「おはようございます!軽巡、
朝から元気良く阿武隈と名乗った少女が目の前に立っている。
遠目からでも目立つ金色の髪をフレンチクルーラーにツインテールという特徴的な形にしている。上着はベージュと黒のセーラー服で胸元には赤いリボンがアクセントで身体の動きに合わせて可愛く動く。プリーツスカートも上着と合わせた灰色で先には赤く細いラインが一本入っており、その下には動きやすそうな黒色のスパッツを着けている。総じて身体全体の仕草からはつらつとした雰囲気があり、面倒見の良いお姉ちゃんといった感じだ。
阿武隈とグラーフは鎮守府本庁舎の4階会議室にいた。会議室と言っても会議だけに使うわけではなく、来客対応に使ったり、今から阿武隈が講師として行う座学教室に使ったりと多目的に用いられている。
この部屋は一般的な学校の教室と同程度の広さで、先生役である阿武隈と生徒役のグラーフが1対1の構図で向かいあっている。お互いを隔てているのはテーブル一つのみなのでまさに学校の授業といった風景だ。
「今日はあたしの座学研修ということでよろしくお願いします!
と言ってもこの後に行く練習航海に出るためだけの最低限の知識を教えるというものです。もっときちんとしたことは呉での研修で教わってくださいね」
阿武隈が今からグラーフへ教えることは今日必要な最低限であると説明する。本来なら定められている教育課程をこなしておくべきだが、
グラーフが了解の意味でうなづくと阿武隈が説明を続ける。
「今日は横須賀鎮守府を出て南西方向の壱豆大島、二宅島、そして九丈島を順番に回って横須賀鎮守府に戻るというルートで監視哨戒任務を行います。途中休憩を挟んで日没までには戻りましょう」
いずれも横須賀から近い海域にある島々だった。総移動距離にして500キロ弱であり、艦霊の早い足なら事故等が発生しなければ日帰りの行程になる。
実は艦霊の海上歩兵としての強みの一つにその移動の速さがある。気象条件や編成条件が揃えば時速にして100km/h程度で行軍可能だ。通常の軍艦なら両手を組んで涙を流して感謝する速度である。
「この海域なら頻繁に
ところで深海棲艦とはどういうものか、どういった見た目をしているかご存知でしょうか?」
阿武隈に問われてグラーフは視線を床に落とす。改めて考えるとゲームで登場する姿形は知識として覚えているが、この世界での深海棲艦は実物でも資料でも見たことがなかったことに気づく。なんだ、戦う相手すらよく分かっていないじゃないかと今更になって理解する。
「そう言われると見たことないですね……」
「と言うと思いましたので、映像記録を用意してあります!今、目の前のスクリーンに映しますね」
阿武隈がその答えになるはずだとばかりに用意していた映像記録を映す準備を始めた。天井からスクリーンを降ろし、部屋の電気を消して、プロジェクターの電源を付ける。
「これが深海棲艦です」
スクリーンに映されたのは海の化け物だった。
クジラぐらいのサイズで黒い鉄の硬質な表面に砲塔を装備した怪物である。眼球は緑色に光っており、それが生物の印象をいっそう無くしていた。
「これを駆逐イ級と呼称しています。最も数が多く、遭遇する深海棲艦の約4割以上はこの駆逐艦になると思います。
深海棲艦は単独から数隻の集団、あるいはそれ以上の大集団を形成して世界中の海を遊弋しています。とは言いつつもその分布には偏りがあります。
全くと言って差し支えないほど遭遇しない海域があったり、2~3日に一回だったり、ごくわずかですがほぼ毎日といったペースで遭遇する危険な海域もあったりします」
映像の深海棲艦がその紡錘形に似た体の上半分を海上に現して移動している。駆逐イ級はその巨体のためか撮影者である艦霊の移動速度に追いついてこれず、装備している砲からの攻撃は的外れの方向へ飛んでいく。
「また、出現する条件も詳しいことは分かっていません。深海棲艦が発生するメカニズムの全容が解明されていない以上、人類ができるのは対処療法しかありません。
