「人の性は悪なり、その善なるものは偽なり」
これはかの有名な中華の思想家、荀子が唱えた主張である。
人間とは弱く、欲望的存在であるが、後天的に学問を学ぶことによって本質は変わらずとも礼を正すことが出来る。即ち孟子の性善説と同様学問の重要性を解いた言葉である。
人間とは醜い生き物である。暁の光を浴びながら私は浜辺にて思った。
性悪説によると人は学問を学ぶことで見せかけだけは前に見せかけられると説かれているがやはり本質的には人は愚かなものである。
私には恋い焦がれた女性が居た。現実で知り合ったのでは無く、電子の繋がりにて出会った女性であった。
明るく、物事をはっきりと言う女性であり、容姿は知らずとも私は彼女に惹かれていった。
彼女が私をどのように思っていたのかは分からないが、少なくとも嫌われてはいなかったものと思う。
私は彼女に沢山の贈り物をした。彼女は私からの贈り物が届くと感謝の言葉をくれたが私の心は満たされなかった。むしろ狂おしいこの気持ちが益々強まっていった。自分だけを見てもらいたい、他の人の話を聞くと私の心はまるで蠟のようにドロドロとした感情で埋め尽くされて行った。しかしそのような訳にはいかない。彼女は自分如きに労力を咲いて良いような人間では無いのだ。彼女はいつか頂点へと上り詰めるだろう。そのような才ある人間へ私ごときが迷惑をかける訳にはいかない。
私は何とかして彼女を意識の外へやろうと昔読んだ荀子の言葉を思い出し、学問に励み、国内有数の大学に入学し有名な企業に入社までしたが、いつまでたっても彼女は私の心から消えなかった。むしろその感情は燃え上がるばかりであり、どうにも出来なかった。
荀子の言葉は嘘だったのだろうか、学問に励んでも礼を正すことは出来ないでは無いか! 私は嘆いた。彼女の事を思うだけで胸が苦しい。彼女へ告白の手紙を送る。自宅を突き止め直接想いを伝える。そのような考えがほんの少しでも浮かんでしまう自分が嫌で嫌で仕方がなかった。これではまさに欲望に囚われた人間ではないか。
なぜ自分は生まれたのか、なぜ自分は彼女と出会ってしまったのか。私は悩み、苦しみ、気がついたらここに居た。
私にとって彼女はお釈迦様が遣わした蜘蛛の糸のような存在。私の人生に差し伸ばされた唯一の光。犍陀多は蜘蛛の糸に手を伸ばしたがそれすらも汚らわしい。私ごときが触れて良い存在では無かったのだ。寒い。体が溶けていくようだ。
「嗚呼ヱリス、私の光。願わくば貴女に───」
成程、最後の最後に「性悪説」というものが分かったのかもしれない。
私 配信者に熱中する青年。俗に言われる「厄介」であるが彼女への迷惑をかけたくないという一心でその思いは胸の内に秘めていた。
彼女 配信者の女性。ヱリスという名前で活動していた。
「私」のことは最初期から自分を見てくれている大事なファンであり、心の底から感謝をしていた。
名前の由来は作者が昨日読んでいた森鴎外の舞姫に出てくる美少女エリス。