは最上のものだ。
一体どれだけのウマ娘が彼女に勝てるのか。
いや、勝てるはずもないだろう。
そう予感させる仕上がりをしていた。
カツンカツンとヒールを鳴らしながら舞台の中央へ来る皇帝。
その空気に観客は思わず跪きそうになる。
ここが荘厳な城の中だったら迷わずにそうしていただろう。
『っ、さ、3枠5番、シンボリルドルフ。皐月賞、ダービーと勝利し、無敗でここまで駆けてきました! もし、ここで勝利することができたなら、前人未踏の無敗の三冠ウマ娘になることができます!!』
絞り出すように原稿を読んだアナウンサーの声により観客は正気に戻り、歓声を上げた。
「みんな」
だが、それもルドルフが声を発したことによって、途切れる。
「今日、私は三冠ウマ娘になる。最強を証明すると約束しよう。応援していてくれ」
その一言一言には圧力があった。
音圧ではなく、威圧感。
揺れぬ水面のようなルドルフから発されたとは思えないほどの圧。
ルドルフは少しだけ微笑み、踵を返してパドックの舞台から姿を消した。
「こっわぁ~」
「あれは一緒に走るウマ娘が可哀想だなぁ」
「でしょ~! でも、こうなってるの、あなたたちの所為だからね?」
「アタシの所為じゃないよ?」
「僕の所為じゃないよ?」
「あなたたちの所為ですぅ! ジャパンカップに出るのに燃えてるんだから」
「アタシの所為でした」
「僕の所為でした」
そういうことらしい。
僕らもアレと戦うことになると。
あはは。
……さて、レースの観客席の方に移動するとしよう。
今日は曇りの芝の状態は稍重とのこと。
秋は芝の状態がいいので、この菊花賞も悪くはない。良くも悪くも実力差が出るレースと言えるだろう。
菊花賞は3000m。
ルドルフでも、この距離を走るのは初めてだ。
純粋なステイヤーがいればルドルフに一矢報いることができるかもしれない。
……のだが、今日のウマ娘の中にはそういう子がいたとは聞いたことがない。
僕らは観客席の一番前に陣取る。
東条トレーナーやマルゼンスキーはいつも通りだ。
と思ったら東条トレーナーはそうではないらしい。
マルゼンスキーがこっそりと教えてくれる。
「沖野トレーナーに三冠を先越されたのが悔しいらしいのよ」
「そうなの? やっぱり、好きな相手には、みたいな?」
「どうかしらねぇ? トレーナー同士のライバル……ってだけじゃないことは確かね」
「東条トレーナーが沖野トレーナーにねぇ……ダメンズウォーカーってやつかな?」
「沖野トレーナーはダメンズに分類するには今や伝説的すぎない?」
「仕事ができることと私生活は別では?」
「確かに」
「おい、何を話している」
「いえ、何も?」
「何もないわ?」
「そろそろ始まるぞ」
「「はーい」」
ウマ娘が入場し、歓声が上がる。
『秋の曇り空が広がる京都に最強を決めるレースが始まろうとしています。人気上位のウマ娘を紹介しましょう!』
アナウンスも途切れ途切れになるほどの熱狂だ。
トゥインクルシリーズも盛り上がったなぁ。
いや、ルドルフだからか?
そう思っていると、マルゼンスキーは「去年もすごかったのよ」と教えてくれた。
ルドルフはレースに集中しているようで、にこりともしない。
一緒に走るメンバーは完全に委縮しているようだ。
あれ、僕よりも魔王してるんじゃない?