そして普通の生物と違うところは通常兵器では殺傷できないという点です。日本の巡視船の30mm機関砲や護衛艦の127mm速射砲、そのほか米軍は対艦ミサイルや光学兵器まで当てたりとおよそ人類の持つ兵器は使ってみたようですが、多少の動きを止めたりする程度で有効打になりませんでした。
この深海棲艦に対抗するにはあたしたち艦霊の持つ武装で対応します。深海棲艦には様々な艦種に相当する種類があり、倒しやすさが異なります。下位クラスの駆逐艦級は倒しやすく、上位クラスの戦艦級は倒しにくいです」
阿武隈がスライドを次へ次へと進めて説明をする。最初は駆逐艦から始まり、軽巡洋艦、重巡洋艦、軽空母、正規空母、そして戦艦へと移っていく。阿武隈の説明によれば、戦艦クラスや正規空母クラスはあまりおらず、配属場所や任務内容によっては年単位で遭遇していない艦霊もいるとのことだった。
深海棲艦を紹介するスライドも正規空母や戦艦など後半になると人型に近似したものが現れる。その大きさも成人した人間サイズに近くなっていく。
最後には明らかに艦霊のような見た目であり、背後に大きな砲塔があったり飛行甲板があったりと艤装のようなものがある。
「これは……、艦霊ですか……?」
「んん、違います。あたしたち艦霊に似てなくもないですが、れっきとした敵であって深海棲艦です。このクラスになると鬼や姫と呼びますね。強さも耐久性も桁違いみたいで非常に強力な敵です」
「みたい、というのはどういうことでしょうか……」
「実はあたしも戦ったことないんです。西ノ島や東砂群島など深海棲艦が集団でいる限られた海域での戦いで確認されているのみです」
阿武隈がスクリーンに映されている鬼や姫クラスといった強大な戦闘能力を持つ深海棲艦を示す。実際の現場で艦霊がハンディカメラで撮影したものなのでややピンボケだが、肌と髪が異様に白く、赤く光る巨大な艤装を背負っているほかは艦霊に似た外観をしている。
「このスクリーンに映している鬼級の深海棲艦は東砂群島攻略戦で倒されたものです。戦いに参加した佐世保鎮守府の艦霊が言うには、人語を解するということでした。あたしたち艦霊に近い存在だと言っている人もいますが、いずれにしろ攻撃を仕掛けてくるなど明確に脅威となる行動をしている以上は敵として扱うほかありません」
阿武隈による深海棲艦の概要説明が終わると今度は自分たち艦霊の説明が始まる。日本地図に各地の鎮守府やその下部組織である基地を引出し線で示しているスライドがスクリーンに映される。
「一方、あたしたち艦霊ですが、現在日本国内で確認されているのは400人程度です。かつての日本帝国海軍の艦船が経験したことや信仰、想いが人の形となって現れたものと言われています。統一した意思の元で動いているわけではなく、個性があって考えていることは艦霊によって様々ですし、その行動もよりけりです。
ただ、そのほとんどはあたしのように、各地の鎮守府や基地でかつてのように日本の皆さんの役に立てていけることを誇りに思って日々の任務をこなしています。
そして艦霊はかつての鉄の船だったときの性能に応じた能力を有しています。戦艦だったら大口径長距離砲門を備え、空母だったら艦載機と飛行甲板、駆逐艦だったらその対空砲や俊敏な移動を、潜水艦だったらその潜水隠密機能を持っています。
それぞれの能力を活かして、それぞれでしかできないことを日々の任務で全うしているんです」
阿武隈は自分たち艦霊のことを自信を持って紹介していた。まるで再び日本のために働けるのが使命だと言わんばかりの調子だった。
グラーフも転生前の男だったときは日本人だったわけだから、やや恥ずかしく言えば祖国のために尽くすという気持ちがないわけではなかった。不平も不満もあったが、それでも生まれた国だ。そこには親や兄弟、そのほか学生時代にお世話になった人々が住んでいる。それを想えばだが、阿武隈のようなたくさんの人々の想いが詰まった艦が使命感を帯びるのは自然のことのように思える。
ただ、説明の中で一つ気になる点があった。今の自分であるグラーフ・ツェッペリンは鉄の船だったときに日本と関係があったのかということだ。学校の授業のように挙手して質問する。
「でも、自分はドイツ海軍の船なんですけども……」
