翌朝、目覚めると服を着たまま眠りについてしまったことに気づいた。ぼんやりと昨日のことを頭に思い浮かべる。
結局、昨日の歓迎会で用意された料理に殆ど手を付けなかった。どうしても食欲というものは湧いてこなかったからだ。
「朝ごはんは食べ……、なくていいか……」
昨日、寮を含めて鎮守府内施設を施設課の
そもそもこの体は不思議と空腹を覚えなかった。昨日からずっと初めてことだらけで緊張しているとしても、食欲が湧かないというのは、人間じゃなくなったのかと嘆息してしまう。
とはいえ、睡眠欲だけはあるのか、昨夜はベッドに仰向けになって目をつぶっていたら眠ることはできたが。
首だけ動かして部屋の壁掛け時計に視線を移すと、集合時間まで時間がまだまだ十分にあることを示している。けれど、取り立ててやることがあるわけではなかった。
「特にやることもないし……。早いけど演習場に行っちゃうか」
ベッドから起き上がって部屋を出る。誰もいない静かな廊下とロビーを抜け、昨日もらったスニーカーを履いて寮の玄関の扉を開ける。
寮の外に出て空を見上げると、やや雲量が多いが爽やかな青色が広がっていた。途中、誰ともすれ違うこともなく、演習場へのかなり高低差のある急な階段を足元に注意しながら下っていく。鼻孔に入ってくる潮風は海に近づいていることを教えてくれる。
「艤装とセットなのか分からないけど、ヒールのあるシューズより、もらったスニーカーの方がいいよな」
演習場までの道中、少しだけ足取りが軽く感じられたのだった。
演習場に着くとすでに
3人で雑談をしながら、三脚に撮影用ビデオカメラを海の方向に向けてセットしている最中だった。
「おはようございますグラーフさん」
「なんだ、集合時間より30分も前に来たじゃないか。今から迎えに部屋に行こうと思っていたのに」
近づくと赤城たちが挨拶をしてくれる。
「赤城さん、隼鷹さん、河口さんおはようございます。
あの、なんでカメラを用意しているんですか……?」
「そりゃあ、もちろん記録に残すためさ。今からグラーフのチート能力を確認するのに紙の報告文書だけじゃあ不足なんだと」
隼鷹がカメラを設置している理由を説明する。
それを聞いていた河口がちょっと早いけど予定を前倒しで進めてしまおうと言い出した。
「まずは今日やることなんだけども、艤装の全景撮影から入ります。昨日の夜、
しばらくしたら、明石さんも直接ここに来るけど、映像記録でも残すことになった。私の生命の安全のためにも頼むよ」
「はあ、なるほど……」
「艤装の撮影が終わったら、次は装備されている副砲や機銃の動作確認。
最後は艦載機を全て出して。ある程度時間をかけて構わないけれど、飛ばした艦載機の収容時間も考慮する必要があるから、午前中で終わらせるようにしてね。たぶん、全部終わるのに夕方までかかると思う」
グラーフは河口に夕方までかかると言われて少し意外に思ってしまう。また、副砲や機銃も使ってと言われたが、昨日のことをふと思い出す。そうだった、試しにやっていたら使えなかったんだと伝える。しかし、河口によるとその動作不良も含めて記録したいとのことだった。
そして最後に質問はないかと問うてきた。分からないことが分からない状況であり、何を聞けばよいのかも今はぱっと思いつくことがなかったため、特にないと答えると早速開始するよう促される。
カメラの後ろに立っている隼鷹は録画始めたと声をかけてくる。
「じゃあ、グラーフさん。艤装を出してください」
「はい」
昨日言われたことを頭の中で反復する。目をつぶって頭の中で響く声に集中し、思考を意識の底へ沈めていく。視点を体の内側に向け、少し待つと遠くから昨日会った妖精の声が聞こえてくる。
「目を開けてください。艤装が展開されていますよ」
赤城に声をかけられて目を開けると腰回りにはごつごつとした船のパーツを形どった装備が姿を現していることに気づく。サーフボードのような大きな飛行甲板も自分の意志に合わせて動くことも分かる。順調に艦霊として適応できているのかなと少し思う。
そして、少し視線が高くなっていることに気づき、足元に違和感を覚えたので下を見ると、演習場に来るまでに履いてきたはずのスニーカーではなく、歩きにくい艤装の靴に変わっていた。
「あれ、靴が変わってる……」
