罅割れ世界のプライムパッセンジャー   作:ZenBlack

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 ※前書き

 最長の一話となりました。内容もミステリー要素を含んでいるので、お好みの飲み物などを飲みながら、ゆっくり読む方がいいかもしれません。

 幸い、コメディ要素は薄いので、口に含んだものを噴いてしまうということもないと思います。



 これはある種の出題編です。次話が解答編(冒頭に答えがあります)です。とはいえ、ここまでにもヒントは沢山バラ撒いているので、「もうわかってる」ということもあるでしょう。その場合はラナかマリマーネか、もしくは作者の愚かなる振る舞いを、ほくそ笑みながら読んでいただけると幸いです。

 口に含んだものを噴きだしてしまうようなヤラカシは無いとは思いますが……さて。



epis37 : world's end, girl's rondo

 

 雨が降っていた。

 

 しとしととした、(しばらく)くは止みそうにもない(ゆる)(なが)い雨が、朝からずっと降り続いている。

 

 第一の晴日(せいじつ)であった一昨日とは、うって変わっての天気だ。女心と秋の空はなんとやらという、前の世界にもあった(ことわざ)が思い出される。

 

 雨の日の王都は、当然だけど着飾った人の群れが、街並みから消える。

 

 代わりに、実用的な服を着た労働者であるとか、その雨合羽(あまがっぱ)を羽織ったバージョンであるとか、それらとは真逆(まぎゃく)ともいえるお貴族様、お大尽様の屋根付き馬車であるとか、そういうのが往来(おうらい)をあっちへこっちへ()()していく。

 

 警備兵、警邏兵(けいらへい)も雨合羽を着て職務に励む。今はまだブルーグレーの、警邏兵の制服に嫌なことを思い出してしまうため、それが半分以上見えなくなっているというのは、私にとって良いことでもあった。主に心の平穏的な意味で。

 

 傘も、あるといえばあるのだが、使い勝手のいい畳めるタイプは結構な高級品であるため、広く流通しているとは言い難いものになっている。具体的には銀貨五十枚から金貨二枚くらいはする。円換算十万から四十万円くらい。そんな物がポンと買えるお大尽様であれば移動には馬車を使うため、どうしても買う人が限られてしまう商品だ。結果、王都で傘を()して歩く人は非常に珍しくなってしまっている。

 

 自分自身の話をすれば、私はそんな傘を二本も持っている。銀貨八十枚くらいのを一本と、金貨一枚と銀貨五十枚くらいのを一本、どちらも去年、雨の多い癒雨月(ゆうげつ)の頃に買ってみたものだ。その感想をいえば……重かったの一言に尽きる。フレームが持ち手以外全て金属製であるためか、それとも撥水性(はっすいせい)の布が嵩張(かさば)るからか、はたまたずっとひきこりだった十二歳の身体能力(しんたいのうりょく)が予想以上に貧弱だったのか……それはともかく、持って数分で腕が痛くなってくるほどに重かった。二本目を買ったのは、一番軽いとされているモノを買い直したからだが、それでも、それであっても数十分ともたなかったため、私の中でこの買い物は、無かったことにされている。

 

 そーゆーわけで本日、どーしよーもなく出かけなければいけない用件があるこの日にあって、私達が選んだのはフツーに、あたりまえに、常識的で良識的な判断に従って、雨合羽を着るという、ごく平凡な選択であった。

 

 ただ、これには利点もあった。

 

 傘の件からもわかる通り、この世界にはビニールがない。

 

 あるのは撥水性の布で、それは結構嵩張るし厚みがある。

 

 雨に濡れたとて、透ける心配のまったくない素材であるということだ。

 

 だからそうした素材で造られた雨合羽も、着ればその下の体型や体格がわからなくなる。

 

 レオにはもう、女装してもらうことができなくなった。

 

 だけど雨合羽を着込み、ついでにフードも被れば、それはもう女性であるか(背丈的に成人男性ではないにせよ)男性であるかもわからなくなってしまう。誘拐犯の残党がいまだ残る(であろう)この現状にあっては、好都合であるとも言えた。

 

 もっとも、レオの正体について、どれくらいの情報が相手方へ渡ってしまったのかについては……よくわからないところだけど……少なくとも曇っていた昨日、どうしても必要なことだからと採った手段よりは、ずっと気が楽だった。

 

「……というわけで、この雨の中、野暮ったい雨合羽を着て、遠路はるばるわざわざやって来てやったぞ、さぁ()けホラ吐けどんどん吐け」

「これはまた、席に着くなり、いきなりですね」

 

 そんなわけで、雨の中を押し、外出しての……マリマーネとの再会である。商人バトル再演のお知らせである。運命様捲土重来(けんどちょうらい)である。何を言ってるかわからねーと思うが私もわからねー、頭がおかしくなりそうな今のこの状況を、ありのままに言葉にするなら、これはもうただのヤケクソである。

 

 ここはマリマーネが総責任者を任されている例のお店、その店内の一室。前に通された部屋とは、内装こそ違っているが階は同じ、規模感も同じ。……その意味はわかるけど、意図はまだよくわからない。だけど高級そうなテーブルを挟み、向こうにソファに座ったマリマーネ、こちらに同じく私、その斜め後ろの壁際にレオが立っているというその構図は、前と同じだ。

 

 違うのは……マイラがいないことくらいか。

 

「ほら、ちょっとは下手(したて)に出てる風を装うために最高級のチョコレートケーキ持ってきたから、それを食ってとっとと吐いて」

「あむあむあむあむあむ」

「よくわからないけど、ふたりの会話に僕がついていけなそうだなぁ……ってことだけはもうわかる」

 

 ここに、マイラがいれば、今のレオの言葉に「くぅん」とでも頷いたのであろうが、さすがに今、マイラを私達と一緒に行動させることは……というかレオと一緒に行動させることは……できない。

 

 記憶というのはネットワークで繋がっているものだから、連結した物事に関しては結構敏感だ。音楽を聴くと、それを聴いていた時、場所、状況についても思い出したりする。白い犬とメイドさんという「組み合わせ」を記憶した者は、白い犬を見ただけでメイドさんのことも思い出す。その時、(そば)に同じ金髪、似た体型のレオがいたとしたら……つまり……そういうことだ。

 

「ふぅ……それにしても、レオ君は見違えましたね。とびっきり可愛い不良少女が、ノーブルな雰囲気すらも漂わせる美少年になるとは……いえまぁ、元が美形だっだと考えれば当然のことなのかもしれませんが」

 