「んん!そこなんですが、かつての船とゆかりがあった土地ということも顕現する条件の一つみたいです。
グラーフさんの名前の由来である、飛行船LZ127『グラーフ・ツェッペリン』は昭和4年に霞ヶ浦の海軍航空隊基地に着陸し、その際に日本国民の皆さんに一躍有名になったという歴史があります」
「えぇ……、そんなことで?」
「はい。ほかに思い当たるエピソードもありませんし。あ、グラーフさんの飛行甲板などの設計の際に赤城さんの船体構造を参考にしたという話はありますね」
阿武隈がフォローを入れるエピソードは
阿武隈の座学はその後も進み、横須賀鎮守府やほかの鎮守府の状況などを説明していく。また、実際に海に出るのに必要な知識を教える。もちろん、こんな短時間で網羅できるはずがないので、今日必要な最低限度のものではあったが。
最後は実際に持っていく装備の説明をする。無線機やポータブルGPS、衛星電話などの使い方を教えてくれた。広い海で仲間とはぐれて迷子になっては非常に困りものだ。そうならないように通信機器や自分の位置を示してくれるものをきちんと装備しなくてはいけない。
本来の教育課程では、星や月の位置から自分の所在を推測したり、太陽の高さで時刻を推定したりなど機材無しでも陸地へ向かえる様に学ぶ。しかし、今回は単独で行動しないし、航行は近海に限るので、問題が起きる可能性は限りなく低いという判断でグラーフを連れていくという整理だった。
「あの、阿武隈さん。持っていく通信機器関係だけでも結構な量と重さになりませんか?衛星電話とか3種類もあるんですけど……」
「はい。でも持って行かずして海で一人で迷子になりたいですか?」
グラーフがテーブルの上に並べられる通信機器等の数を見て、多過ぎないかと思わず口にしてしまう。
だが、阿武隈はその考えを一蹴して全て持っていけと答える。今日、この後行う哨戒任務の旗艦は阿武隈なのだ。一義的にも見学者を万が一にでも海の上で見失うわけにはいかなかった。
「いえ、それは勘弁です……」
「ですよね!ですから全部持ってください。バラバラだと持ち運びが大変なので収納用に防水リュックと縛るロープを貸します。
ただ、無線機とポータブルGPSだけはすぐに使えるように首から下げてください。そのほかの通信機材を入れた防水リュックは自分で背負ってもいいですし、艤装に括り付けても構いません。海に落とさなければどの方法でも大丈夫です!」
阿武隈は通信機器や位置特定機器関係だけは万全にするように強く念を押してくる。街中を歩くのとはわけが違い、右も左も分からない初心者を連れていくのだ。迷子になられて困るのはグラーフだけではない。
そうして説明がひとしきり終わって初めに言っていた2時間が経過しようとしていた。
「以上であたしの座学はおしまいです!お疲れさまでした!
この後は港へ向かってください。そこに15分後集合です」
阿武隈先生の超短期集中講義を修了したグラーフは施設課の
「おはようございますグラーフさん」
「おーす、グラ子」
「隼鷹さん、艤装に括り付けているその大きな袋はなんですか?」
「これか?これは今から行く先々で必要なものさ。あとで教えてあげるよ。今は自分の準備をしな」
隼鷹に言われてグラーフも艤装を出して準備を始める。発現した艤装に通信機器が詰まったリュックをロープで括り付ける。グラーフの場合、艤装が大きいのでリュックぐらいのサイズのものだったら、十分にスペースの余裕があった。
また、それに加えて撃てもしない機銃もロープでグルグルに巻き付ける。なるべく両手を自由にしておきたいという気持ちがあったからだ。
そうしていると後ろから阿武隈がまだ会ったことのない2人の駆逐艦の艦霊を連れてきた。
「夕雲型駆逐艦四番艦、
「夕雲型駆逐艦、三番艦の
それぞれ初めて会うグラーフに挨拶をする。グラーフもよろしくお願いしますと型どおりの挨拶を返す。
2人とも駆逐艦と名乗っており、軽巡洋艦である阿武隈より背丈がやや低く小柄であった。また、同型の夕雲型であるせいか共通の少し青みがかった濃い赤色であるえんじ色のジャンパースカートにブラウスを着ていた。ただ、胸元には長波が青い大きなリボンなのに対して、風雲はストレートタイと少し異なった装いとなっている。
