よう実×呪術廻戦   作:青春 零

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39話 特級の戦い

 

 構えを取って向かい合う長身の男二人。五条護と夏油傑。

 

 両者間の距離約5メートル。常人であれば近づくのに数歩かかる距離でも、呪術師にとっては一足飛びに超えられる程度の距離でしかない。

 

 護の身体がブレると同時、小さな爆発でも起こったかのように足元で芝生が弾ける。

 それほどに力強い踏み込みをもって、弾丸の如き速さで跳び出した護は、夏油の顔面目掛けて拳を繰り出した。

 

 対し、夏油はその行動を見越していたかのように、大きく後ろに飛び跳ねる。

 鼻先を掠めそうになる程に紙一重のタイミングだったが、その表情に焦りはなく、薄らと余裕気な笑みすら浮かんでいた。

 

 しかし護も避けられることは予想していたのか、距離を離されまいと更に踏み込むと、流れるように追撃の手を繰り出していく。

 

 空気を撃ち抜き轟音を響かせる拳打は、一打一打がまさしく岩をも砕く威力を備えた一撃。

 

 そんな攻撃を捌きながら、夏油は内心で舌を巻いた。

 

(さっきの動きで分かってはいたが、やはり上手い)

 

 それは、純粋な体の動かし方そのものを指しての評価ではない。着目すべきは、何より呪力の操作精度。

 呪力で肉体を強化する術師の戦闘において、呪力の操作は何より重要な要素の一つ。

 呪力の操作が未熟であると、満足に攻撃の威力が発揮されないどころか、その流れから相手に動きを先読みされることにも繋がる。

 

 熟練の術師程相手の呪力の流れを見極めるのが上手く、相手に読ませない様にするのが上手いものだ。

 

 特級術師として豊富なキャリアを持つ夏油から見ても、護の呪力操作は異常とすら言える程のものだった。

 

(見惚れてしまいそうな程に滑らかな呪力操作。学生の練度じゃないな)

 

 単なる攻撃や防御の一動作だけに呪力を集中させるのみならず、踏み込みの瞬間、体幹の制御、細かな動作一つ一つにまで気を配られた呪力操作は、必要最小限の呪力で最大限のパフォーマンスを発揮している。

 

 呪術師の実力は八割方才能で決まるなどと言われるが、十代半ばの歳でこの域に到達しているのは、決して才能だけが理由じゃないだろう。

 

 まさしく血が滲むほどの研鑽が有った筈だと、夏油は称賛の念を抱くと同時に、しかしその根底にあるものを思い憐れみを覚えた。

 

(これほどの努力すらも、悟への献身か……)

 

 そこから感じるのはまさしく執念。

 ただ兄の役に立つために、自分の人生全てを差し出さんとするかのような覚悟。

 あるいはこの青年は、兄が望むのであれば自身の命すら進んで投げ出すのではないか、という危うさが感じられる。

 

「――ッ!」

 

 と、そのような事を考えていたところで、横から一際重い蹴りが打ち込まれた。

 ガードしつつ咄嗟に同じ方向に跳んだが、その威力を完全には殺しきれず、腕にはビリビリとした痺れが残る。

 

(いけない、いけない……こんなことを考えながら相手取れるほど、甘くはないね)

 

 夏油から見て、近接戦の技量に関して大きな差は無い。

 余計な事に思考を割きながら戦えるほど、温い相手ではないと自戒した。

 

(肉弾戦の技量は大体わかった。次は術式を見せてもらおうか)

 

 護の蹴りで僅かに吹き飛ばされた夏油は、着地した足に力を籠めて更に大きく跳躍する。

 対し、追撃を加えるべく追い縋る護。

 

(呪霊を出す間も与えず攻撃を加え続ける。戦略としては間違っていないが――)

 

 迫る護を見つめながら、ニヤリと口角が吊り上がる。

 

「――踏み込みすぎだよ。狙いが見え見えだ」

 

 夏油の術式を相手に、距離を詰めるという選択は決して間違ってはいない。

 何せ呪霊操術は手数において圧倒的アドバンテージを誇る術式。距離を離してしまえば圧倒的物量で押し切られるのは目に見えている。

 逆に距離を詰めてしまえば、呪霊を呼び出す余裕を奪い、且つ術師自身も巻き込みかねない強力な呪霊の使用も制限される。

 

 しかし護の動きはそれらを踏まえても、強引過ぎる程に余裕の無い攻め方。

 夏油はその裏にある理由を察していた。ある一点から夏油を遠ざけようとしていることを。

 

 瞬間、夏油の背後から3体の呪霊が現れる。

 粘土をこねくり回して作ったのかのような、歪な四足の獣。感じられる呪力は決して高くなく、足止めにもならなさそうな低級呪霊。

 

 しかしそれらの呪霊は、直接護に向かってくることは無く、それぞれが別方向に散らばる様に跳び出した。

 その向かう先にあるのは、結界に守られた二人の女性。

 

「――チッ」

 

 小さな舌打ちと共に、護は印を組むとその3体の呪霊目掛けて結界を張る。

 呪霊の速度はそれほど速くなく、形成した結界はそれぞれ的確に呪霊の頭や胴体を捉えてその場に固定した。

 

 しかし、術式の発動で僅かに生じた隙を、夏油は見逃さない。

 

「ほら、隙アリだ」

 

 護の胴体に、夏油の拳が刺さる。

 

「――グッ!」

 

 まるで、正面から車にでも衝突したかのような勢いで吹っ飛ぶ護の体。

 背中から地面に落ちながらも、受け身を取って即座に体勢を立て直そうとするが、完全に立ち直るよりも速く、夏油は護に向かって跳び込んでいた。 

 

 およそ10mは離れた距離を一息に詰める程の跳躍から、全体重を乗せた鋭い跳び蹴り。

 

 それはまさしくミサイルを思わせる勢いで、次の瞬間にはゴゥッと、爆砕音としか形容できない凄まじい音を響かせた。

 直撃したならば、間違いなくただでは済まない程の一撃。

 

 しかし夏油は、蹴りを放った姿勢のまま、驚いたように僅かに目を見開いた。

 

(――居ない?)

