テストまで残りおよそ2週間を切った金曜日の放課後のこと。
今日も有栖は自分のグループで話し合いがあるとのことで、護は一人で下校するべく廊下を歩いていたのだが、その表情は憂鬱そうに陰っていた。
悩みの原因は、今日担任の真嶋から告げられたある連絡によるもの。
「ここにきて全教科のテスト範囲が変わるとか……」
それは中間テストの範囲変更。とはいっても、護は別に自分の点数を気にして渋面を浮かべているのではない。
気にしているのはDクラスのこと。
ここ最近、護は人づてにそれとなくDクラスの状況を聞いていたのだが、彼らは前向きに勉強会を開くなどしているらしく、状況が改善に向かっていると安堵していたのだ。
それが、ここにきて突然の範囲変更である。
(成績下位者を振り落とすつもりとしか思えないな)
1教科2教科ならまだしも、全教科となれば明らかに意図的な変更。
Aクラスの面々は余裕があるようだが、下位のクラスにしてみれば堪ったもんじゃないだろう。
とはいえ、気にしたところで護にできることは何もない。
気持ちを切り替え、早いところ下校しようと、昇降口へとついた護は下駄箱を開く。すると、中から一枚の紙がパサリと落ちてきた。
「手紙?」
拾い上げてそ確認すると、それは1通の便箋だった。
呪いの手紙、恋文、果たし状、脅迫状、幾つかの可能性が脳内を巡るが、とりあえず護は考えるより先に開いてみることにした。
――――――――――――
拝啓 万緑の候、木々の緑が目に眩しい今日この頃、ご清祥のことと拝察いたします。
この度は突然の書状に戸惑いを覚えていることでしょう。
あなたは私のことを知らないでしょうが、私は以前よりあなたのことを存じていました。
初めてあなたの姿を見た時の胸の高まりは、今も記憶に新しく残っております。
日を重ねるごとに、この思いはより強く募っていくばかりです。
願わくば一度直接会ってお話の機会を頂きたく、手紙にてご案内を申し上げます。
本日16時00分、同封した地図に印した場所にてお待ちしております。一人で来てください。
敬具
追伸
お前の秘密を知っている
―――――――――――
「…………んー?」
全てを読み終わった後、護は反応に困った様子で唸りながら首を傾げた。
前半だけを見るならば、ラブレターに見えなくもない。
ただし追伸でやけに強調して書かれた言葉は完全に脅迫文。
(これは素か? それとも狙ってふざけてるのか?)
ほぼ間違いなく後者だろうとは思うが、万一前者であったならこの人物はとても精神状態が不安定ということになる。
そんな人間がこの学校に入れるのかという疑問もあるので、とりあえずこの可能性は却下した。
次に気になるのは、やはり追伸の部分。というかおそらくはこちらの方が本題だろう。
(関係者にしては言い回しが回りくどいし、ただ見えるだけの一般人か?)