全員がそろったのを確認した阿武隈が手を軽くたたく。みんな一か所に集まって今日の旗艦に注目する。
「今日の旗艦は阿武隈です。そのほか赤城、隼鷹、長波、風雲、そしてグラーフ・ツェッペリンの計6隻で任務を実施します。
内容は壱豆大島、二宅島、九丈島の周辺及び道中航路の哨戒活動です。加えてそれぞれの島にある深海棲艦監視レーダー設備の点検も定期外ですが行います。順調に行けば余裕を持って日暮れ前までには帰投できる行程です。
なお、今回はグラーフさんが横須賀鎮守府着任前ですが、事前見学ということで艦隊に加わります。各自適宜フォローをお願いします
以上で説明を終わります。特に質問なければあまり時間に余裕もないので、さっそく出発しましょう!」
阿武隈の慣れた仕切りが出発の合図となり、6人の艦霊が海に出ていく。港の緩やかなスロープとなっている箇所から阿武隈、長波、風雲、隼鷹、赤城と順番に水面に足を付けていく。
最後にグラーフも少しおっかなびっくりとしながら、海に足を踏み出す。港の防波堤の内側にいる間だけ赤城がグラーフの片手を握って先を行ってくれる。防波堤の外側に出ると赤城がグラーフの握っていた手を放す。
「さあ、グラーフさん。手を放しますよ。ここからは一人で進みましょう」
「は、はい」
「航行中はお互いの間隔を10メートルくらい離してくださいね」
やや怪しげだがグラーフは転ぶこともなく、中学生が全力で走るくらいのスピードで南西方向に向けて航行する阿武隈艦隊の中央部にいた。
「うんうん、いいねぇ。最初は海上移動にちょっと不安だったけど、すんなりいけてあたしも嬉しいよ」
「ありがとうございます……」
「グラーフさん。そろそろ移動速度を上げても大丈夫でしょうか。40ノットくらいは出してもらいたいです。頑張って付いてきてください!」
阿武隈がグラーフに無線を使って声をかける。移動中は波の音や風切り音が大きいので手元にある無線で連絡をすることになる。
「は、はい。頑張ります」
先頭にいる阿武隈がスピードを上げる。40ノットは時速に変換すると約74km/hである。最初の目的地である壱豆大島まで約70キロであるので、阿武隈は1時間程度で到着したいという意思表示でもあった。
グラーフは初めは速度を上げるとふらついていたが、何とか阿武隈の要求する40ノットに達することができた。周りの様子を見るとなんてことはない顔をしているので、艦霊としては標準的な速度なのかなと考える。
そうして海上を移動していると気づく点がいくつかあった。
まず、かかる水しぶきが服についても弾いて濡れないということだ。正直言ってみんな何故こんな個性的な服を着ているのかとうたぐっていたが、なるほど、艤装展開時に来ている服装が一番海に出る上で機能的なのだと分かった。しかも不思議なことに寒さも暑さもあまり感じることがなく、晩夏の時期のせいもあるのかちょうどよい体感気温である。もし、寒さが厳しい海域ならこれから重ね着すればよい。
次に重そうなこの艤装である。見た目ほど重量を感じることはなく、むしろ括り付けている通信機器の方が重量感を覚えるほどであった。視界に入っている阿武隈や長波、風雲の華奢な身体にも大きな艤装が付いているが、いずれも重さを苦に感じている様子は見られない。しかも実際の船だったらあって当然の煙や熱がないので、お互いに接近しても何の問題もなかった。
そして足元である。今日の天候は晴れて海面の波も穏やかで、滑らかなうろこのような表面をした状態である。その海面から磁石で反発しているように浮かんでおり、停止した状態であれば、海面から5~10cm程度の高さになる。気象が荒い場合は揺れ動く海面によっては波がかぶることになるだろう。
一方、移動中は高速になるほど海面から離れていくことが分かった。今は阿武隈の指示で時速70k/hほどのスピードで進んでおり、海面から40cm程度を常に浮かんでいる状態である。これだと今日のような波の高さであれば、ほとんど濡れずに移動ができることになるし、慣れると上下に揺れ動くことも抑えられるようになった。
