罅割れ世界のプライムパッセンジャー   作:ZenBlack

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epis05 : Blood teller

 

「……は?」

 

 白い少女は、微笑んでいる。

 

 なにか今、その優しげな微笑みに、ふんわりした慈愛のある視線に、そぐわない音を、声を聞いた気がする。

 

千速(せんぞく)継笑(つぐみ)様、残念ながら千速継笑様の肉体はバラバラとなり、四肢はもげ、四散してしまいました」

 

「……はい?」

 

「簡単に言えば、千速継笑様は亡くなられました。意識だけが、隠世(かくりよ)であるこの世界に留まっている状態となります」

 

 ……じゃあこれって。

 

 それならこれは。

 

「臨死体験……ってこと?」

 

「いえ、ですから千速継笑様は既に、この時間軸において亡くなられています。幸い、頭部の損傷は少なく、脳漿(のうしょう)飛散(ひさん)するなどの悲惨(ひさん)な状態にはないのですが、血流が止まったことで脳細胞は死に、神経系は連絡不能となり、意識を保てる状態にありません」

 

 ……え。

 

「……そんな悲惨は()さんとして欲しかった……じゃなくて、え、でも私……こうしてここに五体満足で存在している……けど?」

 

 首を手で触れても、そこは繋がっていて、夏服の制服(ブレザー)から伸びる手足も……うん、自由に動く。

 

 なにか手触りに違和感を感じなくも……ない?……けれど……。

 

「はい。自我はご壮健のようで、なによりです」

 

 寝台から身体を起こすと、自分の長い髪が、さらりと身体に触れていった。

 

 だけど、それで初めて気付くこともあった。

 

「……汗、ひいてる」

 

 直前まで、季節は残暑残る九月だったはずで……そう、首へ、うなじへと張り付く髪が気持ち悪かったのを覚えている。……妙に遠い昔のように感じるけれども。

 

 それなのに今、こうして触る自分の肌は、不気味なほど熱くも冷たくもなくて。

 

 熱を感じない。

 

「なに……これ」

 

 ふと窓の外を見れば、ビルや高層マンションなどの高い建物には、濃い影が出来ている。

 

 空と地の境界は夕暮れ時の、青からオレンジへと移ろう途上のグラデーションで、雲はまるで、そこへ白い絵の具を溶かしたかのように見える。

 

 それは今までであれば私に、(いえ)へ帰れと脅す色でもあった。

 

「下をご覧下さい」

 

「え?」

 

 手のひらを上にして、コンパニオンガールが商品への注目を促すかのようなポーズで、人形のように完璧な造形の少女は、寝台の、少し上にある窓を指し示した。

 

 身を起こし、言われた通り、私は窓へと顔を近づける。

 

 そこから世界を、見知らぬ世界を覗き見る。

 

「……浮いている」

 

 地面に、レールなどはなく、頭上にも電線のようなものは何も見当たらない。

 

 電車は……いや電気で動いていないのなら、これは電車ですらない?……何両あるのかもわからないほど長大な車体をくねらせながら、空を走っている。

 

「えっ」

 

 空を……走っている?

 

「電車って、空を飛ばない……よね?」

幽河鉄道(ゆうがてつどう)、です。千速継笑様。風景こそ、今は日本の都心部を走っているかのように見えると思いますが、これはいわばスクリーンに映る、映写機よりの光と影……そのようなモノです。実態は、既に死後の世界と呼ばれるにほど近い空間を、この列車は走っています」

「ゆうが、鉄道……」

 

 おそらくは地上百メートル(100m)以上の空を飛んでいるというのに、定期的にガタンゴトンと揺れるその振動の中で、白い少女はふわりふわり、空へ漂うシャボン玉のように笑っている。

 

 それはどうあっても、現実ではありえない情景と、その体感だった。

 

「あちら側から、こちらの車体は見えていませんから、ご安心を」

「はぁ……ってうわ!?」

 

 なんか今、都庁っぽいのが横切ったような。鬼みたいな二本角の第一本庁舎の方。あれの二本角周辺は地上二百メートル(200m)以上の位置にあった気がする。

 

 もう一度首へ触れ、改めてそこに体温も汗の感触も何もないことを認識し、私は、ゆっくりとため息を吐くかのように、認めたくない言葉を、目の前の少女へと投げた。

 

「つまり、私は……私は死んだのね? それなら、ここにいる私は、何? 幽霊なの? 言われてみると、なんだか体温を感じない身体になっているみたいだけど……」

 

「はい。毎回のことながら、ご理解が早く、助かります」

「毎か……ぃ?……」

 

