ギギッ――と軋む音と共に開かれる扉。
先導する五条悟の背を追うように堂の中に入ると、中には薄暗い空間が広がっていた。
外の陽光が一切入らぬよう締め切られ、光源となる物といえば柱や壁に取り付けられた蝋燭の灯火のみ。
飾りらしい飾りも無く、ただ広いだけの簡素な空間。だからこそ、入ってすぐ目に入った。堂の奥、その中央に一人の男性が座している姿が。
(あれが、呪術高専学長……)
事前に聞いていたため、この場に居るその人物が何者かなど分かっている。
楓花は歩きながら、未だ距離の離れた所に居るその男を観察するようにさりげなく視線を向けた。
服の上からでも分かる鍛え抜かれガッシリとした肉体。サングラスを掛けた強面の風貌。
その姿は成程、歴戦の戦士を思わせる貫録ある居住まいに見えた――――ただ一点、周囲を囲むぬいぐるみの数々を除けば、だが。
(…………)
幾つものぬいぐるみに囲まれる厳つい大男。
しかも現在進行形でぬいぐるみを縫っているそのシュールな姿を見て、楓花はこの場において全くどうでもいい確信を抱いた。すなわち――
(……パンダを作ったの、絶対この人だな)
――と。
「……来たか」
そんな楓花の心境を他所に、ふと目の前の男がぬいぐるみを縫う手を止めて口を開く。
「珍しく時間通りに来たな」
「学長までそゆこと言う? さっき護にも言われたけど、みんな僕の事なんだと思ってんのさ」
「文句があるなら、少しは日頃の行いを見直せ」
おそらくは日頃から同じようなやり取りをしているのだろう。
注意するその声には半ば諦めているかのような響きがあって、小言もそこそこに切り上げると彼はその視線を楓花へと移した。
「……それで、その子が?」
「そ、護が言ってた例の子だよ。名前は鬼龍院楓花。
で、あっちのファンシーなヤーさんが夜蛾正道学長。ちなみに46歳バツイチ」
「余計なことは言わんでいい」
軽い調子で両者の紹介を済ませる五条悟にツッコみを入れる夜蛾。
そのやり取りを見て、楓花の肩から僅かに力が抜ける。
(思っていたより、まともな人らしい)
元より楓花自身、初対面の相手だからと物怖じするような性格ではないが、何せ相手は呪術高専のトップ。
あの癖の強い生徒達や目の前にいる教師を取りまとめる立場とあって、どんな変わり者が出てくるかと思っていたが、どうやら思っていたよりは話の通じる相手らしい。
「初めまして。ご紹介に預かりました鬼龍院楓花です。本日は時間を作って頂いたこと感謝します」
完全に気を抜いた訳では無いが、少なくとも表面上は緊張など感じさせない毅然とした態度で挨拶をする楓花。
そんな彼女に対し夜蛾は――
「帰りなさい」
ただ一言、突き放すように冷たい声を掛けた。
厳格さを感じさせる重々しい声音。有無を言わせぬその様子に楓花の表情が僅かに硬くなる。
「……それは、どういう意味でしょうか?」
「言葉通りの意味だ。護の頼みだからと時間を作ったが、生憎私は見込みの無い者に余計な時間を掛けるつもりは無い。
悪いことは言わない。帰りなさい」
「……見込みが無いとは、随分な言い草ですね。学ぶ意思がある者に対して教師が言う台詞じゃない。
こちらとしても、初対面の相手に値札を付けられる謂れは無いのですが」
そう言いながら、負けじと強気な笑みを浮かべて見せる楓花。
万が一にも機嫌を損ねれば自分など軽く捻られるだけの実力差が有るだろうことは察しているが、ここで素直に委縮して見せるほど、彼女は大人しい性格じゃなかった。
「君の事は予め聞いている。呪術に関して学びたいが高専に通う気はないと、そう言っているらしいな?」
