罅割れ世界のプライムパッセンジャー   作:ZenBlack

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epis10 : unsullied malice

 

<レオ視点>

 

 ラナという年上の女性は、変な「人」だった。

 

 

 

 本当に、獣のように過ごした十年余りの年月(としつき)

 

 その「僕」にとって、「人」(たにん)とは基本的に「敵」で、空腹に耐えかねて食べ物へと手を伸ばせば、殴るか蹴るかされる、逃げても追ってきて暴力と罵詈雑言を浴びせてくる、つまりは「僕」が生きることを妨害してくる、はっきりと言ってしまえば、邪魔な存在だった。

 

 物心付いた頃にはそう思っていた。

 

 少し成長してきて、それらが喋る言葉を少し理解できるようになって。

 

 その、食べ物へ手を伸ばす行為が、「盗み」「窃盗」などと呼ばれる「法的にいけないこと」だと知った後にも、そこから先の理解は何も変わらなかった。

 

 世界には「法律」という、「僕」が「食べること」を「妨害する」何かがある。

 

 数年前まで、「僕」の認識は、そういうものだったと思う。

 

 

 

 ラナに拾われて二ヶ月が経った。

 

 

 

 今でも「法」が必要という理屈は、完全には理解、納得できていない。

 

『みんながそうしようって決めて、みんなで守るのが法律。そうしないとみんなが好き勝手して、社会が滅茶苦茶になってしまうでしょ?』

 

 そう言われても、僕は「そうしようって決め」たことへ、納得した覚えがない。

 

 それは「僕」の知らないところで決まったことだ。

 

 押し付けられても困る。

 

 社会が滅茶苦茶に、とか、そんなの僕には関係ない。

 

 関係あると言うなら、じゃあ「法」にとって、「僕」は何であったというのか?

 

 親も頼る人もいない「人」(ぼく)は、餓えて死ぬべきだというのか。

 

 それが「法」であるというのか。

 

 それこそ「滅茶苦茶」だと思う。

 

 

 

 

 

「んー」

 

 ……クシュリと、音がした。

 

「ホント最近、理屈っぽくなってきたよね、レオ」

 

 しばらくじっと僕の話を聞いていたラナの指が、また髪と泡の中を動き出す。

 

 クシュクシュクシュリ。細い指が泡の中で踊っている。

 

「意外と、この中に詰まってる脳味噌は高性能なのかもね」

「ん」

 

 つんと一回、頭のてっぺんを左の人指し指で弾かれた。

 

 水色の絨毯の上に、でんとおかれた白い浴槽の中に、僕はいる。

 浴槽は泡だらけで、その中へ半身を埋めた僕は、何も身に付けていない。

 

 ラナは僕の後ろに、白いゆったりとした服を着て立っている。

 ふわふわした袖を揺らし、それを泡だらけにしながら、手を僕の頭髪へと突っ込んでいる。

 

「理屈っぽかったらダメなの?」

「んー」

 

 クシュクシュクシュ、しゅこじゅこ、じゅこぢゅこ。

 

 柔らかで暖かな指の腹が、妙な音を立てながら僕の頭皮をこすっている。

 

 心地良いという気持ちと、どこかそれへ反発したいという気持ちが、同時にある。

 

 こんな使用人がするようなことを、この人にさせてしまっていいのかという疑問。

 

 主客逆転の構図に覚える居心地の悪さ。

 

 自分が子ども扱いされているんじゃないかって不満。

 

 それは二ヶ月、ほぼ毎日こうされていながらも、慣れることのできないもどかしさだった。

 

「べっつに~。でも理屈っぽい男は、女の子にモテないかもね」

 

 そんな僕を、いつも後ろから洗髪するラナは、対照的にどこか楽しそうだった。

 

 泡と体勢のせいで、僕からはラナの顔が見えないけど。

 

 それが不公平というか、僕の方が損をしているんじゃないかって気持ちにもさせてくる。

 

「モテるってなにさ」

「ん~……君はまだ知らなくていいかな~、ガリッと」

「わっ!? ちょっ!? 爪を立てないでよ!!」

 

 ラナはなぜだか、こんな風に僕を洗いたがる。

 

