道行きは順調に進んでいた。
教会が用意した馬車は仕立てが良く、長く座っていても辛くなかった。そこらの幌馬車であれば作りが単純なので尻に振動が直に伝わり、非常に辛いことになっただろうが、旅が二日目に入ってもそのような事態にはならなかった。
馬車の周囲を『暁の星』の面々が固め、警戒しながら進んでいるが、獣一匹出てこない。王都周辺は軍や冒険者の巡回が行き届いている。しばらくは何事もなく進むことができるだろう。
馬車内の雰囲気も当初想定していたよりも穏やかだ。
僕とエリザ、グエンとアシュレイ。馬が合わなそうな面々が終始顔を突き合わせて嫌な雰囲気を作らないのはひとえにカタリナの人徳だろう。
彼女はグエンやエリザの話を聞き、アシュレイに話を振り、僕にも言葉をかけている。
最初は下手な敬語で話していたグエンも普通に話すようになったし、無口でつっけんどんなエリザもカタリナの名声故か、人徳故か、時折笑顔をみせて話をしている。
この調子なら東部国境までの四日間、つつがなく進みそうだ。
『暁の星』が以前西方の大貴族から受けた依頼がいかに厄介であったかを力説しているグエンの話を聞き流しつつ、僕はそっとカタリナの様子を伺う。彼女はグエンの話を、相槌を打ちながら興味深げに聞いている。
冒険者と同じ馬車にカタリナが同乗し、会話している状況をよく思わないのか、アシュレイが渋い顔をしているが、特に何も言わないのは、カタリナに頭を下げさせたのを負い目に感じているからだろうか。
聖教の聖女カタリナ。
今王国内、いや、周辺国内外で声望を高めている超一流の治療術師だ。治療術師とは魔法師や錬金術師が使う魔力とはまた別の力、法力と呼ばれる力を元に、その名の通り怪我等を癒やす力を行使する者のことだ。
法力と魔力の何が違うのか調べてみようと思ったのだが、教会が徹底して治療術師を管理し、そのノウハウを秘匿しているため原理がわからず断念したことがある。
教会曰く、聖教徒の信仰心に神が与えたもうた奇跡である、と謳っているが、眉唾物だ。神の存在は信じる僕であるが、彼らの言葉を素直に信じるほど素直でもない。
本当に神のもたらす御業であるならば、それを独占し、金儲けの種にしている教会は不心得者の集団ということだ。
治療術師に治療を受けるためには、教会に赴き、所定の喜捨をしなければならない。
多少の傷はともかく、重症者の治療にはとんでもない額の喜捨が必要あるため、庶民や貧乏貴族ではとても依頼できないし、払えたとしても、確実な治癒は約束されない。
腕の立つ治療術師ほど難度の高い治療を施すことができ、その成功確率も高いが、その分喜捨の額も青天井に跳ね上がっていくのだとかなんとか。
そんな治療術師の中でも、抜群の腕を持つのが聖女カタリナだ。
誰にも教えを受けぬうちから治療術を行使していたという彼女の治療は成功率が非常に高いと言われており、貴族の令嬢の事故で切断された腕を元通り戻してみせたとか、火球の直撃を受けて火だるまになり虫の息だった将軍がまたたくまに回復し、その日のうちに戦場に舞い戻ったとか、彼女が通りかかっただけで脚を骨折していた男が杖を捨てて踊り狂ったとかどう考えても眉唾な話も含め、多数の実績がある。
治療術師としての腕が教会内の出世競争に影響することもあるため、彼女を未来の教皇と呼ぶものさえ出てくる始末だ。
王都の教区を管轄するグレアム司教とその上役であるヨシュア大司教は彼女の力を利用し、相当幅をきかせているらしい。
当然カタリナの派遣には相当な額が動いていると思われる。それに……。
「ヘンリーさん、どうかされましたか?」
渋面を作る僕を目ざとく発見し、声をかけてくるカタリナ。
その気遣わしげな表情を見ると、つい胸の内を明かしたくなる。こういった態度も含めて聖女と謳われているのだろうなと納得しつつ、彼女に応える。
「いえ、カタリナ様ほどのお方が出向くほどの事態ということは今回の件、相当厄介なのではと遅まきながら気が付きまして」
「まあ。大丈夫ですよ。そんなに難しいことをしにいくわけではありませんから」
僕を安心させるように語る彼女の後をついでアシュレイが補足する。
「今回カタリナ様が派遣されたのは、治療の速さを優先させたためだ。軍が魔獣に手を焼いたせいで負傷者はそれなりの数いるらしいからな。帝国軍と対峙している現状、一刻でも早く負傷兵を治療し、安全確実に魔獣を討伐することができるのはカタリナ様をおいて他にいない」
そう言って崇拝の目をカタリナに向ける。実際に矢面に立つ『暁の星』の面々の存在を無視した物言いだが、アシュレイの言動に慣れてきたグエンとエリザは特に何も言わなかった。カタリナだけがただ困ったように曖昧な笑みを浮かべている。
どうも騎士アシュレイは、ただ与えられた任務に忠実、というわけではなく、カタリナ個人に忠実であるようだ。
彼の言動も冒険者を下に見ている、というよりは、カタリナにあまり人を近づけたくないという思いゆえのことだろう。
「そうなんですね。安心しました。しかし……」
「しかし?」
躊躇する僕に続きを促す彼女につい余計な疑問を呈してしまう。
「その……、『暁の星』の方々が護衛につくとはいえ、カタリナ様ほどのお方に随伴する聖堂騎士がアシュレイさんだけなのは不思議だなと。いえ! アシュレイさんの実力を疑ってのことではないのですが!」
「それはオレも不思議だった。お供の十や二十は当然ついてくるもんだと思ってたんだが」
僕の疑問に賛同するように発言するグエン。エリザも僕の言葉を肯定したくないな、みたいな顔をしつつうなずいて賛意を示す。
僕らの疑問を受けてアシュレイは苛立たしげな表情を浮かべる。や、やっぱりプライドを刺激してしまっただろうか……?
