呪物の破壊完了後、二人は念のため他の展示品にも危険な物が無いかを確認し、その後護の転移にてその場を後にした。
転移先は護の自宅マンション。到着するなり護は兄へと電話をかけ、任務に関する報告を行っていた。
「――そう。わかった」
ケータイの画面をタッチし、通話を終了する護。
会話が終了したのを見測らい、パンダが声を掛けた。
「悟はなんだって?」
「ご苦労様ってさ。あと狗巻君の方は少し遅くなるっぽいから、連絡が来たら迎えに行くようにって。
兄さん達は終わったら自分で帰るから、迎えはいいらしい」
「ふーん。じゃあ今日は俺一人か」
「パンダ君も今日は自由にしていいらしいよ。
もう帰りたいなら送ってくけど?」
当たり前だがパンダのような目立つ存在が一人で町中を歩けるはずがない。
通常であるならば監督官でも呼んで送迎してもらうところだが、今回の任務は内密のもの。そういう訳にもいかない。
「一人で学校居ても暇だしなぁ……どうせなら棘が終わるまで待って、一緒に帰るか」
「そ、じゃあ適当に時間潰しなよ。ゲームなり本なり、好きに使っていいから。
俺はちょっと風呂入ってくる」
先日の内から日中のエジプトを歩き回っていただけに、護もそれなりに汗をかいていた。
どんなに頑丈な肉体を持つ呪術師であっても、暑さに関してはどうしようもできない。
「あ、それとも先に入る? パンダ君も結構動き回ったし」
「俺、風呂嫌い」
「……パンダって水嫌いな生き物だっけ?」
確かにパンダは熊猫と書くが、果たして猫のように水を嫌う習性が有っただろうかと、首を傾げる。
「俺の場合、中が綿だから水を吸って重くなるんだよ。
けど俺は汗かかないし、毎日ファブだってしてる」
「ファブもそこまで万能じゃねぇよ」
とはいえ、確かに水浸しの状態のまま部屋で過ごされるわけにもいかない。
衛生面でどうかとは思うが、今すぐ強制するようなことでもないかと、護は呆れながらもそれ以上言わなかった。
「まぁいいや。とりあえず風呂行ってくる。終わったら、俺は自分の学校の寮へ行くから」
「ん、今から登校するのか?」
「いや、登校する訳じゃないけど一応仮病で休んだし、ひょっとしたら先生か他のクラスメイトが様子を見に来るかもしれないから。
どうせ待機するなら、向こうで待っていようと思って」
時計を見てみれば、今の時刻は9時半を過ぎたところ。今から支度をして学校に行けば3時限目には間に合いそうなものだが、いくら真面目な護でも流石に仕事が終わったばかりで登校する気にはなれない。
(それに、楓花さんから連絡が来てないかの確認もあるしな)
「それじゃあ結局俺一人になるのか……」
なにやらつまらなそうに呟くパンダ。
しかしふと、何か思いついたように声を上げたかと思うと、口元に手を当てて甘えるように首を傾げた。
「……どうせなら一緒に行っちゃダメか?」
もしも動物好きの女子供が見ていたならば、キャーキャーとはしゃぎそうな可愛らしい仕草。
もっとも、その中身を知る護にははミスマッチにしか思えず白けた視線を向けた。
しかし半ば呆れながらも、申し出自体は一応真面目に考慮してみる。
「パンダ君もねぇ……」
自分の寮室であれば監視カメラもないし、パンダを連れ込んでいてもバレる危険はない。
誰かが訪ねて来たとしても、どうせ入り口まで。
部屋の奥までは入ってくることはないだろうし、仮に室内に招くことになっても、その時は一時的に護の『部屋』に退避させればいい話。
「まぁ、部屋から出ないならいいか」
モロに校則違反ではあるが、そんなことは今更な話。
