よう実×呪術廻戦   作:青春 零

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23話 Dクラスとの交渉

 平田に手紙を渡してから翌日の放課後。

 護は屋上にてフェンス越しに校庭の景色を眺めていた。

 眼下には陸上部や野球部が、テスト期間だというのに練習に打ち込んでいる姿が見える。

 

(青春してるなぁ)

 

 ただ待つだけの時間、なんとなく暇つぶしで見ていたに過ぎないのだが、彼らを見ていると、ぼんやりとした思考の中でほんの数日前に楓花に言われた言葉が頭をよぎる。

 

「我が儘になれ、ねぇ……」

 

 今までも、偶に頭をよぎることはあった。自分のやりたいことって、何なのだろうかと。

 目標としている姿はある。手が届くとは思っていないが、それでも目指している人物はいる。

 けれどそれは、なりたい自分であって、やりたい何かがあるわけではない。

 

 校庭から顔を背け、フェンスにもたれかかり空を眺める。

 ぼんやりと流れていく雲を眺めていると、ふとガチャリと屋上の扉が開き、二人の男子生徒と一人の女子生徒が入ってきた。

 半ば浮遊していた思考を引き戻し、入ってきた生徒の方へと意識を向ける。

 

 一人は先日会った平田洋介。もう一人は黒髪で、少々気難しそうな表情の女子。

 

(彼女が櫛田さんか? 少しイメージと違うな)

 

 護は同行者は二人までと指定していた訳だが、その内の一人はDクラス内部で発言力を持っている人物、櫛田という女子生徒が来るだろうと予想していた。

 他クラスにも評判が通っていると聞き、社交性の高そうな人物像を想像していただけに、少々意外に感じる。

 

 しかし護は彼女に対する感想もそこそこに、残る一人の男子生徒へと目を向けた。

 茶色い髪に、どこを見ているのか分からないようなどこがボーっとした瞳。一見すると覇気のない表情の男子生徒だが、護は彼を見て目を細めた。

 

(……強いな。そこらの術師より、よっぽど鍛えられてる)

 

 歩き方、佇まいを見ただけで分かる。

 重心の安定した芯の通った姿勢。自然体でありながらも不測の事態に対処できるよう、常に一定の警戒を備えた構え方。

 

 流石に詳細な実力までは測れないが、少なくとも体幹に関しては、下手な術師よりもよほど鍛えられているのが見て取れた。

 

(本当に一般人か?)

 

 護は試しと、彼の眼前に小さな結界を張ってみた。

 視覚効果のみ、術式効果も物理的干渉力もない、本当にただ見せかけだけのものを。

 結果、彼は全く見えていない様子で欠片も避ける素振りもなく素通りした。

 

(見えてもいないか。それはそれで不気味だな……)

 

 むしろ隠れた術師と言われた方が納得できただけに、護としてはかえって不気味さを感じてしまう。

 術師でもないのに、現代日本でどのような育ち方をすれば、このような常在戦場とでもいう心構えの学生が育つのか。

 

 そんなことを考えている内に、三人は護のすぐそばまで近づいてきていた。

 

「待たせちゃったかな?」

 

 かけられた声で、護は茶髪の男子に向けていた意識を平田へと切り替える。

 

「いや、そもそも呼び出したのは俺の方だから、先に来ておくのは当たり前だよ。

 そっちの二人は初めましてだね。1年Aクラス、五条護です」

 

 護の名乗りに対し、平田の僅か後ろにいた黒髪の女子が、前に出て名乗りを返す。

 

「Dクラス、堀北鈴音よ」

 

(櫛田さんって娘じゃなかったのか)

 

 護は自分の予想が外れていたことを少々意外に思いながら、堀北という女子を失礼にならない程度に観察する。

 腕を組み、背筋を伸ばした凛とした姿勢。睨みつけるかのようにこちらを見つめる瞳。

 

(随分と、気位の高そうな娘だな)

 

 こちらを睨みつける瞳の奥には、敵愾心が見え隠れしている。おそらくは人との関りそのものが嫌いなのだろう。相手との間に壁を作ろうとするその態度は、まるで周囲を威嚇しているかのようにも見えた。

 

 堀北に対する観察を済ませると、護は残り一人の男子に視線を送る。

 しかし、その男子は少し離れた位置で護のことを見つめたまま、口を開こうとしなかった。

 

「綾小路君?」

 

 平田から名前を呼ばれ、ようやく我に返ったかのようにその男子は口を開いた。

 

「ああ、悪いボーっとしてた。Dクラスの綾小路清隆だ」

 

 何でもない風に答えた綾小路だが、しかし護はその反応から察した。

 

(警戒されてるな)

 

