クラシック三冠の最後のレース、菊花賞に向けた最後の練習。ターフをひたすらに走るキングの姿を見ながら、ストップウォッチ片手に仗助は険しい顔を浮かべるのだった。
―――やはりあまりタイムは…
彼女は確かに、才能あふれる走力をもったウマ娘であることは疑いのない事実だ。それでも、彼女は2400メートルを超えたあたりから急速にタイムを落としている。現状の力から鑑みると、長距離に対する適正を持ち合わせているとはいい難く、彼女自身もそれは当事者として痛感しているはずだった。
「―――おい、キング…おめ~…」
「なによ、仗助…?」
その表情には、険しさがありありと浮かんでいる…最早彼女がターフに赴く理由は、その気高さからではないのだろう。彼女は今、その理想に盲目的に囚われてしまっている。本来ならば、彼女の走りの一瞬のキレから見ても…
――それでも、彼女に菊花賞に出るのを止めることは本番を数日前にして、掛けるべき言葉では決してない。
「ーー言いたいことがありそうね、仗助…でも」
「クラッシック三冠こそ、王道なんだから。一流のウマ娘として」
彼女には決して中長距離の適正がないわけでは決してない。これから伸ばそうとトレーニングを積んでいけば、成績を残すこともできるだろう。
「―――それに私はクラシック三冠路線で活躍しなくちゃあならないの…そうでなければならないのよ…!」
キングの母親は、まさしく一流のウマ娘だった。世界を相手取り、重賞のタイトルをいくつも勝ち取ったウマ娘。だからこそ、その娘である彼女が背負う使命や重荷が大きくなるのも必然なのだろう。
―――それでも、彼女には彼女だけの輝ける場所が…
「――私だって、本当はわかっている。それでも、菊花賞で勝ちたいのよ…!三冠路線で結果を残したいのよ…覚悟を決めてここに来たんだから‼」
「―――私の才能をお母さまに認めさせる」
彼女の覚悟に、彼女の背負った意思に仗助はこれ以上何も言うことができなかった。彼女が荒波に向けて航路を執るというのなら、最早トレーナーとしてできることは彼女が船から落ちたり、船が壊れたりしたりしないように支えてやれることだけだ。仗助は今にも零れ落ちそうなキングのことを見据えると、静かに頷き返すのだった。
秋も深まった今日のこの頃行われるのは、クラシック三冠の最後を飾るレースである菊花賞。京都競技場で行われる本戦は待ち受ける2度もの淀の坂を乗り越え、3000メートルという今までのレースとは群を抜いた長丁場を走りぬく必要があり、そのレースは「最も強いウマ娘が勝つ」と言われている。
――今日のレース、注目のウマ娘はどの子でしょうか
――やはり一人目はセイウンスカイでしょうね。いつも飄々とした様子の彼女ですが、レース展開は計算されつくされたものがあり、気づいたら彼女のペースという泥濘にハマっていた、なんてことも珍しくありませんからね。
――やはり5月に行われた皐月賞、目をみはるものがありましたからね。
――二人目はスペシャルウィークでしょう。彼女もクラシック三冠の内の一つ、日本ダービーを制していますからね。彼女の走りには、人を惹きつける魅力が詰まっていると思います。
「やっぱり楽しみーだな!スペシャルウィークとセイウンスカイの一騎打ち!」
「どっちが勝ってもおかしくないよね!」
話題の的とされているのは、クラシックを征した二人のウマ娘…実況や解説、ひいてはそのレースを一目見に来た観客たちも、ターフの上にいる彼女たちに視線を送ってはいるのだが、もはや勝負は二人のどちらが勝利を手にするのか、ということにおいてのみ注目が集まっていた。
「――もう私は注目されるウマ娘じゃあ…」
最早ここが自身の居場所であると、そして自身は一流のウマ娘であると、果たして胸を張って言えるのだろうか。仗助はいつものように私をターフに送り出してくれたが、彼自身も大なり小なりバッシングは受けているはずだ…それなのに彼はそんな素振りを一切見せることはない。
