進撃の迷宮譚   作:でけぇ害虫

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第一章 迷宮の巨人
5.捜索隊(こうじつ)


 

 俺がエイナ・チュール氏のはちみつ授業()を受け始めてから、早くも二週間が経過していた。

 

 二週間である。二日ではない。その間、お手洗と入浴と睡眠以外はずっと冒険者ギルドの一室に缶詰め状態でひたすらチュール氏自作の問題集を解いていた。もはや缶詰め状態というより監禁とも言うべき状況だが、残念なことにチュール氏に悪意はない。むしろ彼女からはこちらを心配する気持ちがヒシヒシと伝わってくる。

 この二週間で分かったことだが、彼女は冒険者が無謀なダンジョン・アタックを行うことを病的に嫌っている。だからこんな一銭にもならない授業などを行い、少しでも冒険者に知識を付けさせ危険を減らそうと躍起になっているのだろう。ギルド職員としての仕事もあるだろうに、空いた時間を縫ってはこちらの勉強を見てくれている。その姿勢には頭が下がるばかりだ。

 

 それにしても二週間の勉強漬けはやり過ぎと言わざるを得ないが。神から直々の頼みということで張り切ってしまったのかもしれないが、さりとて限度というものがある。「座標」での経験がなければ、流石の俺も途中で音を上げていたことだろう。

 しかし、流石は剣と魔法のファンタジー世界だ。よもや大真面目にモンスターの特徴や生態、魔法やスキルなどについて勉強する日が来ようとは。

 何というか、ゲームの攻略本を読み込んでいるような感覚がある。正直こういうのは嫌いではない。少なくとも数式を捏ねくり回したり、登場人物のこの時の心情を三十字以上四十字以内で答えよなんて問題と睨めっこするより百倍楽しい。これならたとえ二週間缶詰め状態になろうが苦しくは悪い、やっぱ辛えわ。

 

 そりゃそうでしょ。二週間だぜ二週間。なんか似たような独白を座標でもやっていたような気がするが、やはり二週間もの長期間を同じ作業に費やすというのは精神的にクるものがある。

 如何にチュール氏が前世ではお目に掛かったことすらないレベルの美人だったとしても、地獄の悪鬼も裸足で逃げ出すスパルタ方式の授業でその魅力も半減だ。今の俺に必要なのは美人教師との個人授業ではなく、新鮮なモンスターの血潮である。

 

 ああ、だがこの巨人すら撲殺できそうな分厚い問題集にも終わりが見えてきた。と言ってもまだ100頁以上はあるのだが、全体からすれば残り僅かと言ってよいだろう。

 モウヤダボクオウチカエル……

 

「大変ですイェーガー氏! クラネル氏が……!」

 

 どっぱぁん! と破裂するような異音を発してドアが開け放たれる。というか蹴り開けられた。

 それを成し遂げたのは、チュール氏のパンツスーツに包まれた魅惑の御御足(おみあし)である。本当に恩恵(ファルナ)を受けていないのか疑問に思えるレベルの蹴りの威力だった。もはやハーフエルフではなく生足魅惑のマーメイドである(?)。

 

 というかクラネル団長がどうしたって? 俺は現在進行形で精神が大変なわけだが。

 

「ダンジョン中層に向かったまま行方不明だそうです!」

「なにっ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジャックが缶詰め状態となっている間にも、ベルは変わらず冒険者として活動を続けていた。

 その過程でベルは専属鍛冶師(スミス)を獲得していた。その名はヴェルフ・クロッゾ。オラリオでも大手の鍛治系ファミリア【ヘファイストス・ファミリア】に所属するLv.1の下級鍛冶師である。

 

 確かにベルは上級冒険者(Lv.2)だが、冒険者歴そのものは二ヶ月程度と駆け出しの域を出ない。

 にもかかわらず、冒険者歴二ヶ月の新人が専属鍛冶師を……それもヘファイストス・ファミリアほどの大手に所属する鍛冶師(スミス)を専属に得られたことはまさに快挙と言ってよい。

 

