<ラナ視点>
「……ねぇ、あれ、動いてない?」
「え?」
それを見た時、私は自分の精神がぐわんと
『これ、は……』
色々なことが起きすぎていて、心が感情を処理しきれない。
そうであると感じている。心に沢山のものが載っていると感じている。
心のどこかでは、今起きていることが、全て夢だったら良いのにと思っている。
暖かい布団で目覚め、ああ全てが夢だったんだと安堵する。隣には胸を貫かれてなどいないレオがいて、私は何かを確かめるようにその唇へキスをするのだ。悲劇など無かったことに感謝して、穏やかな日々が始まることに歓喜して。
だけど、勿論わかっている。
その願いは、その逃避は……それこそが
「ツグミ……ねぇあれ、倒したんだよね?」
『え、ええ……そのはずです、あれの魂、
私は、休息と安寧を求める脳を叱咤して、テレビのチャンネルを変えるみたいに、「カメラ」となる空間を切り替える、画面に映る景色を切り替える。
距離的に、角度的に、倉庫を内部からでは、その全容を見ることは叶わない。
慣れたせいか、盗撮機能に限れば支配空間を更に小さくすることで、五十メートルより先の盗撮も可能になっている気がする。けど、それでも今現在、ツグミが立っている場所でギリギリだ。
だから私は、「カメラ」を一旦倉庫の外に出して、外部から倉庫の全景が見れる位置に調整する。
「え……」
「なんだ、これ」
すると、倉庫の屋上に乗っていた白黒の巨人、その残骸は、いつの間にかその色と形を大きく変えていた。
色は、白黒だったものからブルーグレーに変わっている。王都リグラエルの、
そして形は……気持ち悪い何かとしか言えない。
「なにがどうなっているの?」
『どう、なっているのですか? ラナンキュロア様』
表現し易いところから言葉にすれば……白黒だった時にも見た斧の形、それが今度は細い、無数の触手の、その先にぶら下がったまま、残骸自身の表面をザクザクと刺したり、斬ったりしている。
ブルーグレーの肌を、やはりブルーグレーの触手が、その先端にある(そこだけは黒い)斧で、自傷しているのだ。
そこに生物的な知性……とでも言ったらいいか……そのようなものは感じられない。なんというか……楽しむ科学実験の、定番のひとつ、砂鉄を混ぜたスライムに磁石を近づけ、遊ぶという……お兄ちゃんも、小学校が冬休みだった時期に、使用済みカイロで作っていた気がする……その様子を思い起こさせる動きだ、それは。
「……スライムみたい、か」
「え? 何か言った? レオ」
「なんでもないよ、ラナ」
自らの触手で、斧で、無造作に刺され、斬られ、それにはあちこちに穴が空いていたり、妙な形になっていたりする。小学生が冗談で作った造形物のよう……だったモノが、小学生がデタラメに作った造形物のようなナニカに成り果ててしまっている。
そこから、脅威じみたプレッシャーは感じない……今はまだ。
「レオ?……ねぇ大丈夫?……」
しかし、そうは言っても、倒したはずの、死んだはずの異形が、
「……そこにどんな物語があろうとも、僕はまた壊すさ。それが僕達を、傷つけようとするなら」
「え……」
レオも……なんだか様子がおかしい。今のところ、私の生み出した
「ねぇレオ……本当に大丈夫?」
私はこの魔法、
「大丈夫、大丈夫だから、今は目の前のことに集中しよう」
「ん……」
だからレオを救命……本当の意味で救うことは、私にはできない。
それができそうに思えるのは今のところ、二周目のツグミだけだ。
だけど何かがおかしいと感じている。
ツグミは、私を悲劇から救うために
なのにツグミは、どうしてレオの窮地を救ってくれなかったのだろうか?
