罅割れ世界のプライムパッセンジャー   作:ZenBlack

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epis36 : Symphonic Poem ~ Hope & Kiss

 

「いったーい」

「自業自得だよ」

「わぅん……」

 

 患部に、蒸留酒を染み込ませたコットンを当てながら、私は少し涙目になっていた。

 

 もう夜も深い。窓の向こうには、夜空を舞うふたつの月が見える。

 

 大きな月と、小さな月。今はそのどちらもが三日月。

 

 この辺りでは大月(だいげつ)には男性神、小月(しょうげつ)には女性神が当てはめられ、語られることが多い。それは国の成り立ちに関わるような神話などではなく、宗教の教義に登場するような何かでもなく、ただの伝承、街談巷説(がいだんこうせつ)の類に過ぎないから、大月(だいげつ)もまた女性神であるとか、そもそもなぞらえるのが神ではないとか、そういった別バージョンもいくつかある。私が知らないものも多いだろう。だけど最も一般的な、その形式に従っていうのであれば……今はまるで、男性神が女性神を天上で抱きしめているかのような……そんな光景が窓の向こうに広がっている。

 

 別段、私も、大月(だいげつ)が男性神に喩えられるからといって、それへ嫌悪感を覚えたりはしない。

 

 ただ、綺麗だなと、素直に思う。

 

 今はそう思える。

 

「んー……」

「……なんで肩、くっつけてきて悩んでいるの? ラナ」

「こうしてベッドに腰掛けて並ぶと、肩の位置、ほとんど同じくらいだなって」

 

 レオは、たった数日でまたその身長が、少し伸びたような気がする。

 

「まぁ……大月(だいげつ)小月(しょうげつ)みたいにはいかないけどね」

「一年もしたら、それくらいの差は付いちゃいそうだけどね」

 

 それは、この十日と少しの間はレオが女装をしていたから気付かなかったのか。

 

 それとも、これまでは今みたいに肩を並べることが無かったから気付かなかったのか。

 

 いつの間にかもう、身長はほとんど変わらなくなっていた。

 

「それにしても、なんでここだったの?」

 

 レオの肩にくっつけていた左手を、ふたりの目線まで上げ、掲げる。

 

 月明かりに、その爪の先が朧気に光った。

 

「消去法。最初は唇を噛もうかと思ったけど、顔はまずいんじゃないかなって思い直した。耳なら髪に隠れるからいいかもと一瞬思ったけど……あの、左耳の欠けた男の顔が思い浮かんでね、やめた」

「ああ……」

 

 確かに、アレと同じになるのはイヤだ。それに、まだ右耳に欠けのある女性も生存しているはずだ。敵とキャラ被りするなんて、縁起でもないことだろう。

 

「ラナがオススメと言った場所は、なにか違うと思った。そこへ噛み付くのは、僕に期待されていることじゃないと思った。ラナはそれでもいいと思っていたかもしれないけど、僕がイヤだった」

 

 まぁ……実際に、それをされたら……どうだったのだろうか? 私は。

 

 よくわからない。その世界線の私が、並列世界で何を思っているのかについては……知りたいような、知りたくないような、そんな気持ちだ。

 

「お腹は、ラナを食べてしまうみたいでイヤだった」

「……過激ぃ」「わう」

「首、肩周り、太もも、手首足首周り、その辺りは重要な血管や腱があるから論外……僕はね、人間がどこをどうすると壊れてしまうか、危険か、それについてはラナよりも詳しい自信がある。まったく自慢じゃないけれど」

「別の意味で過激ぃ」「わぅん」

「お尻とか腰まわりはラナがオススメと言った場所と同じで、やっぱりなにかが違うと思った」

「あー……まぁ……うん、そっか」

 

 月光に縁取られた、赤黒い痕のついた、自分の左手の小指と……薬指を見る。今もズキズキと痛みを発してくるそれは、だけど妙に愛おしくも思える。

 

「となると、残るのは手足の指になる。足の指は、意外と歩いたり走ったりするのに重要なんだ。事態がまだ解決してない以上、機動力を減らすのは得策じゃない。それで……ラナは()()()だろう? そういうことだよ。小指だけにしようと思ったのに、薬指まで突っ込んできたのには驚いたけど」

 

 指の太さの関係からか、傷は薬指の方が深い。レオは私の要望を受け入れ、それなりの強さでそこを噛んでくれた。

 

「……だって小指だけだと……()千切(ちぎ)られちゃうみたいな気がしたから。小指だけ無い人になるのは、さすがに、ね」

「なに、それ?」

 

 しないよそんなの……と呆れるレオに、ああ、やっぱりこのネタは通じないかと、元日本人は思う。レオは転生者じゃない。だからイニシエの仁侠映画チックなネタは通じない。当然だ。

 

「なんでもない。あー、でもね……あとちょっとだけ訂正しておくとね、私、右利き()()()()んだ」

「……え?」

「左利きでもないの。両利き。元々左利きで矯正したから両利きになった……ってわけでもなくて……なんていうか……生まれついての両利き?」

「なんで自分のことなのに最後疑問形なの?」

 

