【IF】Sapphire 〜ハリー・ポッターと宝石の少女〜【番外】   作:しらなぎ

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・sapphireのIFルートのお話です
・リクエスト内容:長編スリザリン夢主とドラコの子育て
・子育てしたことなくて結婚生活メインになってしまいました
・呪いの子スコピとはまったくの別人です
・やっぱりわたしにはただ幸せな短編って書けないんだなぁとしみじみ……


喪ったものに焦がれながら生きている

 

「ははうえ、ちちうえはまだ?」

 お絵描きをするのに飽きたのか、息子が足元にじゃれついてきた。シャルルはスコーピウスを抱き上げ、膝の上に乗せておでこをくっつける。

「お父様はお仕事で忙しいのよ。もう少しだからいい子で待ってましょうね」

「でも、せっかくちちうえをかいたのに」

 雪のように真っ白で、ほのかに赤づいたみずみずしいほっぺたがぷくっと膨らんでいる。シャルルに似た青い瞳に不満の色をまざまざと湛えていた。

「まぁ、ドラコを描いてたの?喜ぶわ。わたしにも見せて」

「うん!」

 小さな足でたたたっと駆け出していき、テーブルの紙をグシャッと握ってまた走ってくる。窓から吹く風がプラチナブロンドを柔らかくさらった。

 

「ほら、これがちちうえで、これがははうえ、まんなかはぼく!」

 得意そうに胸を張り、キラキラした瞳で見上げてくるスコーピウスの頭を撫でて「とっても上手ね」と抱き締める。子供はぽかぽかしていて、柔らかくて、ちいさい。未だに自分に息子がいる現実が信じられなくなることがある。

 ドラコと結婚したことも。

 学生時代の微睡みの夢の続きを見ているみたいだ。

 

「お父様が帰ってくるまで、文字のお勉強をしましょうね」

「え~!きのうもそのまえもしたのに?もうおなかいっぱい!」

 その言い様に声を上げて笑ってしまった。なんとか堪えながら「毎日やらなきゃダメなのよ」とたしなめると、みるみる目に涙を浮かべる。

「いや!」

「あら……」

「ほうきがいい!ほうきがいい!」

「もうお昼にいっぱい飛んだでしょう」

「ほうきじゃなきゃいや!」

 ごね始めたスコーピウスは長引く。叱りつけるのもどうかと思うけれど、わがままを全部聞くのもどうかと思って、泣いた顔を眺めながらシャルルは考えていた。スコーピウスの顔立ちは穏やかだから、癇癪を起こしているのに、無垢な顔を悲しそうに歪んでいて本当に胸に迫るほど可哀想に見えてかわいい。

 泣き声を聞きつけてきて、パシッと音が鳴った。ハウスエルフのマーレイだ。

 

「坊っちゃまがお泣きになってしまわれた!奥様、どうされたのですか?」

「お勉強よって言ったら嫌だって……箒に乗って遊びたいんですって」

「それでしたら、お外の後にお勉強をしましょう!坊っちゃま、箒のあとはきちんと今日の分を終わらせないといけません!奥様はそれをお望みです」

「やだなの!」

「お勉強をしないなら、箒もダメでございます!」

 ピシャッとマーレイが言うと、スコーピウスはますます火がついたように泣き始めた。シャルルは抱き上げて、「さぁ、お外に行きましょう」と暴れるスコーピウスをあやしながら庭に行く。

 箒を出したらグスグス言いながらも、すぐに楽しそうに遊び始めた。子供というのはそういうものなんだろうけど、気分屋すぎてついていけない。

「マーレイはお勉強の支度をして参ります」

「ええ」

 

 スコーピウスは可愛い。子供用の箒に乗って、地面から30センチほどだけ浮いてキャッキャしている彼を見ているとそう思う。水色と灰の空にほんのりとオレンジが混じっている。花が咲き乱れて鼻腔を擽る。

 幸せの象徴みたいな光景だ。

 

 シャルルに育児は向いていないが、なんとか手探りで毎日を過ごしていた。

 マーレイが居なければとても子育てなんか出来なかっただろう。ドラコだって向いていなかった。マーレイは昔こそ子供の前に姿を表さなかったし、自分から意見を言うこともなかったが、見かねた彼女が育児を手伝ってくれるようになってから随分楽になった。

