紅き眼の系譜   作:ヒレツ

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Episode 5-2

 おちていく。

 

 音もなく、暗く、先の見えない深い闇の底へ。

 

 とけていく。

 

 身も、心も、果てにある根源へ。

 

 不思議と不安も恐怖もない。このまま流れに身を任せることで、何かを得られる確証があった。

 

 果には黒衣の男がいた。後ろを向いていて顔は分からない。

 

 男も気づいたのか、ゆっくりと振り返る。顔は見えない。何か短い言葉を発したことだけは分かったが、なんと言ったのかまではわからない。

 

 ただ印象的だったのは、神秘的な紫苑の色だった。

 

 

 

 目を開けると、白い天井が映った。病院特有の臭いや冷たさはなく、家庭にある暖かさのようなものが感じられる。

 

(夢、か。俺は一体……)

 

 記憶が混濁している。上体を起こして手がかりを探し出した。知らない部屋の景色。デジタル時計を見れば十四時を示しており、カーテンの隙間から日光が漏れている。住んで間もないのか、あまり物が置かれてはいない。女性物の香水の匂いが、微かに残っていた。

 

「あ、目を覚ましたのね」

 

 扉を開けて入ってきたのは、金髪碧眼の美少女だった。知っている顔。制服ではなく私服を着ていることから、ここがリーナの部屋だという結論に至るのに、時間はかからなかった。

 

「なぜ俺がお前の部屋にいる?」

 

「倒れていたアナタを保護したの。昨夜のこと、覚えていない?」

 

 水の入ったコップを差し出すと、リーナはベッドの傍に置いてあった椅子に腰掛けた。

 

 秋水は水を一気に飲み干した。乾いた喉から全身に染み渡るような感覚。目が覚め頭が冴えてきたこともあり、少しずつ記憶が蘇り始める。マダラを名乗る男と写輪眼を持つ五人の男たち。街中での戦闘、一人一人の戦闘能力が高く上手く連携を使って攻めてきた。写輪眼を持つが故に対策も万全であり、常に後手にまわざるを得なかった。

 

「街の人たちは?」

 

「多くの人は病院で治療を受けているわ。後遺症になるような怪我を負った人はいないみたい。……ただ、助からなかった人もいる」

 

 激化していく死闘の中で、巻き込まれた人々は多い。護るように努めても、一から十まで上手くいくとは限らない。

 

「そうか……」

 

 マダラを除いた五人を倒した際に、マダラは死体を回収して消えていった。手傷を負い、チャクラもほぼ使い切って気を失った状態だったにも関わらず、なぜみすみす見逃すようなことをしたのかは定かではない。初めから命を取る目的ではなかったのか、万が一を恐れたのか。いずれにしても、力尽きて倒れた所をリーナに助けられたのだろう。鮮明になった記憶と現状から、秋水はそう結論づけた。

 

「治療はお前が?」

 

「応急処置程度だけどね。病院に送った方が良いとも考えたけど、アナタは少し特別だから」 

 

 病院の方が何倍も治療設備が整っている。だが、患者も医師も多い現場では、侵入をし易いという欠点もある。写輪眼を持つ秋水が入院した情報が流出されれば、眼を狙う輩が来ることはわかりきったことだった。

 

「助かった。感謝する」

 

 ベッドから立ち上がり、体に巻かれていた包帯を外し始める。

 

「ちょっ、人の話を聞いていなかったの!? 応急処置だって言ったでしょ。その包帯だってただの包帯じゃ――」

 

 戦いで負った傷は既に治っていた。医療技術が発展しことを考慮しても、あり得ない早さだった。

 

「なんでもう治っているのよ」

 

「俺は千手の血も混ざっているからな。普通の人間よりも治りが早い」

 

 裏葉は仙人の眼と精神エネルギーを、千手は仙人の生命力と身体エネルギーを受け継いだ一族。ほっそりとではあるが現代まで直系を残してきた裏葉とは異なり、千手一族は傍系しか残っていない。薄れに薄れた血では千手の特徴を引き継ぐことはできておらず、非魔法師の家系も多く存在する。一方で、中には秋水の母のように隔世遺伝によって千手の特徴を持つ個体もいた。そこに目を付け、幻冬と婚姻させたのが霆春だった。彼の目論見通り、両名の間に産まれた風夏と秋水は、両家の特徴を確かに受け継いでいた。