救って……くれないのだろうか……。
『ラナンキュロア様?』
「ん……」
テレパシーとやらで繋がっている「今のこのツグミ」。このツグミは……その能力はともかく、善性は……信じられる気がする。このツグミに悪意があったなら、事態はこんな風になっていなかった。それは理屈ではなく、直感でそう感じてるだけだけど、根拠のないことでもない。
なんというか……「この」ツグミには色々と、無駄が多すぎるのだ。悪意でもって私を動かそうとしているなら、しなくてもいいことをしすぎている。例えば、ここを去る時、私の声にレオのそれが混じらないよう、「調整」していったこと。これにいったい何の意味があるというのか。自分には
そこには良い意味で
二周目のツグミからはそういったものを一切感じない。その姿をこの目で見たわけではないが、目標へ向かって(それが何か、どこかはわからないが)一直線に走っている印象を受ける。
本当に別人(別犬?)なんじゃないかって思うくらい、ふたりの印象は異なっている。
「……ツグミ」
「はい?」
ただ、ツグミは自分の意思で動いているわけではない。お兄ちゃんの命令で動いている。
二周目のツグミがお兄ちゃんから……もしくは別の上位者から……なにか「今のこのツグミ」とは別の命令を受け取り、動いているのかもしれない。そう考えても話は通じる。
だからこそ当人(当犬?)を捕まえて、その辺りを自白なり自供なりさせたかったのだが……。
「……倒したはずの、白黒の巨人が……今はブルーグレーの巨人だけど……動いている。生き返ったって動きではないけど、なら、どうして動いているのか、気持ち悪いくらいに不思議で不気味」
私は、とりあえず「このツグミ」に「今は」協力しようと思った。
そうしなければ何も始まらないと思った。何も始まらず、全てが終わっていくのだと思った。それはもはや賭けではなかった。それ以外にもう、道が無かった。
……違う。
それ以外にもう、私達が生きれる世界は無い。
そんなもの、とっくに全て、無くなっているのかもしれないけれど。
最初から、無かったのかもしれないけれど。
『はい。ここからでも残骸の
テレパシーに、
「どういうこと? 何が起きているの?」
『今、観察を……観測をしています……少し……お待ち下さい……』
ツグミの声が途切れ途切れになり、消える。
テレパシーの向こうで、何かをする気配がある。
『これは……』
ややあってツグミの、精神的動揺を多分に含んだ声が聞こえてきた。
「なに?」
『異形の
「……どういうこと?」
『吸収した魂のどれかに適正があった?……ううん、そんなこと、あるはずがないです……ですがこの星でならそういうことも?……魔法使いなら?……』
「……ツグミ、独り言なら心の中でやって……ってそうか、これは
知らず、思考がコチラに流れてきてしまうほど、ツグミはハッキリとした独り言を心の中でやってしまっているワケだ。ホント、このツグミには無駄が多い。私に悪意があるなら
『まさか……私?……マイラの身体を借りた技術……その応用……ううん、今の私にはそんなこと、できません……でも……』
ツグミの思考が、堂々巡りに入る……その流れを感じる。
だけど、そうしている間にも、事態は刻々と変化していっていた。
「ツグミ、巨人の残骸が、段々と小さくなっていってる」
『……え?』
「表面に生えた触手が自分の身体そのものを削っていっている。この意味、あなたにはわかる? ただ自壊していってるだけならいい。ゲームみたいに、倒せば消えるモンスターの、その様を今更再現してみせてくれているというならいい。でも、私にはもう、そんな希望的観測は信じられない」
あそこには
それこそ、完全なる直感でしかないが、あれには、目標へ向かって一直線に、全力で走り抜けようとする意思を感じる。
『そんな……まさか……』