一応理事長との契約があるので、学校のシステムやカリキュラムなどの情報は、護も漏らさない様にはしているが、別に寮室に招くくらいで情報漏洩も何もありはしない。
そもそもこの契約自体、強制力など何一つとして無いのだ。理事長との雇用関係自体、純粋な損得勘定ではなく、護側の善意で形を成してるところが大きい。
仮に破ったとして、理事長が護を罰することなどできはしない。
それでも学校の情報を漏らさない様に配慮してるのは、単に護が律儀に約束を守る性格だからだ。
逆に言うなら情報秘匿の契約、その一点さえ守られるならば、それ以外の校則違反に関する判断基準は割と緩かった。
あくまで護が優先するのは、呪術師として、仕事として結んだ契約であるが故に。
「お、マジで?」
「言っとくけど、向こうの部屋はマジで何も無いから。
何回も行き来するのも億劫だし、気になる物が有ったら適当に纏めておきなよ」
基本的に、護は学外にある自宅マンションで過ごすことの方が多い。
不自然にならない程度の生活感を出すために、学生寮も偶に使ってはいるが、そこに置いてあるのは最低限の生活用品くらいだ。
暇潰しになるような娯楽品は置いていない。
「オッケー」
そうしてゲームやら映画やらを物色するパンダを横目に、護は風呂場へと向かった。
偶には仕事以外で交流を深めるのも悪くはない。
むしろ普段が別の学校に通っているだけに、こういう機会を逃してしまえば交流が薄くなってしまうというものだ。
しかし数時間後、護はこの時の判断を後悔することになる。
◆◇◆
2時間後、場所は変わって学生寮の護の部屋にて。
「なんか、さっきから俺がポケとかカービィ使う時ばっかアタリ強くない?」
「護、覚えておけ。マスコットの座を掴むには、相手を蹴落としてでも伸し上がるハングリー精神が必要なんだ」
「嫌だわ、そんな肉食系マスコット」
二人はテレビの前に並んで、スマブラをしていた。
ガチャガチャとコントローラーを操作しながら、適当な雑談を繰り広げる二人。
「それにしても、護って意外とゲームやるんだな。
コンボとか滅茶苦茶手慣れてるし」
「あー、俺の場合、兄さんに付き合わされたりしてるから。
あの人忙しいくせに、しょっちゅう息抜きとか言って遊んでるんだよ」
護の自宅にある漫画やらゲームなどは、基本的に兄の私物である。
護自身は、あまりその手の娯楽に手を出すタイプではないのだが、多趣味というか気分屋な兄が様々な娯楽品を勧めてくるので、無駄に知識やらゲーテクやらが身に付いてしまった。
「ていうか、むしろ俺としてはパンダ君がどうやって操作してるのか気になる。
毛で手元が見えないけど、マジどうやってボタン操作してんの?」
「俺の肉球捌きは一味違う」
「答えになってないよっ、と」
画面の中で、護が操作する黄色い電気ネズミのメテオが、パンダが使用する赤い配管工に炸裂した。
画面の外へと吹っ飛んでいくキャラクター。護はそこで一旦コントローラーを置くと、体をほぐすように伸びをした。
「もう昼か……適当になんか作るけど、食べたい物とかある?」
「んー、任せる。笹以外なら何でもいい」
「笹なんか言われなくてもないって」
その気になれば、産地に行って取ってくることも出来はするが。
「まぁ、適当でいいなら――」
――ピンポーン
と、護が何か言いかけたところでチャイムの音が鳴り響いた。
「ん、客か?」
「こんな時間に? まだ学校はやってる最中だけど……」
突然の来客に、怪訝な表情を浮かべる護。
教師か、もしくは他のクラスメイトが様子を見に来る可能性は考えていたが、授業のある日中に来ることは無いと思っていた。
(寮の管理人にでも連絡がいって、様子を見るよう頼まれたのか?)
