7時半、19時半、21時半です。
お見逃しのないようお願いします。
ジャパンカップ。
それは日本の名を冠していながら、日本のウマ娘にとって絶望の象徴だった。
それは海外の壁の高さを知るレース。
どれだけ挑んでも、そのレースに勝つことはできなかった。
一人のウマ娘のレース人生を捧げても。
特に今年は錚々たるメンバーが集まった。
全世界から集められたそのウマ娘たちは、ひとたび日本で走れば軽々と優勝してしまうようなメンツ。
絶望の象徴たちだった。
その中のウマ娘の一人は言った。
「世界に日本のウマ娘の居場所はない」と。
だから、僕は――。
シャツを着て、ズボンを穿く。
ジャケットを着て、ボタンを閉めていく。
鎧のブーツと肩鎧を付ける。
直刀を腰に差し、すべての上からマントを羽織り、固定する。
ハチマキを巻けば、魔王の出来上がりだ。
「終わりましたか?」
「はい。チェックお願いします」
「うん、ちゃんとできていますね」
「ありがとうございます」
控室でチェックをもらう。
いつもと勝手が違ったので、念のため。
今日来てくれたのはカノープスの南坂トレーナーだ。
ニホンピロウイナーちゃんも部屋の外で待っている。
深呼吸をして、頬を叩く。
よし、気合十分だ。
「……ウマ娘を、ジャパンカップに送り出すのは2度目です」
「そうですね」
「一つ、アドバイスを」
「聞きましょう」
「怪我をしないでください」
「ふふ、本当にみんなそう言いますね」
「ええ、そうです。だって、このレースが終わっても人生は続きます。レースを辞めても人生は続きます。だから、怪我をしないことが大切なのです」
「じゃあ、あの時、後悔しましたか?」
「ええ、しました。とても。今だってしています。どうして、私はプロミスをもっと丈夫に育てられなかったのだろうと」
南坂トレーナーの方を向く。
「数日前、僕のところへプロミス先輩が来ました」
「……そうですか、まだ歩くのも辛いでしょうに」
「そして、プロミス先輩は僕の前で走って見せました」
そういうと南坂トレーナーは驚きの表情を浮かべる。
「そんな、無理です。だって……」
「ええ。レースには出れない……ヒトにだって勝てるかどうかの走りだった。でも、プロミス先輩は走ったんです。そして、言ってました。あのレースで後悔したことが2つあるって」
「それは……なんですか?」
「1つは勝てなかったこと。そして、もう1つは自分を信じてくれたトレーナーに、ジャパンカップのトロフィーをあげられなかったことです」
そう言うと、南坂トレーナーは目を見開く。
そして、涙を零した。
「プロミス先輩はあの怪我を後悔してるわけでも、あなたを恨んでいるわけでもないんです。そして、南坂トレーナー。形だけだったとしても、今日あなたは僕のトレーナーだ。プロミス先輩がやり残したこと……ジャパンカップのトロフィーをあなたに差し上げます」
「ブラックトレイターさん……ありがとう、ございます……」
そう言って南坂トレーナーは続ける。
「ずっと、怖かった。プロミスに恨まれてるんじゃないかって、ずっと思っていた。プロミスのことを想わない日はなかった。……バカです、あなたは……あなたが無事で帰ってきてくれればそれでよかったのに」
南坂トレーナーは涙を拭いて僕を見る。
「……行ってらっしゃい、ブラックトレイター。無事に帰ってきてくださいね」
「ええ、勝ってきます」
南坂トレーナーは少しだけ微笑んだ。
そうして、「あの子と同じことを言わなくてもいいのに」と小声で言った。
廊下に出ると、ニホンピロウイナーちゃんがいた。
「中に入ってもよかったんだよ?」
「……別に」
返事にもなってない返事をして、ニホンピロウイナーちゃんは押し黙った。
「あの時」
「なに?」
「言ったよね、ジャパンカップに勝つって」
「……うん」
「それを果たしてくる。僕は勝ってくるよ」
そう言うと、ニホンピロウイナーちゃんは首を振った。
「あの時のこと、別に守らなくてもいい」
「どうして?」