「考えて。その行為の意味、ソレが何を意味しているのか。私には魔法の知識なんてない。この星のそれなら少しあるけど、その中にアレの意味を、意図を、意志を知る手がかりはなんにもない」
『小さくなっていってる?……元々のあれには、元は灼熱のフリード様のものらしきエピスデブリが……自分自身を際限なく拡張していきたいと願うそれが……強く発現していました。ええ、それを破壊したのは私ですが……壊したからといってそれが反転するなんて理屈は、通らないはずです』
「待って、ラナ」
「え?」
しばらく黙っていたレオから、ここにきて待ったが入る。
「後ろ、海の方から、何かが来てる」
「次々と、なんなのよ……もう!!」
今度はなに!? なんなの!?……そう叫びたくなるのを必死で抑え、私は再びチャンネルを操作して、海の方へと
そこには……。
「……まさか」
「船が……私達の船が……飛んでいる?」
そこには、丁度、倉庫の天井ほどの高さを
「船って、飛ぶものだっけ?」
「そんなわけないでしょ!?」
大きさは全長四十メートルほど、コールタールを塗った外観は真っ黒で、五本のマストが立っている。帆は張られておらず、何を動力に動いているのかもわからない。
もっとも、帆を張ったところで船は空を飛ぶものではない。天●の城ラ●ュタじゃないんだ、飛行船なんてこの世界にはない。常識を考えろ常識を。それに、あのキジトラ模様な
ただ……ついさっき、人が空を飛ぶわけがないという常識を、簡単に覆してみせた犬が、巨人とバトり、圧倒してみせた美少女が、ここにいるのだが。
「まさか、二周目のツグミ?……」
「ああ……乗っていそう、だね」
「そんな……」
ずっと。
マイラとユーフォミーはどこに行ったのだろうと、考えていた。
けど、その頃、ボユの港は炎上していた。その現場がどうなっていたかは……考えたくもないが、混乱していたことは確かだろう。その中であれば、多少おかしな一匹とひとりが駆けて行ったところで、咎められはしない。
そのために街を焼き払った……焼き払われるのを見て見ないフリをした……のかもしれないと、少し思っていたくらいだ。
だから、通常の方法ではマイラを、二周目のツグミを捕まえることはできないと思い、「この」ツグミに捕まえてきたほしいと願った。
けど。
ひとつだけあった。
私達がほぼ間違いなく追ってこない場所。探知魔法のような何かを使われない限りは、心理的死角に入ってしまい、盲点になる場所。
あの船がそれだ。
確かに、私達から一時的に隠れようと思うのであれば、それはとても有効な場所だ。
「逃げ隠れする気は、ないってわけだ」
でも、この時までは、そうしたからといって、なんだという話でもあった。
「そんな……まさか」
私達から逃げたいのであれば、それこそ炎上する街を遠くへ、逃げてしまえば良いのだ。
けど、そうでないというなら。
私達から
心が落ち着かない。
迫ってくる悪意を感じ、不安になる。
「ねぇ、レオ……あの船、
泣きそうなくらい心が寒い。
「あまり。ラナは?」
「……わからない」
理屈からすれば、二周目のツグミも私の味方で、あるはずなのだ。
おかしな点はある。おかしな点はあるが、その全ては確信に変わるものではない。
ただ……今の私は、物凄く恐ろしいことに、気が付いてしまっている。
広く知られた思考実験のひとつに、こんなものがある。
大量殺人を犯した人間を、過去に戻って殺すことは正義か、悪かという問題。その殺される誰かが誰かはどうでもいい。定番の、第三帝国の誰かでもいいし、古今東西、歴史に数いる独裁者の誰かでもいい。営団地下鉄のあれとか、秋葉原の歩行者天国のあれとか、大阪の小学校のあれとか、某アニメ会社のあれとか、そういうのでもいい。それは、この思考実験をする人が最も許せないと思う誰かにすればいい。
でも、では、その大量殺戮者が生まれたばかりの頃に、子供の頃に、何の罪も犯してない状態で殺すのは、果たして正義なのだろうか? 悪なのだろうか?