 もっと言うと、推定前世の私は右利きだった。だけどこの身体になってからは左手の方が上手く使える気がした。そうした状況下で、なんとなくバランスを取りながら成長しているうちに、気が付けば両利きになっていた。普段は右利きの(てい)で生活をしているけど、どちらでも文字を書こうと思えば書けるし、折り紙を折ろうとすれば折れる。強いて言うなら繊細な、より細かい作業には右手の方が適していて、腕力や握力は左の方が強いという違いはある。だけどその差は、おそらくは私にしかわからない、微妙な程度のモノだ。

 

「じゃあ、左でもまずかった?」

「ううん、どこでもいいって言ったのは私だから、そこに良いも悪いも無いの。それにここなら……」

「……なに?」

「ううん、いい」

 

 痕が残っても、指輪をすれば、隠れてしまうな……って。

 

 さすがにそんなことは、言えない。

 

 

 

 

 

 

 

「え? マリマーネのヤツがそんなことを?」

「呼び捨てで、ヤツって……」

 

 ようやっと少しの落ち着きを取り戻した私達は、これからのことを考えるべく情報の共有化を(はか)った。

 

「いいの、年上だけど、なんなら精神年齢かナニカは私の方が上だし」

「精神年齢……かナニカ?」

「なんでもない。あれ? だけどそれなら、マリマーネのヤツはコンラディン叔父さんに連絡を?」

 

『マリマーネさん、なら、今日の日が暮れて、()()()帰って来なかったら、手はず通りに』

『本当に、いいんですね? 黒槍(こくそう)のコンラディンさんへの連絡は、それからで』

 

 日が暮れて、帰って来なかったらって……もう真夜中だけど。

 

「あそこを脱出する際、僕はマイラに手紙を持たせたんだ。手紙っていうか……“状況に変化有り、保護対象者は奪還済み、伝言は不要。追って連絡します”って書いた一枚の紙をね」

「……あの時、そんなことしていたんだ」

 

 レオがそうしたことに頭が回るというのは、意外なようで意外でもなかった。

 レオの頭脳を、その知性を、私は高く評価している。育ちが特殊とはいえ、十一歳といえば夢の世界基準なら小学生だ。小学五年生の男子にしては、落ち着きすぎているとも言える。

 

 ただ……、だからレオのことは信頼しているが。

 

「でもコイツ、その手紙、ちゃんと届けられたのかな?」

「わぅん?」

 

 レオの足元に、猫の香箱座りを半分崩したみたいな姿勢(片前足、片後ろ足を折り、逆側は伸ばしている)で(たたず)むマイラ。

 

 そういえば、コイツも十一歳くらいなんじゃないだろうか。大型犬の寿命的には、そろそろボケが始まっていてもおかしくない年齢だ。

 

 人間ではないことを含め、私はレオほどマイラを信用できていない。

 

「だから追って連絡してみたよ。使用人の人にお金を渡して、マリマーネさんへ、手紙を届けてもらった。マイラの手紙が届いたかどうかの確認と、届いているなら返信は不要、明日か明後日にはそちらへ顔を見せに行くので、詳細はその時にでも……って」

「……ちなみにそのお金って?」

「ラナのポーチに入っていた金貨を一枚」

「たっかっ!……いや、それは後で口止め料込みだからねって脅しておけばいいか……んー、明日か明後日にはマリマーネに顔見せかぁ。服どうしよ……。あー、でも、それにしても、もうそんなに文字が書けるようになったんだ?」

「また、一息の間にめまぐるしく話題が変わるね。調子が戻ってきたのかな」

「茶化さないで」

「はいはい。まぁ、細かい部分のスペルや文法が、合っているかどうかに自信はないけどね。形式……書式?……無視でいいなら、話している言葉をそのまま書くだけだし」

 

 日本語みたいに、漢字とかがあるでもないし、それはそうか。

 

 この世界の……全てを知っているわけじゃないからもう少し限定すると……この国の公用語は、基本表音文字だけで構成されている。ただ、暦に関する言葉であるとか、公的機関の名前、天体、学術用語、あとは神や悪魔の名前なんかには特殊な文字が使われている。

 

 例をずらっと並べると「癒雨月(ゆうげつ)」「神楽舞(かぐらまい)」「財務省」「運輸省」「重力」「三平方(ピタゴラス)の定理」「π(パイ)」「大月(だいげつ)」「小月(しょうげつ)」等々が、そのようにして特殊な文字を使う単語だ。

 

 たとえば「財務省」「運輸省」であれば「省」の部分が前置詞として語頭に付くが、その前置詞が特殊な文字だ。「大月(だいげつ)」「小月(しょうげつ)」は「月」の部分がそう。他はもう少し複雑になるけど、仕組みとしては同じで、表意文字であるということと、特定の綴りを短くまとめるという点では、漢字に近いともいえる。

 

 とはいえ、それらも結局は表音文字で表せる(「月」を「つき」と書くみたいな感覚)ので、格調を気にしなければ書くのには困らない。商人の世界には漢数字における大字「()()()()()()()()()(10)(100)(1000)」に似た特殊文字もあるけど、そこは日本と同じように、それを日常生活で使う人はいない。

 

「それにしても……私がちょっと長風呂してる間に、そんなことを」

「マイラになら、ラナを任せられるし、だったら……ね」

「どうしてレオが、そこまでマイラを信頼するのかについてはまた改めて聞いてみたいところだけど……確かなのね? マリマーネが、伯父さんについて言ったことは」

 