 ニッコリと、白い少女が微笑む。

 

 だんだんと明確になってきた意識に、ちりっと苛立ちが(とも)る。

 

 その微笑みは、なんだかもう完璧にパーフェクトに、完全無欠に文句無しに可愛らしい、優しげで温かなモノだったけれども。

 

 それがなんだか、とても憎たらしくも思えて。

 

 人の気も知らないでと、ベタなセリフが思い浮かぶ。

 

「それで?」

 

 だから冷静になれと、自分に言い聞かせる。

 

 死ぬ、死んだというなら、それは別にいい。

 

 お兄ちゃんの死をきちんと理解したその時から、私にとって死は身近なものだ。

 

 死を忌避(きひ)する理由もさほどない。なかなか終わらないことも多い漫画よりも、一作で完結する映画の方を好んできたし、将来の夢はなく、好きな人もいない。そういう人間だ。

 

 むしろ心の、さほど深くない場所に……助かった……救われたと感じる部分すらある。

 

 常々、私が現実のあの世界で幸せになるのは、結構難しいんじゃないかなって思っていたから。

 

「それで、この状況はどういうことなの? 死んで、それで空飛ぶ列車に乗ってって……銀河鉄道の夜じゃあるまいし」

「あ、やはり口にしてしまわれますか、その固有名詞を」

 

 だから、死んだのはいい。

 

 この生が終わってしまうことに未練なんてない。

 

 けど。

 

 だけど。

 

 ならば目の前で微笑む、この白い少女はなんなのか。

 

 ならば幽河鉄道などという、このふざけた鉄道機関車はなんなのか。

 

「賽の河原も三途の川も、それらしいものは見えないし」

 

 まさか私とこの少女が、ジョバンニとカムパネルラ……仲の良い友人同士であるという話でもあるまい。こんな子、私は知らない。そもそも友人といえる誰かなんていない人生だった。

 

 ひきこもりにならなくとも、不登校にもならなくとも、真面目に登校し、小中(しょうちゅう)とずっとそれなりの成績をキープし続けてきた生徒の中にも、コミュ障はいるのだ。いたのだ。私だ、あたしだ、言わせんな。

 

「なら、あなたは閻魔(えんま)様なの?」

 

 何人も、それで友達を無くした……というより、友達になれたかもしれない同級生達との、良好な関係を築く機会を無くした……険のある、皮肉めいた言い回し。

 

 嫌になるくらいに、この石棺(せっかん)からはそんな言葉しか出てこない。

 

 莫迦(バカ)は死ぬまで治らない。莫迦は死んでも治らない。

 

 真実は後者。私は死んでも莫迦でした。

 

「自己認識として、私が閻魔様と呼ばれるモノに近しいとも思えませんが」

「ん?……」

 

 莫迦な私の、我ながら性質(たち)がいいとは言えない問いへ、だけど少女はうっとりするような美声で、奇妙な言い回しを返してきた。

 

「閻魔様といえば、恐ろしい顔をした男性のイメージでしょう?」

 

 イタズラっぽく微笑みながら、白い少女は優美な曲線を描くその胸元へ己の手を当て、こちらの同意を促すかのように可愛らしくコテンと小首を傾げた。

 

「ぅ……」

 

 それはもう、なんかもう……それだけで世の男性の大半を一発で堕とせそうな微笑(ほほえみ)かもと思った。男性ではない私の、熱を無くしたはずの頬が、なぜだか赤くなったような気さえする。

 

「?……どう、されました?」

「っ……」

 

 廃熱のため、私はふるふると頭を振る。

 

 ──あざとい、あざと可愛い。あざと可愛いすぎるっ。

 

 ……騙されるな、私。

 

 白い服を好む女性は、ナルシストって聞いたことがあるじゃない。

 

 話の内容、聞いていた?

 

 はぐらかそうとしているだけかもしれないじゃない。

 

 ──堕とされそうになってるんじゃないっ。

 

 同性の私が、男殺しな仕草に惑わされてどうするの。

 

 だから……えっと……。

 

「女の子な魔王や第六天魔王がありふれてきた昨今、既存のイメージはあてにならないもん」

 

 ううっ……私ってホント、面倒くさいな。

 

「まぁ」

「閻魔様じゃないのなら……天使?」

 

 艶やかな銀髪に燦然(さんぜん)と輝く天使の輪(比喩表現の方)を見れば、そちらの方が、イメージには合う。

 