 シャルルは母や父にあんまり叱られたこともないし、わがままを言った記憶もなく、ドラコは厳しいルシウスを慕いながらも怯えて成長した。泣いていたら、あらあら泣いているわね、いつまで泣いているかしらこの子、とぼーっと眺めてしまうシャルルと、いつまで経っても叱りつけることに慣れないドラコではマトモな育児が望めるはずもなかったのだ。

 

 スコーピウスが2歳ほどまでは仕事に就かず、一緒に生活してくれたドラコだが、マーレイが積極的に手伝ってくれてからは、シャルルが強く背中を押したこともあって魔法省で働いている。

 息子が大きくなった時に、いつまでも大戦の悪いイメージが残っているマルフォイ家では困る。シャルルはまだ小さな息子を連れて社交界や他家のパーティーには出られないから、自由なドラコに委ねるしかない。

 頼りがいはないけれど、一生懸命頑張っているドラコは可愛いし、ルシウスが一緒に出て社交や政治の実践的なやり方を叩き込んでいるからかなり見れるようにはなっている。

 

「うわっ!」

 小さな悲鳴が上がって、思考に耽っていたシャルルは現実に戻ってきた。スコーピウスが地面にコロンと倒れている。

「落ちたの!?大丈夫、スコーピウス?」

「へーきへーき」

 ぴょんと立ち上がり、また空中に浮かんでは飽きずに飛び回っている。ドラコに似たんだろう。シャルルは別に空を飛ぶことに興味はなかったし、お世辞にも上手くはなかったが、スコーピウスは庭の障害物を器用にすいすいと避けて、水の中を泳ぐように自由に箒を扱っている。

 

 息子はドラコによく似ていた。シャルルに似ているのは、その瞳くらい。つんと上向いた鼻はドラコとシャルルどちらもだし、ふたりとも唇が薄い。垂れがちな眉はシャルルに似ているかもしれない。

 息子が生まれた時、自分の本当の父親の面影が感じられなかった。そのときようやく、シャルルはこの生活を本当の意味で選ぼうと思った。もうひとつの選択肢を諦めていないことを、ドラコは知りもしないだろう。もうひとつの選択肢すらドラコに話したことは無い。彼は優しすぎる。シャルルは本当は、魔法界の礎になろうと思っていたのだ。魔法族が誰にも支配されず、忖度せず、自由に生きられるための礎に。

 

*

 

 大戦でその名声が地に落ちたとはいえ、マルフォイ家は過去の実績があり、潤沢な資金があった。さらにスチュアート家は白い家だ。

 しかしやはり、マルフォイ家に向けられる目は厳しい。

 

 暖炉の炎が緑に燃え上がって、スコーピウスが歓声を上げて走り寄った。

「ちちうえ!おかえりなさい!」

「ああ、ただいまスコーピウス。もうお風呂に入ったのか?」

 抱き上げると、片腕に乗せてドラコが丸いおでこにキスを落とした。

「箒で遊んだから泥まみれになったのよ。おかえりなさい、疲れたでしょう」

「ただいま」唇が一瞬触れ合い、リップ音が響く。「将来の名クィディッチ選手は確定的だ。やっぱりシーカーかな」

「何人分のニンバスを買うつもり?」

「ニンバスなんかもうダメだね、やっぱりファイアボルトだろう」

「それこそもう古いじゃない」

「いや、改良されてますます洗練されているし、プロでも使っている選手はいる。根強いファンがいるメーカーなんだ。それに学生なら誰も持てないくらいまだ上級の品格を持ってる」

 熱く語るドラコを流して、ドラコの上着を受け取った。杖を振ってかけておく。あとでマーレイが洗うだろう。

 

 背も伸び、スラッとしていながら、以前より胸板は厚くなり、後ろ髪を伸ばし始めているドラコだが、こうして中身が変わっていないところもある。

 クスクス笑ってもう一度キスをした。

「食事にしましょう」

 