「ん?ああ、グラーフ。艤装展開時に身に着けていた艤装以外のものは無くなっちゃうんだぜ。
ちなみに艤装には普段来ている服装も含まれるからな。艤装を出すときは身に着けているものに気をつけてな」
「そんな……」
「まあ、また新しいのもらいなよ。まだ寮の倉庫に余っているのがあんだろ?」
せっかく選んだ動きやすいスニーカーがどういう原理か不明だが、消えて無くなってしまった。あらかじめ言ってくれれば、脱いでから艤装を出したのにと少し不満を覚える。
「あ、言い忘れていたけど、寮の部屋とかで艤装を出すなよ?あたしや赤城みたいに艤装が大きくないのならともかく、グラーフの艤装だと狭い室内で出したときに周囲の壁とか物とかに干渉して艤装自体にダメージが出ちまう」
三脚に固定していたカメラを外して手に持って、グラーフの周りを回りながら撮り続ける。その最中に隼鷹が艤装の出す場所の注意点を親切に教えてくれるが、そもそもの話として気になることを尋ねる。
「今更なんですけど、艤装ってどういう原理で出てくるんですか?」
「分からないねぇ。たぶん、世界中の誰も知らない。分かってんのは艦霊が思考の中で望めば出すことのできる、深海棲艦への唯一の確実な対抗武器ということぐらいさ」
隼鷹がバッサリと分からないと答える。
「グラーフさん。申し訳ないが私たちはその簡単な問いへの答えすら持ち合わせていない。正直言って艤装の詳しいことはまだまだ分からないことだらけなんだ。
ただ、我々の目の前に出現する敵、深海棲艦は倒さないといけない。みんなの安全と生活を守らないといけない。それだけは確かなことなんだ」
河口も正直に艤装についてはよく分かっていないことが多いと答える。しかし、深海棲艦への対抗手段である艤装自体に謎が多くとも、自分たちのやるべきこと、グラーフたちにやってもらいたいことは明白であった。
よく分からないことであったとしてもそれを何とか飲み込んでもらえないか、それを理由に戦いたくないとか言って欲しくない、という思いがにじみ出る物言いだった。
「河口ぃ……、人を説得するの下手くそって言われたことない?」
それを横で聞いていた隼鷹がジト目で見ながら河口を腐す。
「ああ、申し訳ない。余計な一言だった。
では、次に副砲と機銃を撃てるかどうか昨日と同じように試してもらいたい」
グラーフは隼鷹が艤装の撮影を終えるのを確認すると、艤装の展開時に自動的に手に現れる機銃を誰もいない海の方向へ構える。もしかしてと淡い期待をもって引き金を引くが、ガチャガチャと軽い音を立てるだけで弾は出なかった。
艤装に付いている4門の副砲についても砲台だけはギギギと音を立てながら動くが、いくら待っても砲口からは何も出なかった。
昨日と同じく理由は不明だが、機銃も副砲も使えなかった。どういうことか。自分が元は人間の男できちんとした艦霊ではないことが原因なのだろうか。改めて考えてみてもさっぱり分からない。こんな無意味な制限をかけなくてもいいのに、と行き場のない感情が頭を占める。
悩みながらふと横を見ると艤装の先端に昨日見た妖精が足を出しながら座っているのに気づく。妖精は艤装を艦霊と協力して動かしていると言っていたことを思い出す。餅は餅屋、もう一度確認も兼ねて聞いてみるのが一番だろうと考える。
「あの、妖精さん。聞きますけど、やっぱり副砲も機銃も撃てないんですか……」
『昨日言ったじゃねーか。撃つのに障害があるって』
グラーフが艤装を管理している妖精に尋ねてもけんもほろろに副砲も機銃も使えないという回答が返ってきてしまった。
ただ、昨日と変わらない回答をしてはきたが、答えてくれたことには確かなのでお礼を言った方がよいだろう。そう考えたところ、はたと気づく。
「……そういえば、艤装の妖精にも個別に名前ってあるんでしょうか……?」
『ああ!?あるに決まってんだろう。むしろなんでそれを最初に聞かない』
妖精がグラーフを見ながら二頭身の大きな顔の口を曲げながら語気を荒げる。
「あ、そうですよね……。すみませんでした……」
失敗したとグラーフは思った。妖精は艤装の付属物のような存在かもしれないが、こうして話の通じる存在だ。最初に名前も尋ねず礼儀を欠いてしまったと後悔する。
けれど妖精はすぐに表情を柔らかく崩す。
