八神はやてはこう言っては何だが、俺にとって、恐らくかなり大切な人間である。
こういった感情を他人に向けること自体が初めてであるので、我ながら戸惑ってしまい、断言しづらいのであるが、それでもやはり、替えの利かない恩ある人間であるのだと思う。
特別、そう思わせられるような何かがあったという訳ではない──なんてことは口が裂けても言えないので、ここは開き直って、声を大にし、敢えて言うことにしよう。
俺にとって、最も借りがある人間が、八神はやてであると。
そしてそれは、この先管理局で働く以上、変わることはなく、むしろドンドンと積み重なっていくばかりであるのだろうと。
とはいえ、管理局に入局してから、八神さんと共にいた時間と言うのは思い出せる程度には短く、出会った頻度もそう多くはない。
まあ、本当に多くはないというだけで、決して少なくもないのであるが。
週に一度か二度は顔を合わせている、ような気がする。
その程度であり、しかしだからと言って、八神さんへの恩が薄れることはなく、また誰かに対する恩が、それを上回ることもない。
研修期間、最後の一か月。
この俺が、かつてないほど真剣に思い悩んでいた時に、打算ありきとは言え、優しく色々なことを教えてくれた八神さんは、流石に救いの女神とまでは言えなかったが、それでも尊敬できる立ち位置くらいには俺の中で昇格していた。
この先どのようなことがあって、どれほどの後悔をすることになるのかは全く想像もつかないが、しかし、今こうして毎日を、そこそこ楽しくやれている大きな要因の一つが、八神さんであることに間違いはなかった。
盲信をするわけではないが、それでも大袈裟ではなく、過大評価でもなく、至極真っ当に、俺は八神はやてという女性を尊敬している。
この想いが揺らぐことは、恐らくこの先ない──有り得ないだろう。
仮に、俺が八神さんに惚れたとして。
うっかり告白し、手酷くフラれたのだとしても。
その後でもやはり俺は、八神さんのことは尊敬できる女性であると、そう断言できる。
そういった意味で言えば、八神さんは俺の中では特別な人間であり、だからこそ、連休明けの業務が八神さんのヘルプであったと聞いた時は、跳ねて喜んでしまったものだ。
まるで、席替えで隣に好きな女子が来てしまった時のような。あるいは、クラス替えで仲の良い友達と一緒だった時のような。
経験したことはないが、恐らくはそれに近い感情だったのだと思う。
思わず、ハラオウンさんの前でガッツポーズをしてしまったほどで「私と一緒にいるの、そんなに嫌だった……?」という、天地がひっくり返っても有り得ないような誤解を、ハラオウンさんには与えてしまったのであるが。
とにもかくにも、全く働きたいという意欲の無い俺を、そこにいるだけで、ほんのちょっぴりやる気にさせられる八神さんは、かなり大切で、特別な人間である。
八神はやて。
特別捜査官にして、夜天の書の主。
彼女がいなければ、今の俺は有り得なかった。
であれば、俺がそれを忘れてはいけないだろう。常に胸にその思いを、抱き続けなければならないだろう。
そうして、少しでも貰った恩を返せるのであれば、返し続けた方が良い。
他の誰でもなく、俺自身が、そう思うのだから。
「ふっふーん、お待ちしていましたです、纏さん!」
最近の俺は、どうにも誰かに待ち受けられることが多いらしい。
八神さんのもとへと向かい、テクテクと暢気に足を運んでいれば、曲がり角で唐突に目の前に現れたのは、リインフォースⅡであった。
いや、ここはもっと敬う感じで、リインフォースⅡ空曹と言うべきか。
因みにⅡは「に」でもなければ「ツー」でもなく、「ツヴァイ」である。
リインフォース・ツヴァイ。
それが文字通り、目の前でふよふよと浮いている、全長30センチメートルほどの小人──妖精の名だ。
白を基調とした制服に身を包み、青に近い銀の髪を腰ほどまで伸ばしている。
幾ら管理局とは言え、これほどまでに小さな局員は彼女だけであろう。
八神さん達譲りなのか、あるいはまだ、精神年齢が五歳児程度であるからなのか、バッチリと目を合わせてくる。
「誰ですか……?」
あんまりにも急に出てくるものだから、つい反射で特技:知らない人の振りを発生させてしまった俺であった。
リインフォースⅡ空曹は、カッと目を見開き、元気良く腹から声を出す。
「えぇ~!? リインのこと、忘れちゃったんですか!?」
「うおっ、相変わらず声が高くてデカいですね。もう少し静かにできませんか?」
「覚えてるじゃないですか!? それに、うるさくさせたのは纏さんなのですけど!?」
「まあまあ」
「まあまあ、じゃありません!」
んもーっ、と全身で感情を露にさせながら、ふよふよと俺の肩へと座るリインフォースⅡ空曹。
何をナチュラルに人を椅子扱いしているんだ、この人は──いや、人と言って良いのかは、分からないのであるが。