「―――とにかく今は目の前のレースに集中しないと」
彼女は晴れぬ気持ちのまま、重い足取りでゲートに向かっていく。その日、キングは5着と入着は辛うじてすることができたものの、満足のいくものとは程遠い結果でレースを終えるのだった。
血流が心臓を介して急激に全身に送られているためか、目の前が黒く靄がかかったように霞み、肺は悲鳴をあげるように空気を求め伸縮している。キングは辛うじて体裁を保とうと顔を上げると、周囲の歓声が彼女の耳に残酷に突き刺さった。
「――さすがの勝負だったな!勝ったのはセイウンスカイだ!」
「次は天皇賞かな?それとも年末の有馬記念か!」
「来年の活躍が楽しみだね!スペシャルウィークとセイウンスカイ、どっちも応援しなくちゃあな!」
―――ばかね、私…もう誰も…私のことを……
自身の信念に拘泥した滑稽さと、現実との乖離に叩きのめされる悔しさが、自身の瞳から感情の発露を流すのを後押しするーー人前でそんな惨めな姿を人目にさらすわけにはいかないと、キングは最後の意地で懸命に上を向くとターフを後にするのだった。
私が走る理由って…
キングが生まれ、ターフの上を走る決意をした時から今まで、彼女の眼前には一人のウマ娘が走り続けていた…そ認めたくはなかったが、そのウマ娘は正に一流のウマ娘であり、現役を退いた後も一流のデザイナーとしてその名声を盤石なものとした。今でも、ファッション関連のイベントに顔を出せば彼女の名前は第一に挙がり、レースの場同様にその功績を称えられている。そして、それなのにその娘である私は…
母である彼女の背中に追いつきたかった。思い返せば、ただそれだけの理由。それなのにいまの自分は、周りにどう映るのだろうか。只々そこに意固地になって、大した成績も残すことができない凡庸なウマ娘。これで果たして一流のウマ娘であると言えるのだろうか。
「……お疲れ、キング」
そこには自身のトレーナーである仗助がいつもの調子のようにーー実際のところは、彼は私の前で努めていつものように振舞っているのだろう。彼はそういう男だ。
「……ねぇ、仗助。私、間違っていたのかしら。挑戦なんてしなければよかったのかしらーーこんなに無様な……!」
珍しく弱音を口にする彼女を、仗助は無言で見つめていた。いつもであれば素直になるなんてキングらしくもないな、なんて軽口を叩くところであるが、彼女の様子を見ればそんな言葉を投げかけるのはとてもじゃあないが正しいとは言えない。
―――俺はキングのトレーナーだ。
彼女の懸命な、決して下を向かない走りを見た時から。皐月賞で彼女の心の吐露を胸に刻みつけたその時から。俺はキングを信じ、彼女の成長を見守るという決意に揺るぎはない。
「―――無様なんかじゃあねーよ。キング」
「―――結局、あの人の言う通りだったじゃあない。私は見向きもされない、こんなの一流じゃあ…」
「うるせーー!キングヘイローは一流のウマ娘だ!」
彼女の言葉を遮るように、仗助の声が辺りに響き渡る。彼女の決意を、彼女の意思を彼女自身が絶やすことは決して望む結果ではない。トレーナーとして担当ウマ娘が立ち止まっているというのなら、その背中を押してやらなければならない。
「――やめてよ。貴方も強情を張らずに、現実を見てよ!今の私には…誰にも」
キングは俯きながら、仗助の言葉を力なく否定する。彼女にどんな言葉を掛けてやるべきか仗助が考えあぐねていると、背後から突然声を掛けられるのだった。
「誰も見てないーー、そうおっしゃりたいのですか?」
「―――貴方は」
そこにいたのは仗助と協力し、トレセン学園の事件を追っているメジロマックイーンだった。彼女は驚いた顔をしてこちらを見つめるキングに近づくと、言葉を投げかけたのだった。