 それはまぁ……最初の内は、当然だろうなと思っていた。

 

 ここにきたばかりの「僕」は、とにかく汚く、臭く、汚れていたらしい。

 

 頭には沢山のノミやシラミがわいていて、それはもう『信じられない』状態だったらしい。

 

 まずはご飯を……と目の前に出された食事を、甘いも辛いも熱いも冷たいもわからぬまま、無我夢中でむさぼり食べた「僕」は、満腹で動けないことをいいことに浴室へ連れて行かれ、そこで掛け湯とかぶり湯が焦げ茶から透明になるまで入念に、丁寧に洗われた。

 

『血の匂い、取れないね』

 

 そんなことを言われながら、今と同じこの浴槽に、ぼぅっと浸かったのを覚えている。

 

 その日は、真っ白なふかふかのベッドで眠りながら……ああ、だからあんなにも洗う必要があったのか……と思った。その日は、真っ白なベッドへ血の匂いが染みていかないか不安に思いながらも安眠、熟睡してしまった気がする。

 

「ん~。ほらしゃこしゃこしゃこ~」

「口でしゃこしゃこ言わなくてもその音、普通に出てるからね? 僕の頭から」

 

 けど。

 

 それから毎日、僕はこうして洗われている。

 

 最初に拒否するのを忘れてから、なんとなくズルズルと、それは今ではもう日課のようにも、習慣のようにもなってしまっていた。

 

「汗の匂いがする。今日も剣を振っていたんだ?」

 

 運動しているから汗は流れている、それを洗い流すというのは当然のことだ。だけどもう身体の洗い方は知っている。こうしたことは、むしろ使用人がやるべきであるという常識もだ。そしてラナはこの家の使用人などではない。

 

「……ごめんなさい」

「謝ることじゃないけど」

 

 ラナはそれなりに大きな商家の一人娘だった。

 

 だけど、父親からは『育児放棄、ネグレクトって状態ね』をされているらしく、(いえ)ではいつもひとりだ。幾人かいる使用人も、普段はラナに近付こうとしない。

 

 そして『ママは後継ぎを産めなかったから』云々、『パパは自分が可愛がっている丁稚に商売を継がせようと教育しているから』云々、『パパは両刀だから』云々、『だからこっちの家には帰ってこないの』云々。

 

 ……両刀がなんなのかはよくわからなかったが、それは僕が立ち入っていいことではないと思い、深入りはしなかった。

 

 ラナの「ママ」にも関わりはない。彼女はいつ見ても生気の無い顔をしていた。そういう他人へ関わるのは、スラム街ではタブーだった。

 

 時々、悲しそうに吠える犬の声が聞こえる。番犬だろう、僕も一度だけ大型の犬を見た。その時に僕へ執拗に吠えてからは、隔離されてしまったけど。

 

 だから僕には、この家でラナだけが生きている存在のようにも思えた。

 

「痒いところはありますか~、お客さん」

「それ、よく言うけどなんなの?」

 

 ラナの細い指から弾かれ、浴槽へ落ちた泡がシャプンシャプンと弾けている。

 

 

 

 どうして僕を拾ってきたの? と問えば、最初の内、ラナは『お礼だから』と答えた。

 

 今にして思えば、それだって奇特な所業だったけれど、「お礼」が一日から一週間となり、一週間が半月となった頃、さすがの「僕」も、これはおかしいと思うようになった。毎日お風呂に入れられ、手厚く洗われていればなおさらのことだ。

 

『お世話になりました……では』

『待って、待っててば』

 

 初めてこの家に泊まった次の日の朝、手厚い歓迎と謝礼へぞんざいな挨拶をして、僕が屋敷を出ようとすると、思いのほか強く手首を掴まれ、呼び止められてしまった。

 

『あなたは命の恩人よ? それを一宿一飯(いっしゅくいっぱん)のお礼で済ますわけがないじゃない』

 

 それは、振りほどこうと思えばいつでも振りほどける、細い手だったけれど。

 

 僕には行くところが無かったし、空腹の辛さは身に沁みて知っていたし、生まれて初めて寝たふかふかのベッドは天国のようだったし。

 

