少年は魔法使いになった。   作:泥人形

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四月になったので更新です。昨日更新したかったのにできなかったので次は五月だと思います。


月村すずかはいつか憧れたお姉さんである。

 月村すずかと初めて出会った日のことは、今でも昨日のことのように思い出せる。

 苦く、渋い思い出の始まりでもあり、同時に確かに幸せでもあった、甘酸っぱい思い出の始まりでもあったのだけれども、しかし、こうして思い返すとなれば、やはり忘れ去ってしまいたいと強く思う。

 あるいは、彼女自身も当時、このような気持ちであったのかもしれない──などと、迂闊にも傲慢に、そんなことを思ってしまうくらいには。

 忘れ去りたいというか、出来れば無かったことにしてしまいたい、そんな出会いだった。

 とは言ったものの、別に劇的な出会いだったという訳でも無ければ、壊滅的な出会いであったという訳でもない。

 むしろ、その逆と言っても良いほどで、実に普通に普通な出会いであった。

 普通過ぎるくらいには一般的で、だからこそ、輝かしいものに見えたのかもしれないのだけれども。

 月村すずか。

 夜に生き、夜を生きる者として生まれた少女。

 俺が魔法使いの才能を持って生まれたように、ハラオウンさんがクローンとして生まれたように、守護騎士がプログラムとして生まれたように。

 月村すずかは夜の一族──吸血鬼として、この世に生を受けた。

 無論、俺達が平然とした顔で世の中を生きているように、彼女にとってもそれは、生きていく上で大きな障害ではないのだが。

 本当に、言われても即座には信じられない程度の違いしか持たない彼女は、ほとんど人間と言っても差し支えのない吸血鬼であり、同時に我が親愛なる親戚……つまるところ、アリサ・バニングスとは親友であった。

 故にこそ、彼女は恐らく俺にとって、最も友人に近く、けれども友人にはなれなかった、唯一の女性になるのだろう──などと言ってしまうと、まるで俺が彼女のことを嫌っているように聞こえてしまうので、誤解を恐れずに、敢えて言わせてもらうことにする。

 俺は、月村すずかという個人のことが、嫌いであるどころか、たまらなく好きである、

 もちろん、こんなことを本人に伝えてしまえば、

 

「もう、ダメだよ纏くん。そういう言葉は安売りすると、言葉の価値が下がっちゃうんだから」

 

 と、そんな風にやんわりと窘められてしまうのだろうが。

 しかし、月村すずかという少女のことを知ってしまえば──知れば知るほどに、嫌いになるだなんてことは不可能であるのだった。

 艶やかな紫の長髪に、陶器のような美しい肌を持ち、アリサ姉さんのカウンターとして生まれてきたような、物腰柔らかい彼女は。

 俺の、初恋の相手でもあるのだから。

 

 

 

「わっ、本当に纏くんだ。久し振りだね、元気にしてた?」

「うぉっ、す、すず姉……!?」

「ふふ、そう呼ばれるのも久し振りだ」

 

 何だかくすぐったいね、と、俺の記憶より遥かに大人へと成長を遂げていたすず姉が、小さく微笑んだ。

 場所はバニングス邸、玄関──というよりは、庭の出入り口。

 お金持ち特有の、やたらとデカい庭門の前。

 時刻はまだ昼を少し過ぎた頃で、麗らかな陽光が降り注がれていた。

 それに照らされるすず姉は、まるで天使みたいで思わず拝みかけたほどである。

 

「こ、このようなところに何用でございますか……?」

「あははっ、何それ。ここ、アリサちゃん家だよ? 友達の家に遊びに来るくらい普通──あっ、ごめんね……」

「ちょっと? その謝罪、一番傷つくやつですからね?」

「纏くん、友達いないのに……」

「なになに? 死体蹴りはマナーが良くないですよ?」

「普通なんて分かりっこなかったね」

「強い強い、言葉が強い!」

 

 無慈悲に容赦なくコンボを決めてくるすず姉であった。

 普通に立ち直れなくなりそうなのでやめてほしい。

 俺、何か悪いことしたかな……。

 

