「
「ツグミお姉さまっ」
「え!?」
唐突に、背後から聞こえたその声に、振り返って見たその姿に、私は目を見開かされる。
「はい。お姉さまではありませんがツグミですよ」
白い、フリルいっぱいなメイド服を着たツグミ……マイラ?……がぺたんと座るベッドの上とは逆方向、私から見て後方右側。
そこに、赤い、薔薇色のローブを着たツグミ……そっちこそ本物のツグミ??……が、レースのカーテンの向こう側に、悠然と立っていた。
と、次の瞬間、白い……マイラ? は立ち上がり、ベッドの上をぴょんと跳ねた。そしてそのまま、カーテンを抜けて飛び出し、赤い……ツグミ?? に抱きつく。
「お姉さまぁ」
勢い、赤いツグミごとくるんと回って、見えたその横顔は、輝くような笑顔だった。
「はいその唇ストップ。ハウスです」
「う~」
この世にふたつと無いような麗しの
なんだこれ、なんなんだこれ。
「私の唇を奪って良いのは、ナオ様だけです」
ふたりの白銀の髪は、その色も髪質も、お手入れ具合までもが完全に同じで、マイラ? がツグミ? に抱きつき、顔を近づけたことで重なった部分は、どこにその境界があるのかもわからなかった。
「うー、ふたりだけ、ずーる~い~」
でも、よくよく見ればふたりには違いが、少しだけある。
「大体、どうして私がお姉さまなのですか。あなたの方が背は高いのに」
純白のマイラ? は、背中を曲げ薔薇色のツグミ? に抱きついているが、見た感じその顔の高さが同じだ。ということは若干ながら、マイラ……の方が、背は高いのだ。
「私の人間性を育ててくれたのは、お姉さまじゃないですかぁ」
それに、なんていうか、頭の方では呆然と……なんだこの双子な美少女姉妹の百合シチュ……とか阿呆なことを考えている私の、心の方の反応が、ふたつの顔の、どちらへ注目するかでかなり違っているのだ。
私の心は、薔薇色なローブのツグミ(なの?)を見ても、ああ、可愛いなぁ、美少女だなぁとしか思わない。というか、その可愛らしさに、どこかイラッとムカッとくるものが混じる気さえする。
けれど、純白のマイラ(なの? 本当に?)の方へは……それとは全然違うものを感じるのだ。
ありていに言って、私はその
あ。
……もしかして、これ。
『はい。
『陽の波動ぅ? オーラってこと?』
私がツグミ……でなくマイラへ魅了されたのって、そのせい!?
『そうですね。私がマイラに与えられたのは、ナガオナオ様が得た原典のそれよりも、遥かに効果が薄いモノですから、犬が嫌いという人を無理矢理好きにさせるような効果はありません。ですが、元々犬が嫌いではなく、むしろ好きという相手にならば、普通よりも少し好かれる程度の効果は期待できます。人は闇を怖れるもの、温かな光の波動を感じれば、それへ好感を抱くというのは生物としての本能ですから』
そうだ……思い返してみれば、ラナンキュロアは美少女な人間形態となったツグミを見ても、そこまで心惹かれた風ではなかった気がする。むしろその美貌へ、レオがコロッと行ってしまわないか心配をしていたくらいだ。
ラナンキュロアにはレオという恋人がいた、遭遇したのが非情な非常事態の真っ最中だった……その二点を差し引いてさえ、ラナンキュロアがツグミに向ける目は、私からすれば冷静……あるいは冷徹過ぎるモノに思えた。ツグミ……マイラの美貌に、気が動転するほどに心奪われた私からすれば、だが。
私……私?
ほぼ同じ姿形をしているツグミとマイラが、しかし別の存在であるというなら、過去には同じく
「あの……」
「ほら、
思わず、顔をペタペタと触ってしまう。そういえば私は、
え。
そうしてみて気付く。
私、明確に利き腕がある。普通に右利きだ。ラナンキュロアは両利きだった。けれど私の左手は、右手のようには動かない。
それは、何を証明するものでもないけれど。
「大丈夫ですよ、あなたは千速継笑様のお姿をされています。というより、あなたはもう千速継笑様です」
何度もそう呼んだでしょう? と笑うマイラ……は、まだまだまだ、どこまでも純粋に無垢で、邪気の無い優しい微笑みを私に向けている。
でも。
今は、それが恐ろしくてたまらない。
だって私が、私が本当に千速継笑でなく、
『そうですね、あなたの罪は百年、数百年の贖罪程度では
私は、とんでもない罪人なのだから。
『あなたは、数千もの人間を何度も殺戮するという罪を犯しました。これは私が犬の身でも、看過できない罪です』
そういえば……ラナンキュロアの物語の、最後の方に、なぜかボユの港の大災害における四人の被害者のエピソードが挟み込まれていた。アンネリース、ビンセンバッハ、セルディス、ディアナ。
あれは……なら、私に罪を自覚させるため……その為に挟み込まれたエピソード?
