フードを脱ぐと、そこから豊かな髪が零れ落ちた。瞳と同じ色の、手触りのよさそうな真っすぐな髪が背中の中ほどまで落ちていく。ありがとう、と言いながら彼女は私にマントを渡した。
「お仕事中だったかしら?」
「ええ、まあ。しかしどうされました、こんな夜中に」
そう返すと、彼女は柔らかにほほ笑んだ。まずい、と直感する。彼女のこの笑顔は、人に有無を言わせぬ力を持つ。こんなに素敵な少女の「おねがい」を聴かないわけにはいかない。そう直感させるようなほほ笑みなのだ。
「お仕事中でしたら、ね――」
そこで言葉を切ってから、彼女はもう一度私を見た。
「これから先のあなたの数年間、言い値で買わせていただけませんか?」
「……と、言いますと」
真意を測りかねて問う。気がついたら彼女を、申し訳程度に置いてある応接用の椅子へ進めていた。ありがとうございます、と礼を言って彼女はそこに腰かけた。香水だろうか。柔らかな花の匂いが動きに合わせて、決して嫌味にならないように立ち上る。
「実は私、結婚するんです」
「はあ。花嫁衣装ですか」
とうとうか、と思った。最初にフローラ様に結婚の話が上がったのは四年前。その結婚相手がビアンカと結婚するという何とも意味不明の展開が起こったが――まあ、その件については、あの形が一番おさまりが良かったのでは、と思う。あの子はもう手を引かれないと飛べなかった、けれど飛び立つべきだった。そして彼女は――もっと飛び立つ空があるんじゃないか、と直感する。結婚して、なんて彼女に与えられる空にしてはあまりに狭すぎる。
「はい。あなたによるドレスが完成したら、私は結婚しようと思ってるんです?」
「順番が逆では? ……お得意様ですし、スケジュールの融通は利かせます。フローラ様のお衣装でしたら、ぜひ」
素直な気持ちを言葉にした。フローラのドレスを作れるなんて僥倖だ。どんなスケジュールになったとしても私が作る。私以上に作るべき人間なんていない。あら嬉しい、とフローラ様は頬に手を当てる。
「けれど、作って欲しいのはただのウエディングドレスじゃないんです。私が作って欲しいのは、この世で最も美しい人間のドレス、です」
「私が作るんでしたら当然です」
視線をそらさずに返した。すると、ふと彼女の瞳にぼんやりとつめたい光が浮かぶのがわかった。
「ほんとうに? 私はビアンカ様ではありませんが」
「どういう意図のご発言ですか?」
口から出た声に、苛立ちの色が滲んでしまったのが自分でも分かった。すると、勘です、とほほ笑む彼女の瞳からつめたい光は消え、優しい令嬢そのものになる。
「お気を悪くされたらごめんなさいね。謝ります。――けれど、思うのですけれど。あなたの最高傑作は、あの日で止まっています」
黙っていると、こちらを真っすぐみたまま彼女は続ける。
「もちろん、完成度や精度、技術は当時と今とでは比べものにならないと思います。この大陸でも、あなたに並ぶ技術者はいないでしょうね。でも……」
「説得力がない」
本当は分かっている事だった。
「……おっしゃる通りです。今の私の作品には、説得力がない。この服を纏う者は絶対的に美しい。絶対的に正しい。絶対的に善である。そう感じさせる力が」
実はずっと認めたくなかったことだった。けれどあの姉妹にこうも連続で言われるということは、そろそろ理解しなければならないのだろう。
停滞していた。作品を作ることはできる。この大陸で最も素敵な服を作ることはできる。
でも、それだけ。そこで頭打ち。このままでもきっと、死ぬまで食いぶちを稼ぐことはできるだろう。けれど、何よりも私がそれに耐えられない。だって、どんな作品も私には素敵に見えない。美しくもない。美しく見えるのだとしたら、それは身にまとう人そのものが持っている美しさだ。私の作ったものは、美しくとも何ともない。
「はい! だから、あなたがもう一度『美しさ』を作れるようになるまでの時間を私に交わせていただけませんか?」
そう言って、彼女は袋から何か取り出してテーブルの上に置いた。何やら物々しい空気のある――魔物の一部だろうか。翼だ。
「こちら、『キメラのつばさ』という道具です。これがあれば望むところに赴くことができます。大陸の外でも。これで見てきてください。探してきてください。援助は惜しみなくさせていただきます。会いたい方がいらっしゃるのでしたら、紹介状も」
苦労を知らない白く細い指が、分厚い翼をなぞった。美しいもの。正しいもの。善いもの。
気がつけば、彼女の差し出した翼に手が伸びていた。
「……でしたら――オラクルベリー、テルパドール。そして、ラインハットに」
だとしたら、私はあの子の見た美しさが見たい。正しさが見たい。どれもこれも、彼女の手紙に出てきた土地の名だ。彼女の言葉を通して知った世界を、同じ世界を私は見たい。二年前。二年前に、彼女の手紙は止まっている。だから私は見たい。声を聞きたい。彼女の姿が、言葉が、美しさが欲しい。そうでないと、きっと私は、それを超える美しさを見いだせないから。
「もちろん。ご用意させて頂きます。ですから、必ず――」
彼女の桃色の唇が孤を描く。
「私を、世界で最も美しく、幸せな人間にしてくださいね?」