「あーーもう誰よ!! こんなめんどくさいデザインにしたの!!」
一心に縫っていた布を手放し、喉から絞り出すような声を出しながら天井を仰ぐ。最初は真新しかった天井も、3年も経てば何ということはない。ただの木の板だ。
「あんた以外の誰がいる、ってツッコミ待ち?」
「うるっさい知ってるっつの……だってさーあ、」
ザクザクとパイを切っている向こう側の彼女に言う。
「フローラ! 白百合のフローラ様の花嫁衣裳をウチで作るのよ? レヴェナンを差し置いて! いやそんなことはどうでもいい! あんな神様のいたずらとしか思えないような繊細で可憐で毒がある、あのフローラ様の!」
「もうそれ十回は聞いたからいいかな。何歳だっけ? 十六?」
切り分けたパイを彼女がダイニングへ持ってくる。ベリーパイだそうだ。
「そ。何でも最高の結婚相手を見つけるなんて、商品つけて花婿候補を探してるそうで。金持ちの考えてることはよく分からない」
「……なるほど」
さく、とフォークをパイの中心に刺す。
「金持ちが何考えてんのかはさっぱり分かんないけどね……でもあんた、、その年になって『結婚は好き同士でするものだー』なんて思ってるわけ?」
「まさか。稀でしょそっちの方が。私は必要性が感じられないだけ。お金はあるし、私強いし」
ぺろ、と指についたパイ生地を舐める。そう感慨もなくいう彼女の胸には、誰も宿っていないのだろうと確信に近い「何か」があった。きっと、いま彼女の周囲にいるのは、「守ってやらなければならない弱者」だけ。だから彼女は暖かく、柔らかく、美しく、冷徹なほど平等に愛を振りまく。綺麗な作り笑いを向けられたから何だ? そんな表情、きっと父の前でもやってる。いたずらっぽい、「本当の笑顔」を見たから何だ? そんなもの、面白いことがあれば魔物の前でも見せる。ーーまあ、そんなことにすら気づかず人生を狂わされる男が多いのだろうけど。
けれど、彼女がそうであることが、私にはとても嬉しかった。皆の彼女、そしてその中の。
「どう? 今日はベリーの種類変えたんだけど。シルヴィ?」
「まあまあじゃない?」
特別であること、唯一であることが、たまらなく嬉しいのだから。
彼女は私の美の象徴であり、自由の象徴だった。この辺りで、彼女ほど強い人はいなかった。強い、というのは常に特権である。魔物がうごめく「外」へ自由自在に行くことができるのだ。彼女さえいれば、かつては湿っぽい衣裳箱の中で震えているしかなかった少女でさえ。……この前に行った海は、思ったより楽しくなかったけれど。足に砂粒がつくのも、海水はやたらべたべたしているのも、石場に変な虫がいるのも嫌だった。でも、「本当の海は嫌」と知ることができることこそ自由じゃないかしら。彼女と同じ村に住んでいる人々の中で、何人が実体験を持って「海は嫌」だと言えるだろう。
同時に、彼女にとっても私は自由の象徴であるだろう、とも思う。私は天才なのだ。根拠がいると言われれば、それこそ今回フローラ様の衣裳を依頼されたことが示している。まだ十九歳、一番の服飾店であるレヴェナンの店と喧嘩別れをしたのでさえも、これほどの依頼が舞い込んでくる。
「退屈」。彼女は村での暮らしをそう言っていた。けれど、そんな中で、私は彼女の生活に彩りを与える者になっているのじゃないだろうか。父も、近所の人の目もない場所で、私と二人きりで。
『あなたにとってもよい経験となるでしょう。これから、大きな依頼がどんどん舞い込んできますよ』
今回の依頼を受けたときに言われたことだ。それについては……まあ、どうでもいいなと思った。私は名を売ることより、あのフローラの服を作ることができるということに惹かれてこの仕事を受けたのだ。おおきな依頼。場合によってはもっと良い場所に店を移したほうがいいのかもしれない。けれど。
「早く作業再開しなきゃ、でしょう? 片付け終わったら私も手伝うから」
それが彼女から離れてしまうことを意味するなら、別に成功なんていらない、と思った。相変わらず世界はクソッタレのままだ。ゴミだ。何の価値もない。とっとと滅ぶべきである。
けれど、彼女と過ごすこういう時間だけは、永久に続いてほしい。そう思ってしまうくらい、私は幸福だった。
……まあ、振り返ってみれば、それはぬるま湯のようなものだったのだけれど。