紅き眼の系譜   作:ヒレツ

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更新が遅くなってしまったこと、心よりお詫びいたします。


Episode 4-6

 状況は完全ではなくとも、シリウスはある程度の把握はできていた。自国の魔法師が白覆面を被り、日本の魔法師を襲っていたのだ。直接現場を見ていたわけではないが、情況証拠が揃ってしまっている以上は疑いようがなかった。

 

 まずい。シリウスは歯噛みしながら、この場をどう対処すべきかを考えた。仮面を被っている男が裏葉秋水だということは、サポーターからの報告でわかっている。サイオンレーダーで得たものと過去のデータとが合致したのだ。けれど今は、相手が秋水というのが良くない。ミアを生きたまま確保して事情を聞きたいというのが本心であるが、手順を間違えれば彼女はこの場で命を落としかねない。実力行使も案の一つとして浮かんだが、甲乙つけがたい以上は迂闊な行為はかえって危険。

 

 フル稼働する脳を冷やすかのように、冷たく乾燥した冬の空気が吹き抜けた。

 

 シリウスは再度秋水の脇に抱えられているミアを見る。幻術にかけられているのか、ぐったりとしている。動く気配はない。普段の姿を思い浮かべ現状と比べたことで、シリウスは覚悟を決めた。弁が立つわけでもないため、この場を丸く納める出来た言い訳は思いつかない。だからこそ、愚直ともとれるほど正直に話すことにした。

 

「なら、これはお前たちUSNAからの宣戦布告ということだな。舐められたものだ」

 

 秋水の視線が鋭くなる。闇夜に浮かぶ二つ紅玉は、彼の心を映し出すかのように輝きを強めた。

 

「そう思われるのは仕方がありません。ですが、私達は日本に敵対する意思はありません」

 

「だが、現にお前たちは手を出した」

 

「それは――っ」

 

 シリウスは言葉に詰まった。個人の意思でやったにせよUSNAの総意にせよ、結果は変わらない。知らなかったでは済まされない。被害数や彼らが七草の関係者ということ考えれば、実行犯のミアは間違いなく極刑。問題の沈静化を図るために、日本が自国に有利となる形で新たな条約を提示してくることだってあり得る。そうなるかどうかは、シリウスの身ひとつに委ねられている。いくら最強の称号を得ていても、実体はまだ十数年しか生きていない少女。知略に富んでいる訳でもない彼女には、あまりにも重すぎる。

 

 肩に入っていた力を抜いたシリウスは、ホルスターに収納されているそれを抜いた。本物の拳銃とは異なった細長い銃口は、黒天に向けられたままだ。

 

 拳銃型の特化型CAD。元々銃社会だったせいか、彼女が多大な時間を訓練等に費やしたからのか、その動作は実に板についていた。その次の行動以外は。

 

「……何の真似だ」

 

 シリウスはCADから手を離し、両の掌を秋水へと向けた。例え目が見えずとも、乾いた音が武器を手放したことを伝える。

 

「敵対する意思がないことを、貴方にわかって頂くためです」

 

「理解できないな。スターズのトップであるお前が、こいつのためにそこまでする必要がどこにある」

 

 武器を捨て、両の手を上げる。降伏を示すこのポーズは、自分に敵意はないから命だけは助けてくれという弱者が生きながらえるために強者にすがるもの。例え格好だけだとしても、一トップがすべき行動ではない。

 

「彼女のためだけではありません」

 

 シリウスもすべきことではないことは重々承知している。尚も行ったのは、これが場を収めるのに最善だと考えたため。今こうしている間にも、サポーター達は現場を捉えている。ここで秋水が攻撃すれば、USNAは切れるカードを一枚増やすことができる。とはいえ一撃でシリウスが殺されてしまった場合、手に入れたモノの重さと釣り合わない損失を生み出してしまう。今この場では、どのように転んでもリスキー過ぎる賭けであった。

 

 秋水の右手の指先がかすかに動くと同時に、小さな火花でも弾けたような音と光が迸る。

 