 

 千手と言う言葉は日本国内においても忍術を扱う古式魔法師の家系に知られている程度。USNAにその名が知られていないことも無理はない。リーナの表情には疑問符が浮かんでいた。

 

「それより、俺の服はどこだ?」

 

 年頃の男女が同室で、それも男は上半身裸。要らぬ誤解を生まぬようにいち早く衣服を探す。

 

「一応取ってあるけど、ボロボロよ」

 

「他に着る物がない以上、それを着るしか無いだろう」

 

 魔法によって汚れは取り除くことができても、破れた箇所は修復できない。代わりの服が無いのだから、それを着る以外の選択肢がなかった。

 

「そう言うと思った。ちょっと待ってて」

 

 リーナは秋水に静止を促すと、一旦部屋を後にする。すぐに戻ってきた彼女の手には、店の名前が書かれた紙袋が握られていた。

 

「はい、これ。どうせ必要になると思ったから買っておいたの。お金は良いわよ。アナタには借りもあるから」

 

 どうだ、と言わんばかりの顔。

 

「すまない。助かる」

 

 秋水はあることを思い出し、伸ばした手が止まる。新しい衣服を容易していてくれたことに関しては感謝しかない。だが中身を開く前に、どうしても確かめておかなければならない事案だった。

 

「……一つ聞くが、お前が買ってきたのか?」

 

「そうよ、それがどうかした?」

 

「以前達也に、お前のファッションセンスが時代錯誤だと聞いたのを思い出してな」

 

 センスに関して講釈を垂れる程秀でているわけではないが、秋水としてはあまりにも奇抜な格好は避けたかった。

 

 いつ、どこで着た服装のことを言われているのか、リーナは瞬時に理解した。同居人のシルヴィアにも言われたことだ。密かに気にしていたことを突かれ、恥ずかしさや怒りがこみ上げて白い肌を赤く染める。

 

「はあ!? 失礼な! あれはこの国のトレンドに合わせようとして失敗しただけよ! 本来ならオシャレなんだから! モデルにだってスカウトされたこともあるのよ!」

 

 リーナが約百年分のファッション史を調べるという暴挙を犯したことを、秋水は知らない。滅多に行くことのできない海外、それも前々から興味があった日本に行けるようになったことで、高揚した気分が少しばかり暴走してしまっただけなのだ。

 

 投げつけられた紙袋を、秋水は難なく受け止める。中を見れば、インナーにカラーシャツ、コートが入っていた。コートを広げてみれば丈が長く腿の辺りまで覆えそうだ。シャツも含めフォーマル寄りだが、歳を考えなければ無難だった。元より女性用と比べて男性用は年代を遡っても極端な変化がないため、そうそう外れを引き当てることは無いのかもしれない。

 

「……そうか」

 

「信じてないわね」

 

 リーナの言葉を無視して着替え始める。サイズ感は思ったほど悪くはない。着替え終わってリーナの方を見れば、いじけているのか膝を抱えて座り込んでいた。感情表現豊かな姿は、年頃の少女そのもの。とてもではないが、戦略級魔法を持つUSNA最強の魔法師には見えない。

 

 ポケットの中にある端末を取り出す。画面がひび割れ、暗転している。戦闘の際に故障してしまったようで、何通りか操作を試みても全く反応しなかった。連絡を取りたかったところだが、順番を変える必要が出た。

 

「リーナ」

 

「……なによ」

 

「会いたい奴がいる。案内して欲しい」

 

 そっぽを向いていたリーナが、秋水に顔を向けた。

 

「会いたいヤツ?」

 

 

 

 

「やあ、まさかキミから会いに来てくれるとは思っていなかったよ」

 

 目は隠され、手と足には枷が嵌められている。プシオン波での会話を防ぐために、頭に金属製の拘束具のような物が取り付けられていた。瞳術や忍術が使えないように処置されていながらも、千野の声にはまだ余裕があった。

 