おそらくは答えの出ない問題だろう。だからこそ思考実験として成立するのだろうし、答えを、出してしまっていい問題でもない。
ところで……私は、ずっとこう考えている。
私は、この世界の全てよりも、レオの方が大事だ……と。
そして私の手には、世界を滅ぼせる
ならば。
二周目のツグミが私の味方で、かつ私に敵対する、その可能性が、ひとつだけある。
ただ……だとすると、やはり、ひとつの「おかしな点」が、どうしても「おかしく」なってしまう。
大量虐殺を行った人間を、過去へ戻って殺すことは正義か悪か。そこに明確な答えはないが、これには
私は、レオと平和に暮らせるのであれば、それで良かったのだ。この世界に求めることは、本当にもうそれだけだったのに。
私は殺人者だ。そこを今更誤魔化す気はない。でも……だからといって理由もなく殺人を犯す人間でもない。そのはずだ、そのはずなのに。
ねぇ……。
……どうしてレオを、助けてくれないの?
どうして、私から、レオを奪おうとするの?
「ねぇ……ツグミ」
『はい』
「あなたは私の味方? 友軍?」
『……はい。それが私の使命ですから』
「だったら、使命とやらが変われば、あたなは私の敵にもなるの?」
『……』
「答えて」
『……それは』
「お兄ちゃんが私を……あたしが暴走する前に殺せと命じたのなら! あなたは私を殺しに来るの!?」
「……ラナ?」
お兄ちゃんは頭のいい人間だった。
頭がいいというのは、冷静な判断ができるということだ。
あるいはそれは……私のような
「黙ってないで答えてよ!!」
正しい、それは正しいよお兄ちゃん。
私はもう人を殺してしまった人間だ。レオ以外、この世界に大事なものなんて得られなかった人間だ!
私は失敗作だ! 間違いだ! その果てに大量殺戮者となるかもしれない、危険人物だ!
『ラナンキュロア様、落ち着いてください。エピスデブリの暴走に、飲み込まれないで下さい』
「どうして! みんなしてレオを見捨てようとするのよぉ!!」
『!』
「私なんかどうだっていいのよぉ! お兄ちゃんが死ねというなら死んだっていいよ!! でも、なら! どうしてレオを巻き込むの!? 私が生きていたから! レオがこうなったというなら! 私はいつだって死んでよかった!! どうして今日の朝にでも! 二週間前でも! 三年前でも! それを教えてくれなかったよ!! 私よりレオを優先してよ! それが私の望みなんだから! そうしてよぉぉぉ!!……んきゃぁう!?」
突然、お尻に強い衝撃を感じ、私は地下シェルターの中をすっ飛ぶ。すっ飛んで
「れ、レオ!?」
激突の衝撃が無かったとはいえ、お尻が痛い、めっちゃ痛い。といって、骨が折れるような強烈なものでもなかった。例の剣で叩かれたのなら、こんなモノではすまなかったはずだが。
「剣ってね、こういう使い方も、できるんだよ?」
レオは剣の、その刃幅の部分を私に見せていた。
あの剣は、耐久性重視でその部分を厚く、広く造ってもらっていた。地球の何かで喩えるなら……野球のバットよりも少し狭いくらいか。
「ってケツバット!?」
「それが何かは知らないけど、落ち着いてラナ。それでも心が騒ぐならこっちへ来て。こっちで、僕に、差し出せる指を差し出せばいい。一本でも二本でも、今度は噛み切ってあげるから」
「レ、レ、レ、レオ!?」
心の何か、むき出しになっていた部分を優しく触れられた気がして、私は自分の全身が
「僕を見て。僕はまだ見捨てられていないよ? 僕はラナが見ててくれるなら、それだけいい。だから僕を見捨てることができるのは、ラナだけだ。ラナはもう、こんな僕を、見ていられない?」
「っ……」
羞恥にか、罪悪感にか、それとも別の
十四歳の、年下の男の子に、私はいったい何を言わせているのだろうと思う。
