ソードアート・オンライン 仮想という名の世界で 作:satsuki
雲一つない晴天。その吸い込まれるような青い空は、ここが現実でないことを一瞬忘れてしまいそうになる程の絶景であった。
アインクラッド第一層――《はじまりの街》と呼ばれる主街区にて、その青空を眺めながら青年は思った。
「(どうして、こうなった……)」
ウェーブが掛かった、オールバック気味の焦げ茶色の髪。如何にも人の良さそうな笑顔を司っている、やや垂れた目。こめかみ辺りから伝う一筋の汗は、このVR空間では想定されていないであろう代物。
これがシスタム外シスタムか、と青年は検討外れなことを思うことで、目の前の現実から逃避を図ろうとした。
「(いや。涙が流せる位なんだから、これは想定されたものなのかな……?)」
ややズレた考察をしながら、彼は目の前の事柄から目を背ける。
「シンカーさん――ちょっと、そこに座って下さい」
「いや、もう座っているんだけどね……?」
だが駄目だった。目の前の現実は、彼の逃げ道を塞いだ。
というか、逃げ出すことを良しとしなかった。
素敵な天気とは裏腹に、青年――シンカーと呼ばれた者の気持ちはどんよりとしている。
「……何か言いました?」
「イヤ、何も言っておりませんヨ?」
「ならよろしい」
それは珍妙な光景だった。
年長者が若年者を叱る為に対話する為に正座をさせる、というのはアリだろう。
反省を促し、正しき道へと導く。これは有り得る姿と言える。
しかし今この場所で展開されているのは、それとは全く逆の光景だった。
床に正座させられているのは、見た目二十代後半位の青年。
そして正座を強要しているのは、九歳の少年。
ハッキリ言おう。普通逆だろう、この構図は。
「シンカーさん、ボクはあなたを尊敬しているんですよ?デスゲームとなったこの場所で、みんながパニックになっているこの状況。そこでゲーム攻略以外の手段で皆を救済するという考え」
「ツバサ君……」
そう。青年が行っているのは、ゲーム攻略を諦めた者やゲーム攻略に適さない者に対して衣食住の配布を行い、その代わりに攻略以外の方面から攻略する者達を支援していく、そんな組織の結成だった。
考えてみれば当たり前の話だが、皆が皆アインクラッドの第百層クリアの為に動いている訳ではない。HPが尽きた時にやり直しが効くゲームではないのだ。死んだらそれまで。
余程心臓に毛が生えているか、またはそれほどまでに現実に戻りたいと願う者でもなければ、攻略に乗り出したりはしないだろう。
恐怖を克服しなければ、死という明確な恐怖を克服しなければ、上を――上層を目指すことは出来ないのだから。
だからシンカーの打ち出した、“相互扶助”・“弱者救済”という一大プロジェクトは、皆の希望でもあったのだ。
「すごいことだと思います。普通の人ではそこまで考えられないし、考えたとしても実行には移せないでしょう」
人間というのは基本的に自分を中心に考えるように出来ている。
ましてや死のゲームと化したこの世界では、それが尚の事顕著に現れる。現に親切心を逆手に取った詐欺が既に発生しており、善意を喰い物にする人間が出てきているのだ。
「お互いに助け合う方法を考えて、みんなで生きていく。そのシステムを作って、回し始めたことは――きっと誰にもマネできない」
「……ありがとう。そう言って貰えるだけで嬉しいよ」
少年の言にシンカーはそう返す。皆に感謝されるとは思っていないが、それでも感謝の言葉は素直に嬉しい。対価が欲しくてやっている訳ではないが、その一言でまた明日からも頑張れるのだから。
「……でもね?物には限度というものが――っていうか、物資は無限じゃないということは分かっていますよねぇ?」
「いや、その、分かってはいるんだけど……やっぱり放っておけなくて!」
先程シンカーがはじまりの街に戻ってきた時、彼は十人もの人間を連れ帰ってきた。
傷付いた者、立ち上がる気力がない者、立ち上がるまでの期間が欲しい者。
それぞれに理由があり、それぞれが攻略から退いている者達。
そんな人達にシンカーは、一人一人声を掛け、連れて帰ってきたに違いない。
素晴らしい。その一言に尽きるだろう。
今時こんなにボランティア精神に溢れ、更に短時間に信頼を得られる人物が居るだろうか。
答えは否だろう。
「えぇ、放っておけと言ってるワケじゃないんですよ?ただ、何で事前に連絡してくれなかったのか、って聞いているんですよ!」
物資は無限でない。故に適正な管理が必要とされる。