秘密と言われて真っ先に思い浮かぶのは、やはり呪い関連。
とはいえ、これに関してもはっきりしたことはわからないため、やはり実際に行ってみるしかないだろう。
護は同封されている地図を確認し、印のつけられた場所へと足を向けた。
(やばいやつだったらサッサと逃げよ)
万が一にもメンヘラストーカーなどではないことを願って。
◆◇◆
呼び出し場所は、学校の校舎裏の隅。人気が少なく、密集した木々が監視カメラの死角を形成し、まさに密談をするのには適した場所であった。
そして、そこには既に一人の女生徒が、木に背を預けた状態で待っていた。
「来たか」
目につく容姿の特徴としては、女子にしては高めの身長、長い銀髪、自信に満ちた鋭い眼光。
その女性は護に向かい直ると名乗りを上げた。
「初めまして、五条護。2年Bクラス
ワンチャン宛先を間違えたという可能性に縋りたかったが、開口一番呼ばれた自分の名前にその期待は儚くも散ってしまった。
「どうも、ご存じのようですが1年Aクラスの五条護です。
一応確認ですが、あのおかしな手紙の差出人は、あなたですか?」
「おかしなとは心外だな。いたいけな乙女の想いを綴った文章を」
「最後の脅迫文が無かったら、そう思ったかもしれませんね」
「脅迫とはさて何のことかな。私はただ君が興味を惹きそうな話題を振ったにすぎんよ。
万が一にも無視をされて、枕を濡らすような思いはしたくなかったのでね」
白々しくも、薄らと笑みを浮かべながらそう答える鬼龍院に対し、護はため息を吐いて用件を切り出した。
「それで、一体何の御用ですか?」
「なに、手紙にも書いた通り、一度会って話がしてみたかった。
君の秘密……いや、君と私にしか見えていないモノについてね」
(やっぱりか。まぁ、こっちの方が話が単純で助かるけど)
護は予想通りの話であったことに、ある意味安心した。
「……先輩は、あれらのことは知らないんですね?」
「ああ、知らん。少なくとも私はこの学校に来て初めて見た。
いやはや驚いたぞ。日本有数の名門校が実際は化け物の巣窟だったのだからな。一時は私の気がおかしくなったかと疑いもした」
(学校の呪力に中てられたのか)
今まで見えなかった人間が、呪いの気配に中てられて突然見えるようになるということは偶にある。
この学校の状況からして、一人二人くらいはそう言った存在が居ても驚きはしない。
「それは……大変でしたね」
突然自分の居た世界の常識が崩れ去り、怪物に囲まれた世界に放り込まれる。
生まれたときからその環境が当たり前だった護としては、その心中を計り知ることはできないが、その精神的な負担は相当なものだったろう。
このような安易な言葉を掛けるのも躊躇われるが、護としてはそれ以外にかける言葉も思い浮かばなかった。
「なに、そう悪いことばかりでもなかったさ。おかげで君のような興味深い存在に巡り合えた」
そう言った彼女の表情には、好奇心によるものか喜悦が滲んでおり、強がりで言っている風には見えなかった。
護の中で、有栖と初めて会った時と同じような直感が再び働く。面倒くさそうな人に目をつけられたなと。
「……どうして俺が関係者だと分かりました?」
方法は幾つか予想できるが、一応確認のためにと聞いてみる。
護としても呪霊を祓う際、周囲の人目には注意を配り、できるだけ術式で祓うようにしていた。
傍から見たら突然箱が現れて消し去ったとしか見えない状況。偶然その場に居合わせただけなら、護がその現象を引き起こしたと断言することはできない筈だ。
「新年度に入ってから、急激に連中が減っているのはわかったんでね。新一年生か新任の教師の中に原因があると踏み、調べていたら君に行き着いた。
化け物の傍で張り込んでいたら、奇妙な箱が現れて連中を消してしまうじゃないか。そしてその現場には、いつも君がいた」
「なるほど」
「今度は、こちらの質問に答えてほしいな。あれは一体何だ? 君は一体何者だ?」
問われ、護はどこまで話すべきかと考える。
見えている以上、呪いの存在に関してある程度話すことは問題ない。
少しの間、脳内で話す内容を整理してから、護は口を開いた。
