本日はすでに2回投稿しているので、お見逃しないようにお願いします。
ベッドタイムさんの声がはるかに後ろに聞こえる。
だけど、実際はすぐそばだ。
ベッドタイムさんが僕に追い付けない理由は単純だ。
コーナーは加速できないということだ。
繊細な足さばきなのだろう。
だが、コーナーで扱うには繊細過ぎた。
コーナーは加速ではなく、速度を保つことで相対的に相手を引き離すことができる。
コーナーで加速するのは特殊な技術だ。
だが、ベッドタイムさんのコーナリング技術は前者の相対的加速。
だったら、僕が後者の加速を使うならば簡単に突き放すことができる。サンオーイが使ったテクニック。……に近いものだ。本番でしか見ていないので完璧に真似できているとは言えないから。
僕はそうしてベッドタイムさんより少し速く走ればいい。
足を消費することでもない。
そして、先頭にいるのならあくびが出るほど簡単だ。
もし、その足をマジェスティーズプリンスさんと同じタイミングで使ったのなら、僕は窮地に立たされていただろう。
ベッドタイムさんは勝負所を誤ったのだ。
今まで死ぬ気で学んだ技術は役に立っている。
等速ストライドの反則さがわかるだろう。
だが、こんなものではない。
このジャパンカップはこんなものではないのだ。
マジェスティーズプリンスさんもベッドタイムさんも、まだ勝負を諦めているわけではないだろう。
一度の小競り合いで負けただけだ。
少しでも油断をしたら首を噛みちぎられるだろう。
事実、ベッドタイムさんは直線での逆転を狙っているようだ。
しかし、それが問題にならないほどの問題が差し迫っている。
『コーナーを曲がり切る! 先頭は依然ブラックトレイター!! だが、やはり! ここでやってくる! この二人がいなければ終われない!! ミスターシービーとシンボリルドルフがやってくる!!』
ジャパンカップの最終直線は短くない。
525m。
そして、前半には急勾配が存在する。
先頭が僕の領域だ。
先頭だけが僕の領域だ。
もし、一度でも追い付かれたなら逃げウマは追い付けない。
何故なら、逃げウマは常に限界なのだから。
引き延ばせ。
僕の領域をもっと。
もっと。
坂に差し掛かる。
仕掛けてきたのはルドルフだった。
ルドルフはその末脚を発揮し、僕を追い抜こうと差し迫る。
僕はそれを許さない。
幅を取り、勢いを殺そうとする。
だが、その瞬間、ルドルフの体がブレる。
タタっと足音のリズムが狂った。
「マルゼンスキーも、この加速を許さないだろうっ!」
「……っ! 練習は十分みたいだね!」
これがルドルフの秘策か。
ルドルフは体の関節が普通よりも柔らかい。それは入学前から知っていたことだ。
ルドルフは前屈の学内記録も持っている。
それが、こんなステップと加速を生むとは。
だが、僕もただで許すわけではない。
培った技術なら、誰にも負けない。
僕はさらに姿勢を低くして、体を斜め前方に倒す。
そして、数を数える。
5歩。
これはルドルフとは反対に丈夫な関節に負荷をかける、超短距離スプリント。
トレーナーからは5歩が限界だと言われた走法だ。
抜かされかけた順位を僕は意地でも譲らない。
そして、そのまま加速を得る。
「っ! 化け物か!」
「君に言われたくないなっ!」
言い合った瞬間、僕らはゾッと背筋を凍らせた。
大きな音がする。
蹄鉄の音だ。
しかも、その音を僕らは知っている。
シンザン鉄。
その音だ。
そんなものを履いて走れるのは異常なほどのパワーを持つウマ娘しかいない。
シンザン、そして、シンザンの末脚に届くと言われたウマ娘。
「――来たね、シービー」
「フルパワーだああああああああああ!!」
シービーは外を走る。
僕らが止めれる場所にはいない。
それに今のシービーのパワーに近づいたところではじき返されるだけだろう。
これを狙ったのか、シービー。
道理でバ群にいなかった。
対人技術を駆使して来るルドルフとは違ってシービーに勝つためには正面から捻じ伏せるしかない。
今、僕らは坂の中腹。
シービーは坂を下り坂のように加速する。
ルドルフは抜かした人数を基準に雷のような足で加速する。
今ここだけは僕ら全員の領域だ。