……それはもう、本当に今更なことなのだけど。
『ラナンキュロア様……あの、
「このテレパシーって映像も届くの!?」
それへは、「鮮明に思い浮かべた場合は……はい」という答えが返ってくる。
「っ~!!」
「赤面してる場合じゃないよ、ラナ。船が、このシェルターの上を通り過ぎる」
何かしてくるなら、そろそろなんじゃない、というレオの声に、私はぎこちなく体勢を整える。
「間違えないで。僕がこうなったのは僕の責任だ。僕のために死ぬ? ラナにはそんな権利、ないよ。だって僕は、ラナにそんな犠牲を選ばせたら、きっと僕自身を許せなくなる。僕にとって、僕よりも大事なのはラナだから」
「レオ……」
「ラナ、僕達はもう、自分を犠牲にするというのは、ふたりを犠牲にするということと同義なんだ。なら、そこにおける重大な決断は、ふたりの同意を持ってよしとする……そうじゃない?」
「……商人、みたいなこと、言うのね」
「これでも三年間、商会の建物で寝泊りしていた身だからね」
「……っ~」
『ラナンキュロア様ぁー! その回想ストップ! ハウスです! 送還されちゃいます! 私、強制緊急回収されちゃいます!』
ツグミがうるさいので(テレパシー、切ればいいのに)、務めて何も考えず……あれ? でもこれが二周目のツグミにも通じる手なら、私、ここから裸になって
くだらないことを考えられるくらいには、心が落ち着いている。お尻はまだかなり痛いけれど、むしろ頭が少しはっきりした……ような気がする。
「私の扱いがわかっているのは、ありがたいんだけど、レオ……もう少し良い扱いにならない?」
「そういうにはふたりっきりの時にね。それより、来るよ」
「ううっ……って……本当に今更なんだけどっ、どうしてあんなものが空を飛んでいるのよ!」
やつあたりみたいに、私は飛ぶ船の映る画面を指差した。
『世界改変魔法が、使われています』
するとそれを見ていたかのように、ツグミから解説が入る。
「え?……」
それってさっき、空が青くなった魔法じゃ?
『世界改変魔法は、
なんだそのデタラメな魔法。
「……それってあなた以外に誰が使えるの?」
『私が元いた世界であれば、それなりに』
例えれば、二十一世紀の地球で、核兵器のスイッチに関われる人間くらいにはいたとか……うん、確かにそれなりにいそう。拡散禁止条約とか締結しなかったのかな。
「この星だと?」
『……この場所、この時間に、世界改変魔法を使うことの出来る、私以外の誰かが現れる可能性は、低いと思います』
「そう……」
「つまり、あれに乗っているのは、やっぱり二周目のツグミってことなんだね?」
レオの断定的な推定を、今更のように聞きながら、私は悠々と飛ぶ、黒い船を画面越しに見つめる。
遠いのでわかりにくいが、確かにその周辺には七色の……線香花火の火花のようなものが?……かすかに光っている気がする。
いまだ降る小雨に混じって、その船底からは大粒の雫が
そうして、船は地下シェルターの真上を通り過ぎて……。
「……なにも、してこない」
だがなにも、なんにもせず、それはそのまま、直進していく。
「僕らを無視して、倉庫の方へ、進んでいる?」
「……なら、狙いは倉庫の中のツグミ?」
『私、ですか?』
私は船を、
それはつまり、
あれに乗っているのがツグミならば、そこからこの地下シェルターの場所を辿ることもできるだろうと思い、警戒していたのだが……。
「私達に気付いているのか、いないのか、わからないけど船はツグミ、あなたが今いる倉庫へと向かっている」
『私……であれば……
「ん?」
『私は、ナガオナオ様のツグミです。ナガオナオ様のご命令とあらば、どんなことでもすると思います』
「ああ……うん、それは、そうだよね」
胸がキュウと苦しくなる。
けど、続く言葉を聞いて、それは反転したかのように……一変した。