「そう簡単に艦霊が謝るな。君は俺たちの主人たる存在だ。もっと堂々としてもらいたい」
「す……、えと、はい、分かりました」
「おれはヒンメル。この艤装の妖精の代表みたいなもんだ。君にはもっとしっかりとした態度でいてもらいたい。改めてよろしく頼むぞ!」
「はい。妖精のヒンメルさん。至らないことばかりですが、よろしくお願いします」
妖精のヒンメルがにやっと笑って小さな手をグラーフに差し出す。少し考えて人差し指をヒンメルに向けるとそれを握って返してくれた。ヒンメルの小さな手のひらから暖かい体温が伝わってくる。妖精も艦霊と同じように生きているのかもしれないと思った。
艤装について、妖精については分からないことだらけだが、こうして妖精は触ると暖かいなどといったささいな事実を積み上げていくことのほかに理解していく方法はない。
『さあ、次は艦載機を出すのだろう?昨日と同じように腰のポーチに入っているエッチングカードとなっている艦載機を飛行甲板裏の差し込み口に入れるんだ』
グラーフはヒンメルの言うとおり薄いカードになっている艦載機を一枚取り出し、飛行甲板を水平に動かしてから、差し込み口にしっかりと入れる。
半分ほど入れるとあとはスッと飲み込まれていき、飛行甲板の中央部がへこみ、中からエレベーターに乗った濃い青色の艦載機が現れる。
ガコンッと鉄同士が接触する音が飛行甲板を揺らす。エレベーターと飛行甲板の表面との段差が無くなると、艦載機のプロペラがすぐにキュルキュルと音を立てて回り始める。
飛行甲板にあるカタパルトというほぼ停止した状態から航空機を発射する仕組みである突起に脚が引っかかると、急速に勢いのついた艦載機がドンッと飛び出した。手のひらとさほど変わりなかったサイズから急激に大きくなり、本来の翼長20メートルを取り戻していく。そして、プロペラから発生する空気の流れが海面を思い切り撫でてさざ波が立つ。
「本当だ。赤城さんの言っていたとおり
河口がグラーフの飛ばした1機目の艦載機を見てつぶやく。
天頂へと急上昇していく太陽の日差しがボディの表面に彩られた濃い青色を鮮やかに照らす。単葉の翼が演習場の空気をゴウッとかき回していた。
無事に艦載機を繰り出すことができ、ちょっとした充実感を感じることができたグラーフ。演習場を回る艦載機をしばらく見つめたあと、次の艦載機を出すためにもう一枚のカードを飛行甲板裏の差し込み口に先ほどより少し早めに入れていく。
『そうだ、グラーフ。ゆっくりしてないで次々と艦載機を飛行甲板から出すんだ。この艤装は今のところ一機ずつしか艦載機を飛ばすことができない』
「はい」
グラーフは妖精のヒンメルの言葉どおりぎこちない動きだが、1機、また1機と艦載機を飛ばしていく。
そうして昨日と同じように50機程度を出したところで、それまで黙って見ていた赤城と隼鷹が話し始める。
「艦載機を1機飛ばすのに15~20秒というところでしょうか。このペースだと600機飛ばすのに2時間半から3時間半かかることになりますね」
「う~ん、それはかかり過ぎだなあ。これから習熟しても半分の7~8秒に短縮するのが限界ってところかな?」
「だとしても全ての艦載機を展開するのに1時間半は要します」
「加えて飛ばした艦載機は
「実際それで十分ですよ」
「まあなぁ。未帰還機の発生を考慮してないからもう少しいけるとは思うけどさ。一人の空母が大量の艦載機を積めても搭載機数どおりの戦力にはならない、か。やっぱり世の中そう簡単にできてないんだねぇ」
簡単にまとめると赤城と隼鷹の会話はグラーフの艦載機を全て展開するのはあまり現実的ではないという内容だった。大量の航空機を一度に飛ばすためには、それに応じた数の飛行甲板が必要だという自然な結論でもあった。
ただ、グラーフにとっては期待されて艦載機を飛ばしているはずなのに始まってまもなく欠点が見つかっていくので少しずつ消沈してしまう。なんだ、昨日もてはやしていたのと違うじゃないかと。
もう少し述べるとグラーフの艤装の発着艦の手法がボトルネックとなっていた。
例えば赤城は弓矢となっている艦載機を射って出す。グラーフが1機出す時間で5機は出せる。
発着艦が大きく異なる隼鷹に至っては陰陽師宜しく流れるように巻物を飛行甲板として広げた状態で紙人形となっている艦載機を飛ばすので、60秒もしないうちに全てを展開できる。グラーフの時間のかかりようは航空戦力の展開数のボトルネックとなっていた。
