「はい一丁上がり。布は気にしないで。私こういうのしょっちゅうだし。ね、あなた名前は?」
そう言いながらハンカチを彼女の膝に巻く。そうして顔を見上げると、案の定「どうして教えなきゃならないの」って顔をしていた。ここで退いたら多分負けだ。
「私はビアンカ。この前、この山の奥の奥の奥の方にある村に引っ越してきたの。あなたは?」
帰って来ない。ぱ、と結び目を作った瞬間だった。
「どうも」
そう呟くように言ったかと思えば、すぐに彼女は立ち去って行った。
ちょっと待って、と追いかけるが、地の利は向こうにあるようだ。入り組んだ路地を進んでいるうちに見失ってしまう。
――でも、ここで諦めたら私じゃない。
ということでそれから一か月。今度は日用品の買出しに行くという別のおじさんの船に、私は無理を言って乗せてもらった。
もちろん、また彼女がここを通るとは限らない。でも、待たずにはいられなかった。もう一度。一度だけでいい。私と彼女の人生が、少しだけでいいから交わってほしい。待つ場所に選んだのは、あのあと路地を歩いている間に見つけた空き家だ。
――しかし、それからしばらく。座っていると寝てしまいそうだったので、壁にもたれかかるようにして立っていたけれど、それでもやはり寝そうだった。まあそんな上手い話なんてそうそうないか。そう諦めた瞬間、ふ、と赤い瞳と目が合った。
「あ!」
思わずそう声をあげると、しまった、と彼女は目を見開いて、地面を蹴る――が、諦めたように立ち止まってため息をついた。どうやら私の執念深さが分かったらしい。
「よかった、まさか会えるなんて」
「……先日は、どうも。お礼できるものはありませんが」
「お礼なんていいよ。当たり前のことだもん。ねえ、それより」
その言葉を遮って、彼女は私の左手首をひっつかんだ。すごい勢いだったので面食らって止まっていると、動かないで、と一言言った彼女の手に鈍く銀色が光る。その手にあったのは、小さな小さな針だった。
それから、私が口を挟む間もなく何かの作業が始まって終わった。
「ボタン、取れそうだったから。ついでに、ほつれてた袖口も」
その言葉を受けて見てみると、確かにボタンはしっかりと止まっていた。といっても、どう変わったのか分からない。だって私はボタンが取れそうだったことに気づいてなかったし、ほつれていたらしい部分は元からそうであったように止まっていたから。
すごい、と月並みな感想が出る。しかし彼女はそれにうんともすんとも言わず、また立ち上がって彼女の道を急ぎ始めた。
「あの、私待ってるから、また! また来てね! 約束!」
その背中にそう呼びかける。返事は帰って来なかったけれど、その背中から立ち上がる「嫌い」が薄く見えたのは、私の願望込みだろうか。