『前王都財務局局長さん、ですかぁ……あまりいい噂は聞きませんね。なんでも、家中(かちゅう)の実権を弟さん……を通じて某伯爵家に……握られてしまっているとか。それで、それに対抗すべく、胡散臭い連中を雇っているとか、いないとか』

『だから、もしかすればですが、弟さん(がわ)の使用人達に上手く話をつけることができれば、コトを丸く収めることも可能かもしれませんね……それを、どうやってすればいいのかは、私にもわかりませんが』

 

「コトの真偽は僕にもわからないけど、マリマーネさんがそれをそう言っていたことは確かだよ」

「……やってくれるじゃない」

「……ラナ?」

 

 無償で情報だって?

 

 とんでもない、これは私への銃弾だ。実弾といってもいい。

 

 確かに、マリマーネにしてみればレオには無償なんだろう。レオには。

 

 けど、商人間の貸し借りはそんなモノじゃない。少なくともこの世界ではそうだ。マリマーネは、その情報を元に「助けられた」「私からは」しっかりと、なにかを返してもらうつもりでいたに違いない。

 

「たまには表裏のない会話も、いいものですね、だって? いけしゃあしゃあと」

「よくわからないけど、どういうこと?」

「レオは最後に、“このお礼は、帰ってから是非”って言ったんだよね? それに、マリマーネはなんて答えた?」

「え、と、“はい、期待してます”だったかな?」

「どんな顔で?」

「うん?」

「思い出して、それを、どんな顔で答えた?」

「う、うん……ええと……笑顔だったと思うけど、ニッコニッコの」

「あー、そうだよねぇ、そうなるよねぇ、商人相手にこれは褒め言葉だから、あまり言いたくないけど……あっんの食わせ者めっ」

「……ごめん、僕が話したマリマーネさんの言動に、ラナの推測でいいから、その言外の意味を足してみてくれないかな?」

 

 えーっと、つまりね。

 

『あー……【ラナさんならこれがどれくらい重要な情報か、わかるんでしょうけど】レオ君は、ラナさんほどこういうことに慣れてないみたいですから、率直に言いますけどね、私も前金を受け取ってしまった以上、あなた達に()んでもらうわけにはいかないのですよ。残りを【あとあとラナさんから取り立てる分も】とりっぱぐれてしまいますからね。契約を交わした以上、【加えて恩を押し売りした以上、】我々が目指すべきはどちらも勝者(ウィンウィン)……【まぁ当然、取り分は私の方が、多く取らせていただきますが……】そうじゃないですか?』

 

「ちょっと待って、かなりラナの悪意が混じってる気がする」

「ソンナコトナイヨー」

「なんで片言なの?……というか……それってそんなに重要な情報?」

 

 ……あのね、レオ君。

 

「お貴族様の家中(かちゅう)……特にその混乱の情報はね、それこそ値千金の情報なんだよ?」

「……そうなの?」

「言い換えよっか、そういう情報を握るってコトはね、つまり“相手の弱み”を握るってことなの。権力闘争でそれは、物凄く重要なことなの」

「……そういうものなんだ?」

「そんなものなの」

 

 それに。

 

「しかも伯父さんは、降格させられたとはいえ今でも財務省のお役人さん。()()()()()()()()()()()()()()()()()()のハズ」

 

 伯父さんは正式に家督を継いでいる。それすらも危ぶまれるような判り易い莫迦(バカ)では無かったということだ。なら、情報の秘匿に関する知識と技術、その心得は、親よりきちんと受け継いでいることだろう。

 

 その手腕によって築かれる防壁は、手の内を知っている身内であるとか、同じくらい情報の秘匿に長けていて、その突破方法も知っている凄腕のスパイであるとか、そういうのでない限り簡単には破れないはずなのだ。

 

 だからそれは、銃弾とも同じくらいに危険なモノということであり。

 

「そもそも、それを探ろうとすること自体、危ない。これは商会の信頼問題に関わる話。ドヤッセ商会は人脈と、そこにおける立場と地位を大切にしてきた普通の商会……のはずだから、そういう情報を意識して集めていたなんてこともない……と思うんだけど」

「……普通じゃない商会は、そういう情報を意識して集めるものなの?」

「王都が綺麗なだけの都じゃないってことは、レオも知っているでしょ? 今日……もう昨日かな? この一日だけでも、随分と意識させられたことだし」

「……まぁ、それは」

 

 まぁ……裏社会のことなんて、私も実際のところは、よく知らないんだけど。

 

 ただ、脅迫を()()()の一部とする商会くらいなら、普通にその辺にあるだろうなぁとは思う。そんなものだ、世の中なんて。お花畑を夢見たところで、現実は何も変わらない。

 

 本当に、それが、わかっているの? マリマーネ。

 

「でもその情報は、元々秘匿されていなかったって可能性は?」

 

 そんなの。

 

「ありえない。だったら()()()()()()()()()()()。私の誘い受け作戦……囮作戦は、そんなことになっているなんて夢にも思わなかったからこその作戦」

「え」

 

 もっといえば、「頼れる人がいなかったから、全部自分で考えて実行した作戦」ということでもある。伯母さんを動かすにも、証拠がいると思ったからだ。

 

 けど、伯母さんがママの実家の実権を握っているのなら、誘拐犯達はどうやって雇ったのかって話にもなる。お金だってあまり動かせないはずなのに。最悪、与えてる()()()()、違法の可能性がある。例えば財務省内の秘匿事項であるとか。

 

 なら……。

 

 それなら、伯母さんが共犯、もしくは主犯ということは?

