「いったーい」
「自業自得だよ」
「わぅん……」
患部に、蒸留酒を染み込ませたコットンを当てながら、私は少し涙目になっていた。
もう夜も深い。窓の向こうには、夜空を舞うふたつの月が見える。
大きな月と、小さな月。今はそのどちらもが三日月。
この辺りでは
別段、私も、
ただ、綺麗だなと、素直に思う。
今はそう思える。
「んー……」
「……なんで肩、くっつけてきて悩んでいるの? ラナ」
「こうしてベッドに腰掛けて並ぶと、肩の位置、ほとんど同じくらいだなって」
レオは、たった数日でまたその身長が、少し伸びたような気がする。
「まぁ……
「一年もしたら、それくらいの差は付いちゃいそうだけどね」
それは、この十日と少しの間はレオが女装をしていたから気付かなかったのか。
それとも、これまでは今みたいに肩を並べることが無かったから気付かなかったのか。
いつの間にかもう、身長はほとんど変わらなくなっていた。
「それにしても、なんでここだったの?」
レオの肩にくっつけていた左手を、ふたりの目線まで上げ、掲げる。
月明かりに、その爪の先が朧気に光った。
「消去法。最初は唇を噛もうかと思ったけど、顔はまずいんじゃないかなって思い直した。耳なら髪に隠れるからいいかもと一瞬思ったけど……あの、左耳の欠けた男の顔が思い浮かんでね、やめた」
「ああ……」
確かに、アレと同じになるのはイヤだ。それに、まだ右耳に欠けのある女性も生存しているはずだ。敵とキャラ被りするなんて、縁起でもないことだろう。
「ラナがオススメと言った場所は、なにか違うと思った。そこへ噛み付くのは、僕に期待されていることじゃないと思った。ラナはそれでもいいと思っていたかもしれないけど、僕がイヤだった」
まぁ……実際に、それをされたら……どうだったのだろうか? 私は。
よくわからない。その世界線の私が、並列世界で何を思っているのかについては……知りたいような、知りたくないような、そんな気持ちだ。
「お腹は、ラナを食べてしまうみたいでイヤだった」
「……過激ぃ」「わう」
「首、肩周り、太もも、手首足首周り、その辺りは重要な血管や腱があるから論外……僕はね、人間がどこをどうすると壊れてしまうか、危険か、それについてはラナよりも詳しい自信がある。まったく自慢じゃないけれど」
「別の意味で過激ぃ」「わぅん」
「お尻とか腰まわりはラナがオススメと言った場所と同じで、やっぱりなにかが違うと思った」
「あー……まぁ……うん、そっか」
月光に縁取られた、赤黒い痕のついた、自分の左手の小指と……薬指を見る。今もズキズキと痛みを発してくるそれは、だけど妙に愛おしくも思える。
「となると、残るのは手足の指になる。足の指は、意外と歩いたり走ったりするのに重要なんだ。事態がまだ解決してない以上、機動力を減らすのは得策じゃない。それで……ラナは
指の太さの関係からか、傷は薬指の方が深い。レオは私の要望を受け入れ、それなりの強さでそこを噛んでくれた。
「……だって小指だけだと……
「なに、それ?」
しないよそんなの……と呆れるレオに、ああ、やっぱりこのネタは通じないかと、元日本人は思う。レオは転生者じゃない。だからイニシエの仁侠映画チックなネタは通じない。当然だ。
「なんでもない。あー、でもね……あとちょっとだけ訂正しておくとね、私、右利き
「……え?」
「左利きでもないの。両利き。元々左利きで矯正したから両利きになった……ってわけでもなくて……なんていうか……生まれついての両利き?」
「なんで自分のことなのに最後疑問形なの?」
もっと言うと、推定前世の私は右利きだった。だけどこの身体になってからは左手の方が上手く使える気がした。そうした状況下で、なんとなくバランスを取りながら成長しているうちに、気が付けば両利きになっていた。普段は右利きの
「じゃあ、左でもまずかった?」
「ううん、どこでもいいって言ったのは私だから、そこに良いも悪いも無いの。それにここなら……」
「……なに?」
「ううん、いい」
痕が残っても、指輪をすれば、隠れてしまうな……って。
さすがにそんなことは、言えない。
「え? マリマーネのヤツがそんなことを?」
「呼び捨てで、ヤツって……」
ようやっと少しの落ち着きを取り戻した私達は、これからのことを考えるべく情報の共有化を
「いいの、年上だけど、なんなら精神年齢かナニカは私の方が上だし」
「精神年齢……かナニカ?」
「なんでもない。あれ? だけどそれなら、マリマーネのヤツはコンラディン叔父さんに連絡を?」
『マリマーネさん、なら、今日の日が暮れて、
『本当に、いいんですね?