「うん、したと思うな」

「参りましたね、心当たりがありすぎます。やっぱり一昨年、すず姉秘蔵のケーキを食べたのがダメでしたか?」

「あれ纏くんの仕業だったの!?」

「やっべ、全然違うじゃん」

「やっべ、じゃないよ!」

 

 もう! と可愛らしくも怒気に染まった瞳で見られ、思わずたじろいでしまう。

 自白することで罪を和らげようとしたのだが、逆に火に油を注いでしまったようだった。

 一昨年のことなんてもう、時効だと思ったんだけどな……。

 食の恨みとは恐ろしいものである。

 

「私が食いしん坊みたいな言い方は良くないと思うな……」

「デザートだけやたらと食べる女が良く言いますね」

「うっ、うるさいよ!」

「別腹はどれだけ食べても良くなる魔法の言葉じゃないですからね?」

「~~っ!」

 

 余計なことは言わなくて良いの! とバシバシ俺の頭を叩くすず姉であった。

 視界を星が飛び跳ねまくるのでやめてほしい。

 死んじゃうからね、本当に。

 

「もう、私、これでも怒ってるんだよ?」

「それは今ので十分伝わりましたが……」

「そうじゃなくて──纏くん、急にいなくなったから。アリサちゃんも私も、心配したんだからね?」

「あー……それについては、はい。ごめんなさい……」

「何に怒ってるか、本当に分かってる?」

「何も言わずに連絡断ったりして、心配かけて、本当にごめんなさい……」

 

 ぺこりと素直に頭を下げる。

 何だか最近は下げることが多くて、最早価値が無くなっているのではと不安になってきている我が頭であるのだが、しかし、頭を下げる以外に方法を知らないのでこうするしかないのであった。

 そんな俺の不安を煽るように、すず姉が「う~ん……」と唸る。

 やれやれ、参ったな。

 こうなっては奥の手を出すしかない、か……。

 

「分かりました、三点倒立をします」

「何で!?」

「いえ、土下座の進化系じゃないですか? 三点倒立って。頭を極限まで地にこすりつける、究極の謝罪フォームですよ」

「聞いたことないよそんなの……。というか三点倒立しながら謝罪されても、私どうすれば良いか分かんないよ……」

「くっ、ではどうすれば……!」

「ん~……ね、纏くん。頭上げて」

「あ、はいぐぉ!?」

 

 パァン! と明らかにデコピンで鳴ってはいけないような音が響き渡り、全身が少し仰け反る。

 うお、マジで痛い……。

 多分今頃、俺のキュートな額は真っ赤になっている頃だろう、と確信できるくらいには痛かった。

 俺が思っていたより全然怒っていたらしい、というのが言葉を介さずとも伝わってくる一撃であり、本当に申し訳ない気持ちでいっぱいになってしまう。

 

「はい、これで許してあげる。今度からはちゃんと、一言言ってからいなくなること。分かった?」

「いなくなるのは許してくれるんですね……」

「そこはほら、纏くんの人生は、纏くんのものだし」

 

 などと言いつつも、「良い音鳴ったねぇ」と笑って頭を撫でてくるすず姉であった。

 緩急の切り替えが早すぎて、脳みそがバグりそうになるのでやめてほしいな、と強く思った。

 すず姉に勘違いするなど、もう絶対にありえないのだが、それはそれとして、というやつである。

 

「……纏くん、何か変わった?」

「すげーふわふわした質問ですね……。そりゃ、一年以上会ってなかったんですから、何かしらは変わりますよ」

「それはそうなんだけどね……うーん、何だろう。雰囲気がガラッと変わった、のかな」

「雰囲気、ですか?」

「うん、ちょっと大人っぽくなったように見えるよ」

「!!」

「そういう反応するところは、凄い子供っぽいんだけどなぁ」

「!?」

 