 

 うん……ないな、伯爵家の権力が一部でも使えるなら、誘拐なんて手段は選ばない。私を潰すにせよ、取り込むにせよ、他に方法がいっぱいある。もっとリスクのない方法がだ。

 

 一億円、持っている人が、百万円を得るために極刑覚悟の手段に頼るのかって話だ。誰だ、お前には百万円の価値もないだろうって言ったの。その通りだよチックショーィ。

 

 となると、ますますわからなくなってくる。

 

「レオと初めて出会ったあの日から、私は何度かパパと会っている。伯母さんとも少しだけ手紙のやり取りをしている。そこに、ママの実家の、そうした現状を思わせるような何かは無かった。ドヤッセ商会と似たような立ち位置であるロレーヌ商会、その会長であり、一応は身内であるはずのパパが知らなくて、当事者である伯母さんが姪っ子にも知らぬ存ぜぬの態度。なら、これは、きちんと秘匿されていた情報だよ。……ガセネタじゃないなら」

 

 ねぇマリマーネ。

 

 おぃマリマーネ。

 

 もしかして、お前は……。

 

「……なんていうか、凄いね、ラナ」

「全然。これでわかるのは、私は道化師だったってことなんだからね」

 

 意味もなく踊った。意味もなく踊らされた。

 

 誰に?……運命に。

 

「つまり、マリマーネは本来持っていないはずの情報を持っていた。それを、私へ、“持っているよ?”と示してきた。なぜ?」

「……なぜなの?」

「ひとつには示威行為(しいこうい)。私にはこれくらいのことができるんだよーって見せ付け」

 

 それは、マリマーネの個人的趣味というか、欲求の部分だろう。

 アレは商人であることに誇りを持っているタイプの人間だった。

 どちらも勝者(ウィンウィン)が理想であるとはいえ、そこに個人の自尊心、虚栄心が混じらないなんてこともない。マリマーネのニッコニッコな笑顔は、「してやったり」の笑顔だ。ムカつく。

 

「もうひとつは自己紹介と立ち位置の提示。ドヤッセ商会はそうした情報を“商売(シノギ)”とするような商会ではありませんよっていう、ある意味では弁明のようなもの。その上で、でもあなたならこの情報、高く買ってくれますよねって、言っているの。そして、そのことが“なぜ?”へのみっつめの答え」

「つまり?」

()()()()()()。つまりマリマーネも()()()()()()()だってこと。まだ、なにかあるんだよ、これには。これまで話したことで言えば、どうしてマリマーネがそんなことを知っていたか、その情報が完全に抜け落ちているからね、()()()()()()()()()()()()その部分が、完全に抜け落ちている。つまり、そこが気になるなら聞きにくればぁ? って言っているのよ、これは、レオを通して私へ」

 

 はー……と、レオが横で長い嘆息を()く。その息が私の耳に少しだけ触れてくる。生乾きの髪がほんのりと揺れた。

 

「もちろんこれは、あくまで私の推察ってだけだけど」

「あの短時間で、マリマーネさんがそこまで計算していたのだとしたら、凄いね。ラナもだけど」

「……剣士が剣で人を斬るように、商人は情報とその運用で人を斬るの。私のそれは、レオの剣の冴えに比べたら全然だよ」

「僕のはまぁ……多分例外なんだと思うけどね……え?」

 

 肩を落とすレオの、その頬へ私は唐突にキスをする。お風呂上りの、ぷるんとした感触がそこにある。

 

「ん」

 

 そのまま、私はレオの顔を自分の方へと向かせ、唇をも重ねた。すこし、心に、痒いところが引っかかれたような、奇妙な快感が生まれてくる。それは、そのまま掻き毟ればなにかが破綻してしまうと確信できる……刹那的な充足感。

 

 だから数秒で唇を離して、目を開けると、ビックリしたようなレオの顔がそこにあった。可愛い。女装の時も可愛いと思っていたが、これはまた、それとは違う感情、情動(じょうどう)のような気がする。抱きしめたいという圧倒的感情が、諸々の雑念を突き破り心の最前線で舞い踊っている。

 

 だけど。

 

「助けてくれて、ありがとう」

 

 だけど……そうはしない。

 

「僕は」

 

 ここからは私の戦場だ。

 

「レオを、この戦いに巻き込んだのは私。レオが人を殺したのは、人殺しのスライムを討ち取ったのは、私を助けるため。私はレオが人殺しであることを知って、()()()を求めた」

「ん……ぅう?」

 

 レオの肩を両手で掴み、そのままでまたキスをして、今度は少しだけ舌でレオの上唇をつぅ……となぞる。お風呂上りの上気した顔で……レオはだけどうろたえることなく、私のすることを全部受け入れてくれる。

 