僕らを呑むような大地を幻視する。
冷たい風は僕らを包み、畏怖する心を加速させる。
シービーの領域だ。
「逃がさないよ、ラックウウウウウウウ!!」
強い。
強い、僕のライバル。
「来い、シイイイイイビイイイイイイ!!」
ただ必死に坂を駆けのぼる。
追い付かれないように、必死に。
だが、それだけでは終わらない。
雷鳴が聞こえる。
これは神威。
絶対の、ルドルフの領域だ。
「勝負だ、ラックっ!!!」
「受けて立つっ、ルドルフ!!!」
ああ。
そうだとも。
これは勝負だ。
逃げろ。
逃げろ。
僕にはそれしかない。
それしかないのだから。
ただ世界を引き延ばす。
全てを置き去りにするように走る。
何もない世界だけを幻視させろ。
ここまで来たならば、小細工なんて意味がない。
正真正銘の真っ向勝負。
逃げるか、差すか。
この大舞台で最後に見せるのは、高度な読みあいでもなければ持ちうる技術の粋でもない。
ただ単純な力と力の勝負。
すでに足は悲鳴を上げ、燃えるように熱い。
骨は軋み、肺は破けそうだ。
体は限界だ。
これが僕の最高速度。
それ以上だ。
トレーニングでも、レースでも、ここが限界値だった。
これ以上は何かに阻まれて、進めなかった。
だけど。
だけど、ああ。
強いなぁ。
二人とも。
僕のライバル。
僕の領域が壊される。
雄大な自然と、強烈な雷が侵食する。
『三人が坂を駆け上る!! そして、一直線にならんだ! 坂を登り切った瞬間に!! 三人が並ぶ!! ブラックトレイターの先頭は終わりを告げる!!』
――ああ、そうだった。
僕はずっと居場所を求めていたんだ。
この世界で、僕はずっと孤独を感じていた。
だって、僕はこの世界の人間ではないから。
でも、なんの因果か僕はウマ娘となった。
欲しかったんだ。
そこにいてもいいっていう確証が。
僕の居場所だっていう確証が。
エーちゃんは僕を受け入れてくれた。
それが無知ゆえの慈愛だったから、僕は嬉しかった。
それだけで僕の存在は肯定されていたのだから。
トレーナーは僕を求めてくれた。
それが契約だったとしても、僕は心地よかった。
能力だけで欲してくれるという確証があったから。
――この何もない世界は、それ以外を拒否していたから出来た世界なんだ。
わかってる。
わかっていたさ。
これが僕の『領域』なんだって。
何もない場所。
どこにも行けない場所。
それが僕の居場所。
いや、居場所さえない場所。
二人が前に見える。
僕の先頭は終わり。
抜かされたのなら、置いてかれるだけ。
でも、そんなのは嫌だった。
だから、必死に走る。
それでも、追い付けない。
どうすればいい。
だれか、教えてくれ。
僕は、どうすればいい。
「ラックっ!!!!!」
不意に、声が聞こえた。
何もない世界に。
何もないはずの世界に。
その声が叫ぶ。
「走れぇっ!! 走れぇっ!!!」
何もない世界に亀裂が入る。
それはその声と共に広がっていく。
――トレーナー?
「走れラック!!! 行け!!!」
目の前が一気に広がった。
あまりのまぶしさに目を瞑りそうになったくらいだ。
僕の五感はすべてを知覚する。
後ろで必死に走るウマ娘たちも。
前で走るシービーとルドルフも。
ターフも、空も。
観客席で叫ぶトレーナーも。
「勝てっ!!! ラック!!! お前の根性を見せてやれっ!!!」
ああ。
そうか。
僕のトレーナーがそう言うんだ。
――それでいこう。
わかってる。
わかっていたさ。
これが僕の『領域』なんだって。
何もない場所。
どこにも行けない場所。
それが僕の居場所。
いや、居場所さえない場所。
――その先にある、この世界。
この現実の世界こそが僕の本当の
そう思うのが怖かった。
前世の記憶を持つ僕は、ずっとその記憶に引っ張られてきた。
僕の居場所はこの世界にしかないと知りつつ、それに拒否されるのが怖かった。
悪役を演じるようになったのもそうだった。
そうすることで悪役だから拒絶されても仕方ないと思いたかったんだ。
僕は自分の居場所から目を背けたんだ。
だけど、そんな僕をみんなは受け入れてくれた。
ここに居ていいんだと。
声援があれば覚醒する、なんて都合のいいことはない。