 それでも、うん、変わったよ──と言うすず姉に、まじまじと視線をぶつけられる。

 何だか頭からつま先まで解析されているような気分になって、ちょっと居心地が悪かった。

 というか、距離が怖いくらい近いんだよな。

 緊張しちゃうからやめてほしい。ただでさえ、すず姉も大人っぽく成長しているのだ。

 

「隈、できてるね。大丈夫? ちゃんと休めてる?」

「今まさに、休みにきていたところです」

「ふふっ、そっかそっか。それならまあ、安心かな。えぇっと……フェイトちゃんの部下なんだっけ?」

「むっ、聞いてたんですか」

「さっきまでアリサちゃんたちと電話してたの。だから、その時にね」

「ああ、なるほど……だからさっき、素直に解放されたのか……」

 

 上司×3+親戚の姉に、壊れない玩具の如く振り回されていたところで鳴った呼び鈴に飛びつき、お出迎えに出た結果が現状である。

 思い返してもみれば、代わる代わる電話をしていたような気がしないでもない。

 逃げ出したつもりであったのだが、その実、アリサ姐さんの掌の上だったという訳である。

 あの人、本当に気遣いの鬼だな……。

 

「アリサちゃんの気遣いの、一割でも纏くんに備わってれば良かったのにねぇ」

「一割くらいはあると自負してますが……」

「あはは、自惚れ過ぎ~」

「ひぇ……」

 

 楽し気に笑いながら、辛辣な言葉でボコボコにしてくるすず姉であった。

 やっぱこれまだ怒ってない? 全然許されてないやつじゃんこれは。

 

「まあ、そういうところも纏くんらしくて、好きだけどね。私は」

「うわー……そういうこと言うから、勘違いする人出てくるんですよ」

「昔の纏くんみたいに?」

「そうですよ。全く、あの時のすず姉、中学生男児キラーだったんですから」

「…………」

「え、な、なに? その目は……」

 

 驚きからなのか、すず姉が大きな目を見開いて俺を見る。

 や、やべー……また何か地雷踏んだか?

 俺の美しき三点倒立の見せ場が再びやってきてしまったかもしれない。

 

「本当に……成長したんだね、纏くん」

「?」

「前までは顔真っ赤にして黙ってたのに、今ではもう、涼しい顔で流せるようになったんだって思って」

「まあ、色々ありましたからね……すず姉が中学生男児キラーから、高校生男児キラーに進化してるように、俺も進化してるって訳です」

「そんな不名誉な進化はしてないよ!?」

 

 とか言いつつ、すっ……とすず姉は目を逸らす。

 これは告白されまくってるし、フリまくってるな……というのが如実に伝わってきて、何となく真顔になった。

 まあ、それっぽいこと言ったりしなくても、すず姉はそこにいるだけでも美人過ぎて一目惚れさせてくるような人だから、仕方のないことではあるのだろうが。

 これまでフラれてきたであろう方々に黙祷、って感じである。

 というか、未だに彼氏とかいないのか……。

 何だか安心というか、それで良いのか女子高生というか、相反するんだかしないんだかも分からない、変な感情を抱くことになってしまった。

 

「いつかすず姉にも、彼氏を紹介される日が来るのかな……」

「流石にいつかは来るだろうねぇ」

「うおっ、急に自信に満ち溢れたこと言い始めたな……本当にできると思ってるんですか?」

「え、うん……出来ると思う」

 

 特に冗談ではなく、心の底からそう思ってると言わんばかりの顔で言うすず姉だった。

 あまりにも強者すぎる発言である。

 いや、確かにその気になれば幾らでも出来そうなものであるが……。

 

「まあ、暫くはその気は無いから、もっとずっと先のことになるとは思うけどね」

「何かそうやって、ズルズルと行き遅れたりしないでくださいよ?」

「怖いこと言わないでよ……。まあ、でも、そうだね。ふふっ、もし行き遅れたりしたら、貰ってくれる?」

「仕方ないですね……ちゃんと養ってくださいよ?」

「やっぱりそこは譲れないんだ……」

「俺のアイデンティティですからね」

「この世で一番無駄そうなアイデンティティだ……」

 