「動じないの、生意気」

 

 でも、それは。

 

 はしゃぐ犬の、好きなようにさせてあげようとする飼い主の鷹揚(おうよう)にも見えて、少しだけ憎たらしいと思った。どこか頭の片隅に、レオを滅茶苦茶にしたいと叫ぶ声がある。私が男性で、レオが女の子だったなら……私は……今ここで本当にそうしていたのかもしれない。

 

 だけどそれは、そうじゃないから()いのだ。

 

「落ち込みから復活したと思ったら、また随分と無茶苦茶を言うね、ラナ」

「キス、私とが初めてでも、ないんでしょ?」

「今も生きている人とのキスは、あの日が初めてだったよ?」

「……そう」

 

 窓の向こうに見える、ふたつの月、その重なり合った姿に、なぜか寂しさを覚える。

 

 だから左手の薬指と小指を曲げ、その痛みに満たされて……満たされた気になって……私は暴れそうになる胸の(うち)をなだめ、言葉を続ける。

 

「私がレオを、人を、殺すかもしれない状況に巻き込んだ。今日のことは、その想定の通り……ううん、()()以上。レオが何をしようとも、そこにあるのは栄光だけ。罪は私にある。レオがそれを背負う必要なんか、ない」

「……僕があの男を、殺すことに意味は無かったって言うの?」

 

 それは……●◆▼共犯▲●▲●▼●嬉▲▼■▲★◆▼■。

 

「意味はあったよ。私があそこで()()できたかどうかはわからないからね。だけど、結果として、私達は誰にも咎められることなく、こうして(いえ)へと辿り着けた。それはレオの判断が正しかったって証拠で、私は感謝しているの」

 

 失ったモノも多い。

 

「だから今度は私の番。レオに助けられ、レオに勇気をもらったから……私は私の戦場で戦うの」

「戦場って? ラナが戦うの? 誰と?」

 

 レオはもう女装することができないだろう。それはもう、おたずね者の姿となってしまったから……いや重要参考人かな。

 

「ずっと逃げ続けていた……社会と……かな?」

「……確かに、剣では戦えない相手だね」

 

 王都中の、金髪のメイドさんにはごめんなさいだけど、もはやレオにあの格好をさせるわけにはいかない、捕まえさせるわけにはいかない。これに、漏れるところがあるとすれば……コンラディン叔父さんか、(ウチ)の使用人か、例の美容院か、マリマーネか。

 

 叔父さんが事件の概要を聞き、それを私と関連付けた場合、密告する(チクる)前に私へなんらかの連絡が来るのではないだろうか。一応は親族、問答無用は……ないと信じたい。

 

 使用人は、私の魔法である程度はその動向を掴んでおくことができる。一応、それなりに長年の付き合いがあるから態度の変化もわかりやすい。私に全く悟られることなく密告するというのは、難しいことではないだろうか。

 

 美容院の場合、あそこはお貴族様お大臣様が利用する超高級店だし、私は伯爵家の正妻である伯母さんの口利きで会員になっている。それはつまり、お店にとってみれば、私は大切に扱わなければいけないお客様であるということだ。相手が国であっても、情報が不確かな内はそれを簡単に渡したりはしないだろう。

 

 そしてマリマーネは……()()()()()()……か。

 

「マリマーネのことは私に任せて」

「うん?……うん」

 

 もういい。

 

 マリマーネのことは、明日からだ。

 

 ただ……。

 

 もうひとつ、私達が警官に連行されるかもしれないルートがあって……。

 

「わぅん?」

 

 それは言わずもがな、やれやれといった様子でレオの足元に佇んでいる有名犬、マイラだが……。

 

 これは、もうどうしようもない……。

 

 今もまた、こちらの言葉を理解しているみたいな、人間のような反応を返しているけれど、それでもマイラは犬だ。犬畜生でお犬様だ。年齢的には立派な老犬でもある。レオの話では、随分と老犬らしからぬ動きをしてみせたそうだから……「勘弁してくだせぇよ旦那、当家の老いぼれに、そんなことができるわけないでがしょ?」とでも言えば……誤魔化せ……なくも……ない……のか?……どうして三下口調になっているのかについては、私にもよくわからないけれど。

 

「わふん?」

「どうしたマイラ……今日もお前の瞳は愛くるしいな……って、いきなり何するの、ラナ」

「知らないっ」

 

 このサイズのピレネー犬は、王都では珍しいとはいえ、いくらなんでも一匹だけということもあるまい。ペットショップの小母さ……マダムも、最近また出るようになってきたと言っていた。犬は一年で成犬になる。そして一歳の犬と十歳の犬の差を、遠目で見分けられる人は少ないだろう。というか私にもわからない、こんなに近くで観察してみても。

 

 それでも……聞き込みか、事情聴取は……高い確率でされるだろう。

 

 問題は、警官連中がそこにおいて「どれくらい真相に迫った推測をして」「どれくらい本気でやってくるか」だ。まず、警官が四人死ぬというのは確かに大事件だが、幸いと言っていいか、そこにおける被疑者……否、真犯人は既に死亡している。

 