 平田と堀北、二人よりも僅かに後ろに下がった位置取り。俯瞰するかのように護を観察する視線。

 呪力こそないはずだが、彼も護に対して同様に、何かしら感じるものがあったのかもしれない。

 そんな風に分析していると、平田から声を掛けられた。

 

「それで早速なんだけど、手紙に書いてあった件について詳しく聞いてもいいかな?」

 

 他二人は黙ったまま、護の様子を観察している。どうやら会話の進行は平田に任せるらしい。

 進行役の平田、ブレインの堀北、非常時の護衛として綾小路。

 護はこの三人の役割を、このように推測した。

 

 元々この呼び出しの目的はDクラスの主要人物を見極めるため。護はなかなか面白いメンツが揃ったなと思いながら口を開いた。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 綾小路清隆が五条護を見て最初に思ったことは、相手に対する感想ではなく、自らに対する困惑であった。

 背筋に走る寒気、自然と浅くなった呼吸、やけにうるさく聞こえる動悸。

 それら自らに起こった症状を客観的に判断し、自分が緊張していることに初めて気が付いた。

 

(なんだ、こいつは……)

 

 綾小路は、幼少期よりホワイトルームという環境で、英才教育と言うのも生ぬるい過酷な教育を受けていた経験を持つ。

 そこで学んだのは何も純粋な学力だけではない。暴力を磨くこともまた、カリキュラムの一環であった。戦闘のプロとでもいうべき、自分より格上の相手との訓練。

 その経験があるが故に分かった。

 

(少なくとも、暴力では勝てない)

 

 そう思いながら、しかし問題はそこではないと、内心で頭を振る。

 相手が強い。そんなことで揺れるような心を綾小路は持ち合わせていない。

 ならば今自分が感じていることは何なのか。はっきり言って、綾小路には原因がまるで分からなかった。

 

 監視カメラがある。自分以外の人もいる。人格面でも、すぐに暴力に訴える相手ではないと見て取れる。

 だが、そんな理屈を幾ら列挙しても、綾小路には今の状況がまるで薄氷の上に立たされているかのような、心許ないものに感じられた。

 あり得る訳が無い。そう思いながらも、次の瞬間には自分の首が飛んでいるかもしれない。そんな不可思議な感覚。

 

(興味深いな)

 

 しかし、綾小路はそんな動揺を表に出すことはなく、むしろこの感覚を一つの経験として蓄積するべく、淡々と五条護という存在に対し観察するような視線を送った。

 

 そして、平田からの問いかけに応じて口を開く護。

 

「そうだね。この時期にあまり時間を貰うのも悪いし、さっさと終わらせようか。

 まず前提として、手紙にも書いていたことだけど、次の中間テストには明確な攻略法が存在する」

 

 そこまでは手紙にも書かれていた内容。しかし改めて断言されたことで、平田と堀北の表情が硬くなる。

 

「……にわかには信じがたいね。学校側が用意するテストに、真面目に勉強する以外の抜け道があるなんて」

 

 平田はそう言っているが、綾小路としては別段意外な事でもなかった。

 以前に担任の茶柱がテストに関する説明を行っていた時のこと、彼女の口ぶりは確実に乗り越える方法があると確信しているような口調であった。

 この得体の知れない人物であれば自分と同じ考えに行き着いてもおかしくはないと、綾小路は自然とそう思えた。

 

「そう思うのは当然だけど、まずはこれを見てほしい」

 

 そう言いながら、護は鞄からA4サイズの茶封筒を取り出した。

 

「この中には、次の中間テストになるだろう問題と、解答が入ってる」

 

 言われた言葉に理解が追いつかないのか、呆けたような視線を送る二人。

 

「えっと……冗談、だよね?」

 

「いや、本当だよ。物的証拠がある訳じゃないから100%の断言はできないけど、俺自身はまず間違いなく、この封筒の中の問題が出されると思ってる」

 

 そう語る護の表情には薄い笑みが浮かんでいるが、それは得意気な表情というよりは、こちらの警戒を解こうとするかのような柔らかいもの。

 

「そんなの、一体どうやって……」

 

 動揺を隠せない様子の平田。その情報の真偽、相手の思惑に対する疑問。複数の疑念が渦巻き上手く言葉となっていない様子だ。

 その様子を見て、堀北が口を開く。

 

「平田君、少し代わってもらえるかしら」

 

 これは、あらかじめここに来る前に相談して決めていたことだった。基本的な会話進行は平田に任せるが、途中交渉が始まった時は堀北に会話の主導権を任せると。

 タイミングとしては少し早いが、平田の動揺した様子を見て、早めに代わった方がいいと判断したのだろう。

 平田も堀北の方を見て、静かに頷いてから軽く下がった。

 

「彼の代わりに質問させてもらうわ。仮にその言葉が本当だとして、あなたはどうしてそんな物を持っているのかしら?

