ソードアート・オンライン 仮想という名の世界で 作:satsuki
事実は小説より奇なり、昔の偉い人は良い言葉を残したものだ。
時に現実とは非現実をも上回り、予想外の方向に動き出す。
本来の意味はさておき、こんな解釈で大体OKだった気がする。
そんな感想を抱いた少年は、その幼き瞳で眼前で起こった出来事を注視していた。
『――しかし、充分に留意して貰いたい。今後ゲームに於いてあらゆる蘇生手段は機能しない――』
広場を埋め尽くす人々。その全ての瞳が、上空を――正確に言えば空に浮かんだ物体を注視している。虚空に浮かぶその物体は、纏う存在の居ない紅いローブ。
中身がないのにカタチを崩さず浮いているのは、そういったモンスターを模しているせいであろうか。どちらにせよ、不気味さを引き立たせる意味では効果大であろう。
『HPがゼロになった瞬間、諸君らのアバターは永久に消滅し同時に諸君らの脳はナーヴギアによって――破壊される』
これは確かに、此処は確かに“非現実”だった筈だ。
この空間はVR空間――ヴァーチャルリアリティー空間であり、同時に世界初のVR技術を応用したゲームの中であった筈である。
しかし、どうしたことか。その非現実はたった今、たった一言で崩れ去ったのだ。
この身体は非現実のものであることは変わらない。だが意識は本物でしか有り得ない。
故にプレーヤーは、自身の身体を人質に取られた哀れな人形と成り果てたのだ。
このゲームという檻を用意した、ゲームデザイナーの思惑通りに。
茅場晶彦という、稀代の天才のシナリオ通りに。
『――それでは最後に、諸君のアイテムストレージに、私からのささやかながらプレゼントが用意してある。確認してくれたまえ――』
その場に集められたゲームプレーヤー達が、僅かな逡巡の後に右手をかざし、メニュー画面を起動させる。
アイテムと書かれた項目には確かに一つ、見慣れないものが加わっていた。
《手鏡》
これこそがプレゼントという名の最後の舞台装置だったとは、この時は誰も気が付かなかった。
よって、皆操られたかのようにアイテムストレージから手鏡を出し、自らの容姿を確かめた。
そこには自分の作成したアバターが映っていると、確認する為に。
「……別に今までと変わらないように見えるけど?」
「あぁ、これに何の意味があるのやら……」
プレーヤーから口々に出る、疑問と疑念。手鏡が映し出したのは、自身らが作成したアバターという仮想実体。
ゲームプレイ前にそれぞれの好みで作成した筈の、仮想空間を戦い抜く為の偽りの身体。
綻びはない。異変はない。
ゲームマスターは――茅場晶彦の思惑は何だったのだろうか。
「うぁぁぁぁ!!」
「きゃぁぁぁぁ!!」
強烈な発光。眩いばかりの白いエフェクトは、プレーヤー達の視界を奪うには充分過ぎるものだった。
自分の手鏡が、隣の人物の手鏡が、やがて全ての手鏡が共鳴するように発光して、広場全体を覆い尽くした。
そのあまりの眩しさに目を瞑り、プレーヤー達は発光現象が過ぎるのを待った。
「……これは、ボク……?」
目を開け、手鏡に視線を落とすと、そこには声の主にとって見慣れた姿があった。
肩に掛かる位の茶色の髪に、大きく見開かれた茶色の瞳。
幼さが残る――というよりも、実際に幼くあどけない顔。
自らが作成したアバターの時は170cmあった身長は、今は見る影もない。
130cm程の――背が低いというよりも“まだ小さい”とカテゴライズされる少年の姿がそこにはあった。
本来13歳以上でなければ参加出来ないこのゲームに、特殊な事情から参加をすることになった、明らかにレーティング未満の年齢層。
若干9歳。これこそが、自身を“ボク”と称した人物の現実での年齢である。
『――以上でソードアート・オンライン正式サービスのチュートリアルを終了する――』
そこから先はパニックだった。阿鼻叫喚地獄絵図。
もしも此処に空から蜘蛛の糸が垂らされた場合、きっとお話の通りの顛末を迎えることだろう。
怒りと悲しみが胸中を渦巻き、理不尽さに打ちひしがれるプレーヤー達。
生存競争。生存戦略。人の原初から欲が暴かれる、最悪のデスゲーム。
これから行われるのは、人が本来持ちえながらも既に忘れ去ってしまった闘いの世界で出来事。
