1.
窓からうっすらと陽の光が差し込み始めたころに僕は目を覚ました。
ベッドから上体を起こして大きく伸びをする。睡眠時間は十分。今日も清々しい朝だ。
僕は珈琲を淹れるとその薫りと苦味を楽しみつつ街の向こうから陽が顔を出すのを見届ける。
前世ではありえない贅沢な時間の使い方に幸福を噛み締めた。
かつては睡眠時間が足りず、働かない頭を叩きおこすためだけに常飲していた珈琲をこうして楽しみのために飲めるようになるとは、一度死んでみるものだな、と益体もない事を考えながら珈琲を啜る。
ゆっくりと朝食をとってから、階下の店舗兼作業場へ降りていく。
棚には前日のうちに商品を補充済みなので、簡単な清掃だけで準備を済ませると、箒を片手に外に出た。路地を通り抜けるように吹く冬の寒風に身震いする。
王城から外壁まで、商業区の中心にまっすぐ伸びるメインストリートを一本入った通りに僕の店はある。
道が広く、大商店が並ぶメインストリートと違い、人がすれ違える程度の道幅に個人商店がひしめき合うこの通りは建物に遮られてまだ薄暗い。まあ、密集した建物に遮られてしまうので陽が差してる時間の方が少ないのだが。
寒さに体を縮こませながら、店の前を掃き清めていると、隣の武器屋の娘であるミゼットちゃんが表に顔を出した。
「お兄ちゃんおはよう!」
「やあミゼットちゃん。今日も元気だねえ」
「お兄ちゃんは今日も元気が足りないね。こんな気持ちいい朝なんだからしゃきっとしなきゃ」
胸の前で両手を握りしめて気合の入っている様子を見せるミゼットちゃん。
彼女は日本で言えばようやく小学校を卒業するぐらいの年齢でありながら、何年も武器屋の仕事を手伝っているベテラン店員にして看板娘だ。
共に店を切り盛りしていた彼女の母親であるシャーレさんが最近身重となったため、今はひとりで店を任されている。
彼女の父親で、武器屋の裏に工房を構える鍛冶師のヴェイゴさんは心配していたけど、まあ問題ないだろう。店を開いたばかりの僕に商売のいろはを教え込んだのはほかならぬ彼女なのだから。
「お兄ちゃんは静かで豊かで自由な暮らしができればそれでいいんだよ」
「相変わらずだなあ。そんなお爺ちゃんみたいなこと言ってるとホントに老けちゃうよ?お兄ちゃんもまだ若いんだから夢を持たなくちゃ!例えばもっとお店を大きくして、表通りに引っ越すとか、二号店を開くとか!」
どうやら彼女には現代日本的価値観はお気に召さないらしい。こうして自分の店を持って、たいした苦労をすることなく、その収入だけで暮らしながら老後の蓄えをできている現状から冒険しようとは思いもしないので、彼女の提案には心が動かなかった。
まあ、それでも強いて言うなら……。
「そうだねえ。僕が調合に専念できるようにお店を見てくれる人がいたら嬉しいかな。ミゼットちゃん、シャーレさんがまたお店に立てるようになったら、かわりに僕のお店で働いてくれる?」
「え!?そ、それってお兄ちゃんのお店を二人三脚で切り盛りしていこうってこと?それはつまり……。い、いやだ、まだ私には早いわ」
店番を誰かに任せられれば裏で本を読む時間が増えていいかなと、頭の中で算盤をはじいてみるが、人を雇えるほどの収入はまだ難しいなと即座に諦める。人様の生活の責任も負いたくないし、しばらくは一人でいこうと決意を固めて思考の海から抜け出すと、なにやらミゼットちゃんが頬に手を当ててくねくねしていて首を傾げた。
「そうだ、シャーレさんにと思ってこれを作ったんだ。後で渡してくれるかい?」
「え……?わ、わかった。……わあ、なにこれ!」
「食べると元気になる特製のクッキーだよ。」
店から小瓶を持ってきてミゼットちゃんに渡す。
中身は栄養価の高い薬草などを混ぜ込んで作ったクッキーだ。ハチミツも少々加えて甘めに仕上げてある。
ミゼットちゃんは小瓶がまとう甘い匂いにキラキラと目を輝かせていたが、母親のためのものだと思い直したのか、ふるふると頭をふって自分の視界から隠すようにぎゅっと小瓶を抱え込んだ。
義務教育というものがまだ存在していない世界の宿命か、僕からみればおませなミゼットちゃんだが、こうしたところはまだまだ子供らしい一面もみせる。
そんな彼女に僕は内緒話をするように口元に手を添えて、こそっとささやく。
「実はそれ、まだ僕だけしか味見してないんだ。大丈夫だと思うけど、妊婦さんに変なものを食べさせるわけにはいかないからね。シャーレさんに渡す前にちょっと味を確認しておいてくれるかい?」
「……!し、しょうがないなあ!ちゃんと確認しておくから、任せてちょうだい!お兄ちゃんもなにか困ったことがあったらなんでも言ってね!」
