よう実×呪術廻戦   作:青春 零

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30話 出張任務

 

 らしくないことをしている。調理を進めながら、有栖は自嘲するようにそう思った。

 お弁当を作る。神室の提案に乗ったのは、ほんの気軽な気持ちだった。

 それが適当な思い付きで提案されたことは理解していたし、有栖自身もそれで護との関係に変化が有るなどと、期待してはいない。

 

 おそらく護は、現状自分のことを計算高く腹黒い女とでも思っているのだろうと、そのことは有栖自身も自覚していた。

 だからこそ、このようにシンプルに好意を示すような行動をとることでその印象を僅かにでも傾けられれば、その程度の安易な気持ちだった。

 

 誤算だったのは、思いのほか弁当制作に苦戦したこと。

 はっきり言って、有栖は料理というものを嘗めていた。

 

 有栖は自分が器用な方であると自負していたし、多少の手間は掛かるだろうがそれなりに出来の良いものが作れると思っていたのだ。

 しかし実際にやってみると、一つ一つの作業工程が中々イメージ通りに進まない。

 気軽な気持ちで始めたことだが、途中からはついついムキになってしまった。

 

 だが、そうして苦戦するほどに、同時に思ってしまうことがあった。

 

(護君はどんな顔をするでしょうか)

 

 普段から動じることのない護のこと。あるいは軽く流される可能性の方が高いが、それでも実際に渡すときのことを考えると、なんだか胸が躍った。

 まるで悪戯を企む子供のような、そんな無邪気な好奇心。

 

 出来上がった料理を弁当箱に詰めながら、有栖はそっと笑みを零した。

 

 そんな折、テーブルの上に置かれたケータイからメールの受信を知らせる着信音が響く。

 時刻はまだ早朝。こんな時間に誰からかと思いながら箸を置き、ケータイを手に取った。

 

「護君ですか」

 

 差出人の欄に丁度考えていた当人の名前を見て、何とも奇妙な偶然を感じてクスリと笑う有栖であったが、そこに書かれた文面に目を通すと、即座にその笑みは消え去った。

 

『体調を崩したので今日は学校を休む。申し訳ないけど今日は一緒に登校できないから、誰か他の人を誘ってほしい』

 

「え……」

 

 唖然と、無意識の内に呟きが漏れた。

 まるでその内容を理解するのを拒むかのように、思考に空白が生じる。

 

 しかしそれも一瞬のこと。すぐさま有栖は冷静さを取り戻し、書かれた文面を吟味し始めた。

 

(体調不良、土曜日から連絡がつかなったのも、具合が悪かったとするなら不自然ではありませんが……)

 

 直感的に有栖はそれを嘘だと感じた。

 わざわざ登校に他の人を誘ってと記してる辺り、有栖に対する配慮が見える。それほどに律儀な護のこと。こちらからの着信に対し、何の連絡も返さなかったのは少々不自然に思えた。

 

(それが無かったということは、連絡できなかった……もしくは急に休む必要ができた?)

 

 勿論、体調が悪くて連絡する余裕がなかった可能性も十分にあり得る。

 しかしここで思い出されるのは、入学初日に護が真嶋に対して行った質問。

 

 欠席に必要となるポイントがいくらか。

 

 まるで、それが必要となることを見越していたかのような質問。

 今回の件はおそらくそれに関係していると、明確な根拠はないがそう思った。

 

「……いずれにしても、このまま終わらせる気はありませんよ。護君」

 

 出来上がった目の前のお弁当を見つめながら、有栖は口角を吊り上げた。

 その笑みは先程と同じく悪戯を企む子供のようではあったが、無邪気な微笑ましさは感じられなかった。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

「ッ……」

 

 学生寮の自室にて、ザワリと一瞬、護の背筋に妙な悪寒が走った。

 殺気とか呪いの気配などではなく、虫の知らせとでもいうような、もっと漠然とした奇妙な感覚。

 

「……っと、そんなことよりさっさと戻らないと」

 