 ひとしきり私の手土産(スィーツ)をむさぼり、自前の紅茶を飲み干し、極端な垂れ目を上げたマリマーネは、視線をすぐさまレオの方へと移した。

 

 マリマーネは笑っているが、場には奇妙な緊張感が感じられる。

 

 それはまぁ、当然のことだが。

 

「……随分と褒めるじゃない、レオのこと」

 

 まずは、会話は、前哨戦。

 

 ふたりとも「主導権争い」の前段階として、相手のペースを崩し、自分のペースに巻き込むことを意図した行動(ケーキ食え、とか)をして、言葉を発している。

 

 そんな中、マリマーネが放ってきたこの一手は、つまりは「おべっか攻撃」だ。

 

 私自身にはあまり効果がないと判断し、その同行者へとお世辞を飛ばしてきたのだ。

 

 ただ悔しいが、それは私には有効だ。レオが褒められるのは嬉しい。思わず反応してしまった。

 

 だが。

 

「ラナさんは、どちらの方が好みなのですか? 女装した姿のレオ君と、ありのままのレオ君」

 

 少し気持ちがふわっとしたところへ、爆弾を投げつけられる。顔がピクリと硬直したことで、ああ……自分は今、笑っていたんだな……と気付いた。

 

 いけない、いけない。

 

「……随分と下世話なことを聞くのね」

 

 でも、そんなのは。

 

「先日は()()()レオに良くして頂いたようで、どうもありがとうございました。余計なおせっかいは、マリマーネさんこそレオを気に入ったからですか?」

 

 そのような「煽り」がくるのは、想定済みだ。

 

 そのラインで攻めてくるなら、こちらはその揚げ足を取る。「(けん)」に回り出方を(うかが)って機を待つ。その揚げ足に、(やいば)が付いてないかもついでに確認しよう。

 

「ふふ、ご安心下さい、私は、女の幸せより商人としての栄達を望んでいます。この身体の使い道も、既に定まっておりますから」

「ふーん」

 

 はいはい、そういうことにしたいってことね、了解。

 

 まぁ……既婚者であるパパが丁稚とデキてる家庭に育った身からすれば、婚約者がいるからなんだって話だけど。

 

「別に、商人としての栄達と女の幸せは、両立しないモノでもないと思うけど?」

 

 ひとりの男性を絶対視して、それへ己の全てを預けるような恋ばかりが女の幸せではない。商人として栄達の道を歩みながら、その片手間に、その時々、近くにいる適当なオスを喰いながら生きていく……そういうのだって、本人が満足ならそれでいいのではないだろうか。

 

 まぁ……「女はひとりの男性を愛してこそ幸せ」という山に登ってる人からは、「アバズレ」であるとか「可哀相な人」であるとか、まぁ……妙なマウントを取られるかもしれないが、マリマーネが登りたいのはまず商人の(いただき)なわけで、何も気にすることはない。ついでのように、つまみ食いのように得る「女の幸せ」で、それの何が悪いというのか。

 

 どうせ女社会では、どんな風に生きていたとしても、誰かしらから、何かしらで見下される。全てと付き合っていたらキリがないし、それに自分の人生を左右されるというのも莫迦(バカ)らしい話だ。マリマーネは、世捨て人にならなければそれらとの縁を切れなかった私とは違い、まだ社会との関わり方を選べる立場にある。堅実な商売を堅調に続ける商家に生まれ、実家との縁が切れなければ経済的には困らないという、恵まれた立場にある。なら、ワガママに生きればいいのだ。そのことへ文句を言う気は……権利もだけど……少なくとも私にはない。

 

「どっちも手に入れるって強欲の(ほう)が、商人()()()んじゃない?」

 

 ま、そうは言っても、そんな人にレオは渡せないけどね。そんな人じゃなくても……だから、同じことだけど。

 

「それは、大変進歩的な考えで好感を持てますが、私の場合は両立しませんね」

「ふぅん?」

「芸術品でさえ、その金銭的価値を秤にかけ扱うのが商人ですからね。ただ可愛い、ただ美少年である、ただ美形であるというだけでは、個人的興味の俎上(そじょう)へ上がるには足りませんよ」

「ただ可愛い、ただ美少年、ただ美形、ね」

 

 マリマーネはレオが特異な剣士であることも知っている。敢えてそれを外したのは、ならばそこへは個人的興味を持っているというメッセージだろうか?

 

 なら、マリマーネには見る目があるなと思うところだが。

 

 私は、マリマーネのその目が確かならいいと思う。

 

 マリマーネが、真っ当な商人であったらいいと思っている。

 

 これまでの感じ、その期待を裏切る何かは出てきてないが、この勝負においてそこの判定は非常に重要だ。それこそが分水嶺(ぶんすいれい)であるとさえいえる。外堀からゆっくりと攻め、確実に真相へと迫っていくべきだ。

 

 とはいえ、本物の外堀に、否、()()に触れるのは、まだまだ時期尚早だけど。

 

「ふーん」

 

 ま、それはそれとして。

 

「マリマーネさんは、色恋沙汰には興味が薄いんだ?」

「いえいえ、話に聞く分には、興味津々で伺わせていただきますよ?」

 

 惚気たいならどうぞどうぞと促す垂れ目に、だけど敬意はこれっぽっちも払えないなと思った。

 

 

 

「で、結局の所、女装レオ君と男装レオ君の、どちらが好きなんですか?」

「意外としつこい!?」

 

 

 

 

 

 

 

 しばらくそんな感じの丁々発止(ちょうちょうはっし)を続け、やがて呆れた感じが斜め後ろから伝わってくるようになり、このままでは埒が明かないなと悟った私は、話を先に進めるため、話題を変えることにした。

 

「ねぇ、マリマーネさん……腹の探りあいも、化かしあいも、私も別に嫌いな方ではないんだけど……お互い、暇な身ではないでしょう?」

「いえ、このお店自体は結構暇なんですけどね。悲しいことに」

「なら、副業で忙しいんじゃない? どうやら情報収集が()()()のようですが」

「いえいえ、それほどでもありませんよ?」

 

 ()()をこちらから言わせたという事実に、満足でもしたのか、マリマーネは余裕の態度で応じてくる。これは、私が、この場における私の立場を明確化したということでもある。私は、マリマーネ(あなた)()()()()の結果に興味がありますよと、それとなく触れてみたという形だ。

 

 けど、それに対するマリマーネの応手は忌々しいことに「とぼける」だ。

 

 もう少しだけ踏み込んでみる。

 

「当然、一昨日に街で起きた()()()()()()、ご存知なのでしょう?」

「なんのことでしょう?」

 