「本来ならそうなるはずなのだ! カタリナ様ほどの術者ならいつ何時、どんな相手に狙われるかわかったものではない。俺は五十人の騎士の派遣を要請したが、騎士団上層部の判断がこれだ!」
「ははあ」
アシュレイの提示した五十人、という数に顔が引きつりそうになりつつ言葉を濁しながら相槌を打つ。彼の無茶苦茶な要求はともかく、つまり教会内の政治的なあれこれというやつだろう。
どんな怪我でも癒やすカタリナと、彼女の力を政治利用して力をつけるヨシュア大司教をよく思わない者は、聖教内にいくらでもいるだろう。彼女の力がいくら世間の役にたとうとも、その足を引っ張ろうとするのが人間というものだ。
まったくこれだから組織というものは大変だなと他人事のように思う。
「わたしのためにそれほどの人員を動かすわけにはまいりません。それに何も対策がない訳ではございませんし、アシュレイ様とあの『暁の星』の方々がおられます。今のわたしは百の騎士に護られてるような気分ですよ」
「嬉しいことを言ってくれるねえ。任せとけよ。聖女様には傷一つつけさせねえ。騎士様はせいぜい後ろで指を加えてオレたちの活躍を見物してな」
「ぬかせ。俺はともかく、カタリナ様のお手を煩わせてみろ。魔獣よりも先に俺がお前を切り捨ててやる」
「なにおう!」
カタリナの言葉にグエンが乗ってアシュレイを煽ると、気を取り直した彼もすぐさま反撃し言い合いになる。その様子を見て密かにほっとする。多少なりとも場を乱す発言をした手前、変な雰囲気にならず助かった。カタリナ様様である。
「そういえば、ヘンリーさんはご自分のお店をお持ちなんですよね? 私と同じくらいのお歳なのにすごいですね!」
「いえいえ、そのようなことは……」
話題の転換を狙って僕に話を振ったカタリナの言葉に謙遜しつつ応じるが、正直あまり触れてほしくない話題だ。
「どうせ実家から援助が出たんでしょ」
「そうなら僕ももっと楽な暮らしができたのですが、どこにでもある貧乏男爵家ですので……。魔法学校を出るまでは面倒を見てくれたのですが、卒業したら後は勝手にしろと放り出されました」
エリザの嫌味のような口振りに苦笑しながら応じる。出来るだけ下手に出て対応しているつもりだが、魔法師と錬金術師の格差は如何ともし難いようで、中々距離は縮まらない。当たり障りなく会話できる程度になれれば、僕の馬車内での快適さもさらに向上するのだが。
「そういやぁ、秘書長から聞いたぜ。あんた
話を横で聞いていたグエンが面白そうな表情をして聞いてくる。飛竜という言葉を聞いて僕以外の面々は皆驚いたような表情を浮かべている。
「飛竜だと? 手練れの教会騎士が複数人で戦うような相手だぞ?」
アシュレイが訝しむように疑問を口にする。
僕は心の中でやっぱり面倒な話になったと舌打ちしつつ、表向き困ったような顔を浮かべる。
「グエンさん、その言い方だと僕がひとりで飛竜を倒したみたいじゃないですか。やめてくださいよ。あれは偶然の話で、運が悪かったというか、良かったというか。全然誇れるような話じゃないんですから」
「なによ、他の冒険者パーティーのおこぼれでも貰ったの?」
「ははは、実はその通りでして……」
馬鹿にするように言った言葉を肯定されてエリザが目を丸くする。
話を振ったグエンはにやにやと僕の様子を見ているが、アシュレイは疑念の表情を崩していないし、カタリナは興味深げに目を輝かせている。それに冷たい目をしたエリザの誤解を解くために、仕方なく詳細を語ることにした。
「あれは一年程前になります。僕はひとりで薬草採取のためにヘルモンまで赴きました。……ええ、北方のシャイフ山脈の麓のあたりですね。あの辺りに群生する野草が目的でした。当時の僕はもちろん素人に毛が生えた程度の弱小冒険者でしたから、山の奥深くに入り込もうと思っていた訳ではありません。なにせ攻性魔法をひとつも使えない錬金術師ですからね」
「ひとりだったの? 錬金術師が護衛もなしによく御山に近づこうと思ったわね」