 その理由を探すかのように、キョロキョロと周囲を見やる護であったが、すぐにそんなことを気にしている場合ではないと思い直した。

 即座に意識を切り替えると、印を組みながら呟く。

 

「開門」

 

 そして現れる真っ白な壁。そこを通り抜け『部屋』へと入った護は、そこから更に文言を唱え、別の場所へと続く扉を開く。

 そうして出た先は、()()()()()()()()()、とある高層ビルの屋上であった。そしてそこには、一匹のパンダの姿。

 

「お、早かったな」

 

 出てきた護の存在に気づき、振り返りながらパンダが口を開いた。

 

「メールを送ってきただけだしね。

 はいこれ、ついでに夜食も持ってきた……っていうか朝食かな? まぁ、どっちでもいいけど」

 

 返事を返しながら、手に持った買い物袋をパンダへと放り投げる。

 中には菓子パンと紙パックのミルクが入っていた。

 

「サンキュ。ま、俺は飯食わなくたっていいんだけどな」

 

「パンダ君が平気でも、俺は腹減るの。一人だけ食事するのも、なんだか気が引けるんでね」

 

「律儀だよなぁ。マジで悟の弟とは思えん」

 

「……誉め言葉として受け取っておくよ」

 

 自分が誉められると同時に、兄をディスられて何とも微妙な気持ちになるが、実際否定もできないので前向きに解釈して軽く返事を返す。

 パンダの隣に腰を掛け、二人揃って菓子パンの袋を破りながら、それに口をつけた。

 

「しかしマジで便利だな、その術。()()()()から日本まで、五分とかからず移動できるんだものな」

 

「まぁね。そのせいでこうして無茶ぶりされて、あちこち飛ばされるわけだけど」

 

「ハハ、気軽に海外旅行ができると思えば、ある意味釣り合いは取れてるだろ」

 

「入国審査も通ってないんだから、観光なんてできる訳ないだろ。

 ここに来るまでだって、交通機関の一つも使えなかったんだぞ」

 

 笑うパンダに対し、うんざりしたように言葉を返す護。

 

 場所はエジプト。時刻は現地時間で夜の11時を過ぎたところ。

 

 何故二人がこのような場に居るのか、事の経緯は二日前、呪術高専にて顔合わせした時まで遡る。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

「ほらほらみんな~、食べてすぐに横になってると体に悪いよ~」

 

 祈本里香が一暴れした後、地面でノビる生徒三人の真ん中で、パンパンと手を叩きながら、呑気に声を掛ける担任教師の姿がそこにあった。

 それをけしかけた元凶として言えた義理ではないが、倒れる教え子に対してそれでいいのかと護は呆れてしまう。

 

 もっとも今気にするべきは、そんな兄よりも隣で青い顔をしている乙骨だろうと、護はそちらへと意識を向けた。

 

「悪かったね。話を聞いた限り大事にはならないと思ったんだけど、少しばかり軽率だった」

 

 別段、護としては遊び半分でけしかけたわけではなかった。この場においては兄の存在もある為、最悪の事態に発展することは無いと半ば確信があったし、祈本里香が暴れる姿を一度確認しておきたかったというのもある。

 

 しかしながらそんな事情、乙骨には関係のない話。

 乙骨にしてみれば、自分の力が学友を傷つけてしまったようなもの。そのことに対して配慮が足りていなかったと、護は素直に謝罪した。

 

 その謝罪に対し、乙骨は恐縮したように首を横に振る。

 

「……ううん。里香ちゃんを止められなかったのは、僕の責任だから」

 

 あくまで自分に責任があると語る乙骨。

 そのように委縮した態度を取られると、護としては余計に悪いことをした気分になってしまう。

 下手な慰めは逆効果になり得る。なんと声を掛けるべきかと悩む護であったが、次の瞬間、乙骨が後ろから蹴飛ばされた。

 

「ウジウジしてんな、タコ助」

 

「真希さん!」

 

 よろめきながら乙骨が振り返ると、そこにはいつの間に起き上がってきたのか真希の姿があった。

 ところどころに土埃が付いているものの、怪我はおろか疲労すら感じさせない様子を見て、乙骨は安堵の表情を浮かべる。

 