 だが、それは今回の主題ではない。

 ベルはサポーターのリリルカに加えヴェルフも交えた三人パーティを結成し、中層への攻略に乗り出した。そこまでは良い。

 

 問題は、そのまま中層に向かったきり消息を絶ったことにある。

 

 ベルの主神、ヘスティアは即座に行動に移した。

 勿論一番に心配しているのはヘスティア第一の眷属たるベルに他ならないが、他の二人がどうでもいいというわけでは無論ない。

 リリルカとは普段はベルを巡って何かと対立している間柄だが、ベルに対して心からの好意と敬意を抱き、献身的に尽くすその姿勢はヘスティアも認めるところだった。女としてはともかく、一人の人間としては十分に好感を持っている相手だ。

 そしてヴェルフに関しては今のところ面識はないが、彼の主神ヘファイストスはヘスティアにとって神友(しんゆう)である。友の子供のためとあらば、労を惜しむ理由はヘスティアにはなかった。

 

 まず知り合いのギルド職員であるエイナに掛け合い、ファミリアの全財産四十万ヴァリスを報酬金とした冒険者依頼(クエスト)を発行。ギルドにベル達の捜索を発注する。

 「中層に向かった」という情報以外に手掛かりのない中で、広大な迷宮(ダンジョン)の中からたった三人を探し出すのは確かに至難だろう。だがそれを加味したとしても、四十万ヴァリスという金額は破格である。それだけヘスティアが本気であるということの証左でもあるが、高額の報酬金を提示することで、より高位の冒険者の目に留まる可能性を高める狙いもあった。

 

 打てる手は他にも打つべきだ。続いてヘスティアは他のファミリアにも協力を要請すべく、薬神ミアハとその眷属ナァーザ・エリスイスを連れ立ちギルドを後にする。

 冒険者依頼(クエスト)の発行など、この緊急事態における行動指針を助言したのが、医療系ファミリアの一つ【ミアハ・ファミリア】の主神ミアハである。ケルト神群の一柱である彼は天界にいた頃からの数少ない友神(ゆうじん)であり、ヘスティアとは地上(オラリオ)に降臨して以降も懇意にしている仲だった。

 オラリオに来てまだ日が浅いヘスティアだが、ミアハのように天界時代から付き合いのある知神(ちじん)はそれなりにいる。ファミリア単位での横の繋がりには乏しいものの、頼りにできる宛があるのは幸いだった。

 

 しかし、ヘファイストスに声を掛け、続いてタケミカヅチにも事情を話した辺りで事態は動いた。

 

「……すまん、ヘスティア。お前の子が帰ってきていないのは、俺達に原因があるかもしれん」

 

 武神タケミカヅチ。【タケミカヅチ・ファミリア】の主神たる角髪(みずら)の男神は、表情に影を落としてそう言った。

 タケミカヅチの背後に控えるのは、彼のファミリアを代表する三人の冒険者である。まるで懺悔するように彼らの口から語られたのは、13階層で彼らが行った「怪物進呈(パス・パレード)」のあらましだった。

 

 怪物進呈(パス・パレード)とは、迷宮(ダンジョン)内において一方のパーティが他のパーティにモンスターを押し付ける行為である。

 悪質な行為には違いないが、怪物進呈は必ずしも悪意の下に行われるとは限らない。モンスターの群れから自分達の身を守るため、やむを得ず他の冒険者を巻き込むというケースは、実のところ珍しくなかったりする。今回タケミカヅチ・ファミリアの冒険者達が怪物進呈に及んだ理由は、まさにそのケースだった。

 

 とはいえ、悪意がなければ良いというものではないのは確かだ。やむを得ない事情があったにせよ──冒険者は己の身の安全を第一とすべしという考えが当然であるにしろ──巻き込まれた側にとっては堪ったものではない。(いわん)や、その結果としてパーティに死者が出てしまったとなれば。

 眷属(こども)を愛する気持ちが強ければ強いほど、主神の怒りは大きなものになるだろう。そして主神自らがこうして眷属のために奔走していることからも、ヘスティアのベルを思う気持ちの強さは明らかだ。