 

 夏油の攻撃によって生じた小さなクレーター。その中心に、護の姿は無かった。

 その場に佇みながら、冷静に護の呪力を探る夏油。 

 

「……上か」

 

 空を見上げると、そこには一つの結界とその中に居る護の姿。

 

(咄嗟に転移で空に逃げたか。

 防御の為に結界を張るのではなくギリギリの回避を選択した辺り、やはり強度のある結界には、それなりに呪力のタメが要るようだね)

 

 冷静に相手の術式に対して考察を進めながら、夏油は新たに小型の呪霊を呼び出して、それらを足場に護へ向かって跳んだ。

 護にもその姿は見えていたが、護は夏油の対処よりも先に放たれた3体の呪霊の排除を優先した。

 

 呪霊を固定していた結界が爆ぜる。

 

 それとタイミングを同じくして、撃ち込まれる夏油の拳。その一撃で、護を覆っていた結界は、パリンとガラスが割れるかのような音を響かせて砕け散った。

 

 あまりにも呆気ない程に壊れた結界。しかしその結果に驚いたのはむしろ、攻撃を仕掛けた夏油の方であった。

 

(なんだ、この手ごたえの無さは)

 

 先程放った呪霊は、結界に囚われた時点でその脅威はほぼゼロと言ってよかった。

 にも拘わらず排除を優先したのは、自身を守る結界にそれなりの強度があるからこそだと。

 自分の守りすら不十分な状態で、然程危機でもない他者を優先するなど、あまりにも浅慮。

 

(一度に張れる結界の強度には限界があるのか? だがそれにしてもあまりに……ッ!)

 

 そこで夏油は、自身の周囲に集まる呪力を感じ取った。

 それは先程から、護が結界を張る際に感じていた気配と同じもの。

 

(守りを捨てて、私を捕らえる事を優先したか)

 

 空中で、しかも攻撃を仕掛けた直後となれば回避はまず不可能。

 自分を守る結界に回す呪力はほぼ捨てて、その分こちらを閉じ込める為の結界に意識と呪力を回したのだろうと、夏油は察した。

 

(見事だ。だが――)

 

「――残念、一手遅い」

 

 結界が形成されようかというその瞬間、上空から一体の鳥型呪霊が、護目掛けて襲い掛かった。

 凄まじい速さで飛来したその呪霊は、護の腹に直撃するとそのまま地面へ着弾し、爆撃でもされたかのように大量の土砂を巻き上げた。

 

 結界の形成をするべく集まっていた呪力は霧散し、夏油はそのまま袈裟をたなびかせながら、スタリと地面に着地する。

 そして舞い上がる土煙を見ながら一言。

 

「さて、まさかこれで終わりじゃないだろう?」

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 その現実味の無い光景に、楓花と有栖の二人はただ呆然と目を見開いていた。

 彼女達には護と夏油、両者の動きは断片的にしか見えない。しかし例え理解できなくとも、二人はその光景から目を離すことが出来ずにいた。

 

 拳が振るわれる度に震える空気の音。土砂が撒きあがる度に広がる草と土の匂い。

 それら五感で感じる情報が、目の前で起こる光景を現実のものであると、否応なく二人に自覚させる。

 

 到底、人間の手で作り出せるとは思えない破壊の跡は、まるで人型の戦車がぶつかり合っているかのよう。

 その人間離れした身体能力もそうだが、何より恐ろしいのは二人の動きにまるで躊躇が存在しないこと。

 

 格闘技の試合は勿論、不良の喧嘩ですら命までは奪わないよう躊躇が生まれるものだが、目の前の二人からは躊躇いというものがまるで感じられなかった。

 常人であれば、粉みじんになりそうな攻撃を躊躇なく繰り出す両者。

 

 その動きからは、相手を破壊しようという意思が、ただ見ている側の二人にもヒシヒシと伝わってくる。

 しかし、そんな命の奪い合いという、野蛮でかくも恐ろしい光景を目の当たりにしているというのに、目を離す気にはなれなかった。

 

「……すごい」

 

 唖然とした呟きが、有栖の口から漏れる。そこに感嘆めいた響きが含まれているのは、決して気のせいではないだろう。

 無駄のない動きはそれだけで美しさを感じるというが、断片的に見える両者の動きはまさにそれ。素人目に見ても洗練されていると分かる体の動かし方。

 

 その鋭い動きから感じる流麗さと迫力。目の前の光景からは恐怖心すらも麻痺させるほどの衝撃が感じられ、有栖はただ「すごい」と安直な感想しか思い浮かばなかった。

 

 しかし、その横でもたれ掛かる楓花は、有栖以上の衝撃を受けていた。

 

(ここまで、差があるものなのか……)

 

 それは、なまじ呪術について学んでいたからこそ実感してしまう、明確な力の差。

 先程の猿型呪霊も、楓花にしてみれば遥か格上の化物(バケモノ)だったが、今目の前で戦う二人はそれすら比較にならない程の化物。

 

 加えて、現状の二人の戦い方は呪力強化を主体とした体術での戦闘。術式を持たない楓花には、一層自身との差が理解できてしまった。

 

 自分とは生物としての格が違うと。

 

「……ッ、護君!!」

 