ミゼットちゃんは一瞬ぱあっと顔を輝かせると、取りつくろうように真面目そうな顔をして請け負うが、口角が上がっているのを隠せていないし、店に戻る足取りは踊るようであった。あの様子であればすぐに味の確認をしてくれるだろう。
試作品の感想が聞けてご近所付き合いもできる一石二鳥の策だ。
自らの戦略に小さな満足感を覚えつつ、僕も店の中に戻る。扉にかかった閉店中の看板をひっくり返すのを忘れずに。
ヘンリー魔法商店、今日も開店だ。
僕の店のピークは朝の開店直後だ。出立前の冒険者達が入れ替わり立ち代わりやってくる。
うちの主力商品は回復薬や解毒薬といった消耗品だ。
たいていの冒険者たちは受けた依頼の内容に合わせて消耗品を購入するので、冒険者ギルドで依頼を受諾した直後の朝が一番混み合うのである。
個人商店であるヘンリー魔法商店は、数を揃えて安価に売り出す大通りの大商店とは売上で戦うことはできないが、錬金術師である僕自身が一部材料の採取に出向き、すべての薬品の調合を行っているため、そこそこの値段で効き目がいいということでなかなかに評判が良く、利益率も十分だ。
商品は順調に売れていき、準備した品がだいたいはけたところで、客足は落ち着いた。
ここからは一般のお客様がメインとなるが、客入りもまばらでたいした売上にはならない。他はたまに冒険者ギルドやクランから事務員が大量発注のための商談に訪れるぐらいか。
店を閉めて材料の採取に赴くのも手だが、今は材料に不足ない。
人気のない店内で、僕はカウンターに座りミゼットちゃんに渡したクッキーの評判が良ければ店で売り出そうかとか、明日売り出す分の商品を調合したらお昼を食べて午後は珈琲でも飲みなら本でも読もうかとか、つらつらと思考していると、来客を知らせる鈴が鳴り響く。
「いらっしゃいませ!」
僕は精一杯愛想の良い顔をしてお客様をお迎えする。
愛想の良い店はそれだけでプラスポイントだ。表情ひとつでお得意様を作れるのなら、こんなに安い質の向上はない。
来訪者は、冒険者ギルドの事務員、コルディア女史だった。
珍しい人物の来訪に目を丸くする僕を見て、彼女はにこりと微笑んだ。
冒険者ギルドの制服をきっちり着こなし、亜麻色の髪をしっかりと結わえた姿がバリキャリ然としている。僕が冒険者としてギルドに通い詰めていた時は親身に世話してくれた恩人だ。
「ヘンリー君、久しぶりね。お店は順調?」
「お久しぶりです。おかげさまでなんとかやれています」
「それはよかった。……あなたが冒険者ギルドの門を叩いた時は、その、どちらかと言うと学者みたいなタイプだったから、正直すぐに音を上げてしまうと思ってたけれど、まさか一年で店を持つようになるまで稼げるとは思ってもいなかったわ。私もまだまだひとを見る目が無いわね」
「ははは。運がよかっただけですよ。それは貴女もご存じでしょう?」
手を振って否定してみせる僕に、彼女はくすくすと笑う。
冒険者とは、金もコネも無い者達が今日の糧を得るため命をチップにする仕事だ。中には己の才覚をもって富や名声を手にする者もいるが、そんなものは一握り。
冒険者としてひよっこであった僕が店を持ち、危険な冒険者稼業を引退できたのは不運と幸運が重なった結果である。
「ところで、本日はどういったご用件で?消耗品の発注ですか?」
「いえ、今はそういった業務からは外れたの。今はギルド長の秘書をしているのよ」
「そうなんですか!それはおめでとうございます」
僕は彼女の言葉に驚くと同時に内心首をかしげる。
大陸全土に存在する冒険者ギルドの中でも有数の規模を誇るアースランド王国首都ミッドガルの冒険者ギルド長秘書ともなればけっこうな権力を持っている。彼女は下級貴族出身と聞いたことがあるので、出世の階段を上がりきったと言って間違いない。
しかし、仕事上はそれなりに親密でも、プライベートな付き合いはなかった彼女が、一個人商店の店主にどんな用があるというのか……?
それをコルディア女史に問いかけるよりも先に、彼女が口を開く。
「ヘンリー君。あなたはまだ冒険者ギルドに籍を置いていたわね?」
「はあ……。まあ、そうですね」
とはいっても、ギルドに顔を出さなくなって久しい。冒険者の身分は材料採取で王都の外に出るときになにかと役に立つし、在籍することにデメリットもほぼ無いということで、籍を抜くこともしなかった。
「それがどうかしたんですか?」
僕の問いかけに、彼女は一瞬躊躇した様子を見せたが、意を決したようにして僕を見ると固い声で告げた。
「ヘンリー君。ギルド所属の冒険者であるあなたに、ギルドから指名依頼が入っています。」
「……へ?」
彼女のあまりにも予想外な言葉に僕は間の抜けた声を上げた。