「いちいちこの程度のこと気にしてんじゃねーよ。私もこいつらもそんな軟じゃねーんだ。

 モヤシが一丁前に心配なんざしてんな」

 

 そう言いながら、乙骨に対して鋭い視線で睨みつける真希。

 そんな真希の後ろから、パンダと狗巻も遅れて歩いてきた。

 

「全く素直じゃないよなぁ。もっと普通に励ましてやれよ」

 

「しゃけ」

 

 やれやれと呆れたように首を振るパンダと、それに同意するように頷く狗巻。

 

「あぁ? 誰がいつ励ましたよ」

 

 パンダの態度に対し、真希は不機嫌そうに顔を顰めた。

 そんな1年生達のやり取りを眺めていると、ふと背後に立つ気配を感じ、護はそっと後ろに下がる。

 

「……皆、いい人達だね」

 

 四人のやり取りを眺めながら、護は背後に立った兄に対してだけ聞こえるように呟いた。

 

 真希はぶっきらぼうな態度ながら、なんだかんだと面倒見の良さが滲み出ている。

 狗巻も、言葉が少なく何を言っているのかはよく分からないが、本質的には明るく気遣いの出来る性格だというのが分かる。

 パンダは人外の身でありながら、言動はそこらの呪術師よりよほど陽気で人間味が感じられる。

 

 呪術師なんて身内であろうとどこかしら冷めた部分を抱えるものだが、この三人はそれにしては珍しく、仲間想いな部類に見える。

 

「でしょ、なんせ先生が良いからね~」

 

「自分で言うか」

 

 むしろ悪ノリの仕方が似ている点に関しては、悪影響を受けているとすら感じられるわけだが。

 そんな風にジトリとした目を向けると、兄は一転して笑みを潜めた。

 

「で、護の目から見て里香はどうだった?」

 

 珍しく真面目なトーンでの問いかけ。やはりと言うべきか、護が里香の力を見たくてあえて煽ったことは察しているらしい。

 護は、改めて乙骨たちに聞こえていないことを確認し、それに答える。

 

「……少なくとも俺には祓えない。呪力量が段違いすぎる。

 ちまちま削っても、先に俺の方がガス欠になるのがオチだろうね」

 

 もっとも、そんなことはわざわざ聞かなくても、兄であれば分かりきっていることだろう。

 今聞きたいのは祓除ができるかどうかではなく、もっと別の側面から見た話。

 

「けど、封印なら何とかできるとは思う。乙骨君に憑りついている以上、彼を俺の『部屋』に引き込めば、隔離すること自体は簡単だ」

 

 護の『部屋』。その価値はただ遠距離転移を可能とするだけの、中継点として使えるだけではない。

 術師本人にしか開くことのできない隔絶した空間。それが意味するところはつまり、何人も不可侵の封印装置として機能するということでもある。

 

 しかし、これに関しても問題が無いわけではない。

 

「ただ、あの空間は俺自身もまだ実態が掴めてないんだからさ、あんまりアテにされても困るよ?」

 

 その一つが術師本人である護も、あの空間の実態が完全に把握できていないこと。

 

 元々『部屋』の存在は護が意図して創ったものではなかった。術式の探求過程で偶発的に生じた現象を掘り下げた結果、習得したのが空間の構築術。

  

 それが具体的にどういう原理によって引き起こされた現象なのか、ある程度の推論は立てているものの、本質的な部分に関しては理解しきれていないのが実情である。

 

 自分でも把握していない脆弱性がある可能性。仮に自分の死後、その空間内に封印されたものがどうなるか分からない危険性。

 他にも理由はあるが、そんな不安要素を抱えている故に、護はこの部屋の封印装置としての側面を過信する気は無かった。

 

「わかってるよ。そういう意味でアテにしてるわけじゃないさ。

 ただ、憂太の秘匿死刑は一時凍結されてるに過ぎない。仮に暴走でもした場合、匿える場所は必要だからね」

 