 と、そのような事を考えていたところで、目の前で護が上空から鳥型の呪霊に落とされ、その光景を見ていた有栖が悲鳴のような声を上げた。

 その横で、声こそ出さないまでも有栖同様、心配気に息を呑む楓花。

 

(……見ているだけとは、こうももどかしいものなのか)

 

 今の戦いの中で、自分達が狙われそのせいで護に隙が生じたことは楓花の目にも見て取れた。

 自分の命運を託すことしかできないばかりか、むしろ足を引っ張っているこの状況に、楓花は静かに歯噛みした。

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 深々と、腹にめり込んだ呪霊の嘴。

 見た目こそカラスのようであるが、そのサイズは大きめの中型犬程はあろうかという怪鳥。

 

 護はその首根っこを掴んで力任せに引き抜くと、ゆらりと立ち上がり、そのまま掴んだ呪霊を埋まるほどの勢いで地面へと叩きつけた。

 そして埋まった呪霊の頭をグシャリと踏み潰しながら、腹部に負った傷を反転術式で治療する。

 

 それら一連の動作をしている最中も、眉の一つすら動かす事はなく、痛みなど欠片も感じていないかのような淡々とした表情。

 

 プッと口内に溜まった血を吐き出し、護は改めて夏油の居る方向へと向き直る。

 再び向かい合う二人。すると夏油は、顎に手を当てながら口を開いた。

 

「フム……体術も呪力操作も見事なものだが、少しばかり判断の甘さが目立つね。守りより攻撃を優先する強気な姿勢は結構だが、それも行き過ぎればただの無鉄砲でしかない。

 今の一撃も、本来なら対処できない攻撃じゃなかったはずだ」

 

「ナニ目線での台詞だよ」

 

 夏油から飛ぶ酷評。まるでやんちゃな子供を諫めるかのようなその口調に、護は表情こそ変えなかったが、呆れた口調で言葉を返した。

 

(まぁ、否定はしないが。元々攻撃は幾らか()()()()()()()()()が、腹に穴開けるのは少しやり過ぎた。

 ダメージ受けるなんて()()()()だからな。加減をミスったのは否めない)

 

 もっとも、発言の内容そのものは正論だと自覚している部分が有る。

 一応考え有ってのこととはいえ、少し攻め方を急いてしまったことについては、素直に認めていた。

 

 と、護がそんなことを考えている一方で、夏油は愉快気にククッと笑いながら話を続ける。

 

「少し説教臭かったかな?

 すまないね。どうも君と向かい合ってると、昔を思い出してしまう」

 

 そう語る夏油の姿には、ほんの僅かではあるがどこか寂寥感のようなものが滲んで見えた。

 しかし、それも一瞬の事。次の瞬間にはそのような気配は完全に消え去っており、夏油はあっけらかんとした口調で言葉を続ける。

 

「さて、そんなことより、次は何を見せてくれるのかな?

 それとも、もうお開きにするかい?」

 

 まるで、パーティーの終了でも告げるような気軽な口調。

 実際、ここで止めると言えば大人しく引き退がるのだろう。しかし当然護としては、ここで終わらせるつもりは無い。

 むしろ先程感じた寂寥感を思うと、一層この男を兄に会わせてはならないと、そう思った。

 

(布石は打った。そろそろ、いいか……)

 

 すると護は印を組み、遠くにいる有栖達を指し示すように、その手を彼女達の方へと向けた。

 

「……俺の術式は空間操作の術式だ。結界で空間の一部を隔離し、そこにあらゆる効果を付与することが出来る。

 ただ、一度に使える術式のリソースには限界があってな。特に特殊な効果を付与した結界を使っていると、その分他で使えるリソースが大きく削られるんだ」

 

 護がそう説明した途端、二人の少女を覆っていた反転術式のエネルギーを閉じ込めていた結界が消失した。

 

(残存していたエネルギーもほとんど無くなった頃だからな。あの結界はもう用済みだ)

 

 代わりに、楓花が呪符で張った結界の外側に、新たに一枚の結界が出現する。

 

「逆に、大した効果も付与せず、ただ強度だけを優先する分には、大したリソースを食わない。

 今あの二人に張ったのは、外からの攻撃に対して守ることを優先した結界だ」

 

「……随分と友達想いなことだね。こうして術式の開示をするのも、結界の強度を底上げするのが狙いかな?」

 

 術式の開示――相手に自ら情報を晒す不利を背負うことで、術式効果を高めるというある種の“縛り”。

 

「別に。そっちにしても俺の術式に興味があったんだろ? 

 一々探りを入れる為に関係の無い連中を狙われても面倒だからな。お互いにとって手間を減らしただけだ」

 

 術式効果の底上げを狙ったのはその通りだが、護としては友達想いなどという言葉は些か的外れというものだ。

 本当に二人の安全を優先するならば、とっくに『部屋』の扉を開いて退避させている。

 それをしないのは、仮に退避させた後、護に万一のことが有った場合どうなるか分からないという懸念もあるが、何より夏油相手に『部屋』という切り札を見せたくなかったのが一番の理由。

 

 構わず、護は説明を続けていく。

 

「結界の強度や体積、付与効果を高める程に必要な呪力も増えて発動にかかるタメも増すことになる。この辺りは既に分かってたんじゃないか?