 

 子を失った女神の怒りほど恐ろしいものはない。この神時代を生きる人間として、何より神々が住まうオラリオに根を張る冒険者としてそのことを肌感覚で知るタケミカヅチ・ファミリアの眷属達は、血の気を引かせてヘスティアからの沙汰を待った。

 

「……ベル君達が戻ってこなかったら、ボクは君達のことを死ぬほど恨む。けれど憎みはしない。約束する」

 

 だが、返ってきた答えは彼らの覚悟していたものより遥かに穏当なもので。

 ハッと顔を上げた彼らの目に映ったのは、怒れる女神(おんな)の形相ではなく。厳しくも優しい、遍く人間(こども)に等しく愛を注ぐ(デウスデア)の慈愛の面差しだった。

 

「だからどうか、今はボクにその力を貸してほしい。ベル君達を助けるために」

『──仰せのままに』

 

 慈悲深くすらある寛容さと毅然とした眼差し。超越存在(デウスデア)の名に恥じぬ圧倒的な女神の器量に心打たれたタケミカヅチの眷属達──カシマ・桜花(オウカ)、ヤマト・(ミコト)、ヒタチ・千草(チグサ)の三名は、一糸乱れぬ動きで膝をつき、心からの畏敬と忠誠を以て頭を垂れた。

 

「──話は聞かせてもらった! オレも協力するよ、ヘスティア!」

『帰れ!』

 

 そんな静謐な空気をぶち壊し、場に乱入してきたとある男神。反射的に声を荒げたヘファイストスとタケミカヅチの剣呑な視線を柳に風と受け流し橙黄色(とうこうしょく)の髪を揺らすその神は、名をヘルメスといった。

 

 ギリシャ神群の一柱にして【ヘルメス・ファミリア】の主神、伝令神ヘルメス。ヘスティアにとっても知らぬ仲ではないその神の登場に、だがこの場にいる殆どの者が渋面を浮かべた。

 何故ならこの神、とにかく胡散臭いのだ。その軽薄な態度も、貼り付けたような笑みも、彼を構成する要素全てが嘘臭い。それ故ヘルメスは多くの神々から警戒され、だがその顔の広さと情報通な面から頼りにされる機会も多い、そんな奇妙な立ち位置にいる神だった。

 

 そんなヘルメスがヘスティアを訪ねてきた理由はといえば、概ね先の発言通りである。その証拠に、彼の背後で肩身狭そうに控える眷属……アスフィ・アル・アンドロメダの手には、つい先刻ギルドを通して発行したばかりの冒険者依頼(クエスト)が記された羊皮紙が握られている。

 

 しかし如何に胡散臭くとも、援軍は一人でも多いに越したことはない。それにヘルメス・ファミリアの公的な到達階層記録は19階層ということになっている上に、団長のアスフィは稀代の魔道具作成者(アイテムメイカー)と名高い【万能者(ペルセウス)】の二つ名を持つ冒険者だ。そのレベルは3と、紛れもない上級冒険者である。現状動員できる冒険者のレベルとしては、ここにいるファミリアの中では文句なしに最上級。主神(ヘルメス)神格(じんかく)に目を瞑れば諸手を挙げて歓迎したい戦力だった。

 

「だが、ただ眷属を送り込むだけでは面白くない! ベル君達の捜索には()()()()()()()!!」

 

 ……本当に、ヘルメス(こいつ)さえ考慮しなければ最高の援軍なのに。屈託なく笑う伝令神と頭を抱える【万能者(ペルセウス)】を見て、ヘスティア達は全く同じ感想を抱いた。

 

 

 

 

 

 

 

「しゃあっ! グレート・エスケープ!」

「待ちなさいジャックく、じゃなくてイェーガー氏! まだ神ヘスティアから課された条件を達成していないでしょう!」

 

 それから数時間後、ヘルメスに続き新たな乱入者が加わった。腰に縋り付くハーフエルフの麗人を体格差をものともせずに引き摺りながら、一人の少年がバベルの中央広場(セントラルパーク)に集合していたヘスティア達の前に現れた。