「やっぱりボクにはあの時の瞬間が忘れられない。先輩の走りが少しだけおかしくなった瞬間を。だって言うのにボクはお前に押し付けた。できないからって押し付けたんだ。……怪我をしなければ、それでいいから。今度は、自分で挑むから」
その言葉に思わず笑ってしまった。
ニホンピロウイナーちゃんはむっとする。
「なんだよ」
「いや、そうだね。うん。あれをなかったことにしていい。だったとしても、僕は勝ってくるよ。誓ったんだ。ここで勝つって。いろんな人に」
「そうかよ。……じゃあ、勝ってこい」
「そうすることにするよ。あ、そうだ。今日は僕はカノープスだから、関係者席に行くと思うんだけど、一緒に連れてってほしい人がいるんだ」
「……しょうがないな。誰?」
そのタイミングで丁度声をかけられる。
「ラックくん、ピロウイナー。お待たせ。ここに来ればよかったんだよね?」
「ああ、プロミス先輩。そうです。後は……ニホンピロウイナーちゃんが泣き止めば案内してくれるので、お願いしますね」
「え、ええ? ちょっとピロウイナー。わたしに会うたびに泣くのやめてよね? トレーナーはどこ?」
「あ、中で泣いてます」
「なんで!? どうしてどいつもこいつも泣いてるの!?」
「じゃあ、よろしくお願いしますね、先輩」
「もう! 世話がかかる後輩だなぁ!」
僕は笑ってパドックへ向かった。
パドックは異様な雰囲気に包まれていた。
それもそのはず、日本勢は僕らだけ。それ以外は海外勢だ。
本当にここは日本なのかと疑うほどに外国のウマ娘だけだ。
そんな中、シービーはマジェスティーズプリンスさんに、ルドルフはベッドタイムさんに絡まれていた。
「だから、知らないってそんな人。アタシのファン?」
「いや、違う……のか? あいつと会ったのもちょっとだからなぁ。あれぇ? 知り合い……とは言ってなかった……か?」
「あ、ラック! 遅いよ」
「ああ。……別にいつ来てもいいだろうが」
「やーだよ! アタシが困ってるのに早く来ないのはダメ!」
「そうかよ……」
「ん? おい、ミスター。そいつは?」
「ブラックトレイター。アタシと同じ日本代表」
「ふうん?」
マジェスティーズプリンスさんは僕のつま先から頭の先までまじまじと見る。
そう言えば、見ればそれなりに強さがわかるとか言ってたな。
お眼鏡にかなうかな?
マジェスティーズプリンスさんはにっかりと笑った。
「お前、可愛いな!」
「バカにしてんのかお前」
思わずそう返していた。
うん、可愛いとかあんまり言われたことなくて……。
「おう、口は悪かった! でも、そのくらい気にしないぜ!」
「ああそう。で? なんだこいつは?」
「私を知らない!? それは失敬! 私はマジェスティーズプリンスだ。よろしく!」
「いや、よろしくしない。どうせ敵だ」
そう言うと、マジェスティーズプリンスさんはわははと笑う。
愉快な人だ。
「確かにそうだ! じゃあ、敵としてぶちのめしてやるさ」
「ぶちのめされるのはお前だ。かつ丼食って帰るんだな」
「ふ、生意気なやつだ。だが、なんだ、知ってるじゃないか。ま、お互いベストを尽くそうぜ」
そうは言いつつ、マジェスティーズプリンスさんはアップを始めた。
ルドルフの方は大丈夫かなと耳を向けると、会話が聞こえてくる。
「どうだ? イギリスに来ないか? 君の能力じゃここだとつまらないだろう?」
「悪いが、日本だって捨てたものじゃないさ。ここでしか戦えない相手がいる」
「そうか? まあ、低いレベルのウマ娘を倒すことに快感を覚えるのであればそれでもいいが……」
「安い挑発だな」
僕は思わず会話に割り込んだ。
「うん? 君は誰だ? 私は今、彼女と話しているんだ。気づかなかったかな?」
「イギリスの人間はもっと上手に挑発するんだと思っていたんだが、違うんだな。それとも、お前口が下手なタイプか?」
そう言うと、ベッドタイムは目を細める。
今度は明確に挑発する。
悪役とか関係なく、精神的な動揺を誘うためだ。
……まあ、むかついたというのは否定できないけど。
地雷踏んだかな?