「あれは呪いですよ。人の負の念それらが蓄積して形となった、呪霊という存在。要はお化けみたいなもんです。
俺はそう言った存在を祓う仕事をしている、呪術師です」
「ほぅ、やけにあっさりと教えてくれるんだな」
護が素直に答えたことが意外だったのか、鬼龍院は顎に手を当てながら目を細めた。
「見えている人なら、ある程度は話しても問題ありませんから」
「なるほど。しかし呪いと来たか。確かに見てて気分のいいものではなかったな。
では察するに君は、坂柳理事長が愛娘の為に雇い入れたボディーガードというところかな?」
「は?」
ボディーガードという、予想だにしていない単語に、護は一瞬素で呆けてしまう。
「おや、違ったか? 校内では常に理事長の娘と一緒にいるらしいじゃないか。てっきりそうだと思ったんだが」
「2年の方にもそんな話が伝わっているんですか?」
別学年にまで有栖と一緒にいることが噂になっているとは、流石に予想外である。
「それもあるが、個人的に色々と調べさせてもらった。
何せ相手は得体の知れない力を持っているんだ。私のようなか弱い乙女としてはどんな人物か不安だったのでね。気を悪くしたかな?」
「面白くはありませんが、賢明な判断だとは思います」
護はこの場に来た時から気付いていた。鬼龍院が泰然自若としながらその内に警戒心を秘めていたことを。
飄々とした態度で接しながら、その目は常に護の一挙手一投足を注意深く観察していたことを。
敵か味方かもわからない相手に、警戒心を抱くことは正しい。護は素直に鬼龍院を評価した。
「けど、調べたと言ってもどうやって?」
もしも直接尾行していたというなら、護はそれに気付けなかったことになってしまう。
プロ意識というほど御大層なものを掲げてはいないが、流石に一般人の追跡に気付けないのは迂闊にも程がある。
しかし鬼龍院の返答は、護の予想だにしていないものだった。
「なに、大したことはしていない。1年の先生方からポイントで情報を買っただけだ」
「オイこら個人情報」
取り繕うのも忘れて、護は本心から突っ込みを入れてしまった。
人づてに情報を集めるくらいのことは予想していたが、教師が生徒の情報を売り買いしているのは予想外である。
その反応が面白かったのか、鬼龍院はクックと喉を鳴らした。
「まぁ、そう気を荒げるな。社会にでれば個人情報が取引されることも珍しくはない。これも先生方からの訓示ということだろう」
「いや、先生が悪いみたいな言い方してるけど、そんな取引持ちかけた先輩も大概だからな」
「そう褒めるな。照れる」
「褒めてねぇよ」
どこまでもポジティブな振る舞い方は、どこか兄に通じるものがある。護は内心で辟易とさせられた。
「……まぁ、先生方以外にも色々と聞きまわったよ。直接1年生に接触しては色々と目立つのでね。かなり遠回りをしてしまったが」
(スルーか。まぁ、もういいけど)
この手のマイペースな相手には、下手にリアクションを返すだけ無駄に疲れることになる。兄の相手をしてきた経験から、そう判断して大人しく続きを促した。
「それで? それだけ金と労力を割いて、聞きたかったのは呪霊の対処法とかそんなとこですか?」
「話が早いな。もっと踏み込んだ話をさせてもらうなら、私は君が使う術に興味がある。
どうだろう、それを私に教えてはもらえないか?」
「あ、無理です」
考える間もなく、反射的にノータイムで答えを返した。
「……ふりでも、少しくらいは考えてもいいんじゃないか? それとも君のそれは、一子相伝の秘術だったりするのか?」
「いや、俺の術は相伝とかそういうのじゃないですけど。
この手の術って生まれながらに使える人と使えない人が決まってるんで」
正確には、結界術単体であれば努力次第でできるようになる者はいる。高等技術ではあるので、この辺りも適性に左右されるが、不可能とは言い切れない。
但し、護のように指で印を組むだけで結界を作成し、対象を滅するという使い方は無理だ。
護の結界術は、生まれながらの生得術式の構成要素の一つとして組み込まれているもの。真似をしようとしてどうこうなるものではない。
「……つまり私にはその才能が無いと?」
「そうなります。これに関しては努力でどうこうなるものでもないので。