しかしながら、一生徒の病欠にそこまで気を割くのかと言われたら少々不自然。
ともあれ、考えるよりもまずは誰が来たかを確認すべき。護は足音を殺しながら玄関へ行くと、覗き穴を覗き込んだ。
そうして見えた来訪者の姿を確認した瞬間、護は内心で呻き声を上げた。
(……ゲッ)
まず真っ先に視界に入ったのは、見慣れた銀色の髪とリボンがあしらわれた帽子。
視界の歪んだレンズ越しであるが、その特徴だけで瞬時にそれが誰であるかを把握した。
(なんだって、こんな時間に有栖さんが……)
有栖が様子を見に来ること自体は護も薄らと予想はしていた。
以前、真嶋に休日の取得に関して質問した際に同行していたこともあり、不信感を抱かれるのもある意味当然と言える。
とはいえ、流石にこんな時間に来ることは想定外である。
(……どうすっかな)
困惑する思考を脇にどけ、どうするべきかと考える。
選択肢は単純に二つ。出るか、出まいか。
居留守を使うのは簡単である。体調不良と伝えた手前、寝ていてチャイムに気付かなかったということにすれば言い訳も成り立つ。
一方で仮に出た場合、有栖の観察力を考えれば確実に仮病がバレることになるだろう。
とはいえ、それ自体は大きな問題ではない。
今後も任務で休むことを考えれば、どうせいずれは仮病とバレること。遅いか早いかの違いにしか過ぎない。
思考時間としてはほんの数秒。それぞれのメリットとデメリットを比較してから、護は静かに頷いた。
(……うん、居留守使おう)
いずれ仮病とバレるにしても、それが今である必要はない。所詮先延ばしであるが、後になって良い言い訳が思い付く可能性もある。
護は部屋へ戻ろうと振り返り――しかしそこで、外から有栖の声が聞こえてきた。
「出てこないということは、それ程具合が悪いということでしょうか?
仕方ありません。何かあっても大変ですし、管理人の方に事情をお話しして開けてもらいましょう」
それは、独り言というには不自然な口ぶりであった。
まるで扉の裏の誰かに対して説明しているかのような、はっきりとした声音。
(気付かれた?)
本来、玄関の覗き穴は外から中の様子を見れるようにはできていないが、中から誰かが覗いた場合、穴から漏れる光が遮断されてバレることが有る。
よもやそれで気付かれたのかと思ったが、重要なのはそこではない。有栖にとって、仮に護がドアの向こうに居なかったとしても関係が無いのだ。
病気の人間の部屋を訪ねて返事が無かった。それが学生寮での事となれば、報告して鍵を開けて貰う大義名分は成り立つ。
ここで開けなければ、有栖は本当に管理人を引き連れて来かねない。
護は急ぎ有栖を引き留めようと、扉越しに口を開いた。
「あー、ちょっと待った。ちゃんと聞こえてるから」
「おや、護君。どうやらご無事のようですね。
直接お話ししたいので、扉を開けて頂けますか?」
「……少し待ってくれ。今、ちょっと人前に出られる格好じゃないんだ」
あくまで、すぐに応答しなかったのは身だしなみのせいであると、建前を述べながら時間稼ぎを図る。
「格好でしたら、私は気にしませんよ。
体調不良と伺っていましたし、多少乱れていても仕方がありませんから」
「そっちが気にしなくても俺が気になるんだよ。いいから、少し待っててくれ」
強引に話を打ち切り、護はすぐさま部屋へと踵を返す。
部屋に入るなり、内側の音が外に漏れないようにする防音用の結界を張り、パンダに向かって口を開いた。
「パンダ君、悪い! 今『部屋』の扉を開くから、しばらくマンションの方で待機しててくれ」
「おお、聞こえてた。客が来たんだろ? けど、別に部屋の中まで入れなくても、玄関で追い返せばいいんじゃないか?」
「俺もできればそうしたいけど、あの娘の場合、なんだかんだ押し切って入ってきそうなんだよ」
「あのコねぇ……護、一応確認なんだが……その相手は女子、何だよな?」
「そうだけど、それが何?」
何故か神妙そうな顔つきで問いかけてくるパンダに対し、怪訝な表情を浮かべる護。
「ほっほぉーう」
パンダの表情が、そのファンシーな外見に似合わない、嫌なにやけ面に変わった。
護は何となく考えていることが分かったが、そんなことを突っ込んでる場合ではないと、急ぎ『部屋』への扉を開く。
「――開門。何でもいいから早くしてくれ。あんまり待たせると不自然に思われる」
「落ち着け護。俺を誰だと思ってる? 万国共通人気のマスコット、パンダさんだぞ」
「……だから?」
「部屋に可愛いぬいぐるみがあったとしても、別に不自然な事じゃないだろ?