移動速度も強いて例えるのなら自分が車やバイクになったイメージでアクセルを踏んだり引いたりする感じだろうか。低速なら小回りも効くが、高速なら小回りも効きづらくなって精神的な疲労が溜まりやすくなってくる感じが似ている。移動する時間が長くなればだんだんと疲れが蓄積していくのだろう。もし任務が連日のごとく続くのなら海に出ることはできるのだろうが疲れからのミスも発生するのかもしれない。
自身で動くようになって分かることがたくさんあるのだと思う。なるほど、艦霊である今なら海に出ている方が性にあってくるような気分になってくる。
いろいろと考え込みながら移動しているといつの間にか島が見えてきた。輪郭が少しずつはっきりとし、視界に占める割合が大きくなっていく。
「あれは……」
「見えてきたよ、壱豆大島。今日の目的地の一つさ。あの島はまだ人が住んでいる」
隼鷹がグラーフの疑問に答える。
「まだ?」
「この後行く二宅島にはもう人は住んでいないんだ。深海棲艦が現れてからは燃料とか食料とかの生活必需品の輸送すらままならなくなっちまったからな。離島で人間が生活しているところなんで9割減さ」
深海棲艦の出現は特に離島に住む人々の生活に大打撃を与えた。大陸や日本本土みたいな人口が多い島ならともかく、人口が少ない割に必要な物資を船舶で細かく運ばなければならない離島は定期航路の維持が困難となった。
深海棲艦の出現の前後で大きく変わったのは海上物流である。深海棲艦の攻撃を受けたら防衛手段を持たない一般船舶はひとたまりもない。物流を担っているのは、国ではなく民間の船舶会社であるので、必然的にリスクと利益を天秤にかけて割にあわない航路からはどんどん撤退していった。
結果として、本土から離れた人口の少ない二宅島は人が去らざるを得なかった。かつて民間人が暮らしている島が11あった壱豆諸島・大笠原諸島は壱豆大島と九丈島、そして自衛隊や気象庁職員のみ駐在している廿島の3つに減っていた。
「さあ、上陸しましょう!」
阿武隈が艦隊のみんなに声をかける。それぞれ無線を通じて了解と返答する。
旗艦を先頭にして減速しつつ港に入っていき、スロープとなっている上陸箇所へ向かっていく。阿武隈は波打ち際ぴったりのところ止まってからスッと陸に上がる。長波と風雲は完全に速度を緩めずに飛び渡るように着地していた。
一方、海上から陸上に上がることすら不慣れなグラーフはこれもおそるおそると陸地に足を置く。それまでのフワフワとした足元からびくともしない陸地に足を置いた瞬間は少しバランスを崩しそうになった。
「おっと、大丈夫ですか?」
「あ、すみません」
ここでも赤城が一瞬ふらついたグラーフの腕をつかんで支える。最後のグラーフが上陸したのを確認すると阿武隈が全体に呼び掛ける。
「みんな上陸しましたね。じゃあ、あたしと隼鷹さんと長波さんは監視レーダーのところに行って故障などがないか確認してきます。残りの皆さんは休憩していてください」
「了解~!」
阿武隈が隼鷹と長波と一緒になって港近くの高台の上にある深海棲艦をレーダーで捉えるための機械がある灯台のような建物へ向かっていこうとする。
「あ!そうだ、グラーフ」
隼鷹が振り返って声をかけてくる。
「出かける前に言っていたこの大きな袋だけどさ。この中には深海棲艦の動きを捉えるためのレーダーの交換パーツが入っているんだよ。
まだまだ開発から時間が経っていないこともあって一年程度で交換する必要がある部分もあるんだってさ。結構かさばるし重いしで大変なんだわ」
なるほど隼鷹が背負っている大きな麻袋の中身が分かった。
隼鷹が疑問に答えると阿武隈や長波と一緒になって港から離れていく。残されたグラーフや赤城、風雲は休憩を兼ねて待機することになった。
赤城と風雲から海上移動するときに身体の揺れを抑えるコツなどを教わったりして待っていると阿武隈たちが戻ってきた。
「用は済みました。次の二宅島に移動しましょう!」
今度は支えてもらわず一人で海に出ることができた。その様子をちゃんと見ていた阿武隈は先ほどのようにゆっくりとしたスピードから徐々に速度を上げるのではなく、最初から今日の巡航速度の40ノットで移動し始める。