見れば分かるだろうが、彼女は人ではない。
かと言って、守護騎士のようなプログラムでもなければ、ハラオウンさんのようなクローンでもない。
一言でまとめてしまうのは些か難しい存在ではあるのだが、それでも強引に、一口に呼称するのであれば、
そう、デバイス。
俺の持つクラウディアや、ハラオウンさんの持つバルディッシュと同じ、俺達魔導師を支え、助けてくれる相棒。
大きく三つの種類に分けられるデバイスであるのだが、その内彼女は『融合型デバイス』という、実に特殊なデバイスに分類される。
俗称、ユニゾンデバイス。
ミッドチルダではなく、ベルカによって生み出されたこのデバイスは、言ってしまえばバルディッシュが属する、インテリジェントデバイスの究極系の
飽くまで、究極系そのものという訳ではない。というか、仮にそうだとしたら、今頃インテリジェントデバイスは廃れている。
だから、より正確に言うのであれば、一部の機能を極端に特化させた形、だろうか。
デバイスそのものに人格を与えるのみならず、俺達と同じような肉体を与え、魔力を与え、そして──使用者本人と、融合をする。
文字通り、一つの身体を二人で共有する──故に、
正直なところ、滅茶苦茶ロマンがあって俺が欲しいくらいであるのだが、しかし全く普及していないところを見れば、目を逸らしきれない欠点があることは察することができるだろう。
人格があるということは、それはもう一人の人間として扱うべきであり、ただの道具ではない。
ただの道具ではない以上、意思がある、思いがある、望みがあって、考えがある。
当然ながら、それらは使用者と合致しないことが多くあり──まあ、何というか、可愛らしく言えば喧嘩が多かったらしい。
融合した際にデバイスに身体を乗っ取られたりだとかいう、いわゆる『融合事故』というやつが。
だからこそ普及はせず、逆に廃れた。故にこそ、リインフォースⅡ空曹は管理局で唯一のユニゾンデバイスである。
誰のであるか──という点は、言うまでも無いだろう。
「せっかく、方向音痴さんな纏さんの為に迎えに来てあげたのに、意地悪です!」
「方向音痴って……いつの話してるんですか。あの時はまだ、局内をちゃんと把握できてなかったんですって」
「ふふ、研修時に何故か、真逆の南棟の地下に迷い込んで半泣きだったのに、良く言いますですね」
「ちょっと? それは二人だけの秘密って、あの時約束しましたよね!?」
突然、何の気なしに人の秘密を暴露し始めるリインフォースⅡ空曹であった。
知り合いが近くにいないからといって、気軽にそういうことはしないでほしい。
ただでさえ、何故か俺の情報は共有されがちなのである。
「ん~、でも、あの時のことは皆さん、知ってるみたいですよ?」
「何で……どうしてなの……。俺の秘密、守られていなさすぎるだろ……」
「そもそも、あの時リインが纏さんを見つけた時も、はやてちゃんと念話していましたからね」
「え? じゃあ何? 俺が"このことはどうかご内密に……"とチョコレートを差し入れした時も、ゴリゴリに念話繋ぎっぱなしだったってことですか!?」
「はい!」
はい! じゃないんだよな。
全然ご内密に出来ていないし、むしろリアルタイムで伝えられてんじゃん。
知ってるみたいですよ? じゃないんだよ。
道理でハラオウンさんの下についたばっかりの頃、やたらと手を繋ごうかと聞かれたわけだよ。
完全に迷子になりがちな小学生の扱いされてたんじゃねぇか。
「ふふん、あの時みたいにお手々繋いで、連れて行ってあげても良いのですよ?」
「気軽に黒歴史を掘り返すのはやめませんか? 俺が可哀想すぎる」
「でもリイン、お姉ちゃんというのに少し憧れていましてですね……」
「急に何の話?」
「リイン、纏さんのお姉ちゃんになら、なれると思うのです!」
「もしかして俺、今滅茶苦茶に嘗められているのか……?」
聞いた話によると、リインフォースⅡ空曹の設定年齢は六歳であり、実際に稼働し始めてからの年数を計算すれば、その半分程度もないらしい。
要するに、大体三歳児程度の幼女に年下扱いされる十六歳の男の図が出来上がっていたのだった。
なまじ泣きながら手を引かれたことがあるだけに、強く反論できないのが痛いところである。
いや、そりゃあ確かに俺は、あからさまに年下扱いされることが多いような気はするが……。
流石にこんな、妖精みたいな女の子にまで弟のような扱いをされる訳にはいかない。
「ほらほら、試しにお姉ちゃんって呼んでみてください!」
「絶対に嫌ですが……」
「……? リインお姉ちゃんでも良いですよ?」
「何で呼び方の問題だと思ったの?」
じゃあ何が気に入らないのですか? と純真無垢な瞳で俺を見つめて来るリインフォースⅡ空曹であった。
逆に何でそんな提案を気に入ると思ったのか、甚だ不思議である。
俺を何だと思ってるんだ?