 まさか職員室から盗み出した、なんていう訳じゃないでしょう?」

 

 挑発的にも見える堀北の問いかけ。ある意味いつも通りの態度ではあるのだが、護を警戒する綾小路としては、彼女が何かしらの逆鱗に触れるのではないかと、内心ひやりとさせられた。

 

「勿論違う。これは別に違法な手段で手に入れた物じゃない。

 回りくどいのもなんだから単刀直入に言おうか。この学校じゃ1学年1学期の中間テストでは毎年同じ問題が出されている」

 

 その言葉に、堀北と平田の二人は言葉を失った様子で、驚きに目を見開いた。

 

(やっぱりか)

 

 一方で、綾小路は自らが考えていた可能性の一つが正しかったことに、ただ一人納得する。

 もっとも、予想が当たってはいたものの、疑問が無いわけでもなかった。

 

(だが、どうしてこんな序盤に明かした?)

 

 交渉の一点で考えるなら、これは後の方まで取っておくべき情報の筈だ。

 この時点でDクラスは次のテストの攻略法を知ることができ、ここに来た大体の目的は達成したと言ってもいい。

 疑問を抱きながら、綾小路は大人しく続く言葉に耳を傾ける。 

 

「先に言っておくと、俺がこの情報を知ったのはほとんど偶然のようなものだ。

 情報の裏付けが欲しいのであれば、後で適当な先輩でも捕まえて聞いてみるといい。

 先輩方も素直に話してはくれないだろうけど、会話の反応を見れば事実確認はできるはずだ」

 

 偶然と言っているが、それが本当かは怪しいものだと、綾小路は思った。

 この学校の情報秘匿は徹底している。こんな環境下で一人の学生が偶然秘密を知るようなミスを、学校側がするとも考えにくい。

 

「……あなたがその情報を知った経緯とか色々と疑問はあるけれど、まずはそれが事実だという前提で話を進めさせてもらうわ。

 その封筒の中身は、つまり中間テストの過去問ね。あなたの目的は、それを私達で買い取らないか、というところかしら?」

 

 堀北は現状すぐには事実確認ができないと割り切り、その上で話を進めることにしたらしい。

 実際、護が嘘をついている可能性は低い。彼本人がそう言っているように、事実確認など後からどうとでもできる。

 

「話が早くて助かるよ。多分君達としては、これが罠かもしれないと考えているのだろうけど、現状Aクラスが君達に妨害を仕掛けるメリットが無いことは分かるだろう?

 むしろこの情報だけで、君達は大きなアドバンテージを得た」

 

 先ほどから、護はこちらの立場を考えた上で、抱くだろう疑問に先んじて答えてくる。

 会話の主導権を握られている。このような状況は、堀北としてはかなりやりにくいだろう。

 

 今言われたこともまた事実だ。現状のDクラスの状況を考えるならば、放っておいても自滅する可能性の方が高い。

 Aクラスとしては、余計な茶々を入れるメリットはほとんどない。

 堀北もそれは理解しているのか、悔し気に睨みながら質問を投げかけた。

 

「……ちなみに、あなたはそれを幾らで売りつけるつもりなのかしら?」

 

「20万ポイント」

 

 質問に対し、淀みなく告げられたその数字に対し、堀北は眉を吊り上げた。

 

「随分と、吹っ掛けてくれるわね」

 

「五条君、流石にその金額は……」

 

 平田もまた、法外な金額だと思ったのか、唖然としたように呟いた。

 

(さすがに金額の擦り合わせを行うにしても、吹っ掛けすぎだ)

 

 実際綾小路も、無茶な金額という点に関しては同意だった。現在ここにいる三人の所持金を合わせても届くかどうかという金額。

 

「そうかな? むしろこれくらいの価値はあると思っているよ。

 1クラス40人。一人当たり5千ポイント。1教科で換算するなら千ポイントだ。クラス全員から徴収できれば、払えない額じゃない」

 

 そういう言われ方をしてしまえば、確かにそこまで無茶な金額でもないと感じてしまう。

 しかし、実際に払えるかどうかは別の話だ。

 

「それに、この辺りは俺の想像だけど、もしも今回のテストで退学者が出るようなら、得られるクラスポイントは0になると思った方がいい。

 そういう取りこぼしを防ぐ意味でも、価値はあると思うけど?」

 

 その言葉に平田の表情は絶対に無理だというものから、悩むようなものへと変わる。

 クラスの和を重んじる彼にとっては、退学者という言葉を出されるのは弱い。

 一方で、堀北はそんな言葉に負けじと強気に言い返した。

 