 現状、一度死刑を言い渡された乙骨が今なお生存を許されているのは、祈本里香の危険度を上が把握しきれていないからだろう。まだ子供だからという理由で見逃す程、上層部は甘くない。

 

 乙骨を殺そうとした場合どれだけの被害が生じるのか。仮に殺せたとして祈本里香がそれで消えるのか。リスクを測りきれない現状、上層部は手を出すことが出来ない。

 

 もっとも、肝心の里香が暴走してしまえば、流石に犠牲を覚悟の上で動かざるを得なくなる。

 兄が警戒してるのはその一点だろう。

 

「ま、匿い方の心配をするより、さっさと力を使いこなせるようになるのが一番いいんだけどね。その辺りも、護の力を貸してもらうよ」

 

 言いながら、兄はパンパンと先程よりも勢いよく手を叩き、大きく声を張り上げた。

 

「みんなー、ちゅうもーっく!!」

 

 また何か揶揄いでもしたのか、真希に胸倉を掴まれるパンダと狗巻、そしてそれを宥めようとしていた乙骨の四人が、会話を止めて視線を送ってくる。

 

「食後の運動も済んだところで、これから楽しいクエスト攻略のお時間ですよ~」

 

 まるでこれからゲームでもしようかというような気軽なノリ。

 しかし、その言葉の意味を正しく捉えている一同は、僅かにその表情を引き締めた。

 

「まだ護の術式に関する説明も途中だったけど、こっから先は見てもらった方が早い。

 ってことだから護、やっちゃって」

 

「ん、じゃあ、開門」

 

 兄に指示されるまま、護は印を組み、文言を唱えた。

 そして現れる白い壁。

 

「とりあえず皆、ついてきてよ」

 

 言いながら、危険が無いことを示すように護は先陣を切って壁の中へと入った。

 別にこの程度のことで彼らが臆すると思ってはいないが、術師であれば得体の知れない現象に対して警戒を抱くのも当然のこと。それを配慮しての行動だ。

 

 そうして一足先に見慣れた白い空間へと入った護は、そのまま他の面々が入ってくるのを大人しく待つ。

 

 程なくして、真希を先頭に入ってくる一同。最後に兄が入室したのを確認し、護は入り口を閉じた。

 

「ここは……結界か? にしちゃなんか変な感じだな」

 

 周囲を探るように、スンスンと鼻を鳴らしながらパンダが呟く。

 

「結界とは少し違うかな。結界って言うのはあくまで既存の空間を隔離して構築するものだけど、ここは既存の世界の外に構築された空間。しいて言うなら、異世界っていう表現が一番近い」

 

「「異世界ぃ?」」

 

 異世界と言う単語に、真希とパンダ、そして声には出さなかったが狗巻の三人は胡散臭げな表情を浮かべた。

 それを見て、少し表現の仕方が悪かったかと護は頭を掻く。

 

「……あくまで近い表現をするならね。

 正直な事を言うと、この空間の実態は俺自身にも把握しきれていないところが多くてね。詳しい質問には答えられないんだ。

 とりあえず、俺だけが開ける異空間と覚えておいてくれればいいよ」

 

「異空間ね……どうもさっき聞いた術式の説明と、この能力はずれてるように思うんだが、一体どういう原理だ?」

 

 そう問いかけたのはパンダ。

 確かに、先程護は自らの術式を結界で空間を隔離して操作する術式と述べた。しかしそれだけの術式で、どうすれば異空間の構築なんてことが可能になるのか、それが疑問なのだろう。

 

 何気に、この1年生メンバーの中ではパンダが一番知恵が回るらしい。

 

「言ったろ? 俺自身も把握しきれてないって。

 これは俺が術式の訓練をしてる時、半ば偶然発生したものだからね。俺にも具体的な原理はわかってないんだ」

 

 これに関しては半分嘘。

 パンダの言う通り、この空間は先程説明した術式とは異なる理合によって構築されたものだ。

 これに関して具体的な原理を理解していないのは事実だが、簡単に創り方を説明する程度のことはできる。

 