『ですが、私はラナ様のことも、レオ様のことも、好ましく思っていますよ』
「……ぅ」
じわりと。
寒々と、しっぱなしだった心に、何か暖かいものが宿る。
『どのような命令が下ろうとも、この気持ちを忘れ、私が無情に、非情に振舞えるようになるとは、どうしても思えません』
「……あ……ぁ」
心の中で、硬く、
溢れ、流れていくのを感じる。
「どうしたの? ツグミはなんて言ってるの?」
私と繋げたテレパシーだからか、ツグミの声は、レオに聞こえていなかったらしい。
「レオ……レオぉ……」
「……泣きたいなら、泣いちゃいなよ、ここには僕しかいないんだから」
思えば……ツグミは……マイラとして、レオと長い時間を過ごしたはずだ。
それはイツワリの関係だったけれど、三年間、確かにそこにあったものだ。
ボユの港へ来てからは、毎日のようにレオがマイラの散歩をしていたのだ。
「レオぉぉぉ」「うん」
ああ。
ツグミが敵であるという、裏切り者であるという、その仮定に、どうしてこんなにも心が騒ぎ、泣きたいような気持ちになるのかが、今やっとわかった。
私にとってツグミは、お兄ちゃんの愛犬でしかないのだから、その裏切りに傷付くのは、私じゃないんだ。
だからこそ、私はそれを許せないんだ。
「ツグミ。レオを傷付けないでっ……」
『はい。ラナンキュロア様にも、レオ様にも、私は幸せになってほしいと思っています。その気持ちに、嘘はありません』
「……信じて、いいの?」
『私がナオ様と生きた、全ての時間に誓って』
「っ……」
ああ。
ああ、それなら信じよう。
私は
私が、私とレオがこれからを生きていく、全ての時間に誓う。
私は今、こうして心が繋がっている、このツグミを、ここよりは信じる。
「レオ……私は信じる。このツグミを信じることにする」
「ん……どういう会話があって、その結論に至ったのかは教えてくれないの?」
もう疑わない。ホワイダニットは破棄された。
できなくていい。
理解できるから信じられる、理解できないから信じられない、多分、そういうことじゃないんだ、心は。
今、ツグミは私の心に橋を架けた。
私が、それを渡りたいと思うかどうかなのだ。
「今は上手く、話せない」
「そう。……なら、いいよ、それで。僕はラナを信じるから」
それはもう理屈じゃない。論理的じゃない、直感ですらない。
私達の進む道は、もうこれしかないという確信が、ただそこにあるだけだ。
「ツグミ。お願いがあるの」
ならばもう、それを元に行動をするまでだ。
『はい。どのようなことでしょうか?』
「あれは二周目のツグミ、なんかじゃない。そう思って行動してほしいの」
『それは……どういった意味でしょうか?』
「おそらくこれから、あの船に乗っているナニカは、あなたへコンタクトをとるはず。その魂の色と形? が、どれほどツグミ、あなた自身と同じに見えたとしても、思えたとしても……それは偽者……かもしれないという前提で、行動してほしいの」
『偽者、ですか……ラナンキュロア様はそう判断されるのですね?』
ああ、これもまったく論理的じゃない、理屈に合わない。
だけど私の心はもう、そうとしか思えない。誰に聞かせたところで妄想としか思われなくとも、あれは、あの船を世界改変魔法とやらで操っている誰かは、ツグミなんかじゃない。
違うんだ。
偽者だ。
「うん。根拠はないけど……でも……」
別物だ。
『信じます。私はラナンキュロア様のその判断を信じます。それへ、感謝します。私もずっと、不安でした。私のはずなのに、私には理解できない行動、言動をとる存在が。あるいは数千年、数万年という時を経た未来からやってきた私なのではないかと、それくらいの時が流れたら私はあのようになってしまうのではないかと、ずっと、不安だったんです』
「言動?」