日が暮れて、帰って来なかったらって……もう真夜中だけど。
「あそこを脱出する際、僕はマイラに手紙を持たせたんだ。手紙っていうか……“状況に変化有り、保護対象者は奪還済み、伝言は不要。追って連絡します”って書いた一枚の紙をね」
「……あの時、そんなことしていたんだ」
レオがそうしたことに頭が回るというのは、意外なようで意外でもなかった。
レオの頭脳を、その知性を、私は高く評価している。育ちが特殊とはいえ、十一歳といえば夢の世界基準なら小学生だ。小学五年生の男子にしては、落ち着きすぎているとも言える。
ただ……、だからレオのことは信頼しているが。
「でもコイツ、その手紙、ちゃんと届けられたのかな?」
「わぅん?」
レオの足元に、猫の香箱座りを半分崩したみたいな姿勢(片前足、片後ろ足を折り、逆側は伸ばしている)で
そういえば、コイツも十一歳くらいなんじゃないだろうか。大型犬の寿命的には、そろそろボケが始まっていてもおかしくない年齢だ。
人間ではないことを含め、私はレオほどマイラを信用できていない。
「だから追って連絡してみたよ。使用人の人にお金を渡して、マリマーネさんへ、手紙を届けてもらった。マイラの手紙が届いたかどうかの確認と、届いているなら返信は不要、明日か明後日にはそちらへ顔を見せに行くので、詳細はその時にでも……って」
「……ちなみにそのお金って?」
「ラナのポーチに入っていた金貨を一枚」
「たっかっ!……いや、それは後で口止め料込みだからねって脅しておけばいいか……んー、明日か明後日にはマリマーネに顔見せかぁ。服どうしよ……。あー、でも、それにしても、もうそんなに文字が書けるようになったんだ?」
「また、一息の間にめまぐるしく話題が変わるね。調子が戻ってきたのかな」
「茶化さないで」
「はいはい。まぁ、細かい部分のスペルや文法が、合っているかどうかに自信はないけどね。形式……書式?……無視でいいなら、話している言葉をそのまま書くだけだし」
日本語みたいに、漢字とかがあるでもないし、それはそうか。
この世界の……全てを知っているわけじゃないからもう少し限定すると……この国の公用語は、基本表音文字だけで構成されている。ただ、暦に関する言葉であるとか、公的機関の名前、天体、学術用語、あとは神や悪魔の名前なんかには特殊な文字が使われている。
例をずらっと並べると「
たとえば「財務省」「運輸省」であれば「省」の部分が前置詞として語頭に付くが、その前置詞が特殊な文字だ。「
とはいえ、それらも結局は表音文字で表せる(「月」を「つき」と書くみたいな感覚)ので、格調を気にしなければ書くのには困らない。商人の世界には漢数字における大字「
「それにしても……私がちょっと長風呂してる間に、そんなことを」
「マイラになら、ラナを任せられるし、だったら……ね」
「どうしてレオが、そこまでマイラを信頼するのかについてはまた改めて聞いてみたいところだけど……確かなのね? マリマーネが、伯父さんについて言ったことは」
『前王都財務局局長さん、ですかぁ……あまりいい噂は聞きませんね。なんでも、
『だから、もしかすればですが、弟さん
「コトの真偽は僕にもわからないけど、マリマーネさんがそれをそう言っていたことは確かだよ」
「……やってくれるじゃない」
「……ラナ?」
無償で情報だって?