今だけ俺は、テディベアだ!」
「いや不自然だわ。どこの世界に、ボロボロの原寸大パンダを部屋に飾る高校生男子がいるよ」
護は考える間もなく即答した。
原寸大のパンダというだけでも突っ込みどころ満載なのに、更に先程の戦闘の影響もあってボロボロとなれば、一層不自然極まりない。
「使い古した感があっていいだろ?」
「経年劣化の傷かよそれが。てかパンダが居る時点で問題なんだよ」
――ピンポーン
と、そこで更に部屋のチャイムが鳴らされた。
どうやら会話に気をとられて、思ったよりも時間が経っていたらしい。催促するかのように鳴らされたチャイムに、焦りが募る。
一瞬、いっそのこと無理矢理『部屋』にぶち込んでやろうかとも思ったが、あの気がおかしくなりそうな白い空間に、パンダ一人を隔離するのも少々気が引けた。
(ああ、もうこの色ボケパンダが!)
パンダがここから去ろうとしない理由については、大体察しがつく。
要は、突然知り合いの部屋に訪ねてきた女生徒との関係を邪推して、出歯亀したいだけだろう。
内心で毒づきながら、これ以上有栖を待たせてもいられないと、パンダに対して部屋の隅を指した。
「もういい。部屋に居ていいから、隅から動かないでくれ。認識阻害の結界で誤魔化す」
その野次馬精神を満たせるのであれば、おそらくパンダも大人しく従うと踏んでの提案。
「オッケー」
案の定、パンダは無駄に良い笑顔でサムズアップして部屋の隅に移動した。
(うっわ、クッソ腹立つ)
苛つきながらも護は迅速にパンダの周囲に結界を張り、有栖を出迎えるべく玄関に戻った。
ガチャリと鍵を開け、扉をそっと開く。
そこには普段の見慣れた制服ではなく、可愛らしい洋服を着て佇む有栖の姿があった。
「悪い、待たせた」
「いえいえ、こちらこそ急かしてしまったようですね。
あまりに時間が掛かっていたようなので、少し心配になってしまいまして」
それは逃げないかという心配だろうか、という言葉を飲み込んで護は有栖へと問いかける。
「それで、今日は何の用?」
「おや、体調不良の友人を訪ねるのに、お見舞い以外の理由がありますか?」
「……わざわざ、自分まで学校を休んで?」
「いえ、私も最初は登校したのですが、護君のことが心配で心配で、授業に身が入らなかったんです」
(嘘くさっ)
登校したのが事実だとしても、授業が身に入らなかったというのは嘘だろう。
わざわざ一度学校に行ったのも、教師陣に自分が休んだことに対して探りを入れていたとか、そんなところだろうと予想をつけた。
「とりあえず、上がらせていただいてもよろしいでしょうか?
