夜は野営をせずに街道沿いの宿場町に宿をとっている。整備された街道を進む予定のため、グエンも野営するつもりはなかっただろうが、アシュレイがカタリナ様に野営などさせられないと強硬に主張するのを苦笑しながら首肯していた。
僕としても屋根のある場所で眠れるのはありがたい。
皆で宿の食堂で夕食を取った後、僕はひとり食堂に残って持参した珈琲豆を挽き、宿が近くの酪農家から仕入れているという山羊の乳をもらってカフェオレを作ると香りと味を楽しんでいた。
王都の中では新鮮な乳を手に入れることが難しいので、中々ありつけない一品だ。こういう楽しみ方をできるのが旅の醍醐味だろう。まあ自分から積極的には出かけたくはないのだけれど。
一杯目を堪能し終え、調子に乗って二杯目の準備をしていると、外からカタリナが戻ってきた。
「カタリナ様おひとりですか? アシュレイさんは?」
「アシュレイ様はグエンさんと稽古をすると言って近くで打ち合っています。長くかかりそうなのでこっそり戻ってきてしまいました」
僕の問いにしれっとした顔で答えるカタリナ様。そんなんでいいのだろうか?
「折角の護衛のアシュレイ様と離れてしまって大丈夫なのですか?」
「すぐ近くですし問題ないですよ。……それに、いつも一緒にいたら息が詰まってしまいますから」
たまの息抜きです。と言ってちろっと舌を出すカタリナ。楚々とした印象を持っていたが、意外とちゃっかりしているらしい。
「ははは。まあ、アシュレイさんは終始カタリナ様にべったりですからね」
アシュレイは崇拝するカタリナの護衛を徹底しており、昨夜は同じ部屋に泊まると主張したのをグエンが殴りつけて引っ張っていったほどだ。イケメンの騎士に護ってもらえる、と言うと世の女性は喜びそうであるが、あまりにも熱を上げていて一緒にいると疲れるところは多々あるだろう。
聖女様も大変だなと他人事のように思っていると、僕が準備しているものを見て、カタリナは目を輝かせた。
「わあ、もしかして珈琲ですか?」
「おや、カタリナ様も珈琲をご存知でしたか。一杯いかがですか? 宿の女将から山羊の乳もいただいているんです。一緒に入れると美味しいですよ」
「カフェオレですね。それではお言葉に甘えます」
嬉しそうに対面に座るカタリナに応えて準備をする僕を、彼女は楽しそうに見つめている。
「カタリナ様は珈琲をよく飲まれるのですか?」
「いえ、教会は清貧を旨としておりますので、中々飲む機会がなくて……。王都の南町ににあるジョーダン教会、ご存知ですか?」
清貧というのはつまり貧乏、ということだ。南町は僕の店がある商業区からそれなりに近い。ジョーダン教会は確かその中でも貧民が多い地区にある教会だと記憶している。
「驚きました。カタリナ様のような高名なかたならその……、王都でも一等地にお住まいかと」
「そういうところに居を構えてはとお話をいただくことはあるのですが……。わたしはジョーダン教会にある孤児院で育った孤児でして。恩ある教会のために少しでも役にたてればと」
「そうだったのですね。しかし、カタリナ様ほど名前の売れたお方がいるとなれば、色々な人が押し寄せてしまいそうですが」
今をときめく聖教の聖女様が孤児というのは意外だった。しかし、そんな治安があまりよろしくないところにいて大丈夫なのか、とは直接には聞けなかったので、婉曲にお伺いしてみる。
「ふふ。教会の近所の方々は昔から顔なじみですし、彼らもわたしが治療術師として働いていることは知らないですから。逆にわたしの治療を受ける方々はわたしがどこで暮らしているか御存じありませんので。……教会騎士の方々も交代で教会に逗留していただいておりますし」
孤児院出身で、裏の顔があって、孤児院のために頑張ってる、と。なんか聞いたような話であるが思い出せない。最近記憶が怪しくなっている前世関連だろうか……。まあ思い出せないということはたいして重要な話でもあるまい。
「アシュレイ様は普段からお側で護衛されているのですね」
「ええ、わたしが治療術師として身を立ててからはずっと」
笑みを浮かべるカタリナの姿がなんとなく疲れているように見えた。それはまたご苦労なことである。他の騎士たちもあんな崇拝者のような態度でべったりだとしたら自由などほぼあるまい。僕だったら耐えられずに逃げているところだ。