「お生憎様。こちらはあなたが思っているほど追い詰められてはいないの。

 今のDクラスなら、普通に受けたとしても退学者が出る可能性は低いわ。むしろかなりの高得点すら期待しているくらいね」

 

 これはほとんどハッタリだが、退学者云々に関しては半分くらいは本心でもあった。

 今の勉強会は安定している。このまま真面目に続けたなら、全員の赤点回避も不可能ではないと信じられる。

 

「随分と余裕なようだけど、退学者はともかく高得点は流石にハッタリが過ぎるね。

 先週テスト範囲が変更されたばかりなのに、今からそこまでの点数を狙うのは難しいでしょ」

 

 しかしそんな期待は、返された護の言葉によって簡単に打ち砕かれた。

 

「テスト範囲が変更……?」

 

 一瞬、何を言われたのか分からないという様子で唖然と呟く堀北。

 ハッタリをかましておきながら、その態度は明らかな失態。しかし、それも仕方が無いと思えるほどに、今もたらされた情報は衝撃的なものだった。

 

「……もしかして、知らなかったの?

 先週の金曜日、テスト範囲が全教科大幅に変わったって」

 

 堀北の反応が意外だったのか、呆気にとられた様子で放たれる護の言葉。

 その口振りがかえって真実味を持たせており、嘘を言っているのではないことが見て取れた。

 

「待って五条君。それって本当なの?」

 

 疑っているというよりは、冗談であってくれと願うような平田の問いかけ。

 

「信じられないなら、後で先生や他のクラスの生徒に確認してみるといいよ」

 

 護の言う通り、こんなことは後から確認すればすぐに分かる話。今ここで嘘を吐く理由はない。

 今の学習ペースでもギリギリであった以上、もはや過去問が無ければ赤点の回避はほぼ不可能だろう。

 堀北もそれが理解できたからか、口元に手を当てて深刻な表情を浮かべた。

 

 そうしてしばらくしてから、ようやく口を開く堀北。

 

「……別に私たちは、あなたから買う必要もないわ。過去問の存在が本当なら、他の上級生に交渉する方法もあるもの」

 

 その言葉を聞き、平田はハッとした様子で堀北を見た。

 堀北の言葉は正しい、上級生に交渉すればもっと安い値段で手に入る可能性はあるし、そもそも他クラスの生徒が用意した過去問よりは、自分達で調達した方が何の細工も無いと信用できる。

 

 そして、予めその思考に至っていたからこそ、綾小路としては最初に護が過去問の存在を明かしたことが疑問であった。

 

「たしかにね。他の先輩に頼めば、多分2、3万くらいで譲ってくれる人もいるんじゃないかな」

 

 あまりにもあっさりと自らの言葉を肯定されたことに、堀北の表情に疑念が浮かぶ。

 

「それがわかっていながら、よくそんな金額を提示したわね」

 

「そりゃ、過去問だけの値段じゃないからね」

 

「どういう意味かしら?」

 

「簡単な話、口止め料だよ。実のところ、俺はこの過去問の存在について他のクラスはおろか、自分のクラスにも言っていない。

 もしも君達がこれを買い取ってくれるなら、俺はこのまま中間テストまで、誰にも明かさず秘密にしよう」

 

 言われた言葉の意味を理解したのか、堀北の瞳が見開かれる。

 この条件が守られるなら、過去問の存在は単なる赤点回避手段ではなく、他のクラスに対して有利を取れる武器へと変わる。

 Aクラスを目指す堀北からすれば、無視できない条件だ。

 

「……随分と余裕ね。自分のクラスにも明かさないなんて。それとも他のクラスなんて眼中にないのかしら?」

 

 嘗められているとでも思ったのか、険の籠った視線で睨む堀北。

 そんな視線をどこ吹く風で受け流し、護は落ち着いた声で言葉を続ける。

 

「不快に思ったのなら申し訳ない。こんなことを言うと不真面目に思うかもしれないけど、俺自身はクラス間の争いにあまり興味が無いんだ。

 だからこうして、利益が見込めるなら他のクラスと取引するのもありだと思ってる」

 

 やはりと言うべきか、五条護という男はクラスの利益よりも自己の利益を優先してこの場に立っているらしい。

 手紙を受け取った時点である程度予想していただけに、堀北も平田も特に意外には思わなかったようだ。

 しかし綾小路だけはそのことに対して、僅かな違和感を感じた。

 

(本当に、ポイントだけが目的か?)