「社畜型ポンコツ可愛い弟系お人好し男子、に該当するかと思われます」
「凄いやんわりとした罵倒のオンパレード出てきたな……」
「以前、ユーノさんがそう言っていましたですよ」
「スクライアさんはマジで俺を何だと思ってるんだよ!?」
あの人、俺相手なら何言っても良いと思ってない?
まあ、俺もスクライアさんなら何言っても良いか、と思ってる節があるので文句は言えないのであるが。
ついでに胃袋も握られている。
俺は既に、月に一度だけ発生するスクライアさんの奢りによる晩飯を目標に、毎日を頑張っているところがあった。
あの人の連れて行ってくれる店、外れ無しなんだよな……。
吐き出される愚痴を差し引いても、プラスしか残らないレベル。
どんどんと舌が肥えていく一方で、少々不安な今日この頃である。
「むぅ……では、お姉ちゃんになるのは一旦保留とします」
「保留なんだ」
諦めはしないようだった。
執念深すぎるだろ。
姉を名乗る不審者と、姉を名乗ろうとする不審者が所属している組織。それが管理局である。
控えめに言ってもかなりヤバイ組織だった。
「でもですね、呼び方くらいはどうにかなりませんですか?」
「と、言いますと?」
「流石に毎回"リインフォースⅡ空曹"と呼ぶのは、長いし面倒だと思うのです」
「一理ありますね」
「更に言えば、大きく厚い壁を感じてしまうのです」
「いやそれは作ってるんで。事故じゃなくて故意です」
「ふんっ!」
ベシィ! バシバシバシッ! という、軽快な音が俺の頬から鳴り響いた。
リインフォースⅡ空曹、気合の四連打である。
俺でもビックリするくらい痛くなく、むしろ良くこんなに良い音が出たな、と感心までしてしまった。
「そこで、リインの方から呼び方を幾つか提案したいと思うのです」
「ほう、お聞きしましょう」
「リインお姉ちゃん、リインさん、リインフォースお姉ちゃん、リイン空曹、ツヴァイお姉ちゃん、ツヴァイさん、です。ふふん、どれでも良いですよ?」
「姉になろうという圧が強すぎるだろ」
全然保留出来てないじゃん。
むしろ前面に出まくってるんだよ。
普通っぽい呼び名の合間合間に挟んでいる辺り、若干の小賢しさがあった。
「では、リイン空曹で」
「嫌です!」
「嫌とかあんの!? 提示された選択肢の一つなのに!?」
「これだから纏さんはダメなのです。もう少し、女性の心というのを勉強した方が良いと思うのですよ?」
何かそういうドラマとか見た? という感想が出てくる感じの説教をしてくるリイン空曹であった。
そんな気軽に勉強できるものなら、今頃とっくに彼女くらいできてるんだよな。
「じゃあ、結局何て呼んで欲しいんですか……」
「う~ん、そーですね。リインとしてはやっぱり、リインお姉ちゃんがオススメなのですが……」
「保留にするって言葉、一旦思い出してみましょうか」
「むむぅ~……」
「睨まれても屈しませんからね、俺は」
これがナカジマ先輩だったらあまりの眼力に震え上がり、思わず「はい……」と言ってしまうところであったが、リイン空曹のそれは実に可愛げのあるもので、一ミリも怖くなかった。
何なら微笑ましいまである。
「…………リインさんで、今は妥協してあげますです」
「すげぇ間があったな……」
本当に葛藤した後の妥協って感じだった。
その姉にかける情熱は何なんだよ……。
確かに八神家では末っ子扱いされているとは聞いていたが。
しかし、リインさんか。
かなりスタンダードなところに落ち着いたな、と思う反面、何とかもうちょい距離とれないかな、と思う。
いやだって……ほら。
やっぱり恥ずかしいじゃん? 名前呼びとか。
「なのはさんのことは、名前でお呼びしているとお聞きましたですよ?」
「情報が早すぎるだろ……。まあ、なのはさんは特別ですからね」
「……要するに、好きということですか?」
「違う! いや、違うってことはないですけど、そういう意味じゃなくて……く、くそぅ!」
これ何て答えても問題発言みたくなる問いじゃねぇか!