 おまけに、その日は朝から雲が分厚く、すぐに大粒の雨がやってきそうな曇天の空だったし。

 

 そんな理由で、僕はラナの手を振りほどけなかった。

 

 最初は本当にそれだけだった。

 

 その日、降り出した雨がやんだのは四日後の夜だった。

 

 やがて、好天の日も続き、いい加減、さすがにと思い、強い意思で出て行こうとすると、ラナは『いいじゃない。お貴族様の真似事をしているだけだから、本当に気にしないでよ』と言い出し、今度は全身で抱きつくようにして僕を止めた。

 

『お貴族様……って?』

 

 問えば、『んー。平民の女の子をさらって無理矢理犯したり、地下室に監禁して好き放題することが趣味の変態野郎……って考えておいた方がいいよって、あたしは言われたかな』……という答えが返ってきた。

 

『は?』

 

 かすかな柔らかさを感じる背に、僕が気を取られながらも考え、考えても考えても言われた言葉の意味はわからなくて、でも、毎日洗われるという奇妙な日課にも、それは結びつく気がして……『じゃあラナも僕を犯したり、地下室に監禁して好き放題するの? 冗談じゃないんだけど』と返せば、ラナは『ん~……』とゆっくり考え、それから、まだ全然「綺麗」になっていなかった「僕」をジロジロと見て、一度ため息を吐いてから『ふふ』とイタズラっぽく笑い、からかうようにこう答えたのだ。

 

『女の子みたいに可愛くなったらそうしてもいいけど、レオは結構ちゃんと男の子だからなぁ』

 

 

 

「背もたった二ヶ月で少し伸びた気がするよね、その内、私を追い抜いちゃうんだろうな~。ちゃんと食べてちょっと運動するだけでいい身体になっていくとか、男の子ってば楽でいいよね」

「ん……」

 

 背中をつぃー……と指でなぞられる。それからラナは、僕の成長を確かめるように首筋へと指を這わせ、それから両手で肩を揉むように掴んだ。

 

 成長は、僕自身感じている。思いのほか、それを自分自身が喜んでいることも、また。

 

 

 

『お貴族様の真似事っていうのは、(いえ)に食客を招くってこと』

『食客?』

『ご飯を食べさせてあげて、もてなして、(いえ)にいさせてあげて……その代わりに時々働いてもらう……そういう、お客さん』

『働……く?』

 

 お願いがあるの……その時のラナは、真剣な表情でそう僕へと訴えかけてきた。

 

『あたしは多分、狙われている』

 

 ラナをさらおうとし、僕が殺したゴロツキ共。

 

 彼らはけして、街で偶然見かけたラナを、思い付きでさらおうとした訳ではないのだという。

 

『私……は、それなりに人目がある昼の路地でさらわれたの。それからスラム街の方へと運ばれたんだと思う。けど、これっておかしいでしょう? スラム街に、奴隷を買う商人はいないわ。それなのに、人目に付く危険を冒してまで、昼にそれなりの距離を移動しているの……きっと、あのゴロツキ達は捨て駒で、私はスラム街のどこかで、しばらく監禁される予定だったんじゃないかな。だから見られても良かったんだよ』

 

 ゴロツキ達は、スラム街の手前でラナを地面に降ろし、彼女を見張りながらそこで誰かを待っていたようだったという。

 

『でも、だったら、この事件には黒幕がいる。(うち)はそれなりに裕福だから、身代金を毟り取れると考えたのかもしれないし、パパの商売敵が、トチ狂って非合法の手段に訴えたのかもしれない』

 

 それなら、あたしはまた狙われるかもしれない。その時そこにレオがいなかったらどうなるかわからないじゃない。だから私の側にいてほしいの……と、ラナは言った。

 

 

 

「あたしも、レオみたいに鬼強い男の子だったらよかったのに」

「……ん」

 

 左肩をトンと、それなりの力で叩かれる。

 

「誰が見ても、こいつはナメちゃいけないぞって思うような、そんな男の子だったらよかったのに」

「っ……」

 

 今度は右肩を、左よりも強い力で。

 