 

 明確な根拠はない。ただ漠然とした感覚。相手の態度を見ていると、なんとなく他に目的があるようなそんな気がした。

 

 しばらくして、条件を吟味していた堀北がようやく口を開いた。

 

「……駄目ね。信用材料が足りないわ。今ここで口約束をしたところで、あなたがそれを遵守したかどうかは確認できないもの。

 もっと言うなら、他のクラスが自力で過去問の存在に辿り着いたのなら、それこそ20万は払い損よ」

 

 堀北の言うことはもっともな話だった。

 テストの結果からでは、過去問を使用したかどうかというのは判断できない。彼女にとって最悪なのは、それだけのポイントを支払ってなお、他のクラスとの差が縮まらない場合だろう。

 

 しかし、相手もそのような返事が来ることは予想していたのだろう。動じた様子もなく淡々とした様子で口を開いた。

 

「それじゃあ、もう一つ条件を加えようか。もしも次のテスト、Dクラスが1位になれなかったのなら、今回の取引で得たポイントは全額返済しよう」

 

 堀北は驚きに目を見開きながら、しかしすぐに疑いの表情を浮かべた。

 

「……どういうつもり?」

 

 この申し出は、Dクラスとしては破格の条件だ。

 そもそも過去問があったとしても、現在のDクラスの学力ではトップを取れる保証はない。

 実質、無料で試験を乗り切れる可能性の方が高いと言える。

 

「公平性を重視した結果だよ。

 この過去問は、いうなれば次のテストでトップを取るための切符のようなものだ。ならその価値が果たされなかったのなら、払ったポイントを返すのも当然な話だろ?」

 

 その態度を見て、綾小路の中で先ほどまで抱いていた違和感が一つの明確な形となった。

 

(こいつ、利益なんてどうでもいいのか)

 

 それは、自身もまた同じような視線を向けていたからこそ気付けたこと。

 ただ、観察すること。それだけが相手の目的なのだと、綾小路は確信した。

 

(これは、堀北じゃ敵わないな)

 

 そもそも勝ち負けの問題にすらなっていない。

 今回の交渉、向こうにとってはどちらでもいいのだ。条件を飲もうが飲むまいが。

 ただ撒いた餌を食べるかどうか、それだけを見ている。

 

 相手を出し抜こうとか、出し抜かれまいとか、そんな思考はするだけ無駄というもの。

 この取引は公平だ。普通に受ければこちらが損をしない様に設定されている。

 

 故に、綾小路にはこの先の展開も容易に想像できた。

 

「信用できないわね。もう一度言うけれど、こんなのは口約束よ。

 今ここで支払ったとして、そんな約束はなかったと後から言われればどうしようもないわ」

 

 疑い深い堀北であれば当然そう言う。

 そして相手もまた、そのような意見が来ることは予想して、解決策は考えているだろう。

 

「疑うのは当然だろうね。だからこんなものも用意しておいた」

 

 言いながら、護はポケットから一つの機械を取り出した。

 

「それは?」

 

「ボイスレコーダー。この中には今の一連の会話の内容が入ってる。

 もしも取引を受けるなら、このデータを信用の証としてそちらに渡そう。

 その代わり、もし取引内容が守られたにも関わらずそのデータが出回った場合、罰金としてその後半年間、獲得したポイントを支払ってもらう。

 こちらは書面を用意したので、同意してもらえるならサインをしてほしい。その上で俺が所有する」

 

 つまり、Dクラスは音声データを。五条護はその音声データが悪用された際の抑止力として契約書を、それぞれ保有するということ。

 

「回りくどいわね。普通に書面だけでもいいと思うのだけど」

 

「それも考えたけど、仮に書面にこう記したとしよう。

『この契約書が明るみに出た時Dクラスは五条護に罰金を支払う』

 その場合、そちらとしては俺が罰金を得る目当てにわざと契約書をばらまく危険性も考えなきゃいけないだろ?」

 

 これは音声データに関しても言えること。

 事が露見した際、一方が賠償を受け取るという条件下では、賠償を受け取る側が意図的にばらす可能性も生じ得る。

 

 その際、互いに同一の証拠媒体しか存在しない場合、情報の漏洩経路を絞り切れず、実際にどちらが原因か分からないということになりかねない。

 

 どこまでも公平性を重視した条件だ。相手が抱くだろう疑念をしらみつぶしに消しにかかっている。

 疑い深いはずの堀北も、徹底した対応に呆れた様子を見せながら、表情からは警戒心が薄まっていた。

 

「……少し三人で相談する時間を頂戴」

 

「構わないよ」

 

 堀北の要望に対し、あっさりと頷く護。

 そうして堀北は、綾小路と平田を伴って少し離れた位置へと移動した。

 

 

 

「随分と厄介な相手ね。ある意味誠実なようにも見えるけど、掴みどころが無くて不気味だわ」

 