「ええ……術師や補助監督官の中には、一般社会の中で立場を築き、支援を行っている人材も居ると聞きました。
私自身も、例え戦闘面で役に立てなかったとしても、他の立場からサポートができるよう進路の幅を狭めたくは無いと考えています」
「たしかに、術師の中には現場から離れ他の道に進む者も居る。
彼らの協力なくして、我々の活動は成り立たないだろう、重要な仕事だ。だが――」
そこで夜蛾は立ち上がり、楓花へ向かって真正面に向き直った。
サングラス越しで眼つきなど見えないのに、確かな鋭さを感じさせる視線が楓花へと刺さる。
「――彼らは必ずしも、望んでその選択をした訳では無い!」
怒声――というほどではないが明らかに先程より力の籠った声が、周囲の空気を震わせた。
「己の力不足を噛み締めながら戦場を去った者。
凄惨な現実に耐えられず、道半ばで心が折れた者。
理由は様々だが、彼らが進んできた道には多くの挫折と後悔が積み重なっている。
向いていなければ他の道を探せばいいなどと、最初から逃げ道を用意していた者など一人も居ない!」
「――ッ」
以前、護や呪霊から感じたものとはまた別種の威圧感に、自然と楓花の身が強張る。
それでも、自然と退がりそうになる足を堪え、尚も言い返そうと口を開こうとする。
「逃げ道など――――ッ!?」
が、楓花の言葉は続かなかった。
突如として夜蛾の背後にあったぬいぐるみの内の一体、カッパのようなぬいぐるみが動き出し、殴り掛かってきたから。
咄嗟、腕を交差しガードする楓花。
どうにか攻撃は防げたが、その勢いは殺し切れず軽く仰け反りながら後退してしまう。
「――ッ」
「逃げ道だろう? 戦う力が欲しいと言いながら、高専で学ぶつもりは無いという。
君の言葉からは、本気で戦場に立とうという意思が感じられない」
「……随分と、乱暴ですね。言葉を暴力で遮るなど、教師のやる事とは思えませんが?」
「そのような道義がまかり通ると思っているならつくづく甘い。この程度の理不尽、呪術師にはいつだって降り掛かるものだ。
話を続けるぞ。納得のいく答えが聞けるまで、攻撃の手は止めないが。
ちなみにその子の名前はキャシィ」
(聞いてませんが?)
と、内心で柄にもなくツッコミを飛ばす楓花を他所に、再び動き出すカッパの呪骸、キャシィ。
それを見ていたこの場に居るもう一人、五条悟は「あ~あ、まーた始まったよ」と呆れた声を出しているが、どうやら止める気は無い様子だ。
突進しながら繰り出されるキャシィの拳を、大きく横に跳びはね躱す。
(速いっ、だが動きは直線的。躱すだけなら――)
そう思った楓花だが、しかしキャシィは躱された先に在った柱に着地すると、そのまま三角飛びの要領で柱を蹴り、楓花に向かって再び拳を繰り出した。
「――――ガ、ッ!?」
拳が当たる直前、どうにか掲げた左腕のガードが間に合ったが、しかし体勢が崩れていたこともあって受け止めきれず、先程よりもなお勢いよく吹き飛ばされてしまう。
近くにあった柱に背中から衝突し、そのままズルズルと沈み込む。
そこでようやく攻撃の手が止まり、キャシィは何故か楽し気に踊り始めた。
幸い――と言っていいのか。どうやら倒れた相手にまで追撃の手を加えるつもりは無いらしい。
「将来の為に複数の選択肢を用意しておく、それ自体は間違った考え方ではないだろう。だが生憎、呪術師というのはまともな仕事ではない。
戦いに赴く者も、それを見送る者も、誰もが己の果たすべき役割に命を懸けている。
自分の出来る範囲でしか何かを成す気が無いのなら、そんな半端なモチベーションで務まる仕事ではない」
柱にもたれかかって項垂れる楓花に、夜蛾の激が飛ぶ。
「君に有るのか、その覚悟が!