だけど、その応援は僕の心に響く。
その歓声はそれを僕に教えてくれた。
僕の
何もない領域は壊される。
こんな世界は僕のものじゃない。
僕の世界は目の前にあるものだけだ。
そして、そこにあるのはターフだった。
僕は、本当の、真の意味で世界を受け入れた。
僕を阻む何かは、僕自身だったんだ。
『やはり最後はこの二人!! ミスターシービーとシンボリルドルフ!! 最高の頂上決戦だ!! 残り200m!! どちらが……!? な、なんということだ! 加速している!! 落ちたブラックトレイターが加速している!! 3人のウマ娘が一直線に並ぶ!!』
みんな同じなんだ。
みんな居場所を求めているんだ。
僕も、トレーナーも。
シービーもルドルフも。
モンスニーちゃんもカールちゃんも。
マルゼンスキーもシンザン会長も。
ニホンピロウイナーちゃんもプロミス先輩も。
誰だってそうだ。
全員がそうだ。
そうだよな。
思った通りだ。
じゃあ、やっぱり僕が証明しないといけない。
他の誰でもない、この僕が証明しないといけない。
僕の、全てを懸けて。
『残り150m!! 誰もが譲らない!!』
「絶対は、私だああああああ!!」
「これがっ!!!」
そこにいてもいいんだって。
『残り100m!! デッドヒートが止まらない!!』
「アタシが、最強だああああああ!!」
「僕のぉっ!!!」
生まれ落ちた時からみんな特別なんだって。
『残り50m!! 世界よ、見よ!! これが日本のウマ娘だぁっ!!!』
黒い馬の絵画を思い出す。
そうだ。
どうしてあの絵画を拒否していたのか、今わかった。
僕はあの黒い馬が自分に見えたからだ。
機関車に向かっていく馬に死を連想させたから。
今は違う。
確かにあの馬は僕だ。
だけど、死にに行くんじゃない。
――これは反逆だ。
僕らを否定する何かへの反逆。
黒き反逆。
「――全身っ、全霊だあああああああああああああああああああ!!!!」
息を吐き切る。
ガチンと口を閉じ、空気が入らないようにする。
全てを絞り出すような走り。
そして、一歩抜きんでる。
ゴールの1m手前で、一歩。
この一歩を稼ぐために僕は今までやってきたのだ。
この一歩を踏み出すためだけに僕は生まれてきたのだ。
ああ。
見ろ。
見てくれ。
――僕の勝ちだ。
『今、ブラックトレイターが一歩抜きんでてゴールイン!! 名立たる強豪を抑え!! 三冠ウマ娘を抑え!! 逃げ切ったのは!! 偉大なる逃亡者!! 尊大なる魔王!! 世界への黒き反逆者、ブラックトレイターだ!! 今、日本の、いや世界に残る記録を打ち立てました!! タイムは2分21秒3!! ワールドレコードです!!』
この時の光景を僕は忘れないだろう。
ターフは輝き、歓声は僕を祝福する。
掲示板の一番上には僕の番号がある。
僕は呆然と、それを眺める。
酸素が足りなくて、現実を受け入れられなかった。
ただ、限界を超えて酷使した足の震えだけが僕がターフに立っていることを教えてくれる。
走っていた時はあれだけ鋭敏だった感覚はすっかりなりを潜めていた。
不意に声が聞こえた。
「負け……負けた! 悔しい! ああ、悔しい!」
ルドルフだ。
ルドルフはその疲労を隠そうとしない。
そして、その涙も隠さなかった。
上を向いて、叫ぶように言う。
「勝ちたかった! 負けるのは、こんなに悔しいのか!」
僕はルドルフに近づこうとして、バランスを崩した。
倒れそうになるのを支えてくれるウマ娘がいた。
「シービー……」
「ラック」
シービーだ。
シービーは僕を立たせてくれる。
「ラック、こんなに楽しいレースは初めてだった」
「……うん」
「ずっと、永遠にこの時間が続けばいいのにって思った」
「……僕もだよ」
「ラック」
「なに?」
「アタシと出会ってくれてありがとう」
シービーはそう言った後、大きく息を吸いこんだ。
「くっそおおおお!! 負けたああああああああ!!!」
それは慟哭だった。
全力の慟哭。
だけど、そこには何の悔いもないように思えた。
ルドルフはひとしきり泣くと、僕のところへ来てくれる。
シービーもようやく自分の足で立てた僕から一歩離れる。
「ラック」
「ルドルフ」
「負けた。負けたよ」