 最悪は、とにかくなんでもいいから事件を解決した(てい)にしたくて、「スケープゴート」を探すというものだが、マイラとメイド姿のレオは、あくまでも「スライムを狩った(がわ)」であって、「白昼堂々警官を四人を殺した犯人」ではない。ここの真犯人の死亡については多くの警備兵が証言してくれるだろう。そこに「スケープゴート」は必要ない。

 

 だだ……今日、か昨日かに起きた事件は、それだけではない。

 

 いかがわしい服屋の店主が死んでいる。

 

 ゴロツキ五人も死に、その(そば)には偽の警邏兵(けいらへい)も死んでいる。その建物の一階の床には、犯人が逃走(もしくは侵入)に使ったと思われる大穴が開いている。

 

 これらを、国家公務員連中が、どう関連付けるかが問題になってくる。

 

 スライムへ全てを押し付け、処理しようとするか、それとも警官殺しの現場に居合わせたメイドと犬へ疑いの目を向けるか……前者なら犬、マイラの飼い主として事情聴取される私への追及は、そこまで厳しいものにはならないだろう。だが、後者だとどうなるかはわからない。

 

 人間は、組織として動くとどうしようもないほど莫迦(バカ)になる時がある。逆に、無意味なほど鋭い者が現れることもある。さすがに……その全てに想定して備えるなんてことはできない。というか、備えたら、それこそ不審がられるだろう。ある程度のパターンを想定しながら、出たとこ勝負で行くしかない。

 

 私が、殺▲▼▲●◆■▼●★実だ。

 

「ラナ? また顔がこわばっているけど、大丈夫?」

「……大丈夫」

 

 私は、知らぬぞんぜぬを貫けるだろうか? 好材料をあげるなら私は黒髪で、どうやっても行方知れずとなった金髪のメイドさんにはなれない。カツラまで疑われたらどうしようもないけど、それでも私の身体は、どうみても剣を振り回せるようなシロモノではない。そろそろ飛んだり跳ねたりは痛いのですよ、ええ……どこがとは言いませんが。

 

 いやまぁ、それを言ったらレオの今の体格であってもそうなのだけど……幸い、メイド服というのはそこそこ体型がわからなくなる服でもある。というか、そういうのを私は選んだ。フレンチでハレンチなメイド服っぽいのも並んでいた中で、わざわざビクトリア(ちょう)調(ちょう)の禁欲的なのを選んだ。ロングスカートでなければ剣を隠せなかったからだ。なら、警官が想定する金髪のメイドさんの身体には、それなりに筋肉が付いていることだろう。

 

 メイドさんというのは、そもそもがお貴族様に仕える特殊な立場の方々だ。そのほとんどは貴族家の生まれで、言ってしまえば、平民から見た場合、それは軽く()事無(ごとな)きお方々であるということでもある。少なくとも、商家の娘などよりは遥に上の身分をお持ちなのだ。

 

 その上でレオが見せた戦闘力……これってこう……傍目(はため)には()()()()()()()()()()が絡んでいそうに見えるのではないだろうか?

 

 警官は国家公務員だ。ゆえに彼らは国家権力に(おもね)る、(へりくだ)る。

 

 それへ忖度(そんたく)をするなら、積極的な捜査にはならない可能性もある。あくまで可能性だけど。

 

 ただ、ここも「想定して備えるなんてことはできない」だ。

 

 最悪、ここで「スケープゴート」を探すなら、「お貴族様」ではなく「商家の娘」を選ぶことだろう。「お貴族様が絡んでいそうだから有耶無耶(うやむや)にしよう」となったとして……だがその先で、国家公務員連中が「犯人逮捕には至らず迷宮入り」を選んでくれるか、それとも「適当な犯人を探し出して、そいつに全ての罪を()(かぶ)せてしまおう」の方へ流れてしまうか……それがわからない。

 

 まぁ……そこで生贄にされる可能性が高い私は……一部の★行におい▼は確か▲真▼人なのだけど……。

 

「……」

「わぉん?」

 

 ああっ……どうしてでしゃばってきちゃったのよ、マイラ。

 

 いやわかってる、事情は聞いて、わかっている……マイラがレオの元へと駆けつけてくれなかったら、レオは伯父さんの家に襲撃をかましていたのかもしれない。そっちの方がより面倒なことになってしまったはずだ。そもそもの話、油断していた私が悪いのだ。もとより、幼女の姿をしたスライム(だったという存在)にチョコバナナべっちょり攻撃を許した私が悪いのだ。それは、誰のせいにすることもできない。

 

 だけどマイラが……せめてもっと……どこにでもいる標準サイズの犬だったなら……ママのせいでピレネー犬の人気が下がっていなかったら……(うち)の使用人達が日に何度もマイラを散歩させていなければ……マイラが妙な知名度を集めていなければ……そういう「もしも」が、排水溝に詰まった髪の毛みたいに、思考の流れを邪魔してくる。

 

「ラナ?……ねぇ、本当に大丈夫?」

「うう……」

 

 心がまた沈んでいく。

 

 一時(いっとき)は浮上したと思っても、直面している現実が私をどうしても許してはくれない。

 

 それくらい、今の状況は、最悪を考えればキリが無かった。

 

「……どぅしたらいぃんだろぅ」

「ラナ?」

 