もし無いのであれば、君の在り方は呪いに立ち向かう全ての者に対する侮辱でしかない!」
「…………」
楓花はそれを黙って聞いていた。
体に痛みは有るが動けないほどじゃない。しかし彼女はまるで動く素振りを見せぬまま、ただ静かに項垂れていた。
(あぁ……本当に、痛いところを突いてくる)
分かってはいた。
命を懸ける覚悟。それだけの熱意を抱く目的。この世界に関わろうとするなら、そんなものは有って当然。当たり前のように問われることくらい。
(幾つか受け答えのパターンは考えていたが、無駄だったか……)
そう思いながら、楓花は内心で自嘲気な笑みを浮かべる。
伊達に教師はやってないということか。おそらく、形だけ取り繕った言葉をいくら並べた所で意味は無いだろう。
夜蛾の言ったことは、事実その通りだ。
熱意や覚悟とは無縁の人間、それが自分だと楓花は自覚していた。
人の人生を劇とするなら、鬼龍院楓花は常に観客の立場に居た。
特別、何かに成りたい訳でも、何かを成したい訳でもない。
自身が何かの役を得て活躍するより、他人の
(それが変わったのはいつだったか……)
目を瞑り、瞼の裏の暗闇を見つめながら自問する。
最初は本当に、身を守ることが目的だった。
自分の望む望まざるに関係なく、呪いの脅威はいつどこで降り掛かってもおかしくないと思ったから。
そのための対抗策として力を欲したのは本心だ。
ならば今は?
どうして自分は、今観客の立場から舞台の上に立とうとしているのか。
そう己に問いかけると、自然と頭の中に一人の男の姿が浮かんだ。
(あぁ……わかっているさ)
理由なんて分かっている。分かっていた。
自分の中に在る動機なんて、今更問い掛けるまでも無く自覚している。
それをはっきり口に出せなかったのは、偏に自分の覚悟が足りてなかったから。
けどまぁ、口に出しにくいのも仕方が無いだろう。だって――
(役者に近づく為、自分も舞台に関わろうなんて……まるで粘着質なファンのようじゃないか)
楓花は、フッと笑みを浮かべると足に力を籠め、ゆっくりと立ち上がった。
「……立ち上がるか」
立ち上がった楓花を見て、踊っていたキャシィは踊りを止め、再び拳を構える。
しかしすぐには攻撃を再開せず、代わりに夜蛾が口を開いた。
「諦めるのであれば、そこで膝をつくといい。そうすればもう攻撃はしない。どうする?」
「…………」
その問い掛けに、楓花は沈黙を以って応えた。
「そうか」
夜蛾はただそれだけ呟くと、ゆっくりと楓花に向かって腕を掲げた。
それを合図に、飛び掛かるキャシィ。
すると次の瞬間――飛び掛かるキャシィに向かって、楓花は一歩踏み出した。
河童の呪骸、キャシィに弱点があるとするならその短い手足だ。
それはリーチの短さ――という意味じゃない。着目すべきは、その歩幅。
あの短い足では、どうしたって一歩の歩幅が小さくなるため、走ったりステップを踏んだりといった動作が難しい。
必然、キャシィは攻撃を仕掛ける際、勢いをつける為に必ず跳躍というアクションを挟んでくる。
そうなれば、後はタイミングの問題だ。
足に力を溜める瞬間を見計らい、その軌道を予測する。
そうすれば――
(掴むことは――容易いっ!)