金を稼ぐのも命懸けのこの世界。物資を直接入手するにしても、苦労して稼いた金で取引するにしても、現実の世界以上に入手が難しい。だから準備するにも、時間と費用が必要なのだ。
「……またアレですか?シンカーさんが勧誘していたところに、キバさんが対抗意識出して誘いまくって、ハーメルンの笛吹き状態になっちゃったんですか?」
「……うん。信頼関係は重要だからね。一度組織として言った言葉には責任を取らないと……」
少年の問い掛けに、シンカーはそう答えた。
今キバさんと呼称された人物は、この相互扶助組織の中では武闘派に位置する存在だ。
相互扶助組織と言っても、運転資金は戦闘で得る者が大きい。
よって攻略の先頭に立ちながらも、そこで得た収入を組織の為に入れている者がいるという構図だ。
これだけなら武闘派にとってはデメリットしか存在しないように思える。
しかし武闘派――これは攻略最前線に立つ者たちに共通して言えることだが、攻略以外のこと――例えば情報が手に入るということは、それを補って余りあるメリットであるのだ。
情報一つで命を落とす世界。
実際β版と正式サービスでは様々な箇所に差異があり、その差異を知っていれば助かった命も多々あるのだ。
武闘派が最前線に入り、準武闘派とも言うべき存在が後に続いて調査を行う。無論武闘派が残した足跡を、それ以上の安全マージンを取ってから調査するのが原則ではあるが。
メリットは他にもあり、パーティが組めることも挙げられる。
攻略を進めていく中で、強力な武器・防具は必須である。
そして中にはクエストによって入手出来るものもあり、この時複数人数で参加必須のものもある。
そうなれば当然ソロプレイしているものは参加出来ない。ソロ同士で組む、ということも可能だが、この危険な世界でソロを通している人間というのは、経験値やドロップアイテム等を一人占めしたい人物が大半だ。よってソロ同士が組む、というのは中々に難しい。
更にもう一つ、“食の充実”が挙げられるだろう。
このソードアート・オンラインという世界は、確かに素晴らしい世界だ。
美しいグラフィックで描かれた美麗な光景。充実したスキル群。
タイトルの一角を担っているソード――つまり剣のことであるが、それを使用したソードスキルは、芸術と言い換えても良いかもしれない。
あぁ素晴らしい。とても素晴らしいとも。
しかし――しかしだ。
そんな素晴らしい世界にも、幾つか欠点があったのだ。
勿論ログアウト出来ないことは最大の欠点だが、それは割愛しておく。
今挙げておきたい欠点というのは、食に関することだ。
この世界は、食というものを蔑ろにしている傾向にある。もしかしたら、ゲーム製作者である茅場晶彦がそうだったのかもしれないが。
つまり、メシが不味い――というか微妙な物が多いのである。食えない訳ではない。しかし美味い訳でもない――というのが、答えと言っても良いだろう。
食事というのは馬鹿に出来ないもので、美味しい物を食べれば元気が湧くし、不味い物を食べれば気分が落ち込む。
特に攻略をする者達にとってテンションの維持というのは重要な課題である為、食という要素は無視する訳にはいかない課題でもあった。
しかし流石は稀代の天才茅場晶彦。そんな事態を予測していたのだろうか。きちんと美味い食事を用意する手段を、既に実装していたのであった。
それこそが“料理スキル”であり、これが食の世界の救世主でもある。
このスキルを極めていけば、現実の世界の料理をも再現可能と言わしめる技能であるのだが、武闘派にとってスキルポイントは出来るだけ多く戦闘用に割り振りたいもの。
そこで作業を分担することとなった。武闘派は攻略に専念し、それ以外の者達が攻略のサポートメンバーに回ることにより、このソードアート・オンラインという世界での“社会”が回り始めたのだ。
何もこれは、シンカーの興したこの組織――ギルドだけではない。
この世界には現在、攻略組と呼ばれる攻略を再優先にした人物達が組織したギルドが幾つもあり、それ以外に攻略組よりは劣るがそのワンランク下の準攻略組によるギルド、そして攻略を円滑に進める為の情報を収集する情報屋ギルド、武具を生成・メンテナンスをするギルドと言った、様々な組織が作られているのだ。
「シンカーさん、あなたの長所は優しいところですが……キバさんにはそろそろ怒っても良いと思いますよ?」