 ヘスティアは額を押さえて天を仰いだ。

 

「やはりダンジョンか……いつ出発する? 俺も同行する」

「ダメに決まってるだろ!」

 

 ヘスティアはベルに続くもう一人の眷属、ジャックに渾身のツッコミを放った。

 

「何だっていい! 地獄のスパルタ教育から逃げるチャンスだ!」

「何この子おもしろ……」

 

 何やらヘルメスが目を輝かせているが、ヘスティアとしては断固として認めるわけにはいかなかった。

 

 何しろジャックはLv.1である。この場においてはタケミカヅチ・ファミリアの千草もLv.1だが、彼女は既に冒険者となってそれなりに長いのに対し、ジャックの場合は正真正銘の駆け出しなのだ。到達階層記録は迫真の0階層、というかダンジョン滞在時間一時間未満である。1階層目でゴブリンとコボルトを何匹か撫で切って帰ってきただけなのだから当たり前だが、冒険者としての経験は皆無に等しい。

 

 そんな初心者が中層に向かう捜索隊に同行するという。普通に考えればタチの悪い冗談でしかないだろう。

 だが、そうは思わなかった者も何名かいた。その内の一人であるアスフィは、僅かに冷や汗を浮かべながらヘルメスに耳打ちした。

 

「ヘルメス様。あの少年は……何者なのでしょうか」

「さあ? ヘスティアの眷属でオレが知っているのは渦中のベル君だけさ。現時点での印象としては、(オレ達)にノリが近い面白い子ってところだけど」

 

 むしろオレの方が教えて欲しいぐらいさ、と面白がるように目を細めるヘルメス。アスフィは真剣な目でジャックを観察しているタケミカヅチを一瞥した後、「あくまで所感ですが」と前置きした上で語った。

 

「相当やりますよ、彼。直接戦っている姿を見ないことには正確なところは分かりませんが、最低でもLv.2相当はあるかと」

「……えそんなに?」

「ええ、立ち姿に微塵も隙がありません。私も最初は見間違いかと思いましたが、どうやら()()も同意見のようです」

 

 ヘルメスが強力な助っ人として連れて来た「彼女」──謎の金髪ブルマスクエルフ(リュー・リオン)も、フードの隙間から覗く空色の瞳に困惑の色を浮かべてジャックを見ている。傍目には二週間の缶詰め生活で妙なテンションになっているだけの少年でしかないが、アスフィやリュークラスの冒険者ともなれば、外見から相手の力量はある程度見て取れる。

 

 神の恩恵(ファルナ)とは人間にとって外付けの力である。そしてLv.1の冒険者が特にそうだが、彼らは良くも悪くも恩恵の力に振り回されている場合が多い。しかしLv.2以上に至れる一部の上位層は、力だけではどうにもならないことを知っている。それを意識できるかどうかが、下級冒険者(Lv.1)上級冒険者(Lv.2以上)とを分ける明確な差異であると言っていいだろう。

 

 神から与えられた恩恵の力に、確固とした技術と経験で肉付けを成し得た者のみがLv.1のその先へと至れる。だがその点、ジャックはまるで正反対だった。まず確固とした技術と経験が芯に備わっており、その上に恩恵の力を鎧のように身に纏っていると言うべきか。

 まるで歴戦の戦士、達人級の武人を前にしているようだとアスフィは思った。今もヘスティアやエイナと口論を続けている少年の姿は、一見するとただその場に佇んでいるようにしか見えないだろう。だがその実、その佇まいには一分の隙もなく、まるで身体の中心に鋼の芯を通しているかのように重心にブレがない。たとえ今この瞬間に背後から何者かに斬り掛かられようと、きっと彼は何の問題もなく反応してみせるだろう。

 

 最高位冒険者に特有の、極限まで高められた恩恵(ファルナ)に由来する、肌を叩くような圧倒的な存在感や威圧感を発しているわけではない。そういった力の気配はむしろ微弱にしか感じられないため、彼がLv.1であるという話は恐らく真実だ。