 護の術式は既存の世界の一部を切り取り、空間を()()()ことでその内側を支配するもの。

 これはその逆。空間を()()、世界の外側に構築したのがこの『部屋』だ。

 

 もっとも、これに関しては知ったところで意味のない話。

 あえて小難しい話をする必要もないと、護は質問を煙に巻いた。

 

「……で、そんな訳の分かんない空間に招き入れて何の話だよ。

 ただ、密談に便利だからって訳でもねーんだろ?」

 

 次に問いを発したのは真希。

 少々短気なきらいがある彼女としては、術式の仕組みなど回りくどい話をされるよりも、この空間に招いた理由をさっさと説明してほしいのだろう。

 

 護としても勿体ぶるつもりは無いので、さっさと要点だけを先に述べることにした。

 

「そうだね。じゃあ手っ取り早く説明するけど、俺は呪力でマーキングさえしておけば、この空間から世界中のあらゆる場所に転移することが出来る」

 

「「は?」」

 

 その言葉があまりにも予想外であったのか、呆気にとられたような1年生一同。

 呪術に疎い乙骨ですらそれが規格外の事象であると分かるのか、驚いた様子だ。

 

 更に護は説明を続ける。

 

「さっきは空間転移ができると言ったけど、俺の転移能力はあくまで自分の呪力を感知できる範囲にしか転移ができない。

 けどこの部屋の中でなら、俺は世界中に配置した自分の呪力を感知し、そこに扉を開くことが出来るんだよ」

 

 そこで一旦説明を区切り皆の反応を窺うが、誰も何かを言う気配がない。

 少々説明を端折りすぎて、イメージしにくかっただろうかと思っていると、そこで兄が口を開いた。

 

「ま、分かりやすく言うと、悟空が界王星を経由して瞬間移動するようなもんだよ」

 

 確かにイメージとしてはあながち間違ってもいないが、何とも気の抜ける例えに護は呆れてしまう。

 

「だから、何で一々ジャンプ漫画で例えんのさ」

 

「え~、いいじゃんジャンプ。友情・努力・勝利を学ぶ、青少年のバイブルだよ?」

 

「勝利以外、学んでいないような人が何言ってんだ」

 

 そんな二人のやり取りと見て、ようやく真希が口を開いた。

 

「……兄が兄なら、弟も非常識だな」

 

「しゃけ」

 

「え、何で俺ディスられた?」

 

「僕と纏められることを、ディスると捉える護もどうかと思うんだけど」

 

 自己紹介の時は、兄と違って常識人と言ってくれた真希から一括りの扱いをされて、地味にショックを受けてしまう。

 

 しかしながら、それも仕方がないというもの。

 護自身に自覚は薄かったが、軽いノリで明かされた術式の詳細が、軽く常識をぶち壊すような規格外の代物であったのだから、非常識と言う点で兄と同類項で纏められるのも無理はない。

 

「……けど、それだけの術式範囲を確保するなら、相当の縛りを結ばなきゃ無理だろ。実際のとこ制限はないのか?」

 

 何気ないパンダの質問。しかしそれは純然な疑問と言うよりは、護に対して心配する気配が垣間見えた。

 

 本来なら自分の実力以上の術式範囲や、強い効力を得るためには何かしらの縛りを結ぶ必要がある。

 世界全土にわたる術式範囲、それを得ようとした場合どれだけ重い縛りになるのか分かったものではない。

 

 しかしながら、その心配は護に対しては杞憂である。

 心配いらないと示すように、護は軽い調子でその質問に答えた。

 

「特に縛りはないよ。そもそもこの転移に関して言えば、術式範囲を拡張するって考え方が少し間違ってる」

 

 護としても、この部屋に関して他人に明かすのは初めてのこと。どのように説明するのが分かりやすいかと、言葉を選びながら口を開いた。

 

「そうだな……例えば一枚の世界地図を思い浮かべてほしい。そこに二つの点を記したとして、その二点の距離が実際にどれだけ離れていようと、地図の上から見る分には関係ないだろ?