とんでもない、これは私への銃弾だ。実弾といってもいい。
確かに、マリマーネにしてみればレオには無償なんだろう。レオには。
けど、商人間の貸し借りはそんなモノじゃない。少なくともこの世界ではそうだ。マリマーネは、その情報を元に「助けられた」「私からは」しっかりと、なにかを返してもらうつもりでいたに違いない。
「たまには表裏のない会話も、いいものですね、だって? いけしゃあしゃあと」
「よくわからないけど、どういうこと?」
「レオは最後に、“このお礼は、帰ってから是非”って言ったんだよね? それに、マリマーネはなんて答えた?」
「え、と、“はい、期待してます”だったかな?」
「どんな顔で?」
「うん?」
「思い出して、それを、どんな顔で答えた?」
「う、うん……ええと……笑顔だったと思うけど、ニッコニッコの」
「あー、そうだよねぇ、そうなるよねぇ、商人相手にこれは褒め言葉だから、あまり言いたくないけど……あっんの食わせ者めっ」
「……ごめん、僕が話したマリマーネさんの言動に、ラナの推測でいいから、その言外の意味を足してみてくれないかな?」
えーっと、つまりね。
『あー……【ラナさんならこれがどれくらい重要な情報か、わかるんでしょうけど】レオ君は、ラナさんほどこういうことに慣れてないみたいですから、率直に言いますけどね、私も前金を受け取ってしまった以上、あなた達に
「ちょっと待って、かなりラナの悪意が混じってる気がする」
「ソンナコトナイヨー」
「なんで片言なの?……というか……それってそんなに重要な情報?」
……あのね、レオ君。
「お貴族様の
「……そうなの?」
「言い換えよっか、そういう情報を握るってコトはね、つまり“相手の弱み”を握るってことなの。権力闘争でそれは、物凄く重要なことなの」
「……そういうものなんだ?」
「そんなものなの」
それに。
「しかも伯父さんは、降格させられたとはいえ今でも財務省のお役人さん。
伯父さんは正式に家督を継いでいる。それすらも危ぶまれるような判り易い
その手腕によって築かれる防壁は、手の内を知っている身内であるとか、同じくらい情報の秘匿に長けていて、その突破方法も知っている凄腕のスパイであるとか、そういうのでない限り簡単には破れないはずなのだ。
だからそれは、銃弾とも同じくらいに危険なモノということであり。
「そもそも、それを探ろうとすること自体、危ない。これは商会の信頼問題に関わる話。ドヤッセ商会は人脈と、そこにおける立場と地位を大切にしてきた普通の商会……のはずだから、そういう情報を意識して集めていたなんてこともない……と思うんだけど」
「……普通じゃない商会は、そういう情報を意識して集めるものなの?」
「王都が綺麗なだけの都じゃないってことは、レオも知っているでしょ? 今日……もう昨日かな? この一日だけでも、随分と意識させられたことだし」
「……まぁ、それは」
まぁ……裏社会のことなんて、私も実際のところは、よく知らないんだけど。
ただ、脅迫を
本当に、それが、わかっているの? マリマーネ。
「でもその情報は、元々秘匿されていなかったって可能性は?」
そんなの。
「ありえない。だったら
「え」
もっといえば、「頼れる人がいなかったから、全部自分で考えて実行した作戦」ということでもある。伯母さんを動かすにも、証拠がいると思ったからだ。
けど、伯母さんがママの実家の実権を握っているのなら、誘拐犯達はどうやって雇ったのかって話にもなる。お金だってあまり動かせないはずなのに。最悪、与えてる
なら……。
それなら、伯母さんが共犯、もしくは主犯ということは?