「はは……」

 

 堀北からの護に対する評価を聞き、平田はから笑いを浮かべた。

 

「さっきの取引、あなた達はどう思う?」

 

 堀北からの問いかけに、考える素振りを見せながら平田がゆっくりと口を開く。

 

「……僕としては悪くない話だと思う。金額は高いけどクラスの皆に事情を話せば集められない額でもない」

 

 しかし、平田の意見に堀北は即座に反論する。

 

「他の生徒に話すのは駄目よ。彼らに秘密が守れるとも思わない。話せば他のクラスにも広まりかねないわ」

 

「え、けどそれだと、過去問を貰っても意味が無いんじゃ」

 

「いえ、意味はあるわ。仮に過去問が本物なら、かなり勉強内容が絞り込める。

 本番の2、3日前に渡すようにすれば、秘密が漏れる心配も少なく済むし、かなりの高得点が見込めるはずよ」

 

「……その口振りからするに、堀北もさっきの取引には賛成なのか?」

 

 綾小路の問いかけに対し、堀北は難しそうな顔をしながらも頷いた。

 

「……ここまで段取りを整えられた以上、信憑性は高いと思ってるわ。

 それに、今後クラスポイントを得られる機会がどれだけあるかもわからない。他クラスとの差は1ポイントでも詰められる時に詰めるべきよ」

 

 現状なら、あえて1位を狙わずに支払ったポイントが返されることを狙う手もあるが、負けず嫌いの堀北としてはそれでも1位を狙うらしい。

 

「たしかにそうだね。そうなると問題はポイントだけど」

 

「私達で払うしかないわ。ちなみに綾小路君、あなた先月2万くらい使ったと言ってたわね。つまり7万以上は残ってるのね?」

 

「当たり前のように俺の財布をあてにするな」

 

「赤点組を拾い上げるように言ったのはあなたよ。つまりあなたには協力する義務がある。この件に関して、あなたの財布は共有資産ということよ」

 

「ひどい暴論だ……」

 

 そのやり取りを見て、平田が苦笑しながら声をかけた。

 

「ははは……仲良いね二人とも」

 

「本気でそう見えるなら、眼科に行くべきね」

 

 この点に関しては、綾小路も堀北に同意するところである。

 今のやり取りのどこに微笑ましさを感じたのかと。

 

「けど、実際僕たちのポイントを集めても足りないよ。

 やっぱり値下げ交渉をするか、そうでなければテストの後の支払いにしてもらうしか」

 

「わかってるわ。そうね……仮に15万以下まで交渉できたなら、ここで払いましょう。

 後払いは最後の手段ね。了承してもらったとして、他の生徒を納得させるのは難しいわ」

 

 今いる三人で割り勘したとして、一人当たり5万。これが現在支払えるギリギリのラインだろう。

 

 今のDクラスの癖の強いメンバー。仮に来月ポイントが支給されるようになったとしても、事情を説明して大人しく払うとも思えない上、秘密を守れるとも思えない。

 少なからず不和が生じることが想像できたのか、平田もまた、堀北の意見に同意した。

 

「わかった。そうしよう」

 

 これで賛成票は2票。残る綾小路も多数決の原理に従い、粛々と頷いた。

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

「意見がまとまったわ」

 

 しばらくして、戻ってくるなり堀北は護へと向かって口を開いた。

 

「どうぞ」

 

 護としてはどちらに転んでも構わない交渉だ。

 特に気負うこともなく、堀北の答えを待つ。

 

「契約の内容に関しては構わないわ。ただポイントが高すぎる。

 知っているかもしれないけど、今のDクラスにこれだけのポイントを支払う資金力はないの」

 

(要は値下げ交渉か)

 

 護としても最初から20万という額が通るとも思っていないため、こういう話も想定内だ。

 

「なるほど、じゃあ幾らなら可能なのかな?」

 

「10万ポイント、これくらいなら、今の私達でもどうにか払えるわ」

 

「わかった。それでいいよ」

 

 いきなり半分の額の提示。その大幅な値下げに対し、しかし護はあっさりと了承した。

 おそらくは、堀北達としてもここから徐々に擦り合わせを行うつもりだったのだろう。予想外のことに対し、面食らった様子だ。

 

「……随分と、あっさり了承するのね」

 

「だって、これしか払えないんだろ? なら別に構わないさ。他のクラスに売ったとして一クラス辺り2、3万程度にしかならない。十分元は取れてる」

 

 護としては、これ以上の話し合いは正直不要だった。元々ポイントに拘ってもいない。

 これまでの交渉の流れから、十分に堀北と平田の人物像については把握できた。綾小路だけは結局よくわからないままだったが、何にしろこれ以上会話を続けたところで意味があるとも思えない。