 何かの前触れかに思えた秋水の行動は、外からの雑音によって遮られる。少しずつ大きくなっていく音は、誰かが近づいてきている証。いつまでもこの場に留まり続けるわけにもいかない。

 

「邪魔が入ったな」

 

 秋水の眼が音のする方向に動く。紅い魔眼は、まだ見えぬ足音の主を捉えているかのよう。

 

 シリウスは己から視線が外れたことで一瞬アクションを起こそうと考えるも、秋水の動きを見てそれを止めた。けれど秋水が飛雷神で別の場所へと移動しようとしていることを察すると、シリウスは言葉と共に駆け出した。

 

「待て――ッ!」

 

「じゃあな」

 

 何か大事な言葉を残すわけではない。己へと必死に近づくシリウスを嘲笑うかのように、淡々と別れの言葉を告げて秋水は飛んだ。あとすこし時間があれば秋水を掴んでいただろう手は、虚しくも空を切る。

 

「反応は!!?」

 

『ダメです、ロストしました』

 

 八つ当たりのように声を荒げるも、望む返事など返って来るはずもなかった。地団駄の一つでも踏んでやりたいところだが、それをする時間もない。シリウスは内からこみ上げる炎を奥歯を噛み締めて押さえ込み、闇夜に紛れてその場を去った。

 

 

 

 

 

 殺風景な場所だった。八畳ほどの大きさの空間。四方に窓はなく、出入り口となる分厚い扉が一つだけ。その扉もやや錆びついていて、年季を感じさせる。淡いオレンジ色の光が、部屋に唯一存在する椅子の存在を視認させる。その椅子も脚が床に固定されているため、いかにもと言った雰囲気。

 

 この部屋は、旧来より暗部が拷問をする際に使われてきた部屋の一つ。拷問マニュアルのようなものは存在せず、手法は個々の裁量に委ねられている。あえて拘束椅子のみとなっているのはそのためだ。加虐思考の強い者などは、嬉々として自身の拷問器具を持ち込んで行ったりする。秋水が知っている中では、拷問と称して七本の忍刀の試し切りに使っている者がいる。

 

 肘掛け等に取り付けられている拘束具は使わず、秋水は白覆面をただ椅子に座らせた。この部屋を選んだのは、拷問をするためではない。この部屋に備わった遮断機能を使うためだ。電波やX線、チャクラは勿論のこと、サイオンやプシオンを遮断するこの部屋は外部との連絡手段を断絶している。USNAなどが用いるサイオンレーダーや、今動かない白覆面が恐らく通信に用いていたであろうプシオン波さえも無効化できる。

 

 秋水は己の面を外し、写輪眼を万華鏡写輪眼へと変化させた。ある程度の情報を得るならば通常の写輪眼でも可能だが、求める情報を一から十まで得るためにはこの眼が必要になる。

 

 俯いた顔を上げ、目を合わせる。紅光が強くなり、秋水の両眼に宿る魔眼が発動した。

 

 端から見れば、二人の様子はずっと見つめ合っている恋人同士のよう。けれど間にある空気はピリピリと張り詰めていて、特有の甘さは微塵もない。弱肉強食の世界のように、一方的な搾取が行われているだけだった。

 

 時間が経つ毎にミアこと、ミカエラ・ホンゴウの情報が手に入る。いつ両親の名前を呼んだとか、初恋の相手が誰だとかそんなことはどうでもいい。ここ数年分の彼女の動向や思想などだ。

 

 しばらくして、秋水は眼を閉じてミアから離れた。欲しい情報は手にいれることができた。

 

(始まりは、マイクロブラックホールの生成実験か)

 

 ダラス国立加速器研究所で行われた、余剰次元理論に基づくマイクロブラックホールの生成・蒸発実験。リスクが予測仕切れていないにも関わらずに実験を強行した結果、彼らがこの世界に現れた。

 

(あれは別の世界から来たと見るべきだろうな。そしてソレに、こいつは憑かれた)

 