 だが冒険者になってまだ間もなく、実質的な活動時間は一時間にも満たないなど、とても信じられるようなものではなかった。それだけジャックから感じられる技量──もはや「武」とも言うべきそれは、一つの極みに達しているように感じられた。

 

「……ヘスティア、俺は彼の意思を支持する。彼ならば足手纏いにはなるまい」

「タケ!? それ本気で言ってるのかい!?」

「本気も本気だ。むしろ、その歳でよくぞここまでと感動すらしている。……ジャック君といったかな? どうだろう、君さえ良ければ俺の眷属に──」

「わああああ! なに主神(ボク)を前に堂々とヘッドハンティングしようとしてるんだ! ジャック君はボクの大事な眷属なんだぞ! 誰にも渡すもんか!」

 

 ジャックを見るタケミカヅチの目は本気(マジ)だった。不死不滅の超越存在(デウスデア)であり武神である彼の身には、数千、数万年にも及ぶ、およそ人の身には計り知れぬ膨大な武の経験が備わっている。

 そんな神が目の色を変え、是非自分の眷属に欲しいとまで言っているのだ。最初は胡乱な目でジャックを見ていたタケミカヅチの眷属達も、ここまでお膳立てされれば流石に少年が普通のLv.1ではないと察する。

 

 分からないのはヘスティアやヘルメス、ヘファイストス、エイナといった戦う力も経験もない者だけだった。そして彼らは今やこの場においては少数派である。数的有利を鋭敏に察知したジャックは、畳み掛けるように言葉を続けた。

 

「ほら、畏れ多くも武神のお墨付きまで貰いましたよ! 大丈夫ですって、足は引っ張りません」

「うぅ、しかしだね……」

「それにこの捜索任務は何よりも拙速が肝要です。確実性においても安全面においても、攻略する人員は一人でも多い方が良い。

 ……というか、神様が二柱(ふたり)迷宮(ダンジョン)に入るってことの方が自分なんかよりよほど問題では?」

「……ハッ! そうですよ神ヘスティア! 神の身でありながらダンジョンに行くとはどういうことですか!?」

「うわぁ!? 急にそっちに寝返るのはやめてくれないかアドバイザー君! そりゃごもっともだけど!」

 

 ジャックが捜索隊に参加することを強硬に反対していたエイナだったが、ここでようやくヘスティア(お荷物)ヘルメス(論外)までもがダンジョンに入ろうとしていたことを察した。凄まじい形相でヒートアップするギルド職員の剣幕に、本来なら絶対的な上位者であるところの神二柱はたじたじである。

 

「はいはい、そこまでにして頂戴」

 

 そこに割って入ったのは紅眼紅髪の女神ヘファイストスである。彼女は眼帯で覆われていない左目を動かし、じろりと騒ぎを持ち込んだ張本人を睥睨する。

 張本人(ジャック)はバツが悪そうに目を逸らした。

 

「……まあ、タケほどの武闘派が太鼓判を押すなら、所詮ただの鍛冶師である私から何か言うことはないわ。如何に幼くとて彼も冒険者なら、己の命の責任を自分で背負う程度の心構えはあるでしょう」

「…………百歩譲ってイェーガー氏の件は良いとしましょう」

 

 全く良くなさそうな苦みばしった表情である。

 

「しかし、神がダンジョンに進入するとなれば話は別です! 私はギルド職員として、何より大神ウラノスの眷属として、それを看過するわけには参りません!」

「正論ね」

 

 (もと)を正せば悪ノリしたヘルメスが悪いが、衝動的にそれに乗っかったヘスティアも同罪である。

 処女神(ヘスティア)はバツが悪そうに目を逸らした。

 

 地上に降りた神は神の力(アルカナム)を封印されており、本来ならば全知全能不死不滅であるはずの超越存在(デウスデア)は、その力をただの一般人と同レベルにまで落としている。そんな地上の神が危険極まるダンジョンに踏み込むなど自殺行為も同然である。

 だがそれ以上に──神が地下迷宮(ダンジョン)に足を踏み入れるは()()()()()。他ならぬ神自身がそう定めたのだ。

 