うん……ないな、伯爵家の権力が一部でも使えるなら、誘拐なんて手段は選ばない。私を潰すにせよ、取り込むにせよ、他に方法がいっぱいある。もっとリスクのない方法がだ。
一億円、持っている人が、百万円を得るために極刑覚悟の手段に頼るのかって話だ。誰だ、お前には百万円の価値もないだろうって言ったの。その通りだよチックショーィ。
となると、ますますわからなくなってくる。
「レオと初めて出会ったあの日から、私は何度かパパと会っている。伯母さんとも少しだけ手紙のやり取りをしている。そこに、ママの実家の、そうした現状を思わせるような何かは無かった。ドヤッセ商会と似たような立ち位置であるロレーヌ商会、その会長であり、一応は身内であるはずのパパが知らなくて、当事者である伯母さんが姪っ子にも知らぬ存ぜぬの態度。なら、これは、きちんと秘匿されていた情報だよ。……ガセネタじゃないなら」
ねぇマリマーネ。
おぃマリマーネ。
もしかして、お前は……。
「……なんていうか、凄いね、ラナ」
「全然。これでわかるのは、私は道化師だったってことなんだからね」
意味もなく踊った。意味もなく踊らされた。
誰に?……運命に。
「つまり、マリマーネは本来持っていないはずの情報を持っていた。それを、私へ、“持っているよ?”と示してきた。なぜ?」
「……なぜなの?」
「ひとつには
それは、マリマーネの個人的趣味というか、欲求の部分だろう。
アレは商人であることに誇りを持っているタイプの人間だった。
「もうひとつは自己紹介と立ち位置の提示。ドヤッセ商会はそうした情報を“
「つまり?」
「
はー……と、レオが横で長い嘆息を
「もちろんこれは、あくまで私の推察ってだけだけど」
「あの短時間で、マリマーネさんがそこまで計算していたのだとしたら、凄いね。ラナもだけど」
「……剣士が剣で人を斬るように、商人は情報とその運用で人を斬るの。私のそれは、レオの剣の冴えに比べたら全然だよ」
「僕のはまぁ……多分例外なんだと思うけどね……え?」
肩を落とすレオの、その頬へ私は唐突にキスをする。お風呂上りの、ぷるんとした感触がそこにある。
「ん」
そのまま、私はレオの顔を自分の方へと向かせ、唇をも重ねた。すこし、心に、痒いところが引っかかれたような、奇妙な快感が生まれてくる。それは、そのまま掻き毟ればなにかが破綻してしまうと確信できる……刹那的な充足感。
だから数秒で唇を離して、目を開けると、ビックリしたようなレオの顔がそこにあった。可愛い。女装の時も可愛いと思っていたが、これはまた、それとは違う感情、
だけど。
「助けてくれて、ありがとう」
だけど……そうはしない。
「僕は」
ここからは私の戦場だ。
「レオを、この戦いに巻き込んだのは私。レオが人を殺したのは、人殺しのスライムを討ち取ったのは、私を助けるため。私はレオが人殺しであることを知って、
「ん……ぅう?」
レオの肩を両手で掴み、そのままでまたキスをして、今度は少しだけ舌でレオの上唇をつぅ……となぞる。お風呂上りの上気した顔で……レオはだけどうろたえることなく、私のすることを全部受け入れてくれる。
「動じないの、生意気」
でも、それは。
はしゃぐ犬の、好きなようにさせてあげようとする飼い主の
だけどそれは、そうじゃないから
「落ち込みから復活したと思ったら、また随分と無茶苦茶を言うね、ラナ」
「キス、私とが初めてでも、ないんでしょ?」
「今も生きている人とのキスは、あの日が初めてだったよ?」
「……そう」
窓の向こうに見える、ふたつの月、その重なり合った姿に、なぜか寂しさを覚える。
だから左手の薬指と小指を曲げ、その痛みに満たされて……満たされた気になって……私は暴れそうになる胸の
「私がレオを、人を、殺すかもしれない状況に巻き込んだ。今日のことは、その想定の通り……ううん、
「……僕があの男を、殺すことに意味は無かったって言うの?」
それは……●◆▼共犯▲●▲●▼●嬉▲▼■▲★◆▼■。
「意味はあったよ。私があそこで
失ったモノも多い。
「だから今度は私の番。レオに助けられ、レオに勇気をもらったから……私は私の戦場で戦うの」
「戦場って? ラナが戦うの? 誰と?」