 ソレに実体は無かった。ソレらはこの世界に来て周囲を彷徨った後に、内一体がミアに目を付け悪霊の如く取り憑いた。周囲にいた研究者たちの中で、ミアに適性があったのだろう。計十二体いたソレらは散り散りになり、憑代をそれぞれ見つけたに違いない。

 

 別の世界と荒唐無稽なことをすんなり受け入れることができたのは、穢土転生のように死者の魂を浄土から引っ張り出す術があるからこそ。あの世も、この世とは別の世界。それが一つあれば、複数あっても驚かない。

 

(襲っていたのは仲間を増やすためか。接触する必要があるということは、ウイルスの感染経路に近いものがあるな)

 

 アメリカでも日本でも、ミアは夜な夜な人を襲っては仲間を増やすために行動をしていた。全体の被害数は分からないが、ミアだけでもそれなりの数だったことから、それなりの数になると踏んだ。その被害者は魔法師、もしくは魔法の素質のある者。ソレが宿主に選ぶには魔法の素質が不可欠であるが、それだけでは不十分ということがわかる。七草関係者を襲っていたのも、納得がいった。

 

(適合者の条件をあいつは理解し、自身の目的に使えると判断して接触した……)

 

 不幸にも、呪印を与えている者と接触したのは別個体のようで、プシオン波を介しての会話で得た情報しか持ち合わせていなかった。接触したのはあの時が最初で、秋水に捕獲されなければ今日明日にでも呪印を授印される予定だったようだ。名前さえもわからない。

 

(違うな。俺は踊らされていたのか)

 

 余りにも都合が良すぎる。初めから、ミアを捨て駒にするつもりだったのだ。答えに近づくためのヒントとして。手がかりを小出しに、こちらが悩む姿を想像して愉しんでいる。そう考えたほうがしっくりと来た。秋水は己の醜態に、隠すこと無く苛立ちを露わにした。

 

 憤る一方で、ミアが哀れに思えてきた。自身が抱いた感情に気づいたことを機に、ミアの処遇をどうするかに思考を切り替える。

 

(こいつを操った所であいつの情報が手に入るわけでもない。USNAに渡したとしても、実験対象になるのがオチだろう。俺にメリットはない。それなら――――)

 

 未知の生物に寄生された魔法師、研究者たちからすれば格好の研究対象になることは明らか。憑かれるという言い方をすれば聞こえは悪いが、適合率が低いだけで、もしも適合できれば得られる恩恵はかなりもの。プシオン波を用いた会話は盗聴される危険性が皆無であり、CADを用いずに魔法を即時に発動できる能力はこと戦闘に多大な優位性を齎す。これらの能力を有した兵士を作ることができれば、比類なき強さを発揮し、国力の強化に繋がる。

 

 国家間のパワーバランスが崩れれば、先に待つのは言うまでもない。

 

 熟考した後、秋水は印を組み始めた。

 

 丑、卯、申。

 

 右手にチャクラを集中させる。写輪眼を持たない者にも見える程凝縮されると、数多の小鳥が(さえず)るように「チチチ……」という音が生じ始めた。激しい雷光を迸らせたのは、時を同じくしてのこと。雷を肉体に纏わせる姿は、かの雷帝を彷彿とさせる。

 

 名を「千鳥」。

 

 雷遁に分類されるこの魔法は、十月以前の秋水には会得できないものだった。雷の性質変化を秋水は持っていなかった。だが霆春との戦闘で大量の雷遁チャクラを浴び続けたせいか、雷の性質変化を持っていた風夏の眼を移植したためか、万華鏡に永久の光が宿ってから苦なく雷遁チャクラを練れるようになっていた。

 

 まだ日が浅いため、前から持っていた火・水・土遁のように数多の術を会得しているわけではない。現段階で使える魔法はこれ一つだけ。チャクラによって肉体活性を行った上で、雷遁チャクラを手に集めて突くという単純な魔法。けれど、その殺傷能力は他を凌駕している。

 

 再び仮面を掛け直すとミアの背後に周る。手刀を作り、振りかぶった。

 

 一筋の閃耀。

 

