「イルマ君早く帰って来ないかな~」
豪華で気品のある机にうつ伏せになりながら寂しがる老いた悪魔。毛髪一本も無い磨き上げられた様に輝く頭部。側頭部から生える角。整えられた白いカイゼル髭。
丸眼鏡越しにシクシクと涙を流す姿にまるで威厳が無い彼こそが、魔界に於いて魔王に次ぐ地位を持つ三傑であり入間の義理の祖父でもあるサリバンであった。
「まだ一時間も経っていませんよ? サリバン様」
サリバンの傍に立つ悪魔が無表情で告げる。サリバンを見る目は心なしか呆れが含まれていた。
赤い頭髪は前が切り揃えられ、後ろは三つ編みに束ねられている。猫の耳と尾を持つ中性的な容姿をしており、男性か女性か判断が難しい。
サリバンの使用人であり、悪魔に仕える悪魔セキュリティデビルと呼称される役職とも呼ばれる。
名はオペラ。しょぼくれるサリバンの為に紅茶を注いでいた。
「可愛い孫に会えない時間は僕にとって何十倍にも感じられるんだよ~オペラ」
「家族間のコミュニケーションは大事ですが、ご学友との交流もまたイルマ様にとって大事なことだと思われますが?」
「それはそうなんだけどね~」
さめざめと泣き続けるサリバン。
「やっぱりおじいちゃんとしては、可愛いイルマ君と一緒に居たいと思っちゃうんだよ。──キミもそう思わない」
「生憎、ワシは独り身でのぅ」
「っ!?」
サリバンとオペラ以外はこの部屋に居ない。居たとしてもオペラなら真っ先に気付く。だというのにサリバンに応じるまで全く存在を感知することが出来なかった。
振り返り、構えるオペラ。
返事の主はいつの間にかソファーへと腰掛ける派手な姿の老人──一龍。
「だが、子を育てる気持ちは分かる。ワシの場合は手が掛かる悪ガキ共じゃったがなぁ」
殺気を放つオペラにお構いなく一龍はにこやかに語る。
一方でオペラの方は、無表情は保っていたが全身の冷や汗を止めることは出来なかった。
セキュリティデビルは主人の命を守ることも仕事としている。サリバンを仇なす者ならば全身全霊を以って排除する。
だが、高位の実力を持っているからこそ理解を超えて思い知らされてしまう。目の前の相手は命懸けであっても到底敵わない存在であると。
まるで星と相対するかの様な存在感。さっきまで一切の気配を感じ取れなかったのが信じられない。
(目が離せられない……!)
一龍は目に見えない引力の様な強さを持っており、対峙するだけでも臓腑に穴が開きそうなプレッシャーを感じながらもその引力のせいで目も意識も引き離すことが出来ない。見ているだけで命が削られていく様な感覚を味わう。
このままでは──
「オペラ」
──主のその一言がオペラの金縛りを解く。
「彼に敵意は無いから大丈夫だよ」
サリバンの方を見れば、安心させる様に微笑んでいる。絶大な信頼を置く主の笑みは、オペラの緊張を解くには十分であった。
「お見苦しい所をお見せしました」
構えを解き、一礼した後下がる。ここから先は全てサリバンへ委ねる。
「初めまして、と言っても多分僕、君のこと知っていると思うよ?」
「奇遇じゃのぅ。ワシもおぬしのことを知っていると思うぞ?」
二人は笑みを見せ合い、挨拶を交わす。
「ようやく会えたね、一龍君」
「ようやく会えたのぅ、さっちゃん」
一龍の『さっちゃん』呼びにオペラは一瞬固まる。サリバンをそんな風に呼ぶ悪魔など今の魔界には存在しないからだ。
「デルキラからおぬしのことをよーく聞かされたもんじゃぁ。口うるさくて真面目でこっちの期待には必ず応えてくれる自慢の悪魔だと耳にタコが出来るぐらい自慢されたのぅ」
一龍からデルキラの名が出てオペラは内心驚く。口振りからしてそうとう親しい間柄であることが窺えるが、それ程の人物なら有名であってもおかしくはないがオペラの記憶には一龍という著名な悪魔は存在しない。