その幕開けは呆気無く。
しかし、強烈な余韻を残して。
確かに今――行われたのであった。
▼▽▼
「…………どうしよう」
長い長い沈黙の後に、辛うじて出た言葉がそれだった。涙は出た。怒りも出た。悲しみも出た。
正式版チュートリアルが開始された夕暮れから、既に数時間が経過している。
アインクラッドには時間という概念が有る為、空は既に真っ暗になっていた。
先の言葉を絞り出した茶髪の少年は、悲観に暮れながらも何とか現状を確認しる為に、右手でステータスウィンドウを表示する。
ちなみに広場に残っている他のプレーヤー達も、ひと通り感情が出尽くしたのだろうか。
皆現状確認を行っていた。後にビーターと呼ばれる、βテスター達を除いては。
プレーヤーネーム:TSUBASA
身体が自身の設定したアバターから、現実世界の物と寸分違わない姿に変更されても、プレーヤーネームが変更されることはなかった。
いや、少年の場合リアルネームをそのまま使っている為、実際には変更された可能性もあり得るが。
「えーと、ステータスは変更なし――」
HP・レベル・SP。さらに所持アイテムに至っても変更はない。
TSUBASA――ツバサは現在レベル2になったばかりであった為、筋力値を重視してアップさせたステータスにしていた。
当然これも変更はなく、リセットされた形跡は見られない。
「そう言えば、ソードスキルはどうかな……?」
この仮想世界を生き抜くのに、最も重要とされるであろう、そのスキル群。
先程までは身長があった為片手用直剣にしていたが、今の身長でそれは扱い難い。
片手用直剣を装備から外し、モンスターからドロップされた短剣に切り替える。
今後は敏捷値を強化する方向にシフトしよう。ツバサは胸中で方向修正をした。
「その他のスキルは――」
スキルというのは、何もソードスキルだけに限らない。
戦闘を補助するスキルから、日常生活を補助するスキルもあり、その種類は多岐に渡る。
また、剣が象徴とも言えるこの世界だ。鍛冶スキルという、自ら武具を生成する為のスキルも存在する。
つまり自分が打った剣を相棒に戦場を駆け抜ける――ということも、この世界では可能なのだ。
「……あった。全部元のままだ」
どうやら変更されたのは、アバターだけに留まっているようだ。
リーチが変更されたのは痛いが、それは今後の対応でどうとでもなる。
ツバサはまだ広場に残っている人々をチラリと見やると、自分はまだマシだと感じていた。
ピンク色の上着と、ヒラヒラのスカートを組み合わせた初期装備。
アバター変更前までは可憐な少女だった存在は、今は見る影もなく肥えていた。
体型どころか、性別すら反転させていたその存在は、当然の如く周囲からは距離を置かれていた。
オンラインゲームでは本来の性別とは異なった性別でプレイするロールプレイもありだというから、今回もそのノリでやったのだろう。
「(……茅場晶彦も、流石に予想出来なかったのかな……?)」
ゲームデザイナーとしては優秀でも、プレーヤーとしては一般プレーヤー並の考え方だったのかもしれない。
よく“名選手が名監督になるとは限らない”とは言うが、その逆もまた真なのだろう。
もしも予想出来ていてこの事態を引き起こしたというのならば、稀代の天才の性格が限りなくねじ曲がっているのだろう。
「(他に変わったプレーヤーは、と……)」
当初の目的を逸脱し、面白いプレーヤーを探すことにシフトしてしまったツバサ。
元々少年というのは、好奇心旺盛な生き物だ。
否、これは少年少女を問わないものであった。
その証拠に彼と同じように広場の中の面白スポットを探している視線は、幾つもあった。
「(ボクと同じ、レーティング逸脱組か……)」
このゲームは本来、13歳以上が対象のゲームである。
しかしナーヴギアやSAO側には、年齢を見分けるようなシステムは搭載されていない。
その為、13歳未満の人間でも簡単にプレイ出来てしまうのだ。
その防波堤は両親と良心によるものであるのだが、抜け穴があってしまうのは人間が創り出した物故のことだろう。
「(……そう言えばあのヒト、今頃お母さんに怒られてる頃かな?)」