 銀髪の少女は、そんな馬鹿らしい私の問いへ、今度は「むー」と頬に指をあてながら、それでもやっぱり可愛らしく悩んで答えた。

 

「やはり……自己認識として、私が天使様と呼ばれるモノへ近しいとも思えませんが……そうですね、閻魔様と比べればですが……天国に導く……いえ導きたいという意味において……ええ、私は天使の方に近い存在とも言えるかもしれません」

「お、ぉう?」

 

 閻魔様よりかは天使の方が近いときたか。

 

 そうなんだろうけど……ええ外見のイメージから私もそれはそうだねって納得するけれども。

 

「天国?……導きたい?……なにそれ胡散臭(うさんくさ)い……」

 

 でも、面倒な私が返す言葉は、やはり反駁(はんばく)のそれだった。

 

 どういう態度をとるのが正解かわからない。

 

 だから心と言葉がチグハグになっているみたいだった。

 

「千速継笑様」

 

 白い少女が、真面目な顔でじっと私を見つめてくる。

 

 少女の迫力に……というか美少女というモノの圧倒的迫力に、私は思わず、「ひゃっ、ひゃい!?」とどもりながら答える。ああっ……もうっ……コミュ障!

 

「千速継笑様は、このままであれば来世、とても悲惨な……いえ悲劇的運命を辿ります」

「……ますます字面だけ見ると、胡散臭いこと、この上ない話になってきたけれど」

 

 ただ、空を飛ぶ列車に乗っていて、自分の身体からも一切の熱が失われているというこの状況においては。

 

 非現実的なことの方が正常なのかもしれないし。

 

 他にどうしようもないし。

 

 今はこの、胡散臭いまでに白い少女の話を聞くしかない。

 

「来世?」

 

「はい」

 

「来世って、あの来世? 権利者が利用者と結ぶ使用許諾契約とかじゃなくて?」

「それは……えぇと……ライセ……ンス……でしょうか?」

 

 あ、少し悩んだ……。

 

「英語だとスネークヘッドな(フィッシュ)?」

「ライギョですね。セはどこへ消えてしまったのでしょう?」

「じゃ……鮭の魚卵の醤油漬けと日本の高級ロブスター?」

「イクラ、伊勢(らいせ)海老。ですが狭義におかれましては、伊勢海老とロブスターは別の目、別の科、別の属となりますよ?」

「私の中では同じ、海の幸目、美味しい科、高級食材属だからいいの……って、なんでそんなに水産物に詳しいのよっ」

 

 釣りがご趣味ですか? そのメイド風味の甘ロリな姿で? 甘エビください。

 

「イクラは食材というより、それ単品で既にお料理かとも思われますが……」

「海苔で巻いたり、丼に盛るという過程を経ることもあるじゃない」

「イクラ丼ですか、好物なのでしたね」

「うんうん……ってなんで私の好物を、あなたが知っているのよ」

 

 海の幸目、美味しい科、お手頃属のアジの開き、秋刀魚の塩焼き……死んでしまったというならあれらももう食べられないのかな……そんなどうでもいい感傷が、私の胸をちくりと刺す。私はどうしてか昔からお肉よりお魚派だった。リリンの生み出した文化の極みは、歌じゃなくておろしポン酢だと思う。

 

「それはさておき、来世とは、身罷(みまか)られた方が、次に歩む人生のことです」

 

 だけど白い少女は、そんな私の感傷などは気にも留めずに、マイペースに話を進めていく。

 

「……そう」

 

『このままであれば来世、とても悲惨な……いえ悲劇的運命を辿ります』

 

 直前に投げ掛けられた言葉を思い出し、気分がより重くなっていく。

 

「じゃあ、その、身罷られてしまった私の来世は悲惨なのね? それはリアルに便所飯もしたことのある、ボッチな学生生活を送ったこの人生よりも悲惨ってことなの?」

「悲惨の種類が違うので、比較は難しいと思われますが……そうですね、一般的に言って、どちらの方がより辛く、苦しいかでいえば、来世の方ではないかと」

「……それはどういう意味で?」

「え?」

 

 無垢な瞳で小首を傾げる美少女は、可憐で。

 

 もんのっすごく可愛くて……だから微妙にイラっとする。

 

「だ・か・ら! (つら)いのとか、苦しいのとかの種類」

「え? え? え?」

 

 だから~。

 

 そういうムーヴは男の人にだけしてあげなさいってば……ああもう可愛いなぁ。

 

 こちとら自己嫌悪の塊なんだ。そんな小動物みたいな瞳でこちらを見ないでほしい。

 