 だから、エイナの弁は全くの正論である。この場においては間違いなく彼女の意見が正しい。

 故にそうと弁えた上で──自身もまた眷属の一人を失うかどうかの瀬戸際にいる鍛冶神ヘファイストスは、にこりと微笑んで告げた。

 

「ごめんなさいね。悪いけれど時間がないの──タケ」

「当て身」

「あふん」

 

 合図と同時、いつの間にか背後に回っていたタケミカヅチがエイナの細い首筋に手刀を落とした。

 思わず見惚れるほど鮮やかな当て身のワザマエである。気を失いくたりと全身の力を抜いたエイナを横抱きに(お姫様抱っこ)すると、タケミカヅチは申し訳なさそうに眉を下げた。

 

「すまない……神々(オレ達)の勝手な都合ですまない……」

「ナイスだタケ! なぁに、ちょっと行ってベル君達を見つけたらすぐに帰ってくるさ! その子やウラノスが心配するようなことは起きないとも!」

 

 恐ろしいギルド職員がいなくなった途端に元気になったヘルメスは、気を取り直すように飾り羽の帽子を被り直す。

 妖しい光を潜ませた琥珀色の瞳を細め、口元を三日月の形に歪ませる。天界にて「雄弁と計略の神」の名を(ほしいまま)にした稀代のトリックスターは、その威名に恥じぬ底知れなさを笑みに滲ませた。

 

「さあ、行こうじゃないか! 遙か地の底の底──地下迷宮(ダンジョン)中層! 神をも拒む化外どもの楽園に!」

 

 

 

「『未来の英雄候補(ベル・クラネル)』を助けるために!」

 

 

 

 良く通る声は、まるで引力のように周囲の注目を集める。魅了でもカリスマ性によるものでもなく、ただ弁舌の才のみを以て人々のみならず神々の耳目をも引き付けてやまない。

 謀略家(スキーマー)としてなら北欧神群随一のトリックスター、狡知の神ロキに一歩譲るかもしれない。しかし扇動者(アジテーター)としてならば、ヘルメスは道化を気取る悪神をも凌ぐだろう。その雄弁さを遺憾なく発揮し、伝令神は抗拒不能の流れを生み出した。

 

 特別なことをしたわけではない。ましてや神の力(アルカナム)によるものでは当然ない。ただ台詞回しや身振り、表情の妙によって()()()にさせただけだ。ただそれだけで、既にこの場には今すぐにでもダンジョンに向かうのだという空気が出来上がっている。つい先程までどうにかしてジャックを説得しようとしていたヘスティアでさえ、今は神妙な面持ちでダンジョンの入口を見つめている。

 さほど多弁を弄したわけでもない。しかし雄弁なる伝令神にとって、言の葉の多寡など瑣末事でしかなかった。

 

(さて、これでジャック君が同行することにとやかく言う者はいなくなった。後で蒸し返すことにはなるだろうが、ひとまずこの場における方向性は定まった)

 

 ヘルメスは不敵な笑みの裏で策謀を巡らせる。いつも通りといえばいつも通りの悪巧み。しかし今回はこれと言って大それた野望や目的があるわけではなく、

 

(まるで引力のように、あるいはそれが運命であるかのように、英雄の周りにはやはり英雄が集う。ベル・クラネルという英雄の可能性を持つ者に引き寄せられた人間──ジャック・イェーガー。Lv.1でありながらアスフィをして一目置いた、既にして傑物の片鱗を見せている謎めいた少年)

 

(見せてもらおうか。君がこのオラリオで巻き起こる神と眷属の物語(ファミリア・ミィス)で踊る演者に相応しい、英雄の資格を持つ者かどうかをね)

 

 要は興味本位。ただ興味が向いたからという理由で人も神も無差別に周囲を巻き込み、刹那的な享楽に耽る。如何にもオラリオに生きる神らしい行動原理で、伝令神は少年を巻き込もうとしていた。




サクサク行きます。
早くゴライアスをいじめ……いや戦わせてェ〜。
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