 それでもまだとぼけるか、コイツ。

 

「知らないなら知らないで、あ、コイツ馬鹿だって軽蔑できるからいいんだけど」

 

 もしそうなら楽でいいんだけどなぁ~……そんな本音も交えての挑発。

 

「それは手厳しい。まぁ侮っていただけるのでしたら、それはこちらの有利ですから、構いませんよ?」

「ぐっ……」

 

 くっそぅ、この食わせ者め、わからず屋め。

 

 これ、前回侮っていただろう私にやり込められたことを、根に持っているな。

 

「ふ、ふーん、マリマーネさんは、商談では主にへりくだるタイプなんだ?」

「それは時と場合によりますね、使い分けてこその技術ですから」

「私にはへりくだった方が得策って判断? (いつ)つくらいは歳の違いそうな年下の女の子を相手に? 必要かしら、それ」

「いえ、ですから、ラナさんを相手には、時と場合により使い分ける方針ですよ?」

 

 くすくすと笑いながら、ケーキかすの着いた口の端を持ち上げる。

 

 それはまた……多分で過分な扱いを、どうもありがとうございますよっ。

 

 なるほど、今度は私のことを、侮ってはくれないってことね。

 

「それでその慇懃無礼(いんぎんぶれい)な態度か」

「いえいえ、これは単純に……決めかねているだけですから」

「……味方するか、否かを?」

 

「お客様とするか、否かでしょうかね? ラナ、()()

「……」

 

 首筋に、ヒヤリとしたものが走る。

 

 そう、今日のマリマーネは、私のことをずっと「ラナさん」と呼んでいる。「ラナ様」ではなく。それはつまり、私はまだお客様であると認められていないということだ。

 

 もとより、今回の主導権は、残念ながらマリマーネの(がわ)にある。

 

 マリマーネは……マリマーネ自身は、私に、情報を売らなくてもいいのだ。

 

 それどころか、それをどこか別のところへ売ったっていい。

 

 前回は、相手がどうしても欲しい()()をこちらが握っていた。だから逃げられない位置まで商談を進め、蟻地獄へ落とすみたいにして罠にハメた。

 

 今回は、相手がどうしても欲しい商品をあちらが握っている。それは私が、先の発言で明確化している。ゆえに、既に蟻地獄へ落ちているのは私の方だ。上手く這い上がって難を逃れるか、もしくは地獄の中心にいる罠の主へ一撃をかまさなければならない。

 

 もっとも問題は、そこにおけるマリマーネの立ち位置なのだけど。

 

「マリマーネさんの()()を、私以上に高く買う人間が、他にいると?」

「さあどうでしょう?」

 

 だが、そこでまたとぼけられる。

 

 うーん……。

 

 これはだめだ、真正面から攻めても、延々はぐらかされるだけだ。

 

 そもそもマリマーネは、マリマーネ自身は、この会談をどういう方向へ持って行きたいんだろうか?

 

 どうやら今回、マリマーネから「情報を売る条件」を口にするつもりはないようだ。前回は最初にあちらの「希望金額」を聞いて、そこを崩していく形のゲームだった。ならば今回は最初に、私に値をつけさせようって腹なんだろうか?

 

 それとも……私が、なんでもするから売って下さいって屈するのを待っている?

 

 そんなこと、私がするわけないと……()()が思っているような「空気」も感じるけど……。

 

 もしかして……これはまた「マリマーネが何を欲しがっているか当てましょうゲーム」なのだろうか?

 

 しかし、そうであったとしても、前回のとは格段に難易度が違うように思える。

 

 ここまで、ヒントらしきものはない。

 

 強いて言えばレオを褒めたことだが……マリマーネがレオを積極的に欲しがっているという感じでもないように思える。それに関しては、差し出してくれるならもらってあげるよ、くらいの感覚なんじゃないかなって思う……少なくとも、執着のようなものは全く感じられない。

 

 しかしそうなると……単純な、お金とかではないわけだ、マリマーネが欲しいのは。

 

 どうしたものか。

 

 マリマーネに渡したロイヤルクラスの会員証……その撤回をチラつかせ脅す……なんてのは……できるけどリスクが高い。それは商人同士の信義と仁義に(もと)る行為だからだ。

 

 リターンもおそらく期待できない。マリマーネは根っからの商人。横紙破りの恫喝に屈するのは、自分自身の生命に関わってくるところだけだろう。といって、私がレオの無敵で彼女を脅させるなんてのも、できるわけがない。レオは、命じたらやってくれるだろうけど……それをした時、私が失うモノの大きさと取り返しのつかなさは……一昨日の比じゃない。それをしてもらうくらいなら、まだ罅割れ世界の統括者(フィヨルクンニヴ)を使って私が直接脅す方がマシだ。

 

「今、色々と剣呑なことを考えましたね? 思い留まってくれて、大変助かります」

「……人間観察は楽しい? マリマーネさん」

「それが一癖も二癖もある興味深い人間の苦悩であるなら、懊悩(おうのう)であるなら、ええ、楽しいですよ?」

「悪趣味かっ」

 

 いや……。

 

 ……おかしいな、私は人を殺して、もう取り返しのつかないところまで来てしまっていたのではないだろうか?

 

 それなのに、私の中には侵せない、犯せない聖域がまだまだあるようだ。

 

 私は、マリマーネとの勝負では「商人として勝ちたい」と思っているのだろうか?

 

 ここまでの感じ、マリマーネは商人として逸脱したことを何ひとつしていない。ならばそれへ、正々堂々応じたいという気持ちが……どうやら私にはあるようだ。

 

「悪趣味でなければ、商人として大成したいなどと、思うはずもないじゃないですか」

「なにその全方向へ喧嘩を売る発言……」

 

 心はなんと厄介なモノかとも思ったが……だけどそれは同時に、私へ少しだけ喜びを与えるナニカでもあるようだった。

 

 

 

 

 

 チラと、レオの方を見た。

 

 そこだけ何も置かれていない、暗い色の壁紙が貼られた壁に背を付け、私はもう脱いでしまった雨合羽を、レオは着たままにして立っている。その下では剣を握っているのかもしれない。胸元の膨らみ方は、腕をそこで組んでいるような格好だが、手の先がどうなっているのかはよくわからない。

 

 塗れた雨合羽からはポタポタと雫が滴り落ちているが、それへマリマーネはこの段階まで何も言ってきていない。レオが私の護衛ポジションであることを承知しているのだろう。なかなかいい度胸だとも言える。度胸でそうしているのなら、だけど。