 さり気に酷いことを言いつつも、「それじゃあ、私が三十になるまでに相手がいなかったら貰ってね、約束」などと気軽にすず姉が言う。

 三十歳、か……。

 今から数えて、ざっと十二年後だ。

 すず姉の隣に誰かいる気は全くしなかったが、しかし、だからと言って誰もいないようにも思えなかった。

 何か……いざとなったら力技で捕まえてきそうな人なんだよな、すず姉は。

 反面、俺の隣に誰かいそうなのかと問われれば、何とも答えに困るというものであるのだが。

 そもそも明日の自分のことすら良く想像できないのである。

 十二年後とか、分かる訳がなかった──というか、想像したくすらなかった。

 立派な大人になれている自信、皆無である。

 

「何だかんだ、纏くんは立派に社会人やってると思うけどね」

「えぇ……ちょっと不穏なこと言わないでくださいよ」

「不穏なことだったかなぁ……?」

「十二年後の俺はきっと、可愛くて美人で金持ちで優しい女性に養われてるはずなので」

「うわぁ、欲に塗れてるなぁ……」

「欲を無くすと人は加速度的に老いますからね」

「そっか、だから纏くんはそんなに幼いんだね」

「ちょっと? 幼いは違うでしょう?」

 

 完全に幼稚園児とかを見る目を向けてくるのはやめて欲しかった。

 これでも社会人である──と、反論するより先に、部屋の前に辿り着いてしまう。

 中からは姦しい話声が聞こえてきていた。

 

「ではどうぞ」

「ふふっ、ありがとう」

 

 なんてやり取りの後に扉を開けば──

 

「それでね、纏がすずかに、付き合ってくださいって──」

「うおおおおぃ! アリサ姉さん!? 何言ってんの!?」

「あら、早かったわね。お疲れ様」

「罪悪感を一ミリも感じてないのヤバすぎだろ」

「あはは、その後ね、私がごめんねって──」

「すず姉!!!」

 

 この人達は俺のプライバシーを何だと思っているんだと思ったが、何だかそれについてはもう今更なのかもしれないな、と思ってしまった俺がいた。

 

 

 

 

 本当であれば、夕方頃には解散となる予定だったらしいのであるのだが、若者らしいその場の勢いでお泊り会が決行されることとなった。

 まあ、折角の長期休暇だし、そもそもあの五人は親友同士であるというのだから、考えてもみなくとも、そりゃそうなるだろ、みたいな展開である。

 とはいえ、そうなってくると流石に俺は邪魔だろうと気を利かし、嬉々として部屋へと引き籠ろうと思ったのであるのだが、アリサ姉さんがため息交じりに

 

「今更逃げるなんて考えても、遅いわよ、纏」

 

 と、相変わらずの傍若無人っぷりを発揮するのであった。

 逃げるだなんて人聞きが悪い、とは思ったが、まあ、状況的にそう見られても仕方がないし、実際その通りだったので何も言えずに押し黙ることしかできなかった。

 いや、ね。

 別にあの五人の内、誰かが嫌いと言う訳ではなく、むしろかなり好ましいくらいではあるのだが──その、ああも集団になられると、完全に「姉とその友達の中に放り込まれた弟」という、最悪の図になるので勘弁してほしかったのだ。

 気まずいを通り越して、この場で自決したいくらいには思っちゃうわけだ、こっちとしては。

 まったく、アリサ姉さんも少しくらいは俺に気遣って欲しいものである。

 やれやれ。

 弟──いや、正確には弟ではなく、ただの親戚であるのだが、まあ、姉みたいなものだし、語弊と言うほどでもないだろう──使いが荒い人である。

 

「ふふ、ほんまにアリサちゃんと纏は、仲ええんやなぁ」

「まあ、流石にもう三……四年? の付き合いですからね。アリサ姉さんは知っての通り、かなり強引な性格してますし」

「面倒見もええもんなぁ」

「そうなんですよね、八神さん級の面倒見の良さですよ。親戚じゃなかったら、養ってもらおうか本気で考えていたところです」

「すぐそういう思考に持っていくのはやめーや……」

 

