私が生徒会長として就任してから今まで、たった一度だけその職務を賭けて選挙が行われたことがある。私にその学園のウマ娘の一番上に立つ者としての異議を申し立て、その投票の対抗ウマ娘として名乗りを上げたその人物は、理路整然と自身が掲げるマニュフェストを数千もの生徒の前で演説し、その生徒たちの視線を一身に受けていた。
しかし。
彼女の掲げる理想は、そして彼女が他者に期待する理想は、少々周囲を律しすぎているものだと感じるのを禁じ得なかった。彼女が一ウマ娘として非常に優秀な人物であることは疑いのない事実であろう。しかし自身が優秀であるが故に、他者の感情やその乖離に気づいていない節がある。檀上に立つ彼女は、その事実に最後まで気づくことはなかったのだろう。スピーチが終わった時にはルドルフは自身の勝利を確信したのだった。
生徒会選挙が滞りなく終わった後にルドルフは彼女の姿を探し、やがて校舎の一角の花壇の前にいる彼女の姿を見つけた時、まるで野原に場違いに咲き誇る一輪の彼岸花のような、そんな強さと美しさを兼ねそろえたウマ娘だなと感じたのを今でも覚えている。私は花壇の花々に水をやるそのウマ娘の元へと近寄ると、背後から彼女に声を掛けるのだった。
「君はエアグルーヴ、だね?」
「……冷やかしに来たんですか?…」
「…そんなくだらないことではない。君と面と向かって話すのは初めてではあるんだが、一つ提案をしたい」
ーー「敗軍の将は以て勇を言うべからず」という故事成語がある通り、皇帝に闘いを挑んで敗北した以上、最早表舞台に立つもりは毛頭なかったが、唐突に勝者であるはずのルドルフが話しかけてきて、加えて提案をされたことに首を傾げるエアグルーヴだったが、ルドルフ自身はそれをものともせずに言葉を続けるのだった。
「生徒会副会長として、私の右腕となってくれないか?」
「……はい?」
突拍子もない彼女の提案にますます首を傾げたエアグルーヴだったが、そこでルドルフの口から語られた理想に共感し、そして全てのウマ娘の幸せを実現するのに自身の腕が必要であることを力説されて、最終的には彼女の提案を受け入れて生徒会副会長としてその手腕を発揮することとなったのだった。
皇帝シンボリルドルフの右腕として生徒会副会長としての任務をこなし始めてから数年後、トレセン学園で奇妙な騒ぎが続いたことがあった。そしてその奇妙な騒動が続く中で、会長の担当トレーナーが失踪するという事件が起きた。その事件は、会長が食事も喉を通らぬほどに憔悴させ、生徒会運営もままならないほどの事態に陥った。会長が不在の中でブライアンと共に生徒会運営にこなす一方で、自室に籠り切りの彼女のもとへと見舞いに向かう毎日だった。
そんな彼女も、やがていつもの日常を取り戻すかのように再び生徒会長としてその職務に戻ったが、その彼女の言動に違和感を抱いたのを今でも覚えている…つまり彼女の態度には、ある種の諦めのようなものを感じられたからである。いつの日かトレーナーが帰ってくることを期待して待ち続けるのではなく、まるで彼を失い、そして二度と帰ってくることがないという事実を懸命に受け止め、それでも前に進もうとする、そんな意思を感じ取ることができたのだった。それでも彼女の理想に殉じてどんなに辛い現実に直面しても滅私奉公するその姿勢に、エアグルーヴは彼女の右腕として献身しようと固く決意するきっかけとなったのだった。
そして再びトレセン学園に事件が起こり始めている。あるウマ娘の生徒が襲われかけて、不法侵入者の遺体がトレセン学園内で発見された…そして何より、会長が何か知っているという事実が彼女の心に深く疑念を落とし込むのだった。それでも彼女の右腕としてこの身を尽くそうと決心するエアグルーヴだったが、その意識は首筋の鋭い痛みと共に、深い闇に吸い込まれていくのだった。。
…生徒会室にただ一人立ち尽くす友人の姿は、夢遊病者や正体を無くしたかのように力なく、どこか芯のないものであった。スズカは倒れている生徒会長の側にいるエアグルーヴに声を掛けようとした瞬間に彼女の顔が突然こちらを向くとエアグルーヴは普段の彼女からは想像できないような卑小な笑みを浮かべながらこちらに言葉を投げかけるのだった。
「もしここにいるシンボリルドルフを助けようとするのであれば、それは私への攻撃に転じるものと見なそう…その瞬間に、貴様たちはそこに転がるルドルフと同じ運命を辿ることになる」