 

 もっとも私も、雨合羽で隠しきれなかった足元の部分はまだ濡れている。床を見ればちょっとした水溜(みずた)まりのようになっている部分もあった。

 

「どうしました?」

「……いいえ」

 

 

 

 

 

 とはいえ……このままこうしていても話は進まない。

 

 ……仕方無い、早々に一枚、こちらが持っているカードを切るか。

 

「……マリマーネ・シレーヌ・ドヤッセ、今年で十九歳。誕生日は知らないからまだ十八歳かもしれないけど、運輸省に代々勤めてきた貴族官僚、サゥリーン家の今代(こんだい)とは婚約関係にある。ただしそれは三番目の妻としてであり、ドヤッセ商会がサゥリーン家への金銭的援助を約束する代わりに、しばらくはその自由が認められている」

 

 ぴくりと、マリマーネの眉が上がる。

 

「おやおや、そちらもまた、情報収集が()()()のようで」

「半日で得られる情報なんて、公開してるも同然でしょ?」

 

 そう、ここへの訪問が今日になったのは、昨日を一日、情報収集にあてたからだ。

 

 雨はまだ降っていなかったので、私がマイラを連れ、レオには前に提案してもらった通り、結構な距離を離れ、ついてきてもらった。心細いったらなかったが、そうしなければいけないというのも確かなことだった。だから我慢して頑張った。

 

「どうやら二番目の妻が結構な浪費癖をお持ちのようで。マリマーネさんはその尻拭いのための証文であると……噂されているようですね」

「よく、お調べのようですね」

 

 すごいなぁと思ったのは、尾行が、あんなことがあったその次の日なのに、それでもまだきっちりと付いていたことだ。

 

「下世話な噂って、本当にイヤァですよね。簡単に手に入る分、質の悪さも相当のモノです」

「さすがに、実感が籠もっていますね」

「それはもう」

 

 尾行は、完全な新顔がひとりだけだった。雰囲気もそれまでとは違っていた。もっとも、それはそうだろうと思う。仲間が返り討ちにあったその次の日だ、緊張しない方がおかしい。

 

「噂はともかく、サゥリーン家との婚姻は、別に隠しているものでもないのでしょう?」

「まぁ、公開してるは言い過ぎですが、隠しているモノでもありませんからね。おっしゃる通り、女としての私は、既に売約済みということです」

 

 緊張する尾行に、緊張を強いられる私は、だけどそのまま必要なことだからと聞き込みを頑張った。

 

 最初に、パパと丁稚に聞き込みをして、そこで得られた情報を元に今度はこの店の近辺、つまりは職人街で聞き込みをしてみた。その際もレオを(そば)へ置くことはできなかったから、男性恐怖症の私がいかつい男性達に単身で話し掛け、問い掛け、時に怒鳴られたりしながら頑張ったのだ。チクショウこんなことさせやがってマリマーネめと思いながら頑張ったのだ。

 

()()も大してかからなかったかな。人望ないね、マリマーネさん」

「口止め料を支払っているわけではありませんしね、仕方ありません」

「ふーん? それで納得しちゃうんだ、ふーん」

 

 そこでのマリマーネの評判は、中の上といったところ。言行一致していて商人としては信頼できるが、常に足元を見てくるようながめつさが感じられ、気持ちよく仕事をさせてくれる相手ではないという。これだから女はイヤなんだ……とでも言いたげな表情を、やつあたりみたいに私へ向ける者もいた。まぁその人はアル中のようで、常に手が震えていたけど。

 

「愛しているの?」

「はい?」

「これは、()()とは関係ない話だから、答えてくれなくてもいいけど、二十近くも歳が離れてる人が自分の婚約者なのって、どういう気持ちがするのかなぁって」

「二十は言い過ぎですね、生まれ年でいえば十七ですよ? あちらの方が早生まれですから、十八離れている時期も、まぁございますが。ラナさんは、年下じゃないとダメなタイプですか?」

 

 いちいち煽り返すな、そういうところだぞマリマーネ。まぁ私に、というよりはレオへ向けた煽りっぽかったけど。今後ろで、レオがピクってなったのがわかったわ。

 

「なら、今は三十六歳前後? パパよりは年下だけど……」

 

 コンラディン叔父さんや、ゲリヴェルガの糞伯父よりは上だね。

 

「それで、愛しているの?」

 

 もう一度聞く。

 

 マリマーネが即答を避けたのは、はぐらかしたかったのか、察してほしかったのか。

 

 不躾(ぶしつけ)を咎めたいなら咎めればいい。どうせ私は暗黙の約束を破って自滅したママの娘だ。

 

 マリマーネは私の追及に肩をすくめ、お手上げとでも言いたげ気なジェスチャーをしてから答える。

 

「ラナさんが、年下じゃないとダメなタイプか答えてくれたら、答えましょう」

 

 はいはい、想定の範囲内、想定の範囲内。

 

 私はマリマーネの真似をして、お手上げとでも言いたげ気……に見えるジェスチャーをしながら答える。

 

「私は、レオじゃないとダメなタイプよ」

 

 ジェスチャーではお手上げであると、後ろのレオからは見えるように。

 

 だけどマリマーネからは挑戦的に、挑発的に見えるよう、視線を強めて。

 

「年下かどうかは、関係ないわ」

 

 言葉では全くの真実を答える。

 

「ん……」「わぉ」

 

 レオ以外の男の人は、今でもやっぱり怖いからね。

 

 思い切り良く、言い切り、私は、床をタンと軽く蹴って身体を引き、ソファの背もたれへと身をあずけた。そのまま、角度的には踏ん反り返ったまま見下すようにしてマリマーネを(にら)む。

 

「さすが、お若い。初恋なのでしょうか?」

「厳密に言えば違うのかもしれないけれど、人生を共に歩きたいと思えるのは初めてね」

 

 フィクションの中の登場人物へ……というのを入れなければ初恋は初恋かもしれない。

 

「わぁお」「んんっ」

 

 ……ってこれ、二重の意味で恥ずかしいな。

 

「……ほらっ、“答えてくれたら、答えましょう”って話でしょ」

 

 今度は、そっちの番よ。

 

 体勢を前のめりに戻し、トタタンタンと、貧乏ゆすりみたいにして床を叩いて、マリマーネに返答を促した。

 

「ふふ。では……そうですね、その論でいくのであれば……私も愛していますよ。十七も歳が上な、私以外にふたりも奥さんのいるあの方を。私は、私らしく生きるため、あの方が必要だったのです。私達は利害が一致しているのです、それはもうピッタリと。私の人生にはあの方が必要です。共に人生を歩んで生きたいと思っています」