およそ一時間後、道中は何も起こらず順調に二宅島に到着した。上陸すると先ほどと同じように阿武隈が隼鷹と長波を連れて高台にある深海棲艦を感知するための警戒レーダーの保守部品交換をしてくる。交換自体はすぐ終わるようで10分もすると港に戻ってきた。
そうして次の目的地の九丈島に向かうのかと思った矢先だった。
「次の目的地の九丈島にはあたし阿武隈と隼鷹さん、長波さんの3人で向かいます。残りの赤城と風雲さんはグラーフさんとともにここで待機していてください!」
てっきり最初から最後まで一緒に行動すると思っていたら、阿武隈がここで艦隊を2つに分けると告げてきた。理由を聞いてみると時間の都合だという。
海上移動に不慣れなグラーフを連れていくと標準以下の移動速度である40ノットでの移動になってしまう。そのため、二宅島に置いて別動隊として九丈島に行くということだった。さすがに一人で置いていくわけにもいかないので、赤城と風雲と一緒にして九丈島に向かうことになった。
「じゃあ、赤城さん、風雲さん。グラーフさんをよろしくお願いします」
「承りました。阿武隈さんも気を付けて」
「はい!では隼鷹さん、長波さん。九丈島に向かいますよ」
阿武隈たちが港を出て先ほどより大きな白い航跡を海面に残しながら九丈島に向かっていった。
グラーフは自分が艦隊にいたせいで移動速度が遅くなったのだと分かり申し訳ない気持ちになってしまう。不慣れだからしょうがないのかもしれないけれども、目に見えて足を引っ張っているのは居心地が悪かった。
そんな気を紛らわそうとして艦霊が普段どれくらいの速度で海上を移動するのか赤城に質問してみる。
「え?標準的な移動速度ですか?
う~ん。その時々の艦隊編成や任務状況、天候などによって異なりますが、今日の場合であれば、55ノットくらいでしょうか」
「実際のところ55ノット程度での移動が多いんじゃないでしょうか。それ以上だと風圧も厳しくなってきますよね」
赤城が答えると風雲も付け加えてくれる。
「そうですね。風雲さんが言うとおり、ほかの状況でもこれぐらいで移動する状況が多いかもしれませんね。艦霊によって出せる最大速度は異なりますが、1時間に100キロぐらいは移動できるようにしたいですね。これ以上の速度で移動すると疲労も大きくなってきてしまうので、標準的な移動速度という点なら先ほど言った55ノットですかね」
「そう言えば佐世保にいる同期の
「ふふ。そんな速度で移動したら余程のベタ凪でない限り海面をどったんばったん転がり回っちゃうんじゃないですか」
風雲が言うことに対して赤城が少し笑いながら答える。完全な水平面であれば、移動速度の限界は艦霊の性能限界がそのまま反映される。しかし、実際の海面は波打っているので、速すぎて不安定だと水面に追随して移動する都合上、わずかなふらつきでバランスを崩してしまう。そのため、艤装の能力を全力で引き出せる場面というのはほとんど存在しない。それに常にある程度の余裕を残すことは緊急時の安全にもつながるため、全力航行は通常行わないことになっている。
「さて、阿武隈さんたちが戻ってくるまでおよそ2時間あります。
グラーフさん、風雲さん。2時間後にここに戻ってくればよいので、自由行動にしましょうか。この二宅島は無人島ですので、何かあるわけではありませんが、迷わないかつ戻れる範囲であれば散策してもいいですよ。何かあれば無線で知らせてください」
赤城が阿武隈たちが戻ってくるまで自由にして構わないと許可を出した。
ただ、いきなり自由にしていいと言われても何をしたらよいか分からない。戸惑っていると、横では風雲がキャンプ用の携帯折り畳み椅子に座って文庫本を読み始めていた。
一方、赤城を見ると港の資材倉庫か何かの壁に寄りかかって座りながら仮眠を取り始めていた。
しばらく腕組して考えていたが、時間をこの場でつぶすものがなかった。無人とのことだが島の市街地へ行くこととした。
