<レオ&マイラサイド>
それは、数秒の中の出来事だった。
幼女が歩いていた。
小さな背丈で、とてとてと歩いていた。
頭にはベールのようなものをつけていた。
今日は祭の日だった。
午後になり、しばらくが経っている。今日は祭り第一の
だから子供が頭にベールをつけているくらい、何の不思議でもない。
だが。
──あれは。
自分へと向かってくる幼女の姿に、レオは自分の直感が
脳裏に、数時間ほど前の記憶が蘇る。
ベールの下に、ほんの少しだけ見える
──あれは、見覚えがある。
「……こねこね?」
幼女は、なにかを手に持っていた。
手に、チョコレート色の……いや……泥色のなにかを持っていた。
知らず、レオの身体が動いていた。
どう見てもただの子供。五歳か六歳くらいの幼女。
ぼんやりとした目付きで、ぱっと見、危険そうな雰囲気はない。何も無い。
ああ……それなのに、それなのにだ。
──あの少女に油断したから、僕達は分断させられてしまった。
──僕が油断したから、ラナは
──あれは敵なのか……あんな子供が……敵なのか。
その手が、己のメイド服のスカートをまくり、剣を抜く。
「わうっ!!」「ぇいっ」
マイラが吠えた、その鳴き声へ合わせるかのように、幼女は手に持っていたそれ……泥団子?……をレオの方へと投げてきた。
レオの身体が高速で動く。剣を抜いたことで、その
──敵なのか。
──この少女……チョコレート色の髪をした幼女は、敵なのか。
信じたくないという気持ちが残る。その姿は本当に、あまりにも幼い。だからその姿に彼の
泥団子は
だがそれが、地面へと触れた……その刹那。
「きゃはっ」
「っ!?」「きゃぅぅぅぅぅぅぅん!?」
ぼごぉぉぉぉぉぉぉん……という、聞きようによっては間抜けな、だが強烈な爆発音……それがレオとマイラの耳を襲った。
「つ……ぅ……」「くぅぅぅん……」
「なんだ!?」「何が起きた!?」「どうしたの!?」
往来を歩いていた人々が、一斉に立ち止まって視線を爆心地へと向ける。
そこには……赤褐色の石畳が円状に割れ、土の焦げ茶色の
「【むー、どうして遊んでくれないの?】」
ベールの、その耳の部分を小さな手で覆っていた幼女が、小さく呟いた。
「う……」
それは、レオには理解できない言語だった。だがその異質に、轟音に耳をやられ、
幼女を見れば、その姿は間違いなく可愛らしい幼女の
異様……どう見ても異様な姿だ。
「……なんなんだお前は」
それへ向かい合うレオは今、高級そうな剣を構えたメイドの姿。青く光る部分と赤く光る部分が木目状に交じり合った剣を構え、金髪のツインテールを揺らす、目付きの悪い美少女の
珍妙ではあるが、メイドは時に主人の護衛役をも兼ねる。武装していること自体は特におかしなことではない。周辺の警備兵、
奇妙ではあるが、異常事態にあっては正しい反応をしているとも言える。レオが一定以上の注目を集めるには、まだ
むしろ……今この場においてそうした変事の要素が集中しているのは……レオの目の前にいるこの幼女だ。
どこに隠し持っていたのか、両手にまた泥団子をふたつ、
この状況下にあって動じる様子もなく、泥団子を掲げ、構えてる時点でなにかがおかしい。幼女の姿でさえなければ、爆音と破壊を生み出したのが彼女であると即断されてしまっても、おかしくはないほどに。
「【ねぇ、遊ぼうよ】」
その場に彼女の言葉を理解できる者はいなかった。だが、それゆえに幼女の「異質度」は更なる向上を見せた。言葉がわからずとも、幼女がそれを楽しそうに言ったその雰囲気は伝わる。緊迫した現場にあってひとり、緊張とは違う感情を持つ者……それは意外と、目立つ。
だが。
「なっ」「わうっ」
「……う?」
まるで彼女の呟きに呼応するかのように、今度は遠くの方から「ばぁぁぁん!」という派手な音が響いた。それは、幼女にも予想外の出来事だったのか、「なぁに? 今の」といった様子でそちらの方へと視線を向けている。
「今度はなんだ!?」「え?」「あ」「あ、ああ……」
それは、それも相当に大きな音だった。音の出所にいたのであれば、世界が割れるような心地さえしたのではないだろうか。
「あれって……」「うん」「え、じゃあこれも……なにかの出し物?」
だから周辺で異変に身を固くしていた者達は思い出す。
今日が
今の音は、おそらくはどこかのパレードが、先にこの場で発生した爆音に対抗し、「我こそが主役である」と主張する意味を込めて鳴らしたモノなのだ。この期間中、そうしたことは頻繁に起こり得る。より大きい音を出した方が勝ち、主役であるというルールなどはないが、拡声器……マイク、アンプ、スピーカーなどのないこの世界にあって、より高らかな音を発生させるには魔法使いの力を借りる必要があり、それには金が必要だ。
商会や貴族達がその権勢を張り合い、見せ付け合う祭の中にあって、
──そういえば、この時期になると、こういう音が頻繁に聞こえてくるものだっけ、王都は。
それは、レオを始めとして、この場にいた全員が一様に思ったことだ。
──第一の
中にはそう思う者までいた。第一の
しかし、それで警戒を解いたのは、遠くや建物の中にいた「音しか聞いていない」一部の一般市民だけだ。