 場所は先程まで秋水たちが居た部屋の隣の部屋。収容する場所を持たないリーナ達は、仕方なく隣室を借りてそこを束の間の収容施設にすることにした。監視も常に最低二人は付け、片時も目を離さない状態を作っている。彼らは秋水が来たことに驚きの表情を見せるも、共に来たアンジーシリウスの顔を見て彼女に黙礼をした。

 

「キミに負けてからはこの有様さ。暇を潰そうにも彼らは一向に口を聞いてくれなくてね。ちょうど話し相手が欲しかったところだ。あれから、彼女とは上手くやれているかい?」

 

 人を煽るような話し方は相変わらず。こんな相手に一方的に話しかけられるのは苦痛だろうと、秋水は二人への同情てを禁じ得なかった。

 

「お前に答える必要はない」

 

「それもそうだ」 

 

「聞きたいことがある」

 

「ボクが答えるとでも?」

 

「俺の写輪眼や、お前の血龍眼のような特異な眼でもクローニングは可能か?」

 

 秋水が相手取った写輪眼は見た目だけ真似た模造品ではなく、紛うことなき本物だった。術のコピーや動きの先読みは勿論、イザナギまで使用してきた以上、そこを疑うことはできない。しかし本物だとしても、自然発生をしたとは考えられなかった。クローン技術を用いて、人為的に作られたと考えた方がしっくり来る。

 

「無視か……。まあ良いさ、さっきも言った通りボクは暇だしね。質問に答えてあげるよ」

 

 秋水が知る中で、遺伝子工学に高い見識を持つ人物は千野をおいて他にない。呪印を改良したと言うだけでも、そのレベルの高さを伺うことができる。

 

「結論から言うと、クローニングは可能だよ。血継限界を作り出すのは、ボク達の中に流れる一族の血だ。血の中に細胞があり、細胞からはDNAが取り出せる。今じゃ髪の毛一本からだって採取可能な代物さ。そのDNAを利用すれば、眼だけじゃなくキミ自身を作り出すことだってできる。まあ、キミの眼は特殊なチャクラを分泌させる必要があるみたいだから、そこの問題は解決しなきゃいけないけどね」

 

 同じと言っても、寸分違わず同じわけではない。それが生物の一部である以上は、いきなり今と同じ状態のものを作り出せはしない。人が細胞分裂を繰り返して成長するように、クローンも同じ工程を辿っていく。さらには成長していく上で外部からの影響を受けているとされるため、同じ遺伝子を持っていても異なる性格や容姿になる。

 

「まあ、血継限界を除いたとしてもそう簡単に作れるものではないけどね」

 

「それは時間がかかるということか?」

 

 赤子となって産まれてくるまで十月十日。そこから一人前に育てるまでに十数年。クローンといっても成長速度は人と同じため、膨大な時間が必要だ。

 

「いや、成長速度に関しては細胞分裂を促進させる薬を使えば良い。問題なのは、技術的には可能でも製造する環境がないことさ。勿論作るための資金だって馬鹿にならない」

 

 クローンと聞いて誰もが思い浮かべるのは、羊のドリーだろう。世界初の哺乳類の体細胞クローンであり、一九九六年の夏に作られたドリーは二◯◯三年の冬まで生きた。誕生後、馬や牛といった大型哺乳動物の成功も確認されている。もしも大戦が起こり世界の人工が減っていなければ、食糧問題を救う救世主になっていたかもしれない。ドリー誕生から百年経った今日において今もなおクローン人間の成功が公にされないのは、それが倫理に反するとされているからだ。

 

 しかしながら魔法が表舞台に現れ、魔法師の数や質が国力に反映される今の世において、技術者ならば誰もが一度は考えたことがあるだろう。もしも魔法師をクローニングできたならば、と。強力な魔法師を大量生産すれば、それだけでも弱小国は一気に強国に近づくことができる。極論であるが、核兵器よりも安価かつ小型な兵器を作るようなもの。それを大国に敵対している国に、売りつけることも可能だ。

 

「まあ、これらの問題は全部表向きの話さ。キミがボクにこんな話を聞いてきたのも、何かきっかけがあったんだろうからね」

 