「そ……」

 

 そんなのと一緒にしないでと、そんな言葉が喉元まで出掛かり、すんでのところで押し留められる。

 

 その不躾は、いくら無礼な私でもしてはいけないと思った。自分で自分の人生を選び、進んでいる人に向かって、それは侮辱であると思った。

 

 マリマーネは、何も言わぬ私を見て満足そうに微笑む。

 

「もっとも、人生を共に歩きたい……それが、子を生し、男女しての役割と責任をお互いに果たしあうという意味であるなら……私の望みは、それとはすこし違います。いえ子を生すこと自体は構わないのですけどね。私は商人として生きたいだけであって、男になりたいというわけではありません。ただ、女性の幸せよりも商人としての幸せの方をより強く望んでいるだけなのですよ。それに……私が子供を産んだとて、その子()は所詮三号さんの子供です。貴族社会においては日陰の者達となってしまいます。なら、私の子の居場所は、私が作らなければならない……そうも思いませんか? ラナさん」

「ん……」

 

 また……随分と重い発言をあっさりと放ってくるじゃないか。……いや目くらまし(レッド・ヘリング)か? ここに、マリマーネの望みに関するヒントがあるのか、ないのか。

 

「これが、私が商人としての栄達と、大変に進歩的な女の幸せを両立できない理由ですよ。誰の種かわからないような子を産むわけにはいきませんからね。それに、それは私が考える幸せの形とも違います」

 

 ……くそぉ、重すぎるがゆえに、真意を問い質し難い内容だな。それも計算の内か?

 

「どうして……そこまで商人として大成したいと願えるのですか?」

 

 仕方無いので、一番根本的な部分へと、探りを入れてみる。

 

 これが、「マリマーネが何を欲しがっているか当てましょうゲーム」であるなら、そこを追求することに意味はあるはずだ。マリマーネも、私が気にしてるのはそれであると判断するだろう。

 

「さあ? 気付いたら私はこうでした。自覚したのはそう……今のラナさんくらいの歳の頃でしょうか……逆に聞きましょうか、ではラナさんの見解は? 私という人間はラナさんからどう見えますか?」

「……そうね」

 

 マリマーネは……一言でいって「上昇志向が強く、がめつい人間」に見える。他人を全部、自分にとって得な相手か、そうでないかで分けてしまっている気がする。侮っていい相手は侮り、そうでない相手だけを警戒する。

 

 それは、商人としては適正のある性格なのだろうが、同時に危ういともいえる。

 

 人間関係は、利害で繋がるよりも、信頼と共感で繋がっていた方が安定するからだ。マリマーネの評判にはそれがない。まず、聞き込みに行った職人達へマリマーネの名前を出し、それで心からの笑顔が返ってくることは一度もなかった。おかげで、色々と聞きやすかったわけだけど。

 

「……ドヤッセ商会のご当主様は、娘には甘いのかしら?」

 

 敢えて、一旦外堀へと視線を移す。

 

 まず、親はマリマーネをどうしたいのかというのも大事な視点だ。

 

 それを、マリマーネがどう捉えているかというのも含めて。

 

「どうでしょう? ()()()ではないので、普通だと思いますよ?」

「……むしろ私が、甘やかされていると?」

「いえいえ、一般論です」

 

 私が甘やかされている、か……それは、ある一面を見ればそうなのかもしれない。

 十三歳の女の子が、家の中で好き勝手していても、誰も咎めない。

 金銭的には何の不自由もなく、だけど、かといって過干渉を受けることもない。

 結婚相手は……勝手に決められてしまっているが……それはこの世界においては普通のことだ。特段、理不尽ということでもない。

 

 客観的に見れば、私は甘やかされているのだろう。

 

「ただ……そうですね、私は、親からの愛情はしっかりと感じています。多少、見当違いであると感じることもありますけどね」

「それは、十代の娘を、こんな立派なお店の総責任者にしているから?」

「それも、ラナさんの見解を伺ってからお答えしたいですね。どう見えますか? あなたには」

 

 極端な垂れ目から放たれる、こちらを試すような目。なんともイヤらしい視線だ。マリマーネはこれで結構「損している」のではないだろうか。せっかく、黙っていれば愛嬌のある顔をしているのだから、もうすこし打ち解けた雰囲気を心掛ければ「利益は得やすい」だろうに。

 

 いや……でもそれは逆か。

 

 十八、十九歳なんて、夢の世界でなら高校三年生か、大学生か、浪人生か、進学しないなら社会人として一年目の歳だ。それはまだ、理想を捨てるには幼く、憧れを追うに相応しい年齢であるともいえる。

 

 まだ、自分にできることよりも、自分にできるかもしれないことの方へ価値を感じる……十代の後半なんてものは本来、そういう時期だ。ましてやこの世界にインターネットなんてモノはない。情報化社会はまだまだ遠い未来の話だ。この世界には、訳知り顔で、自分がしたいことではなく、自分にできることを仕事にしなさいと諭してくる大人なんかはいない。

 

 言い換えるなら、マリマーネは、まだまだ「背伸びをしたい」お年頃であるということだ。

 

 マリマーネにとっての「憧れ」と「理想」は「商人であること」。ゆえに、それ以外へ敬意を払うという姿勢が身についていない。それが、彼女の成育史の何が影響してそうなったのかは……そんなことは……心の中のことだから、私は知らないしわからない。

 

 ただ、私が会って話を聞いた職人さん達は皆、マリマーネのそうした「商人以外の生き方を選んだ者達への軽視」を、ちゃんと嗅ぎ取っているように見えた。

 

 本当は、これは良くないことだ。どちらも勝者(ウィンウィン)を目指す商人であるなら、関わった者には全て、気持ちよく仕事してもらうことが本来の「理想」、至上の到達点なのだから。

 

 だけどそんなのは、実際はかなり難しい。私がちょっと話を聞いた中でも、「職人のこだわりとプライド」がなによりも大事と口角泡(こうかくあわ)()ばす人がアル中だったりして……端的にいえばこの世は複雑なのだから。

 

 そんな震える手でいい仕事ができるんですかと、言いたくなる気持はある、咄嗟に言いたくもなった。酒に依存する人生が、酒に溺れる生き方が、良いモノだとはやっぱり思えない。

 

 でも、だからといってそれを軽視するというのは……見下すというのは……侮るというのは……なにか違うと思う。商売の上で付き合う相手は、自分の親でもなければ子供でもない。恋人でも、旦那様でもない。親友でも、あるラインで考えれば友達ですらない。であるなら、その人生観に、価値観に、他人は口出しすべきではないだろう。

