グラーフと
港に着くとすでに
「さて!あとは真っ直ぐ横須賀鎮守府に戻るだけです。
最後まで気を抜かずに周囲の警戒を怠らないようにしましょう!」
皆、了解の意を返すと阿武隈の後についていく。
すでに太陽は傾き始めているが、阿武隈が出発前に言っていた日没までに鎮守府に戻るという行程は問題なく消化できそうだった。
ここまでの道中で深海棲艦に遭遇することもなかったし、目的の一つでもある深海棲艦用警戒レーダーの保守部品交換作業も滞りなく終えられていた。全く持って順調な任務状況である。
グラーフにとって初めての航海だが、大きな問題も無く後は帰路につくだけとなった。たしかに自分が水上移動に不慣れせいで途中で二組に分かれることになったが、それ以外は艦隊の皆に大きな迷惑をかけずに済んでいる。
「何もなく横須賀に帰れそうですね」
この事実に安堵してつい口をこぼす。
「おーとっと、グラ子~。そういうことは言わない方がいいなぁ」
すぐに
「え?どうしてですか」
「まあ、ジンクスだよ、ジンクス。フラグが立つ、という言い方もできるかなぁ。
『このまま無事に帰れる』『敵は弱い』とかもそうなんだけど、油断や不吉な物言いは現実になる」
「内容にもよりますけどね。単に油断を現したものであれば、口にしない方がいいです。そのまま油断した行動をとっていると判断されますよ」
艦霊に限った話ではないが、ゲンは担ぐものだった。人事尽くして天命を待つ、考えられる不確定要素はつぶして実行に移すべきである。
「すみません……」
「あははは。ちょっとおどかした言い方でごめんよ。
でも、
「ん?」
二宅島を出発してしばらく。赤城が異変に気が付いた。
「……阿武隈さん、深海棲艦と思われる影が右方向に見えます」
「え?ここでですか!?」
赤城が遠目に深海棲艦がいたと報告すると、旗艦である阿武隈が焦った声を出す。艦隊内に緊張が走る。
「はい。間違いないと思います」
「皆さん!とりあえず、各員相互距離を交戦時規定距離まで開けてください」
阿武隈が艦隊に密集しないでお互いに距離を取るよう指示を出す。密集していると敵攻撃が来た時にまとめて被害を受けて艦隊全部の機能を喪失しかねないからだ。
指示を受けた艦隊のみんながサァーと白い航跡をバラバラの方向へ引きずっていく。みな手慣れた動きだった。そしてポツンと残されるグラーフ。
「あの、阿武隈さん。それってどれくらいの距離なんですか?」
交戦時規定距離がどれくらいなのか分からないグラーフがおずおずと質問する。この状況で分からないでいて、後で怒られる方が嫌だなと考えたからだ。それに油断してよい状況ではないことは素人にも分かる空気に変わっていた。
「100メートル離れれば大丈夫。あたしが親指の先ぐらいの小ささに見えたらそれでOKです!」
阿武隈がグラーフの質問に分かりやすく答えてくれる。さすがに旗艦を務めることだけのことはあって、素人に対しての答え方に配慮がうかがえた。
そうして適当な間隔を空けるための移動を完了させる。阿武隈が一番経験値がある赤城に目視で分かる範囲で深海棲艦と想定移動勢力の状況を報告するよう指示する。
「赤城さん!鎮守府に報告しますので、第一報する内容を教えてください」
「はい。了解です」
赤城が静かに返答する。その声色に焦りや緊張は感じられない。
「方位90で我々とほぼ並行の方位10方向で航行中。数は7。艦種不明」
「数は7ですね。艦種はまだ目視で確認できず、と」
「あ、すみません。数を修正します。8です。重なって見えていました」
「了解です。数は8。赤城さん報告続けてください」
「はい。報告続けます。現状、こちらに対して脅威のある行動は取っていません。速力は約15~17ノット。深海棲艦としては平均的な速力。
ただ、進行方向が房総半島沖です。すでに陸上のレーダーで捉えていると思うんですが、どうなんでしょうね。第一報終わり」
「赤城さん、ありがとうございます。これから鎮守府へ報告します」
一連の報告を終えて阿武隈は手元の衛星電話を取り出して横須賀鎮守府に連絡を取り始める。
「こちら旗艦阿武隈です。横須賀鎮守府お願いします」