『――そして、一番人気はこのウマ娘をおいて他にいない! シンボリルドルフ! すでに二冠を獲得し、ここで勝利すれば三冠ウマ娘になることができます! 圧倒的な1番人気です! ……各ウマ娘、ゲートイン開始です』
ウマ娘たちがゲートインしていく。
そうすると、観客たちは一人また一人とウマ娘が入っていくのに比例して静かになっていく。
そして、とうとうその瞬間がやってくる。
『――菊花賞、今スタートです! 各ウマ娘、スタートしました! ……っと、ばらついたスタートの中、好スタートを切ったのはシンボリルドルフ! 3番手に付きます!』
しかし、ルドルフは周囲を確認すると、そこから少しだけ位置を落とす。
中段少し後ろくらいだ。
菊花賞は3000m。
コースを1周半する長さだ。
スタートはバックストレッチからで、すぐに第三コーナーがある。
この第三コーナー手前には大きな坂がある。
ルドルフは位置調整と、足を消費しない選択を取る。
堅実を走りにしたような選択だ。
僕も去年の菊花賞はこの坂に泣かされたようなものだから、その選択が最善手のように思える。
坂を登り、コーナーを回る。
ルドルフは内側を走っている。
抜け出しにくい位置だ。
これには観客たちも少しだけ不安そうな表情をする。
だが、ホームストレッチにやってくるルドルフには不安の表情はない。
あたかもそれが当然で、必然なことだと言わんばかりだ。
僕はルドルフのテクニックに舌を巻く。
常に抜け出せる位置を保ちつつ、スピードに緩急をつけることで他のウマ娘に圧力をかけている。
それだけではない。
今の僕ならわかるが、恐ろしく正確なコーナリングでスタミナも足もほぼ使っていない。内側を走っていることに合わせても、余裕が感じられる。
3000mのレースだというのに、1600mを走っているような感じすらある。
『さあ、コーナーを抜けてホームストレッチにやってきます! ものすごい歓声だ!』
僕らも他の人たちに負けないぐらいに声を張り上げる。
勝てそうだから応援しないなんてありえない。
ルドルフはこちらを見ない。
息を吞むほどに真剣だ。
だけど、それでいい。
それがいいのだ。
走るウマ娘たちの足音は地面を伝わって僕らに響く。
息遣いも聞こえてきそうなほどだ。
特にルドルフのものはここにいる全員を引き付けてやまない。
みんなルドルフにくぎ付けになっている。
直線を走っていく。
時間にして数十秒もかからない。
バ群は第一コーナーへ入っていく。
すでにルドルフ以外には疲労が見て取れる。
ルドルフに削られたスタミナは息を入れないと持たない。
だが、息を入れる場所を間違えるとルドルフには勝てない。
だからみんな慎重になっているのだ。
それを見逃すルドルフではない。
ルドルフはコーナーを利用して幅を取るように走る。
全体がばらけ、さらに抜け出しやすそうな形になる。
仕掛けるのかと疑心暗鬼になったウマ娘たちはさらにスタミナを消費し、正常な判断などできなくなってきている。
その証拠にまだ半分だというのに、先行位置にいたウマ娘が一人、先頭へ出てしまう。
それを皮切りにウマ娘たちは掛かっていく。
まるでパニック映画だ。
ただ一人、その中で正気なルドルフが怪物に見えた。
バ群はコーナーを曲がり切る。
『さあ、バックストレッチに入ります! この直線の最後には大きな坂が待っています! ウマ娘たちはその坂をどう攻略するのか!?』
ルドルフは動かない。
何故なら、ルドルフによって動かされた周りのウマ娘がルドルフに道を譲るからだ。
圧倒的な優位を保ちながらルドルフは走る。
そして、坂の直前にただほんの少しだけ前に出た。
去年、僕はその坂に抵抗した。
そして、シービーはその坂を打倒した。
では、シンボリルドルフは?
誰もが目を疑った。
その坂は数多のウマ娘を食ってきたはずの悪魔の坂だった。
何人もここを優位に通ることは敵わず、撃沈してきたはずだった。
だが。
だが、シンボリルドルフには違った。
縦長だったバ群は坂によって圧縮される。
団子状になり、ここからではウマ娘たちが重なって見える。
――シンボリルドルフ以外は。
ルドルフはするりと前に出たのだ。
シービーのように坂を駆け上ったのではない。
ただ、他のウマ娘が下がったのだ。
そう、ルドルフは坂を倒そうとしたのではない。
あの悪魔の坂を味方にしたのだ。
圧倒的な優位を持ってルドルフはコーナーを曲がる。
他のウマ娘はルドルフに追い付かない。
追い付けない。
あのルドルフに前に出られたら後はどれだけ足が残っているのかというのと、どれだけ優れた末脚を持っているかだ。
だが、僕にはそんなウマ娘はこの世に存在しないように思えた。
ルドルフは僕らの正面にやってくる。
ただ一人でやってくる。
観客は雄叫びを上げ、解説と実況は絶句する。
まさに圧巻。
まさに圧倒。
――レースに絶対はない。
だが、このウマ娘には絶対がある。
皇帝、シンボリルドルフ。
永遠なる皇帝が自分を証明した瞬間だった。
『シンボリルドルフ、今1着でゴールイン!! 2着に5バ身の差をつけてその強さを証明しました!! そして、このレースで8戦8勝、無敗の三冠達成です!! このトゥインクルシリーズに未来永劫語り継がれるであろう伝説を打ち立てました!!』
ルドルフはゆっくりと速度を落とし、立ち止まる。
疲労で下を向くこともしない。
完全に余裕を持っていたと感じられる。
そして、こちらを向いたルドルフはその三本指を空に突き立てた。
観客はその姿に歓喜し、涙を流した。
僕はシービーを見る。
シービーは汗を流しながらも薄く笑っていた。
「足、残してるね」
「うん」
「え? なんて言ったの二人とも?」
「ルドルフは、ジャパンカップのためにこの菊花賞、全力も本気も出さなかったんだ」
その証拠にルドルフは自身の領域を使わなかった。
僕らはこの覚醒した皇帝を倒さなければならないのだ。