「そうしたら……誰もおかしくならなかったのかな……」

 

 けど、叩いた手の方が痛かったのか、ラナの声は沈んでいった。

 

 

 

『あいつらが私を犯して殺すだけが目的の、ただのゴロツキだったら、別に良かったのよ。私の嫁ぎ先の最有力候補、わかる? あの丁稚よ。パパのお下がり。冗談じゃない、そんなところへ嫁いでいくんだったら、死んだ方がマシ。だから死ぬのは別に構わない……でも』

 

 

 

「ママもあたしも……こんな風じゃなかったのかな……でも……男には生まれたくなかったし……あんな……ケダモノみたいになるかもしれない生き物には……ぁ……」

 

 遠くで犬が吠えた。それで、ラナの呟きが止まる。そうしてしばらく沈黙してから、ラナはその頭を、おでこを、僕の泡だらけの肩へと載せた。

 

 

 

『死ぬのは構わない……でも、身代金目的でも、なにかしらの商売上の譲歩が目的でも……パパに連絡がいってしまう……その場合……私の命は……パパが握ることになってしまう』

 

 

 

 ラナの黒い髪とやわらかな鼻梁が、僕の首と肩周辺の肌をくすぐる。ぬるっとしてこそばゆい。

 

 

 

『それだけはイヤ。パパに助けられるのはイヤ。見捨てられても腹が立つけど、返しきえれない恩を背負い込むのは……もっとイヤなの……どうしてそれがこんなにもイヤなのか、自分でもわからないけど……でもイヤなの……』

 

 

 

「だからお願い……ね、あたしを助けて」

 

 今度はラナの額が僕の肩を叩く。

 ぺちと、少し間抜けな音がした。

 

「もう二ヶ月だよ……ラナ。二ヶ月だ。あのゴロツキ達に黒幕がいたとしても、最初の失敗で諦めたのかもしれない、計画の破綻でもう破滅しているのかもしれない」

「でも、かもしれない、でしょう?」

 

 心外だとでもいうかように、ラナは泡だらけの顔で後ろから僕の顔を覗きこんでくる。

 

 同じようなやり取りをした、最初の頃。

 

 

 

『いいじゃない。これはそれ込みの御礼、なんだから』

 

 

 

 ラナはそう言って僕に居場所をくれた。

 

「もう少し……あたしが納得するまで、私を守ってよ」

 

 危険が、あるのかもわからない護衛職。そういう居場所をくれた。

 

 けど。

 

「納得するまでって、いつまで?」

「さぁ?」

「さぁって……」

 

 既に二ヶ月。

 

 僕は何をするでもなく、毎日剣を振って身体を鍛え、たまにラナの話し相手になるというそれだけの「仕事」で、衣食住の全てが保証された生活を送れている。

 

 保障(ほしょう)はないが、保証(ほしょう)はある歩哨(ほしょう)

 

 確かに、これは破格の待遇だと思う。

 

 それに……危険があったとして。

 

 僕の命に、価値なんてない。

 

 それを賭けるだけで毎日ご飯が食べられるというなら、暖かな寝床が与えられるなら、それはもう本当に充分過ぎるほどの対価だ。

 

 スラム街(あそこ)では、命を賭けてさえ、残飯や襤褸切(ぼろき)れが手に入ってそれが最上の出目という生活だったのだから。

 

 だから、僕は不安定な立場のまま、いまだここに留まっていた。

 

 一人称さえ、あたしと私で不安定な、妙な年上の少女であるラナの下へ、留まっていた。

 

「ね、レオ」

「……なに?」

「あたしはこの二ヶ月、しばらく不要不急の外出は避けていたの」

「……知ってる。ほとんど毎日、ずっと一緒にいたんだから」

 

 一旦、ひきこもると決めたなら、そこはさすが裕福なお(うち)の子というわけだ。

 

 雑事は全部使用人に任せて、()(しょく)(じゅう)の中で全てまかなえる。

 

 この二ヶ月の間、ラナが(いえ)の外に出たのは二回だけ。

 

 そのどちらにも、僕は同行していない。だから詳細はわからないが、一度は将来について父親と話し合う場のようだった。帰ってきた時、すごく荒れていたから。

 

