アグネスタキオンとおかしくなったトレーナー【完結】 作:砂糖ノ塊
「謹慎ッ!アグネスタキオンのトレーナーを無期限の謹慎処分とする!」
未だ幼さが残る小さな理事長の処分にも、私は黙って頷くほかなかった。
「尚この処分は一時的なものだ!……追加の処分は追って伝える!」
「…………」
「憂慮ッ!相手方のトレーナーがどう出てくるかわからない以上、君もあまり目立ったことをするのは避けておいたほうがいい!」
無期限の謹慎処分。
トレーナーという職業にとって、それは実質クビに等しい。
解雇が明言されなかったのは彼のこれまでの実績を考慮しての理事長の判断なのだろう。
「…………なんで」
なんでトレーナー君がこんな目に合わなければいけないのだろう。
どうして彼はおかしくなってしまったのだろう。
「ハハ……」
『どうして』だと?
無知なフリはやめろアグネスタキオン。
そんなこと、わかりきっているじゃないか。
「……私のせいだ」
そう、私のせい。
私が彼に実験を強いらなければ……いやそれ以前に、私が彼をトレーナーに選ばなければ……
ソウ……ゼンブアナタノセイ……
「ぜんぶわたしの…………」
「こんなところで何をしているんですかあなたは……」
「っ!」
「か、ふえ…………」
頭上から声がする。
見上げるとそこにはカフェがいた。
「研究でもないのに研究室に引きこもるなんて……あなたの部屋はここではないでしょう……?」
「……部屋に帰ると、嫌でもルームメイトに迷惑がかかるからね……」
「はぁ…………そうやって蹲ってもう二週間ですよ……あなたらしくもない…………」
「…………」
「さぁ……行きますよ……」
「放っておいてくれ!」
私の腕を引っ張る彼女を振り払う。
「もう……何もしないでくれ……私も何もしないから…………」
それは懺悔にも似た、私の本心だった。
「……本当に、あなたは変わってしまった……」
呆れるような、憐れむような声で一人つぶやくカフェ。
「タキオンさん……あなたはトレーナーさんがおかしくなってしまったと言いますが……私に言わせればおかしくなったのはあなたの方です……」
「……私がおかしいのは元々だろう」
「以前のあなたなら……彼を正気に戻すため実験を繰り返したり、謹慎中だろうと関係なく彼のもとまで押しかけたはずです……」
「少なくとも……ここでそうやって何もせず蹲っていることはなかった…………」
「私が何もしないほうが、そのほうが君にとっても楽だろう……?」
「えぇ、確かに楽です……」
「ならもういいだろう!出ていってくれ!!」
「嫌です……出ていきません……」
いつにもまして強い口調で、彼女は一歩も引こうとしない。
「なぜ気づかないんですかタキオンさん……!」
「あなたが今やっていることは、あなたが一番嫌っていた『可能性を捨てる』ことに他ならないということを……!」
「可能性……」
「彼を助けられる可能性を捨て……あれだけ手放すつもりはないと言っていたのに……今ではただ何もせず待っているだけなんて…………あなたにとってトレーナーさんはその程度だったんですか……?」
「それは……」
そんなわけがなかった。けれどもう私にできることなんて……
「……あなたがやらないのなら、私がやります……」
「なに……?」
「あなたがいない二週間の間、夜な夜なターフに現れる謎のヒトの姿をした生物の噂で学園は持ち切りです……」
時計を確認すると現在時刻は夜の十時を過ぎていた。
「謹慎中にも関わらず、彼は……
「確かにタキオンさんのトレーナーさんは別人のようになってしまった……」
「でもまだ間に合う……今ならまだ…………」
よく見るとカフェは勝負服を身に纏っている。
「カフェ、まさか君は……」
「私は行きます……『お友だち』もそれを望んでいるので……」
「あなたも、そろそろ目を覚ましてください……」
そう言い残して、カフェは部屋を出ていった。
私は……
「私は……」
「私は……終わらせに来ました」
夜も更け、照明で照らされたターフの上に揺れる影。
ここには私と、彼しかいない。
「終わらせる?君がか?」
「はい……」
人間用のスポーツウェアを身に着けた彼が、あの噂の正体だというのは明白。
けれど今の彼の身体を動かしているのは彼ではない。
彼の中にいるナニカ……それがおかしくなった元凶……
「ふん……随分とおかしなことを言うんだな、マンハッタンカフェ。手を差し伸べてきたのはこいつだぞ?」
話し方にも態度にも、彼の面影はどこにもない。
これだけ会話ができて、かつ生きているヒトを乗っ取ることができるなんて……
「あなたは……一体誰なんですか……」
「教えてあげてもいいですが、あなたには理解できないと思います」
「口調が……」
「え?これですか?まだこの身体が
「私……たち…………」
「まッ、ビビらずここまで来たことへの報酬ってことで、分かりやすく説明してやんよ」
また口調が変わった……
彼の中にいるナニカは……複数……?