「千速継笑様、あなたは千速継笑様です。ですがそれはラナンキュロアに生まれ変わった千速継笑様とイコールであるという話ではありません。
「ツグミお姉さま、その辺りのことは……」
「ええ、この辺りは
ラナンキュロアも千速継笑も、人の痛みがわからない人間ではなかった。
「大丈夫ですか? 千速継笑様。ツグミお姉さまは、話し始めると止まらないナガオナオ様の悪い部分までをもリスペクトしていますから……」
「マイラぁ?」
人の痛みがわかるからこそ、そんなものとはあまり関わりたくないと思う、普通の人間だった。
「ん、んんっ……ともあれ、純然たる千速継笑様は、既に
だから私にもわかる。千速継笑の完璧なコピーになったという私にもわかる。
「
半身を失ったアンネリースの悲しみが理解できる。
色々あった人生の最後が、あんな風になってしまったセルディスの
ディアナは……ディアナはどうしてあの四人のひとりに選ばれたのだろうか?……私に罪を自覚させるためというなら、彼女は余計ではないか?
「つまるところ、あなたは千速継笑様ではありますが、ラナンキュロア……ラナ様ではないのです。むしろあの世界においてはラナ様と敵対した、
……ともあれ、私は彼ら彼女らのような悲劇を、その数百倍の数、何回も(自ら行ったのは四十六周の内のいくつかなのだろうが、ラナンキュロアも
やり直したからといって、無かったことになるわけではないこの世界の中で。
机の上にあるリンゴを取り除けたからといって、机の上にリンゴがあった事実までは消せない、この残酷な世界で、私はそれを一度ならず
「そんな……そんなのって……」
……
「う……」
……千速継笑の身体が、吐き気を
過去の自分がしでかした、今の自分が覚えていない罪に眩暈がする。
気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い。
「混乱を、しているようですね」
「ご自身を思い出された時は、いつもこうですよ?」
「え……」
聞き捨てならない声が、マイラから漏れてくる。
「じゃっ……じゃあやっぱり……このやりとりはこれが最初……ではないのね?」
「ツグミお姉さまが、ここにいらっしゃる状態でこうなるのは初めて、ですよ?」
「ええ、次に
わけがわからない。
わけがわからなすぎて気持ち悪い。
どういうことなの。私はなんなの。私はここで百年以上、何をされているの?
「
「魂の、
なんだ、それはいったい何の話だ?
「ツグミお姉さま、その前に、このミジュワへは、最初から説明をした方が、いいのではないでしょうか?」
「ひっ……」
そうして気が付けば、いつの間にか私は広いベッドの上で、右にツグミ、左にマイラがいて、ふたりに
もっとも、右からのツグミは、まぁいい。物凄い美少女だが、私の性自認は女だ。美少女にベッドの上で迫られたからといって……動揺くらいはするが……理性を完全に揺さぶられ、混乱するまでには至らない。
問題は左からのマイラだ。右からのそれと、まったく同じ顔なのに、その美貌に迫られると私の理性はぐわんぐわんと揺れ、混乱の極みに達していく。まるでそこに心を飲み込むブラックホールがあるかのようだ。愛らしい圧に、心が潰されるほどの超重力。
「あ、あ、あ……」
「ミジュワ……ほしいでしょ?」
「え?……」
最早、気のせいなどではけしてない、
「ほしいでしょ? 説明」
「え、あ、ええ……」
眩しい光景の、眩暈がするような
「簡単に言えば」
