太陽の眠る時間   作:巴瑠

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 印をつけておいた場所まで戻ることができた。これで、あとは道に沿って村へ降りるだけ――その瞬間、はたと嫌なにおいがして、おじさんの手を掴んで立ち止まった。何だよ、とおじさんがその手を振りほどきかけた瞬間、あるものが私たちの視界に入ってぴたりとその動きは止まる。

 道の真ん中に立っていた。私の身の丈の二倍はあろうかという魔物が。そいつは大きな口からだらだらとよだれと舌を垂らして、そのあたりを這いずり回っていた。

「ベロゴンの王だ」

「ベロゴンの王?」

 聞き返すと、ああ、とおじさんは言った。

「もともと、この山にはベロゴンという魔物がいるんだよ。そいつもまあ強いけど、視力が弱いから音さえ立てなければ大丈夫だ。――でもあいつはちがう。他のベロゴンよりもびっくりするほど耳がいいし、その気になれば爪一割きで小さな木ならへし折ってしまう」

「……ちょっと待ってみましょう。いなくなるかも」

 そう言って少し待ってみたが、運悪くその「王」とやらは動きもしない。少しづつ、木の合間から落ちてくる光が少なくなる。いつ別の角度から魔物がやってくるとも限らない。

 こうなれば。

「おじさん、いまから一気に村まで走ってもらえませんか?」

「ビアンカちゃん、まさか……」

「大丈夫です、私もすぐ追いつきます」

 そう言って先に駆け出すのは私だ。大人はどうせ、こういうときにはぐずぐずして動かないから。そのまま、近くにあった手ごろな木に登る。大丈夫。出来る。私なら、出来る。

 それに突き動かされたように、おじさんも左足を引きずりながらも全力で走った。その足音に、「ベロゴンの王」の目がそちらへ向かう。そして、そいつが右手を振り上げた瞬間。

「こっちだよ、おばかさん!」

 自分を奮い立たせるように叫びながら、私は枝を蹴って飛び降りた。ぐるり、と何処から首なのか分からない首を回して、そいつの目が私を捉えた。

 両手で構えているのは、よく研いだ一本のナイフ。

 ぐしゃり、と生々しい感覚。いつまで経っても馴れない。ねらいだった右目は外して、こめかみの少し右に刺さる。そのまま回収するつもりだったけれど、どこかの骨格に引っかかってしまったようで抜けない、のでナイフは諦め、そのままそいつのぶよぶよとした胸の辺りを両足で蹴って、一度転がって勢いを殺しながら地面に降りる。

 ぶぅぅう、と完全にこちらを敵と見なしたとわかる鳴き声。底冷えのするようなそれに、一瞬足がすくみそうになったけれど、腰から外した鞭の持ち手を強く握って思い直す。

 大丈夫。勝てなくていい。負けなければいいんだ。

 パン、とまずは大きな音を立てて敵の右前の地面を打った。するとそいつはすぐさまそちらに意識を向けた。その瞬間、私は左後方へ走り出す。本当に視力はよくないらしい。けれど、見た目に似合わず反射神経は鋭いようで、危うく鞭ごと引っ張られる所だった。

 けれど、敵もさる者。私の足音をしっかりと聞きつけて追いついてくる。サイズからして、歩幅は圧倒的にあいつのほうが大きい。私が勝っているのは小回りくらいだ。小さな斜面や曲がり角を多用するも、徐々に奴は近づいてくる。

 その時、私は村がある方とは別の方へ向かっていた。だって、村で戦える人はほとんどいない。一応人間の住む場所だから結界はあるんだろうけど、こいつはイレギュラーな強さらしいから、その結界が持つとも限らない。だから、なるべく引き離した場所で身の自由を奪う。

 ――これが本当に上手くいくのか分からない。上手くいかなかったら、お母さんとの約束を果たせなかったことになる。でも、でも、でもやってみるしかない。怖いけれど。恐ろしいけれど。

 それとおなじくらい、実はわくわくしていた。だって、私一人の力でこいつをどうこうできたら、それってとてもすごいことじゃない?

 走る。走る。走る。鬼さんこちら、と言うように時折木の幹を鞭で打ちながら。びゅん、びゅん、と奴が腕を振り下ろす間隔も、その距離も徐々に短くなっていく。

 ひょう、と背中のすぐ後ろで腕が振り上げられる音。目の前には谷川。先ほど足元を鞭で打ったばかり。このまま私が移動したとして、さすがにその場所の補足くらいはできるだろう。

「――燃えろ」

 魔法言語で唱える。一つの火の玉が飛ぶ。

「燃えろ、燃えろ、燃えろ、燃えろ、燃えろ!」 

 声、集中、魔力、そのどれかがとぎれるまで続ける。小さな火の玉はぶつかって大きくなり、そのまま進む。――私の左前、奴の方とは全く違う方向に。

 ずるり、と魔物は一歩進んだ。次いでもう一歩、そして、振り上げた腕を、ブン。

 けれどその爪が捉えたのは、人の頭ほどの火の塊だった。さすがに魔物も慌てた様子を見せたが、谷間ぎりぎりの不安定な足場、一発で仕留めるつもりだったのだろう、フルスイングが運の尽き。ずるり、とそのまま足が滑るまま、足場が崩れるままに下の渓流へ落ちていく。――下に植わっていた木々に悲鳴を上げさせながら、魔物は落ちていった。さすがに子の高さだと魔物も無傷ではいられないらしい。うつ伏せのままのびていた。消えない、と言うことは死んではいないのだろう。びっくりするほど丈夫だ。

 ――とはいえ、私は負けていない! むしろこれは「勝った」と言ってもいいのでは? だって、今の私にある傷は逃げ回るときについた擦り傷くらいだ。――まあ、一回でも当たったら死んでた、というのもあるけれど。

 もしかして、と思って立てた作戦だったが、どんぴしゃりだったらしい。あの魔物は、音だけでなく魔力も頼りにして索敵を行っている。だから、私の魔力量より外の魔力量が上回って偽装できるよう、炎を沢山出したというわけだ。――そのかわり、いまはへろへろだけど。これで次に別の魔物と会ったら、それはもう、全速力で逃げるしかない。

 と思ったが、運よく私は事もなく村まで降りることができた。――山道からの出口には、さきにたどり着いたおじさんと――何とびっくり、村中の人々が集まっていた。

「ビアンカ!」

 いの一番に声を出したのはお母さんだった。お母さんが駆け寄って来たのを合図に、ざわざわとみんなが騒がしくなる。

「ああもう、心配したよ! ――やっぱりあんたはすごい子だ!」

「ってことは、あいつをなんとかしちまったのか?! こいつは驚いた」

「すごい子だ、こんな子が新しくこの村に来てくれたなんて嬉しいよ」

 そして、おじさんが話したのを皮切りに、たくさんの大人たちが私を囲んでいっぱい褒めてくれた。

 それほどでもないです、なんて私も調子に乗って答える。

 そうして私は一躍、村の人気者になれたのだった。

 

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