 そこそこ質量のある何かが落ちた音が、無機質な部屋に響いた。

 

 

◇◇◇

 

 

 窓を覆うカーテンの隙間から、僅かに日の光が入り込んでいる。普段静かな朝を迎えるこの部屋は、今日に限っては催事が行われていた。

 

「解剖の結果、大脳皮質に普通の人間には見られないニューロン構造が見つかりました」

 

 ニューロンとは神経細胞のことであり、情報を伝える役割を持っている。枝分かれした先端部分がまた別のニューロンの先端部分と繋がることで、複雑な神経構造が形成されている。これによって五感が得た情報を脳に送り、再び体へと次に同行動するのかを伝達する。

 

「どういうことだ?」

 

 ニューロン構造という言葉はどこかで聞いたことがあっても、脳そのものの構造について熟知しているわけではない。秋水は曖昧な表情を浮かべながら、前に立つやや興奮気味の白衣を来た男に問いかけた。研究者にとって、やはりあの死体は非常に魅力的だったのだろう。

 

 男が端末を操作したことで、壁に投影されている映像が変わる。脳全体像から、一部を認識しやすいようなものへ。

 

「人間の脳は左右半球に分かれていますが、中心付近にある脳梁によってつながれています。ですが今回の検体は、小規模ではありますが前頭前皮質に脳梁に似た組織が形成されていました」

 

 脳梁は左右の脳間で信号を送受信するための交連神経の中でも、最も重要な一つとされている。そして前頭前皮質は、思考や判断といった認知行動の計画、人格の発現、適切な社会的行動の調節に関わっているとされている。

 

 魔法研究者の一部(特にUSNA)では、大脳は真の思考体であるプシオン情報体と肉体との間で情報を送受信する通信機関だという考えが支持されている。

 

「これによって、未知の能力の開花などが起こりうると考えられます」

 

 いくつか心当たりがあった。

 

「例えば、CADを使わずに魔法の使用や肉体の再生か?」

 

「はい。秋水様からご報告頂いたCADを用いずに魔法を使用する現象は、おそらく新しいニューロン構造の影響だと思われます。何分未知のこと故に確証はありませんが、関連している確率は高いと言えるでしょう。ですが肉体の再生に関しては、治癒魔法の一種だと思われます。他にも能力はいくつかあると思いますが、現段階ではどれも推測の域を出ません」

 

 再生速度から考えると、魔法力の向上もあるのだろう。秋水は考えを口にはせずに、内に留めた。

 

「他には何か違いがあったか?」

 

 脳の変異が見つかったのだから、他にも何らかの変化があってもおかしくはない。変わりやすいのは血液あたりだろう。キメラになる場合や、人には存在しないタイプになっている可能性も考えられた。

 

「あらゆる検査を行いましたが、これと言った差異はありませんでした」

 

 瞬きの回数、瞳孔の拡張具合、視線、呼吸、仕草、緊張度合の変化。数多の要素から嘘はないと判断し、秋水は納得した旨を伝えた。

 

(呪印は擬似的な仙人化。どちらかと言えば肉体面での変異だ。だが、今回変異したのは大脳。USNAの説にもあるように、精神への影響が強い……)

 

 精神と肉体は陰と陽に結びつく。

 

(偶然と片付けるのは早計だな)

 

 両者が混ざりあった先にある極致など、決まりきっている。

 

「原因については?」

 

「得られた情報から推測するに、パラノーマル・パラサイト、通称パラサイトと呼ばれる妖魔の一種の可能性が非常に高いと思われます」

 

 ミアを殺した際に、彼女の体から出てきた霊体。それがパラサイト。突拍子もなくそう言われていれば疑っていただが、秋水は自身の眼で過去(きおく)と現在でそれと思われる存在を知覚してしまった。実際に見てしまったのだから、存在を否定するわけにはいかない。

 

「パラサイトは人間に憑依し、変質させる特性を持ちます。脳の変異はパラサイトが取り憑いたことによるものでしょう。また、宿主からプシオンを吸収し続けなければ存在できない一方で、プシオン波を飛ばすことでパラサイト同士で会話をすることができます」