俺を遥かに超える意地悪さである。
悪意ゼロでこれなのだから、リイン空曹のポテンシャルの高さに震えるしかなかった。
「まあ、分かりました。ここは観念してあげましょう」
「! お姉ちゃんと呼んでくれるということですか!?」
「違うでしょう? 今のはそういう流れじゃなかったでしょう?」
落ち着いてください、リインさん。と、そう言えば若干嬉しいような、複雑なような顔をするリインさんであった。
やれやれ。
扱いの難しい人だぜ。
まあ、扱いが簡単な人間なんてこの世にいないと思うのであるが。
「そうですねぇ。リインも、簡単だと思うのは纏さんくらいなのです」
「俺が、簡単……!?」
「はい! 纏さんは面倒ではありますが、基本的に単純だとリインは思うのです」
「やっぱりこれ、馬鹿にされているんだよな……?」
「? 褒めてるですよ? 纏さんは、面倒だけど素直で、優しいのです」
「うぅん……」
一言で褒めながら罵倒するという、高度な連続攻撃を喰らってしまい、唸ることしかできなかった。
怒りづらいし照れづらいんだけど、何? これは……。
「俺、多分一生リインさんには勝てないんだってことだけは理解してきました」
「それはつまり、私にはいつか勝てると思ってるってことでええの?」
「いやぁ、八神さんはどうでしょうね。何言ってもボコボコにされる未来しか──ん?」
明らかにリインさんではない、第三者の言葉だったような気がして、振り返る。
そうすれば立っていたのは、茶髪を肩ほどまで伸ばした、俺と同じくらいの身長の、可愛らしい女性であった。
というか、八神さんだった。
怖いくらいニコニコとしていて、反射で時計を見れば、午後の業務が開始される時刻を大幅に過ぎていた。
…………ひゅ~!
俺は片膝を地面につけた。
「反射で土下座しようとするのはやめぇ!」
「くっ……ではやはり、腹を切るしかないですか……」
「重い重い! 戦国時代でもそんな軽々しく腹切らへんで!?」
もっと自分を大切にせぇ! という、八神さんの絶叫が響いた。
「リインのことは名前で呼んで、私のことは名字呼びなのはおかしいと思わへん?」
「うわっ、急に面倒な彼女みたいなこと言い始めたな……」
「なーんや、そんなに働きたいなら、先に言ってくれたら良かったのになぁ」
「ぎゃー! 書類の山が降ってきた!」
バサバサバサーッと溜めに溜め込んでいたっぽいファイル等の山が練成されてしまい、思わず悲鳴を上げてしまう。
何があったらこんなことになるんだよ。
マジに追い詰められてる時のハラオウンさん並みだぞ。
俺のデスクに収まり切らず、リインさん用の小さなデスクにまで書類が広がっている。
とはいえ、リインさんは別件で他部署に行った為、巻き込まれる心配はいらないのだが。
「いやぁ、それを今日中に片付けてくれるなんて、纏は優秀で助かるわぁ」
「今日中……!?」
「もちろん、出来るやんな?」
「こ、この鬼上司……!」
やってやろうじゃねぇか! とファイルを流し読みしたところ、普通に全然まとまってなくて俺は再度悲鳴を上げた。
無理だろ、これは……。
冷静になって他のも見てみたが、どれも別々の案件である。
何だこれは?
俺を殺すために用意しました、と言われても納得できる煩雑さだった。
「ま、冗談や。今週中に片付けてくれれば有難いなぁ、くらいやよ」
「今週、あと四日ですが……」
土日含めなければ、二日である。
「……申し訳ないんやけど、頑張ろな?」
「あい……」
悲しきかな。八神さんが感情を失った目でそう言うのであれば、俺もまた覚悟を決めるしかないのであった。
最近思うのであるが、俺、忙殺されそうな人のヘルプとして呼ばれることが多すぎる。
この前もナカジマ先輩のところに行ったら、別の局員にデスクワークのヘルプも頼まれ土日を犠牲にしてしまったのだ。
もしかして俺、働くのが好きだと思われているのか?