「うん」
「初めてだ、レースで負けたのは」
「そっか……」
未だに生返事の僕にルドルフは少しだけ苦笑して、掲示板を指さす。
シービーもそれに頷く。
「祝福しよう、ラック」
「おめでとう、ラック」
二人は息をそろえて言った。
「「君の勝ちだ」」
「僕の勝ち……」
うん。
そうだよな。
そう告げられてようやく僕は自覚が追い付いてくる。
「……僕の勝ちか」
息を一層大きくする。
そして、大きく空気を吸い込んだ。
「僕の……僕のっ、勝ちだああああああああああああ!!!」
大きくガッツポーズをすれば、観客が沸いた。
涙があふれる。
嬉しい。
体がその感情の上手な表し方を知らないようだった。
シービーとルドルフは僕を抱きしめる。
「もー、泣かないでよラック、勝ったんだよ?」
「シービー……ルドルフ……」
「仕方ないな、全く」
ルドルフはそう言って僕の涙を拭ってくれる。
そうして解放された僕にシービーは言った。
「ラック」
顔を上げると、シービーは僕の後ろを指さしている。
後ろを向くと黒と赤の旗で観客席が埋め尽くされている。
「ほら、報告してあげないと。いるんでしょ」
「……うん、行ってくるね」
僕は足を引きずるようにして歩く。
そうだ。
君の声で僕は生き返ったんだ。
場所だってわかってる。
「トレーナー」
「……ラック」
「勝ったよ、僕」
「ああ、ああ。そうだな、勝った」
「さいきょーでしょ!」
「ああ、最強だ」
「トレーナー」
「なんだ?」
「トレーナー辞めないでよ」
「……それはできない」
「ううん。シンザン会長が約束してくれたんだ。ジャパンカップで勝つことが出来たら、トレーナーとの約束を撤回してくれるって」
「ラック……」
「トレーナーは僕の居場所を守ってくれた。だから、今度は僕の番だ」
「だが、今更俺の担当になるウマ娘なんて……」
「いるよ、絶対。だって、トレーナーはどんなことよりもウマ娘を考えてくれるトレーナーなんだもん。僕が保証する」
「そうか……そう、だな。お前が保証するなら、続けようかな」
「うん。きっと、大きな夢を持って、トレーナーの鬼のような扱きに耐えるウマ娘がいると思う。もしかしたら、昔の僕みたいにサイボーグ、なんて言われるかもね」
「ふ、それは面白そうだ。……ラック」
「なに?」
「おめでとう、やっぱりお前は世界一のウマ娘だよ」
僕はその言葉にとびっきりの笑顔を見せる。
「当ったり前でしょー!!」
「表彰台を用意はできなかったが、約束は守れたな」
「ああ、三人でってやつ?」
「そういえばそうだね」
「まさか、負けたウイニングライブをこんなに晴れやかな気持ちでできるとは」
「えー? アタシは悔しいけど? 来週もう一回ジャパンカップやらない?」
「できるわけないでしょ!」
「私だって悔しいよ。最高の調子で、全力を尽くして負けたんだからな。……でも、だからこそ私の中の欠けていた部分が満たされたと感じている」
「欠けている部分?」
「ルドルフにそんなとこある?」
「あるさ、私はずっと物足りないと思っていた。私に勝てるウマ娘はいないんだと思っていたからな」
「あー……。アタシもそう考えてた。……入学前までね」
「なんで二人ともこっち見るの」
「ふ、いや、やはりここは心地よいなと思ってな」
「今や学園はルドルフが作り上げたようなものだと思うけど」
「確かに」
「それを含めてさ」
「あ、そろそろ始まるみたいだよ」
「うん、じゃあ行こうか二人とも」
「ああ」
「うん」
この世界に生まれ落ちて十数年。
訳もわからずここまで駆けてきた。
でも、家族がいて、友達がいて、導いてくれる人がいて、ライバルがいた。
思えば、楽しい人生だった。
辛くて苦しいことはあったけど、それでも僕はこの世界が大好きだ。
僕はブラックトレイター。
悪党で、魔王で、反逆者。
そして。
生まれるはずのなかったウマ娘。
あだ名はラック。
世界で一番
ライトが付く。
僕らを照らす。
さあ、歌って踊ろう。
この世界のすばらしさを歌おう。
これは僕の特別な記録だ。
『Special Record!』
明日、2話ほどエピローグを投稿してこの小説は終わります。
それまで、どうぞよろしくお願いします。