一応聞きますけど、今までに何か不思議な力が使えると感じたことは?」
通常術式の有無に関しては、幼少の段階で自覚できるようになる。
後天的に呪力に目覚めて術式に気付く場合もあるが、自覚症状があるという点に変わりはない。
「ないな」
「じゃあ、無理です」
そう言うと、鬼龍院は先ほどまでの笑みは鳴りを潜め、悩まし気な様子で手で顔を覆った。
「そうか。つまり私には、あれに対処する
「まぁ、呪力による肉体強化なら、訓練次第でできなくはないですけど」
環境による一過性のものではなく、見える状態が続いていたというのなら、それなりに呪力を持っている可能性は高い。
4級以下の呪霊であれば、呪力を纏って殴るだけでも対処は可能である。
そう思い、護は深く考えもせず、何とはなしに言ってしまった。
「本当か?」
(あ、やべ、余計な事言った)
しかし即座、顔を覆う指の隙間から漏れた瞳を見て、護は余計な事を言ってしまったと後悔する。
それは、さながら獲物を見つけた猛禽類の瞳。
「察するに、呪力というのは君が扱う術のエネルギー源というところだな。
それを直接操る方法ならば習得は可能だと」
「……まぁ、この辺りも向き不向きがあるので断言はできませんが」
「可能性がゼロで無いなら十分だとも。どうだろう、私にその技術を教えてはくれないか?」
「お断りします」
護はまたも即答した。
しかし鬼龍院はめげることなく、淡々と理由を問い返す。
「今度は無理とは言わないんだな。理由は?」
「理由は色々とありますけど、単純に忙しいんですよ、俺」
一般人をこちらの業界に引き込むことの抵抗感なども勿論あるが、それらは実のところ大した理由にはならない。
呪術師の門戸は実のところ結構緩い。
適性のある人間が少ないから狭く感じるが、実際は最低限呪霊さえ見えるならば後は本人の意思次第。
呪術を学んだあと一般人に戻る者だっているし、本人の適性が戦闘に向かなくても、補助監督官として活躍する人間もいるのだ。
問題なのは護の方に時間的余裕が無いこと。最近では余裕ができてきたとはいえ、外部の仕事が入ればすぐに忙しくなる。余計な事に時間を割いている暇はない。
「どうしても呪術について学びたいって言うなら、それ専門の教育機関があるのでそちらを紹介します。編入でもしてください」
「それは困るな。私としてはこの学校も気に入っているんだ。できれば卒業まではここにいたい」
「なら、卒業後に行くなりしてください。この学校にいる内なら、一応俺がいるんで襲われる危険も少ないでしょうから」
「危険が無いとは言い切らないのだな。であればやはり護身術程度のことは教えてほしいところだ。いずれ学ぶにしても下地があるに越したことはないだろう?」
「だから、俺は忙しいんですって。そもそも、俺なんて先輩と大して齢も変わらない若造ですよ。教え役として不安に思わないんですか?」
「そうは言うが、私からすれば知らない世界の話なのでね。いくらベテランと言われても、顔も合わせたことのない相手よりはこうして目の前に居る君の方が信用できる」
ああ言えばこう言うとばかりに、鬼龍院も全く譲る気はない様子だ。
「それに、専門の教育機関があると言っていたが、この学校にいるあたり、君はそこに通っていないのだろう?
察するに、この学校の警備が君の任務というところかな。
つまり君は既に呪術師としては一人前として認められるほどの実力があるということ。不足があるとは思えないな」
(無駄に察しが良いな)
こちらの業界については知らない筈なのに、断片的な情報から的確に護の状況を言い当ててくる。
この学校にいるだけあって、やはり能力は高いらしい。
「どうだろう、もし君が呪術について教えてくれるというのなら、私は君に協力しようじゃないか」
「協力?」
「呪いに関しては知らんが、この学校に関する知識では私に一日の長がある。
先生方の話から、君が退学について気にしていることはわかった。そういった点でも、上級生の協力があるに越したことはないと思うが?」
「具体的には? 役に立つかも、なんて曖昧な話に興味はありませんよ」