今度から"私は働きたくないです"のプレートとか首からぶら下げることにしようかな。
「絶対にやめてな。そんな子に声かけたくないわ、私」
「ん、それは困りますね。やめます」
「纏って一人でいるのは好きなくせに、構ってもらうのは好きやんな?」
「まあ、俺は常に誰かに甘えて生きていきたいと思って、毎日を過ごしていますからね」
「何て甘ったれた思想を芯に据えてるんや……」
こいつマジか、という目で見て来る八神さんであった。
失礼な人である。
ほら、良く言うじゃん。人は一人では生きていけないんだって。
俺も、全く以てその通りだと思うので、是非とも全人類は、蝶よ花よと言わんばかりに俺に
「あかん、もうその言葉を良いように捉えられんくなったわ……」
「でも、使い勝手の良い言葉にはなったでしょう?」
「やかましいわ」
ピンッ! と跳ばされてきた消しゴムがこめかみにヒットする。
消しゴムって……学生じゃないんだからさ……。
いや、年齢的には学生やっていてもおかしくないと言うか、むしろやっていた方が自然ではあるのだが。
あまり、高校生になった八神さんというのは想像がつかなかった。
八神さん、社会人が板につきすぎである。
「それって褒めてくれてるん?」
「褒めでしかないですよ。いやぁ、大人だなぁと思います」
「まあ、纏はお子ちゃまやもんなあ」
「それが罵倒ということは幾ら俺でも分かりますからね?」
「いややなぁ、褒めやよ、褒め」
ニヨニヨとしながら言う八神さん。褒め言葉じゃないですよ、と、もうその表情が語っていた。
こんなに一生懸命働いているというのに、この言われようである。
いつになったら俺は、周りから大人判定貰えるのだろうか。
「う~ん、一生無理やない?」
「一生!? そんなに俺、子供ですか……!?」
「ちっこくて可愛らしいからなぁ」
「八神さんとはほとんど身長同じでしょうが……!!」
「私と同じって時点で相当低いってことが分からん?」
「…………」
俺は奥歯を砕かんばかりの力で噛みしめた。
バリバリの成長期であったはずの、この一年で伸びた身長、約一ミリメートルである。
健康診断の時にシャマル先生に「もう、ここが限界なのかもしれないわね」と言われ、その日俺はショックで寝込んだ。
ハラオウンさんに甘やかしてもらわなければ命が危なかっただろう。
「フェイトちゃんに何やらせとるんや……」
「いや、一応言っておきますが、俺から頼んだわけじゃないですからね?」
ただ、仮眠室で虚空を見つめていたら、無言で頭を撫でられただけである。
何か膝枕とかもされた気がするが、あまりにもショックだったためか、記憶の大半が吹っ飛んでいた。
ハラオウンさんに「あの時の纏は素直で可愛かったよ」と言われる度に気合で思い出そうとするのだが、やはり何も思い出せていないのが現状であった。
「職場でイチャつくのはやめーや」
「イチャ……!?」
「何を驚いてんねん! 今の話はどっからどう聞いてもそういう話だったやろ!?」
ムッとしたように言う八神さんであった。
確かに、言われてみればそうかもしれない。
俺としては、ただの俺の情けないエピソードの一つだったのであるが。
やべーな。
そう考えたら、急に恥ずかしくなってきた。
「良し、話を変えます」
「露骨ってレベルじゃあらへんな」
「良いんですよ! この話を、これ以上続けさせる訳にはいかない……!」
「必死やなぁ」
「そういう訳で、少し早いですがホワイトデーのお返しです」
「そんな変わり方ある?」
まあええけど、と言う八神さんに、俺はきちっとラッピングされた箱を渡した。
「おぉ、想定を遥かに超えて立派や……」
「まあ、八神さんには凄いものをいただいてしまいましたからね」
手作りチョコレートケーキとか見たの初めてだったからね、俺。
ケーキをワンホール、一人で食べるという全人類の夢みたいなことが出来た時の感動は忘れられない。
しかもほっぺが落ちるかと心配になったくらいの美味であった。
これは、相応のお返しをしなければ無礼というものであろう。
「ありがとなぁ。これ、開けてみてもええ?」
「もちろんです。お気に召せば良いですが……」