 夢の世界では、謝罪会見まで開いているのにけして謝ろうとしない「責任者」というモノがいた。それは、あの世界においては炎上に油を注ぐ結果となっていたようだ。

 

 だけど、私は今、謝らない責任者の、その気持ちがわかるような気がする。

 

 だってそこにおいて求められているのは「全面的な謝罪」だ。自分が知っている事件の全てを公表、説明をして、その上で自分が悪かったと認めて、世間を騒がせたことを含め謝罪する……そういうことが、「責任者」には求められる。

 

 私は、私の知っている全てを(つまび)らかにすることができない。だってそれは、レオのことも全て明らかにしなければいけないということであり、そこには重層的な困難と苦難が伴う。レオがスラム街出身であること、王都民の多くは大なり小なりスラム街の住人にネガティブな感情を抱いていること、特異な「無敵」の能力は、国に知られれば高い確率で軍へ徴収され、特定の生き方を強制されてしまうだろうということ……殺人の罪があるというなら、その扱いは真っ当なものとはならないであろうということ。そうした諸々のことが……私に口を開かせることを躊躇(ためら)わせる。

 

 そして、「全ての」騒動の原因が自分にあったわけでもない。それは本当に間違いないことだが……全てを公表、説明できるならそれを(信じてもらえるかは別として)主張することはできるが、そうでない以上、私の言葉には嘘や誤魔化しが混じる。そこにきて更に「全ての責任が私にあるわけじゃないのに」という感情が入り混じってしまったら……それはもう、人の目にはもう、どうしようもないくらいに……不誠実な人間の態度として映ることだろう。人は嘘や誤魔化しの混じる言葉では納得しない、不誠実な者へは苛立ちを禁じ得ない。こうして「全ての」騒動の原因は……あるいはその全ての罪と罰までも……スケープゴートへと押し付けられる。

 

 勿論、これらは一般国民の感情の問題であって、国家警察における取り調べの問題とは全く違う種類の話なのかもしれない。だけど、この「スケープゴートへと押し付ける」という部分に関してだけいうのであれば……構造としてかなり似ていると思う。押し付けられるのが社会的な死か、それとも法律に(のっと)った罪と罰か……そうした違いは確かにあるが、類似点は多い。それによって冤罪が生み出されたとしても、多くの場合、()()()に対しては誰も責任を取らないという点を含めて、だ。

 

 別に……夢の世界のいわゆる「知る権利」とやらを否定するつもりはない。それもまた歴史が神話となって生み出された共同幻想の一種なのだろう。健全な社会のため、それが必要であると判断したその先の社会が……期待通り健全のまま推移していくのかどうかについては……そこから外れてしまった自分にはもうわからない。

 

 だけど、間違いなく言えるのは、権利とは、それもまた兵器であり(やいば)であり、無闇に振り回せばいいというモノではないということだ。「知る権利」を兵器として、(やいば)として振るった時、そこに展開されるのはただの自白の強要であって、その先にあるモノが真実であるとは……限らないということだ。

 

 わかってる。大多数の人間にとって真実などは重要ではない。重要なのは「自分が納得できる答え」だ。

 

 例えば私に、ママの心の真実なんてモノはわからない。もうわからない。ママはもう既に壊れてしまった。私が近付くだけでおかしくなってしまう人を相手に、何を聞けばいいというのだろう。無理矢理聞いたとして、何を得られるというのだろう。だから私はそこの「真実」を求めたいとは思わない。もう、思えない。

 

 髪の生え際の小さな傷は、もうそれがそこにあると、意識することも少なくなった。

 

 私はママの真実がどうであるとかは、もうどうでもいい。ただ、いつか「自分が納得できる答え」が欲しいとは思っている。それはつまり、私だってそういう人間だということだ。

 

 納得できる答えが得られるなら、兵器でも(やいば)でも振り回したいという感情も、わからなくはない。私も、ママがあんな風に弱っていなければ……そして私自身がママにとっての特効兵器とさえなっていなければ……もっと昔の段階でそうしていたのかもしれない。

 

 だけど……自分の親に怯えられるという……私だけの記憶(思い出)を、歴史を、神話を手に入れ。

 

 私の中に生まれた幻想(ファンタズム)は、真実を求め、伸ばすその手が、真実を歪める、壊すこともあるのだという……ある種の絶望だった。

 

 科学ジャンルでいえば観察者効果が、心理学ジャンルでいえば実験者効果が、ミステリージャンルでいえば後期クィーン的問題が、似たような絶望を伝えるが、真実を知るというのは、それくらいに難しいことなのだ。兵器を振り回し、(やいば)を振り回し、それで得られるのはボロボロになった「真実の成れの果て」でしかない。それで納得できるならいい、けど、ママとの確執の問題において私は、そんなモノを手に入れるくらいなら、何もしないことの方を選んだ。

 

 私がママを、ボロボロにするわけにはいかなかったから。

 

 どうせ私は『“親しき者の死に何もできなかった”』その程度の人間だから。

 

 自分に、ナニカができるなどと、(おご)ってはいけない。

 

「ラナ? ねぇ……また(ろく)でもないことを考えているんじゃないの?」

 

 私は★▲▼だ……いや、もう誤魔化さずはっきりさせよう……私は殺人者だ。

 

