紅き眼の系譜   作:ヒレツ

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Prologue

 

 

 生臭い風が鼻孔を刺激し、黒い髪をなびかせる。

 

 焦土と化したその地に立っているのは、まだ子供と呼ぶにふさわしい小柄な体躯をした少年。体躯に見合った幼さを残した顔や手には、大量の赤い液体が付着している。着ている黒い服にも相応の量がかかっているのだろうが、よく見なければわからない。ただ、自身の傷から零れ出たものではないようだ。真紅に染まった眼はそれらを一切気にすることなく、果てた大地と同様に、暗く淀んだ色をしている空をじっと見つめている。その眼に宿る感情は様々なものが入り混じっていて、判断がとてもし辛い状態だった。

 

 一粒の小さな雫が線を引き、少年の頬に当たる。二つ、三つとその数を加速的に増やしていく天恵は、瞬く間に乾いた大地に潤いを与えた。身体を注たり、少年の指先から赤が地面に滴り落ちていくが不快感は無い。全てを、洗い流してくれるからだ。

 

 少年の耳に雨とは違った小さな音が届き、ほんの一瞬だけ指先がピクリと動いたのは無意識下における反射なのだろう。今の少年の神経は普段より幾分過敏になっている。近づいてくる足音に対して、少年は空を見上げる事を止めて首だけ動かし背後に目を向ける。より見たいならば身体を動かせばいいのだが、様々な理由から相手を警戒し、相手を警告するにはこれだけで十分だった。

 

「終わったようだな」

 

 少年の周囲を見渡した上での発言。

 

 何年にも渡って聞き続けてきたその声は、少年の敵ではない証明にはなっていても、決して気を緩める事は出来ない相手のものだった。

 

「……はい」

 

 その人物と面と向かい合い、少年は精一杯感情を押し殺した声で答える。少年の眼に映るのは雨にこそ濡れているものの、一切の汚れが見られ無い男性。引き締まった肉体は若々しく見えるが、顔にある皺は歳相応のものに見える。

 

「“眼”欲しさに命を無下にするとは、つくづく愚かな連中だ」

 

 吐き捨てるような男性の台詞に、僅かばかりに少年の小さく眉が動く。幸いにも悦に浸っている男性の観察眼がいつもより濁っていたことで、それに気づかれる事は無かった。

 

 そんな男性がふと何かに気づく。

 

「どうした、泣いているのか?」

 

 雨とは別に頬を流れていく液体に、少年は言われて初めて気が付いた。指先で拭って見ればすぐに雨と混じり合って涙かどうかの区別はつかないが、本人にはそうだと気付くには十分だった。

 

「いえ……ただの、雨です」

 

 可能な限り感情の抑揚を押し殺し、機械が話すような平坦な声で紡ぐ。

 

「……そうか」

 

 男性も確信があった訳ではないのだろう。少年の言葉に疑いの目を向けながらも、やがてどこか納得したような表情を浮かべた。

 

「長居は無用だ。帰るぞ」

 

 周囲を改めて見た後に踵を返して遠退いていく男性の後ろ姿を、少年は一転して憎しみのこもった眼で睨みつける。瞳孔の周りにある黒い三つの勾玉がゆっくりと回りながら収束し始め、異なった巴の模様が浮かび上がった。その右眼が男性の背中に焦点を合わせるために動き、それに応じて赤い涙が下瞼に溜まり始める。

 

 少年の右眼が男性の背中を捉えた。

 

 だが、何も起こりはしなかった。

 

 少年が自身の右眼を右手で覆い隠し、対象との間に境を作ったためだ。いつの間にか、左眼の模様も以前の勾玉模様に戻っていた。目を瞑り、ゆっくりとした瞬きを行うと瞳の赤さは消え失せ、本来の瞳の色である黒へと変わる。

 

 今はダメだ。

 

 自分にそう言い聞かせながら湧き出る感情を抑制した少年は、男性の背を歩きながら追い始めた。

 

 後に残るのは既に動かなくなり、身体の欠損が多い不細工な粘土細工だけだった。

 


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