双子が、舞台の上で踊りながらそうするように。
「あなたは生みの親である悪魔……青髪の悪魔からも捨てられてしまったのです」
迫ってくるふたりの美少女は、交互に
「その非は、あなたにはありません。あなたは私のコピーとして、私自身をも騙す境地まで至っていました。ですが、私は騙せても、ナオ様を騙すには至らなかったのです」
少し背の低い、純粋に可愛らしい少女は、けれど私を少し突き放すように喋り。
「青髪の悪魔は、人間というものを甘く見ていたのです」
少し背の高い、私の脳内にカルメラ焼きのような混沌を膨らませる少女は、どこまでも優しく私へ囁きかけてきた。
「あるいは人間の、愛の力を、ですね。どれだけ形を、上辺だけを真似ても、そのようなモノでは騙せない愛が、この世にはあるのです。姿形が変わっても、魂が同じならそれをその人と認識できる愛があるように、その逆もまた」
「そうして青髪の悪魔は、あなたを罵倒し見捨て、ナガオナオ様へ、もっと直接的な力の行使をすることで事態の解決を図ろうとしたのだそうです……そう、ツグミお姉さまより
「それも、甘く見られたものです。ナオ様は魔法戦においてもエキスパートなのですよ? 伊達に、大魔道士と呼ばれていたわけではないのです。多少……結構……かなり……魔力の量、使える魔法の手数で劣っていたとしても、そんなものは関係ありません。長年の経験と、それより
「そうして青髪の悪魔は退治され、めでたしめでたし。ナガオナオ様の
「それは“移動”に類する運動エネルギーを全てゼロにする結界です。自発的な移動は、あらゆる意味でできなくなります。三次元的な移動も、時空間上の移動も、生命の
「そうしてまな板の上の鯉となった青髪の悪魔は、最終的に、ツグミお姉さまがその存在を乗っ取ることで上書きされ、消滅しました。これは
……は?
……え?……は?
「ここにいる私は、青髪の悪魔の高次元的な
「ツグミお姉さまは、青髪の悪魔の魂の座を奪取することで、魂を
「ひゃっ!?」
白銀の髪が、左耳と左の頬を撫でていく。それほどの距離へ近付いていたマイラに、私は思わず悲鳴をあげてしまう。左耳に彼女の暖かな声がぽわんと残る。その温度がくすぐったくて、思わず身も
けれど。
「私の大事なお方を奪おうとしていた悪魔に、私がかける情けなどはありません」
「ひっ!?」
それを、右からの掌が、頬に触れて抑える。
「使者であり死者であったツグミお姉さまは、そうしてナガオナオ様と同じ次元に存在する、高次元的存在となったのです。流石はお姉さま、です」
「ですが、青髪の悪魔には、感謝しているのですよ? 私は
柔らかで非力そうな小さい掌は、けれど私の震えに、完全な不動性でもって
「あなたへも、です。ん……」
「あっ!?」
そうしてぺろんと、私の左の頬をマイラの舌が舐めていく。右の頬を抑えられていた私は、それを避けることもできなかった。
脳が、蒸発するほど熱を帯びる。
膨らんでいたカルメラ焼きが濃い飴色に焦げていき、ピキピキと
体温なんて、この身体には無いはずなのに、全身が熱い。
「そうして青髪の悪魔との戦いに勝った私と、ナオ様は、残る
そうして再び、忘我の中で気が付けば、私は、ふたつの美しい白銀、白金の輝きに包まれている。
ふたりの柔らかい身体に包まれ、囚われている。
「
左の頬と右半身には特に柔らかなものが、むにゅむにゅと当たっている。
大きさは大体同じだけど弾力は左の方が強い……そう感じられるのは、私の思い込みかなにかだろうか?