 そこには責任がある。私はまごうことなき「責任者」だ。

 

 兵器を振り回され、(やいば)を振り回されて、「ボロボロになる責任」があるのかもしれない。それが人の、人権などという幻想(ファンタズム)とは違って、生まれた時から確かに持っている応報感情(おうほうかんじょう)という本能へ、私が奉仕できる唯一の手段なのだろう。

 

 ママの過去も、そのママに愛されなかったという生まれも、幼くして引き籠ったという経歴も、「自分が納得できる答え」それだけが欲しいのであれば、甘露のようなモノだろう。それは凄く「納得しやすい」材料だからだ……何に対しての納得?……決まっている、私が、「自分達とは違う」「異常な人間」であるという事実、あるいはボロボロになった真実に対して……だ。

 

 ああそうだ、事実、私は異常な人間なのだろう。平穏無事に一生を過ごせる幸せな人達とは違う、もう違ってしまった。

 

 だけどその納得は、真実ではない。真実はもっと複雑で、面白くなく、簡単には納得できないものだから……その複雑に、つまらなさに、誰も耐えられない……私も。

 

 そんな風に、されるくらいなら、私は。

 

「わぅん」「ひゃんっ!?」「わっ」

 

 ふと、頬に温かな何かを感じ、(うつ)ろに開いていただけの目に光を戻す……と。

 

「ぇ?……」

 

 気が付けば、答えのない迷宮に、囚われかけていた私を。

 

 そうして、怖い顔をしていただろう私の右の頬を……マイラは。

 

「くぅん?……」

「ま、ま、ま、ま、マイラ!?」

 

 舐めていた。ピンクの舌先でこう、ペロペロと。

 

「……なるほど」

「えっ!?」

 

 すると、何を思ったのか、レオも、マイラとは反対側の頬を舐めてくる。

 

 ペロペロと、チロチロと。

 

 こそばゆいような、おもはゆいような、よくわからない感触が私の裡と外を撫でていた。

 

「えー!? な、な、な、何この状況!?」

 

 両脇から挟まれ、逃げ場がなく、思わず両拳(りょうこぶし)を胸元で固めたまま、自分の足だけがバタバタと、意図しないまま別の生き物のように動く。スプリングなどは入っていないベッドだから、ギシギシという間抜けな音はしなかったものの、お尻の下でバッタンバッタンとコントのような音が響いた。ああ……そこへブーブークッションでも仕込んでいたら、さぞかし愉快な音楽会になったろうな……と阿呆(あほう)なことが頭をよぎっていく。いやいやいや、阿呆も阿呆すぎるでしょ。よりによってブーブークッションって。間抜けが限界突破し過ぎてる。この世界にブーブークッションなんてない。そんなの、さすがに作っても売れないよ!? っていうかなろう系主人公で誰かした? ブーブークッションで大儲け。寡聞にして私は知らないよ? ブーブークッションチート。

 

 って何の話!?

 

「……って、いつまでそうしてるの!? ふたりとも!」

「んっ」「わぅん」

 

 握っていた拳を開き、両利きのマニピュレーションでふたりを押しのける。ふたりっていうか、ひとりと一匹だけれども。

 

「なんなのよ! いったい!?」

「わんっ!」

 

 ええい、大声で鳴くな。深夜だぞ!

 

「人がこれからのことを真面目に考えてる時に!……っていったーい!?」

「ふむ」

 

 気が付けば、今度は、レオが私の左手の薬指をぎゅうと握っている。

 レオの親指と人指し指、その腹の部分が、ちょうど噛まれて出血した部分を包み込むように持っていた。

 

「ラナ、声が大きいよ。使用人の人が何事かって来ちゃうんじゃない?」

「っ……」

 

 誰のせいよ……もうっ。

 

「でも、さすがはマイラだね。よくわからないけど、一番いいところでラナの意識をこっちに戻してくれた気がするよ」

「……私、そんなに怖い顔をしていたの?」

「うん、でもそれはラナが怖いってことではなくて……ラナが、どこか遠くへ行って帰ってこれなくなってしまいそうで、すごく怖かった」

「……そう」

 

 ふんわりと握り、だけどけして放してくれようとはしない、レオの手の、そのぬくもりを感じながら、私は。

 

 どうしたことか、自分でもわからない、刺すような寂寥感(せきりょうかん)に駆られ、思わず窓の外の、冷たい夜空を見上げる。

 

 月は、今はもう重なり合った状態から少しずれ、ふたつの月へ戻ろうとしているその途上にあった。私は、そのことを寂しいと思ったのかもしれない。

 

 本来、月はふたつであることの方が通常の状態で、神楽舞(かぐらまい)の季節だけが特別で……だからこそ、この世界の住人は月が重なるその姿に神秘を感じ、特別視をして(まつ)り、(まつ)っているのだけれど。

 

 それでも、だけれども。

 

 ……嗚呼。

 

「綺麗だね、月」

 

 レオの、月を追うそのまっすぐな視線に、私は想う。

 

「……うん」「わぉん」

 

 両脇にレオとマイラの体温を感じる今、この時だけは……私は、それこそが常態であったらよかったのにと……人が、孤独を感じなくてもいい存在であったらよかったのにと……そう想わずには、いられなかった。

 

 

 

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