村に引っ越してきて三か月目。今日は初めて隣村――というか、麓の町にでた。そろそろ村にも馴れてきた頃、というか私の活躍のおかげで二日目にはもう馴染んでいたし、びっくりするくらい落ち着いた村だったので、私が退屈するのにそう時間はかからなかった。ああ、もちろん仕事はある。でも、宿屋だった頃の忙しさと比べたら全然だ。その分遊びなさい、とお母さんは言うけれど、あの村には私と同じくらいの子供が一人もいないのだ。大人かおじいさんおばあさんばっかり。
さて、そんなある日。この村で取れた野菜を麓まで持っていくとある人が言っていた。その人が「道中に戦える子がいたら安心だなあ」とこれ見よがしに言っていたので、立候補して今に至る、というわけだ。町では自由に過ごせばいい、と放り出されたので最初は物珍しくいろいろ見ていたが、何のことはない、ここにあるものは全て前の町にもあった。どころか、前の町よりこじんまりとしている。
――つまんない。
思わずそう言いそうになったが慌てて打ち消す。お母さんによく怒られるのだ。「あんたがつまんないと思うのは、つまんない考え方をしているからだよ」って。屁理屈に聞こえなくもないが、なんとなく分かるので従っている。私の人生を楽しくするのは、私自身だ。そう思わないと、やってられない。
そうぼんやりと歩いているうちに、なんとなく嫌な、こう暗いというかその癖芳しいような場所について、あ、しまった、と足を止めた。ここがどういう場所かは分からない。前の町で言うなら、酒場が一番近い感じ。酒場と宿屋を足して割った感じの。踵を返そう、と思った瞬間、嫌な笑い声が聞こえた。
「おい、なんか言ってみろよ!」
「きったねー! それにくせぇ! うわこっち睨んでやがる!」
前の町にもいた、こういうヤツ。自分より弱いやつを選んで攻撃する声。
この世で一番だっさい、その癖癇に障る声。
相手が誰だか知らないけど、放っておけない、というかこういう時は決まって先に身体が動いている。近づいて分かった。そいつらは泥団子を持っていたし、その先にいるのは小さくて折れそうな手足の子供だった。最低。
「ねえ、ちょっと。感じ悪いから退いてくれる?」
「あ? 何だよてめぇに関係ねぇだろ」
肩に手をやって低い声でささやく。相手は私が女、向こうは男で二人なのを追い風に、感じ悪く言い返した。
「関係してますー。私もここにいた」
「は? 何だよこの女。おい、先にこいつからやっちまおうぜ」
そう言ってぶん、と泥団子を持っていない方の拳を私に向けた。それをひょいと避けて、ただでさえ勢い余っている足元を蹴飛ばすと、そいつはそのまま顔面からこけた。
もう怒ったからな、とそいつはじりじりと立ち上がった。
「いいよ。私、魔法使えるけど」
『燃えろ』そう呟いて、手のひらの上に炎を出してやる。――喧嘩の時に魔法を使うとしこたま怒られるので、本当にはやらないけど。
そうすると、びくっともう一人は肩を震わせてからこちらに背を向け、声をかけるまえに走り出した。
「あっちょっと待ちなさい! 謝んなさいよ!」
「あってめ待て! ……覚えてろよ、バカ女!」
「誰がバカ女よ、ざーこ! あんたも謝りなさ……あーあ」
それを皮切りに、こけたほうもよたよたと走った。最後に私の方へ泥団子を投げてくるとは予想外で、額の端にちょっと泥がつく。許さない。今度会ったらはたいてやる。
とはいえ、いま優先すべきはいじめられてた方の子だ。こけてしまったようで、まあ結果から言うならあいつらの方が怪我してるけど、自業自得だからいい。やったの私だけど。
「大丈夫? 怪我とか……」
精一杯優しい声を出して近づくと、伸ばした手をぱっと払われた。びっくりして固まると、その子はのろのろと立ち上がって歩こうとする――けど、その子が持っている荷物は重そうで、膝には赤く丸く血が滲んでいた。けっこう深い。
「ねえ、怪我してるよ。だから――」
そうもう一度手を伸ばすと、その子はまた手を振り払って、こちらをきっと睨んだ。
眦のきつく上がった赤い瞳と、それを縁取る、髪色と同色の煙ったようなピンクの睫毛。さっきは短い髪で判断しかねていたけど、近くで見るとはっきりと女の子だ、と分かった。歳は私よりも少し幼く見えた。というのも、その身長とか細い手足のせい。すらり、というより貧しさを想起させる細さだった。
けれど、それのどれよりも鮮烈だったのは、赤いその瞳だった。
どうしてそんな目ができるのだろう、と思った。その子の瞳は、私に向かって「嫌い」と声高に叫んでいた。けれど、私は不思議とそれを不快には思わなかった。その瞳は平等だった。正直だった。この世のありとあらゆるものすべてに「嫌い」と言っていた。嫌い。嫌い。嫌い。嫌い。
それが私には不思議で仕方がなかったのだ。どうしてそんなに嫌えるのだろう。「好き」に理由はいらないけど、「嫌い」には理由がいる。少なくとも、私には。人には優しくしなさい、誰とでも仲良くしなさいって言われて育って、実際私もそうするのが正しいと思っている。だから、何かを嫌いになってしまったときはどうにか「好き」になろうと頑張る。さっきの男の子達だって、向こうが謝ってくれればきっと私は許すし、謝らないなら何が悪かったかきちんと話して分かってもらう。……それができなかったら、きっと私は、「好き」になれなかった自分がちょっと嫌いになる。だから私は、何かを嫌いになることがほとんどない。
「構わないで。どっか行って」
嫌いだ。嫌いだ。嫌いだ。相も変わらず彼女はそう言っていた。
でも、私は。
「まあまあそう言わずに。まずは傷口洗っとこうよ、ね?」
もう既にあなたのことが好きだ。多分。