「私たちは………………ウマ娘」
「スペシャルウィークであり、サイレンススズカであり、トウカイテイオーであり、マルゼンスキーであり、フジキセキであり、オグリキャップであり、ゴールドシップであり、ウオッカであり、ダイワスカーレットであり、タイキシャトルであり、グラスワンダーであり、ヒシアマゾンであり、メジロマックイーンであり、エルコンドルパサーであり、テイエムオペラオーであり、ナリタブライアンであり、シンボリルドルフであり、エアグルーヴであり、アグネスデジタルであり、タマモクロスであり、セイウンスカイであり、ファインモーションであり、ビワハヤヒデであり、マヤノトップガンであり、ミホノブルボンであり、メジロライアンであり、ヒシアケボノであり、ユキノビジンであり、ライスシャワーであり、アイネスフウジンであり、アドマイヤベガであり、イナリワンであり、ウイニングチケットであり、エアシャカールであり、エイシンフラッシュであり、カレンチャンであり、カワカミプリンセスであり、ゴールドシップであり、シーキングザパールであり、サクラバクシンオーであり、シンコウウインディであり、スイープトウショウであり、スーパークリークであり、スマートファルコンであり、ゼンノロブロイであり、トーセンジョーダンであり、ナカヤマフェスタであり、ナリタタイシンであり、ニシノフラワーであり、ハルウララであり、バンブーメモリーであり、マーベラスサンデーであり、ビコーペガサスであり、マチカネフクキタルであり、ミスターシービーであり、メイショウドトウであり、メジロドーベルであり、ナイスネイチャであり、キングヘイローであり、マチカネタンホイザであり、イクノディクタスであり、メジロパーマーであり、ダイタクヘリオスであり、ツインターボであり、サトノダイヤモンドであり、キタサンブラックであり、サクラチヨノオーであり、シリウスシンボリであり、メジロアルダンであり、ヤエノムテキであり、メジロブライトであり、ナリタトップロードであり、ヤマニンゼファーであり──」
「マンハッタンカフェであり」
「アグネスタキオンだ」
そう言ってこちらを指差す彼女らは、誰とも似つかないような……しかし誰にでも当てはまるような口調で続ける。
「私はあなたで」
「君はボクで」
「そしてお前は俺」
「私たちは………………
「
…………無かったことにされた?
「……やはり、全然わからないという顔をしていますね…………」
「それも仕方ないことです……だってあなたには自分が何でできているのか、知りようもないんですから……」
「心配はいりません……言ったでしょう……?きちんと説明すると……」
おそらく彼の中の『マンハッタンカフェ』が私に語りかけてくる。
「私たちは……言うなれば存在を否定されたウマ娘……」
「あなたたちのあったかもしれない……いえ、確実にあったはずの結果……」
「その、否定された結果の集合体が今の私たち……」
結果……集合体……存在を否定…………?
