初めて先輩と出会った時のことは、まるで昨日のことのように思い出すことができる。トレーナー業に代々携わる家の方針もあり、トレーナーとしてのノウハウは自身が物心つくころから父を始めとした人々に叩き込まれてきた。そのおかげもあってか、トレーナーの養成学校に入学した際には首席で入学し、意図してはいなかったのだが自然と期待の目を集めることになった。入学してある日のことだった。学校に入学したばかりということもあり、次の移動教室の場所に向かっていたが、道に迷ってしまったことがあった。校内の一角で道に迷っていた私に声を掛けてくれたのが、先輩だった。彼は太陽のように温かな笑顔を向けながら、丁寧に次の居場所を私に教えてくれたのだった。
それからよく、私たちは学校で度々顔を合わせることになった。初めは顔を合わせると会釈する程度の関係だったが、やがて世間話を交わし、時折放課後や休日に何処かに遊びに行く仲となっていた。彼が一足先に学校を卒業し、一流のトレーナーやウマ娘たちが集まるトレセン学園に就職したことを知ると、自身も彼の背中を追うことができるように懸命に努力し、数年後には同じトレセン学園でトレーナーとしてキャリアをスタートさせることになった。
「…先輩にとって、生きるって何ですか?」
「急にどうしたんだよ。何か変なものでも食べたのか?」
ある時、ふとそんなことを彼に尋ねたことがある。あまりにも哲学的で、暇つぶしで発する話題としてはあまり意味を成さず、少し相手を戸惑わせてしまうような、そんな質問。それでも彼は考え込むように指で顎を弄りながら、徐に口を開くのだった。
「……人ってやつは、何かしら意味を持って生まれてくる。形には見えなくても、たとえこの世に生を受けてすぐに死んでしまったとしても、それにはきっと意味がある。つまり、その意味を見つけ出して、そこに向かって生を終えることができたら、その人は幸せって呼べるんじゃあないか?」
そう言葉を織りなす彼の横顔はいつものような笑顔ではなく、何処か寂しさ、後悔の念を窺い知ることができる、そんな表情だった。彼のそんな初めて見せる表情に目を奪われながら、彼女…桐生院葵は彼の自身に合わせてくれる歩幅に居心地の良さを感じながら、ゆっくりと歩いていくのだった。
高松宮記念を無事に1着に収めたキングは、シニア期の短距離、マイル路線のG1・安田記念、スプリンターズステークスを1着で収め、これまで世間から評されていた「世間知らずの高枕」という評価から一転、「一流のスプリンター、マイラーウマ娘」として、後れをとってはしまったが、スペシャルウィークやグラスワンダー、エルコンドルパサーらといった黄金世代の最強の一角としてその名前を連ねるようになっていた。
仗助はその日もいつものように練習の打ち合わせをしようとキングの元へと足を運んでいた。トレーナー室の扉を開けるとそこには自身の担当ウマ娘、キングヘイローがパイプ椅子に座っており、こちらに首を傾けるのだった。
「遅かったじゃあない、仗助…」
「すまね~な、キング…さぁ、ミーティング始めようぜ?」
まるで熟年主婦のようなやり取りを交わしながら、仗助はキングの正面に配置されている椅子に腰を下ろす。…その様子を見届けたキングは徐に口を開くのだった。
「この間のスプリンターズステークスも無事一着、いよいよ私の「マイラー・スプリンター」としての実力が正しく評価されてきたのは嬉しい限りね…それで次はどのレースにしようかしら?やっぱりマイルチャンピオンシップかしら?」
「……いや、キング。俺達が目指すのは秋シニア三冠の初戦、秋の天皇賞だ…ここで俺達は一着をもぎ取る」
「オイオイオイオイオイオイ!仗助、聞き間違いじゃあなかったら、貴方今「秋の天皇賞に出る」っていわなかった!?そして「1着をとる」なんてことを口にしたんじゃあないの!?」
「キングの今の仕上がりであれば、十分に1着を獲れるタイトルだ…」
「ねえねえねえねえねえねえねえ!!秋シニア三冠を求めて、強豪が参加することを火を見るよりも明らかよ!それこそジャパンカップを控えたスペシャルウィークさんや、去年の有馬記念を征したグラスワンダーさんだって!それにシニアになってからあまり成績は振るってはいないけど、ステイヤーとして菊花賞を征したセイウンスカイさんだって…」
「勝利するだけだ」
「―――だから気に入ったわ!」