「それはとても曖昧な契約でした。どうとも解釈ができるような。
「その頃はまだ、私に確かなる知性などは無かったので……申し訳ありません」
そういえば……ここで千速継笑(が、いかにも始めそう)な
「ですがこの契約は、その糸は残っているものの、その結びつく先のふたつはその時点で既に失われていました。まず、ツグミお姉さまは魂を
なぜ、「
「そして千速継笑様の魂はその時点で、ラナンキュロアとしての人生をまっとうし、本人が納得する形で大往生するという未来が確定していました。これは私が自身の
まず、部首である「けものへん」、これは実は犬のことだ。犬という字が変化して「けものへん」、「
「この、不完全となった契約によって、私、マイラの存在は奇妙な形で宙ぶらりんとなってしまいました。そのまま放置すると何が起こるかわからない……ミジュワが再発生し増殖したり、その果てに青髪の悪魔が復活したり、どこかの星域が丸ごと消滅したり……そうした可能性もあったらしいのです」
ネコ派の人は猫という字を憤慨していい。犬と苗でなぜ猫なのかと。
「一方、マイラには私との契約も残っていました。というより、それに割り込まれていました。この糸を放置すれば、私にも悪影響があると予測できました。それで私とナオ様は、仕方無しにマイラを、ボユの港の大災害直後の時点から拾い上げ、
でもイヌ派の人も「
「はい。今の
ともあれ、それはそれだけ犬が、日本人にとってはもっとも身近な「けもの」だったということの、表れなのかもしれない。
「そうして、その状態で、マイラが操縦する
そうして、「
「ですが当然、ミジュワとしてのやり直しをさせるわけにはいきません」
これが「
「それに、
つまり、「
「あなたにはまず、編集されたラナンキュロアの記憶が移植されました」
つまり、今の、この状態だ。
もっとも、犬は犬でも人に化けている犬だが。純白と薔薇色の装束を
「それは
私は今、彼女らに
「そうしてラナンキュロアとして人生を終えた……
柔らかなものに囲まれ、しかし全く身体は動かせず、脳を
「最初は美しい姫に……これって、とてもヤケクソな感じがしませんか?」
「次はエルフに……これはとっても、人間不信になった感じがしますね」
「
――終わりのない地獄と終わりがある地獄。耐えがたき状況からの解放は、陵辱者が飽きることだけ。それならまだ、終わりがある方が……早く、飽きてほしい。そうすればきっと死という終わりが――。
……私は、イクラ丼を賞味する前に味わった例の感覚を思い出す。
そういえば……男性恐怖症のラナンキュロアは、そんな扱いに曝され、果たして数十年という期間を生き延びることが出来ただろうか?
生き延びれたはずがない。彼女ならすぐに、自らの命を絶ってしまったことだろう。
だが
……あまり、それは深く考えたくない。
「なお、この転生は、青髪の悪魔によって観測されていたようです」
「青髪の悪魔は、どうも転生の儀へ関わるという一点において、時空間に干渉する能力を持っていたようです」
「もしかすれば、彼女は転生という事象の歪みから生まれた悪魔だったのかもしれません」
「もっとも、彼女はそれを、どうやら千速継笑の転生、その続きであると勘違いしてしまったようですが」
「これは、もしかすれば、だからこそ
囁く声に、忘我の彫像と化した私の存在が浸食され、侵食されていく。
「それからの流れは、今回の
「
「そうして、純然たる千速継笑様とは違う、コピーされた千速継笑様が完成していきました。その結果が今のあなた、元ミジュワである
「途中、何度かラナンキュロア様の
ちなみに、私が
「……なんでよ」
ふたりの犬に、絡みつかれたまま私は、けれどそれでも腑に落ちない事柄を、噛み切れない疑問を、ポトンと口の外へ吐き出し、落とす。
「なんでよ、どうして私にそんなことを続けさせたの? マイラとの契約があったから? ならどうしてマイラはそんな……こんな非生産的なことに百年も、数百年も付き合っていたの?」
右から、「非生産的、ですか?」と囁き、問われる。
「そうじゃない……私を、そんな風に転生の玩具にして、あなた達に何の得があるの? 復讐? ボユの港で大災害を起こし、沢山の悲劇を生んだ私への拷問なの? これは」
左から、「拷問、ですか?」と囁き、問われる。その空気の震えには、耳たぶを噛まれたかのような
「そうじゃない!! あなた達は言わせたいんじゃないの!? 私に! ごめんなさいもう許してください謝りますから後悔していますからどうかもう許して、助けてって!」
気が付けばふとももの上にも、左右から掌を載せられていた私は、声を荒げても身体を全く動かせないでいた。ふたりを振り払うことは、できるはずなのにできなかった。
それはまるで、ラナンキュロアが振り払いたくても出来ない、自分ひとりでは振り払えなかったトラウマと、罪悪感のようだと思った。
「
「つまり、ツグミお姉さま達は青髪の悪魔を、上書きによって消去しましたが、元の人格……というか、その高次元的な魂を、
「そんな面倒なこと、彼女にしたいとは思いませんでしたが」
……面倒な女は彼女にしたくない、みたいな言い方をするな。
これは気のせいなんかじゃない。ツグミは、マイラよりも若干私に……青髪の悪魔サイドの人間に……当たりがきつい。当然だろうけど。
「ですが、
「え……」
「なぜ、あなたを捕らえ、何百年もの間あなたを転生させていたか。なぜマイラはそれに付き合わなければいけなかったか。それについても、問題となるのはあなたがマイラとの間に交わした契約でした。あなたは、その気になれば私達に、私とナガオナオ様に、ラナンキュロアである千速継笑様の人生に割り込むことができるのです。マイラとの繋がりがあるのですから。なので、隔離するにはマイラをも巻き込む必要があったのです」
「私はツグミお姉さまに二択を迫られました。つまり、ツグミお姉さまが青髪の悪魔を乗っ取ったように、私があなたを上書きして自身の
「ど、どうして自身の
「私を騙し、ボユの港を焼いたあなたを、無限の牢獄で苛むため……ふふ、冗談です。そんな理由ではありません。それは私の動機の、初めの二割程度でしかありません」
二割はあるんかいっ。
初め?……今は違うってこと?