 

 お互いに提示できるメリットとデメリットでもって、公平に、公正に付き合うべきだ。

 

 マリマーネも職人達へ、口出しはしていないのだろう。だけどその気持ちを、態度には表してしまっている。そしてそれが、私には彼女自身の「不利益」となっているように見える。彼女自身はそうした関係を「ドライ」であると、いい風に捉えているのかもしれないが、実際は全然逆だ。商談へ、変に感情なんて持ち込むから、感情的な(もつ)れが出てしまっている。それはとてもとてもウェットなことなのだ。マリマーネはおそらく「人脈を拡げる」ことを求められ、ここへ配置されている。ならば彼女は……。

 

「……このお店は儲けを度外視している……マリマーネさんはそう、何度も言いましたね」

「はい」

「ならば……ここはドヤッセ商会からしてみたら、成功しようが失敗しようが、どうでもいいということにもなります」

「……それは言い過ぎですね、この店舗独自の存在意義というのも、多分に御座(ござ)いますので」

「職人街との繋がりのため……であるなら……マリマーネさん、ご自身の評判が、あまりよろしくないということは、自覚していますか?」

「……」

 

 あ、自覚、していますねその顔は。まぁ当然、してますよねぇ……うん。

 

 そう……ならば彼女は、親の期待を裏切っているとさえ言えるのだ。

 

「世間知らずの小娘だからと、若輩者だからと、ナメられるわけにはいかない。そうして気張った結果がそれですか?」

 

 敢えての、わかりやすい挑発。

 

 そこに、彼女なら防壁の一枚や二枚は張っているだろうと思っての言葉だった。

 

 けど。

 

「……マリマーネさん?」

 

 答えがない。見れば、顔自体は笑ったままだが、その目は全く笑っていなかった。

 

「失礼。なるほど、ラナさんのお母様へ、今も怨みを忘れない方々の気持ちが、すこしわかったような気がします」

 

 錆びた鎖のように、私を縛り、傷付けようとする意図を感じる、言葉。

 

「……」

 

 それを、マリマーネは戯れのように私の肌へ擦り付けてくる。

 

 嫌な、感触だった。

 

「その生意気さは、あまり異性の前では……いいえ、人前では見せないことをお勧めしますよ? なんというかこう……ものすごく征服欲であるとか、嗜虐欲などをそそる顔でしたから」

「……それはどうも」

 

 気をつけよう、うん。メスガキわからせの当事者になんかなりたくない。まったく。

 

「ええ、まぁそれならばもう、ご存知かとは思いますが……」

 

 本当に、それが戯れであったと示すかのように、マリマーネは錆びた鎖の、その感触を言葉から外し、口調と語調を軽い調子へと戻した。

 

 私も、ホッと胸を撫で下ろした。

 

「この店の責任者になってからの私はそう……オッサンのケツばかり叩く日々を送らせていただいてます。そこに好かれる要素がないのは当然のことでしょう?」

「うーん……」

 

 いや、それはどうだろう、女の子……この世界的には十八ともなればもう“子”ではないけれども……やり手(?)の女性にケツをたたかれて喜ぶおっさんも、それなりにはいるはずじゃないかなって思うんだけど。もう少し……なんていうかこう……メスガキというか、ツンデレというか、背伸びしたい(さか)りの若輩者を生暖かい目で見ている感じの……ある種の紳士がいてもいいとは思うのだけど。

 

 ところがどっこい、マリマーネに親しみを覚えてる職人さんは、皆無だった。私が出会っていない人の中にはいるのかもしれないけど、一日で会えた五人の中にはいなかった。

 

 この世界にはまだ、そういう業界は育っていないとか?……。まぁアレもアレで、ある種の神話が育んだ幻想(ファンタズム)だからなぁ……。

 

「でもどうだろう、男性のMの気持ちなんてわからないしなぁ。案外、憤慨してる風を装いながら、本当のところは現状に満足している人がいなかったとも……」

「は? エム?」

「またラナがおかしなことを言ってる……」

 

 おっと、マリマーネを自分のペースに巻き込むつもりが、どうやら場をおかしな空気にしてしまっただけのようだ。

 

 ただ、マリマーネの気勢を削ぐことには成功したらしい。笑顔はまだ、崩れないが、もうそこに余裕のようなものは感じられない。

 

 ……なら。

 

「んー、多分ですけどね、マリマーネさんは、いい意味で“どうなっても構わない”立場におかれているんだと思います」

 

 ここで暗示のように、自分の言いたいことを言ってしまおう。

 

「いい意味で?」

「職人街で人脈を築き、いっぱしの商人として独り立ちするならそれでよし、(かな)わず、(かな)わずに失敗してもダメージは少ない。確かな血筋の家との婚約は既に済んでいるわけですし、職人街とのコネクションは次の者が築き直せばいい……こう言ってはなんですが……飴と鞭じゃないですけど、可愛げのないワガママ娘が迷惑をかけましたね、これからは話のわかる者同士で上手くやって行きましょう……なんて……結構刺さりやすい作戦じゃないかなって思いません?」

「……」

 

 多分だけど……いや五人の職人と話してみた感じ、確実に……マリマーネはお酒が飲めない。全くの下戸というわけでもないのだろうが、酒場で飲みニケーションとはいかない嗜好と思考と志向の持ち主なのだろう。夢の世界基準では法的にもまだアウトだけど。

 

 どうして(昨日一日の統計上)五人にひとりはアル中な職人の世界で頑張っているのかって話だ。ドヤッセ商会の本業は宝飾品店で、そういう店舗も数多くあるのに。

 

「……それを“いい意味”と評しますか、評せると言いますか」

「マリマーネさんの心に最大限譲歩した、その意味では親の愛情を感じられる扱いだと思いますよ?」

 

 甘やかしではない。年若い女性が、男臭(おとこくさ)い社会で成功するならそれは本物だ、好きにすればいい。というか、男社会のど真ん中で生きるなら、そうした資質がなければどんな理想があったとて、それは辛い人生になってしまうだろう。だがその見極めは、本人が納得する形で()されなければならない。そうでなければ未練と後悔が残るからだ。だからマリマーネの親はその機会を与えている。その是非はともかくとして、これを愛情でないというなら、世の親のほとんどは子を愛していないことになる。

 