「そうだな。例えば次の中間テスト、1年生には毎年同じ問題が出されていることは知っているかな?」
「は?」
予想だにしていなかった情報に、護はまたも本気で唖然としてしまった。
だが同時に、ここ最近違和感を感じていた事柄が脳内を駆け巡る。
「あ、ああ! だからテスト範囲の変更か」
「さすが察しがいいな。先生方の評判通りだ」
元々、中間テストでクラスポイントが配布されるという時点で違和感はあった。単純な学力を競ってポイント配布するとなると、上位のクラスが圧倒的に有利。
おそらく今回の試験、本来はDクラスを主眼に置いた試験なのだろう。上位のクラスであればまず気付かない。まともに勉強をすれば、普通に乗り切れるのだから。
小テストの異常な難度の問題。今日突然告げられたテスト範囲の変更。これらのヒントに気付き、乗り越えることができるかどうか。それがこの試験の本来の趣旨というところか。
「……いいんですか、これ? 本来なら先輩方から言っちゃダメなんじゃ」
もしこれが許されるのであれば、上級生と1年生との間で、過去問のやり取りが横行されている筈だ。それでは試験そのものが成り立たなくなる。
「確かにな。これが発覚すれば、多少のペナルティは避けられない。
だが、こちらの誠意を示すには丁度いいだろう?」
ニヤリと笑う鬼龍院の顔を見て、彼女がテスト期間というタイミングを狙いすまして接触してきたことを悟った。
実際のところ、鬼龍院をこちら側に引き込むことのメリットが大きいことを、護は認めている。
日常生活においてもそうだが、仮に有事の際、事情を知る協力者がいた方が動き易さは格段に違う。日頃の巡回に関しても、一人では気の回らないところをカバーできる。
加えて言うと、彼女の優秀さはこの短時間で重々理解できた。将来的に高い社会的地位に就く可能性はもあるため、恩を売っておく意義は十分にあるといえる。
それらを踏まえた上で考え込む護。その様子を見た鬼龍院は、手ごたえありと薄い笑みを浮かべた。
そしてしばらくしてから、ようやく護は口を開いた。
「お断りします」
発せられたのは再三にわたる否定の言葉。
笑みを浮かべていた鬼龍院の表情が、難しいものに変わる。
「これでもダメとはな。理由を教えてもらえるか?」
「先輩はさっき護身のためと言いましたが、それだけじゃないですよね?」
呪術の存在について知った時、鬼龍院の瞳に浮かぶ好奇の色を、護は見逃してはいなかった。
「面白そうだと思いましたか? 突然降って湧いたファンタジーな力に、ワクワクしましたか?」
「……つまり、動機が不純だと?」
その言葉に、護はゆっくりと首を横に振る。
「呪術師やる動機なんて、人によって様々ですよ。金が欲しい。戦うのが楽しい。家族を守りたい。純粋な正義感。
重要なのは、それらに命を懸ける覚悟があるのかってことです」
瞬間、鬼龍院の体の至る所に、護の箱状の結界が出現した。
「……ッ!?」
結界が現れたのは関節各部。そして口元。
突然の事態に驚く鬼龍院。振りほどこうと身じろぎするが、間接の各部を固定され全く身動きが取れず、顎も固定されているため上手く言葉も発せなくなる。
そんな鬼龍院へと近づきながら、護は言葉を続けた。
「先輩はここに来た時からある程度警戒していたようですが、心の底じゃ俺が凶行には走らないと、高をくくってたんじゃないですか?
あめぇよ」
敬語をかなぐり捨てながら、護は印を組んだ指を鬼龍院の額に当てた。
同時に、護の体から濃密な呪力が噴き出て鬼龍院を包み込む。
呪力の弱い者であれば、明確な死を連想させるほどの威圧感。
鬼龍院の瞳は見開かれ、顔から血の気が引いていく。
「呪術師やってりゃ理不尽な死なんて当たり前だ。何の理由もなく、何の脈絡もなく死ぬことなんて珍しくもない。今この瞬間にも、俺はあんたを殺せるぞ。
面白そう? 楽しそう? こっちの世界に足を踏み入れるって言うなら、そんなことは期待するな」
鬼龍院が自分の意思でこちらの世界に踏み込み、どのような目に遭おうとも護は関与しない。
しかし、自分に教えを縋ろうというならそんな無責任なことも言えなくなる。悔いのない人生を送れると思っているのなら、まずはその期待をへし折らなくてはいけない。