「マイラはこう私へ訴えました。自分も、転生がしたいと」
「……え?」
「千速継笑様のラナンキュロアは、既にその
「自分らしく生き、最後には満足して死ぬというのであれば、自分がどうこういえる話ではない……ナガオナオ様もそう、言ってくださっているのですよね?」
「ええ。純然たる千速継笑様の魂は、それで救われることでしょう」
と。
「ですが私にも、見たい世界があるのです。千速継笑様ではないラナンキュロア様の、また別の物語が」
そこで
「あ……」
「わぉん!」
いったい何が……と思って左を向けば、そこで柔らかなベッドに沈んでいるその身体は、ラナンキュロアの
「いやでもこれはこれで別の圧が凄いな!?」
「……くぅん」
デカイ。
やはりマイラはドデカイ。立ち上がれば身長も、体重もきっと私より大きく重いだろう。
そしてその姿になってさえ、そこからは見ていると心温まる、好感というカルメラ焼きが心の中で膨らんでいく、そのような反応を私にもたらすナニカ……カルメラ焼きなら重曹だけど……だから陽の
まぁ美少女の姿ではない分、それへ向かう私自身の好感の質はだいぶ変わっているが。
「私は、レオ様が
「……は?」
え、それって確か……クソみたいな名前と性格のアレにイジメられて、けれどめげずに伯爵家の跡取り息子を捕まえ、ざまぁしたその道のプロ……なんじゃ。
「私は、生まれてからの半年くらいはただ純粋に幸せでした。優しい人に、優しく育てていただけたからです。人間というのはなんて素晴らしいんだろう、人間は、なんて愛しい存在なんだろうと心に刻まれるほどに」
「それは、私もそうなのですが。私のそれは、半年ではなく、訓練期間も含めれば二年近くありました。だから、その傾向は、より強いとさえ言えるのかもしれません」
そうしてまたも気が付けば、右からの圧も、その質を大きく変えていた。
ツグミもまた生まれたままの姿、
私は、いつのまにか白い巨犬二匹に挟まれていた。
もふもふの、牢獄。
「生後半年の私の、新しい御主人様となったパヴローヴァ様は不思議な人でした。勝ち気で明るく、既にラナンキュロア様をご出産されていた割には振る舞いも子供らしく、可愛らしくて、子犬だった私のことも大層可愛がってくださいました。ですが時折激しく、癇癪を起こして暴れる、そのような方でもあったのです」
「不思議、ではないでしょう。彼女のそれまでの人生を考えれば、それは当然の結果です」
白い巨体から、優しい、麗しい美少女ボイスが流れ出てくるというのも、よくよく考えればおかしな話だ。でも、私はもう、よくよく考えることは出来なくなっていたので、特に違和感も無く思えた。
なんかもうよくわかんない。わんこ可愛い。
「ええ、今ならそれがわかります。ですが犬の身であった私にはそれがとても不思議でした。ある事件が起きるまでは、パヴローヴァ様は、もしかしたらふたりいらっしゃるのではないかと思っていたくらいです」
ある、事件?