 メリットと倫理観。天秤に二つを乗せたとして、万人が同じ結果を出すだろうか。おそらくは違うだろう。中には己の知的欲求を満たすためだけに行動する狂者がいてもおかしくはない。事実、クローンとまではいかずとも、魔法師の遺伝子操作は行われている。生み出された魔法師は調整体魔法師と呼ばれ、秋水が知る中でも桜井水波がこれに該当する。調整されているために、彼女は優秀だ。

 

「クローンを作るとして、環境が整っている場所に心当たりは?」

 

 大量生産するならば、人工母体をはじめとして様々な装置が必要になってくる。それなりの規模を持った施設が不可欠だろうと秋水は考えていた。

 

「さあね。ああでも、キミが同盟を結んだ四葉を排出した第四研ならできるんじゃないかな」

 

「そうか。これだけ聞けたなら十分だ」

 

 秋水が部屋を出るために千野に背を向ける。

 

「キミが何と戦っているのかはわからないけれど、精々頑張ってくれよ。大切な大切な、彼女のためにもね」

 

 

 

 

 部屋を出た所で、シリウスはリーナへと姿を戻す。念のために周囲に声が聴こえないよう遮音魔法を使いつつ、移動しながら会話を始めた。

 

「ちゃんと理由は説明してくれるのよね?」

 

「俺がお前に助けられる前に戦っていた奴等は、全員が写輪眼を持っていた」

 

「写輪眼を? でも今その眼を持っているのは……あ、だからクローンってわけね」

 

 現在確認されている写輪眼は、裏葉秋水が持つものだけ。それが国内外問わず広まっている情報。USNAはその情報力をもって秋水の父である幻冬も開眼していることを知っているが、合わせても二人。今回の襲撃者は六人という知らせを受けているため、その全員が写輪眼を持っていることは本来ならばあり得ない。リーナはバラバラだったデータをつなぎ合わせ、答に辿り着く。

 

 エレベータのボタンを押すと、ちょうどこの階で停まっていたためすぐに扉が開いた。乗り込み、一階のボタンを押す。

 

「そうだ。俺は、奴等がクローン体である可能性が高いと思っている。元が俺なのか、過去の一族の者なのかはわからないが」

 

 マダラと名乗った事にも何らかの理由があると秋水は考えていた。流石に本物のマダラのクローンだとは考えていない。彼が生きていた時代ははるか昔。何百という時を経てDNAが残っているとは思えなかった。もしもDNAが残っているのだとすれば、クローンを作るよりも穢土転生で本人を口寄せするほうが正解だろう。それがされていないという事が、マダラと名乗った男が偽物だという何よりの証拠。

 

「アナタも色々なことに巻き込まれて大変ね」

 

「他人事じゃ済まされないぞ。戦略級魔法を持っているお前だって、十分ターゲットになり得る」

 

 クローン技術が確立されているならば、写輪眼を扱う者だけを作るわけがない。写輪眼は確かに優れた血継限界だが、あくまで対人戦闘においてその真価を発揮する。戦略級魔法を扱える個体を大量生産した方が、他国を制圧するにしても世界を滅ぼすにしてもコストパフォーマンスが優れている。希少価値で言っても、こちらの方が上だ、何より戦略級魔法の中でも最強と名高い「ヘヴィ・メタル・バースト」を使用するリーナが日本に来ているのならば、この機を逃すはずはない。

 

「しばらくは周囲への警戒を怠らない方が良いだろうな」

 

「そうするわ」

 

 一階に着き、二人はエレベータから降りた。

 

「それにしてもアナタ、ガールフレンドがいたのね」

 

 暗い話が嫌になったというよりも、ずっと気になっていたことを聞きたがっている顔だった。

 

「何の話だ?」

 

 入口付近で秋水の足が止まる。

 

「さっきあの男が言っていたじゃない。大切な彼女のために頑張れって」

 

「あの人とはそんな関係じゃない。あの人は大切な恩人だ」

 

「そうなの? でも今のアナタはすごく優しい顔をしているわよ。気づいていないんでしょうけど」

 

 入り口付近に設置してあるガラスに映る秋水の顔は、確かに普段のそれと違っていた。内面を覗かれた気がして恥ずかしくなり、普段の表情に戻る。

 

「残念。さっきの方が良かったのに」

 