 と、呆れ切った目を向けてくるのは、当然ながら八神さんであった。

 無論、バニングス邸には今、上司と親戚と昔好きだった人が集まるという、言葉にしたら意味不明な状況が出来上がっているので、そうなるのも当然と思われるのかもしれないのだが、実のところ、ここはバニングス邸ではない。

 時刻は夕方、少し前。

 俺と八神さんは今、夕ご飯の買い出しに出ていた──というのも、本日のディナーは八神さんが腕を振るうからである。

 客人にそんなことをさせるのか、バニングスは……と、思ってしまう方もいるかもしれないので、先んじて言っておくのだが、これは突き詰めれば俺の我儘である。

 単純に、今日何が食べたい? と聞かれたので、八神さんのご飯が食べたいですね、と脊髄反射してしまったところ、本当にそうなってしまったという訳だ。

 本当に、これ以上の理由が特にない。

 長期休暇中ということもあり、バニングス邸自体、あまり人が残っていなかった(当然、アリサ姉さんはこう見えて凄いお嬢様であるので、普段は執事さんだったりと沢山の使用人が勤務している)こともあり、とんとん拍子で話が進んでしまった。

 元々、泊りの予定では無かったことに加え、俺のリクエストも聞いてくれるとのことだったので、荷物持ちとしてお供しているという流れである。

 ふうむ。

 滅茶苦茶楽しみだな。

 浮足立ってきちゃったぜ。

 俺はあの日、八神さんのご飯を食べさせてもらってから虜なのである。

 世界一美味しいと断言できるくらいだ。

 

「あはは、嬉しいこと言ってくれるなぁ。でも、それはちょっと褒めすぎやない?」

「そうですか? 真っ当な評価かと思いますけど」

「まあ、纏がお世辞とか言わへんのは、もう分かっとるんやけどな……」

「お世辞言えるほど器用じゃないですからね、俺」

 

 お世辞を何の気なしに言えるのであれば、今頃もうちょっとくらい、友達がいたのではと思う今日この頃である。

 でも、お世辞って難しくないか?

 無理矢理褒める部分を見つけられる人は本当に凄いと、管理局にいると良く思う。

 こういうところが失礼だと言われる原因なのは分かっているのだが、何とも変えられない部分であった。

 

「ま、この先それで苦労することにはなりそうやけど、纏はそのままでええ……ううん、そのままがええよ」

「えぇ……明らかに短所だと思うんですけど」

「短所であり、長所でもあるんよ。それに、私は纏のそういうところ、好きやからなぁ」

「! そうですか、じゃあ変える必要はありませんね」

「変なところで素直やな……」

「まあ、自分の何かを変える努力ってそこそこ怠いですからね……。

 それに俺、八神さんのことが好きなので。好きな人には好かれておきたいと思うのが普通じゃないですか?」

「……纏、そういうところやで」

 

 突然ジト目で睨んでくる八神さんであった。

 俺、また何かやっちゃいましたか? って感じである。いや、ふざけてる場合では全く無いのだが。

 デフォルトで失礼であることに定評のある俺である。ただの日常会話でも、何かしらやらかしている可能性はまあまああった。

 

「というか、そこまで懐いてくれてるのに、未だに苗字呼びはどうなん?」

「どうなん? と言われても……」

「私の名前、嫌い?」

「名前に好きとか嫌いとかあるんですか!?」

 

 キラキラネームでもあるまいし。

 そもそも人の名前にケチ付けられるほど、失礼通り越して最低な人間になった覚えはなかった。

 因みに、好きか嫌いかと言われれば、八神さんの名前は好きである。

 

「いやでも、あれじゃないですか……」

「あれって?」

「その……今更になって名前呼びするの、恥ずかしくないですか?」

「へ、ヘタレやな~……」

「うるさいですね……」

 