「私とラナンキュロア様が二歳の時、パヴローヴァ様のお姉様にご子息様が生まれ、それによって心破れたパヴローヴァ様が、“どうしてアンタは男じゃなかったのよ!!”と叫び、ラナンキュロア様を床に投げつけるという事件です」
「ああ……」
それは、ラナンキュロアの回想に出てきたな。
ラナンキュロアがラナンキュロアになった、ひとつの象徴的な事件だ。
「私は、そこでパヴローヴァ様の心に、癒し難い傷があることを初めて知りました。パヴローヴァ様は傷付いていたのです。生まれてからずっと、それとわからぬ形で傷付けられてきたのです」
まぁ、ゲリヴェルガの体液なんて、お身体とオツムに悪そうだし……。
「そうして彼女は、マイラを蹴るようになりました」
「お姉さま、それは……」
「いいえ、これは言わせてください。彼女は確かに傷付けられた可哀想な子供だったかもしれません。ですが、その傷を、痛みを、更に弱い相手に押し付けるというのは最低の行為です。彼女は毎日のようにマイラを蹴り、蹴りまくって自分の憂さ晴らしに利用したのです」
「お姉さま、その時、私は二歳だったのですよ? 犬は一年もすれば成犬です。特に私は身体の大きさも体重も、パヴローヴァ様よりずっと大きくなっていたのですよ? それに、私がお姉さまと契約してからは、そのようなこと、お姉さまがさせなかったじゃないですか」
「当然です。正直、ラナンキュロア様を見守るというのは後付けの理由です。私は、あなたを救いたくて、あなたと契約をしたのですから」
……今なんと?
いや、私がラナンキュロアじゃなかったというなら、それは関係ない話だけど。
「それについてはお姉さま、私は、後悔しているのです。私は、もう少しパヴローヴァ様の憂さ晴らしに付き合い、付き合うことで寄り添えなかったのだろうかと、悔やんでいるのです」
なんか巨大なピレネー犬が、DV夫を庇うダメ女みたいなことを言っている。
「ですからその類の奉仕は、ほとんど絶対報われない献身であると……」
なんかピレネー犬よりは小さい大型犬が、妹を諭す姉みたいなことを言っている。
「ほとんどが付くなら、絶対ではありません」
なんか巨大なピレネー犬が、今度は言語学者みたいなことを言っている。
「……それは、もうだいぶ前に議論を尽くしたでしょう。そこまでラナンキュロア様のお母様、パヴローヴァ様を救いたいのであれば、あなたがその周辺の誰かに生まれ変わり、彼女を導きなさいと」
「ああ……それがざまぁのプロへの転生」
「なんです? ざまぁのプロって」
いやなんだろう。二十一世紀前半の、地球の特定の界隈の人にしか通じない表現、かな。
「だからあなたは……マイラは、ラナンキュロアの伯母に生まれ変わりたいのね?」
「はい。パヴローヴァ様との敵対ルートを回避して、彼女を幸せへと導きたいのです。わかっています、だからといってそれが、不幸になってしまったパヴローヴァ様を救うということには結びつかないということも。でも」
それが私の見たい世界なんです……と
「なるほど。レオはどうするの、とか気になる点はいくつかあるけれど、まぁその辺も上手くやるんだろうなって思う」
レオを救うこと、それ自体は難しいことじゃない。スラム街に捨てられた直後に拾って、貴族官僚の家の財力でなんとかすればいい。辺境伯、コーニャソーハ家と関わらないようにすれば、まぁ上手くやれるのだろう。
けど。
「でもそれに、私はどう関わってくるの?」
その話に
私が、マイラとの間に交わした契約が問題? 私は、その気になればマイラ、ツグミ、ナガオナオ、ラナンキュロアである千速継笑の人生に割り込むことができる?
だから隔離する必要がある?
どういうこっちゃ。
私はそんなことをしたいとは思っていない。そんなの、私が千速継笑の完全なコピーになった時点で、したいと思うワケがない。
「あなたをそうすること、その境地に至らせること、それ自体が、あなたの転生させた、その理由のひとつです」
「……は?」
「覚えていませんか? 私が記憶を
え、あ……それは……。
「逆行転生……」
「純然たる千速継笑様の表現を借りれば、
それ、は……。
「より、千速継笑のコピーとして完成する……から?」
「ええ。私からもひとつ、純然たる千速継笑様の表現を借りてお話しましょう。過去へ飛び、歴史を変えてやり直す能力、それへの対抗手段はみっつです。そして、そのひとつは、相手の能力そのものを無効化させるというモノです。これは、相手にやり直しを諦めさせるパターンや、相手を直接的に殺すなどして能力を使えなくするパターンも含みます」
「ツグミお姉さまは最後の、あなたを殺す、消滅させるパターン……私があなたの魂の座を乗っ取るという方法を推奨されました」
「でも、あなた達はそれを、選ばなかった……」
「はい。そこで三択です。あなたは、
「……はぁ?」
え、待って、話がだいぶ飛んだんですけど。あの、私、性自認は女性って言ったよね? それ、全部男じゃない。どれも一難七難四十八難ありそうな。いや後ろのは七癖四十八癖だけど。
「多数決の話です。五人の中で、多数決で勝つには、何人必要ですか?」
「……へ?」
「長女、次女が結託するとそれでふたり。では多数決で勝つには、あと何人が必要?」
そりゃあ、五人の中で多数決で勝つには、三人必要なわけだから。
「私が見たい世界を民主的に実現する為には、もうひとり、私と一緒に転生してくれる人が必要なのです」
……はい?