レオはもう女装することができないだろう。それはもう、おたずね者の姿となってしまったから……いや重要参考人かな。
「ずっと逃げ続けていた……社会と……かな?」
「……確かに、剣では戦えない相手だね」
王都中の、金髪のメイドさんにはごめんなさいだけど、もはやレオにあの格好をさせるわけにはいかない、捕まえさせるわけにはいかない。これに、漏れるところがあるとすれば……コンラディン叔父さんか、
叔父さんが事件の概要を聞き、それを私と関連付けた場合、
使用人は、私の魔法である程度はその動向を掴んでおくことができる。一応、それなりに長年の付き合いがあるから態度の変化もわかりやすい。私に全く悟られることなく密告するというのは、難しいことではないだろうか。
美容院の場合、あそこはお貴族様お大臣様が利用する超高級店だし、私は伯爵家の正妻である伯母さんの口利きで会員になっている。それはつまり、お店にとってみれば、私は大切に扱わなければいけないお客様であるということだ。相手が国であっても、情報が不確かな内はそれを簡単に渡したりはしないだろう。
そしてマリマーネは……
「マリマーネのことは私に任せて」
「うん?……うん」
もういい。
マリマーネのことは、明日からだ。
ただ……。
もうひとつ、私達が警官に連行されるかもしれないルートがあって……。
「わぅん?」
それは言わずもがな、やれやれといった様子でレオの足元に佇んでいる有名犬、マイラだが……。
これは、もうどうしようもない……。
今もまた、こちらの言葉を理解しているみたいな、人間のような反応を返しているけれど、それでもマイラは犬だ。犬畜生でお犬様だ。年齢的には立派な老犬でもある。レオの話では、随分と老犬らしからぬ動きをしてみせたそうだから……「勘弁してくだせぇよ旦那、当家の老いぼれに、そんなことができるわけないでがしょ?」とでも言えば……誤魔化せ……なくも……ない……のか?……どうして三下口調になっているのかについては、私にもよくわからないけれど。
「わふん?」
「どうしたマイラ……今日もお前の瞳は愛くるしいな……って、いきなり何するの、ラナ」
「知らないっ」
このサイズのピレネー犬は、王都では珍しいとはいえ、いくらなんでも一匹だけということもあるまい。ペットショップの小母さ……マダムも、最近また出るようになってきたと言っていた。犬は一年で成犬になる。そして一歳の犬と十歳の犬の差を、遠目で見分けられる人は少ないだろう。というか私にもわからない、こんなに近くで観察してみても。
それでも……聞き込みか、事情聴取は……高い確率でされるだろう。
問題は、警官連中がそこにおいて「どれくらい真相に迫った推測をして」「どれくらい本気でやってくるか」だ。まず、警官が四人死ぬというのは確かに大事件だが、幸いと言っていいか、そこにおける被疑者……否、真犯人は既に死亡している。
最悪は、とにかくなんでもいいから事件を解決した
だだ……今日、か昨日かに起きた事件は、それだけではない。
いかがわしい服屋の店主が死んでいる。
ゴロツキ五人も死に、その
これらを、国家公務員連中が、どう関連付けるかが問題になってくる。
スライムへ全てを押し付け、処理しようとするか、それとも警官殺しの現場に居合わせたメイドと犬へ疑いの目を向けるか……前者なら犬、マイラの飼い主として事情聴取される私への追及は、そこまで厳しいものにはならないだろう。だが、後者だとどうなるかはわからない。
人間は、組織として動くとどうしようもないほど
私が、殺▲▼▲●◆■▼●★実だ。
「ラナ? また顔がこわばっているけど、大丈夫?」
「……大丈夫」
私は、知らぬぞんぜぬを貫けるだろうか? 好材料をあげるなら私は黒髪で、どうやっても行方知れずとなった金髪のメイドさんにはなれない。カツラまで疑われたらどうしようもないけど、それでも私の身体は、どうみても剣を振り回せるようなシロモノではない。そろそろ飛んだり跳ねたりは痛いのですよ、ええ……どこがとは言いませんが。
いやまぁ、それを言ったらレオの今の体格であってもそうなのだけど……幸い、メイド服というのはそこそこ体型がわからなくなる服でもある。というか、そういうのを私は選んだ。フレンチでハレンチなメイド服っぽいのも並んでいた中で、わざわざビクトリア