 もう一年以上、八神さん呼びで通しているのである。

 ちょっと保留にしていた、なのはさんとは事情が違うというものであった。

 

「それにほら、いきなり名前呼びとかし始めたら勘違いされるかもしれないし……」

「なんてアホな思考しとるんや……」

「アホとは失礼ですね。これでも出世コースに乗るかと期待してたんだけどねぇ、と偉い人から言われるくらいには優秀な男ですよ、俺は」

「それはもう諦められとるやん!」

 

 悲しい現実を突きつけて来る八神さんであった。

 いや、俺にとっては別に、悲しくもなんともないのであるのだが。

 現状に大満足しているし、そもそも八神さんの仕事量を見ていると、"出世、絶対にしたくねぇ……"という気持ちが湧き上がってくるほどである。

 こういうスタンスが、同期から冷たい眼で見られる要因なのかもしれないな、とふと思った。

 とはいえ、優秀でごめんなさいと謝りでもしたら、本気で恨みとか買いそうなものである。

 人間関係ってやつは難しいな。

 

「明らかに難しくしてるのは、纏自身のせいやけどなぁ」

「みんな、もっと俺に寛容になって欲しいところですよね、まったく」

「小心者のくせに、そういうところは我儘やな……」

「小心者は関係なくない?」

 

 それはそれとして、その通りではあるので否定は出来ない俺であった。

 まあね、大きな心なんて身の丈に合わないので、このくらいがちょうど良いのである。

 

「屁理屈ばっかりこねる子やな……それで、やっぱり私の名前は呼べへんの?」

「拘りますね、そこ」

「んー……まあなぁ、どうしても嫌って言うなら、ええんやけど」

「あっ、ちょっと悲しそうな顔しないでくださいよ!」

 

 何か、悪いことをした気分になってしまい、何を言って良いのか分からなくなる。

 しかし、名前呼びか。

 前にも話題に上がった気がするな、と思い出す。

 これまで、頑なに遠慮してきた訳であるのだが、冷静に考えてもみれば、今更になって気にすることではないのかもしれない。

 いや、勿論それは、相手が八神さんだからであり、他の人であればまた別であるのだが。

 たかが呼び方ひとつ。けれどもそれに、一番拘っているのが俺だとするのならば。

 やはり、きちんと言葉にするのが、誠実な在り方なのかもしれない。

 

「…………」

「あれ!? そこは呼んでくれるところやないん!?」

「いや、ここまで場を整えられるとハードルが凄い上がるなと思って……」

「ヘタレすぎやろ……」

「いや待ってください、もう一回チャンスをください!」

 

 ふー、と息を整える。

 何でこんな、告白するみたいな緊張感を抱かなければならないのかと思わなくもないが、もう仕方がないだろう。

 ここまで時間をかけすぎた俺に、大体の責任があるのだから。

 

「えぇっと……はやてさん」

「んー? 聞こえへんなぁ」

「ぐぬっ……は、はやてさん」

「もっとハッキリ言うてくれへんかなぁ~」

「はやてさん!」

「ふふっ、もっかい」

「はやてさん!!」

「もーいっかい」

「はやてさん!!!」

「あんまりおっきな声出すと、ご近所さんに迷惑やで? 纏」

「は? おいおいおい……」

 

 誰のせいだと思ってんだよ! と言いそうになって、途中でやめる。

 というか、口を閉じざるを得なかった。

 そのくらい、八神さん──はやてさんは、花開くような笑顔をしていたからである。

 

「何笑ってんですか……」

「いや、な? ふふっ、嬉しいなぁって思って」

「ははぁ、まあ、このくらいで喜んでもらえたなら、俺としても喜ばしい限りですが……」

 

 まあ、もちろん、俺にとっては"このくらい"で済ませて良いほどのことではないのだが。

 しかし、こんなに可愛い笑みを見れたのであるのなら、呼んで(呼べて?)良かったな、と少しだけ思う。

 ただ、こうなって来ると今度は、ハラオウンさんに似たような詰め方をされそうだな、と何となく思った。

 想像するだけでめんどくせぇな……。

 

「あ、今他の女の子のこと考えたやろ」

「え? こわっ……何で分かるんですか……」

「分かるものなんよ、女の子はな」

「え、エスパーだ!」

 

 もう二度とエスパーとかいる訳ねぇだろ、とか言えなくなってしまった俺であった。

 これが、伏線回収……!