「というより、僕のような部外者にそのような話をしてしまって大丈夫なのですか? あまり広めてはならない内容かと思うのですが……」
僕の問いにカタリナははっとしたような顔をした。
「そう言われるとその通りですね。……今の話は秘密でお願いします」
そう言って口元で指を立てる姿はとても様になっていた。美人は得である。
「アシュレイさんに知られたら斬り捨てられそうですね。僕も命は惜しいので黙っています」
くすりと口元をほころばせるカタリナに、ミルクをたっぷり入れた珈琲を手渡す。彼女は嬉しそうに受け取り、ふうふうと冷まして一口飲むと、ほっとしたような顔をする。
「美味しい」
「そうでしょうそうでしょう」
彼女の一言に僕は上機嫌になる。過去には南方の国で霊薬の類として扱われていた珈琲がこの辺りの地域に伝播し一般人のも手に入れられるようになったのはけっこう最近のことらしい。
そのせいか、未だこの辺りの人の嗜好品飲料はお茶である。知人に珈琲を勧めても、中々受け入れられず、こんなもの取り寄せてまで飲まないと否定される始末だったので、同好の士を発見できて大変喜ばしい。聖女様の知名度を利用してどうにか流通させてくれないだろうか。
そんなことを勝手に検討していると、ふとカタリナが疑問を口にした。
「そういえば、どうしてヘンリーさんは店を開かれる前、冒険者をしていらっしゃったんですか? 錬金術師の方は普通商家の大店に就職したり、錬金術師経営の個人商店弟子入りすることが多いと聞きますが」
確かに錬金術師でありながら冒険者ギルドの門を叩くものは一握りだ。その一握りも、冒険で身を立てるためではなく、身分の証明に便利だからとか、そんな理由で在籍している幽霊ギルドメンバーばかりだ。
「そうですねえ。冒険者と言っても、自前の戦闘力がほぼ皆無な錬金術師が受けられる仕事なんてせいぜい薬草採取みたいなものか、子供のお使いレベルのものしかないですからね。魔道具を準備すれば依頼をこなすことはできなくもないですが、そんなもの準備できるお金があれば別の方法を選びます。僕も比較的安全な地域での薬草採取の仕事ばかり選んでなんとか糊口をしのいでいましたよ」
「安全、と言っても危険がないわけではないんですよね? 現に飛竜に遭遇してしまうような、普通なら死んでもおかしくないような事態に遭遇しています。それなのに何故そこまで冒険者にこだわったんですか?」
「特に深い理由はないのですが……」
僕はちょっと答えに迷った。本当に明確なビジョンを持って冒険者となったわけではないのである。たいていの危険ははねのける自信があったということもある。しかし錬金術師が独りで無双してしまうといらぬ詮索を受けることは目に見えていたので、目立たないよう簡単な仕事しか受けなかった。おかげで冒険者時代はひもじい思いをした記憶しかない。
それでも、あえて冒険者を選んだ理由といえば。
「やはり、自由でいたかった。というのが一番でしょうね」
「自由、ですか?」
「ええ。商家に働きに出ることも、誰かの下について下積みをすることもできたでしょうし、なんなら実家に戻ってもなんとか生きる目算はついたと思います。けど、そうした選択肢は必ず誰かに縛られる。避けることのできない何かに上から押さえつけられる。そうしたことに我慢できそうもなかったんです」
誰かに決められた制約のために朝早く起きて、日の出ている時間はずっと働きっぱなし。夜も更けてやっと家に帰れたと思ったら、また次の日早く起きるために、眠らなければならない。
かつて、歯車のように社会の一部として働き続けた僕には、もうそんなこと耐えられなかった。
それでも僕がただの男爵家の三男坊だったら、また生きるために歯車のように働き続けたのだろう。命の危機には変えられないのだ。
しかし、僕は力を手に入れた。神様から与えられた、立ちふさがる壁を粉々に吹きとばしてみせる力を。
まあ、そんなことは彼女に話せないので、当たり障りない言葉を吐いた。
「身の危険は承知の上です。それよりも僕は、自分の生き方を自分で選択できるようにしたかった。だからこその冒険者です」
縛られず、押さえつけられず、自分の選択肢は自分の手に。なんだかんだあったが、自由を選んだ僕は、平穏な暮らしも手中に収め、今とても充実している。
「自由に生きるため、ですか……。お志は素晴らしいと思いますが、手段が命を粗末にしているようで賛同しかねますね」