彼女の口から出た信じられない台詞に、エアシャカールは思わず室内に踏み込もうとする足を止めてしまった。エアグルーヴが会長を蔑むように呼び捨てたのはもちろんのことだが、彼女の発言からも彼女がスタンド使いになったことは明白であり、彼女の能力の全貌が判明していない以上、迂闊に彼女に近づくことはあまりにも無謀であることは言うまでもない…しかし彼女の心配とは裏腹にエアシャカールの隣から足が一歩踏み込まれると、その人物は何の迷いもないかのように室内に乗り込むのだった。
「ス、スズカ……!!」
目の前の少女は変貌してしまった友人を見据えながら、後方にいるエアシャカールに声を投げかけるのだった。
「…言わなくても分かっているわ。確かに私のやってることは無謀という他ない…それでも」
「目の前で友達が苦しんでいるなら、助けようと手を差し伸べるのが友達ってものじゃあないの!」
そういうや否や、スズカは目の前の友人に再び視線を戻す…冷静沈着な様子で視線を送る彼女とは対照的に、エアグルーヴの顔はますます加虐的な笑みを浮かべ、愚かにも室内に入ってきた無謀者を迎え入れるのだった。
―――自身の生まれた時のことは詳しくは覚えていなかったが、物心ついた時には両親だと思っていた人物から既に自身が血の繋がっておらず、実の子ではないことを告げられていて、ある種疎外感のようなものを感じていた。義両親はお世辞にも良い両親であったとは言えず、よく人目のつかないところでよく暴力を振るわれていた。どうやら由緒ある家柄であることをよく鼻にかけている様子であったが、その血筋を辿れば分家も分家、末席もいいところであり、自身のことを差し引いても、決して裕福な家系であるとは言い難かった。そんな上っ面な義両親とその家系、そして本当の親子の繋がりがないという事実、そして幼いころから義両親からの虐待は幼少のその人物に深い影を落とし、どこにも自身の居場所を見出すことができない、非常に暗い人物へと成長していくこととなった。そんな人物が小学校へ入学し、中学校へと進学すると粗暴な同級生から良いカモを見つけたと遊び道具にされるようになった。直接的に手が加えられなくても、教室中から自身に向けられる視線と嘲笑はその人物の心を深く抉り取るのだった。
そんなある日、その人物は目の前でひったくりの現場を目撃することになった。腰が車エビのように折れ曲がったおばあさんの腕から荷物を奪い取った原付バイクに乗った男が、自身の背中をすり抜けていく。後ろを振り向いて地面に這いつくばるおばあさんと目があったその時、僅かな勇気を奮いたててその人物は颯爽と走り去っていく原付を追うのだったが、交差点から飛び出したその時、横から乗用車に吹っ飛ばされたのだった。ボンネットに身体を乗り上げ、吹っ飛ばされたその人物は頭を地面に強かに打ち付け、数日間生死の境をさまようことになったのだった。
その人物が長い無意識という名の海原を回遊から目を覚ましたのちに、病室にやってきたのはスーツに身を包んだ初めて見る男だった。その男はその人物にひったくり犯についての聞き込みを行い、そしてその男から聞かれたのは病院に運び込まれた際に、医者の所見で事故では説明のつかない身体の傷を発見されたが、これは一体何だという問いだった。その人物は今まで受けた苦しみを正直に告げ、するとその男は「詳しい判断は何とも言えないが、恐らく義両親のもとへと帰ることはできないだろう」ということをその人物に告げるのだった。
病院から退院したその人物は、「児童養護施設」に入り、生活を送るようになった。しかし新しい環境で生活が始まってもその精神に内包する希死念慮は消滅することなく、時折怪物となってその人物の身体を這いずり回ることになった。ある日ベッドの上で目を覚ますと3階建ての施設の屋上に登ると、フェンスをよじ登ってそこから飛び降りたのだった。植え込みに落下したその人物は四肢があらぬ方向に折れ曲がり、枝に首の血管を傷つけて血が噴水のようにあふれ出すのだった。気絶せぬままぼんやりと空を眺めていると、偶然当直に来ていた保健室に在中する医師がその光景を目撃しており、懸命な処置と迅速な対応によって九死に一生を得ることになったのだった。
再び病室で目を覚ました人物だったが、目を覚ました時にその人物は驚きのあまり驚愕の声をあげた―――すなわちその背後には、人間とは言い難い人型の幻影が姿を現していたからであった。