仗助とキングの軽快に繰り広げられた言葉の応酬は、突然示し合わされたかのように終わりを迎える。仗助は王たる呼び名にふさわしい風貌、貫禄を身に着けた彼女を見据え言葉を続けるのだった。
「夏の合宿でキングのスタミナは大分補強された。今なら10月の天皇賞。伸びしろ次第では12月の…」
「――有馬記念にも手が届くと?」
仗助が同意の意を示すために首を縦にふると、キングはいつものような態度で言葉を返すのだった。
「わかったわ!10月の天皇賞、そして12月の有馬記念を取る!それが私たちの一流への道筋よ!」
「…セイウンスカイ!一体どうしてしまったというのか!春の天皇賞、1着はスペシャルウィーク!」
「……シニア期になってセイウンスカイは振るわなくなったね」
「少し早いけど、やっぱり選手としての全盛期は…」
「すまない…スカイ。僕の指導不足だ…」
…セイウンスカイ。その名前にそぐわず、今の私の心には常に暗雲たちこめている。ウマ娘という生物、そして競技者として大成するにはある程度「血筋」というものが関係するとされている。「メジロ家」といった競技者としてその将来を期待され、幼いころからお抱えのトレーナーたちを始めとした一流のトレーニングを受ける彼女らや、自身の同期の一人であるウマ娘、キングヘイローもその血筋は「良家」そのものであり、彼女が競技者として活躍する前から注目が集まっていた。私の家系は競技者としてはとてもいい家柄であるとは言えず、ごく普通のありふれた家族のもとで生まれ育った。
競技者としてデビューした後もその影は私について回り、デビュー戦から2連勝した後の皐月賞の前哨戦、弥生賞で私は1番人気にはなれなかった。そんな周囲の目を見返してやるために、懸命に努力をしてきたというのに。
ここ最近のシニアの成績をみれば、自身に向けての世間の評価もおよそ正しいものと判断されるのも妥当であろう。スカイはその瞳に影を落としながら、重い足を引きずるように歩いていく。すると、突然首から鋭い痛みを感じるのだった。
「……え?」
懸命に首を動かすスカイだったが、その意識は急速に暗闇に吸い込まれていく。しかし、最後に彼女の視界に映ったとあるものに、彼女は驚愕するのだった。
「……あれは」
次の日、仗助とキングは学園内に併設されているプール場にてスタミナの上昇トレーニングに励んでいた。天皇賞に備え、彼女の末脚を十二分に発揮できるまで彼女のスタミナを確かなものにする必要がある。仗助はキングのスイミングフォームを確認しながら、的確に指示を出していく…すると突然背後から殺気を感じる。仗助反射的に仰け反ると、その横を攻撃がすり抜けていくのだった。
「……おめ~は見覚えのあるやつだな~…」
「セイウンスカイさん…っ!」
「どもども~、セイウンスカイで~す。キングとそのトレーナーさん…そして」
「さようなら!」
「こ、これは…!なンなンだよ、これは!ま、まさか…!」
一方そのころ、エアシャカールは一ノ瀬の遺体が発見された付近で見つけた小石から情報を得ようと能力で調査をしていた。すると、とんでもない記載が数年前のデータに記載されていることを発見したのだった。
この記載がある通りなら、きっとこの一連の事件の犯人が誰であるか絞り込むことができるかもしれない。エアシャカールはその驚愕の事実が記載されたデータを手に、仲間である仗助に伝えようとする。すると部屋を出て背後から声を投げかけられるのだった。
「…おいおい!廊下を走ったらだめだろう?ウマ娘が本気で走ってぶつかったらケガしちまうぜ」
エアシャカールは立ち止まって声の主の顔を確認する。確か彼女は、グラスワンダーの担当トレーナーだったか。
「…すまねー。ちょいと急いでいたもンで」
「そうかそうか。一体何の用でだい?」
エアシャカールを呼び止めたこの男、九条拓実は彼女を始末するため彼女を警戒させないように両手を広げながら彼女に一歩近づくのだった。すると突然彼女の扉からけたたましく開かれると、ペンが九条に向かって弾丸のように飛び出していくだった。攻撃を受けないようにスタンドでガードした九条だったが、その様子を見たエアシャカールはゆっくりと口を開くのだった。
「……やっぱりこンなタイミングで話しかける時点で怪しいって思ったぜ」
「……くっ」
「そして情報を掴んだオレを始末しに来たってことはだ…」
「……テメーが一連の事件の犯人ってことだな」