「えっ!? そんなことのために私! 百年とか何百年とかって単位で悲劇を繰り返していたの!?」
「いえ、先程も述べた通り、二割はボユの港を焼いたあなたへの、嫌がらせです。私も、レオ様と同じように、あの街は気に入っていたのですよ?」
「残り八割は!?」
「四割は、
「背中を任されることは確定なの!?」
というか残り四割は!?
「それが、ただいま述べてきた味方が欲しい、という理由です。……どうして私なの? というお顔をされていますね。ですからそれが、いまだ私とあなたとの間に残る、契約なのです。あなたは私に、多くの健康寿命と幸せを与える、という契約をしました。駄目ですよ? 何かを与える、何かを提供するという契約書には、ちゃんとその量も具体的に書かなければ。この“量”は、ツグミお姉さまが与えられるものよりも多く、と決められていました。ですがツグミお姉さまがナガオナオ様と同じ次元に立った今、それはもはや無限ともいえる“量”です。私は正当な権利をもってあなたに要求します。私を幸せにしろと。私とパヴローヴァ様とラナンキュロア様とレオ様を幸せにしろと」
「そん、な……」
「悪魔、その類の存在がなぜ契約を重視するか、わかりますか? それはその契約が、魂に刻まれるものだからです。悪魔といえどもその知性の源は、何かしらの座に宿った
「私達の側から見た時、この契約は、あなたがツグミお姉さまやナガオナオ様に干渉できるという縛りを持っていました。ですが今、あなたが千速継笑様のコピーとなった今、私達は歓迎の意をもってあなたにこう言いましょう。どうぞ、干渉してください。私のやり直しに、ええ、どうぞ付き合ってください」
絶句する。
「ついでです、その世界のジュベミューワ、あなたのいわば母体となったあの少女も救ってあげますよ? また、あなたのような存在が生まれても困りますし。ノアステリアはどうしますか? あなたに、任せますが」
なんだこの悪夢は。
延々と続く悲劇の転生、その先にあったのはただ一匹の犬の、実現したい人生のその介助役となること。
いや……しかしこれは……ツグミやマイラのような人間……存在には、まったく悪夢ではないことなのだ。マイラは、これを全くの善意で言っている。そうでなければあんなにも笑顔が優しいはずがない。そうでなければこんなにも私の心が、その声に安らぐはずがない。彼女達はそういう人間……存在なのだ。わかりやすい方のツグミは、ナガオナオの盲導犬として、その人生の介助役として一生を全うしたのだから。その人生を幸せいっぱいに過ごしたのだから。
「私はツグミお姉さまに十年以上、身体を預けていました。その間、ついでのようにナガオナオ様への敬愛を刷り込まれています。だから私も、ツグミお姉さまと同じですよ? 愛しい誰かの一生に、ずっと寄り添って生きるというのは、とても素晴らしいことであるとは思いませんか?」
私も、ツグミお姉さまがナガオナオ様へそうしたように、パヴローヴァ様に寄り添って生きてみたいのです……云々。
怖い。怖すぎる、なんだそれは、何かの宗教か、他人に尽くすことこそが幸せって、気持ち悪い宗教か。もう女が男に尽くすだけの時代じゃないんだぞ……あ、彼女達は犬か。
犬だったら、誰かに尽くす生き様が幸せというのも、わからなくは無……じゃなくて!?