 

 護は鞄から契約書を取り出すと、ペンと台紙、そして朱肉を堀北へ渡した。

 

「それじゃあこれにサインと、拇印を頼むよ」

 

 この契約書に関しては、先日の内に護が即席で作ったもの。

 しっかりとした形式の物ではないが、本人の拇印があれば証拠能力としては十分だ。

 

「ええ」

 

 そうして他二人も続けてサインしたのを確認すると、今度はボイスレコーダーを手渡し、中の音声データを確認してもらった上で、過去問の入った封筒を手渡した。

 そのまま端末を取り出しポイントの譲渡も行う。

 

「さて、これで取引は成立。一応返済することになった場合を考えて連絡先を交換したいんだけど、いいかな?」

 

「構わないわ。もっとも、心配しなくても次のテストで1位を取るのはDクラスだから、そんな機会は来ないでしょうけど」

 

 端末を操作しながら、近い距離で真っすぐに護の顔を睨み上げる堀北。

 本人にとっては宣戦布告にも似た気持ちなのだろうが、護としてはこういう風に真っすぐな敵意を向けられることも珍しいので、何とも微笑ましさを感じてしまう。

 

「そっか。俺としてもそっちの方がありがたいから、期待してるよ」

 

 嫌味ではなく割と本心からの言葉であったのだが、堀北はお気に召さなかったようで、一瞬ムスッとした顔を見せると、すぐさま背を向けた。

 

 そして続けて平田と連絡先を交換し、最後に綾小路と向き合う。

 

「結局、君とはあまり話す機会が無かったね」

 

「ああ、俺は二人ほど頭の回転は良くないんだ。口を挟んで邪魔をするのも悪いと思ってな」

 

 そう言う綾小路の表情からはいまいち感情が掴みとれない。本心から言っているのか、誤魔化しているのか。

 ただ一つだけ気になったことがあったため、そのことについて護はそっと指摘した。

 

「そんなに警戒しなくても、俺は理由なく暴力を振るったりしないよ」

 

 職業柄、恐怖や警戒に敏感である護には、綾小路の緊張がわかりやすく見て取れた。

 しかし綾小路は、ほんの一瞬、僅かに瞳を揺らしただけで、すぐさま惚けたような返答を返す。

 

「何のことだ? 別に警戒していたつもりはなかったんだが」

 

 欠片も動揺した素振りを見せないその姿に、護は内心で綾小路に対する評価を更に上げる。

 

(やっぱすごいな。身体能力だけじゃなく精神面もかなりのものだ)

 

 肉体と違って、精神というのは鍛えるのが難しい。呪術師のような特殊な存在と比較できるものでもないが、一般人としてはかなり逸脱していると言えるだろう。

 

「そう? 勘違いだったかな。変な事言ってすまないね」

 

 ともあれ、本人がしらばっくれるのであれば、無理に指摘することでもない。

 

「いや、気にしないでくれ。俺はどうも人付き合いが苦手な方だからな。

 警戒しているように見えたのなら多分そのせいだ。こっちこそすまない」

 

「そっか、まぁクラスは違うけど、こうして連絡先も交換したことだしよろしく頼むよ」

 

「ああ、よろしく」

 

 それだけ言って、距離を取る綾小路。

 ともあれ、これにて取引は終了である。

 どうやら三人は、このまま話し合うことがあるようなので、護は一足先に屋上から去ることにした。

 

「それじゃ、俺はもう行くから」

 

「あ、うん五条君、今日はありがとう。おかげで助かったよ」

 

 平田は去ろうとする護に対し律儀に礼を言い、綾小路も軽く手を挙げてくれたが、堀北は不愛想にそっぽを向いていた。

 

「どういたしまして」

 

 それだけ言って、護は屋上から立ち去った。

 

 出口へと向かう通路を歩きながら、護は先ほどまでの対談について思い返す。

 

(ある意味、一番警戒しておくべきは綾小路君か)

 

 平田も堀北も、Dクラスに振り分けられたにしてはかなり優秀な部類の人間だ。堀北が抱える問題に関しては、実際に接してみて大凡理解できた。要はコミュニケーション能力の不足。

 平田が抱える欠点に関してはまだわからないが、少なくとも顕在化してない以上、当面大きな問題にはならないだろう。

 

 問題は綾小路。身体能力、精神面共に普通の学生としてはかなり異質。

 場合によっては彼の意思一つで、Dクラスの行く末は良くも悪くも転がり得るかもしれないと、そんな不思議な雰囲気が感じられた。

 

(なんというか、微妙な結果だな……)

 