これ以降の艦隊内で解放している無線から聞こえてくる阿武隈と鎮守府との会話は何も教育を受けていないグラーフには理解がしづらいものだった。現状報告をしているのだろうということだけは伝わってくるが、会話の端々に出てくる専門用語が意味不明だったためだ。
「横須賀で第一報をもとに過去交戦記録データベースを参照。軽空母1、重巡1~2、軽巡1~2、駆逐4の構成と推測結果が出ています。
それに敵艦隊が房総半島沖へ向かっている状況が変わらないのであれば、この艦隊で殲滅可能かどうか打診されています。阿武隈は可能だと返答するつもりです。
皆さんはいかがでしょうか」
阿武隈が横須賀鎮守府へ報告した結果、阿武隈艦隊で敵深海棲艦を全て倒せないかと打診された。新たに増援を横須賀鎮守府から送って対応するより、現に今ここにいる艦霊で対応した方が早く、また安全に処理できるだろう。
また、過去の交戦記録から推測される敵深海棲艦の艦隊構成についても、高練度空母が2隻いる状況なら十分に対応可能という判断によるものだった。
「問題ないと思います。気づかれる前に片付けましょう。ただ、こちらの艦載機で上空から敵のより詳しい状況を確認すべきです」
「もちろんです。赤城さん、隼鷹さん。艦載機の展開、よろしくお願いします」
阿武隈の指示を受けて赤城と隼鷹があっという間にそれぞれ約50機程度の艦載機を放つ。グラーフとは発艦方法が異なるが、同じ空母としては見ていて惚れ惚れする展開の速さであった。それは空母の艦霊として一つの目標とすべき到達点であった。
赤色と紫色の艦載機が一定の間隔を成して急上昇していく。敵艦隊までの相対距離が短いため、接近中に徐々に高度を上げていく方法が取れない。発艦したその場で急上昇して高度を取り、敵艦隊を観察して状況を空母に報告し、その後に急降下しながら攻撃を図るというオードソックスな戦法である。
赤城と隼鷹が艦載機を放ってからおよそ1分後。赤城が艦載機の妖精からの報告を知らせる。
「艦載機から第二報。深海棲艦に間違いありません。数は8。軽空母ヌ級7、駆逐イ級1、全てノーマル型です。そのほか第一報から変化無し」
「了解です。横須賀に報告します!」
すぐに阿武隈が横須賀鎮守府に連絡して阿武隈艦隊で遭遇する敵深海棲艦を処理することを告げる。
「はい、はい。いえ、目視範囲及び艦載機視程範囲に公民ともに船影ありません。はい、そうです。……了解です!」
皆さん、交戦指示がありました。これより敵深海棲艦艦隊を横0926-1と呼称。艦載機から敵味方識別信号を発信し、誤認リスクの低減後に先制攻撃をしてください。赤城さん、隼鷹さん、お願いします」
「はい」
「了解さ」
今のところグラーフにとっては、阿武隈と赤城、隼鷹の淡々とした報告が無線から聞こえてくるのみだ。
エンタメ要素の強い映画や漫画であるような叫びながら現状報告する雰囲気ではなく、むしろ動きの少ないスポーツや将棋などの実況の方が近いだろうか。
ここまででグラーフは何もしていないし、何かするよう指示を受けていなかった。同じ空母の赤城や隼鷹は阿武隈の指示に従って艦載機を出しているのに、同じ空母のグラーフは単に停止しているだけだ。
「阿武隈さん、あの、自分はこのまま待っていればいいんでしょうか……」
グラーフが思わず無線で阿武隈に質問してしまう。このまま黙っていいのだろうかと。
「あー……。そうですね……、はい、見ておいてください」
だが、最初から阿武隈はグラーフを戦力として勘定に入れていなかった。正式配属されておらず、上司である河口からは哨戒任務の見学をさせてくれと言われているのみだ。
「阿武隈~、せっかくだからグラーフも艦載機飛ばさせてもいいんじゃない?いい機会だと思うんだ」
「え。えーと、どうしましょう……」
「よろしいんじゃないですか。隼鷹さんは後輩指導が熱心ですし」
「赤城さんも……」
この場面で隼鷹がグラーフも艦載機を飛ばしてはどうかと提案してきた。彼女が考えていることは、幸い敵艦載機は比較して性能の低いノーマル型であると報告から推測されており、実践の空気を体験させる良い機会ではということだ。また、訓練していない艦霊空母の艦載機が混じっても攻撃に大きな支障はないし、そういう異物があったところで現状の行動に影響しないという経験値に裏付けされた自信もあった。
