太陽の眠る時間   作:巴瑠

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「――何で、いるのよ」

 開口一番。久々に彼女の「嫌い」の目を見た。その「嫌い」の色はすごく深かった。

「いいじゃん別に。来たからいるだけだよ」

 そう言っていつものように笑う。彼女が怒って、私が笑う。私たちはそんなのばっかりだ。

 それよりあんたは、と返す。だって、今はまだ冬の続き。春にはなっていない。「何でいるの」は彼女も同じだった。

「別に何だっていいでしょう。私はここからそんなに遠くにいるわけじゃないし」

 いつも以上につっけんどんな口調だった。それもそうだけど、何となくわかった。彼女は今、何かを隠している。

 それをどう突き止めてやろうか思案していたのに、先に火をつけたのは彼女の方だった。

「私、もうここには来ないから」

「……嫌な冗談」

 半分驚きつつ、半分そうだろうなと思った。何でだろう。私も「もうここには来ない」と実は思っていたからだろうか。

 彼女は、今日無事ドレス職人としてスカウトされた。一度彼女の才能が世に出れば、きっと依頼は絶えないだろうし、そうでなくても忙しくて私とは会えなくなるに違いない。暇な私とは、違うのだ。

 でも、それは彼女がスカウトの話を聞いてからのこと。いま先に「来ない」と言われるのは予想外だった。

「嘘じゃないから、本当」

 いつか「死ねばいいのに」と言ったときみたいに、彼女は吐き捨てるように言った。何でよ、と問い詰める。知りたかったから? 違う。それより、彼女が聞いてほしそうだったから。

 カッ、と彼女の瞳が見開かれた。赤。燃えるようとか、血みたいとか、そんなんじゃない。例えるんだったらそう、多分宝石。宿屋で一度だけお客さんに見せてもらったことのある、赤くて冷たい、でも本当の輝きを持っている石。掘り起こされただけでは綺麗にならない、たくさん削られて、ようやく美しく煌く星。たくさんの「嫌い」で磨かれた唯一の美しさ。

「娼婦になるのよ」

 乾いた笑みを浮かべる彼女。怒るのは上手いのに、笑うのは下手くそだ。

 ――だって、今は笑うタイミングじゃ、笑っていいタイミングじゃ、ない。

「本当はあんたも知ってたんでしょう? 知っててバカにして、笑ってたんでしょう? 可哀想な私に情けをかけて”あげる””優しい”私ごっこをしてたんでしょう! ほら、可哀想がりなさいよ、泣きなさいよ、その代わり私は泣かないから。あんたの代わりに笑ってやる。どうせ何も変わりっこないんだって、笑ってやる」

「バカなの? 笑うのは楽しい時にすることだよ」

「楽しいに決まってるじゃん、私をバカにし続けたあんたの望みどおりにならないんだから」

「――バカになんて、してないし」

 でも、ちょっとむかついてはいた。だって、彼女が世界で一番不幸だって顔をしているから。ああそうかもね。彼女は不幸だ。まだ十四歳なのに娼婦になる。――でも、でも。

「やめなよ。あんたは服職人になるんだよ」

「はぁ?」

「レヴェナンの夫人が言ってたよ。今すぐウチに来なさい、って」

 あんたはその運命から逃げられるんだよ。

 怒りから発した言葉だった。むかつく、むかつく。その「私は不幸です」って笑ってる横っ面をひっぱたいてやりたくなったのだ。

 ほら、彼女は笑うのが下手だ。もう笑みが消えている。

「あんた、救いようがないくらいお花畑に生きてるのね。教えてあげるよ。私は生まれた瞬間から私のものじゃないの。金で買われたから金で売れるの。あんたには想像できないでしょう? ねえ? 優しいお父さんとお母さんに大事に大事に育てられてきたあんたには! 気づかなかっただろうね、私の話にお父さんもお母さんも出てこないこと!」

 それには気づいてなかった。その一点は認める。――――でも、あんただって自分を可哀想がってるばかりで、気づいてないじゃない。

「じゃあ買えばいいじゃない。買い戻しなさいよ、金で買えるんでしょう。買いなさいよ。七千でも一万でも十万でも出せばいいじゃない」

 十二万。それは、さっき見た銀行の口座に入っていた数字だ。

「ええそうね買いたいわ、買うよ、買えるなら! 買えるわけがないでしょう、十二万よ十二万! やっすい自由でしょう? でもね、その安い自由が買えないの! 買える奴はどこかの金持ちだけなの!」

「だから買えって言ってるの! 金で買えるんでしょう、買いなさいよ」

 同じ言葉を繰り返す私に、心底うんざりした、という様子で彼女は私を睨みつけた。

「どこからその金が出てくるのよ。もう一つ教えてあげる。お金はね、何かを売らないと手に入らないの。だから、私は」

「知ってるよ。売ればお金になる。だからあるのよ。持ってるの。私が。十二万」

 そう言ってやると、ようやく彼女は横っ面を叩かれたように静かになった。はぁ、と理解しかねる、という様子で声を漏らしていた。

「私ね、大きな宿屋の一人娘だったの。楽しかったよ、町で一番お金持ちだからさ、みんな私をお姫様みたいに扱ってくれるんだ。それに、宿屋に泊まる旅人達も、私を可愛がっていろんな異国の話をしてくれる。実際に、小さいけれど冒険もした。明日は何が起こるんだろう、明日はどんな楽しいことがあるんだろう。そうして、朝が来るのが待ち遠しかった」

 彼女が呆気に取られている間に全部吐き出す。可哀想がらない彼女に。あんたほどじゃないけど、こういう奴も世界にはいるんだって。あんたの目の前に。

「そのうち、お父さんが体調を崩しがちになった。また冒険しようって約束した子はいなくなった。宿を売って今のところに引っ越した。何もない、ねえ、あそこには何もないの。毎日毎日同じことの繰り返し。『子供には分からない』ってひっそり大人たちが漏らしてくる愚痴。もう聞き飽きてるのよ、何回言うの? ねえ、私もああなってしまうのかな。つまらない、どうしようもない大人になってしまうのかなぁ」

 もう自分の意思で、口の動きを止められなかった。ずっと言いたかったことだった。でも、きっと誰も聞いてくれないことだった。

「それで、この冬、お母さんが死んだ。ねえ、『これからはビアンカちゃんがしっかりしなきゃね』だって。そうだね、私大人にならなきゃね。可哀想可哀想、花嫁姿も見せられず、病気のお父さんと一緒に、女の子一人で、大変だね、可哀想だね、私たちは立派な優しい優しい大人だから、助けて、優しくして”あげるね”って! でも、でもね」

 ――ねえ、どう? あんたは私を可哀想だと思った? 残念、ここからどんでん返しだ。私は可哀想なんかじゃない。そう主張するように、私は笑って見せる。

 こう笑うんだよ、まだまだだね。そう言うように。

「十二万。ウチを売って手に入ったお金はぜーんぶ、私のもの」

 ばっかじゃないの。絞りだすように彼女は言った。いつからだったのだろう。先ほどまでの青空とは一転、強く雨が降っていた。二人ともとうの昔から濡れ鼠。でも、どちらもそこから動こうとはしなかったのだ。

 はあ、はあ、と気づけば肩で息をしていた。未だに信じられないと言った様子の彼女を私は追う。

「あげるんじゃないよ。貸すんだから。ちゃんと返してよね」

 喧嘩は、私の勝ちみたいだった。

 

 

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