 

 プシオンがやけに活性化していた理由に合点がいった。戦闘をしながらも、ミアは別の個体と連絡を取りあっていたのだ。だからこそ、逃げた先で仲間が待ち構えていた。

 

「報告は以上です。他に何か疑問点はお有りですか?」

 

「いいえ、下がっていいわ」

 

 研究員に退出を促したのは秋水ではなく、彼の隣に座る年齢不詳の美貌を持つ女性。隣と言っても隙間なく並べられているわけではなく、一メートル弱離れており、その女性の傍には老齢の執事が見本のような姿勢で直立していた。

 

 研究員は一礼した後、どこか安堵したような表情を浮かべて部屋を出た。そのような表情をしたのも、その場にいる三人がどんな存在なのかを知っていれば納得するだろう。秋水を除いた二人は、四葉真夜と葉山忠教。現四葉家当主と四葉家に使える序列一位の執事。研究員からすれば未知の存在に触れられた興奮があったとしても、上書きしきれないほどのプレッシャーだったに違いない。

 

 残った三人の中で初めに動いたのは葉山だった。といっても、主人である真夜のカップに紅茶を注ぐだけの行動。湯気とともにベルガモットの落ち着いた香りが漂う。真夜がそれを一口飲んで喉を潤すと、そういえばと、さも今思い出したかのように話を振ってきた。

 

「昨夜、七草家と十文字家が手を組んで「吸血鬼狩り」のチームを結成しました。それに伴って十師族、師補十八家、百家の各当主に協力要請をしました」

 

 昨夜行われたのは師族会議。七草と十文字の共同ということは、当主同士が発端というよりも、真由美と克人が発起人だろうと秋水は考えた。

 

「あんたらはどうするんだ?」

 

「お断りします。秋水さんが件の吸血鬼を一体捕獲してきて下さったおかげで、手を貸す必要もなくなりました」

 

 元々そのつもりでしたけど、と真夜は最後に付け加えた。被害範囲は東京。居を旧長野県と旧山梨県の境目付近に構え、東海近辺を守護監視する四葉からすれば、今回の事件は管轄外とも言える。

 

 発端は十一月のこと。七草家当主である弘一は四葉の息がかかっている国防情報部の某セクションに割り込みをかけた。さほど良好ではなかった関係は、その事がきっかけで悪化。七草からの謝罪もないことから、四葉は七草に関することに関しては一切関わらないスタンスを取った状態が続いている。そんな相手からの協力要請など、乗るはずもない。

 

 そのことは秋水も知っていること。七草の思い切った行動も、裏葉と四葉が手を組んだことも要因の一つだとふんでいた。

 

「だろうな。それで、俺に何をしてほしいんだ?」

 

 ただの報告などするはずがない。血の繋がった家族でも、親戚でもない。ただの協力関係を結んだ間柄で、互いの腹の中を見せあってはいない。あくまで利用価値があるからこその関係。

 

「何も。近々貴方には、七草の長女か十文字の次期当主から直々に誘いを受けると思います。貴方が彼らに協力さえしなければ、それでかまいません」

 

 同盟を結んだことから、秋水の枠組みは四葉に分類される。この状態で七草に利があることをされるのは、好ましくないのだ。簡潔にまとめてしまえば、嫌がらせが適切な言葉だろう。

 

「あんたに言われなくても、元からそのつもりだ」

 

 互いに何らかの形で利があるからこそ、同盟は成立する。共通の的に対して、七草側からすれば戦力が、十文字側からすれば情報が必要だったが故に手を組むのは必然。

 

 けれど、秋水と両家の間にはその利益がない。もっとも、個人的感情を抜いたビジネスとして考えた場合での話であるが。

 

「それなら結構ですよ」

 

 話している内容に対して、少しばかり真夜の声は軽いものだった。

 

 本心ではないのだろう。秋水には真夜がどこまで知っていて何を考えているのかが読めなかった。その気になれば読めないことはないが、それをすれば反逆行為と捉えられ四葉を敵に回すことになる。利益と損益を考えれば、今はまだその時ではない。