「貧乏でいつも空腹だから苦しいとか、DV親にいつも殴られていて痛いとか、男運がないとか、生まれつき、自分ではどうしようもない障害を何か持っているとか」

 

 幼いうちに実のお兄ちゃんが死んじゃったから、お家がいつもギクシャクしてて辛い……辛かった……とか。

 

「ああ……ええ、なるほど、わかりました……そうですね……」

 

 ふーむ……と、それでも可愛らしく悩む少女は。

 

 どうしたことか。

 

 ぺとんと。

 

「……ちょっと」

 

 なぜだか、いつの間にか、ちょこん、ぺとんと。

 

 私のふとももへ、緩く握った片手を置いて、そうしながら思索(しさく)(ふけ)っているようだった。

 

 ……珍しい悩み方だな、おい。

 

 体温のない身体でありながら、なぜだかふとももが少しだけ暖かく感じる。

 

 爪は短くしているようで、食い込んで痛いなんてこともなく、体重をかけられているわけじゃないから不快でもなかった。むしろこれは……こそばゆい?

 

 とりあえず私は肉付きがいい方ではないので、女子高生にありがちなむっちりふとももではない。そこを座布団代わりにしても、いい具合にはならないハズだけれども。

 

 ……そう思う心の半面で。

 

 なぜだか自分の顔が、赤面してしまっているのがハッキリとわかる。

 

 もう、なんというか、これはこそばゆいというか、ある種幸せな恥ずかしさがあるというか……出会ったばかりの(あざとい)美少女に、こんな風に距離を縮められて喜べるほど、私は節操無しだっただろうか?

 

 でも、やっぱりなんだか少し、あったかな気持ちが胸の奥から湧き出てくるみたいな気がして……。

 

 

 

 ぽ。

 

 

 

 って。

 

「わぁっ!?」

「……え?」

 

 いやいやいやいやいや。

 

「手、手っ。足! 手っ!」

「あ……」

 

 騙されるなよ私っ。

 

 ある種の媚態だとしても、さすがにこれはやりすぎじゃないの。ふとももに手を置くとかキャバ嬢のテクニックかっ……いやそうのがそういうテクニックなのかなんて知らないけど女子高生が知っていていいことでもないけれどっ。

 

 ……ああっ もうっ!

 

「これは申し訳ありません。昔の癖が……」

「……ぁ」

 

 だけど、一瞬でそのぬくもりは、ふとももから去ってしまう。

 

 なんだか、名残惜しいような気持ちが、少しだけ心に浮かぶ。

 

 わけがわからない。

 

 なんだこれ。

 

 なんなんだこれ。

 

 理解できない状況、理解できない現象。

 

 ここにきて、自分の心さえもよくわからないことになっている。

 

 私が、そんな行き場のない気持ちにあたふたドギマギしていると、その元凶たる白い少女が先の問いへ、の~んびり、答えた。

 

「先程の、ご質問の(けん)ですが、正確にお答えするのであれば、全て、ということになります」

「……りありぃ?」

「はい」

 

 ええと。

 

「貧乏でいつも空腹で苦しくて、DV親にいつも殴られていて痛くて、男運がなくて、生まれつき、自分ではどうしようもない障害を抱えているの?」

 

 それって……かなり最悪……なんじゃ……。

 

「いえ、そのひとつひとつが、一気に来るということではありません」

「……どういうこと?」

「千速継笑様」

「ぇ」

 

 白い少女が、今度は片手でなく、その整った愛らしい顔を、ずずいと私の方へ近づけてきた。

 

「ひゃ……ひゃい!?……」

 

 少し離れて見れば、単に人形のように整っているとだけ思っていたその顔が。

 

 近距離となり、化ける。

 

 白金(プラチナ)の瞳が、オレンジの光を反射して輝く。

 

 それは私の心に、苦しいまでの光を(とも)すようで。

 

 (ルージュ)など引いていないはずの唇は薄桃色で。

 

 それは私の脳に、はぁと直接甘い吐息を送り込んでくるようで。

 

 ドギマギが治まりきらぬ胸中へ、それは劇物のように沁みてきた。

 

「う、うぇ?」

 

 頭がクラックラする。

 

「千速、継笑、様……」

 

 ふわり、白金(はっきん)に揺れる白銀(しろがね)の髪が、ゆらゆらと揺蕩(たゆた)いながら、その中心にある芸術的美貌を、金銀細工の額縁のように飾っている。

 

 その瞳に、その鼻筋に、その唇に、あたしの視線が捕らわれてしまう。

 

 視界いっぱいに広がる、甘く柔らかい、幼くも優しい顔。

 