キバさん――正式なプレーヤーネームは“キバオウ”というその人物は、良く言えば自分に正直な人間であり、非常に人間味溢れる存在である。もし此処がデスゲームではなくただのオンラインゲームであったのなら、それも一つの個性として受け入れられただろう。
ただこの空間内では――デスゲーム版のソードアート・オンラインではその自分の欲求に対して正直過ぎる性格は、不評――というか危険な傾向にあった。率直に言うのなら、空気読んで下さい発言が多く、更に言えば虎の威を借る狐状態になることもある。
これが通常のゲームならば、ウザいと言ってプレーヤーキル(PK)――他のプレーヤーによる殺害等を企てられてしまうかもしれないが、此処でアバターを殺せば現実の世界に復帰した時には犯罪者として逮捕されることもあり得る。
だから殺されない。だから殺せない。そんな皆の心情を知っているのか、彼が自重する場面は殆ど見たことがない。
「……いや、でも彼もこんな状況だから“ああ”なってしまったのかもしれないし……」
通常のオンラインゲームでも、一度ゲームに夢中になってしまえば、ロール(役割)に成りきってしまう人間は多い。
しかもこのゲームは特別性――生死が掛かっているという、異常事態が引き起こすモラルハザードとしての側面も備えている。
そんな状況に放り込まれてしまえば、平常心を失う者が現れても不思議ではない。
というよりも、この事態でも平常心を保てる者の方が可笑しいと言い換えることも出来る。
「……了解。ギルドマスターであるシンカーさんがそう言うのなら、今回は引きましょう」
「あぁ。そう言ってもらえると助かるよ」
人が良すぎる、というのも考えものだ。
何時かその善意を利用されないことを願う。ツバサは心中でそう思った。
「ま、それはさておき――お金がなくてピンチなのは、変わらないですからね?」
「う~ん。どうやって解決しようかな……」
現在攻略は第五層まで進んでいる。つまりそれ以下の階層なら、レベリングスポットならぬ金稼ぎスポットが研究されている訳である。
「シンカーさん。これからキバさん連れてお金稼いできますね?」
「え、今からかい?キバオウさんは今帰ってきたばかりだし、キミに攻略なんて危ないことをさせる訳には……」
このギルドのマスターは、とにかく女・子どもをフィールドに立たせたくないのだ。
それは優しさや保護欲から来るものだということは分かっている。
特に十三歳というこのゲームの本来レーティング以下の年齢の少年・少女達は、世間ではまだ保護が必要な年齢である。
だからシンカーの心配は最もなことである。
その配慮は正しい。一人の大人として。また、一人の人間として。
「相変わらず心配症ですね?この世界では、大人も子どもも関係ないんですよ。筋力も敏捷性も同じ初期設定で構成されているし」
「理屈ではそうだが……そう言える子はキミ位だよ?」
少年と話すシンカーは、時折妙な錯覚に囚われる。まるで一人の社会人と話すような。
目の前の少年が、大人に見えることがあるのだ。
「ウチによく来る、中々“スゴい”おじさんの相手をしていれば、嫌でもこうなりますって……」
少年の発言一つ取っても、そこには高度な教育が施された痕跡があった。
普通の少年ならば、死のゲームになった段階で喚き散らし、自暴自棄になるだろう。または世界を救うヒーローを夢見るかもしれない。
現に彼以外の少年少女は、保護してきた時に最初に受けるのがカウンセリングであり、そこで落ち着かせることが急務であり、重要な課題なのだ。
だがシンカーの目の前に居る存在は違った。ただ現実だけを直視して、必要な事を淡々と積み上げていく。その様は、まるでこの世界に来る前からそうであったように。
「だって“あの人”ときたら、自分が超えたいと思っている先輩が作ったゲームのバグを見つけろだとか、失敗点を教えろだの。今回だって突然来てナーヴギアとSAOのソフトを置いていって……って、スミマセン。少し熱くなってしまいました」
「……キミも現実では、いや現実“でも”苦労しているんだねぇ……」
「ハァ……。分かってくれるのは現実では姉くらいでしたから、うれしい限りですよ」
スゴいおじさん――正確には少年の兄的存在であるのだが、彼の表面の良さは完璧である。
ゲームマスター茅場晶彦と同じ大学、もっと言えば同じ研究室に在籍し、現在は“レクト”と呼ばれる大会社の社長に気に入られるようなポジションを確保した社会人様だ。
(外見上)非の打ち所のない兄的存在は、少年の家族と懇意の関係にあり、少年と姉を除く皆は、その仮面を被った姿に騙されている。