「うるさい」

 

「照れちゃって。良かったらワタシがサポートしてあげようか?」

 

 妙案だと言わんばかりに掌を合わせたリーナの目は、好奇心に満ちていた。何故こうも他人の恋愛模様について首を突っ込みたがるのか秋水には解らなかったが、後にも先にも今この瞬間ほどリーナを鬱陶しいと思ったことはないだろう。

 

「必要ない」

 

 会話を切り上げるために秋水は止めていた足を動かし始める。一つ目の自動ドアが横にスライドして開いた。二つ目も難なく開く。太陽が出ていても外気は冷たい。吐く息が白く染まった。

 

「リーナ、他の奴に余計な事は言うな。言えばお前の秘密もバラす」

 

 振り返り、半分脅し混じりに念を押しておく。

 

「ちょっと待って、それは流石に――」

 

 自分がアンジーシリウスだと周囲に告げられると思ったことで、リーナの表情が強張る。

 

「美少女魔法戦士プラズマリーナ、だったか?」

 

 想定していたことでは無かったことに安堵する一方で、何故それを知っているのかと問い質したくなる気持ちが急速に強まる。四年前、まだリーナが十二歳の頃の出来事であり、可能であるならば誰にも知られたくはないことでもあった。

 

「な、なんでその事を……」

 

「さあ、何でだろうな。ただ言えるのは、お前が余計なことさえ喋らなければ俺はこの事を口外する気は無いってことだけだ」

 

「……わかった。誰にも言わない」

 

 先程までの優位な立場から逆転され、渋々秋水に従う。やり込められ、リーナは悔しさが声となって出てきそうだった。

 

「約束は守れよ」

 

 そう言い残して、秋水はその場から消えた。

 

 冷たい風が吹き、リーナの金髪を乱雑に揺らす。小さく震える肩は、寒さから来るものではなかった。

 

「もう! 何なのよアイツは!」

 

 

 ◇◇◇ 

 

 

 秋水の影分身が真由美を自宅に送り届けてから、残り数時間で二十四時間が経過する。外は茜色を挟み、青から黒へと色彩が変わっている。それに伴い、地上では至る所で人工の光が灯っていた。

 

 真由美は自室に篭もり机に伏せっている。眠っているわけではない。双子の妹たちにも心配されたが、体調不良という訳でもない。時折端末を見るために顔を上げては再び伏せることを繰り返していた。

 

(大丈夫よね……)

 

 真由美を送った影分身は程なくして消えた。影分身が消えるパターンとしては、術者と分身が意思を持って行うものと、術者が分身を維持できなくなったことで意図せず消えるものがある。真由美がそのどちらかを知ることはできないが、繋がらない電話が嫌な想像を掻き立てさせた。

 

 七草の権限を使えば、あの場所に設置されていた監視カメラの映像を見る事もできるが、ほぼ確実に父親である七草弘一の耳に入ってしまう。四葉、裏葉の両家との確執が最高潮である今、下手に刺激をすることは好ましいことではない。動画サイトを巡って映像が無いかを探すも、どの映像も同じタイミングで完全に途絶えており、欲しい情報は手に入っていない。多くの被害者が搬送された病院に聞いてみても、患者のリストには裏葉秋水なる人物の名前は存在しないという回答しか返ってこなかった。外に出て探す手段もあったが、秋水が逃した意味を無くしかねず、八方塞がりになっていた。結局できることは待つことだけ。それがひどくもどかしいと感じてしまう。

 

 スリープ状態を解除したからといって連絡が来ることはない。意味がないと分かっていてもついついやってしまう行為をちょうどした時だった。着信音が鳴り、真由美の体が反射的に驚きの反応を見せる。アドレス帳に登録されていない番号で、上に「Unknown」と表示されていた。取るべきかどうか悩むも、通話ボタンを押す。

 

「はい、七草です」

 

『裏葉です。連絡が遅くなってすみません』

 

 その声を聞いた際、すぐに通話のモードを音声オンリーから切り替えた。小さなディスプレイに、秋水の半身が映る。

 

「良かった、無事なのね!」

 

 電話越しではあるが、声や表情から異常は見られない。一先ず安堵の声が漏れた。

 

