「……あれっ?」
先程から感じていた輸送トラックの震動がピタリと治まったのに私は気がついた。まだ目的地には着くには早い筈だ。
何かあったのか、と問うために運転席の方を振り向くと、ちょうど降りてきたらしく、運転手さんと対面した。どうやら私を心配して出てきてくれたらしい。
「嬢ちゃん、そんな場所に居ないで中に入ったらどうだい。この季節じゃまだ外は寒いだろう」
荷台の縁に肘を掛けながら気遣ってくれた運転手さんの申し出をありがたく思うも、私は軽く首を振って固辞した。
「せっかくの申し出ですけど、遠慮しておきます。もう少しだけ風に当たっていたいので」
私がそう言うと、運転手さんは照れたように頬を掻いた。
「そうかい。でも、無理するんじゃないよ。こんな別嬪さんに風邪引かせちまったら、海軍のお偉いさん方に怒られちまう」
おどけた拍子で肩を竦めてからガハハと大きく笑うと、運転手さんは戻っていった。再び輸送トラックは動き出した。
運転手さんの親切を無碍にしたことに小さな罪悪感を覚えながらも、私は傍らに置いたままだった読みかけの文庫本に目を落とした。それは、今向かっている任地についての予習も兼ねて読んでいるものだった。
「舞鶴……鶴が舞う姿に似た湾」
舞鶴の由来については諸説あって正確には分かっていないらしいが、私はそれが一番心に残った。もしかしたら、自分の名前との間に何らかの親和性を感じたからかもしれないが。
「ふふっ、そう考えてみたらちょっと面白いかも……あらっ?」
ふと、読み進めていた文庫本の上に薄桃色の花弁が舞い込んでいたことに、私は気づいた。
顔を上げてみると、輸送トラックが走る街道沿いを、等間隔で植えられた桜並木が満開に咲き誇っていた。前の任地では転属のゴタゴタの合間に散ってしまっていたから、これが正真正銘今年初めての花見ということになる。
「そっか、舞鶴は呉よりも寒いから桜も遅く咲くんだね……」
口では色々と理屈を捻りながらも、私は日本の四季が織り成す自然の美に魅入っていた。
◆
春の回廊を抜けると、慣れ親しんだ磯の香りが鼻孔を
私の前世では、まだ見られなかった光景。こうして二度目の生を受けてから、呉や佐世保で設備自体を見かけることはあったが、こうして実際に稼動して作業を行っている現場をじっくりと眺めるのは初めての経験だった。
「どうだい、舞鶴西港を見た感想は?」
ゆっくりとカーブに合わせてハンドルを切りながら、運転手さんは楽しそうに聞いてくる。
「すごい……本当にすごいです」
私はそう返すのがやっとだった。
あらためて前世とは違うのだということを実感した。あの日々の訓練に使用する燃料や弾薬にも事欠く昭和の日本とは違うのだと――
その瞬間、私は突然暗闇に引き摺り込まれたような錯覚を覚えた。
――貧しい時代だった
――厳しい時代だった
――そして、そんな時代に私は生まれた。皇国の命運を担う一隻の
――祖国の期待を背負って戦った。緒戦の大勝利に沸いた。歴史上稀に見る大敗に泣いた。凱旋の帰途に大切な妹を失ったことを悔いた。そして最期は――
「どうした、嬢ちゃん? 急に黙り込んだりして。気分でも悪くなったか?」
「――ッ!?」
いけない、自分の世界に囚われてしまっていたと思い、慌てて運転手さんの方に目を戻すと、そこで衝撃的な光景に出くわす。
運転手さんが怪訝そうな表情で私の顔を覗き込んでいた……何とも哀愁漂う空気を纏って。
当人にとっては、真剣に心配にしているつもりなのだろうが、私から見ればとぼけているとしか思えない姿であったため、私のお腹においてとても破壊的な威力を生み出した。
「……ぷっ」
余りにも可笑しくて、私は堪らず笑ってしまった。直前に脳裏を過ぎったあの過去の内容など、頭から消え失せてしまっていた。最初はばつの悪そうな顔をしていた運転手さんも、大きく溜息を吐くとさっきのように大きな声で笑い始めた。
惜しみなく降り注ぐ春の陽の下で、しばらくの間、私と運転手さんは笑い合った。
◆
ひとしきり笑い終えると、私たちは再び目的地へ向けて車を走らせていた。
「ったく、酷いな嬢ちゃんは。心配してやった人間のことを突然笑い飛ばすなんて」
運転手さんは海岸沿いの細道を右へ左へ巧みにハンドルを切りながら、助手席に座った私をちらりと見て、恨み言を零した。
「すみません。でも、本当に面白かったから……ふふっ」
謝罪の言葉を述べた端から、さっきの情景が頭に浮かんで自然と笑みが漏れてきてしまう。
「あっ、また笑いやがったな。野郎、後で覚えとけよ工廠裏だ、工廠裏」
「私は残念ながら女性ですから、謹んで遠慮しておきますね」
傍から見ればじゃれ合いにも思えるやりとりを続けていると、私たちの乗る輸送トラックの左側に、大きく発達した舞鶴東側の湾奥が現れた。
「わあっ……!」
運転手さんに頼んで窓を開けてもらうと、春の匂いを纏った潮風が飛び込んでくる。続いて、舞鶴東港の全景も明らかになる。リアス式海岸と山の間を切り拓いた僅かな平地を余すことなく、港湾関係の施設が覆っていた。
その中に一際広く目立つ赤い区画があることに気づく。
「もしかしてあれが……」
「お察しの通り、舞鶴鎮守府……日本海側唯一の海軍泊地だ」
――あれが舞鶴鎮守府……!