踏み込む瞬間、楓花は僅かに姿勢を落とすと潜る様に前のめりに突っ込み、跳び上がったキャシィの足を掴み取った。
そうしてそのまま腕に力を籠め、思い切り床へと叩きつける。
「む……」
「へぇ……」
その動きを見て、僅かに驚いた反応を見せる夜蛾と五条悟。
そして最後、楓花はキャシィの足を掴んだまま、起き上がろうとするその胴体を足で踏みつけると、そのまま全力で体重を掛け、押さえ込みながら声を張り上げた。
「失礼、私は嘘を吐きました」
「嘘?」
「進路の幅を狭めたくないと言ったこと、アレは間違いだ。私には、ただもっと単純にあの学校を離れたくない理由がある」
そう言って夜蛾を見つめる楓花。
その瞳から、先程までとは異なる意思の強さを感じ取ったのか、夜蛾は神妙な表情で問い返した。
「……その理由とは?」
「惚れた男が居る」
「「……は?」」
夜蛾のみならず、後ろで控えていた五条悟すらも呆けた声を上げる。
しかし楓花はそんな二人にも構うことなく、思春期の少女ならば躊躇うような告白を、その内容に不釣り合いな堂々たる態度で言葉を続けた。
「そいつは自分の事にとんと無頓着な奴でね。放って置いたら、死ぬまでただ呪いを祓うだけの人生を送りかねないような危なっかしい奴だ」
最初は、その強さに淡い憧憬を抱いた。
次に抱いたのは、自己を顧みぬ在り方に対する苛立ちと同情。
そして以前の襲撃で、頼られることの喜びと、役に立てなかった悔恨を得た。
気付けば、楓花の中でその存在はとても大きくなっていて――
「別に私は、そいつの為に命を懸けて尽くしたいと思っている訳じゃ無い。
そいつの隣で戦いたいと、大それたことを思っている訳でも無い」
「ならば君は何を望む」
「……私がこのまま一般社会に戻れば、その男との縁は切れてしまう。
そうなればきっと、いずれ私の存在はアイツの中でそんな奴もいたなという記憶になり下がる。そんなのは到底我慢ならない」
一般人と呪術師でも全く関わりが持てない訳では無いだろう。
だがそれでも、やはり見ている世界、知っている世界はまるで違うものになる。それでは、本当の意味で傍に寄り添うことなどできはしない。
「私にとって優先すべきはそいつとの関係を維持することです。呪術を学ぶことはあくまでそのための手段。
だから私はそいつがいる内はあの学校を止めるつもりは無いし、呪術師としてのあいつの傍に居られるなら、術師でも補助監督官でも、どんな手段も選びましょう」
「……その結果、自分が死んだらどうする。
君は自分が呪いに殺される間際、その人物のせいでこうなったと呪わずにいられるか」
「……自分が死ぬ瞬間に何を思うかは正直分かりませんね。ただ――」
呪いの恐ろしさも、人の業の深さも楓花はまだまだ何も知らないのだから。
そもそも誰にだって、自分の死を明確に想像することなどできはしない。
だがそれでも、一つだけ言えることが有るとするならば。
「――もし私が死んだとき、アイツが泣いてくれるのであれば命を懸けた甲斐が有ったと思えます」
「そうか……」
そうポツリと夜蛾が呟くと、程なくして、楓花の足元であがいていたキャシィが大人しくなった。
すると、今度は近くに控えていた悟へと言葉を投げかける。
「悟、お前のことだ。どうせ面談の前から手はずは整えてあるんだろう?」
「まぁね」
「む……手はず?」
突然の二人のやり取りが分からず、疑問符を浮かべる楓花。
すると、そんな彼女に向かって夜蛾は説明を始めた。
「まず結論から言って、君がこのまま呪術を学ぶことは高専としては許可できない。
高専に有る資料の閲覧や施設の使用など、どれも正式な登録が必要である以上、上に隠すのは難しいからな」
「補助監督官にしろ術師にしろ、正式に登録されると任務とかも振り分けられちゃうからね。そうなると、結局そっちの学校に通うのは難しくなるって訳。
上の連中もこういう特例見逃すタイプじゃないからさ~。頭カッタイんだ、アイツら」
そもそもの前提、この面談の意義を崩しかねない説明に、楓花が訝し気な表情を浮かべる。
「けどまぁ、抜け道もある」
「抜け道?」
「そ、例えばウチみたいな呪術界でも特にデカい家――御三家って言うんだけどね。
御三家の術師に関しては、扱いに関してその家の内部で独自の裁量が認められてんの。
要は、ウチの預かりってことにしとけばとやかく言われる心配は無いって訳」
「では……」
「合格だ。ようこそ呪術界へ」
う~、どうしても学長とのやり取りがしっくりこぬまま、またも妥協して投稿。
楓花さんのキャラ、落としどころがこんなんで本当によかったんだろうかと、未だに悩んでしまう。
あとどうでもいい話、今回キャシィのことをキャシーと思って書いてたことに気づき、さっき急いで直しました。
異世界おじさんの気持ちが少し分かった気がします。
夏休みの締めくくりの水着回、開催するならどっちがいい?
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よう実4.5巻準拠。学内プールに行こう
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高専メンバー参加型。学外で皆と楽しもう