「600機出せると言っても言うほど強くないんですね……」
グラーフは発艦作業の作業を止めて赤城にしょぼしょぼとした声でつぶやく
「ふふ。そんな気落ちする必要はありません。仮に短時間で全ての艦載機を飛ばせると仮定しても、そもそも全部飛ばす運用は護衛任務など頻度の高い任務において必要性は低いです。
大規模作戦、それこそ再び西ノ島攻略戦を行うことにでもならない限り、グラーフさんの搭載艦載機を全て展開する状況は考えづらいですよ」
「西ノ島?」
そういえば初めに明石もそんな島の名前を出していたように思い出す。
「この横須賀鎮守府から南に900キロのところにある火山島です。
西ノ島周辺は変色海域となっていて、深海棲艦が数多く遊弋し、西太平洋一円における深海棲艦の活動根拠地となり経済活動その他に大きな悪影響を及ぼしています」
「そんなところが……。でも、その深海棲艦がたくさんいる西ノ島って攻めるのが難しいんですか」
「はい。ここは叩くのは周辺各国の望むところですが、今までに2回攻め、簡単に言うと失敗しています。あなたがいればもしかしたらこの攻めあぐねている状況を打破できるかもしれませんね。
さあ、話はここまでにして艦載機を出す作業を再開しましょう」
艦載機を出し始めて1時間がそろそろ経とうかとする頃、見慣れない男性2人が演習場への階段を下りてやってくる。
この横須賀鎮守府のトップである府長とその次長であった。
昨日は挨拶できなくて申し訳ないことやよろしくお願いするといった簡単な内容であった。
しばらく河口と3人でグラーフが艦載機を飛ばしている様子を見て話し合っていたが、特にすべきもないため、二人は戻っていった。
600機全ての艦載機を出し終わろうとしたそのとき、今度は
「いや~、工廠の方まですごいプロペラの音が響いてますよ。私もこの業界長いですけど、さすが600機近くも空に飛んでいる光景は圧巻ですね!」
明石は空を見上げながら興奮した口調で珍しい光景の感想を言う。
上空には青黒い影が無数に飛び回っている。高度域を変えて飛んでいるため、上空でぶつかり合うことはないが、飛ばしている空母は素人でも、艦載機はきちんと飛んでくれているんだなとグラーフは他人事のように関心していた。
「でも、思ってたより早く出し終わったんですね!私はてっきり3時間くらいかかるのかと思っていたんですけど」
「最初は慣れていなくて時間がかかっていたんですけど、後半は慣れてきて……」
明石は腕時計見ながら話す。明石の工作艦として長い経験と集積した知識からして習熟していない空母の発艦作業にかかる時間はおおよそ想像できるのだった。
グラーフが残りわずかな作業を再開する。明石はグラーフが艦載機を飛ばしている間、作業の邪魔にならない部分で持ってきた測定機材で艤装の各箇所の寸法や動作の確認を行っていた。グラーフが使うことができないとあきらめて艤装の出っ張りに引っかけていた機銃もコンクリの地面の上に置いて、スケールを当てて測ったり、機械に配線のようなものを取り付けたりと謎の作業をしていた。
時刻は午前11時を回り、すでに太陽は南中時刻に近づきつつあった。
すべての艦載機を発艦させ終えたグラーフに、飛ばした艦載機を艤装に収容するように河口が促す。
「グラーフさん。最後は艦載機の着艦作業をお願いしたい」
自然なことであるが、艦載機は飛ばしたら終わりではなく、艤装の飛行甲板へ再び戻す作業が発生する。
「あの、妖精のヒンメルさん。質問なんですが、艦載機を飛ばしたまま着艦させなかったらどうなるんですか?」
素朴な疑問でもあった。
『当然、燃料切れでいずれ落ちることになる。艦載機には一機一機にパイロットとして妖精が搭乗している。
したがって、飛ばした艦載機には戦闘を経ても艤装の飛行甲板に戻ってきて欲しい。一回一回のフライトで得た経験値は次のフライトに活きて、その艦載機は熟練していく。そう積み重ねていくと同じ種類の艦載機、同じ空母の艦載機であっても戦闘能力に大きな差が出てくるだろう。
だからな、お前が飛ばした艦載機全てに責任を持って艤装に戻すんだぞ?』
