芝1200メートル 天候:曇り バ場;良
キングヘイローと東方仗助、そして彼女の新たな出航当日。クラシック路線からの異例の転向となったキングの話題性も相まって、中京レース場は異様な雰囲気に包まれていた。満員の会場には、純粋に彼女の姿を応援するファン然り、向こう見ずのドン・キホーテを一目見ようと押し掛けた人々然り、彼らから発せられる熱狂によってボルテージは少しずつ上がっていくのだった。
「注目のウマ娘は先のスプリンターズSを2着に収めたアグネスワールド、彼女はG3、CBC賞も1着という好成績を残したスプリンターです。そしてそのスプリンターズSで1着を収めた本レースの大本命、ブラックホークは1番人気、枠番は8番です…」
軽快なテンポで進行するノイズ交じりの実況が波紋上に会場に響き渡り、やがて高らかなファンファーレが会場内に鳴り響く…キングは祈るように目を閉じると、無慈悲に自身を待ち構える処刑場のような様相のゲートに足を踏み入れ、その身体を収めるのだった。
僅かな…ほんの一瞬の沈黙が辺りを包み込む。キングは正面を見据えると、ゲートが開くコンマ一秒たりとも出遅れることのないように、前傾姿勢をとりその足を地面に踏み込むのだった。
ゲートが開き、並んだ選手たちが堰を切るように飛び出していく。1200メートルという短さで行われるレースは向こう正面からのスタートであり、その勝敗は僅か1分半もの間に決してしまう。春の到来を告げるある風が、レース場に僅かに残留していた寒風を吹き飛ばすかのように吹き抜け、会場のボルテージも相まってその気温を等加速的に上昇させていく。
「さぁスタートです!ブラックホークはゆっくりと飛び出していった、シンボリソードがいった。やはり内の方からメジロ―ダーリンがいった!そして2番手にアグネスワールドです」
キングは中団やや後方の位置で走りながら、集団を差し切るためのタイミングを見計らっていた。そうこうしているうちに集団はカーブに差し掛かり、やがて最終直線へと向かっていく。
「さぁ、どうなのか!先頭はメジロダーリン!メジロダーリンが逃げている!その横から赤い衣装のアグネスワールドが差そうとするこの局面!ブラックホークも続いているぞ!果たしてどうなるのか!」
レースも終盤に差し掛かり、実況の声にも熱がこもっていく。…最早自身の名前が挙がってすら来ないことにとやかく言うつもりは毛頭なかった。この局面で自身が勝利を勝ち取るためにはどうするべきか。何度も辛酸をなめ、地面に顔を付けて、そしてこの衣装を泥で汚してきた…そんなキングの心の中には最早明確に答えは出ているのだった。
…諦めないこと。これに尽きる。
再び一流の道へと歩みを進めるため。自身の母親の呪縛を断ち切るため…そして。
キングは先のゴールで待つ男に想いを馳せる。自身のことをバ鹿の一つ覚えのように信じ続けるあの男のことを。あの男が一流のトレーナーと胸を張って名乗れるように、自身が先頭でゴールを迎えてその証明をするのだ。
最終直線、大外からキングが抜群の末脚を発揮し、中団から一気にその位置取りをあげていく。予想外の彼女の健闘に会場からは興奮と困惑のどよめきが上がり、仗助を含めたすべての人々が彼女の走りにくぎ付けとなるのだった。
「大外からキングヘイロー!大外からキングヘイローです!会場は驚きに包まれています!…キングヘイローが撫で切った!!先頭でゴールに着いたのはキングヘイローです!」
「まさかまさかの電撃戦!数々の名スプリンターを制し、その頂点に輝いたのはーーーー」
「キングヘイロー!」
彼女の名前が告げられた瞬間、会場内はいまだかつてないほどの歓声が沸き上がり、熱狂の渦へと誘われる。その祝福を一身に受ける当の本人はいつものように余裕のある表情を浮かべると、徐に口を開くのだった。
「…ふふっ。みんな驚いているのかしら、それとも歓喜…?でもこの結果が示しているのはただ一つのシンプルな出来事よ!私には…才能があった…!そうでしょう、仗助!」
少し離れた柵の外からでも聞こえるような自信を呼びかけるその言葉。力強い口調とは裏腹に、その目には僅かではあるがこれが本当に現実なのか、という不安が見て取れた。仗助は柵を飛び越えると駆け足で彼女のもとへと駆け寄って抱きしめると、子供をあやすように肩に手を置きながら彼女が一番掛けてほしいであろう言葉を口にした。
「あったりまえだぜ!キング!」
仗助のその言葉を聞いたキングは、僅かにその瞳を潤ませながら、言葉を返すのだった。
「貴方もよく…私の才能を伸ばし、輝かせたわ。だからこそ、今日の栄光は私達の手の中にあるということよ!」
「『キングヘイローとそのトレーナー、東方仗助』に、ね…!!」
彼女の、彼女による、彼女のためだけの一流への道。レース前に会場に蔓延った戸惑いや、嘲笑の全てを撫で切ったその先にたどり着いたキングヘイローと東方仗助を取り囲む祝福は、いつまでもなりやむことなく続くのだった。
バスに揺られ学園に到着した仗助だったが、その時後ろから唐突に声を掛けられるのだった。
「やぁ、東方トレーナー。今日の高松宮記念、素晴らしいレースだった」
仗助が後ろを振り向くと、そこにいたのはシンボリルドルフとエアグルーヴの姿があった。今日のレースの労いの言葉だけをわざわざ掛けるほどルドルフは単純なウマ娘ではないことは既に周知のことだったため、仗助は頭を掻きながら彼女らに言葉を返すのだった。
「…それで、一体本題は何なんだ?」
「話が早くて助かるよ。実は先日生徒会の元にこのような報告書が上がってきた…その内容があまりにも異質だったんでね。何かきな臭いもの感じて君にも見てもらおうと思ってね」
エアグルーヴが持っている資料を渡され目を通した仗助だったが、その内容はあまりにも衝撃的なものであった。
「日本トレーニングセンター学園 理事長;秋川やよいの解任決議について」