具合が悪くても食べやすい物をと思い、プリンを買ってきたんです。
もっとも、それほどお加減は悪くないようですし、よければご一緒に食べませんか?」
「……年頃の女の子が、男の一人部屋に無闇に入るべきじゃないと思うけど?」
この程度の言葉で引くとも思わないものの、どうにか追い返せないかと、悪あがきの如く言葉を絞り出す。
「フフ、護君でなければ私もこのようなことは言いませんよ。
それに、恥ずかしながら私も一人で歩き回ったので、少し疲れてしまいまして。少しでも休ませて頂けたら嬉しいのですが」
何でお見舞いに来た人間が休憩を申し出ているのか、という突っ込みはさておき、体力的に消耗があるのはあながち間違いでもなさそうだった。
口調こそ淀みないので気付くのが遅れたが、今の有栖はいつもより杖にかかる重心が僅かに多い。
顔の方も、よく見てみれば火照ったように赤みが差しており、疲労の色が見えた。
流石にそう言われてしまえば、護としても追い返しにくい。
もっとも有栖の場合は、それすらも見越して自身の体力配分を計算していた可能性すらあり得る訳だが。
「……わかった。とりあえず上がってくれ」
「では、お邪魔させていただきます」
自然な動作で有栖から荷物を受け取り、手を貸しつつ部屋へと招き入れた。
部屋に入ると窓際の方には、さながらガラスのショーケースに入ったかの如く、結界に覆われたパンダが居るが、当然有栖にその姿は見えていない。
パンダは結界の中から有栖を矯めつ眇めつ眺めたかと思うと、ふと護の方へと目線を戻し、グッと親指を立てた。
(うっぜ)
護は心の中で、パンダに対して親指を下に向けた。
そんな護の心情をよそに、有栖は部屋の中をしげしげと眺めてから口を開く。
「ゲームを、なさっていたのですか?」
有栖がまず注目したのは、テレビの前に置かれた状態のゲーム機。
護は有栖を出迎える直前、パンダの分のコントローラーは片付けておいたが、それ以外に関してはあえてそのままにしておいた。
「ああ、土日で買ったゲームに熱中しすぎてね。ついつい学校を休んで遊びたくなったんだ」
学校を休んだのは単に遊びたかったからで、深い理由は無いと暗に主張するために。
仮病を使って遊んでいたことにすれば、部屋を上げるのを躊躇った理由についても言い訳が成り立つ。
「……意外ですね。護君はこのような理由で休むような方ではないと思っていました」
「幻滅したか? 俺だって、偶には羽目を外して遊びたくなることくらいあるさ」
「その割には、他に娯楽品の類が見受けられませんね。
むしろ物が少なすぎるように思えます」
「入学したばかりの頃は、ポイント節約も兼ねて自重してたんだよ。
ただテストも終わったし、少しばかり羽目を外したくなってね」
有栖からの怪しむ視線は途絶えないが、護は動じることなく平然と嘘を重ね続ける。
確かに、有栖の直感力や洞察力は警戒に値する。おそらくどれだけ嘘を重ねようと、彼女が抱く違和感は完全には拭い去れないだろう。
だが、呪術に関する知識が無い以上――いや、仮に有ったとしても、先程まで護がどこで何をしていたかなど想像できる筈がない。
「なるほど……では、そういうことにしておきましょうか」
故にどれだけ怪しんだところで、こうして引き下がる以外に選択肢は無い。
「ところで護君、お昼ご飯は食べましたか?」
「ん? いや、これから用意するつもりだったけど」
急な話題転換。探りを入れるために切り口を変えて来たかと、警戒心を消さぬまま返事を返す。
「それはよかったです。実は、今日は護君と一緒に食べようと、お弁当を用意していたんですよ」
「弁当? 有栖さんが?」
「ええ、体調不良と聞いたときは無駄になるかもと思ったのですが、食べる元気があるようで良かったです。
私一人で処分するには、量が多すぎましたから」
そう言って、ニコリと微笑む有栖。
しかし普段の有栖を知る身としては、当然それが純粋な善意によるものなどとは到底思えない。
何か企んでいるのではないかと警戒するのは当然のこと。
これは決して額面通りに受け取っていいような甘ったるい展開ではない。
(だから後ろではやし立てんな、色ボケパンダ!)