 マーレイの準備した食事に舌鼓を打つ。スコーピウスがニコニコ今日の出来事をドラコに報告しているのに相槌を打つ彼は、学生時代の時には想像もつかないほど穏やかな顔つきをしている。

 付き合っていた頃から、いつも高慢に顎を上げ、ニヒルな笑みを貼り付けていた彼の、本当にリラックスした時の表情をシャルルは結婚してから初めて知った。ドラコは両親の前でも気品のある表情を意識しているし、スリザリン生の前では威圧的に振る舞おうとした。シャルルの前でさえ彼はスリザリンらしかった。

 心を開ける相手がいないことは、ずっと知っていた。

 その相手に自分がなれたことが嬉しい。彼の優しい眼差しだけでも、結婚してよかったと思える理由のひとつだ。

 

「シャルルは今日は何をしていたんだ?」

「刺繍をしていたわ。ハンカチにマルフォイ家の紋様を縫ってるの。できたら良かったら使ってね」

「もちろんさ。でも魔法を使わずに手で縫うなんて、物好きだな」

 おかしそうにドラコが肩を竦めた。魔法でやっても良かったけれど、刺繍はハウスエルフがやっていたからシャルルはあまり得意じゃない。練習しているといい暇つぶしになるのだ。

「その方が愛情がこもってるような気がするでしょう?」

「ああ。使うのが楽しみだよ」

 もう何枚もハンカチを渡しているのに、まなじりを緩めて嬉しそうに頷いてくれる、純粋さを失わない可愛い人。くすぐったくも、羨ましくもなる。

 

「そう言えばセオドールから手紙が来たのよ。久しぶりに彼に会いたいわ。今度食事に招待しても?」

「ノットから?かまわないが、僕には何も言わないくせにあいつ……」

「魔法省で会わないの?」

「あいつは基本的に事務次官室にいるからな。シャックルボルトは生真面目な奴だから、個人的に親しくなるのは無理だろう」

「最近はどの部に出入りしてるの?」

「法執行部、事故惨事部、運輸部あたりだな。昔から知り合いの奴も多い」

「あら、それじゃグレンジャーが……」

 言い終わる前にドラコは苦々しげに顔を歪めた。鼻にシワが寄っている。たまに彼女の話が出ることがある。大人になってお互い昔のように喧嘩せずに話はできるらしいけれど苦手意識は消えないらしい。

「頭でっかちなのは変わらないね。個人的な友誼に正義漢ぶって口を挟んでくる」

 個人的な友誼、は所謂賄賂や横流しや資金援助なので、そりゃあグリフィンドールのグレンジャーは好かないだろう。変わらないのね。卒業以来何回かしか顔を合わせたことがないが、妊娠してからはほぼ誰にも会っていない。

 パンジーやダフネ、セオドールなどのごく親しい友人たちだけだ。だから友達でもなんでもなかった人の名前を聞くだけで懐かしい。

 

「新聞で見たけど、彼女法執行部の部長補佐に任命されたんでしょう?さすがグリフィンドールの誇った才女ね」

「謙遜だなんて、君らしくないじゃないか」

 フッとドラコが唇を釣り上げる。

「君が入省していたら、同期の誰よりもキャリアを昇ることは確実だった。そうだろ?大臣の座も狙えたかもしれない」

「そうね」

 シャルルも謙遜せずに片目を瞑ってみせた。元々大臣になるプランもあった。今はそのプランはセオドールがなぞっているらしい。シャルルがドラコと結婚した時点で、共犯者ではなくなったというのに彼も律儀なものだ。それとも、メッセージなのかもしれない。彼は何も語らないが、いつでも来ればいいと言われているような気がして、有難い気持ちにも、気詰まりな気持ちにもなる。

 

 会話が途切れ、穏やかに笑っているのを待っていたスコーピウスが、今度は僕の番だと言わんばかりに話し始めた。よく似たふたりが笑っているのは幸せな光景だ。愛する人に愛され、子供に恵まれ、経済的にも余裕があり、嫌なことは何一つやらなくていい生活。想像する普遍的な幸せがここにある。だからセオドール、わたしを取り戻そうとするのは辞めてほしい。

 わたしはこの光景を失いたくない。

 

*

 