「へえ、言うじゃないか。私はベッドタイムだ。君は?」
「ブラックトレイターだ。覚えなくていいぞ。お前には苦い思い出の名前になるだろうから」
「ルドルフにおんぶに抱っこな日本のウマ娘が。イギリスのウマ娘である私に強気だな」
「驚いたな、ここにいる奴は自分の国を背負って来てるのかと思ったが、お前は自分の国の名前におんぶに抱っこか?」
「……お前は絶対にバックダンサーにしてやるからな」
「ああ、ほら、喧嘩をするなラック。すまないな、ブラックトレイターは誰彼構わず挑発するんだ。許してやってくれ」
「……はあ、まあいいさ。私も熱くなった」
「だが、私の言ったことも覚えておいてほしい。きっとレース中には思い出すから」
「そうかい」
興味なさげに言って、ベッドタイムさんは行ってしまう。
僕らは3人で集まってアップをする。
「調子は?」
「最高」
「同じくだな、ラックは」
「僕も」
言葉少なくそう確認して入念に体を作って行く。
そうすると、パドックの表が騒がしくなり、開始のアナウンスが流れる。
『ジャパンカップ。それはウマ娘のオリンピックと呼ばれるほどレベルの高いレースとなりました。海外からの大きな試練たちが日本のウマ娘を試す。そして、日本のウマ娘たちはそれに幾度も挑み、幾度も敗北しました。しかし! 今年のジャパンカップは違う! 未来永劫ここまで強いジャパンカップがあるでしょうか! 魔王ブラックトレイター! 英雄ミスターシービー! そして、皇帝シンボリルドルフ! 日本を代表するこの3人のウマ娘が世界に挑みます!』
観客たちがそれに応えるように声を出す。
『しかし、これが世界の選択か、迎え撃つ世界のウマ娘たちもまた歴史に名を残す名バ! 打ち立てた記録は不滅! 各国の最強を背負ってやってきました! ここまで熱いジャパンカップがあっただろうか! 今一度、ここで最強を決めようじゃありませんか!』
熱狂。
それが空間を埋め尽くしている。
パドックの裏にいる僕らにもそれは伝わってきた。
そして、ウマ娘たちの紹介が始まる。
順番はもちろん決まっている。
1枠1番 ミスターシービー
2枠2番 エスプリデュノール
3枠3番 カイザーシュルテン
3枠4番 ベッドタイム
4枠5番 ウェルノール
4枠6番 ウイン
5枠7番 マジェスティーズプリンス
5枠8番 キーウイ
6枠9番 バウンディングアウェイ
6枠10番 ブラックトレイター
7枠11番 ストロベリーロード
7枠12番 シンボリルドルフ
8枠13番 バウンティーホーク
一番有利なのは内枠であるシービー。
不利なのはルドルフだろう。
ルドルフはスタートを決められなければバ群に埋もれることになる。
菊花賞のような走りができるなら、それで有利になるが、参加者は名立たる名バたち。
自分に近い実力のウマ娘とどう戦うかが注目されている。
僕やベッドタイムさん、マジェスティーズプリンスさんは有利不利がない位置か。まあ、ルドルフと同じでスタートに出遅れるようなら不利にならざるを得ない。
体が温まってきたタイミングでパドックのお披露目が始まる。
最初に呼ばれるのはもちろんシービーだ。
『1枠1番、ミスターシービー。優勝候補に推されている説明不要のウマ娘! 前年度の三冠ウマ娘であり、現最強と呼び声が高いです! 前走では天皇賞を勝利し、4冠を達成しました!』
シービーの人気は不動だ。
それはルドルフが強さを証明しても変わらない。最も愛されるウマ娘とは伊達ではない。
「みんな、来てくれてありがとう。今日も勝つ。みんなのために、ライバルのために、そして、アタシのために。だから、応援してほしい」
心まで入ってくるような声でシービーは言う。
それに観客も答える。
「勝ってくれシービー!!」
「愛してるー!!」
「お前が最強だ!!」
「全員撫で切ってやれ!!」
「ゴールで待ってるからな!!」
「ありがとう。勝ってくるね」
そう言ってシービーは投げキッスをして退場した。
しばらくその次が呼ばれなかったので、何事だと覗いてみると興奮のあまり失神した人がいるらしく、少しだけ中断していた。
「えへ」
「さすがにアウェーの時にこんなアクシデントは次のエスプリデュノールさんが可哀想だよ?」
「ファンサしただけなんだけど」
「その内ファンサで人を殺しそうだ」
「あ、酷い!」
それから3人後にベッドタイムさんが呼ばれる。
『3枠4番、ベッドタイム。本場イギリスから参戦! 11戦9勝のスーパースターウマ娘! 速さにおいて彼女に敵うウマ娘はいません!』
ベッドタイムさんは日本語が話せないため、そのまま黙って立っている。
だが、ここはホームではないというのに、人気が絶大のようだ。
歓声も応援も聞こえてくる。
彼女を追ってイギリスからたくさんの人が押し寄せているという。
それほどに強いのだ、彼女は。
強さは単純だ。
強ければ強いほどわかりやすい。