 一応最低限の目的、Dクラスの主要人物との顔つなぎは達成した。

 しかしながら実際に会ってみて感じたのは、今後のDクラスの先行きが何とも不安だという感想。

 優秀な人物が揃ってはいる。ただし同時に爆弾もあるという何とも安心できない結果だ。

 

 そんなことを考えている内に、昇降口へと到着した。

 ともあれ、不安は尽きないが悩んでも仕方が無いと、思考を切り替えながら下駄箱へ近づく。すると、ふと横から声を掛けられた。

 

「ふむ、待っていたぞ」

 

「……なんでいるのさ」

 

 声のした方を向くと、そこには見慣れた長い銀髪の女性、鬼龍院楓花が腕を組んだまま、壁にもたれかかった状態で立っていた。

 

「いやなに、今日は以前に言っていた交渉の日だろう? 私としても少々興味があったのでな」

 

「それなら電話やメールでもいいでしょうよ」

 

「そう邪険にしてくれるな。共に下校し、共に道草を食うのも良き青春の1ページだ。

 偶には訓練以外でも、学生として親睦を深めようではないか」

 

「そういうのは他の友達とやんなよ」

 

「侮るなよ護。この学校で私に友人と呼べる相手などいない」

 

「それ誇らし気に言うことでもないよね?」

 

 護自身、この学校での友人はそれほど多くないし、そのことを気にしてもいないので、あまり人のことは言えないのだが、楓花の堂々たる様には少々呆れてしまう。

 

「まぁ聞きたまえ。私としても友人がいないことを気にしてはいないのだがな、学校帰りに誰かと道草を食うという行為には興味がある。

 後輩として、先輩に付き合うべきとは思わないか?」

 

「それじゃあ他に適当な後輩を捕まえてください、どうぞ」

 

 言いながら、さっさと歩を進めようとする護の服の裾を、楓花がガッチリと掴んだ。

 

「聞き捨てならんな。適当な相手を誘うほど、私は身持ちの軽い女ではないぞ」

 

「面識の浅い俺を部屋に呼んで、手繋いだりしてる時点で、説得力ないから」

 

「フッ、なにを言う。私の私室に入ったのも、手を握り合った男もお前が初めてだ」

 

「楓花さんの距離感が、マジでわからないんだが。

 というか手離してくんない? またこのパターン?」

 

 前回は手だったが今回は制服の裾である。皴になる可能性も考えると、護としては割と本気で勘弁してほしかった。

 

「距離感がわからぬのであれば、やはり親睦を深めんとな。

 何、後輩に支払わせるつもりはない。カラオケだろうとボーリングだろうと、支払いは私がもとう」

 

「わかったから、少しだけなら付き合うから。とりあえず手を離せ。服が皴になるし、こんなところ誰かに見られたら、面倒くさいことに……」

 

 カラン

 

 言葉の途中でふと、昇降口近くの階段から高い金属音が響いてきた。

 気になってそちらの方を振り向いてみると、そこには見知った二人の女子生徒の姿。

 

 一人は紫色の髪を片側でくくった女子、神室真澄が目を丸くした状態で。

 そしてもう一人、ある意味この学校で最も長い時間付き合いのある銀髪の少女、坂柳有栖が、トレードマークともいえる杖を足元に落とした状態で、こちらを見ていた。

 

「あ」

 

 らしくもなく、呆けたような声を出してしまう護。

 興味深げにその様子を眺めて、楓花は頷き呟いた。

 

「ふむ、これが修羅場か」

 

「あんた少し黙れ」

 

 

 

 

 

 

 




Q.綾小路君って呪力感じてんの?
A.感じてません。偏った人生経験で培った生存本能が、警鐘を鳴らしました。
  神回避おじさんの場合と近いけど、呪力はない。その差分を戦闘経験が埋めました。


Q.綾小路君の護君に対する印象は?
A.犬用の鎖に繋がった恐竜。大人しく繋がってくれてはいるけど、本人の意思次第で食われそう。


Q.綾小路君の身体能力、呪術師と比べてどんなもん?
A.個人的には非近接系の2級術師、呪力無しの素の身体能力とどっこいくらいと予想。
  ガチ近接系や1級術師になると、素の身体能力でもオリンピック選手超えてそうだから、流石に無理。



 さて、交渉という修羅場が終わって、すぐに新たな修羅場を出した阿保な作者がここにいます。

 おとなしく次で、そして中間テストが終わった。みたいに書けばいいものを、途中でこの幕の引き方を思いついて、ついやってしまいました。

 ぶっちゃけ、坂柳さんと鬼龍院さんのやり取りに関しては、どういう展開に持っていくか全く考えてなかったりします。
 



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