 それに、女は男よりも諸々のタイムリミットが早い。子を産むにも育てるにも、体力の充溢(じゅういつ)している若い内の方がいい。医療の発達していないこの世界で、それはより顕著だ。変にぐずぐずやって三十代になってからの結婚、出産なんて……二十一世紀の地球ならともかく、この世界の親の望むところではないだろう。別に、羊水は腐らないけど、好機(こうき)は簡単に腐る。鯖か作りすぎた夏のカレーか、ちょっと傷んでた箱買いのミカンかってくらい簡単に腐る。それは、商人であるならば身に沁みて知っていることのはずだ。

 

「それとも……マリマーネさんは、本当は商人になりたいわけじゃなくて、()()()()()()()()存在でありたいと思うだけの人間ですか?」

「……ふむ」

「だから、マリマーネさんは親の愛情を“見当違い”と評するのですか?」

「……おっと、これは口が滑りましたか」

 

 実際のところ、マリマーネがそういう風に「親の愛情」を捉えていたとして、宝石が大好きな公私混同の即物的な俗物であったとて、そんなことは、私にしてみればどうでもいい。

 

 私達は親でもなければ子供でもない。恋人でも、旦那様でもない。親友でも、どのラインで考えても友達ですらない。商人の娘同士というだけで、商売仲間でも、まだ商売相手でもない。であるなら、その人生観に、価値観に、口出しすべきではない。

 

 けど、それすらも利用するのが商人だ。

 

 自分のであれ相手のであれ、感情すらも利用して「利益を得る」のが商人というものなのだ。

 

 ここにマリマーネの「迷い」があるのなら、私は躊躇(ためら)わずにそれを利用する。

 

「だとしたら……マリマーネさんは随分とやっぱり、親に甘えていますね。甘やかされているのではなく、甘えている、ですよ? マリマーネさんが自分勝手に甘えているだけ……という話です」

 

 さあどうだ、これへどういう反応を見せる、マリマーネ。

 

「なるほど、それがラナさんの見解ですか」

 

 だが……反応は特に無かった。

 

 挑発にも、煽りにも、何も動じない、何もうろたえない。

 

 だから察する。

 

 マリマーネは、自分でもこの程度のことは、「わかっている」のだ。

 

 彼女は今の自分の置かれている状況を、理解している。

 

 彼女は自分の長所も短所も、ある程度は理解している。

 

 理解している、理性では納得もしている。

 

 だけど割り切れないものがある。だから他人にも、その口で言葉にしてほしい。

 

 そんなところだったのだろうか?

 

 私のこれは、それへ応えたに過ぎなかったのだろう。

 

 答えではない。答えはマリマーネの中にある。あるいは彼女自身の未来に。私はマリマーネの物語には関わらない。マリマーネの人生に影響を与えたいとは思わない。

 

 ただ……私は欲していた解答の一部を、ここにおいて得られたと思った。

 

 これならば、()()()()()()()()()()

 

 マリマーネは、私が()()()()()()()()の人間だ。

 

「なるほど、わかりました、いいでしょう、ラナ()()の、私という人間への()()はわかりました……傾聴に値するご意見でした……そうですね、加えて言うなら、女が商人の世界で認められるには、場違いの世界で結果を出す……それくらいの()が必要です。宝飾品店で甘やかされているだけでは、誰も私をひとりの人間として見てはくれないでしょう。ラナ()()のご意見には、社会に認められるという視点が欠けていますね。もっとも……それに関しては、当方もまだまだ他人に意見できる立場ではないという()()()も、(つつし)んで受容(じゅよう)し、今後の参考とさせていただきましょう……それで?」

 

 それで? 私の微妙な立場を(あげつら)って、あなたはどうしたいというのですか?……そんなモノローグが聞こえてきそうなほど、その極端な垂れ目からは雄弁な視線が放たれていた。けど……それだって私にはもう「それで?」だ。

 

 なぜならマリマーネは、マリマーネも、ある視点が欠けているからだ。

 

「別に。だってマリマーネさんだって私のことを、“本気で調べた”のでしょう? 私もそれをやっただけ。随分と私のことを買ってくれているようで、卑賤(ひせん)非才(ひさい)の身は、恐縮するばかりなのですが」

 

 前回会った時、マリマーネは私の情報を……そこまで詳しくは……持っているようでも無かった。ロレーヌ商会そのものへの知識はあっても、その一人娘の情報については少し知っている程度だったように思う。

 

「うわぁ……ラナがへりくだり始めた……ここからが要警戒ゾーンか」

「何か言った?」

「なんでもないよー」

「……何の話ですか?」

 

 ところがだ、マリマーネはレオを通じて、私にメッセージを送ってきた。

 

 本来、得られるはずもない情報を、わざわざ私へ、握っているぞと伝えてきた。

 

 その意図はなんだ?

 

 私に何を求めてる、マリマーネ。

 

「ねぇ、マリマーネさん、今、楽しい?」

「……楽しい、ですか?」

 

 まぁ、いい。

 

 もぉ、いい。

 

「商人として楽しい時間を送れていますか?」

「……」

 

 主導権争いとか、前哨戦だとかはこれでいいだろう。ここからが本当の()()だ。四重くらいの意味で。

 

「何を測っているのかは、知りませんが、私は商人の娘だけど、別に商人になりたいわけではありませんから、無作法があったなら、申し訳ないかな、と」

「何の話……なのですか?」

 

 ごめんね、マリマーネ。

 

「だから……ねぇマリマーネさん、そろそろ本音で話してくれないかな? 私に、何をしてほしいの?」

「それを、聞いてしまいますか……」

 

「失望させてごめんね。だけど、もう一度言うけど、私は別に商人になりたいわけではないの、覚悟ガン決まりのマリマーネさんの相手は、本来務まらないのかもしれない。でもね、私は私でこうしたい、こういう風に生きたいと思う道があるの、それはね、古き良き時代のなろう系の主人公みたいに、たまたま出会った商人に気に入られ、取り込まれることなんかじゃないの。さすがですなんて言ってもらいたくない。私の承認欲求はそんなところには無いの。どうせ私は真っ当な世界からは弾かれた存在。でも、だからといって追放系の主人公みたいに、見返してやりたいとも思わない。本当に、世界の片隅でスローライフを始めてくれるなら、それはちょっと憧れなくもないけどね。……なによ、敵を倒しても()()()になんてならないじゃない。あやうく心が死にかけたわ。当事者じゃなくてただの一読者だったらストレス展開の連続にブクマ削除、お気に入り登録の撤回まであったわ。神様は読者を気持ち良くさせる構成が苦手なのかしら? だったら、こんな救いのない世界なんかじゃなくて、のんびりのほほんとした世界で、みんながキラッキラに生きれるようにしてくれればいいのに。……あれ? 私が何を言ってるかわからない?」