護は、視界の端でヒュ~ヒュ~とばかりに、口笛を鳴らす仕草を取るパンダが心底鬱陶しかった。
「そう……なんだ。ありがとう」
怪しいとは思ったが、だからといって受け取らないわけにもいかないだろう。
少なくとも、これで食事を終えるまで有栖が部屋に居座ることが確定してしまった訳だが、ここで無理に追い返すのも却って不自然である。
鞄の中から弁当の包みを取り出す有栖を眺めながら、護は割り切って普通にもてなすことにした。
パンダに関しては無視する。
どうせしばらくやり取りを見ていれば、有栖と自分の関係がそんな甘ったるいものではないと分かるはずだと、護はいっそ開き直った。
「適当に座っててくれ。生憎と部屋に来客が来るなんて思っても無かったから、ペットボトルのお茶くらいしかないんだ。それでいい?」
「ええ、構いませんよ。
しかしそうですか。つまり護君のお部屋に入った初めての相手は、私ということですね?」
(楓花さんみたいに、思わせぶりなことを言わないでくれ。
ついでに言うと、本当にこの部屋に最初に招いたのは、君の後ろに居る白黒の畜生だ)
おそらく後ろで嫌なにやけ面を浮かべているだろうパンダを振り返らない様にしつつ、護はお茶を冷蔵庫から取り出しながら考える。
さて、どうやって追い返したものかと。
現在時刻は12時になるところ。狗巻の任務終了はおそらく夕方頃になるだろうと聞いていた。
おそらくリミットとしての目安は、4時前後。
(さすがに、そこまで居座るとも思わないけど、何か言い訳は考えとかないとダメか)
ちなみに、その間パンダを窮屈な結界の中に閉じ込めることにもなるが、そのことに対する引け目はない。
無理に居座った自業自得であると、もはやパンダに対する気遣いの気持ちは失せていた。
せめて閉じ込めたのが、音や視界を封じる結界でないことが、最低限の温情である。
キュッとグラスを軽く磨き、お茶を抱えてリビングへと戻る。
するとそこには、既に有栖が弁当をテーブルの上に広げて待ち構えていた。
コップをテーブルの上に置いてから、有栖の対面へと腰掛ける。
「これ、全部有栖さんが?」
「ええ、これでも料理は得意なんですよ? 護君には、一度味わって頂こうと思いまして」
そう言って微笑む有栖に対し、護は僅かな違和感を覚えた。
弁当を作ってきたこと自体怪しいことではあるのだが、そういう危機感が刺激されるようなものではなく、まるで間違い探しの絵を見比べた時に感じるような違和感。
その正体がわからないまま、とりあえず弁当に目を落とす。
メニューはミートボールと卵焼き、ポテトサラダ、彩りをよくするためのミニトマト。
(なんか……普通だな)
地味だとか冴えないとか悪い意味ではなく、その弁当としてはオーソドックスなメニューが、有栖のイメージには結び付かないように思えた。
「えっと、それじゃあ……いただきます」
躊躇いがちに箸を手に取り、まずは卵焼きを口に運ぼうとして、そこでこちらをジッと見ている有栖に気が付く。
「……食べていいんだよね?」
「ええ、勿論です」
心なしか、いつになくソワソワしているように見える有栖。
以前カラオケボックスで神室に悪戯を仕掛けた前科もある為、もしや何か盛られたかと恐る恐る箸を運ぶ。
モグモグとゆっくり咀嚼し、嚥下する。
(普通に旨いな)
「……どうでしょう、お口に合いましたか?」
後ろでパンダが「ほめろ」と書かれたフリップを掲げるのを見て、お前それどこから出したと思いながら、有栖の問いかけに頷く。
「うん、旨い」
「それは良かったです」
そう言った有栖は、どことなくホッとしているように見えて、護の中でもしやという考えが思い浮かぶ。
「もしかして、弁当作るのって初めてだった?」
ピシリと、食事を口に運ぼうとした有栖の手が止まった。
しかしそれもほんの一瞬。有栖はゆっくりとした動作で箸を降ろすと、一切の動揺を感じさせない笑みを護へと向けた。
「お弁当に関してはそうですね。料理は得意ですが、お弁当を作る機会は中々ありませんでしたから」
(あ、これ料理自体初めてだったな)
薄らと圧の感じる笑みを見て、護は自らの質問が藪蛇であったと悟った。
「へぇ、そうなんだ」
これ以上この話題を掘り下げない方がいいだろうと思い、適当に相槌を打ちながら大人しく食事を再開する。
そうして弁当を食べながら、しかし護の中では疑問が首をもたげていた。
(けど、何だってわざわざ慣れない料理を)
有栖の身体能力を鑑みれば、料理という作業は決して楽なものではない筈だ。
それをわざわざ自分に作ってくることの意味が、護には理解できなかった。
ここで思春期の男子高校生であれば、自分に気があるのかと思ったりもするのだろうが、生憎と護は一般的な男子と比べたら、自分を客観視できる冷静さを持っていた。
そんな風に思考が埋没しかけたところで、ふと有栖から声を掛けられる。
「それにしても、護君もゲームなどをやるんですね?」
「ん、ああ。割とゲームは何でもやるよ。格闘ゲーム以外に、レースゲームやリズムゲームなんかも」
もっとも、護自身の趣味というよりは兄に付き合わされた結果なのだが。
「ていうか、学校をサボったことに関しては何も言わないんだ?」
有栖にしてみれば、この件は護に対していい弱みとなる材料だろう。にもかかわらず、未だ彼女の方からこの件に触れる様子がない。
気になった護は、あえてこちらから踏み込んでみた。
「ポイントの使い道は個人の自由ですし、吹聴したところで得るものはありませんから」
「そう……」
サボった事実を弱みとして使うでもなく、慣れない手作り料理を護へと振舞う。
見返りも求めないこれらの行動が、どうも自分の中の有栖のイメージと異なり、護は何とも調子が狂わされそうだった。
「ところで、先程ゲームでしたら何でもやると言っていましたが、ボードゲームはどうでしょうか?