メイドさんというのは、そもそもがお貴族様に仕える特殊な立場の方々だ。そのほとんどは貴族家の生まれで、言ってしまえば、平民から見た場合、それは軽く
その上でレオが見せた戦闘力……これってこう……
警官は国家公務員だ。ゆえに彼らは国家権力に
それへ
ただ、ここも「想定して備えるなんてことはできない」だ。
最悪、ここで「スケープゴート」を探すなら、「お貴族様」ではなく「商家の娘」を選ぶことだろう。「お貴族様が絡んでいそうだから
まぁ……そこで生贄にされる可能性が高い私は……一部の★行におい▼は確か▲真▼人なのだけど……。
「……」
「わぉん?」
ああっ……どうしてでしゃばってきちゃったのよ、マイラ。
いやわかってる、事情は聞いて、わかっている……マイラがレオの元へと駆けつけてくれなかったら、レオは伯父さんの家に襲撃をかましていたのかもしれない。そっちの方がより面倒なことになってしまったはずだ。そもそもの話、油断していた私が悪いのだ。もとより、幼女の姿をしたスライム(だったという存在)にチョコバナナべっちょり攻撃を許した私が悪いのだ。それは、誰のせいにすることもできない。
だけどマイラが……せめてもっと……どこにでもいる標準サイズの犬だったなら……ママのせいでピレネー犬の人気が下がっていなかったら……
「ラナ?……ねぇ、本当に大丈夫?」
「うう……」
心がまた沈んでいく。
それくらい、今の状況は、最悪を考えればキリが無かった。
「……どぅしたらいぃんだろぅ」
「ラナ?」
夢の世界では、謝罪会見まで開いているのにけして謝ろうとしない「責任者」というモノがいた。それは、あの世界においては炎上に油を注ぐ結果となっていたようだ。
だけど、私は今、謝らない責任者の、その気持ちがわかるような気がする。
だってそこにおいて求められているのは「全面的な謝罪」だ。自分が知っている事件の全てを公表、説明をして、その上で自分が悪かったと認めて、世間を騒がせたことを含め謝罪する……そういうことが、「責任者」には求められる。
私は、私の知っている全てを
そして、「全ての」騒動の原因が自分にあったわけでもない。それは本当に間違いないことだが……全てを公表、説明できるならそれを(信じてもらえるかは別として)主張することはできるが、そうでない以上、私の言葉には嘘や誤魔化しが混じる。そこにきて更に「全ての責任が私にあるわけじゃないのに」という感情が入り混じってしまったら……それはもう、人の目にはもう、どうしようもないくらいに……不誠実な人間の態度として映ることだろう。人は嘘や誤魔化しの混じる言葉では納得しない、不誠実な者へは苛立ちを禁じ得ない。こうして「全ての」騒動の原因は……あるいはその全ての罪と罰までも……スケープゴートへと押し付けられる。
勿論、これらは一般国民の感情の問題であって、国家警察における取り調べの問題とは全く違う種類の話なのかもしれない。だけど、この「スケープゴートへと押し付ける」という部分に関してだけいうのであれば……構造としてかなり似ていると思う。押し付けられるのが社会的な死か、それとも法律に
別に……夢の世界のいわゆる「知る権利」とやらを否定するつもりはない。それもまた歴史が神話となって生み出された共同幻想の一種なのだろう。健全な社会のため、それが必要であると判断したその先の社会が……期待通り健全のまま推移していくのかどうかについては……そこから外れてしまった自分にはもうわからない。
だけど、間違いなく言えるのは、権利とは、それもまた兵器であり
わかってる。大多数の人間にとって真実などは重要ではない。重要なのは「自分が納得できる答え」だ。
例えば私に、ママの心の真実なんてモノはわからない。もうわからない。ママはもう既に壊れてしまった。私が近付くだけでおかしくなってしまう人を相手に、何を聞けばいいというのだろう。無理矢理聞いたとして、何を得られるというのだろう。だから私はそこの「真実」を求めたいとは思わない。もう、思えない。
髪の生え際の小さな傷は、もうそれがそこにあると、意識することも少なくなった。