「何だって嬉しいに決まっとるやん~」
言いつつ、丁寧に包装を剥がす八神さん。
え? この人、手先がすげー器用だな……。
俺なら面倒になってヤケクソの如く破いてしまいそうなラッピングなのに……。
「ん、これ……マカロン?」
「はい。食べれますか? ダメなら今すぐ他の買ってきますが……」
「いやいや、全然食べれるよぉ。ただちょっと、ビックリしてな?」
「ビックリ?」
マカロンにビックリ要素、あっただろうか。
少しだけ考えてみたが、特に何も思い付きはしなかった。
確かにちょっと有名どころのものではあるのだが、そこまで気にする程のことでも無いだろう。
「ん-と、杞憂やとは思うし、あまり気にすることでもないんやけど、一応聞いてもええ?」
「はい、何でもどうぞ」
「纏って、お返しの時だけお菓子に意味がついたりすることがあるの、知っとる?」
「え? ああ、もちろんです。リサーチ済みですよ、そのくらいは」
ビッ! と親指を立ててみせる。
何せ、下手なもん送って実は「お前を殺す」みたいな意味合いのお菓子だったりしてしまった日には、翌日辺りに俺の死体が発見されてしまうだろうからな。
マシュマロが「お前のことが嫌い」という意味だと知った時は震え上がったものである。
うっかりナカジマ先輩に送りそうだったじゃねぇか。
一番初めに「暇だしお返しのお菓子に意味付けようぜ~!」とか言い始めたやつは極刑に処された方が良い。
「マカロンの意味は、"あなたは特別な人"。中々言う機会が無かったので、改めて。俺にとって、八神さんは特別な人です」
「あ、あはは、何か、そう言われると照れるなぁ」
「貴女のお陰で、今の俺があると。本気で俺は、そう思っているので──だからまあ、美味しくいただいてくれると嬉しいです」
「……ふふっ、美味しく、なあ」
ポカンとしてから、八神さんが薄っすらと笑う。
あまり、見覚えのないタイプの笑みだった──敢えて言うのであれば、捕食者のような笑み。
妖艶で、目を惹き付けるのに、どこか恐ろしい。
コトン、とデスクに置いて、八神さんが歩み寄ってくる。
何故かは分からないが、本能的に危機を察知し後ずさりする。が、直ぐに壁際に追い込まれてしまった。
顎にそっと、優しく手を添えられた。
「なあ、纏」
「ひゃ、ひゃい……」
「纏は、本当にええなぁ。隙だらけで、考えが甘くて」
「え? なに? 罵倒?」
「それでいて、無自覚に人を煽る──」
すぅ、と手が胸元へと流れ、八神さんの顔が顔の横辺りに来る。
「──今ここで、纏を美味しくいただいてもええんよ?」
と、静かに耳元で、八神さんはそう囁いた。
……??
完全に思考が停止して、心臓だけが目まぐるしく稼働する。
微動だどころか、瞬きも出来ず、八神さんを見つめることしかできなかった。
そんな時間が、どれほど続いただろうか。
一時間だったような気もすれば、一秒だったような気もする。
不意に八神さんが、細めていた目を戻し、ニッコリと満面の笑みを浮かべた。
ぷはっ、と吹き出すように。
「あっははは! 顔真っ赤やん、纏!」
「!?」
「冗談やよ、じょーだん。当たり前やん、こんなところで襲うほど、私も獣やないよぉ」
「!!?!??」
「は~……纏のそういう、揶揄い甲斐のあるところ大好きやで」
笑いすぎたのか、涙を拭いながら言う八神さん。
それからパシパシと、俺の頭を幾度か叩いて楽しそうに言う。
「──でも、少しは気を付けた方がええで? 狼になるのは、決して男だけとは限らないんやからな」
さ、業務の続きと行こか! と八神さんが言う。
……なるほどね。
ようやく思考が元に戻ってきた。
要するに俺は、ハチャメチャに掌の上でコロコロされたらしい。
とはいえ、である。
俺はその場にくずおれた。
「ごめんなさい、ガチで動悸しすぎて具合悪くなってきました」
「えぇ!? ちょっ、纏!!?」
「たす、け………………」
「ま、纏ー!? ちょっ、ええぇ!? シャマル、シャマル助けてー! 纏が、纏がーっ!?」
八神はやてのヒミツ①
この日のことを思い返すと、赤面して暫く使い物にならなくなる、らしい。