「す、好きな人に尽くすならそれは幸せな人生かもしれないけど、私はっ……ゎぅ!?」
けれど、気が付けば私はまた……いつの間にか再び人型に……純白の少女となっていたマイラに、それはもう、また唐突に唇を奪われている。それは、あまりにもサラッとしていて自然な動作だった。これは、彼女に健康寿命と幸せを与えなければいけないという契約のせいなのだろうか? 私の魂は、あまりにもあんまりなそのキスを、だけどそうされることが当然であると納得している。理性を突き破る受容が私の身体を縛っている。
「んー!?」
それでまた、私にはなにもかもが分からなくなる。忘我のカルメラ焼きがぼんぼんと膨らんでは爆発し、消えていく。後にはもう何も残っていない、甘い香りだけが漂っている。
心地良い。何もかも忘れ、彼女に身を委ねることが、これ以上ないほど心地良く思えた。
私の理性は、甘い匂いに全てが溶けてしまったのだろうか?
「陽の波動は、あなたには
「
入ってくる舌に、でも、これ犬の……と理性のようなものが叫ぶが、しかしそんなものはやはりすぐにカルメラ焼きとなって一瞬で消えていく。
「……私も身の危険を感じるので、どうかお願いします、マイラの欲求を、欲望を、どうか受け止めてあげてください」
「んー、んふぅ!? んむっ!? んんー!?」
「大丈夫です、ゲリヴェルガ様の歪んだそれより、マイラのそれはずぅ~っとストレートですよ? 私も同じだからわかります。わかるから、それとは是非、距離を置いておきたいのですが」
だからマイラのそれが、私の方へ向かないようにおねがいしますね……とツグミが言うのも、私がその意味を理解する前に、口腔を蹂躙するマイラの舌が全て持っていってしまう。
「んふー! んー!!」
もう心地良いのか、気持ち良いのか、自分のその感覚が何であるかさえ、わからない。
わかるのは自分の全身がぐんにょりともう、溶けてしまっていることだけだ。
抵抗するとか、彼女を押しのけるとか、そういう選択肢は、一応理性に顔を覗かせているものの、選べない選択肢のように、そこに注目してみても何の手応えもない。
だから私はただマイラの舌を、元気なわんこのようなその愛情表現を、無抵抗で受け入れるしかなかった。
「……私も、ナガオナオ様には愛情深い
だから叫んだ。もう、どうしようもなくて叫んだ。
もう、そうするしかなかった。
私は甘い拷問に膝を折り、クィーンサイズのベッドの上に
「いやっ! だからするから! しますから! お姉さまの下僕でも舎弟でも奴隷でもなりますから! だからもうやめてぇぇぇぇぇぇぇ!! 私はお姉さまの忠実なる犬にございますぅぅぅぅぅぅぅ」
「……可愛い、
「……いいのでしょうか、こんな終わりで。千速継笑様にまつわる
……それで、コンラディンとリゥダルフの、どっちにしたかって?
もうどうでもいいでしょ、そんなの。
私は屈服したのだ。よくよく思い返してみれば、ふたりの話には、私に関して、綺麗に避けていたひとつ事実があった。それは、ふたりが私の「無力化」に百年、数百年の時を費やしたという事実の、その先にある動かし難い事実だ。
私は多分、いまだ
彼女達が恐れていたのは、それをもって自分達に楯突かれることだったのだろう。
でも、私はそれを、もう悪行に利用したいとは思わない。思えない。
ツグミとマイラの、ふたりによってそう調教されてしまった。
私の性自認が女であるように、私の倫理観も、千速継笑のそれで上書きされてしまったのだ。ラナンキュロアは人殺しとなったが、私はその過程における彼女の葛藤を知っている。簡単に悪に走れるような少女では無かったのだ、彼女は。
今の私は、自分が悪となることに抵抗を覚える。
だからもう、無表情で虐殺なんかは行えない。
私はふたりに、そうされてしまった。調教され
この辺、彼女ら自身、人に調教され「けもの」から「犬」になった存在「らしい」やり口だと思う。そのようなことを、後ろめたさなど無く出来るのだ、彼女達は。
でも、だから彼女らに
まぁいい、もういい、なんでも構わない。
どうせ
今はその繋がりに縋り、生きるしかないのだ。
「さ、いきますよ、
生きよう、今はマイラお姉さまの犬として。わぅ~ん。
「はい、お姉さま」
あ。
追加情報をひとつだけ転がしておくと、コンラディンとリゥダルフのどちらかを、三女に置き換えることも可能とのことでしたよ。さっすがお姉さま。わんわん。