だが、ある種「訓練された」王都民は簡単にパニックを起こしたりはしない。王都がいかに安全な都市であるかを知っているからだ。出鱈目に動き出すよりもまず、王都が誇る治安の良さ、そのものへと事態の解決を託そうとする。
そして王都民に期待されるそれは、けしてハリボテなどではない。
つまり。
ブルーグレーの制服を着た、警邏兵が動く。
周辺には丁度、二組の警邏兵が巡回していた。つまりは四人、いずれも男性のようだった。
当然のことながら、爆音の発生から数十秒が経っても、彼らは抜刀したままだ。そのまま、彼らはレオや幼女へと近付いてきている。
彼らは知っていた。この区画、この時間に、パレードの通る予定などは無かったことを。周りを見渡してみても、現にそれらしき者達の姿はない。
あるのは泥団子を掲げている奇妙な幼女と、それへ剣を向けている珍妙なメイド服の少女、それだけだ。
ならば
──メイドはともかくとして、あの幼女はいったいなんなんだ?
当然の結論として、彼らは警戒しながらレオと幼女へと向かってきている。
──マズイ。
この混乱に巻き込まれてしまったら、ラナを助けに行くことができなくなる。レオの心に焦りが生まれる。剣を握る指に力が籠められる。
だが、その心にはいまだ、幼女への殺意は生まれてこない。手に持つ片刃の剣は、それ本来の使い方であっても「やりすぎてしまう」可能性が高い。それくらい、幼女の身体は小さく、華奢だ。
その小さな手に持つ泥団子は、おそらく凶器。
──数時間前のチョコバナナがあれと同じものだったら……。
レオの背筋に、冷たいものが走る。
自分の身長と同じ程度の範囲、石畳を破って地面を露出させるほどの「
──なるほど、ラナを殺す気は、無かったってことか。
だが今はもう、
目立ちすぎている。
派手にやりすぎている。
目撃者が多すぎる。
そこから導き出される結論は、ひとつ。
──この子は……捨て駒だ。
陽動に使われ、派手に散らされる
「【む~、おゆうぎのじゃま、しないでほしいのにぃ】」
──この目は……僕はこれを知っている。
レオはそれを知っている。レオはそれを知りすぎている。
スラム街へやってきて、
幼女の目、雰囲気は、よく見ればそれにそっくりだ。
それに、レオは
殺していいのかと、人間になった今だからこそ思い、惑う。
「【いたいいたいおゆうぎはキライだから】……えいっ」
そうしてレオがたたらを踏んでいる間に、またも理解できない言語を呟いた幼女は、手に持っていた泥団子をひとつ、ひょいと投げた。
「っ!?」
「お、おいっ!?」「……あ」
それは放物線を描いて……二組の警邏兵、その、より幼女に接近していた方のふたりへと飛んだ。
「むっ!?」
先頭に来ていたひとりが反応し、抜刀していた剣でそれを斬る。
テニスボール大のそれは、あまりにもあっさりと、まっぷたつに斬れてしまった。
……が。
「うっ!?」「なっ!?」「ひぇっ!?」
再びの爆音。
「ごっ……」「なっ!?」
斬った警邏兵の目の前で爆発したそれは、彼の上半身をズタボロにした。
肉が抉られ、皮は千切れ、剥げて……それらがビチベチと後方へ弾け飛ぶ。すぐに血が噴水のように吹き上がり、彼の肉体はそのまま後ろへと倒れこんだ……自身の身体から弾け飛んだ肉片を……ベチブチと潰しながら。
「きゃぁあああぁぁぁ」
「貴様ぁぁぁ!? 何をしたあああぁぁぁ!!」
あまりにも無残な、白昼の往来での出来事に、様子を窺っていた歩行人達がとうとう一斉に逃げ出し始める。その混乱の中、同僚の死を認識した二人組の片割、残った方が幼女に向かって剣を構えながら走ってくる。別方向から近付いてきていた違う二人組は呆然としている。いまだ事態の急変に心が対応しきれていないようだった。よく見ればそのひとりはごく若い青年のようであるし、もうひとりは年配のようでもある。なんらかの研修の最中だったのかもしれない。
「【もー、じゃましないで~】」
幼女がひょいと放った泥団子……それを、走る警邏兵は
「ぎゃあああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
丁度、彼の足元へ着弾したそれは、再びの轟音と共に彼の下半身を抉る。
爆風と榴弾がズボンのブルーグレーの布を、その下の皮と肉を、抉りまくった。
それは即死ではない、即死ではなかったが……。
「うぎぃぃぃぃぃぃぃ! ぎぃえええぇぇぇぇぇぇぇ!?」
どうみても助かる傷ではない。血が流れすぎている。それなのに彼は自分の股間を抑え、うつ伏せに倒れたまま血塗れの地面を這いつくばっている。おそらくは地獄以上の苦痛が彼を襲っているのだろう、もはやその脳にあるのは王都の治安維持でも、相棒を殺した幼女への
「きゃは、【いたいいたいおゆうぎだぁ】」
「お前は……なんだ」
レオは沢山の、壊れた人間を見てきた。
壊れかけの女性は
スラム街では、そのような者へ近づくのはタブーとされていた。
突然に何をしだすか、わからないからだ。
大人しくそこにいたと思えば、突然近くに落ちていた尖った石を拾い、襲ってくることもある。
──コイツは、理解しているのか?