「まあ自分でも馬鹿なことをしたと思いますよ。しかし、喉元すぎればなんとやらです。今ではこうして楽しく過ごしています」
「そうですか。……少し、羨ましいです」
苦笑する僕に、彼女は呆れてしまうかと思ったが、そんな言葉を口にした。
「羨ましい、ですか? 誰もが羨む才能を持ったあなたが?」
「ええ、孤児院での暮らしは貧しいものでしたが、この力のおかげで、みんなが人並みの暮らしをするだけの糧を手に入れることができました。誰かの助けになるお役目にも否はありません。それでも、もっと他にやり方があったのではないかと、そう思うのです」
そう言ってカタリナは手元の杯の中に目を落とす。
「わたしがもっと小さい頃は、どんな方が相手でも気軽に治療して差し上げることができたのに、今は大金を払える方ばかりを相手にしていて、貧しい方に治療をすることが難しくなっています。騎士様をつけてくださることは孤児院の子どもたちのためにもなりますからありがたいのですが、ちょっと窮屈で。それにわたしのような平民につけるには身分が高い方が多いので気後れしてしまって。アシュレイ様なんて武名ある伯爵家のご出身なんですよ」
幸い皆さんには良くしていただいておりますが。と言いつつ彼女の微笑みには陰があった。
そんな彼女をあわれに思うことはない。彼女や恩恵を受けたその周囲の人物より恵まれない人など、そこら中に転がっているからだ。それでも、己の自由をあれほど語ってしまった手前、しがらみに縛られた彼女に引け目があることも確かである。
「すみません。会って間もない方にこのような話を。……何故かヘンリーさんには気安さを感じてしまって」
「ははは、僕でよろしければ、いくらでもお話をお伺いしますよ」
顔を赤らめて頬に手を当てる彼女を見て悪く思う男はおるまい。
彼女がまた口を開きかけたところで、アシュレイが店に駆け込んできた。
「カタリナ様はいらっしゃるか!?」
苦笑しつつ手を上げて応えるカタリナ。アシュレイはほっとした表情をすぐさま厳しいものに切り替え、ずんずんと歩み寄ってくる。テーブルの前で腰に手をあて、声をあげようとした彼の機先を制して、声をかける。
「今ちょうどカタリナ様からご相談をいただいていたところなんです。アシュレイさんは信頼できる方だが、乙女のプライベートに踏み込もうとするので困っている、と。女性の私室まで押しかけるのは流石に問題では?」
「なっ!?」
「清廉を旨とする教会騎士様にしちゃあ随分な醜聞だよな。昨日だってオレが止めなきゃ街でどんな噂が流れたことか」
「ち、違う! けっして任務にやましい気持ちなどない! カタリナ様の安全を思ってだな!」
後ろから追いついてきたグエンのからかう声に言い訳がましく反論して、そこからは言い合いだ。軽蔑するような視線でアシュレイを睨むエリザの視線が彼の焦りを助長する。なんだかんだ彼らの距離が縮まっているようでなによりだ。
「……ありがとうございます」
こそっと声をかけてくるカタリナに杯を掲げ、もう冷めていたカフェオレを飲み干した。
*
「魔獣の数が多い。何か変だな」
馬車の中に戻ってきたグエンは顔をしかめながら、頭をがりがりとかいた。
三日目の昼を過ぎた辺りから、魔獣に遭遇するようになった。
幸い『暁の星』の面々がたやすく撃退するので、行程に支障は出ていない。統率の取れた彼らの戦闘にはただ驚くばかりだ。
「僕、最近はこの辺りに来てないんですが、こんな街道に魔獣が出没するような地域だったでしょうか?」
「今も昔も魔獣と出くわすのが珍しい安全な場所だったよ、この辺は。それがもう四回目だぞ。
「今回の魔獣が関係しているんじゃないかしら。国境周辺から他の魔獣を追い出してるのかも」
ぼやくグエンにエリザが私見を述べる。つまり、討伐対象の魔獣は他の魔獣よりも断然強く、他の魔獣が尻尾を巻いて逃げ出すほど凶暴で危険ということだ。
軍隊が手に負えなかった相手。予想されていたこととはいえ、厳しい先行きに重苦しい雰囲気が立ち込める。
その時、外がにわかに騒がしくなった。
グエンが腰を浮かせ、外に飛び出すよりも先に外から扉が乱暴に叩かれた。
「ミレイナ! どうした!」
扉を開けて怒鳴るように問いただしたグエンの言葉に、狩人風の女性―――ミレイナが焦った顔をして彼以上の声で叫ぶように応えた。
「宿場が魔獣の襲撃を受けてるわ!」