ここで悩ましいのは阿武隈である。旗艦としては艦隊全体のリスクマネジメントを考えなければいけない。とは言いつつも隼鷹の意図も理解できる。それにあらゆる面で先輩である隼鷹からの提案だ。しかも鎮守府最古参で最高練度を誇る赤城も容認した。優先されるべきは旗艦の判断だが、旧兵の意見をすぐに否定することもできず、判断にブレが生じようとしている。
「……今更の確認で申し訳ないんですが、グラーフさん、艦載機の飛ばし方はわかりますよね。大丈夫ですよね?」
「は、はい。昨日の演習場で一通りやりました」
「えーと、深海棲艦がどういう形状や動きをするかは……、今朝の私の座学だけか……」
阿武隈は数秒だけ考えて決断する。敵との相対距離はせいぜいが5キロ弱。航空機なら1分もあれば、逆にこちらが襲われる距離である。もしかしたら今こうしている間にも気づかれて敵艦隊に動きがあるかもしれない。ゆっくり考えている時間はなかった。
「了解です!隼鷹さんたちの言う通り何事も経験です!グラーフさん、2人の指示に従って行動してください」
「りょ、了解です」
阿武隈がグラーフにも攻撃に参加するよう指示をする。とは言え具体的な艦載機の運用は専門家である赤城や隼鷹に従うようにという大雑把な内容である。そこまで逼迫した状況ではなかったし、専門外のことを専門家の前で口にする状況でも、まだなかった。
「あ、敵軽空母から艦載機が発艦しました。こちらの存在に気が付いたようです。これで深海棲艦と確定します」
「
「対空警戒!」
長波と風雲が口をそろえて返答する。風雲が若干反応に遅れつつも2人とも艤装の25mm連装機銃を空に向け、12.7cm連装砲をピタッと構える。
「それにしてもあまりないケースですね。軽空母ばかりの構成ですし、数が多いのが気掛かりです。防空さえしっかりしていれば、艦霊にはあまり脅威にならないシチュエーションですが、今は対空戦闘向きの艦が3人しかいません。さっさと片付けた方がいいですね。先手は取れましたが、意外と面倒な状況です。
っと、接触、交戦開始しました。艦載機から第三報。第一次攻撃で軽空母ヌ級6の撃沈を確認。大破の敵残存艦2が回避行動を取っています。敵艦載機のうち30程度がこちらに向かっているとのことです。
よって第二次攻撃隊出します。阿武隈さん、隼鷹さん」
赤城が開幕爆撃雷撃戦の結果状況を報告する。初手の攻撃で敵艦隊を構成する8隻のうち6隻を轟沈させ、残り2隻も瀕死の状態にさせるという一方的な展開になった。
しかし、深海棲艦の空母が轟沈する前に30ほどの艦載機を放った。それが赤城たちの艦載機の攻撃から逃げ切り、こちらに向かっている。十分に予想され得た状況であり、赤城は迎撃のための第二次攻撃隊を放つことを具申した。
「了解です。赤城さん、隼鷹さん。お願いします」
「はいよ。あたしはこの二次攻撃で定数ゼロになる」
「第二次攻撃隊、全機発艦!」
緊急用の4機だけを残して艦載機を全て発艦させた隼鷹はグラーフに無線で声をかける。自分の艦載機を艤装の妖精を通じて管理しながら、グラーフにも口頭で指示をしていく。
「さあて、グラーフ。お前の予期すべき事態にして良きすべき初陣となることを祈ろう。ゆっくりで構わない。まずは艦載機を3機出してみよう。その場に停止して慌てず一機一機確実に」
「は、はい!」
グラーフの艤装の妖精、ヒンメルがすっと現れて注意を促してくれる。
『飛行甲板の向きに注意しろ。海面に向けるなよ。仰角12度で構えろ。分からなければ大体でいい。とにかく下に向けるな』
緊張して震える手でカードを飛行甲板裏のスロットに入れる。艤装はこれまでと全く同様の動きで艦載機を発艦させた。
最初の一機を出した直後、前方上空から赤城や隼鷹の艦載機と違う岩のような形の敵艦載機が飛来してくるのが徐々に見えてくる。どういう機構で飛んでいるのか外見から想像できないが、その機動はこちらの航空機と同じように着実に接近してきた。敵艦載機の音が遅れて肌と艤装を揺らし始める。
「敵艦載機、10秒後に本艦隊対空警戒範囲に侵入します」
「長波さん、風雲さん、対空戦闘用意!射程に入り次第迎撃してください!」