「僕も一龍君のことは何度も自慢されたよ。いつも美味しいご飯やお酒をご馳走してくれて、とっても喧嘩が強い人だって」
初対面だがデルキラを通じて互いを知っていることで両者の間に流れる空気は穏やかなもの。
「──デルキラ様は13月の一日だけ誰にも見つからずに何処かへ出掛けることがあったんだ。戻って来た時は必ず見たこともない食材や料理を手土産にしてくれたよ」
語り出すサリバン。事情を知らないオペラへの説明も兼ねている。
「僕や当時の13冠も何度か食べたがあるけど、あの味は忘れられないね。メロウコーラもその内の一つだよ」
当時の事を思い出し、懐かしそうにする。
「何処で手に入れたのか何度も聞いたけど、デルキラ様ったら『もう少し強くなったらな~』としか言わなかったよ。──君の居る世界に行っていたんだね?」
「その通り。あやつが言うに13月のとある日だけワシらの世界と魔界が最も近付く時らしくてのぅ。強引に穴を開けて行き来していたみたいじゃ」
「デルキラ様らしい……」
魔王の我儘と自由さを知っているサリバンは少し呆れる。デルキラの奔放さは世界すらも飛び越えてしまうらしい。
「本当ならデルキラしか行き来が出来ないのだが、ワシはちょいと特殊な体になったおかげでようやく魔界を拝めることが出来たぞ!」
嬉しそうに笑う一龍。しかし、サリバンは細めていた目を開き、本来の鋭い目を露にする。一龍を観察する様にジッと見つめていた。そして、あることに気付く
「一龍君。君は──」
「まあ、少し観光してみたが中々刺激的な場所じゃのぅ魔界は。危険な場所もあるが、ワシらの世界も似た様なもんじゃな! はっはっはっ!」
サリバンの言葉を遮る様にして喋る一龍。
これ以上言うのは野暮だと思い、サリバンもそのことについて触れるのを止めた。
「あのテーブルクロス、イルマ君にあげたの君だね?」
「いやぁ、勝手な真似をして悪かった」
「いいよ、いいよ。僕も使い方が分からずにずっとしまっていただけだったから」
「ワシが魔界に来た時、すぐ傍にあれがあった。ワシもどうやらあれに導かれたおかげでここへ来られたらしいのぅ」
「そっか……」
あのテーブルクロスはデルキラが珍しく最初から最後まで自分一人で創り上げたものであった。いつも無茶な要求や要望をして自分たちを悩ませるデルキラにしては珍しい行いだったのでサリバンもよく覚えている。
完成と共にそれはサリバンへと渡され、サリバンが『何に使うのですか?』と訊いたが、デルキラは悪戯でも仕掛けた子供の様な表情で『そのうち分かる』と言うだけだった。
テーブルクロスの力を今になってようやく知る。
「あれはワシらの世界と魔界を繋げる力を持っているのじゃろぅ。そして、ワシの願いに反応してこちらへと招いた」
「願い? 君は魔界に対して何を願うんだい?」
「なーに、大したことじゃないわぃ」
一龍は白い歯を見せ、子供の様に笑う。
「デルキラがいつも魔界の自慢をしてたからのぅ。ワシもおぬしらに自慢をしたかったんじゃ。ワシらの世界にはこんなに素晴らしいものがある、とのぅ」
邪な考えなど全く無いというのが一龍の語る言葉、態度から伝わって来る。その存在感が真実であると信じさせてしまう。
「ふふっ」
サリバンは嬉しそうに笑い、指を鳴らす。何も無い空間からワインボトルとグラスが出現し、何もせずにグラスへ中身が注がれていく。
「乾杯といこう。遠い世界の客人へ」
サリバンがグラスを掲げ、一龍も微笑を浮かべてグラスを取り、二人は揃ってグラスを傾ける。
この出会いを祝って。
「ぶやぁー! アルコール強っ!」
「お酒駄目なの!?」
「何で飲んだのですか……?」