 

「そっちの調べ物はどうなっている」

 

「今(みつぐ)さんに調べてもらっています。流石に今日中は無理でしょうね」

 

 四葉にミアの検死をさせる代わりとして要求したのが、人探し。名前はわからずとも人相はわかっている。声も。情報不足は否めないが、できないほどではない。

 

 真夜が口にした貢という人物は、四葉の分家である黒羽家の現当主。諜報部門を統括しており、収集能力は非常に高い。

 

「なら、でき次第直接俺に送らせろ。暗号化は不要だ」

 

 今回の場合において最も重要なのは正確性、次いで早さ。急かした結果不正確では、本末転倒も良いところだ。

 

 現状、秋水は完全に後手に回っている。頭のキレは相手の方が上手だということは認めざるを得ない。だからこそ、一人での行動を止めたのだ。

 

 今は耐え時。

 

 真夜が承諾すると、秋水は席を立った。そのまま扉へと向かう。

 

「あら、どちらに?」

 

 秋水の行動に対し、意外だと言わんばかりの真夜。分身を解くなり、飛雷神を使うなりその場からすぐに姿を消すとでも思っていたのだろう。

 

「演習場だ。借りるぞ」

 

 許可を得る前に秋水は扉を開け、部屋から姿を消した。

 

 その後姿を真夜が薄く笑みを浮かべてみていたことを、秋水は知る由もない。

 

 

 

 

 

 演習場と格好つけて言っても、四葉本邸がある村にはいかにも、というような場所はない。秋水が足を運んだのは、本邸からさほど離れていない、周囲を木々に囲まれた広場。さほど広くはないが良く手入れがされており、運動をするには打ってつけの場でもあった。

 

 その広場の一箇所には、急ごしらえで作ったような水場があった。秋水が土遁と水遁を用いて作った、簡易な池。映し出される太陽は、水面が揺れ動く度に形を変容させていた。

 

「どうやら、チャクラのコントロールはできるようになったみたいだな」

 

 水面に立つ桜井水波の姿を見ながら、秋水は感想を口にした。

 

 秋水が水波に忍の技を教えるに際し、体術と共に並行して教えていたのがチャクラのコントロール法だった。基礎を学ぶ伝統的な訓練法として、第一段階で木登り、第二段階で水面歩行がある。一つ目の修行では、チャクラを必要な箇所に必要量を維持することを身に着け、二つ目の修行は一つ目の応用で、必要な分だけチャクラを放出することを身につける。これらの基礎を完璧に会得することであらゆる地形に対応でき、スタミナを最大限保持することが可能になる。何事も基礎なくしては応用はできない。術を教えるのは、基礎をマスターしてからだと秋水は考えていた。

 

「ありがとうございます」

 

 水場から歩いて秋水の下に来た水波は、どこか嬉しそうな面持ちを見せる。褒められたことに対する喜びと、ようやく術を覚えられるという好奇心が合わさっているかのよう。

 

「これから教えるのは、チャクラの性質変化と形態変化だ。説明は以前したな」

 

 性質変化は文字通りチャクラの性質を変化させること。基本的に火水土雷風の五種類であり、この五つの性質変化があらゆる忍術のベースになっている。形態変化はチャクラの形態を変化させること。水遁を例に挙げれば、霧隠れのように霧状に変化させることや、水牢のように球体に変化させること。範囲を決定し、威力や効果を持たせる役割がある。

 

 水波が首肯すると、秋水はポケットから一枚の紙を取り出した。

 

「これは……?」

 

 水波からすれば、ただの紙切れにしか見えなかった。性質変化と形態変化の修行に、たかが紙切れ一枚が何の役に立つのか検討が付かないのだ。

 

「これはチャクラに反応しやすい特別な紙だ。チャクラを流し込めば、自分がどの性質を持っているのかがわかる」

 