「対空戦闘用意!!」
阿武隈たちが接近してきた敵艦載機を迎え撃つ用意にかかった。一方、グラーフはまだ1機の艦載機を発艦させただけだ。
「ひぇ……」
「焦るなよ。今度は艦載機を出しつつ微速でいいから、今いる場所を中心として円を描くように移動してみろ」
新しい指示が隼鷹から飛んでくる。だが、すでにグラーフは初めてのことだらけな指示と経験したことのない刻々と変化する戦場が突如現れたことでパニックに陥っていた。
ここで運が悪かったのがパニックになったと言えば、すぐさま隼鷹が駆け付けたのだが、グラーフの状態に隼鷹が気づくのが遅れたこと。初手の航空戦で敵を漏らしたこと。敵軽空母から発艦された艦載機の能力が偶然にも高かったことなど見落とした不運が重なっていた。
後日、艦載機の妖精の報告によれば、敵軽空母の中に従前のデータになかった特に能力の高い新型フラグシップ級が1隻いたということが判明した。つまり会敵時の報告が全て正確ではなかったということだ。油断やミスをすればやられるのが戦いの掟である。
敵艦載機が阿武隈艦隊の対空砲火の有効射程内に入る。あらかじめ迎え撃つ用意をしていた味方艦載機と対空砲火で次々と撃ち落されていった。
彼我で機動性に劣る敵艦載機が殆どだが、特に機動能力が優れ残存したものが数機混ざっていた。それは艦隊の中で明らかに動きが悪い1隻の艦霊に標準を定めていく。すでにこの敵艦載機に戻るべき母艦はない。ならば少しでも戦果をあげるようにと対空砲火の網を決死の覚悟でかいくぐる。
初めにそのことに気づいたのはこの艦隊で一番練度が高い赤城だった。続いて隼鷹もすぐに敵艦載機の動きを見て理解する。
「隼鷹さん!」
「分かった!先にあたしが動く!」
隼鷹が赤城に答えるや否や全速力でグラーフのもとへ向かい始める。だが、空を駆ける航空機の方が早いのは明らかだった。
油断した!隼鷹が舌打ちしながら未熟な艦霊に即刻退避するよう手元の無線に大声をかける。
「グラーフ!!その場から離れろ!!」
「え?」
隼鷹が敵艦載機から機銃掃射が来るからその場から移動しろと強く迫る。
だが、すでに間に合う状況ではなかった。油断と不運が重なって起こった事態だった。
敵艦載機からグラーフ目掛けて機銃掃射が放たれる。一瞬の出来事だった。
次の瞬間、グラーフはまるで自分が爆発の中心部にいるような感覚に陥った。身体を大きく揺さぶる衝撃とドーンッという大きな音、そして目がチカチカとくらむような閃光に包まれる。まるで落雷が直撃したように感じていた。
そして、身体を支えていた足の感覚が一気に無くなった。膝の力はパンクしたタイヤのように抜け、尻もちをついて後ろに倒れる。
ここでようやく自分が敵艦載機から撃たれたことに気づく。ただ、感覚が鈍い。左腕と右足に少し熱を感じる程度で、もしかすると銃弾が足に残っているかもしれないのかなとぼんやりと考えた。
覚醒した意識に身体が追いつく。首を動かして痺れを感じる左腕を見ようとする。
だが、そこには血まみれの荒い切断面とねじ切られた白い骨しかなかった。すでに左腕は上腕部分から無くなって海に沈んでいる。反射で瞳孔が一気に限界まで開いた。
「うぁ……、ぎ、ぎゃああぁあいぃぁああ!!!」
首が動くのに遅れて喉もようやく反応する。この世界に来てから初めて出した声量だった。
右足に視線を動かすと太ももの真ん中から先が喪われていた。反対の足には赤黒い血しぶきがベタッと付いている。突然に片足を失って立てる人などいない。バランスを崩して尻もちを付くのは当然のことだった。
「うぁわあぁぁあああああぁ……」
錯乱したグラーフに次にやってくる敵艦載機の機銃掃射など見えるわけがなかった。
敵艦載機からパララッと軽い音を立てて放たれた銃弾がグラーフを真っ直ぐに捉えて向かっていく。そのうちの一発が白くきれいな首元に吸い込まれていった。
「か、ふっ」
唇のすき間から空気が漏れる。随意で動く肉の音ではなかった。
空に浮かぶ岩のような敵艦載機、雲間からの眩しい太陽の光、そして直後に見える深い青色の海面。それが宙を舞ったグラーフの頭部が最後に見た景色だった。
大丈夫です、きちんと続きます。
続きが気になるようでしたら、嬉しいんですけども……。