 言うなれば、この空間は地図の外なんだよ。だから単純に距離を延ばすために縛りを結ぶって考え方は当て嵌まらない」

 

 そもそもルールが違うのだ。

 術式とは術師各々が持つ法則であり、理である。

 

 既存のルールの中で埒外の能力を発揮しようと思ったら、そこに代償を支払うのは当然のこと。

 しかし護はその法則に違反しているわけではない。

 

 空間の転移も空間の構築も、最初から機能の一つとして組み込まれている要素に過ぎない。

 ルールに反しているわけではない以上、そこに代価など発生しようがない。

 

「……ノーリスクか。確かにこれは悟が隠すのも分かるな。

 こんな規格外の能力、上が知ったら何かしら首輪をつけようとするのは目に見えてる」

 

 察しの良いパンダに対し、兄が笑みを浮かべながら頷く。

 

「そゆこと。言うまでもないけど、この部屋の存在も誰にも言っちゃだめだよ。今この場に居るメンバー以外には知らないことだからね」

 

「まさみちにもか?」

 

「もち。別に信用してないわけじゃないけど、学長も立場的には上層部に近いじゃん?

 無駄に秘密を抱えさせて、生え際を後退させるのも忍びないからね~」

 

(そういう心配するなら、日頃からもっと気を遣ってやれよ)

 

 その発言に、大凡この場に居る全員が同じような思いを抱いた。

 そんな物言いたげな視線をどこ吹く風で受け流し、兄は言葉を続ける。

 

「さて、護の術式説明も終わったところで、本題に入ろうか。つっても、言わなくても分かるかな?」

 

「こいつの術式を使って、溜まってる任務を消化してこうって話だろ?」

 

 言いながら親指を護に向ける真希。

 わざわざこのような能力を明かしている以上、説明されずとも察しはつくというものだ。

 

「そ、護の術式を使えば距離の問題なんて関係ないからね。経験を積むにはもってこいって訳。

 もっとも、処理した任務を全部上に報告してたら流石に怪しまれるから、大した実績はつかないけど、それでもやる?」

 

 術師がこなした任務の数は、等級の査定や給料にも関わってくる。

 そういう意味では、護の術式を利用するという提案は効率が悪いと言える。辺境の任務を短いスパンで片づけていけば、流石に上層部も怪しみかねない。

 

 問いかけるその態度はどことなく挑発的で、それを感じ取った面々はムッとした表情で即座に返事を返した。

 

「「やる」」

 

「しゃけ」

 

 真希とパンダ、狗巻は即座に返事を返し、残る一人乙骨へと全員の視線が向けられる。

 実績という点を気にしているわけではないだろう。ただこの世界に入って間もない乙骨としては、不安を抱いてしまうのも無理はない。

 しかしその逡巡も一瞬のこと。

 

「やります!」

 

 そう言った乙骨の瞳からは、恐怖の念を宿しながらも、確かな意思の強さが感じられた。

 

「……そうこなくっちゃ」

 

 その返事を聞き、ニヤリと口角を吊り上げる兄。

 

「それじゃ、早速任務を分担してくよ~」

 

 一体どこに隠し持っていたのか、兄は薄いファイルを数冊取り出すと、それを各々に配っていく。

 

「とりあえず棘は一人で大丈夫として、真希は憂太と一緒ね。僕も付き添いはするけど、できるだけ手は出さないから。

 で、護はパンダとここに行ってきて」

 

 言いながら、何故か護とパンダにはファイルではなく一枚の新聞が渡された。

 その新聞に書かれた内容は全てが英字で書かれており、護は何となく用件を察しながらも兄へと問いかけた。

 

「……これは?」

 

「アメリカの方で出版されてる、オカルトニュースを纏めた新聞。

 とりあえずそのページ読んでみなよ」

 

 言われるままに護はその記事へと目を落とすと、横からパンダも覗き込んできた。

 

「なんて書いてあるんだ?」

 