そして、そのわかりやすさをベッドタイムさんは持っている。
人気では上位に入るだろう。
そして、少ししてマジェスティーズプリンスさんも呼ばれる。
マジェスティーズプリンスさんは意気揚々とパドックの舞台へ歩いて行った。
『5枠7番、マジェスティーズプリンス。大国アメリカからの使者! 芝の王者が参戦しました! 戦績は43戦12勝、歴戦のウマ娘の経験にどこまで立ち向かえるか!』
「ヘーイ! コンニチハ! ヨロシク! オウエンシテネ!」
日本語でのあいさつに観客は沸く。
どうやら今の一瞬で心を掴んだようだった。
どこで覚えたのか。
あの、知り合いとかいう人に教えてもらったのか。
ともあれ、彼女も人気上位に食い込むだろうなと思った。
間もなくして、とうとう僕が呼ばれる。
待っている時間がいつもよりも長く感じた。
『6枠10番、ブラックトレイター。あのミスターシービーのライバルにして最強の魔王! 戦績は20戦16勝、そして、連対率は驚異の100%! あのシンザンを超え20連続で連対中です!』
僕はゆっくりと歩いていく。
俺は魔王だ。
全てを蹂躙する魔王。
それは今日も変わらない。
だけど、今日だけは言いたいことがあった。
「ブラックトレイター!!」
「かっこいいぞー!!」
「あの逃げでスタミナを削ってくれ!!」
そんな応援が聞こえる。
みんな期待しているのはシービーかルドルフだ。
だけど、少なからず僕だけを応援してくれる人もいる。
僕は両手を広げて言う。
「今日は……今日だけはこの勝利をすべてのウマ娘と、俺を応援する人に捧げよう。勝ってくる」
その言葉に観客たちは驚いたようだった。
僕はトレーナーが記者会見をしてからもずっと『あの』ブラックトレイターを貫いてきた。
こんなことを言うことが意外だったのだろう。
僕は踵を返してパドックの裏に戻った。
「意外だな」
「なにが?」
「わかっているだろう?」
「まあね。ただ今日だけは」
「ふふ、君もロマンチストだからな。ファンは喜んだんじゃないか?」
「まさか。驚いてたよ」
「それは喜びのあまりさ」
「そうかな」
「そうだとも」
そんな会話をしてから、ルドルフもパドックの舞台へ向かって行った。
『7枠12番、シンボリルドルフ。言わずと知れた皇帝、シンボリルドルフ! 今年度の三冠ウマ娘であります! そして、その戦績8戦8勝! 歴史に残る無敗での三冠! ここでもう一つ冠を被れるか!』
この日本ではシービーに次いで人気なウマ娘。
そういう意味でもルドルフはシンザンを超えたのだろう。
「一意専心。絶対の走りをご覧にいれよう」
シービーもそうだが、ルドルフには女性人気が高い。特にウマ娘の。
「ルドルフさま!!」
「勝ってー!!」
「菊花賞の続きを見せてくれ!!」
「お前のウイニングライブが見たい!!」
「お前が最強だー!!」
パドックが終わる。
とうとうこの時が来た。
1年だ。
1年待った。
少なくとも僕はこの1年、このレースに勝つために走ってきた。
ジャパンカップ本番だ。
薄暗い廊下を歩く。
最後に出ようとは思っていなかった。
ただ、時間を遅らせたのは、なんてことはないいつもの癖だった。
出口には2つの影があった。
「ラック」
その声は同時に僕を呼んだ。
「シービー、ルドルフ」
「うん」
「ああ」
二人は僕を待っていたようだった。
「今日の日を楽しみにしていたんだ」
ルドルフは言う。
「正直言うと、君たちに憧れた。シービーの強く自由なところを。ラックの賢く懸命なところを」
言葉とは裏腹にその声には自信が滲んでいる。
「今日の私は絶好調だ。憧れたからこそ、今日君たちを超える」
その言葉にシービーは微笑んだ。
「アタシも今日が楽しみで仕方なかったよ」
そうだろうと僕は思った。
「あの時……アタシがラックに出会った時からだ。ずっとこの時を望んでいた。最高の舞台、最高のメンバー。そして、そこで勝利するアタシ」
シービーはいつまでも不敵だ。
「調子は最高。アタシはいつだって最強だ。でしょ?」
シービーは僕にそう言った。
そうだ。
最強を懸けて戦うのだ。
僕は頷いて言う。
「いろんな約束をした。僕の目標も夢も、ここにあると思う」
シリウスにニホンピロウイナーちゃん、プロミス先輩、トレーナーも。
そして、ルドルフとシービー。
約束じゃないものもあるけど、それでも僕の力になってくれた。
「ルドルフ、シービー。僕はきっと、今日のために生まれてきたんだ」
僕は言う。
「今日は特別な日だ」
「特別」
「うん。君たちとの決着だ、シービー、ルドルフ」
決着。
その言葉に悲しい意味はない。
「僕は今日、世界一のウマ娘になる。だから、何度でも決着をつけよう。終わったら何度でも始めよう」
僕は笑う。
微笑んで言う。
「シービー、ルドルフ」
「うん」
「ああ」
「「「最高のレースにしよう」」」
僕らは光の中に歩き出した。