そんな思いを込めて真っすぐに睨みつける護だったが、ふと鬼龍院の目元が綻んだ。
怪訝に思い、護は口元の結界のみを解いて喋れるようにする。叫び声を上げようとすれば即座に張りなおせるよう警戒したうえで。
「随分と優しいじゃないか、五条」
冷汗を滲ませ青白い顔をしながらも、淀みのない口調。
鬼龍院の声音は、予想に反してとても落ち着いたものだった。
「もしも本気で害そうというのなら、こんな警告は必要あるまい。
これもお前なりの気遣いかな?」
「本気でそう思うのか?」
「思うとも。そしてその上で言わせてもらおうか。
お前は呪術師にとってと言ったが、理不尽な死なんてものは世の中そこら中にありふれている。
今日地震が起こるかもしれない。明日通り魔に襲われるかもしれない。
私はな、そんないつ訪れるかもわからない不幸に怯えるより、今を悔いなく生きていたいんだよ」
「……ただ死ぬよりも、辛い目に遭うとしても?」
「くどいな。逆に聞くが、仮に呪いに関わらなかったとして、絶対の安全は保障されるのか?」
その質問に対しては、頷くことはできなかった。
日本の怪死者・行方不明者の数は年平均1万人を超える。その殆どが呪いによる被害者。
一般人でいたからと言って、安全が保障されるわけではない。
「私は、いつ巻き込まれるかも分からず、怯えるだけの立ち位置に甘んじていたくはない」
護の冷淡な視線と鬼龍院の固く意思の籠った視線が交差する。
「そうか」
護はゆっくりと指先を見せつけるように、鬼龍院の眼前へと持っていく。見えない緊張の糸が張り詰める中、さながら裁きを下すかのように、その指は振り下ろされた。
瞬間、全ての結界が一瞬にして消え去る。
緊張が解け、支えがなくなったことで、一気に体の力が抜けて地面へとへたり込む鬼龍院。
そんな彼女に対し、護は髪をかき上げながら口調を元に戻して声を掛けた。
「俺の演技、そんな下手でした?」
「演技、演技か……ハハ、私は本気で死を覚悟したのだがな」
「俺にその気はないって、先輩が言ったんじゃないですか」
「確かにな。だが正直なところ、半分くらいは信じきれなかった。
仮に予想が違っていても仕方がないと、受け入れるつもりだったよ」
(自分の信条の為に、命を懸ける覚悟はあるか)
護の兄、五条悟いわく、呪術師に向いている人間というのはどこかしら頭がイカレているらしい。
そう言う意味では、鬼龍院楓花という人間も適性はあると言えるのだろう。
「返事に関しては少し待ってください。
さすがに一般人を巻き込んでいいのか、俺一人の一存では決められないので」
立ち上がる為に手を貸しながら、護はそう言った。
その言葉を聞き、鬼龍院はニヤリと笑みを浮かべる。
「どうやら、君には認めてもらえたらしいな」
「実際嫌ですよ。ただここで拒否したとしても、先輩の場合自力でこっち側に首突っこんできそうですし」
「よくわかってるじゃないか」
護の手を取って立ち上がると、鬼龍院は最初と同じように毅然とした笑みを浮かべた。
(とりあえず、兄さんに確認をとらないとな)
もっとも、あの兄であれば何と答えるかは大体の予想ができていたが。
護はこれからの生活により一層の波乱が起きそうなことに、深くため息を吐いた。
前話において、感想欄で登場予定人物を言い当てた方がいらっしゃったのですが、実はその方にこっそりメッセージを残していました。
ただ、閲覧環境の違いを失念していたので、もし伝わってなかったら申し訳ありません。その場合、ただおかしな言い回しの返信文を返したことになるなぁと、若干後悔してました。
ちなみに鬼龍院さんを起用した理由。
1.綾小路君にとっての軽井沢さんみたいな、協力者が欲しかった
2.今回、護君の呪術師としての一面を見せるに当たり、強キャラが欲しかった
3.この人なら享楽の為に命くらい掛けそうで、割と呪術師向きな気がした
4.上級生との接点を作るきっかけになると思った
ちなみに過去問に関しては、過去問の為に鬼龍院さんを起用したというよりは、鬼龍院さんを起用するため交渉材料の一つとして使った感じです。
当初は過去問に気付かないルートも一応考えてはいましたが、鬼龍院さんの起用により却下しました。