 英語で書かれているため読めないのか、その内容を問いかけてくるパンダ。

 護はサラリと目を通しながら、簡単に要点だけを掻い摘んで説明した。

 

「……要約すると、エジプトのピラミッドで新しい区画が発見されたけど、その調査隊全員が、後日発狂して死亡したって内容」

 

 遺跡の調査隊が原因不明の死を遂げる。オカルト話としてはありきたりな部類だが、呪術師の視点としてはあまり馬鹿にもできない。

 

「……呪いか?」

 

 どことなく疑わし気に問いかけるパンダ。

 胡散臭いと思ってしまうのも無理はない。ただでさえ、この手の報道は話を盛っている場合が多い上に、そもそも海外における呪霊事件は、日本に比べて極端に少ない。

 

 人手不足で自国の呪いへの対処で手一杯なこともあり、日本の呪術師にとって、海外の呪霊事件は割と縁遠い話だ。

 

 もっとも、護にとっては実のところそれほど珍しい話でもないが。

 海外であれば高専の目が届くこともない。術式の関係上、移動が容易な護には海外であろうと関係が無く、海外の事件の方が経験を積むうえで都合が良かったりする。

 

 英字新聞を問題なく読み解けるのも、この辺りの事情で最低限の英会話能力が必要だったからである。

 

「……嘘だとしたら流石に盛りすぎだし、多分事実じゃないかな。

 調査隊だけじゃなく、出土品の鑑定に関わった人も同じように亡くなってるらしいし、何らかの呪物でも混ざってたのか……」

 

 パンダの質問に答えながら、更に細かい部分に目を通していく護。

 そこで、兄からも補足するように説明がなされた。

 

「その出土品が、近いうちに博物館に展示されるらしくてね。

 で、二人にはそれが公の場に出る前に確認して危険なようなら破壊、それができなきゃ回収してほしいって訳」

 

「……それって、重要文化財なんじゃ」

 

 傍らで聞いていた乙骨が、冷汗を滲ませながら呟いた。

 実際、呪物の回収とは言うが、やってることは密入国の上に博物館に不法侵入して、文化財をかっぱらってこいという話。まごうことなき犯罪である。

 

「気にしない、気にしない。どうせ放っておいたって、被害者が増えるだけなんだし。

 歴史的に貴重だからって、爆弾をそのまま保管するわけにもいかないでしょ?」

 

 ドン引きした様子の乙骨に対し、軽い調子を崩さない兄。

 その姿を見て護は倫理観の違いに悩む乙骨を少々不憫に思ったが、この辺りは時間をかけて慣れるしかない。

 呪術師をやっていれば、この手の法に触れるような仕事も割とざらにあることだ。

 

 実際、他の面々も特に気にしている様子はなかった。 

 

「お土産何がいい?」

 

「ラクダ」

 

「しゃけ」

 

 むしろ、このように海外旅行気分で話している始末である。

 というか、パンダは不法入国の上、その姿で買い物ができると思っているのだろうか。

 

 と、外見について考えたところで、護は思った。

 

「っていうか、何でパンダ君も一緒?」

 

「なんだ、護は俺と一緒は嫌か? まさか、レッサー派か?」

 

「いや、レッサーとかジャイアントとかどっちでもいいわ。

 博物館の侵入とか、別に人手がいるようなことでもないだろ?

 俺一人でも十分だと思うんだけど」

 

 パンダに対して軽く突っ込みを入れてから、兄へと視線を移して問いかける。

 

「ほら、護って呪力感知は鋭いけど、一般人の気配までは読み切れないじゃん。

 その点パンダなら鼻も利いて警備員の居場所とかも分かるし、潜入にはもってこいでしょ?」

 

「いや、目立つわ」

 

 もっともらしい説明をしているが、そのメリットを帳消しにして余りあるデメリットが存在している。

 幾ら警備員を察知できたところで、監視カメラだってあるのだ。その図体でどこに隠れるというのか。

 

 一応護の術式であれば自分以外の転移もできるし、少しばかり時間を掛ければ結界に視覚を誤魔化す効果も付与できる。

 しかしそれなら、そもそも最初から一人で潜入すればいい話。

 