“あのヒト”というのは、少年――ツバサをこの世界に放り込んだ張本人である。
人としての正式名称は置いておこう。声質としては非常に良い声である。
具体的な例を出すのなら、閃光の男爵やら不可能を可能にする方っぽい声。
しかし性質は真逆である。
表面(おもてづら)の良さは完璧だ。
茅場晶彦と同じ大学――同じ研究室に居たこともあり、非常に優秀な頭脳を持った柔和な青年だと世間には認識されている。
だがその青年紳士とも言える仮面を割ると、そこに居るのは強烈な人格。
ツバサの姉とツバサ以外には見せないその実態は、不遜を絵に描いたようなキャラクターである。
とにかく社会的に成功し、自分を高い位置に置きたがる。
茅場晶彦を負かす為に、様々な奸計を巡らす。
しかも茅場晶彦を恨む理由が横恋慕的なものだと分かった時には、溜息しか出なかった。
小学生の少年にすら呆れられる青年。それが“あのヒト”の正体である。
「(そのくせ、やたら兄貴ぶるし……)」
少年は三兄弟である。兄が一人に、その下に姉が一人。
どちらも歳が離れているせいか、弟であるツバサにはかなり甘いところがあった。
反面、それを補って余りあるのが、あのヒト――兄的存在である。
血縁ではないが、幼い頃から何かと付き合いが多かった青年。
歳下であるが故だろうが、姉と自分には仮面なしで接してくる為、憂鬱この上ない存在である。
ツバサの中の認識は概ねその一言に集約された。
「(今回のことだって……)」
ツバサ少年はゲームが得意である。幼少期独特の感を備えつつも、家の方針で施されている高度な教育を活用した解析術。
無邪気にゲームをプレイするというよりも、あたかもパズルを解くかのようにプレイスタイルは、バグ探しや隠し要素を暴き出すのに適していた。
そこに目を付けたのが兄的存在である。
彼は茅場晶彦に一矢報いる為に心血を注ぐという、非常に度し難い存在だ。
その為には歳下の――十以上も歳の離れた弟分に、茅場晶彦作成のゲームの欠点探しをさせるような存在である。
だがその目論見は、今のところ成功していない。
茅場晶彦の創るものは十全であった。
非の打ち所のないものであった。
そしてそれが、尚の事兄的存在の苛立ちを増大させるのであった。
「(せめて今日、ログインしてなければなぁ……)」
SAO正式サービス開始日――つまり今日。自室で寛ぐツバサのところに、一陣の風――どころか嵐がやって来た。
兄的存在の傍らには、徹夜で並んで買ってきたであろう悪魔の冠――ナーヴギアとSAOのパッケージがあった。
今回も何時もの行事だった。SAOの欠点探し。これをやらせようというのだ、この御方は。
「どうだ!世界初のフルダイヴ技術を駆使した、オンラインRPGだぞ!!やりたいだろう~?」
ここで「別に」とか言えたら良かったのだろうが、生憎好奇心と興味が勝ってしまった。
SAOはβテストの選考に漏れてからもずっとやりたいものであったが、フルパッケージ版とナーヴギアのセットは、とても小学生の出せる額を超えていた。
「……くれるの、それ?」
「あぁ、やろうとも!ただし、条件は分かっているな?」
「いつもと同じ。バグ・隠し要素の発見」
「イグザクトリィィ!!その通りだ!」
暑苦しい。
普段の好青年ぶりを、数分の一でも発揮してくれたのなら……きっと少しは尊敬出来るのに。
そんな少年の胸中を知らずか、青年は続ける。
「あとこれが、今回の先渡しの分だ。ありがたく受け取れ」
手渡されたのは茶封筒。その中から、福沢諭吉先生が何人か現れた。
「毎回思うんだけど、これ多すぎない?それにそっちの希望を叶えられてないのに、先に渡されても……」
兄的存在は必ず報酬を先渡しする。それも小学生には過分な程に。
毎度依頼を達成出来ていないツバサとしては、それが非常に心苦しく感じるのだ。
「何を言うか!社会に出れば、労働に対して報酬を払うのは当然!成果報酬はまた別だ!」
そういうところは、非常にキッチリしている青年だった。
もしかすると、会社では部下に対してもこんな感じなのかもしれない。
だとしたら、意外と良い上司なのではないか。
少年は兄的存在の評価を多少上方修正しようとし――
「べ、別にお前の為なんかじゃ、ないんだからな……!!」