 スコーピウスを寝かし付けて寝室に行くと、寝間着に着替えたドラコが手紙を書いている。シャルルに気付いていないようだ。

 シャルルは悪戯を思い付いた子どもみたいに、猫のような足取りでそろそろ近づいた。集中している背中にわっと覆い被さる。彼の肩が軽く跳ね、「シャルル……」と目を細めて軽く睨まれた。

「今のでインクが跳ねた。書き直しだ」

「あら、ご愁傷さま」

 かまわず膝に乗って、首筋に頬を寄せると上から溜め息が落ちた。仕方ないなと甘やかすような彼の溜め息がシャルルは嫌いではなかった。

「まったく君は、気まぐれで猫みたいだ」

 額に、頬に、鼻にキスが降ってきて、シャルルも彼の首筋に吸い付いた。筋張った喉仏を軽く食むと、顎を掬い取られて熱を持った唇が合わせられる。そのまましばらく湿ったキスを交わし、ドラコが膝に手を入れてシャルルを横抱きにした。

 軽々シャルルを持ち運ぶ彼に、今でも胸が甘くなる。

 付き合うまでは知らなかった。彼がこんなに簡単に女の子を甘やかせる男の子だなんて。

 いつも両脇に体格が良くて力持ちのふたりを侍らせていたから、ドラコは同世代の中で一際華奢に見えた。王様のように振る舞う態度はむしろ幼稚さが際立った。

 いまでも優雅で気品があり、余裕ぶって見せようとする彼の、男らしい色気を見ると彼に夢中で仕方なかった頃のときめきが戻ってきたような心地がして、新鮮に彼にときめいてしまう。

 

 シャルルの前髪を掻き分けて、ドラコが上から見下ろしている。グレイの瞳の奥に炎が映っていて、シャルルの身体も内側からゆっくりと燃えていく。

「……スコーピウスは?」

「ぐっすり眠ってるわ」

 甘えるように彼の首に腕を回した。その後は言葉はいらなかった。

 

 

 彼の肩に頭を乗せ、彼の鼓動を感じる。ドラコが空いている手で抱え込むようにシャルルの頭に手を回し、優しく髪を撫でる。

 熱は消え、今は気だるげで心地のいい倦怠感と、ぬるい体温を穏やかに分け合っていた。

 

「セオドールは今度の日曜が空いてるんですって。ドラコはどう?」

「……僕の腕の中で、他の男の名前を出すなんて随分挑戦的だな」

 顔は見えなかったが、声色で彼が不満そうに目を細めたのが分かった。

「わたしはあなたのものになったのに、まだヤキモチ焼きさんなの?」

「いい気分はしない」

 ドラコの滑らかな胸板にクスクスと吐息が擽る。ドラコは親指で頬を撫でながら、シャルルの額に唇を触れさせた。柔らかく細められた瞳が、薄暗い部屋の中でちらりと笑んでいる。

「わたしはいい気分よ。でも本題は彼じゃなくて、せっかくだからパンジーやダフネも招待したいと思って」

「同窓会か。君がしたいなら予定は開けるよ」

「ダフネはともかく、パンジーが来れるか分からないけれど……」

 

 シャルルと同じく屋敷を守るダフネと違い、パンジーは働いている。婚約している人はいるが結婚はしていなかった。学生の頃、誰よりも恋愛に夢中だったパンジーは卒業後ホグズミードの服飾店で仕事の楽しさに夢中になっている。

 会うたびに「結婚したい」と口では言うけれど、シャルルやダフネの生き方をしたいとも思っていない様子だった。子供が出来たら仕事は辞めるか、休職しないといけなくなる。それを嫌がっていた。

 もう25歳になるから、今年には式を挙げるといっていたけれど、どうなったのか聞いていない。

 