雑草がひび割れたアスファルトのすき間からもさもさと生えて、もはや乗用車の移動が難しい道を歩いていく。道路脇の電柱には千切れて錆びた電線がぶら下がっており、社会インフラが崩壊してから時間が経過していることを示していた。
T字路に出ると目の前には白い壁にクズの葉がびっしりとついた建物があった。緑に覆われて判読しづらいがホテルと書いてある看板があるので、かつては大勢の観光客を受け入れていた宿なのだろう。
左に曲がるとこれも緑のツタに覆われた建物があった。何かの商店だったのか、それとも事務所だったのかは不明だが、入口のドアは開けっ放しだった。道路から見える建物内部はイタチなど野生動物が出入りしているのか、中は泥と土まみれであり、かつて人間が何かを営んでいたように見えない。
反対側の建物を見ると青地でスーパーフードセンターニヤケジマと書いてある看板が目に入る。入口のドアガラスは割れており、ホコリが積もっている店内の商品棚には何も置かれていない。あるのはこの島から退去するときに店内の商品を片付けるときに使ったと思われる脚立やバケツ、モップぐらいだった。
店前の自動販売機は当然電気は消えており、商品補充が十数年もされていないので、清掃もなく汚れが目立ち、サンプル缶は紫外線で退色して元のカラフルな色合いは分からない。上部の販促用ポップも紫外線で焼けたせいで文字が読めないし、剥がれかけていてもう少しで取れそうだった。
移動して商店街だったような通りを抜けると住宅が集まっている地区だった。もちろん人の影はなく、人家の雨戸シャッターは下がっており、中の様子が分からない家もあった。
道路脇には放置された車もあり、ホイールは赤黒く錆びてタイヤの空気は抜けきっている。窓の隙間から入り込んだ雨風のせいで車内のシートはカビており、とても再び動かせるように見えなかった。
「なんか、世界が滅びたみたいな光景だなあ……」
島を一周するのだと思われる太い道から外れないように歩いていると、これまでの雑草が伸び放題だった道と異なって開けた場所が見えてくる。気になって近づくとそこにはお墓があった。
墓石が何十と立ち並び、この空間だけは明らかに人間が管理している雰囲気を感じられる。墓地内は下刈りがしてあり、墓石の表面は苔むしている様子も見られない。
この墓地からは下刈りしてあるおかげで太平洋が一望でき、穏やかに揺れ動く海面の反射光がまぶしく目に入ってくる。グラーフはしばらくの間、ここでぼうっと立ちっぱなしでいた。
「グラーフさん、阿武隈さんたちが戻ってきましたよ」
墓地の前で突っ立っているグラーフの背後から声が聞こえる。振り返ると風雲がいて、「私たちも戻りましょう」と言ってくれた。わざわざグラーフのことを迎えに来たのだ。
いつの間にそんな時間が経ったのか思いながらも「すみません」と言って風雲ともに来た道を引き返していく。
「何かこの島で気になるものでもありました?」
港に戻る途中、風雲が雑談をグラーフに振ってきた。ちょっとだけどう返すか迷って答える。
「……最後に見たお墓があった場所だけ手入れされていました。誰か来ているんでしょうか」
並んで歩いている風雲がグラーフの方を見ながら言葉を返す。風雲がよく気付きましたねとばかりに言う。
「はい。この島は人が住まなくなって荒れていく一方ですが、かつての島民が島内のいくつかの場所にある墓地や自宅などを不定期に訪れて清掃管理しているんです」
そういうと風雲が自分に言い聞かせるようにぼそりとつぶやく。
「……深海棲艦をいつか私たち艦霊が全て倒して平和な海が訪れたとき、この島に再び人の営みが戻るのかもしれませんね」
深海棲艦が現れたせいで人生をめちゃくちゃにされた人は大勢いる。失われたかつての生活を取り戻すためにもこの国のどこかで艦霊が日々任務に勤しんでいるのである。実際のところ深海棲艦が突如出現した頃は対抗手段がなく、シーレーンが脅かされて国民生活の多くは困窮していた。
しかし、近年は艦霊たちの活躍のおかげで徐々に上向いており、深海棲艦出現以前の水準に戻りつつある地域が増えている。彼女らの戦果は深海棲艦を倒した数だけで計るものではなく、守るべき人々の日常こそが誇るべきものなのかもしれない。