 おそらくは十四から十六くらいの、可愛らしさだけで出来ている少女。

 

 今はでも、少しだけ憂いを孕む、どこかひたむきささえ感じる真剣な表情で。

 

 それが私の視界を集束させてしまい、(のが)さない。

 

 視界いっぱいに広がる、全てのパーツが可愛らしい少女の顔。

 

 目が、鼻が、唇が、前髪が、輪郭が、時折白銀の中に見える耳たぶが、眉毛が、唇からちらと覗く舌が、もう全部愛らしい。

 

 それでもと、抵抗するかのように(まばた)きをすれば。

 

 彼女は。

 

 ひどく幼い、無慈悲なまでに無垢な少女のようにも。

 

 戯れで口付けを交わせる美麗な妖女のようにも。

 

 子を心配する慈母のようにも。

 

 そのたびに、印象が変わって見えた。

 

 なぜか確信する。

 

 このまま、あと少しの距離を詰め、唇と唇が触れるなんてことがあれば。

 

 私は壊れる。壊れてしまう。

 

「ななな、なんでしょうかっ!?」

 

 それはもはや、暴力的なまでの可愛らしさだった。

 

「私と千速継笑様は」

 

 抱き締めたい。愛でたい。

 

 唇で唇に触れてしまいたい。そうなってほしい。壊れたい。

 

 わけのわからない衝動が、胸の奥から沸き出てくるのを抑えられない。

 

「私……とあなたが?」

 

 私はもう。

 

 私はもう、そのどこか(うれ)いを帯びた表情に、どうしようもなく心を掴まれている。

 

「私と千速継笑様は……」

 

 もはや。

 

 この名を呼ぶ薄桃色の唇に。

 

 食べられてしまいたいと思うくらいに、魂が吸い寄せられてしまっている。

 

 怖い。怖いよ。

 

 違う。違うよ。

 

 そうじゃない。

 

 だって。

 

 私はもう、この心身の何分の()かは……。

 

 本当に、そんなわけはないのに。

 

 ああっ……もうっ……食べられてしまっているからっ。

 

「私と千速継笑様が、こうして言葉をかわし、やり取りをするのは、これが初めてのことではないのです」

 

 だけど夢の時間は。

 

「ん……んんっ?」

「改めまして、お久しぶりです千速継笑様」

 

 唐突に終わる。

 

「お、久し……ぶり?」

 

 眩暈(めまい)がするほどの、純然たる美少女の魅惑。

 

 それは、当人がお辞儀をし、その顔が見えなくなることで、あっさりとその力を失った。

 

「はい」

「ぇ……ぅ……ぁ……」

 

 我に返り、今、何を言われたか、言葉の意味を脳内へ浸透させ、その美貌がある一定の距離からは近付いてこなくなったのを確認して、そこで(ようや)く、自分へ落ち着きが戻ってくる。

 

 なに……これ。

 

 なんだったの……今の。

 

 怖い。

 

 美少女、怖い。

 

 いや……饅頭(まんじゅう)怖いじゃなくて……本当に。むしろ落ち着くために熱いお茶がほしい。

 

 何かこう、至近距離から見つめられただけで、魂の奥底の方が、変な言い方だけど……陵辱されたような気持ちになった。

 

 嵐が去った今、胸の奥で私の心を乱さないでと、防衛本能らしきモノが叫んでいる。

 

 そして。

 

 その更に奥の方……どこか、私の深遠で。

 

 ──どうせ私は黒ずみ(けが)れている。

 

 ──ならば可憐な白に(けが)されるはむしろ僥倖(ぎょうこう)

 

 どうかこの私を、もっともっと、グチャグチャに乱してほしいと、呟いているナニカもいる。

 

 それは煙る、余燼(よじん)のようで。

 

 津波が去ってなお寄せては打つ、波のようで。

 

 それが、心底恐ろしい。

 

 なにこれ? なんなの? どういうことなの?