「ノットもいつまで独身でいるつもりなんだかな。そろそろ身を固めないと相手がいなくなるだろう」

「恋人はいないの?」

「さぁ、君の方が詳しいんじゃないか。昔からその手の話題を彼とすることは無いな」

「あら、そうなの?女子と違って男子は恋バナを好かないのかしら?」

「ザビニの奴は聞いてもないのにベラベラ話してきたが……」

「彼ならそうでしょうね。ザビニも懐かしいわ……」

「そういえばザビニとも親しかったな。いつの間にか色んな奴と仲良くなっているから、昔はやきもきして仕方なかったよ」

「あなたは分かりやすくて可愛かったわね」

 ドラコが頭の上で呻いた。羞恥心と戦っているのが分かる。

「少しは旦那をフォローしようと思わないかい?」

「もちろん、今のあなたも可愛いわよ」頭を起こして唇に吸い付くと、「そういう意味じゃない!」と憮然とした。やっぱり可愛い。シャルルは笑った。

「特にノットはいちばん厄介な仮想敵だった。君は仲良くなった相手にはスキンシップが多くなるから気が気じゃなかった」

 今日はめずらしく素直な日のようだ。

 見当違いの嫉妬をしているのが少しおかしかった。向こうがどう思っているかは分からないけれど、セオドールから色恋めいた視線や態度を感じることはなかったし、シャルルだって彼に恋をしていたわけではない。いちばん仲が良かったし、今でも大事な人ではあるけれど。

 ドラコが嫉妬すべき対象はセオドールよりむしろザビニだったのだが、彼はそれを知らない。

 ドラコが素直なので、シャルルもあの頃の気持ちをほんの少しだけ教えてあげることにした。

「わたしだってパンジーには少し嫉妬してたわ」

「……そうなのか!?」

「え、そんなに驚くこと?」

「だってそんな素振り一切……むしろパーキンソンと共有しようとまでしたじゃないか。あの時は正気じゃないと思ったね」

「それはパンジーに申し訳なかったから……」

 

 ドラコへの恋心を自覚した時愕然とした。大好きなパンジーがずっと彼を好きだったことを知りながら、彼を求める自分の板挟みになってジレンマに苦しんだ。

 そしてドラコも自分に恋をしていることを知っていた。

 親友を裏切りたくないけれど、彼とキスをする女の子になりたかった。

 悩んだ末に、パンジーが許してくれるならシャルルはザビニとのような身体だけの関係でもいいと思ったのだが……当のドラコに強く拒否されて断念せざるを得なかった。倫理観が欠ける行為であるのはまぁわかっていたのだけれど、当時のシャルルはドラコと結婚するつもりなんて微塵もなく、学生時代の恋だけで終わらせるつもりだったのだ。想い出にするつもりの恋がここまで本気になって、自分が結婚を選んだなんて今でも信じられない。

 

 彼への恋が、やがて愛に変わった。

 

*

 

「久しぶりね、シャルル」

 ダフネがシャルルの背中に腕を回した。シャルルも頬をくっつける。

「スコーピウスもひさしぶり」

「こんにちは、ダフネ」

 練習した仕草……胸に手を当てて腰を曲げる仕草を、拙くもきちんと出来たスコーピウスにダフネが胸を抑えてあげる。「Merlin's beard ……なんてかわいいの」

 キスの雨を降らしてスコーピウスを抱き上げる。

「重くなったわね」

「ぼくおもいの?こんなにちいさいのに」

「まぁ、おちびちゃんったら、まぁ」

「てていたい?」

「いいえ、いたくないわ」

 ダフネはめろめろだ。

「ミスターは?」「後から来るわ。娘を連れてね」

 卒業してすぐ結婚し産まれた娘は、もう8歳になっている。すっかりお姉さんだ。もの静かで落ち着いていて、聡明さの片鱗が見え隠れしていた。

 

 テラスでお茶をして、スコーピウスはほっぺたに食べかすを付けながらクッキーを頬張っている。また暖炉が燃えて、セオドールがやってきた。

 身内のごく親しい集まりだというのに、ハーフオールバックにして、余った前髪を垂れさせてキッチリとした格好をしている。服装こそややラフではあるけれど、シャルルたちなんかカジュアルなワンピースだ。

「セオドール、よく来てくれたわね」

「久しぶりねセオドール!わたしはパーティーにもあまり出てなかったから、あなたと会うのは何年ぶりかしら」

「久しぶり」

 いたって義務的に彼はシャルルとダフネをハグして、すぐに身体を離した。見た目は静穏としていて、どこか冷たくて厳格な知性を感じるが、中身はあまり変わらない。不器用で素っ気なくてシャイ。