 見本を見せるかのように、秋水は同じ紙を使ってチャクラを流し込む。火種が無いにも関わらず、唐突に紙に火が付いた。あっという間に全体に広がった火によって燃え尽きた紙は、灰となって風に拐われる。

 

「火ならば紙は燃え、水ならば濡れる。土なら紙は崩れ、雷なら皺に、風なら切れる。やってみろ」

 

「はい」

 

 どの性質を持っているのかがわからなければ、修行を始めようがない。各性質によって修行法も違ってくるため、これは避けては通れない道。

 

 水波がチャクラを練り、それを紙に通す。じわりと湿った紙から雫が滴り落ちるまで、そう時間はかからなかった。

 

「どうやら、お前は水の性質ようだな。五種類の中で最も形態変化との相性が良い。使い方次第で幾らでも化ける」

 

 水場で使うことを前提とした水遁は、一つ一つの術が大量の水を必要としている。地の利がない状態で地の利がある場合と同等の性能を出すためには、どうしても通常以上に多量のチャクラが必要になってしまう。更には、水遁は他の四つの性質以上に形態変化に富んでいる。だが逆を言えば、術一つに対して性質変化と形態変化のバランスを考慮しなければならないということ。その難しさと他の性質と比べて地形への依存傾向が強いことから、いつしか水のない場所では水遁は使えない、などという不名誉な話ができあがってしまった。

 

「性質がわかったなら、次はより強く性質変化ができるようにする」

 

 次に秋水が取り出したのは、先ほどと同じ紙だった。見ただけでは、何が違うのか全くわからない。

 

「同じ紙ですか?」

 

「いや、こっちは普通の素材でできた紙だ。違いはやってみればわかる」

 

 手渡された水波は紙をまじまじと見た後、指示に従って再びチャクラを練り、紙に流し込んだ。変化は起こらない。先ほどとの違いに、水波はここまで違うものかと驚いてしまう。

 

「今の状態では、ただ闇雲にチャクラを流し込んでいるだけだ。チャクラはただ練るだけでは、まだエネルギーの塊でしかない。だからこそ忍は印を組み、性質変化と形態変化を加えて術に変える。必要なのはイメージだ」

 

 例えば風の性質変化をする際には、チャクラを二つに分割し、互いを薄く研ぐように練り込むと良いとされている。より薄く、より鋭く。そうイメージをすることで風本来の攻撃性を一層高めることができる。

 

「イメージ……。秋水様はどのようなイメージをなされているのですか?」

 

「水はその多様性から個人差が出る。俺とお前が抱くイメージは違うだろう。自分が一番強く意識できるイメージをすればいい」

 

 全てを呑み込む激流でも、水面に静かに広がる波紋でも、水本来の形である球体でも良い。風とは異なり、水を思い浮かべろと言われて真っ先に思い浮かぶものが、その者にとって一番性質変化をしやすい形となる。

 

 水波は、水とは何か、と自分自身に問いかける。メイドとしても活動していることもあり、脳裏に次々と水仕事が思い浮かんでくるも、何が一番なのかという答えには辿り着けない。ここまで淡々と修行を熟してこれたこともあり、僅かではあるが自然と焦りが生じる。

 

「この修行には膨大な時間がかかる。これまでのように簡単にはいかないだろう」

 

 心の中を読んだかのような秋水の台詞に、水波は視線を紙から秋水へと移した。

 

「お前には才能がある。今は焦らず、じっくりと考えることだ」

 

 いずれ来るべきその日までに使えるようになっていれば良い。一日や二日でどうこうなるものでもないと初めからわかっていた秋水は、相手が望んでいそうな言葉をかける。

 

「あ、ありがとうございますっ!」

 

 年頃の近い異性に面と向かって自身の能力を褒められたことのなかった水波は、顔が熱くなるのを感じた。気恥ずかしさから視線を再び紙に戻してしまう。いつの間に握りつぶしたのだろうか、先程まで皺のなかった紙は、いつの間にかしわくちゃになっていた。

 

 あまりにも(うぶ)な反応に、秋水は苦笑を禁じ得なかった。

 


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