艤装の妖精、ヒンメルが言うことは艦載機を飛ばしたままにしないで艤装の飛行甲板に戻せというものだった。続けて指示が出てくる。
『艤装の飛行甲板の後ろを海へ向けるんだ。発艦の時と180度逆方向にすればいい』
ヒンメルに言われて飛行甲板を動かす。背中にある艤装から出ているアームに取りつけられているため、身体を回さなくても分厚い板となっている飛行甲板自体を逆方向に向けるだけでよかった。
鉄紺色の艦載機がグラーフの方へ一直線に向かってくる。減速しているのだろうが、揚力を得るための速度は依然としてあるため、あっという間に相対距離が縮まる。
巨大な鉄の塊が猛スピードで迫ってくる。この事実だけで身がすくむ。目をそらして身体を別の方向へ捩りそうになる。
『目をそらすな!身体を動かさずに艦載機の方向へ向けろ!飛行甲板を水平に構え続けるんだ!』
ヒンメルがビクつくグラーフに言い聞かす。
グラーフの構える飛行甲板まで数十メートルという距離で人より何倍も大きな航空機が急激に縮小を始めた。
みるみる縮んでいくと併せてその速度も落ちて、プロペラから出ている爆音も消え失せていく。
あっという間の出来事であり、飛行甲板にその脚が着くころにはまるでラジコンの飛行機が手元に帰ってくるようにストンッと着陸し、速度ゼロとなって傷一つなく表面のエレベーターに収まった。
飛行甲板上のエレベーターが手のひらサイズとなった艦載機を内部にしまい込んでいく。完全に収容されると飛行甲板裏の差し込みから今度は逆にカード状となって吐き出される。それをグラーフは手に取り、空となっている腰のポーチにエッチングカードをしまい込む。
『まあ、そんな感じで艦載機を収容していくんだ。今のはお前が怖がっているから、それを見た艦載機の妖精も怖がって少しギクシャクした動きになっていたぞ。もっとお前がしっかりと受け止める覚悟で構えているんだ』
「は、はい」
時折り妖精のヒンメルに注意されながらも600機全ての艦載機を飛行甲板に着艦させていく。
最後の艦載機を着艦させる頃には午後16時を過ぎており、陽は傾いていた。赤城と隼鷹に言われていたとおり発艦よりも着艦の方が時間がかかってしまっていた。
ずっとしていた緊張がようやくほぐれて、我慢できず息を大きく漏らす。膝の力が抜けその場に両手で身体を支えるように地面に付けてへたり込んだ。お尻から黒タイツ越しにコンクリートの冷たさを感じてそれにどことない心地よさを覚える。
座ったまま横を見ると明石はすでに用が済んだのか、道具を片付けて工廠に戻っており、姿はなかった。
「グラーフさん、お疲れ様でした」
赤城が疲れて座り込んだグラーフをねぎらう。それと併せてこの日の作業は終わりだと示すように撮影していたビデオカメラの電源スイッチを止める。
一方、一緒に演習場に来ていた隼鷹はグラーフの発着艦作業が一日がかりになることが分かっていたのか、夏場に海水浴場で見るようなビーチパラソルに折り畳み式のテーブルとイスをもってきて、そこにノートパソコンを置いて自分の仕事を進めていた。河口も隼鷹と同じように持ち込んでいた書類を確認していた。赤城が二人に今日の作業は終了したと告げると顔を上げて立ち上がる。
「ご苦労様でした」
「ごめんごめん、自分の仕事の方に集中しちゃってさ。今日は終わりして鎮守府に戻ろうぜ」
二人はグラーフに声をかけると片付け作業を始める。赤城も三脚を折りたたんで撤収する準備をしている。
手持ち無沙汰になったグラーフは自分の艤装に視線を移す。触ると鉄の硬さと冷たさを感じる。なでると表面は滑らかでちょっとやそっとの衝撃を加えた程度ではキズ一つつかなさそうな強さが伝わってくる。腕や足のように触られる感触こそないが、自分の身体の一部のように感じられる。
『今日は我々妖精も実際に艤装の機能を確認するうえでも有意義だった。
艤装をしまうときは出したときと同じように意識を内に向ければいい』
ヒンメルが最後に艤装をしまうように言う。
グラーフは言うとおりに従って目をつぶって念じる。そうすると艤装がフッと無くなったことが感じられる。
目を開けるとたしかに身体の周りにあったはずの艤装が音もたてずに消えている。感覚としては表現がしにくいが、この世界から消失したわけでなく、別の次元に移動したといったところだろうか。