 

 少し魔法省に顔を出していたドラコが戻り、パンジーも仕事を早退きして夕方にはメンバーが出揃った。学生の頃、暖炉前のソファを占領していたメンバーに懐かしくなる。そして今はここに息子のスコーピウス、ダフネの旦那、そしてふたりの娘のセレーネがいる。

 グラスを傾けて、カチンカチンと音が鳴った。深い赤みの美しいワインの香りを楽しんで、喉の中を滑り落ちる感触を楽しむ。舌に残る苦みも。

「こうして集まることが出来て本当に感慨深い。新しい家族や仲間もいるし」

「君たちの仲がいいのは昔から知ってたけど、今でも集まるほど深い友情だってこと、当時は知らなかった。ここに来られて嬉しく思うよ」

 穏やかな笑みを浮かべるエイドリアン・ピュシー。2学年上のスリザリン生で当時はチェイサーをしていた。今はダフネの夫だ。ダフネと共に何回かマルフォイ邸に来たことはあったけれど、固定メンバーが集まる中に来るのは初めてだ。でも居づらさを微塵も感じさせない落ち着いた態度でグラスに口をつけた。

 ダフネがピュシーと婚約した時は驚いたけれど、さもありなん。彼女がいかにも好きそうなタイプだと思った。穏やかで、静かな雰囲気があり、優しい年上の男性。

 

 セレーネとスコーピウスは並んで座っている。まだマナーが完璧ではない彼が、口の端を汚したり、袖を汚しそうになるのをせっせとカバーしてくれている。

「セレーネ、おいしい?」

「おいしいわ」

「でしょ?ぼくがたべたいっていったんだよ。マーレイのつくるカサ……なんとかはすごくおいしいの!」

「カサレッチェ?」

「うん!」

 こうして見ると、昔のダフネとメロウのようだった。ダフネもメロウをよく可愛がってくれていた。同じことを思っているのか懐かしそうなダフネと視線が絡む。

 

 始めは近況報告や、魔法省や新聞の話をしていた話題がだんだん深い話になっていく。

「パンジー、結婚の話はどうなったの?」

「半年後を予定してるわ。あとで招待状送るわね」

「まぁ!おめでとう!」

「ついに決心したのね」

「いつまでも独り身はね……。両親も早く後継ぎを産めってうるさいのよ」

 パーキンソン家の跡取りはパンジーしかいない。急く気持ちも分かる。むしろよく待ってくれていた方だろう。

「子供が出来るまでは働くつもりよ。大きくなったらまた働くしね」

「パンジーは本当に仕事が好きね。セレーネがホグワーツに入ったらわたしも働いてみようかしら?」

「あら、いいじゃない。想像より大変だけど、悪くないわよ、労働って」

「でも働いたこともないのに、わたしに出来るかしら?」

「家で出来ることでもいいじゃない?薬草学が得意だったんだから、庭で育ててみるとか……。研究職を目指したっていいし」

「今更勉強なんて出来る気がしないわよ」

「シャルルは仕事に復帰する予定は?」

 セオドールが尋ねた。少しドキリとする。

「どうかしら、あまり考えたことないわ。スコーピウスとの生活で手一杯なの」

「夫婦で何か話したりは?」

 ドラコが肩を竦める。「でもシャルルが望むなら好きにしていい。ホグワーツに戻っても、魔法省でも、呪文開発も、シャルルなら何でも向いているだろうな」

「ありがとうドラコ。そうね……スコーピウスの入学と同時にホグワーツに戻るのは、さすがに過保護が過ぎるかしら?」

 笑い声が上がる。

 セオドールは表面的に微かな笑顔を浮かべながら、目だけはまっすぐシャルルを射抜いていた。

 

 酔いを覚ますためにバルコニーで星を眺める。ナルシッサが凝っていた美しい庭園が目の前に広がっている。シャルルも彼女の手ほどきを受け、庭の維持のために気を配っていた。