 

「……はい」

 

 わからなくていい、後半は、マリマーネを当惑させることのみに焦点を絞った言葉だ。言ってしまえばこれは下関戦争(しものせきせんそう)馬関戦争(ばかんせんそう)の休戦交渉における高杉晋作オマージュだ。わけのわからないことを言って相手を混乱させ、その混乱に乗じる作戦。だからマリマーネには絶対に「それに意味があるか、ないか、判断できない」内容をまくし立てた。凄く重要なことでもあるかのように、全く意味のないことを。

 

 商人として邪道? あらゆる意味で邪道? だからそんなこと知るかっての。その邪道がかつて日本の国土を護ったんだぞ。たぶん。伝統と実績ある作戦だよ。たぶん。……まぁでもこれって、カルト宗教が人を洗脳する際にも使われる手法で、そういう意味でも伝統と実績ある作戦だから、邪道というか邪悪な作戦でもあるのだけどね。

 

 けど……それも……まぁいい、もぉいい。使えるモノはなんでも使うのが商人だ。商人らしく振舞えというならそうしてやろう。

 

 私は少しだけ部屋の天井を見てから、マリマーネを、咎めるように睨む。

 

「レオを使った、婉曲なやり口は、ちょっと趣味ではなかったからね……誰も彼も商人の流儀に従ってくれるだなんて()()()()?」

 

 それに、話はもうその段階にない。ついてきてね、レオ。

 

「……は」

 

 マリマーネ、ねぇ商人の頂へ登ろうとしているマリマーネ。

 

 商人が、世界に合わせて動かなければいけないことがあったとしても、世界が、商人に合わせて動かなければいけないという法はない。商人の理屈で動かし、騙しても許されるの同業者までだ。それ以外をそのように扱うのであれば、そこに信頼は生まれ得ない。

 

 だからお前は人望がないんだ、マリマーネ。

 

「……なるほど、それがご機嫌斜めの理由ですか」

 

 あ、今心の中で「いつもムッツリしてるからわかりませんでした」って思ったな。わかるんだぞ、そういうのに私は敏感なんだからな。誰がムッツリスケベだ。いやそうは思っていないんだろうけども。

 

「ねぇマリマーネさん、もう、はっきり言おうか」

「……何を、ですか?」

「私は、マリマーネさんが大事と思っているものに、さほど価値は感じていないの。価値観を共有していないの。何度も言うけど、私はマリマーネさんみたいに、商人として大成したいだなんて野望は持っていない。マリマーネさんが私をどう思っていたのかについては、知らないけど」

「……ふむ」

「マリマーネさんが、ケチな商売(シノギ)の真似事がしたいなら筋違い。なんなら私は、いつでもレオと駆け落ちをして、王都を逃げ出してもいいと思っているくらい」

「えっ!?」「……ふぅむ」

 

「マリマーネさんが私に売りたいモノへ、どれくらいの価値を見出しているのかは知らないけど、その()()によってはそういう選択肢も考慮に入ってくるわ」

「……レオ君は、それでいいのですか?」

 

 驚いているようですが……と、マリマーネは私の後ろへ呆れたような視線を向ける。

 

 ごめんねレオ、これはアドリブだけど……本音だから許して。

 

「ひと月……いいえ、一週間で普通の人間なら一生遊んで暮らせるような金額を稼ぎ出す商家の娘さんですよ? その立場の人間を相手にして、不自由な生活を強いて、恥じることはないと?」

「それは……」

 

「それで恥じるのは、私であってレオではないわ。なぜなら不自由な生活を強いてしまうのは私の都合、それは、そこにおいては全て私の責任だから」

 

 まぁ、逃げる前には、金貨数百枚はパパからせしめているだろうから、よっぽどのことがない限り、金銭的に不自由な生活にはさせないんだけどね。

 

「レオが私を選んでくれるなら、その先の生活を保証するのは私であってレオじゃない。レオは、私を信じて付いてきてくれればそれでいい……なんてね」

「うわぁ……一瞬、女として一度は言ってみたいセリフって思った自分が恥ずかしい」

 

 うん、それはだいぶ恥ずかしいよ、マリマーネさん。やっぱり本当はツバメを飼いたい(がわ)の人間ですか? どうも随分と、オッサンと関わらなければいけない人生を好んで歩んでいらっしゃるようですが。……まぁファザコンだけどショタコンでもあるって、まだまだ全然ノーマルだと思いますけどね。フツーフツー。

 

「ともかく、マリマーネさんが私をお客様とするか決めかねているように、私だってまだマリマーネ()()が交渉相手として相応しいか決めていない」

「そこに異論はありませんよ、お互い納得してこその商談ですから」

 

 ちらとレオの方を見るマリマーネ。それへ、レオは何も返さない。

 

 今はレオに、こうした私の立場と考えをどう思うのか、聞くことはできない。

 

 でも大丈夫、否定もしない、今はそれだけで大丈夫。

 

 いつか私を見限るとしても、それが即断でなかったというだけで、私は救われる。

 

 レオならば、ちゃんと私というひとりの人間を見て、考えた結果でしか動かないと思うから、その結論は、なんであれ受け入れられる。

 

 私はレオになら、その価値観によって斬り捨てられたとしても満足だ。

 

「どうしましょうか、そうは言っても私は商人、その流儀で動くしかないのですが?」

「やっぱりわかってないね、マリマーネさん」

「……なにをでしょう?」

 

 私は床を、再び足でタンタンと鳴らしながら言う。

 

「この床、薄いね、その気になればちょっとした合図で抜けるようになっているんじゃない? レオのもたれかかってる壁も回転しそう。あとテーブルの下、妙な(くぼ)みがある。天井にもレールのようなものがある。それが何かはわからないけど、忍者屋敷かここは。随分と乱暴な商人の流儀もあったものね。ねぇマリマーネさん、私は、マリマーネさんの流儀に従ってもいいとは思っているよ? 商人になりたいわけじゃないけど、商人として相手してほしいというなら相手してあげてもいい。()みたいにね、マリマーネさんの流儀に合わせてあげる……でも」

 

 慌てて、壁から背を離したレオの気配を後ろに感じながら。

 

「暴力を含むのがマリマーネさんの()()()()()()流儀なら……勝てると思ってるの? ()()に」

 

 マリマーネを、私達の流儀へと引きずり込む。

 

「な」

 

 大怪我をしないように、ね。

 

 

 

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