 

 意味がわからない。

 

 自分が、この状況が、この感覚が、本当にわけがわからない。

 

「ああもうっ!!」

 

 私は、水をぶっかけられた犬みたいに、大きく何度も首を振った。

 

「え、と!……それで今、なんて!?……こうして言葉を交わすのが、初めてじゃない!?」

「はい」

 

 お辞儀をやめたことで戻る、美少女の顔。

 

 少し距離が離れたおかげか、今度は少し落ち着いて見れる。

 

 それにしたって、本当に整った顔だ。少なくとも、学校で一番であるとか、村で一番ってレベルなんかじゃない。アイドルなら、百万人の中から選ばれた一人ってレベルだろう。一千万かもしれない。

 

 いやでも、だからこんな悪魔的に(天使に近いと言っていたけど)可愛らしい生き物、一度見たら忘れないと思うんだけど……。

 

「私は、千速継笑様に幸せになってもらいたくて、この時間をループしているのです」

「……ごめん意味がわからない」

 

 白い少女は。

 

 本当に、理性的に考えれば、だからもう、どこの二次元から抜け出してきたのですかという程に、整った外見をしていたけれども。

 

 可愛らしい仕草に、愛したくなる甘い声の持ち主だったけれど。

 

「千速継笑様は、もう何度も来世を生き、そのどれもが悲劇的な結末を迎えています。私はその運命を変えたいと思い、千速継笑様が亡くなられたこの瞬間へと、何度も時間を戻しています」

「……は?」

 

 その魅力を含め、全てがもう、非現実的で、それは私を混乱させるばかりだった。

 

「幽河鉄道は、同じ円環の輪の中を、繰り返し、繰り返し、走っているのです」

「え……と……山手線みたいなもの? 環状線っていうんだっけ、そういうの」

(あま)(がわ)が無数の星々の光、流れる川であるのならば、(ゆう)(かわ)は、無数の可能性、無数の運命が放つ光、流れる川です。星の光の先には恒星があり、惑星があって、そこに命あるモノが住まうように、可能性、運命が放つ光の先には、やはり命あるモノ達の一生が形而上(けいじじょう)の実体を伴って、そこへ存在しているのです」

 

 ……乱れた頭には、もう何も入ってこない。

 

 少女の言葉が、なにひとつ理解できない。これでも、毎年何人もT大や私立医科大御三家への進学者を輩出する高校の生徒なんだけど。

 

準空子(クアジケノン)を枕木として、流体断層(ポタモクレヴァス)をレールとして走り、幽の川を渡る機関。時空軸すらをも超えて走る魔道機関車(マギロコモーテヴ)、それが幽河鉄道です」

「は、はぁ」

 

 だからとりあえず、その声を、ホットミルクのように甘い声を、聞いていた。

 

「……ごめん何を言っているのか、本当にわからなくて」

 

 白い、美貌の少女は、そこでまた、もう少しでそのまつげが、私の前髪か鼻先に触れそうなくらいまで顔を近づけ。

 

「っ……」

 

 煙るこの胸の余燼に、またも(ほむら)(おこ)して……波だたせて……だけど今度は、すぐにその顔を離してくれて……「そうでしょうね」と……寂しそうに笑った。

 

「この会話も、もう何度かわしたことでしょう……」

「何度聞かされても、理解できなそうって意味でも、わけがわからない……けど……」

「それも、三回に一回はおっしゃられていますね」

「……私、この会話を何回、しているの?」

 

 この近すぎるこの距離感は、だからなの?

 

 私には覚えが無いけど、そちらにはあると。

 

 当惑していた距離感に、少し納得し、心が落ち着いてくる。

 

 そういうことなら、わからなくもない。

 

 私とこの少女には、私の知らないところで繋がりがあった。

 

 それは、なぜだかひどく甘美な鎮静剤で。

 

 それで「だから近いってば」と、無遠慮に肩を押し返すと、純白の美少女はさして抵抗もせず押し返された。

 

 そして、またも可愛らしく「んー?」と悩みながら、私の問いへ答えてくれる。

 

「さて……何回目でしょうか……四を過ぎた辺りで数えるのはやめたので」

「早くない!?」

 

 普通そういうのは、十とか百を超えた辺りからやめるものじゃない?

 

 全てが非現実的な話の中、それもまた(うべ)なるかな、異端の感性だ。

 

「四回目で、時間軸の体感は百年を超えましたからね」

「え」

「一回目が十六、二回目が二十二、三回目が長く五十六、四回目が十三」

「……なんの数字?」

 

 ここまでの話から、予想はできる……けど。

 

 白い少女が何度かパチパチとゆっくりまばたきをし、それから少し悲しそうな顔になる。

 

「千速継笑様の、繰り返す来世の、それぞれの寿命……享年と言い換えてもいいですが……生まれてから死ぬまでの時間、ですね」

 

 やっぱり。

 

「享年、十六歳、二十二歳、五十六歳、十三歳……」

 

 私、千速継笑が既に死者なのだとしたら、その享年は十七歳。

 

 次はそれよりも短くて、長くても織田信長レベル。てか四回目に十三歳ってどんなデスナンバーなのよ……。

 

「その、五十六歳の人生もその……悲惨なの?」

「はい。幼少期はそうでもないのですが……」

 

 なにその、不安になる言い方と表情。

 

「なに? 悪い男に騙されでもしたの?」

「騙されたというか……」

「……なによ?」

 

 言いよどむ美少女は、だけどそれでも絵になるからズルイ。

 

「拉致されて監禁され陵辱の限りを、それはもう」

「薄い本展開!? えっちぃのは嫌いじゃないけどいけないと思いますよっ!?」

 

 ……って……え?