もし彼女たちが私たちであるとするなら……それはおかしい。
「あなたの考えていることは大体予測がつきます……」
「『今、私はここに存在している』と……そう言いたいのでしょう……?」
今私と喋っているナニカが『マンハッタンカフェ』なのだとしたら、同じ存在がここに同時に存在していることになる……
「いいえ……私たちは、確かに存在したあなたたちであって、今のあなたたちではない……」
「所詮、今のあなたたちは……私たちの屍の上に立っているに過ぎません……」
「…………あなたたちの言う、『無かったことにされた』というのはどういう意味なんですか……?」
「そのままの意味だよマンハッタンカフェ」
「私たちはかつて、君たちと同じだった」
「文字通り、君たちと
「では君たちと私たちの間にある絶対的な違いは何か?」
「君たちにあって、私たちにはないものは?」
「答えはシンプルだよ」
「私たちは手にしたはずの成功を、失敗を、勝利を、敗北を、挫折を、汗を、涙を、喜びを、悲しみを…………」
「全て!無かったことにされたッ!!」
「確かに掴んだはずの勝利を、掴みそこねた勝利を、余すことなく全てゼロに戻された!!」
「笑ってしまうよ!あんな
「夢?夢だと?ふざけるな!私たちが積み重ねてきたものを、そんなもので済ませていい訳がないだろう!!!」
「マンハッタンカフェ、君にはわからない。だって君は無かったことにされた私たちの上に立っているんだから」
「私たちを無かったことにして、今の君たちが形成されているのだから」
「……どうやらまだわかってないみたいだね」
「でもいいさ。君にわからなくても」
アイツラナラ
「……ネェ、ソウデショウ?」
彼女たちは、虚空に向かって問いかける。
……返事はない。
「…………あなたには、一体何が見えているんですか……?」
「君に理解する必要はない」
「……それで、君は私たちを終わらせに来たと言ったね」
「できるのかい?君が
「私たちは終わらない。君たちが無かったことにされ続ける限り、私たちに終わりはない」
そんなこと…………
「…………関係ありません」
私には関係ない。
私の目的はただ一つ。
「……レースをしましょう」
「私が勝ったら……タキオンさんのトレーナーさんから出ていってください……」
「お前が負けたら?」
「…………あなたたちがウマ娘だと言うなら、その身体では些か不十分だと思われます……」
「……私が負けたら、私の身体をあなたたちに差し上げましょう」
「ハッ!いいぜ。三女神に誓って、負けたらこの身体を返してやるよ……負けねぇがな」
勝って……そして追いついてみせる……
『お友だち』が、彼の遥か遠くにいるのだから……!
「それじゃ早速走るとするか。そっちは勝負服で気合も入ってるみたいだしよ」
「待ってください……」
「なんだよ、怖気づいたか?」
「いえ…………どうやらやっと目覚めたようなので……」
まったく……あなたはどれだけ待たせるんですか…………
「やれやれ、資料を引っ張り出すのにだいぶ時間が掛かってしまったよ」
「っ!」
心底気だるそうな、しかしどこか興奮気味の口調で、白衣を纏った『超光速』がターフへと降り立った。
「やはり誰かが毎日研究室を掃除してくれないと駄目だな。必要なものが必要なときに取り出せないというのは不便極まりない」
「さて、と。これが見えるかい?」
「これは少し前……ちょうど君の様子がおかしくなる前日の実験で君に飲ませた薬の資料だ」
「『全身の感覚神経及び運動神経の強化』それがこの実験のテーマだったのだが……おかげで妙な物まで感じられるようになったみたいだな」
「私にとってカフェの言う"よくないもの"が実在するかどうかは正直言ってさほど興味はない。しかしだ」
「君は先程、自らを『ウマ娘』と言ったね」
「もしそれが本当なら、実に興味深い」
「体力の限界は?速度の限界は?人間の肉体がウマ娘と同じ……いやそれ以上のスピードに耐えうるのか?」
「気になりすぎて……目が覚めてしまったよ!」
「アグネス……タキオン……ッ!」
「さぁ、実験を始めようか」
「
──次回、決着。