家の考えでは姉と兄的存在を結婚させて、経営する会社の要職に就ける予定まであるらしい。
そんな訳で少女には仮面を捨てて接しているし、その弟である少年にも同様であった。
ハッキリ言ってしまえば、少年と姉に内面がバレたところで、全体に影響はないと判断の上での行動だと思われる。
「(……アレはすごく分かりにくいツンデレ、ってやつなのか……それとも演技なのか?)」
単純な大人ならある程度考えを読めるのだが、あそこまで捻くれてしまっている人間は、ツバサの周りにはそうそう存在していなかった。
だから毎回分からなくなる。あれは意味のある行動で、演技をした上での行動なのかと。
「(確かに一度、『べ、別にお前が前にやりたいって言ってたから持ってきた訳じゃないんだからな!?』とか言ってたけど……)」
あれは気持ち悪かった。しかも妙に言い慣れてる感があったような気もする。
あの時の光景を姉に見せたのならば、少しは関係性が変わっただろうか。
少年は今更のようにそう思った。
「(まぁ、あんなのに比べればキバさんくらい……)」
暑苦しいが、その分思考が単純で助かる。つまり操縦しやすい。
非常に黒い考えで、キバオウという男に近付く少年。
「……キバさん」
「オウ、なんや……って!?」
声のする方向に向き直ったキバオウ。そんな彼の目に映ったのは、小さい影。小さい、小さい影。だがしかし、その影の背の部分には、同じく黒色で彩られた二枚一対の羽根が見えた気がする。キバオウは思った。あぁ、これが最近流行りの“激おこ”ってヤツなのかと。
「キバさん。新しく人を保護してきたということは、何をする必要があるのか――分かりますよね?」
笑顔だ。笑顔なのだ。少年の顔に張り付いた表情は笑顔な筈なのに、キバオウに取ってそれは、恐怖の対象だった。
「あ、あぁ。アレやろ……?資金確保か、食料の確保や、ろ……?」
「ハイ、百点満点です」
「頼む!後生やから、メシの配分を減らすのだけは……!!」
先にも述べた通り、このSAOの中では食は幾つかしか無い楽しみの一つである。
栄養補給――というかHP回復以外の意味など、美味いか不味いかしかあり得ない。
ツバサは現実の世界に居た頃から姉と良く料理をしていた為、サポート系スキルで真っ先に上げたのが料理スキルだったのだ。
そのお陰でギルド内での料理スキルの熟練度は、少年が一番に位置している。料理長ツバサ、それが彼のギルド内での役職である。
「うーん。キバさん、今レベル幾つでしたっけ?」
「15になったところやけど……」
「え~と、15×20=300コルだよね。うん、キバさん。今日これから300コル稼げたら、いつもの量の2倍出してあげるよ!」
「おっ!ホンマかい!?」
厳罰――という名の食事制限かと思えば、逆の処置。多少面食らったものの、美味いものを通常よりもたくさん食べられるというのなら、それは喜ぶべきことである。今から300コル稼ぐのは厳しい――というか難しいが、失敗しても通常の量は出るのだ。最悪の事態は回避出来ている。キバオウは胸を撫で下ろした。
「た、だ、し――」
ツバサは笑顔のままだ。そう、先程キバオウが感じた、恐怖の対象たる笑顔の“まま”であった。それ即ち、地獄はまだ終わっていないことを意味している。
「もしも300コル貯められなかったら――夕ごはんは半分ね♪」
笑顔だった。純度100%の笑顔。純度100%の――悪意が篭った笑顔だった。
「ちょう待てや!?これから!?もう昼過ぎてるのにか!?」
「だってキバさん、最近羽振りが良いじゃん?それってきっと良いポイントを見つけたってことでしょう?」
「な、何でや!?何で分かったんや!?」
「……あれでバレてないと思うのは、多分キバさんだけだよ」
最近ギルド内で支給されている装備に比べ、ワンランク上の装備を見せびらかせるようになったキバオウ。それでバレていないと思っている方が不思議でならない。
「は~い。それじゃ、そのスポットに行きましょうね~?」
「あ、コラ!押すな、押すなぁぁぁぁ!!」
キバオウを押しながら、ツバサは転移門の方角に向かって歩き出した。胃袋を押さえられた人間は、押さえた人間に従うしかないのだ。これこそがこの世界の真理の一つである、とも言えるだろう。
「ツバサくーん!あんまり遅くならないようにね~~!!」
遠くから聞こえる、シンカーの声。少年は――ツバサは、先程とは異なった笑顔でそれに応える。これは、“ギルドMTD”では、割りと良く見られる光景であった。