 

 待って? 私、そんな環境で五十六まで生きられるの?

 

「まぁ、長寿で有名なエルフですからね」

「……ぇ?」

 

 今なんと?

 

「エルフは、転生先の世界によってもまた違うのですが、千速継笑様が三回目に転生したエルフという種族は、十代の頃の外見を五十、六十くらいまでは保ち、回復魔法や解毒魔法の類を得意とするスタンダードタイプでした。弓や攻撃魔法も得意なので、普通は拉致され監禁されても自力で逃げ出せるのですが……千速継笑様の場合はそこのところが多少、特殊だったので、闇市場で珍重されてしまったのです」

 

 闇市場……。

 

「おーけー、センシティブの匂いがするので、そこの詳細は聞きたくない」

「はい」

 

 それよりも問題は。

 

 美少女の唇から、拉致とか監禁とか陵辱なんて言葉が(まろ)び出てきてしまったこと……それも結構な問題だとは思うけども……よりも、更に問題なのは。

 

「え? エルフ?」

 

 え、なに? これはあれ? 異世界転生ってヤツ──ぅ?

 

「はい、千速継笑様の転生先は、地球ではない、時に物理法則すらも(たが)える世界の場合があります。魔法があったり、いわゆるエルフ、ドワーフといった亜人種が存在することがあります。千速継笑様の転生は、三回目におかれましては、エルフへの転生となりました」

「物理法則すらも違う世界……魔法……エルフ……」

 

 それはあれだろうか、なろう系によくあるアレなんだろうか。

 

 転生者がチートして無双して、美少女かイケメンがどんどんハーレム入りしてきて、もふもふと戯れながら、()、何かやっちゃいましたか?……なんてのたまうんだろうか。

 

「そうした結節点(ノード)を形成する存在は……実在しなくもないのですが、例としてはやはり特殊となってしまいますね。千速継笑様は、なかなかに、そうはなれません」

「……そぅ」

 

 つまり私は、チート持ちの勇者様にも聖女様にもなれないと。

 

 ふーん、あっそぉ。

 

 嗚呼、なろうの道は狭き(Narrow)かな。

 

 Enter by the narrow gate.

 

 狭き門より入れ。

 

 神様、入れません。

 

 まぁ……当然か。

 

 目の前に、チート級の美少女がいるから忘れそうになっていたけど、私は私だもん。

 

 女子高生という輝かしい肩書きに見合わぬ、平凡で地味な顔。少女漫画で平凡な顔は、むしろ美少女を指す言葉だけど、私のそれは、要はモブ顔ってことでしかない。

 

 学力は上の下。つまりは進学校のおちこぼれってこと。大学はこのままだと親の希望にはそぐえなくなる。スポーツは苦手だからその推薦も無理だし、旧一芸旧AOな選抜に受かるほどの特技や経歴も無い。どちらにせよ、そのふたつは親が許してくれないけど。

 

 そして、トラックに()かれそうになった子供を助けたわけでもなければ、それに類するビビッドでドラスティックな善行を積んで死んだわけでもない。洗礼を受けていないから天国へも行けないし、お国のために戦って死んだわけではないから靖国神社へも行けない。

 

 そういえば、それ系の小説って、電車に轢かれての転生ってあんまり例が無い気がする。有名どころだと幼女な戦記のアレくらいじゃないだろうか。トラックに轢かれるのは同情できるけど、電車に轢かれるのは人身事故で迷惑だから同情できないってことなのかもしれない。ごめんね。

 

「うん……神様に選ばれるようなことは、何もしてこなかったね」

「ん~……特定の個人を特別視して、ひいきし愛する神は、善き神なのでしょうか?」

「さぁ? 善行とか独善的な祈りとかをワイロとして受け取って、それと引き換えに天国へのパスポートを発行してくれるのがGodなんじゃないの?」

「……なんです? それ」

「気にしないで、色々パクったただの皮肉だから」

 

 ひねくれてひねくれて、(ねじ)れて(よじ)れてただの(ひね)くれ者になってしまった女子高生。

 