「正解。でも荒れてたのはパパと話し合ったからじゃなくて……帰り際、あの●●●野郎がニヤニヤしながら寄ってきたのが原因」

「え」

「アイツ、なんて言ったと思う?」

「……なんて言ったの?」

「色々思うところはあるでしょうが、私達はいい家族になれると思いますよ……だって。なりたくないっつーの、死ねよ……●●●●●●が」

「っ……」

 

 ラナが呪詛の言葉を吐いて、僕の肩に爪を立てる。血が出ることも、ガリと引っ掻かれることもなかったが、普通に痛い。

 

「あっ……ごめんなさい……」

 

 どうしていいかわからず黙る僕へ、ラナはすぐにハッとなって謝る。その反射的な、心ここにあらずといった謝罪は、ラナには時々ある謝り方でもあった。

 

「別にいいけど……だとしたら謝らなくちゃいけないのは、守れなかった僕なのかな」

「連れて行かなかったのはあたしの判断。むしろ謝られると困るわ」

 

 その、心が麻痺したかのような硬直の表情に、僕は不安を感じてしまう。

 

 どこかへ引き込まれてしまうようで、そうして堕ちた暗闇の底には僕などではどうしようもない何かがある気もして。

 

 僕などに、ラナを救えるのかが本当に不安で。

 

「レオは……出て行きたくなった?」

 

 ああ、この表情。

 

 すがるような、だけど何の感情も浮かんでいない、焦点の定まらぬ(ひとみ)

 

「別に。行くあてもないし、人らしい生活ができて助かっているのは本当。けど、ずっとこのままでいられるわけがないと思うし、このままでいいとも思ってないよ」

 

 そこには僕の知らない闇がある。

 

「……そう……だよね」

 

 だから、そうした瞬間に強く、思う。

 

 ああ……あの時のように人が斬りたい……と。

 

 僕にできるのは人を斬ることだけだ……と。

 

 だから、黒幕がいるというなら、早く襲ってきてほしいとも思っていた。

 

 人を斬るだけでいいというなら、それは僕には至極簡単なことであったから。

 

「あー、やめやめ。湿っぽいのは終わり」

「ん……」

 

 急に、ラナの手の動きが荒々しくなる。

 

 ふたりしかいない空間に、しゃこしゃこという音が白々しく響く。

 

 ラナは無心で僕の髪を洗っていた。それ自体は、心地良い。

 

 だけど、心此処(こころここ)()らずは、心此処に在らずのままだった。

 

 機械的で、完全に決められたルーティーンをなぞっている動き。

 

 時々、意図せずに僕の頭が動き、だけどラナの指はそれを自動追尾するかのように追ってくる。

 

 何も言わず、何も聞かず、ただ毛の生えた丸い何かを洗うという行為にのみ没頭してるかのような手技(しゅぎ)

 

 それを僕は、腕に止まった小鳥が怯えぬよう、息を殺し、気配を殺すように。

 

 小鳥の気が済むよう、飽きて飛んでいくのを待つかのごとく、ただじっと見守っていた。

 

 しばらくして、ラナは「よしっ」と何かに満足したような声を挙げ、桶で手を洗ってその湯をそのまま僕にざぁとかけた。顔を、すこしラナの匂いがするぬるめのお湯が流れていく。人の体臭など、大抵は吐き気がするモノだが、ラナの匂いは不思議と不快に感じない。

 

「……もう一回の外出について、聞かないんだね」

「その時に聞いたよ。野暮用って言ってた。おかしな様子もなかったし、それなら僕が詮索していいことでもないから」

「詮索して良い悪いはまた別の話だけど、レオの今後に関係することだよ」

「ん?……っぷ」

 

 もう一度、ざざぁと湯が頭に掛けられる。

 ぬるっとした洗髪剤が流れ落ちていく感覚がした。

 

 匂いまで消えてしまうことが、すこし残念だったけれど。

 

「どういう、こと?」

 

 そうしてまたラナは、変なことを言った。

 

「ねぇレオ……冒険者になってみる気はない?」

 

 

 

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