『言葉の節々に、レオ様、ラナンキュロア様を軽んじる……おふたりのことを、好ましいとも、幸せになってほしいとも思っていないような……そんな感情の機微が見え隠れしていたのです』
何を見て、何を忘れたら自分がそのようになってしまうのか、ツグミにはそれがわからず、不安だったのだという。
自分が盲導犬として誇りにしてきた「目」、それより得られる情報の全ては、目の前の存在が自分自身であると教えてくれるものなのに、だのに自分の感情は、感覚は、心は、その全て裏切ってくる。
「それを、もう少し早く教えてほしかったな。うん……今、根拠ができた」
『え?』
そのような経験など、ツグミには初めてのことだったらしい。
なるほどね……それが船で再会した時やけに、随分と落ち込んでいた理由か。
「なら、そのツグミはやっぱりツグミじゃないんだよ。味方なんかじゃない。友軍なんかじゃない。敵、そう思って行動した方がいい」
『ラナンキュロア、様……』
言葉を止め、何かを噛み締めるかのようにツグミが、これまでの……レオと散歩した時に見た海であるとか、レオと遊んで、頭を撫でられた時のこととか……そういうものを回想しだす……その映像が、私の脳内へと直接伝わってきた。
それへ、私が若干イラッとした……その時。
「そうだね、見て」
「え?」
レオが再び画面を指差す。
「船、倉庫の上に止まったの、わかる?」
「ごめん、小さくてよくわからない。切り替える」
「いや、この画面でもわかるよ。この静止画みたいな光景に、何か気付かない? 何かの動きが無くなっていることに気付かない?」
「何かの、動きが、無い?」
画面には、倉庫の上で停止(停留?)した船の、その船尾が小さく見えるだけだ。停止してるのだから、そこに動きが無いのは当然だが……。
「白黒だった、今はブルーグレーの巨人、の残骸」
「え、あ!?」
そういえば、この角度からでも見えていたあの自傷行為、ブルーグレーの触手の蠢きが、無くなっている!?
「あの巨人と、二周目の……偽ツグミ、繋がっているのかもしれないね」
「ど、ど、ど、どういうこと!?」
「それはわからないけど、あれを敵だと思って行動するなら、ここからはもう、戦場だ。ラナ、僕はいつでも、こんな状態でも、あの船くらいなら墜とせる。ラナがそうしてというなら僕はそうする。僕はラナの剣だ、いつ振るうかは、いつ
動けないレオが、それでもなんでもないことのように剣を構える。
「待って……待って……船員達がまだ中にいるかもしれないし……」
「うん、僕もそう思うから、まだ動いてはいない。でもね、僕は基本的にはラナの判断に従うけど……」
「……え?」
「ラナに危険が迫ったら……その時は……僕は僕の判断で動くからね?」
だから、自分の身に危険が迫るような判断はしないでね、と……レオ剣を構えたまま、真剣な目で私に訴えかけていた。
「レオ……っ……」
それへ、何を返したらいいかもわからず……私はとりあえず、もう少しよく見えるようにとチャンネルを操作する。
倉庫の上空は、そのほとんどが
「は?」
見えたものは、またもセンスオブワンダーな景色。
「ユーフォミー!?」
両足のない、独特のシルエット、夜の闇にあってなお輝き揺れる銀色の髪。
それが宙に浮き、船よりも高い位置で停止している。
その周りには、やはり時折、七色の火花が飛んでいる。
『ユーフォミー様、ですか? ユーフォミー様が世界改変魔法を?』
だけどゆっくりと、ゆっくりとその眼下から、何かが昇ってきている。
その色は……ブルーグレー。
形状は……ふたつの円筒形。その先に斧は、もう無くなっている。
「意味がわからない……ユーフォミーが、どうして」
私の驚愕を、呆然とする思考停止を
ユーフォミーの、無いはずの足へ、ブルーグレーの円筒形はにゅるんとくっつき。
そこに