 空間ごと押し潰すなんてことも本当ならできるんだが、それをやると結界の強度は著しく下がるし発動にかかる時間も増えるんだ」

 

 ここまでの説明に嘘は無い。重要なのは、護の術式にはタメが必要で、出の早い技はほとんどないという点。

 特別な効果を付与していない最低限の強度の結界ですら、一瞬で張っているように見えて、座標指定から形成にかかるまでに僅かなラグが生じるのが、護の術式の欠点だ。

 

(つっても、ここまで完璧に反応されたのは兄さん以外じゃ初めてだ。流石特級と言うべきか)

 

 現在、夏油の中ではこれまでの説明のどこまでが(ブラフ)でどこまでが事実なのかと分析していることだろう。

 しかし一点、護に瞬発力のある技が無いことに関しては半ば確信を得ている筈だ。

 

 護の術式に限らず、大技程呪力のタメが大きくなるのはほとんどの術師に共通すること。

 結界術という守に適した術式の傾向と、これまでの応酬と先の術式説明。それらの情報を統合すれば、いきなり殺傷力のある一撃が来る可能性は低いとわかる。

 

 と、そこまで聞いたところで夏油は思案気な表情で口を開いた。

 

「ふむ、なるほどね……しかしそうなると、結界間の転移はどういう理屈なんだい?」

 

 開示する情報が多くなる程、術式の効果も増強されるのだが、夏油にそれを気にした様子は見られない。

 むしろ積極的に情報を引き出そうとすらしている。

 

「ああ、あれは自分の呪力とマーキングした呪力を結び付けてるだけだ。

 厳密には、結界の中にしか移動できないって訳でもない。どんなに小さくても、自分の呪力を拾えさえすれば、俺は自分の居る座標とその座標を結びつけることが出来るんだよ――

 

 ――こんな風にな」

 

 その瞬間、夏油と護の周囲に、幾つもの小さな結界が出現した。

 強度はほとんど無く、付与した術式効果も無い。本当に、最低限の呪力でただバラまくように形成されたその結界は、大した発動兆候も見せず、夏油も形成されるまで反応することが出来なかった。

 

 その直後、突如夏油の背後に護の姿が現れる。

 

 会話で気を逸らした上、大量の結界からの空間転移。畳みかけるような状況の変化で処理能力に負荷を掛ける。

 

 意表を突いた一手であるが、しかし流石と言うべきか夏油は護の動きに反応して見せた。

 振り返りながら、裏拳を打ち込むように拳が振るわれる。

 

「――ッ!」

 

 だが、振り返った時には既にそこに護の姿は無く、夏油の拳は空を切った。

 攻撃を空ぶったことで隙が生じた夏油。その瞬間、背中に大きな衝撃が走り、そこには先程のお返しとばかりに、跳び蹴りを放った姿勢の護の姿。

 

「グッ……」

 

 モロに背中に攻撃を喰らったことで、軽く海老反りになりながら、前へと吹っ飛ぶ。

 しかし完全に倒れ切るその寸前で、地面に手をつき一回転。

 即座に体勢を立て直すと、夏油は護の姿を捜そうとするより先に、周囲に配置された結界の位置を把握するべく視線を彷徨わせる。

 

(インターバルを挟むことなく、連続で転移できるのか。

 この量の結界の中、動きを追うのは困難だな。なら――)

 

「数には数で、対抗しようか!」

 

 夏油の足元から、大量の百足や蜂のような形状の呪霊が噴き出してくる。

 再び攻撃を仕掛けようと近づいていた護だったが、その光景を見て離れた結界へと転移して距離を取った。

 

 それらの呪霊は現れるなり、一斉に周囲に配置された結界へと殺到していく。

 

 今しがた配置された結界は、発動兆候を抑えるために本当に最低限の呪力しか込められてはいない。つまりそれだけ強度も低く、壊すだけなら低級の呪霊で十分だということ。

 

 呪霊が入り乱れ、結界を破壊していく景色の中で、夏油の視界に跳び回る黒い影がよぎる。

 

「そこか」

 

 結界の形成には正確な座標指定が必要。夏油はこれまでのやり取りから、そのことを感覚的に理解していた。

 

(つまり、視界を遮るよう立ち回れば、こちらから誘導することも可能)

 

 無数の呪霊が結界を破壊していく一方で、護も新たに転移用の結界を配置していくが、夏油はそれすらも見越して呪霊を操り、護の退路を狭めていく。

 

(結界内に干渉するという術式の傾向からして、彼に広範囲の攻撃手段は無い。

 しいて言うなら、結界に籠った呪力を炸裂させる攻撃だが、アレの威力は結界に内包された呪力量に依存している)

 

 幾ら低級呪霊とは言え、これだけの群体を相手に素手で相手取るなど馬鹿げた話。

 

(あの術式は、攻撃手段として用いるには燃費が悪すぎる。

 先ほどの無茶な反転術式による消耗も考えるなら、取れる手段は多くない)

 

 全ての呪霊を一気に片付けることなど不可能。仮に自分を結界で守って、呪霊を引き寄せた上で一掃するというならば、その間に逃げてしまえばいいだけの事。

 夏油としても、大方の目的は達している。

 護の実力に興味があった故に戦闘に応じこそしたが、本来公園に降ろされた“帳”に穴を空けるなど、夏油にとっては容易いのだから。

 

「君にとって、私のような術式は最悪に近い相性なんじゃないかな?」

 

 語り掛けるような口調だが、答えなどは期待していない。今の護との距離を考えるならば、到底聞こえている筈など無いのだから。

 所詮は、ただ何とは無しに漏れた呟きに過ぎなかった。だが――

 

「あなたの術式と相性のいい奴なんて居ないだろ」

 

 ――その回答は、夏油のすぐ背後から聞こえてきた。

 

 それは本来なら、あり得ない事態。

 夏油は常に護の位置を把握した上で、そこから移動できるポイントを予測し、視線を切るように呪霊を動かし、自らの立ち位置も変えていた。

 

 ピンポイントで自分の居場所に転移するなど、できるはずが無い。

 そんな油断を、夏油は――

 