例えばチェスなんかは」
「チェス? まぁ、ボードゲームならチェスに限らず将棋でも囲碁でもやるけど」
「そうでしたか。実は私もチェスが趣味なのですが、この学校では中々相手になってくれる方が居なくて困っていたんです。
良ければお相手していただけませんか?」
そう問いかける有栖は、いつになく心から嬉しそうで、まるで自分が好きな物を共有しようとする子供のように見えた。
(ん、もしかして単に遊びたかっただけか? この娘)
色々と、有栖の思惑に関して勘ぐっていた護だったが、今の彼女の表情からは特にそう言った裏は感じられない。
もしや本当に、ただ一緒に遊ぶきっかけが欲しくて突撃してきたのだろうかと、そんな突拍子もない考えが頭をよぎる。
「別にいいけど、チェス盤とかウチには置いてないよ?」
仮に本当にそうであるなら、適当に相手をして満足してもらったところでお帰り願うのだが、生憎ここにチェス盤は無い。
「ご安心を。こんなこともあろうかと、持参していますので」
そう言って、有栖は食事の手を止めて近くに置いていた鞄からチェス盤を取り出した。
しかも見ただけで高級と分かる木製仕様。有栖のガチっぷりが見受けられる。
「……やけに大きなカバン引っ提げてると思ったら、チェス盤かよ」
(この娘、やっぱ最初から俺が仮病ってわかってたな)
どこの世界に、体調不良を訴えた人間の見舞いに、チェスをやろうと誘いに来る人間が居るのか。
最初から仮病を怪しんでいたのだろうとは思っていたが、改めて目に見えた形で示され、護は表情が引き攣りそうになった。
「フフ、最近届いた新品ですよ。相手がいないので購入しようか迷っていたのですが、無駄にならなくてよかったです」
そう言って笑う有栖は、容姿と相まって本当に裏表のない子供のようであったが、唯一その瞳に宿る好戦的な色が、護に不吉な予感を覚えさせる。
(しかしまぁ、
とりあえず、適当に相手をして帰ってもらうかと考えながら、護は食事を再開した。
本当なら、今回で一気にチェス勝負まで終わらせたかったのですが、結局次話に持ち越しに。
いい加減、よう実側のストーリー進行や、暗躍する夏油さんを書きたいのですが、中々進まず申し訳ありません。
今回一番書きたかったのは、エロ親父面する出歯亀パンダ。
ぶっちゃけこれを書きたいがために、パンダ登場から回りくどく任務を回して共に行動させたりしました。
そして補足Q&A
Q.有栖ちゃんは護君の言い訳に納得したの?
A.納得してません。サボりを隠そうとしながら、ゲーム機本体を隠そうとした形跡が無かったこと、室内の生活臭が薄かったこと、不自然さを感じながら証拠が足りず追及出来てません
Q.護君が居なかったら、有栖ちゃんはどうしてたの?
A.時間をずらして再来訪してました。流石に本当に管理人呼んだり、マジで護君の機嫌を損ねる真似はしないです。護君はやりかねないと思ってたけど
Q.真希さんのお土産のラクダは?
A.パンダ「俺以外のマスコットはいらん」