「今日のレースや今までのレース、僭越ながら見させていただきましたわ…貴方には十分に人を魅力させる才がありますわ。一瞬のキレ。最後に全てを撫で切る豪脚。そしてなによりーーどんな時にも足を止めない、そんな力強さが貴方にはある」
「そうだよ!キング!本当にお疲れ様!」
マックイーンの後ろから出てきたのは、常日頃キングの取り巻きとして彼女について回るウマ娘二人だった。彼女たちはまるでダイヤモンドのようにキラキラと目を輝かせながら矢継ぎ早に言葉を投げかけたのだった。
「貴方達…」
彼女を再び前に向かせるため。彼女が再び一流のウマ娘としてたーふの上に立つために。仗助は彼女の横に歩み寄ると肩に手を置いて言葉を投げかけた
「おめ~を認めないやつばっかじゃあないってことさ…たとえこの負けがあったとしても、俺はずっーーーと見てきたからよ~~」
どんなに人々が俺達を認めなくても、たとえ見てなんかなくても
「―――たとえおめ~のお袋さんを認めてなくてもよーー俺の目の前にいるのは、一流のウマ娘だぜ、キングヘイロー」
「……っつ」
何度打ちひしがれても。例え何度心が折れそうになったとしても。その度に根性で立ち上がり、決して諦めず前を向き続け、その姿で人を惹きつけるウマ娘
―――母親とは違う。彼女だけの魅力を持ち、その魅力と才能にあふれたウマ娘
「―――そんなことばっかり言って…」
「何度だって言ってやるぜ、キング…おめーは一流のウマ娘だ」
仗助に掛けられた言葉に、静かにキングは俯く。仗助からはその表情は窺い知ることはできない…キングは俯きながら口を開くのだった。
「…本当…貴方って人は…」
「―――俺もキングの走りに魅せられた一人なんだからな~~…」
その言葉を聞いたキングは両手をグッと握りしめ、地面に水滴から生じる染みを作りながらゆっくりと顔を上げた。
「――――おばか」
「本当に仗助…貴方ってへっぽこだわ!こういう時くらい諦めなさいよ!頑固でしつこくて、融通も効かなくて…諦めが悪い」
「――――私のトレーナーだわ……!」
「本当に…恰好がつかないんだから…」
そういうキングだったが、その言葉とは裏腹に棘はまったく感じられない。キングはおおつぶの涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら恥ずかしさで顔を覆うと、小さくつぶやいた。
「――――なんでこんなにへっぽこなのかしら……!私達はぁ…!」
仗助は涙を流すキングをその腕で引き寄せると、彼女の涙が枯れるまで胸を貸すのだった。
マックイーンは再び新たな旅路に向かって静かに歩みを始めた二人に静かに視線を送ると、在りし日を振り返りふっと笑みをこぼしたのだった。
―――やはり、トレーナーとウマ娘が切磋琢磨する姿はいいものね
彼女たちの旅路がせめて幸あるものとなりますように。マックイーンはその様子を静かに見届けると、その場を後にするのだった。
感情に整理を付けたキングが仗助に話しかけたのは、それから随分時間が経った後だった。
「ねぇ…仗助?」
「―――?」
「貴方、私に何か言いたいことがあったんじゃあないの?」
キングに菊花章の直前、かけようとした言葉。仗助は真っすぐキングを見据えると、言葉を彼女に投げかけられたのだった。
「お袋さんを追うの、やめようぜキング」
「―――!」
「キングらしい一流のウマ娘になればいい」
母親の背中を只追うのではなく、誰かに認められるために徒に走るのではなく。
「―――本当にそれでいいの?私がやりたいように、やっていいの?」
「―――あぁ。おめ~だけの道をいこうぜ、キング」
「―――私だけの一流を目指す…それって」
「それってとっても面白そうじゃあない」
誰かのためではなく、自分のために。
こうして二人だけの、新たな航路にむかって新たな航海が始まったのだった。