自分が陽動、囮であることを。
それならばいい、自分の意思でそうしているのならば、レオも「斬る」ことに
少年法、刑事責任年齢、幼いがゆえに残る人格の
だがその残酷も、それを上回る無残を前にしては
「【あっちのも~】、え~い」「なっ!? やめろぉっ!」
幼女が再び放ったふたつの泥爆弾、それは絶叫しながら這い回っていた男性を……どうすることもできず呆然と見ていた残りの二人組、その頭上、その足元へと飛んでいった。
「っぁ……」
ふたつの爆音、それが重なった脳が震えるほどの大音量が、周辺にいた人々、全ての鼓膜を襲った。
レオも、剣を持っていない方の手で片耳を押さえたが、それだけだ。
鼓膜が破れたんじゃないかと思うような激痛を後頭部全体に感じる。気が付けばその口は大きく開いていた。そこから入ってきたと思しき重い衝撃を腹と肺に感じる。
マイラは……とレオが横目で見れば、どうしたことかマイラは地面に頭をつけ、その垂れ耳を、人間のように両前足で押さえていた。
遠くの警備兵達も、耳に剣を持ったままの手をあて、苦しんでいる様子だった。
だが……その元凶たる砲台……否、幼女は、その中にあっても平然としている。
壊れてしまっているその目が見つめる爆心地には……爆風が晴れると……文字通りの地獄が広がっている。四散したふたり分の
「だずげでぐれぇぇぇぇぇぇぇ、いだぃよぉぉぉ……」
いまだ死にきれず、苦痛の中を這い回る者の呻き……それが呪いのように響き渡る、この地獄の
「……ぅ」
この世の地獄には慣れていたはずのレオであっても、それは思わず口元を押さえてしまうような、どうしようもないほどの惨状だった。
そしてまた……遠くで違う轟音が響く。
それは、ふたつの泥爆弾の爆発音……今までで一番大きく響いたその音……に対抗するかのような、先程よりは若干大きい……しかしおそらくは全く勝てていないだろう……ある意味では負け犬の遠吠えの様相を呈しているかのような、滑稽な音でもあった。
しかし、それはまた、剣を抜いたままその場から動いていなかった紺色の制服の者達……警備兵達の、理性を取り戻させるのには十分な「きっかけ」でもあった。
ピィィィ……という高らかな笛の音が、あちこちからあがる。
それは
「……くそっ」
事態はどんどんと悪化していってる。
それに悪態を、
彼の「無敵」を発動させるには必須のそれが……降りてこない。
本能的に、理解してしまったからだ。
この幼女も……搾取された果てに壊れた……これはその姿なのだと。
あまりにも無残、あまりにも悲惨、あまりにも野蛮なそれは
でも、だからこそレオはそれを「殺したい」とは思えない。
思えるはずがない。
彼にとってそれは、いわば「身内」のようなモノなのだから。
「【ねぇ~、あそぼうってば~】」
それは……彼女を放ったアルス、マルスの想定した……期待した効果では全く無かったが、この場においては、人を殺したいと思わなければ殺せないレオには、この上なく有効な一打となって作用していた。
レオの無敵は、彼が「敵でない」と認識した相手を殺せない。
まるで対消滅でもするかのように、無敵が
それが無敵の……もうひとつの弱点。
レオは既に人殺しだ。
だが……人殺しだからといって、そこに、人の心が残っていないというわけではない。
人殺しの心もまた千差万別であって、それぞれにどうあっても侵せない、犯せない聖域というモノがある。
その聖域に、幼女はほんの少しだけ足を踏み入れている。その存在の異常さが、逆にレオに足踏みさせてしまっている。
──どうすればいい……どうすれば……。
迷う、レオに……。
「ばうっ!!」「なっ!?」
「むん?」