「知ってたよ」 

 

 ――欠片も抱いていなかった。

 

 護が複数の結界を展開した時点で、夏油はこの流れを予測していた。

 数に任せた術の使い方をする時点で、対処の為に大量の呪霊が投入されるのは自然と予想できること。

 であれば当然、その状況の打開策も用意している筈だと。

 

 護は先程、どんなに小さくても呪力を拾えれば転移は可能だと言った。

 ならば細工をすること自体は然程難しくない。接敵した瞬間、自分の呪力が籠った物を相手に忍ばせるか、でなければ相手の衣類などに直接呪力を籠めればいいのだから。

 

 絶対に来ないと油断させてからの一撃。確かに有効な手ではあるが、しかしそれは夏油にとっても同じこと。

 

 足を開きながら徐々に下半身から力を抜いていき、重力に身を任せるかのような自然な動作で姿勢を落とす。

 そして上半身を前へと折ると、直後頭があった位置を護の拳が通り過ぎる。

 

 夏油はその低い姿勢のまま、片足を軸に回転。拳を放った護の懐に潜り込むようにしながら、遠心力を加えた掌底で護の顎をかち上げた。

 

(幾ら呪力で強化しようと、これだけの力で打てば脳は揺れる。これで終わりだ)

 

 僅かに宙に浮く護の体。そこで更に夏油は跳躍すると、掌底を放ち伸びきった手でそのまま護の頭を引っ掴み、思い切り地面へと叩きつけた。

 いかに芝生の土が柔らかいとはいえ、水分を含み引き締まった地面。

 脳を揺らされたところに、ダメ押しとばかりに頭が埋まる勢いで叩きつけられれば、ただでは済まない。

 

(意外と呆気なかったな……)

 

 勿論、完全に警戒を解いてはいないが、勝負はついたと半ば確信する。

 しかしそこで、僅かな違和感を覚えた。

 

(――待て……何故、今攻撃の瞬間に声を掛けてきた?)

 

 本来ならば、敵の背後を取りながら声を上げるなど愚の骨頂。

 勝負が決まったと思っての慢心、若さ故の未熟さと捉えることもできるが、ここまで冷静に戦闘を進めてきた五条護の人物像とは結び付かない。

 

 何か見落としているかのような漠然とした不安が頭をよぎり、その瞬間指の隙間から覗く護の瞳が、夏油を見据えた。

 

「っな、に!」

 

 その目は感情の見えない暗い瞳でこそあるが、意識の混迷などは見られない、確かな理性の色を携えている。

 ダメージなどまるで感じていないかのような平然とした表情を見て、夏油は理屈を考えるよりも先に、直感的に理解させられた。

 

 攻撃を誘われたのは、こちらだったと。

 

 咄嗟に飛び退こうとする夏油だったが、それよりも速く、護の印を組んだ指が向けられる。

 

「術式反転――」

 

 滑らかで素早い所作。しかし夏油には、なぜかこの瞬間その動きが、言葉が、まるでスローモーションにでもなったかのようにゆっくりに感じられた。

 それはまるで、走馬灯のような――

 

「――『(ヘキ)』」

 

 その瞬間、二人の間の空間が爆ぜた。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 護は戦闘が始まった初期の段階でどのようにして倒すか、その詰め筋を予め描いていた。

 

 護が切り札として保有している奥の手は四つ。しかし、現状で扱える手は限られている。

 それは、単に護の呪力残量だけが問題ではない。一番の問題は、夏油がその気になれば逃げられるこの状況。

 

 護は夏油が興味本位で戦闘に応じたに過ぎないことを、正しく理解していた。

 今回、少しずつ削っていくような持久戦は不利。中途半端に追い詰めるようなやり方をしてしまえば、危機感を抱いた時点で逃亡を図られる危険がある。

 

 必要なのは、そのような危機感など抱く間もなく、当てれば確実に仕留められるような必殺の一手。護が持つ切り札の中で、そのような手は二つに絞られる。

 

 一つは、隙を見て『部屋』の中へと封印する方法。

 手段としては、これが一番簡単な方法であるが、問題は相手が呪霊操術の使い手であるということ。

 

 護のような空間に干渉する類の術式は希少だ。本人、これまで自分と同じことが出来る術師はおろか呪霊にだってお目にかかったことは無い。

 だが、この世にそのような存在が絶対いないとまでは言い切れない。

 

 万が一、夏油が異空間を行き来できるような呪霊を飼っていた場合、仮に封印したとして無為に帰す可能性が生じてしまう。

 

 決しては高くはない可能性。

 しかし相手の呪術師としての経歴を考えれば、取り込んだ呪霊の数も百や二百じゃすまないだろう。その数を考えるならば、無視していい可能性とは言えない。

 

 よってこれは候補としては次善策。

 

 事実上、残された選択肢は一つ。

 護はただ、その一手を確実に当てる事だけを念頭に置いていた。

 

 現在の呪力残量を考えるならば、その奥の手は使えて一発。確実に当てる隙を作らなければならない。

 

 序盤の戦闘運びにおいて、護は自分の術式を小出しにした。

 消極的な使い方をすることで、相手自身に推測を深めさせ、その上で術式を開示して信憑性を持たせる。

 

 実際、夏油の推測に間違いは無かった。

 護自身の術式説明にも虚偽は無い。

 

 ただ一つ誤魔化しが有ったとするなら、空間転移に関する説明。それだけは、詳細な説明を避けた。

 

 護の術式は結界により空間を隔離し、操作するというもの。術式の対象となるのは結界そのものか、その内側にしか効力を発揮しない。

 にも拘わらず、何故護は普段から身一つで空間転移が行えるのか。

 