「護衛を雇うお金が無かったんですよ。当時はその日暮らしに近い生活をしながらお金になるかもわからない薬品の調合と実験していましたので」
エリザの馬鹿を見るような目に言い訳がましく説明する。
「……とにかく、人里近くで冒険者や軍が巡回する比較的安全の保たれた地域でなら問題なかろうということで、採取に励んでいたわけです。山道の脇で運良く目的の野草を見つけて、集中していたのが不味かったんですが、恥ずかしいことに、けたたましい咆哮が聞こえてきて、ようやく気がつきました。僕が顔を上げたとき、ちょうど飛竜が冒険者の方にその尾を叩きつけているところでした。―――冒険者の方もまだ息があったのですが、後になって飛竜の尾毒にやられていたことがわかりましたので、もうその時にはどうにもならなかったと思います……。パーティーの他の方々も軍が周囲を捜索して亡骸が見つかっていまして、その方が最後のひとりだったみたいですね。……と、それで、僕は思わず立ち上がってしまって。飛竜と目が合ったんですね。あの時の恐怖と絶望は忘れられません。とにかく無我夢中で、自衛のために用意していた魔道具を手当たり次第、投げつけたんです。ひとりで危険な場所に赴くわけですから、魔獣と出会ってしまった時に逃げられるようになけなしのお金で色々作っていたもので。その中にその、爆薬が混ざってましてね。……い、いえ! 当然魔力を通さなければ安全な代物ですので、街中で爆発するようなものではないですよええ! その爆薬が、こう、うまい具合に飛竜の口の中に飛び込んでいきまして。冒険者の方々が相当弱らせてくれていたのか、動きが鈍かったので。飛竜もちょうど火を吐こうとしたところだったので、うまい具合に火袋の中身と薬品が作用して、派手にボンッと」
「その一撃で飛竜が死んだのかい」
「そうですね。……人里の目と鼻の先でしたから、冒険者の方々も文字通り命をかけて飛竜を押し止めようとしたのだと思います。僕もおかげで生き延びることができました。彼らには感謝してもしきれません」
僕の言葉に、エリザが突っ込みを入れる。
「ていうか弱っていたとしても飛竜を倒す威力の爆薬ってなんなのよ。そんな薬品聞いたこともないわ」
「ああ、僕が調合した薬品です。砕いた硝石等を溶かし込んだ薬品に魔力を通して威力を底上げできないかと実験で作ったものでして。まあ、普通なら飛竜の外皮にちょっと傷がつく程度の威力ですが、今回は内臓に直接でしたので。単価が高くて調合に手間もかかりますから、あまり量産もできませんし」
エリザはふうん、と鼻を鳴らして黙る。
「へえ。で、その時の飛竜の素材を売りさばいて店を構えたって訳か」
「その通りです。……本来飛竜討伐の報酬は最後まで戦い抜いた冒険者の方々に与えられるもの。しかし、そのパーティーの方々は所帯も持たず、故郷の知れぬ方々ばかりでした。教会にそれなりの額を喜捨して、彼らの亡骸を手厚く葬っていただいたのです。それでも内臓はともかく、外皮は珍しいぐらいきれいな状態だったようで、飛竜の素材はけっこうな値段で捌けたので」
「飛竜と出会ってしまった不運と、それにもかかわらず生き延び、報酬を得た幸運、ということですね……」
僕が語り終えると、各々納得したような顔をするものもいれば、何か考え込んでいるものもいる。もう一年も前の話だし、過程はともかく結果は真実を話したので疑問があっても追求することは皆しないだろう。
冒険者パーティーは飛竜により全滅したし、その埋葬のために喜捨も出している。ゆるい箝口令が敷かれたのも本当だ。
ただ、飛竜は僕と相対したときぴんぴんしていたし、そうなると冒険者パーティーは問答無用で蹂躙されただけで何の役にも立っていなかっただろうが、所詮は誰も傷つかない噓である。
―――どうせ正直に話したところで、ただの錬金術師である僕がひとりで飛竜を倒したと言っても、誰も信じやしないだろう。
それでもかまいやしない。名誉や出世なんてものもまっぴらごめんだ。
ただ今の静かで自由で、穏やかな暮らしこそが僕の望みなのである。