 それが私だった。

 

「じゃあつまり、容量無限のストレージ、インベントリを持っていたり、ステータスオープンと言えば、自分や他人のステータスが見れたりなんかもないってことね」

「うーん……私の知る限りにおいては、そういった……ゲームのような世界はそもそも存在しませんね」

「ないんだ……」

 

 どうでもいいけどその、悩むたびに小首をかしげる仕草、ホントやめない? 可愛いすぎだってば。

 

「高次元存在の支配力が強い惑星においては、それに近い世界が展開されていることもありますが」

「あるんだ……」

「ええ。そうした世界を、千速継笑様も試されたことがありましたね。あれは……確か十三(13)……いえ十四(14)?……十一(11)回目でしたか?」

「いや疑問系で、その記憶がない私の方を見られても……」

 

 だから何回転生してんのよっ……私ってば。

 

 だんだんと心が、また少しづつ乱れてくる。

 

 どこまでいっても私は私。

 

 莫迦は死んでも莫迦だし、よろしくない性格はよろしくないままだ。

 

「じゃ、結局の所、あなたはなんなの? 何者なの? 私に、幸せになってもらいたくて、この時間をループしているって言ったよね? どうしてそんなことしてくれるの? 私がどうなればあなたは満足なの?」

 

 もうホント、どうして私は()()()なんだろう。

 

 別にいいじゃない、目の前の少女は天使様、なろう風にいえば女神様ってことで、ありがたく拝んでおこうよ。

 

 いがらっぽい言葉を吐いて、それに自己嫌悪して、だけどそれでもヒステリックは()められなくて、何度でも繰り返す、後悔とヒスの無間地獄。

 

「幸せにって言うけど、幸せって何? 長生きすること? 友達ができること? 愛されること?」

 

 私の舌鋒はささくれだち、そこからトゲトゲの塊が次々に発射されている。

 

「何をしたら私は幸せになれるの? なれたっていうの?」

 

 わかってる。

 

 これは半分は、やつあたりだ。

 

 だけど半分は、この美少女が可愛くて綺麗なのが悪い。

 

 その優美なる相貌(そうぼう)を前に、立つ価値のない自分が、釣り合わぬ自分が、心底嫌になってしまうから。

 

「お気持ちがほぐれてきたようで何よりですが、落ち着いてください」

 

 それでも慈愛湧き立つ少女の声が、だけど私には無糖の炭酸水のようで。

 

 味蕾(みらい)毛羽立(けばだ)つ心の表面に、痺れるような痛痒(つうよう)を与えてくる。

 

 落ち着いてくださいと優しく囁く声は。

 

「なによ……奴隷エルフに転生って、それもう十八禁(R-18)案件じゃない」

 

 逆効果で、泣きたくなるほど切なくて。

 

「ですから、落ち着きましょう。ね? それはもう、終わった話ですから」

 

 白い少女の、善意から出たんだろうなと理解できるその声は。

 

「でも、また同じようなことが繰り返されるかもしれないってことだよね? ループしてるって、そういうことだよね?」

「それは……」

 

 もうホント、死にたくなるほど、私をみっともなくさせた。

 

「どうして私がそんな運命を辿らなくちゃいけないのっ」

 

 目の端にじわっとしたモノを感じる。

 

 自覚できるくらい、今の私は不安定だ。

 

「やだ……どうして私、死んでまで、そんな人生の続きをしなきゃいけないの……死んだんでしょ?……なら終わりたい……もう……終わりでいいじゃない……」

 

 そうだ。

 

 人生なんてつまらない。

 

 それが真理となる人生を、私は生きてきた。

 

 実の兄が死に、笑顔の消えた家で育って。

 

 兄が死んだ分、重すぎる期待を背負ってきた。

 

 人と上手く付き合えなくて、友達がいなくて、色々な意味で、自分自身の醜さに嫌気がしていて。

 

 確かに継笑は、いやな女の子だった。

 

「そうしないために、今までの経験があるのではないですか? 反省点を活かし、次へと進むのではダメなのですか?」

「今までの経験って……そんな記憶はないもん」

「……千速継笑様」

 

 そうして美貌の少女が、白金の光の中から、問い掛けてくる。

 

「今一度、この問い掛けをさせていただきます」

「……なによ?」

 

 悲愴な表情で。

 

「死を、それ自体を、無かったことにしませんか?」

 

 千速継笑の死を。

 

 十七歳で死んだ、この命を、やり直さないかと。

 

 

 

 答えは、決まっているのに。

 

 

 

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