 呪術において、自身の肉体とは魂を保護する器であり、ある種の結界であるという考え方がある。

 解釈の幅を広げることで術式の幅を広げる術を拡張術式と呼ぶが、護はこの概念を応用していた。

 

 拡張術式『魄錬拍動(はくれんはくどう)

 

 自らの体を一つの結界と定義し、肉体そのものを術式の対象とする技。

 そしてこれは、何も空間転移を可能とするだけの技ではない。

 肉体の純粋な強度、呪力特性や術式効果に対する耐性、それすらも通常の呪力強化ではできない範囲で強化することが可能。

 

 実の所、空中にて鳥型呪霊の一撃を受けた時、護は夏油を結界で覆うこともできたのだ。肉体を術式で強化すれば、攻撃に耐えながら結界を形成することはできた。

 それをしなかったのは、護の術式には多大な集中力が必要だという印象を植え付けるため。

 

 そもそもダメージを受けながら呪術を使える呪術師など少数派だ。よほど感覚的に使用できる術式ならばともかく、護のように意識的に発動するタイプには珍しい事でもない。

 

 故に夏油も、この点に関して疑いを持つことは無かった。

 

 護が術式を使うには、多大な集中力が必要で、強力な結界程タメが要る。

 攻撃を受けながらでは術式の発動はできない。

 

 これらの情報を踏まえた上で、且つ護の狙いを転移による不意打ちと読ませた上で反撃を返したこの状況。

 結果、夏油の中で反撃を受けるという警戒は最大限まで薄まった。

 

 但し、これだけではまだ不十分。

 幾ら不意を突いたと言っても、それで完全に油断してくれる程、特級という存在は甘くない。 

 

 術式反転『闢』は、僅かに生じた隙を広げるための一撃だった。

 

 

 

 

 

◆◇◆

 

 

 

 

 イメージとしては、限界まで空気を送り込んだ風船が弾けたかのような。しかし威力としてはそんな生易しいものではない衝撃が、護と夏油、二人の全身を叩きつけるように襲い掛かった。

 

「カッ、ハ……」

 

 体内の空気を無理矢理押し出したかのように、苦し気な息を吐きながら、夏油の体が宙を舞う。

 一方で術を発動した護自身の体も、その衝撃の余波を受けており、倒れたまま地面へと深々と埋まってしまった。

 しかし当の護自身はまるで気にしていないかのような冷淡な表情で、夏油の姿を見つめていた。

 

 

 術式反転――それは反転術式によって生成したエネルギーを自身の術式に流し込むことで、本来とは異なる効果を得る技術。

 護の盤象結界術は空間を隔離し、閉じ込める、いわば世界の内側に向かって作用する術式。

 『闢』はその反転。世界の外側へと流出する力。空間を開き、穴を空ける術式だ。

 

 護が普段使う『部屋』もこの術式の応用によって構築されたもの。

 もっとも護自身、この術そのものを戦闘に用いることはほとんどなかった。空間に穴を空けると言っても、膨大な呪力を時間かけて収束させ、ようやく少しばかりの穴が空く程度。

 

 しかしこんな術でも、全く使い道が無い訳ではなかった。

 

 この術は、空間に穴を空けるための前段階で、その範囲内の物体を外へと弾き出す作用がある。

 あくまで術式そのものの効力ではなく、副次的に発生する現象。

 それ故護自身も細かい制御はできず、発動すれば自分諸共弾き飛ばしてしまう自爆技。

 

 だが、だからこそ細かいコントロールなどの必要がなく、ただ発動するだけならばそれほど時間もかからない。

 出の早い技が無いと思っていた夏油に対しては、まさに意表を突く一撃だった。

 

 

(獲った)

 

 宙を舞う夏油を眺めながら、護は静かに自身の勝利を確信した。

 事ここに至り、当初思い描いていた勝利への行程は、ほぼ9割方完遂したも同然。後は残り一手、それを打てば詰みであると。

 しかし勝利を目前にしながら、護の中に焦りや高揚といった感情は無かった。速やかに体を起こしながら、その目は油断なく夏油の姿を見据え続ける。

 

(呪力は凪いでいる。仮に向こうが対抗策を持っていたとしても、今から呪力を練っては遅い。

 対処は――不可能!)

 

 即座、護は呪力を練り上げながら、自らの胸の前で両手を合わせた。

 今まで使っていた片手で組むものではなく、両手を使った掌印を組みながら、護は静かに口を開く。

 

「領域――」

 

 

 一方で、夏油も宙を舞いながら、その構えを取る護の姿を確認していた。

 

(ああ、なるほど……それが使えるのか)

 

 半ば諦観が籠ったかのような視線。

 先程感じた走馬灯のような感覚は、今なお夏油の中に残っていた。

 濃縮された時間の中、まるで魂が肉体から切り離されたかのように、俯瞰しているかのような感覚。

 

(見事だ……)

 

 おそらく、現実には1秒にも満たないだろう刹那の時間の中、夏油は護に対して称賛の念を抱いていた。

 

(まさか領域に取り込むために、ここまで手順を踏むとはね)

 

 領域展開、それは構築した結界内に自らの生得領域を具現化し、必殺の術式を必中必殺の術式へと昇華させる呪術師の極致。

 まさしく奥義、必殺技と呼ぶに相応しい強力な術であるが、反面幾つかの対抗策も存在しており、膨大な呪力消費と使用後の負荷により術式が一時的に使えなくなるという諸刃の剣。

 

 特級と呼ばれる術師ならば、領域に対する対抗策も持っていて当然。故に護は、それを警戒して致命的な隙が生じるのを待ったのだと、夏油は察した。

 

(認めるよ、五条護。今回の勝負に関しては君の勝ちだ)

 

 呪具も呪霊も、今後に備えて見せる手札は最小限に温存し、全力には程遠い状態であった。

 しかしそれを言い訳にするつもりは無く、そういった見積もりの甘さも含めて上をいかれたのだと、夏油は素直に今この場における敗北を認めた。

 

(だが――)

 

「――ここで死んでやれるほど、私が背負うものは軽くない!」

 

 瞬間、地面が大きく揺れ、大きな口が付いたミミズのような形状の、巨大な呪霊が頭を出した。

 

 

「――展か……」

 

 その姿を見て、領域を展開しようとした護の中で、刹那の時間思考が逸れる。

 

(予め、地面に呪霊を控えさせていたのか。だが、距離が遠い。今更何ができ……ッ!)