 そんな風に考えていると、ポンと護の肩にパンダの手が置かれた。

 

「安心しろ。変装は得意だ」

 

「変装?」

 

 むしろ、常時仮装しているような見た目で何を言っているのかと、訝し気な視線を向ける。

 するとパンダは一体どこに収納していたのか、一枚の紙きれとペンを取り出し何かを書き出すと、それを胸の中心に貼った。

 

【MADE IN EGYPT】

 

「……うん、予想以上にしょうもなかった」

 

 どうせ下らないボケでもするんだろうとは思っていたが、予想以上にしょうもないオチに、護は白けた視線を送る。

 だが、むしろボケたのをスルーされた方が辛いのか、パンダは露骨に肩を落として、狗巻の方へと近づいていった。

 

「……これ、つまんなかったか?」

 

「こんぶ」

 

 狗巻の言葉に、更にガクリと膝をつくパンダ。

 護には狗巻が何を言ったのか理解はできなかったが、何か追い打ちをかけたのだけは分かった。

 そんなやり取りを横目に、護は改めて兄へと視線を戻す。

 

「で、本音は?」

 

「んー……まぁさっき言ったとおりだよ。

 ぶっちゃけ、護一人の方が効率いいってのは分かるんだけどさ、やっぱある程度は連携もとれるように、一緒に任務をこなしておくべきだって思うんだよね。

 今回に関しちゃ人目に付いたらまずいって点は他の誰でも同じだし、パンダの鼻が役に立つのも事実。

 その内、他の皆も同行させる機会は作るつもりだし、今回はパンダの番ってだけだよ」

 

 軽い口調だが、理由は思ったよりもまともだった。

 いつもノリでいい加減なことをする兄の事。今回も面白半分で組ませただけだろうと予想していただけに、護は少々意外に思った。

 

 ともあれ、そこにちゃんとした理由があるのなら、これ以上渋る理由はない。

 

「……わかったよ」

 

 頷く護に対し、満足げな笑みを浮かべる兄。

 

「そんじゃま、話も済んだことだし、皆で一気に任務を片づけてくよー」

 

 

 そうして護は、各々を各任務地に一番近いマーキングポイントへと送り届け、パンダと共にそのままエジプトへと跳んだわけだが、苦労するのはここからだった。

 

 護は世界各地にマーキング用の楔を配置してはいるが、流石に全世界、至る所に置いてあるわけではない。

 今回のエジプトの一件のように、オカルト方面で話題に上ることが多い地域には優先的に配置もしているが、それでも一つ一つの国がどれだけ広いのかという話。

 

 転移したポイントから、目的地となる博物館まで徒歩で移動を始めたのが、土曜日の昼過ぎ。現地時間における朝のこと。

 その後、一日かけて移動し、目的地に到着したのが現地時間における翌日の早朝。

 

 昼間から忍びこむ訳にもいかないので、博物館周辺をコッソリと探索しながら夜まで待ったわけだが、その頃には日本は日をまたいで既に月曜日。

 

 当然、護としては学校に通ってる余裕などあるはずがない。しかし、時差ボケもあり、学校のことを失念していた護がそれに気づいたのは、日本では夜が明けた頃であった。

 

 

 

 





 元々、主人公の転移範囲の広さをアピールするために、海外任務の話を入れることは決めていたのですが、少々展開が唐突だったかなと、悩んでしまったり。
 もし不自然に感じましたら申し訳ありません。


 ちなみに、『部屋』を創った術式に関して、本編でもう少し詳しい説明をしようかと思っていたのですが、あまりグダグダと事細かに語るのも不自然だと思い、割愛しました。

 ぶっちゃけこの辺り、それ程もったいぶるような重要な設定でもないですし、察しの良い方なら言い回しで既に気付かれたと思うので、ひょっとしたらその内後書きとかで説明するかもしれません。

 できれば本編の中で説明を出したいところではあるのですが、その機会も来ないような気がするので、この辺り少し様子見します。

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