 

「女の子といる時はな、その子のことしか考えちゃダメなんやで?」

「マジかよ、思想の自由が失われている……」

「法なんて律儀に守ってる人の方が少ないからなぁ」

「仮にも管理局の人間が言って良いことじゃ無くない? それは」

 

 当たり前みたいな顔で、無法なことを言い出すはやてさんだった。

 それを守らせるのが俺達の仕事だろうが……! と思ったが、管理局の労働環境を考えたら、一番守れてないのは俺達なのかもしれない。

 管理局、恐ろしい組織である。

 

「さ、それじゃあ行こか」

「……? はい」

「お手するみたいに、乗せてくるやん……」

「え!? 違うんですか!?」

 

 手を出されるものだから、てっきり、そういうことなのだと思ったのだが、そうではないらしかった。

 言葉によるコミュニケーションでさえ、難しさを極めているのに、それすら排斥したら全く通じないという良い例である。

 

「いや、間違ってる訳では無いんやけどな……つまり、こういうことや」

「わわっ、ちょっ、えぇ……?」

「ふふっ、私とこうするのは、嫌?」

「嫌な訳ではないですが……」

 

 むしろ、はやてさんは良いのかよってくらい、腕も指も絡めてくるはやてさんだった。

 嫌ではないが、滅茶苦茶やめては欲しい。

 この人、俺を医務室送りにしたことをもう忘れたのか……?

 

「いや、アレについては、ほんまにごめんって……まさか纏が、あそこまで軟弱だとは思わんかったから……」

「謝りながらさり気にディスるのはやめませんか? 俺が可哀想」

「せやから、これは、こうやって少しず~つ、慣らしてあげようっていう、私の心遣いなんよ?」

「なんて有難迷惑な心遣いなんだ……」

 

 というか、慣らすも何も、距離自体はこの前と大して変わっていないのだった。

 多分、はやてさんは俺をここで殺す気なんだと思う。

 そう思って見てみれば、心なしかはやてさんの目は狩人のそれになっていた。

 命を狩り取る気満々じゃん。

 

「え? いや待ってください、もしかしてスーパーとかもこれで行くんですか!?」

「当たり前やん、そうやないと、慣れさせられないやろ?」

「ぜ、絶対に嫌だ……俺は帰らせてもらいますよ!」

「道、分かるん?」

「…………」

 

 思わず押し黙る。つまりはそういうことだった。

 無論、海鳴市に全く来たことが無い訳ではないが、移動する時は大体アリサ姉さんの車での移動だったのだ。

 道とか把握できてる訳ないだろ。

 

「こんなところで、道に迷ってアリサちゃんたちに連絡入れたくはないやろ?」

「ぐおぉ……こんなことが許されるのか……!?」

「私が許しとるんやで」

「神か何かなんですか?」

 

 いや、そりゃあ、女神様だと言われたら、ちょっと信じてしまいそうなくらいには、可愛いはやてさんではあるのだが。

 そうだとしても、尊大すぎるのであった。

 しかし、まあ、ここでゴネていても、普通に帰るのが遅くなって怒られが発生するだけである。

 完全にはやてさんの思惑通りな気がしなくもないのだが、ここはもう、諦めるしかないだろう。

 

「せめて買い物中くらいは離しませんか?」

「ふむ……仕方ないなぁ」

「良し!」

「でもその代わり、リクエストは一品までな」

「ズルすぎだろそれは……」

 

 究極の選択を強いてくるはやてさんであった。

 結局のところ、スーパーで好奇な目線に晒されたことから、俺がどっちを選んだのかは言うまでもないだろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




八神はやてのヒミツ
 この日から纏と会う頻度が増えた。
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