 

 思考に要した時間はほんの一瞬。その僅かな時間で構わず領域に取り掛かろうとした護は、しかしその呪霊が有栖達の方を向くのを見て、固まった。

 

(ッ、またか!)

 

 そう思いながら、護はチラリと夏油を一瞥すると、落下しながら得意気な笑みを浮かべた表情。

 

(二番煎じで悪いね)

 

 目線でそのような事を言っているように感じ取り、これまで冷静さを貫いていた護は、その相貌を崩してギリッと歯を噛み締めた。

 

 元々、最初に夏油が二人を狙う素振りを見せたのは護の術式に対する探りを入れるため。

 術式に対してある程度理解し、加えて強度を増した結界を張られてなお、二人を狙うようなことは無いと思っていた。

 

(あの呪霊なら結界の強度自体は問題ないか? いや、仮に強度が問題なかったとして、丸呑みにされて無事でいられる保証はない)

 

 仮に夏油を先に始末したとして、その後あの呪霊がどうなるのか。

 呪霊の中には領域を構築し、自身が消え去るとき構築した領域内の存在を丸ごと消し去るものも存在する。

 仮にあの呪霊の体内も、同じような法則が適用されるとしたら、最悪夏油を始末した瞬間、丸ごと消え去る可能性すらあり得る。

 

(ッ、馬鹿か! そうなると決まった訳じゃない。優先順位をはき違えるな。相手は特級の呪詛師だぞ)

 

 ここで夏油を見逃せば、より多くの人間の命が危険に晒されるのは目に見えている。

 たった二人の知り合いが、危険()()()()()()なんて曖昧な可能性で、こんな機会を見逃していい筈がない。

 

 極限の状況下、加速された思考の中でそのように結論付けた護。

 そして再び呪力を練り上げようとして――しかし気付けば、有栖達の下へと転移していた。

 

(何をしているんだ、俺は)

 

 そんな戸惑いを抱きながら、有栖達の前へと庇うように現れた護は、迫る呪霊の頭を結界で固定し受け止めた。

 らしくもない、不合理な行動。

 その憤りをぶつけるかのように、護は目の前で呪霊を固定した結界に呪力を流し込み、そのまま結界を炸裂させて呪霊の頭部を吹き飛ばした。

 

 派手に血を撒き散らしながら倒れていく呪霊の巨体。撒き散らされた血は有栖達を覆う結界にも飛び散り、その視界を一面赤く染めたが、すぐに消し炭のように黒く染まり散っていった。

 

 視界が開けた途端、すかさず夏油の気配を探る護。

 すると上空から、パチパチパチと、軽快な拍手の音が聞こえてきた。

 

「いやはや、見事だったよ。今のは流石に危なかった。まさかその歳で領域展開まで習得しているとはね」

 

 そこには、虫型呪霊の上に立つ夏油の姿。

 危なかったなどと嘯きながら、その表情は欠片も危機感など抱いていないようなあっけらかんとした様子。

 

「……随分と余裕じゃないか。俺の領域くらいじゃ大した脅威にもならないか?」

 

「そうでもないさ。さっきは本当に死ぬかと思った。それに余裕というなら君の方じゃないかい? 君、最初の方は手を抜いていただろ?」

 

「初っ端から手札を全て切る馬鹿はいないだろ」

 

(さて、どうする……もう領域で仕留めるのは無理だ)

 

 会話を進めながら、護は改めてどうやって仕留めるかを冷静に考えていた。

 当然ながら、もう一度同じ手段は通用しないだろう。

 やけっぱちで領域を展開しても、凌がれる可能性の方が高い上、残りの呪力が底を尽く。

 

 状況は依然不利。こちらは隠していた手札を幾つか見せたが、向こうは手札の数に限りが無い。

 にも拘らず、欠片も諦めた様子の無い護の気配を感じ取ったのか、夏油は楽し気に笑みを浮かべた。

 

「ククッ、違いない。その様子じゃ、まだまだ隠している引き出しは多そうだね。

 その中身にも興味は尽きないが、生憎とこれ以上は遊びじゃすまなくなりそうだ。ここらでお開きにさせてもらうよ」

 

「それを許すとでも?」

 

「強がるなよ。もうすでに、君もかなりの呪力を消費した筈だ。その上守る人間を抱えた上で、私に勝てるとでも?」

 

 確かに、分が悪いことは否めない。

 完全に打つ手が無くなったわけでは無いが、そうなると今度こそ有栖達を守る余裕は無くなる。 

 だが、それが分かった上で、護は素直に逃がしたくは無かった。

 

(ここで逃がせば、いずれ兄さんが相対することになる)

 

 特級術師に対抗できるのは特級術師だけ。

 ならばいずれ、兄が対処を迫られる時が来るのは目に見えている。

 