 ウィルトシャーの広い一等地は、この世の全てを手にしたかのような錯覚を起こさせるほど見事だ。

 カーテンが開かれて、バルコニーに人が入ってくるのを感じた。シャルルは前を向いたまま星を眺め続けた。

「……シャルル」

「あなたも涼みに?」

 低く掠れるような声はセオドールのものだ。分かっていた。

「君相手に余計な問答をする気は無いから、本題を言わせてもらうけど。君はあの頃の続きを求めるつもりはもうないんだな」

「ええ、そうよ」

 シャルルは彼に向き直った。黒い瞳に苦々しさが現れている。

「なら僕も降りるよ。僕の器じゃなかった」

 君にしか出来ないことだった。さらりとした口調の中に憤りと諦めが隠されている。

 しばらくふたりは沈黙していた。

 

「結婚はしないつもり?」

「いや、相手の候補はいる。ノット家もようやく汚名が薄れてきたし、経済的な余裕も出来た。純血家として名に恥じないところまで立て直せただろう」

「あなたはよくやったわ、セオドール」

「それはどうも」

 昔からの癖で、シャルルは上から褒めるような口ぶりになった。彼の顔に皮肉げな笑みが浮かぶ。シャルルとセオドールは対等な友人であり、シャルルの野望の部下のような存在でもあった。

 セオドールは幼い頃に見たシャルルの資質と、シャルルが作るはずだった未来が手の中から零れていくのを、ただ諦めることは出来なかった。シャルルがホグワーツで未来を担う人材の洗脳をし、セオドールが魔法省で影響力を持つ。そんな未来は途中までは上手くいっていたのに。

 

「結局君はこっちの道を選ぶんだな。君の望みより、学生時代の恋を」

 告発的な口調になったが、シャルルは表情を変えない。やや申し訳なさの滲むような、ただ美しい微笑みが浮かんでいる。

「あの偽善者のように、愛こそ最も美しいだとか言い始めないように頼むよ」

「まぁ、随分懐かしい綺麗事を」

 シャルルは肩を揺らして笑った。「愛は所詮欲望のひとつに過ぎないわ」

 結婚し、子宝に恵まれ、穏やかで代わり映えの無い幸せな生活を営んでいるシャルルの口から出るにしては、夢のない言葉だ。

「結局、どちらの欲望をより強く叶えたいか。そういうことでしかないのよ」

「僕たちの野望より、君はドラコとの愛の方が強かったと。お熱いことで」

「さぁ、どうだったのかしら……」

 

 視線を伏せるシャルルの白い横顔が、月明かりの下でくっきりと浮かび上がっている。学生の頃より一層儚げな美しさに磨きがかかった。

「わたしの野望に巻き込んでごめんなさい。あなたが諦めていないことは分かっていたわ。でも終わらせてあげることが出来なかったのは、わたしの心に未練があったからよ」

「……」

「いつもこれでいいのか不安だったし、選ばなかった未来に焦がれている……今も。選択肢があると安心出来たの。道は途切れていないって」

「途切れていないさ。君が望むなら、これからも」

 先程のドラコの言葉をあえてなぞった。シャルルの瞳が悲しげな光を帯びる。シャルルは首を振った。

「いいえ、道があると窮屈に感じるの」

「窮屈?」

「魔法に関わると嫌でも叶えたい欲望に想いを馳せてしまう。今を肯定するために、わたしは自分を縛ってきた。魔法の研究も、政治も、子育て以外のすべてを切り捨ててきたけれど、そうするとますます迷いそうになるのよ。だから、もうすっぱり捨てることにしたわ」

 

 僕を?

 セオドールは一瞬そう言いそうになって、内心で舌打ちを零した。シャルルの横顔は清々しく、夜風に髪がたなびいた。

「さぁ、もう冷えるわ。中に入りましょう」

 

 バルコニーから中を見つめる。ガラス越しに見える光景を見つめる。スコーピウスが笑顔でシャルルを見上げ、シャルルが愛おしそうに抱き上げてキスをする。ドラコがシャルルの腰を支えて寄り添っている。シャンデリアが暖かく照らす家族と、セオドールの間には透明なガラスがある。

 

 このガラスの中が窮屈な鳥籠なのか、それとも自分だけが取り残されているのか、セオドールにはわからなかった。

 

 

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