更に下方修正した。
▼▽▼
「――ってことがあったとは言え……」
先行き不安。暗中模索。
世界の縮図とも言える、死が横たわる仮想空間内。
正式サービスという名の強制ゲームがスタートしてから、早一ヶ月。
その間に少年のレベルは5まで上がった。
それと並行して第一層――最下層が漸くクリアされたらしい。
らしい、というのは伝聞系の情報である為。
後に“攻略組”と呼称される面々は、ゲーム参加者の内せいぜい10%以下の人数しかいないのだ。
もっと言えば、この時点ではもっと少ないと言っても良いだろう。
クリア出来るか不明な遊戯。HP=0が仮想空間と現実の二つの世界からのゲームオーバー。
閉鎖空間での、さらに言えば開発側からの一方的な情報。
前情報が正しいかどうか不明な為、開幕当初には自殺者が多数発生した程である。
自殺、ゲームオーバーになれば強制ログアウト出来て現実に復帰出来る。
そう考えた末の、悲しい希望。
しかし、やはり希望は希望足り得なかった。
もしもログアウト出来たのなら、状況に少しは変化があっても不思議はない筈だ。
仮に茅場晶彦単独犯であっても、アーガスという“会社”が引き起こした犯行である。
ゲーム本体が入ったサーバーにアクセスするルートが発見出来るかもしれないし、メッセージの一つ位なら外部からでも送れるようになるだろう。
つまりそうなっていない現状は、自殺=現実と仮想空間からの永久退場、という図式を強化したに過ぎない。
ここまで来れば、誰でも気付く。
“――これはゲームであっても、遊びではない――”
ゲームマスター、茅場晶彦が以前発言していた言葉の真実。
その言葉はまさに今の状況の暗喩だったのだろう。
その時はただ現実に迫るリアルさが売り、と大半の人々は思っていた。
そう、“思っていた”のである。
しかし茅場晶彦本人はその解釈が正しいなんて一言も言っていないし、その解釈が正しいものかということを尋ねる者も居なかった。
「全てはお釈迦様の掌での出来事、ってことか……」
完璧なシナリオだろう。
それはゲーム内のシナリオ、という意味ではない。
犯罪計画、という意味でのシナリオだ。
電脳空間という新ジャンルの中で、更に創造主がそれを利用した犯罪を行うというのを想像しろというのは、あまりに酷な話だ。
民間人・犯罪者・警察関係者のどのジャンルの人間からも、この事態は予想外に違いない。
「さりとて時間は進む。時計の針は戻せない、てね?」
予想外。だが現実という世界では、この言葉が頻繁に登場する。
学校で。会社で。社会で。
だから人々は前に進む。希望を掴む為に――絶望を覆す為に。
「とりあえず、階層ボスがクリア出来ることは証明されたし……」
第一層ボス攻略は、攻略時のリーダー等の喪失という事態を迎えたものの、確かに完了し、そして第二層への路を拓いた。
即ちクリア出来ないような設定にはされていない、アンフェアなゲームではないという証明にも繋がるだろう。
「お父さん、お母さん、お兄ちゃん――――お姉ちゃん」
現実に居るであろう、家族を思い出し、望郷の念に駆られるツバサ。
攻略に乗り出している人達は、死の恐怖を現実に帰りたいという気持ちで押し返したに違いない。
「うん。それじゃボクも、現実復帰――攻略を開始しますか!」
浮遊大陸アインクラッド。その一画でツバサは、決意を新たにして攻略に乗り出した。
「あ、ちょっとキミ!そこのキミ!!一人でフィールドに出るなんて、危ないよ!!」
「え?あの、ボクこう見えてもレベル5でして……」
格好付けて始めようとした冒険を、第一歩から踏み外すような、予想外の出来事。締まらない幕開け。
だがこの出会いは少年の今後の方針を定める上で、重要なイベントでもあった。
「それでも危ないって!他にも保護している子がいるから、そこへ行こう!」
「いや、ボクは一人で生きていけますから……って全然聞いてくれない!?」
如何にも人の良さそうな顔をした青年に、手を引かれて行く先は第一層の主街区。
此処こそが後に“アインクラッド解放軍”と呼ばれるギルドのホームになる場所だとは、この時は誰にも分からなかった。
描写不足が多かった為、改定致しました(2014/06/08)