私はママの真実がどうであるとかは、もうどうでもいい。ただ、いつか「自分が納得できる答え」が欲しいとは思っている。それはつまり、私だってそういう人間だということだ。
納得できる答えが得られるなら、兵器でも
だけど……自分の親に怯えられるという……私だけの
私の中に生まれた
科学ジャンルでいえば観察者効果が、心理学ジャンルでいえば実験者効果が、ミステリージャンルでいえば後期クィーン的問題が、似たような絶望を伝えるが、真実を知るというのは、それくらいに難しいことなのだ。兵器を振り回し、
私がママを、ボロボロにするわけにはいかなかったから。
どうせ私は『“親しき者の死に何もできなかった”』その程度の人間だから。
自分に、ナニカができるなどと、
「ラナ? ねぇ……また
私は★▲▼だ……いや、もう誤魔化さずはっきりさせよう……私は殺人者だ。
そこには責任がある。私はまごうことなき「責任者」だ。
兵器を振り回され、
ママの過去も、そのママに愛されなかったという生まれも、幼くして引き籠ったという経歴も、「自分が納得できる答え」それだけが欲しいのであれば、甘露のようなモノだろう。それは凄く「納得しやすい」材料だからだ……何に対しての納得?……決まっている、私が、「自分達とは違う」「異常な人間」であるという事実、あるいはボロボロになった真実に対して……だ。
ああそうだ、事実、私は異常な人間なのだろう。平穏無事に一生を過ごせる幸せな人達とは違う、もう違ってしまった。
だけどその納得は、真実ではない。真実はもっと複雑で、面白くなく、簡単には納得できないものだから……その複雑に、つまらなさに、誰も耐えられない……私も。
そんな風に、されるくらいなら、私は。
「わぅん」「ひゃんっ!?」「わっ」
ふと、頬に温かな何かを感じ、
「ぇ?……」
気が付けば、答えのない迷宮に、囚われかけていた私を。
そうして、怖い顔をしていただろう私の右の頬を……マイラは。
「くぅん?……」
「ま、ま、ま、ま、マイラ!?」
舐めていた。ピンクの舌先でこう、ペロペロと。
「……なるほど」
「えっ!?」
すると、何を思ったのか、レオも、マイラとは反対側の頬を舐めてくる。
ペロペロと、チロチロと。
こそばゆいような、おもはゆいような、よくわからない感触が私の裡と外を撫でていた。
「えー!? な、な、な、何この状況!?」
両脇から挟まれ、逃げ場がなく、思わず
って何の話!?
「……って、いつまでそうしてるの!? ふたりとも!」
「んっ」「わぅん」
握っていた拳を開き、両利きのマニピュレーションでふたりを押しのける。ふたりっていうか、ひとりと一匹だけれども。
「なんなのよ! いったい!?」
「わんっ!」
ええい、大声で鳴くな。深夜だぞ!
「人がこれからのことを真面目に考えてる時に!……っていったーい!?」
「ふむ」
気が付けば、今度は、レオが私の左手の薬指をぎゅうと握っている。
レオの親指と人指し指、その腹の部分が、ちょうど噛まれて出血した部分を包み込むように持っていた。
「ラナ、声が大きいよ。使用人の人が何事かって来ちゃうんじゃない?」
「っ……」
誰のせいよ……もうっ。
「でも、さすがはマイラだね。よくわからないけど、一番いいところでラナの意識をこっちに戻してくれた気がするよ」
「……私、そんなに怖い顔をしていたの?」
「うん、でもそれはラナが怖いってことではなくて……ラナが、どこか遠くへ行って帰ってこれなくなってしまいそうで、すごく怖かった」
「……そう」
ふんわりと握り、だけどけして放してくれようとはしない、レオの手の、そのぬくもりを感じながら、私は。
どうしたことか、自分でもわからない、刺すような
月は、今はもう重なり合った状態から少しずれ、ふたつの月へ戻ろうとしているその途上にあった。私は、そのことを寂しいと思ったのかもしれない。
本来、月はふたつであることの方が通常の状態で、
それでも、だけれども。
……嗚呼。
「綺麗だね、月」
レオの、月を追うそのまっすぐな視線に、私は想う。
「……うん」「わぉん」
両脇にレオとマイラの体温を感じる今、この時だけは……私は、それこそが常態であったらよかったのにと……人が、孤独を感じなくてもいい存在であったらよかったのにと……そう想わずには、いられなかった。