赤レンガを基調に造られた前世の呉鎮守府を思わせる建物群――私がこれから世話になる転属先だ。隣には、艦艇の修理に使われる
「嬢ちゃんが向かう場所はあそこでよかったな? まぁ、あらためて聞くことでもないと思うが」
「はい、今日から舞鎮での勤務を命令されているので」
私は浮ついた気持ちを努めて抑えながら、運転手さんにそう告げた。
「了解だ……嬢ちゃんとの二人旅もあと少しで終わりだな」
名残惜しげに言うと、運転手さんはハンドルを大きく左へと切った。
◆
入り口の衛兵に誰何されて、輸送トラックが案内されたのは工廠区画に程近い場所だった。変わり映えのしない建物がズラリと並んで建てられていることから、ここは工廠で開発や建造に使用する資材を保管するための物資倉庫なのだろう。私たちが乗っているのと同じような輸送トラックが横付けしてドラム缶やコンテナの積み下ろしを行っている光景があちこちで見受けられた。
運転手さんは、倉庫を一旦過ぎた場所にある駐車場に、この輸送トラックを停めるという旨を私に告げると、喧騒を避けるようにゆっくりと迂回して車を走らせた。
駐車場は海際に設けられており、軍用民用問わず多種多様な車両が蟻の入り込む隙間もないほど密集して停められていた。
私は果たして大丈夫なのかと不安に感じたが、運転手さんは何をどうやったのか、華麗なハンドル捌きを見せると、あっという間に滑り込ませるようにして輸送トラックを停めてしまった。
「長らくのご乗車誠にありがとうございました……嬢ちゃん」
「もぅ、最後の一言で台無しですよ。でも、本当にありがとうございました」
助手席のドアを開け、気取った口調で呉から持ってきたスーツケースを手渡そうとする運転手さんに苦笑しながらも、私は心からの感謝の念を抱いていた。
呉からここに到着するまでの長い道中、本当に最後まで私のことを案じてくれていたのだ。
「ガハハハハッ!! 礼には及ばんよ、嬢ちゃん。俺としても、嬢ちゃんと二人旅できたのは本当に楽しかったからな」
大きな声を上げて笑いながら、運転手さんは私の肩をバシバシと叩いてきた……ちょっと痛い。
差し出されたスーツケースを受け取ると、助手席に置いてあった麦わら帽子を被る。
「ここから船渠《ドック》への行き方は分かるか?」
「はい、この場所なら“展開”も問題なくできるでしょうから」
そう言いながら私は、コンクリートで造られた埠頭の端へ向かって歩いていく。その先にあるのは――広く静かに水を湛える舞鶴湾だ。
「……嬢ちゃん。最後に嬢ちゃんの名前を聞かせてくれないか?」
背後から投げかけられた運転手さんの質問に、私は麦わら帽子の縁を空いた方の手で摘みながら行動で応えた。
今の今まで見えていた舞鶴湾を遮るように、突然全長200mに迫る鉄の塊が私の背後に現れる。しかし、それが私の本来の姿なのだ。
「日本国海上自衛軍舞鶴鎮守府所属『古鷹型重巡洋艦』
そう言って振り返りざまに、ピラミッド型に配置された前部20cm単装主砲群の上にふわりと飛び乗った。
――この
搭載された機関が唸りを上げて始動し、『
――艦首を第七
操艦もこの通りだ。声を枯らして指示せずとも、思い描いた道筋をそのまま辿るように正確に航海していく。
「重ねて御礼申し上げます。ここまでの案内、本当にありがとうございました……運転手さん」
同時に、肘を締めて敬礼する。
「いいってことよ、嬢ちゃん。またな」
眼下で立つ運転手さんもまた、私に向けて見事な敬礼を返してくれた。
「はいっ! また
その言葉を最後に、私は第七
◆
「気づいてやがったか……まったく、堅実で真面目そうだと思いきや中身はとんでもないお転婆だ。ネタばらしするのを楽しみにしてたんだがなぁ……着任したら覚えてろよ、ちくしょうめ」
古鷹の去った後の駐車場。輸送トラックに寄りかかるようにして煙草を咥えた男性は、数日ぶりの喫煙を楽しみながらも、ぼやいていた。しかし、口元に大きな弧を描いていることからして、語った内容がそのまま本心であるわけではないらしい。
「……しかし、新しく設立した部隊の補充要員として彼女を選んだことは間違いじゃなかった」
紫煙を燻らせながら、男性は助手席前のグローブボックスを開けた。そして、中に入っていた紙束を取ると再び運転席へと座った。バックミラーに映る男性の表情は打って変わって引き締められ、直前までのにやけ面はどこにもない。
「近海周辺に蔓延っていた深海棲艦を駆逐したことで、太平洋方面での『大反攻』が始まった今、日本が置かれた状況は当時とほとんど変わらなくなった。だからこそ、直接前線の戦火に晒される危険が少ない舞鶴鎮守府がこの裏方の任を請け負う必要がある」
紙束の表紙に記された題名は――『艦娘による現代版海上護衛総隊設立の必要性』
「今度こそ……この国を守ってみせる」
そう呟くと、舞鶴鎮守府を統括する“提督”は運転席の下に置いてあった“桜に錨の”制帽を深く被った。
「そういやあいつ……最後まで運転手さんとしか呼ばなかったなぁ……いや、おじさんと呼ばれなかっただけマシか、うん」
お目汚し失礼いたしました。