「本当に艤装が消えてる……。存在感はあるんだけど、透明になったみたいな感覚だなぁ」
横須賀鎮守府に戻る途中、河口はグラーフに例の質問をする。
「ところでグラーフさん。昨日の回答は聞かせてもらえるだろうか」
「あの……、また後でもいいですか。それに……」
グラーフは答えられなかった。正直言って昨日の今日で何かが変わったわけでなかった。日本のために戦ってくれるか、なんてことの覚悟なんてできるのだろうか。龍驤には自分で決めるようにとも言われたのだが。
「それに?」
「副砲も機銃も撃てなかったり、ついでに艦載機の数が多くても出すのが遅い空母ってそこまで必要なんでしょうか……。もしかして義務的に誘っているだけなんじゃないですか……?」
「そんなことはない。君の能力を求めている。これは変わらない事実だ。また、改めて尋ねさせてもらうから今日は大丈夫だよ」
グラーフと3人は鎮守府の本庁舎前に戻ってきた。今日はこれで終わりと言われたが、まだ明日の予定を聞いていなかったと気づいて河口に尋ねる。
「明日は何かまた別のことをするんでしょうか」
「うん。一応段取ってある。
多分2時間くらいで終わるから、その後は練習航海として壱豆大島や二宅島の近海を警備する任務に付いていって現場の雰囲気を知ってもらいたい。
別にグラーフさん自身が何かするわけではなく、単について回る見学会みたいなものだと思ってくれていいよ」
「はい。わかりました……。あ、あの……、赤城さんや隼鷹さんは一緒にいるんでしょうか?」
グラーフは可能ならここまで一緒にいる赤城や隼鷹に付いてきて欲しいと思っていた。初めて海に出るのである。不安なことは減らして自分のことを少なくとも全く知らない人より知っている二人に付いてきてもらいたかった。
「赤城さん、隼鷹さん。明日は空いてる?」
問われた河口が赤城と隼鷹に確認する。
「構いませんよ」
「大丈夫さ。何かあってもあたしと赤城がいれば問題ないっしょ」
赤城と隼鷹はグラーフが行く練習航海に付いていくと答える。ああ、よかったと胸をなでおろすグラーフ。
河口からは今日は寮に戻ってゆっくりしてくれと言われて、3人と別れて一人寮に戻ろうとする。
その時、ようやく重大なことに気づいた。
「あれ?あ……!」
「どうしたー?」
「あの、部屋の鍵も艤装を展開したときに無くなっちゃって……」
演習場にて艤装を出したときに履いていたスニーカーが無くなってしまっていた。その時に持っていた寮の部屋の鍵も同様に消えていたことにようやく気付いたのだった。
「あー、施設課の
目で訴えていたのか、隼鷹が施設課の篠崎のもとへ向かうのに付いていってもらえることになった。昨日無くさないようにと注意を受けたばかりなのに。
「面倒かけてすみません……」
「まー、次からはあらかじめ貴重品とかは外しておいてから艤装の展開をするとか、寮に置いてくるとか、庁舎の自分のデスクに置いてくるとかした方がいいなー」
施設課に行くと篠崎がいて、グラーフを見るなり察したのか、机の引き出しからカギを一本取り出して手渡してきた。
今度は無くしたり消したりしないようにと鍵よりもずっと大きい地元の青色のマスコットキャラクターの人形をヒモで括り付けてくれたのだった。人形に鍵が付いているのか、鍵に人形がついているのか分からない見た目である。
ただ、この先、少し恥ずかしいが存在感の大きな人形があるおかげで二度と紛失することはなかった。
またこの後、篠崎は鍵と一緒に消してしまったスニーカーの代わりとなる新しいものを寮の資材倉庫で再び探してくれたのだった。
補足というか言い訳で恐縮ですが、3つ前の話でグラーフが艦載機を飛ばしていますので、本話で描写したように着艦作業も当然しているわけです。なのに、初めてやる作業のように書いたのは、話の流れを少しでも良くするためです。
筆者の小説としての描写能力は置いておいて、物語に重要な要素の一つに整合性がどうあれ面白く感じられるかどうかがあると思っています。
多少の違和感はお見逃しいただければ幸いです。単純に面白くない、という点につきましては、筆者の実力によるところでございまして申し訳ありません。
そして、ようやく次回で主人公を海に出します。話が一区切りするところまではプロットができていますので、もうしばらくお付き合いよろしくお願いします。