赤い靴は履いたまま   作:巴瑠

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第1部
プロローグ


 朝が嫌い。薄汚れた道、土と混ざった溶けかけの雪、踏み潰されて粉々になった葉っぱ、端っこが茶色になった花びら。夜はひっそりと息をひそめていられていた一切合切を照らし出す。

 昼も嫌い。居場所がない。そこにあってはいけないものは全て覆い隠して「ないもの」にしようとする。青空が嫌い。空が続いているのだったら、もしかしたら私もその空の先へ行けてしまうのではないかと思ってしまう。雲も嫌い。私はどこにも行けないのに、彼らは風に乗って容易く何処かへ行ってしまう。女が嫌い。男も嫌い。大人が嫌い。子どもが嫌い。赤色が嫌い。幼さが嫌い。老いが嫌い。灰で真っ白な暖炉が嫌い。幸せそうな人が嫌い。芋虫が、蝶が、やせたネズミが、笑い声が、西日が、嫌い。

私は、私を含めた世界の全てが嫌いだった。

天井があった。その天井は、少女でも膝立ちするとぶつかってしまう高さ。立つことなんて叶わない高さ。許されるのはせいぜい、仰向けが四つん這いか、という高さだった。

母は娼婦。労働者や商人が相手の。商人、と言ってもそう大したものではない。大した人も来るらしいが、彼らが求めているのは知性溢れる会話ではなく一夜で後腐れのない愚かな女。

愚かでばかりに、騙される女。孕む女。そういう女から、私は生まれてきた。

元々私は産まれてくる予定ではなかった。ただ、母がこんと黙っていたため、気づいた時には手遅れだっただけ。本来なら3歳にもなれば打ち捨てられるなり売られるなりするはずだったが、たまたま顔が良かったので店に置かれた。

水揚げは14歳。あと2年。私の人生なんて、そもそも始まりようがなかったのだ。

 あの日。私にとっての朝日に、彼女に出会うまでは。

 ーーいいえ。出会ってからも相変わらず世界はだいっきらい。彼女のことも好きってわけでは別にない。けれど、この世界がつくったもので唯一価値があるものが何かといえば、それは彼女だから。

 そんな彼女がこの世から消えたようになって、今日で六年が経つ。相変わらず消息は絶えたままだ。

 死んだ、と思うには充分な時間。そう思っていたほうが気が楽だろう。けれど、いや、だからこそ、私はこれを書く。私がこれを書くことが、彼女がこの世界にいたことの証になる。この世界は価値あるものだと私が確信できる証拠になる。

 そして、これによって私は、多少薄れかけてきている記憶を、永劫変化することのないようとどめておくことができる。それは決して、思い出を反芻し続けるためなんかじゃない。

 彼女に、胸を張って、おかえり、と言うためだ。

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