「……あんまり、心配させないで」

 

 大切に想われ、危険から遠ざけようとしてくれることは素直に嬉しい。けれど、そのために傷つくならばやって欲しくはない。誰かを犠牲にしてまで安寧を得ようとは思っていない。

 

『すみません』

 

 秋水は困惑の表情を浮かべていた。あまり表情を表に出さない秋水にしては、珍しい光景。それほど己の感情が表に出ていたのかと恥ずかしがる一方で、自分にだけ見せてくれる表情に対してちょっとした独占欲を持ってしまう。

 

「連中はどうなったの?」

 

 勝手に進路変更した思考を戻すために、真由美はあえて重くなりそうな話題を選んだ。

 

()()()()五人は倒しましたが、一人は逃しました』

 

 秋水の返答に、真由美はすぐに言葉を返すことができなかった。秋水の強さを真由美はこれまで何度も目の当たりにしてきた。高校生離れした強さは、十師族と同等とかそれ以上にさえ思える。真由美が知る中では最強に近い存在だった。

 

「そう……。正体とか動機とかに心当たりはないの?」

 

『それに関してお話したいことがあります。明日時間が取れますか?』

 

 言外の意味はすぐに汲み取ることができた。デジタル通信が主流の今、アナログだった頃と比べて盗聴難易度は格段に上がっている。それでも、決して不可能ではない。

 

「ええ、勿論」

 

『でしたら、明日十一時にお迎えに上がります』

 

「わかったわ」

 

 吸血鬼事件が解決に向かっている中、また新たな事件が舞い込んでくる。三年生になってからというもの、やけに事件に巻き込まれるようになった。ただそれは自分が進級をしたからではなく、秋水が入学したためだろうと真由美はふと思った。

 

(トラブルメーカーなのかしらね)

 

 画面越しの秋水の対し、真由美は胸の内で推測を呟く。トラブルメーカーといえばもう一人。司波達也だ。彼は学校の評価基準にそぐわないという理由で二科生と成りながらも、他の部分では他の学生を一切寄せ付けないほど優秀。九校戦ではエンジニアとしての手腕をいかんなく発揮し、論文コンペでは発表メンバーに抜擢され、その頭脳を役立てた。彼が活躍すればするほど、評価を改め認める者がいる一方で、二科生のくせにという言葉も大きくなっていく。一科生と二科生の溝を上手く埋めてくれる契機なれば良いと考えるも、まだまだ時間がかかりそうだった。

 

『では、また明日』

 

「ええ、また明日ね」

 

 通話が終わる。五分にも満たない時間だったが、真由美にとっては十分だった。最も不安だったのは秋水が無事であるかどうか。それが確認できたことは大きい。变化によって声や姿を変えて騙そうとしていることも考えられるが、電話ではその目的を達成しにくい。直接会いに来ることや場所を指定して呼び出すことの方が、よっぽど効果的だ。わざわざ時間を決めて迎えに来る必要はない。

 

 ほどなくして、部屋の扉がノックされた。

 

「お姉さま、お食事のご用意ができましたが、体調は大丈夫ですか?」

 

 声は普段呼びに来る執事ではなく、妹である泉美のものだった。気遣うような声色に一瞬何故と思うも、誤解を解いていないことを思い出した。扉へと向かい、ドアノブに手を掛けた。開けると泉美だけでなく香澄もいる。三歳下の双子ではあるが、髪型や雰囲気から血縁者でなくとも容易に区別は付けられる。フェミニンな方が泉美で、ボーイッシュな方が香澄。その一方で、やはり双子であることを証明するかのように顔立ちは瓜二つ。

 

「心配かけちゃってごめんね。もう大丈夫よ」

 

 ご飯を食べに行きましょう、と言って、真由美はリビングへと向かう。

 

 その姿を目で追っていた二人の姉妹は、姉が元気になったことを喜ぶ一方で、それとは別の変化にも気づいていた。顔を近づけ、声を殺して話し出す。

 

「お姉ちゃん、普段よりも機嫌が良くない?」

 

「何か良いことでもあったのでしょうか?」

 

 理由を知らない二人は、姉の変化に小首を傾げた。

 


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