 護にとって、兄は絶対強者でこそあるが、神のように全知全能と思っている訳じゃない。

 護は知っていた。普段ちゃらんぽらんな兄が、時折昔の話をするときにはどこか寂し気な表情を匂わせることを。その表情を見せる時に、いつも決まって出てくる名前を。

 

(兄さんに、殺させるくらいならいっそ――刺し違えてでもここで……)

 

 確かに、有栖達の身を守りながら戦うのは難しい。

 だが、命を捨てる前提で挑むのであれば、やってやれないことは無い。

 

 護は、覚悟決めたかのように手をグッと握りしめると、そのまま掌印を組むべく指を伸ばし、そして――

 

 ――キュッと、背後からその手を掴まれた。

 

 突然の柔らかい感触に振り返ると、そこには護の手を握りしめる有栖の姿。

 

「……おい、危ないから退がってなよ」

 

 なんのつもりかと、訝し気な表情を浮かべながら声を掛ける護。

 すると有栖は、縋る様に手を握り締めたまま口を開いた。

 

「……今、何を考えましたか?」

 

「は?」

 

 質問の意図が分からず、疑問符が浮かぶ。すると今度は反対側から、まだ傷も癒えていない楓花が左手を掴んできた。

 

「なに、私達には戦況など分からんがな、今お前が何か危険な事を考えたのは分かる。

 それ以上は、やめておけ……いや、やめてくれ」

 

 普段の楓花からは考えられないような、切実な、まるで祈るかのように発せられた呟き。

 元から力の弱い有栖と、負傷している楓花。弱々しい手だというのに、何故か掴まれた手は異様なまでに力が込もっており、まるで必死に護を繋ぎとめようとするかのような意思を感じた。

 

 そんな護達の様子を見て、上空で夏油が愉快気に喉を鳴らす。

 

「いやぁ、モテモテだねぇ。意外と学生らしく青春してるじゃないか」

 

「あ゛?」

 

 茶化すような夏油の態度に、心底不愉快そうに顔を顰める護。

 

「ククッ、そうムキになるなよ。けどそうだな……見逃す理由が必要というなら、これでどうだい?」

 

 瞬間、夏油の背後に百は優に超えるような、大小様々な呪霊の大群が現れた。

 その光景に、すぐ横で息を呑む有栖と楓花。

 

「もしこれ以上やると言うなら、この呪霊達を外に放つとしよう。君がどんな奥の手を隠しているかは知らないが、最低限“帳”を破壊するくらいのことはさせてもらうよ」

 

(チッ、流石にあの数を処理しきるのは無理か……)

 

 護としても、この手の脅しは想定内だが、その呪霊の数だけは想定外。

 あれだけの呪霊が放たれれば、この学校の人間全てが全滅しかねない。流石に容認するには多すぎる犠牲だ。

 

「……次に会った時は、必ず殺す」

 

 かろうじて、護にはそれだけ言い返すのが精一杯だった。

 

「ではこちらも、次に会った時は倒すべき敵として、相対するとしよう。五条護」

 

 そう言って呪霊を消し去る夏油に対し、護も“帳”を上げて、戦闘終了の意思を示す。

 

 こうして、夏油傑との()()()戦闘は幕を閉じた。

 

 





 今回、改めて私って戦闘シーン書くの向いてないなと実感しました。
 無駄に凝った内容にしようとした結果、情報を詰め込み過ぎてゴチャゴチャしたり。
 多分過去一文章が乱れてるかもです。読みにくかったら申し訳ありません。
 追々読み返して内容を整理していくつもりです。
  


 一応情報整理として、今回主人公が使った技を紹介しておきます。


・術式反転『闢』
 基本的には作中で説明した通り。空間を隔離し操作するのが本来の形とするなら、この術式はその反転、空間を切り開く術式。ぶっちゃけ細かい理屈に関しては護君自身も理解してない。
 普段使っている『部屋』の存在は、この術式反転と順転の複合技によって創られたもの。融合ではなく複合という点に注意。

 術式発動の初動の段階で、その空間内にある物質を問答無用で弾く作用がある。これは術師である護自身も例外ではない。
 もっとも、これはあくまで無作為に反転術式のエネルギーを流して発動した場合に起こる現象。
 慎重に、ごく小規模の範囲に絞ってゆっくり術式を収束させた場合においては、その反発現象もほぼ抑える事が可能。
 


・拡張術式『魄錬拍動』
 自身の肉体を一つの結界として解釈する拡張術式により、直接術式を肉体に流し込む技。
 外界と自身を隔てる、結界としての性質そのものを強化しているため、純粋な肉体強化のみならず、出力にもよるが呪力特性や術式効果を中和し軽減する効果もある。
 イメージ的には領域展延の上位互換。

 デメリットとしては、肉体に術式を廻している間は他の結界に使えるリソースも減るということ。
 どれだけのリソースを割くか、出力によっては結構なブレ幅があるが、最大出力で強化を行った場合、花御や乙骨、遍殺即霊体の真人の防御力すらも凌ぐ。
 もっともダメージを受けないと言っても、攻撃を受ければ呪力は消耗するので無敵という訳ではない。


 
・領域展開『■■■■■』(不発)
 詳細に関しては今後出す機会があるかもしれないので控えるとして、概要としては結界内の空間を自在に操れるようになると思って頂ければ。
 基本的に取り込んでしまえば即殺できる領域。
 反面、効果が強力な分、発動にかかるタメが大きく、領域の範囲も他の使い手と比較して小さめ。
 加えて本人の脳に膨大な負荷がかかるため、領域を使用した後は術式が焼き切れるどころか、基本の呪力操作すらもガタガタになる諸刃の剣。

 ちなみに割とどうでもいいかもですが、掌印の形は“虚空蔵菩薩印”

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