とある一室にて絶えずペンの走る音が鳴る。
数え切れない程に積み上げられた紙の山を左右に置き、音の主は機械の様に書類を書き続ける。
紫がかった頭髪は乱れなくきっちりと整えられ、額から一房、二房垂らしている。
眼光鋭い切れ長の目。不機嫌そうに寄った眉間の皺。厚手のローブを纏い、上から下まで全く隙の無い出で立ち。
入間たちが通う悪魔学校バビルスの筆頭教師であり問題児クラスの担任教師であるナベリウス・カルエゴは13月であるにもかかわらず黙々と仕事をしている。
厳粛という言葉を好む彼は、その言葉通り厳しく、情け容赦の無い性格をしていた。
堅物であり問題児たちが問題を起こせば一切の慈悲鳴く膨大な課題を与え、それに苦しむ様子を愉しむやや陰湿な面を持ち合わせている。
そのせいで教え子たちからは恐れられているが、同時に生真面目であり生徒一人一人を良く観察し、特徴や問題点をきちんと理解し、今後の展望を事細かに考えるなどの面を持っており、何やかんやで慕われている。
今も二年生になる問題児たちの為に休みを惜しんで働いている。
コンコン、と扉をノックする音がする。
「入れ」
誰がノックをしたのか察していたのでカルエゴは扉の方を見向きもしなかった。
「相変わらず凄い仕事量だね」
入って来たのは大柄な男性であった。
最初に目に入るのはその顔立ち。短く刈り込んだ白髪、ギョロリと動く三白眼、口周りを覆う格子状の金属製のマスク。
袖の無い衣服を着用し、首や腰回りは羽毛で飾られている。
また膝から下は猛禽類の様な鱗状の足となっており、靴が履けない様な鋭い爪を生やしている。
バラム・シチロウ。悪魔学校の空想生物学を担当する教師。その恐ろし気な容姿と生物学の先生故の癖なのかやたらスキンシップをしてくることで生徒から怖がられているが、中身は生徒思いの優しい教師である。
「折角の休みだっているのに学校まで来て仕事なんて頑張っているね」
「お前も似た様なものだろう。──13月明けの生徒は大概は気が抜けて腑抜けになったアホばかりだからな。厳粛さを取り戻す為にも初日からキチンと指導する必要がある。やる気を出させる為にな」
「生徒思いだね、カルエゴ君は」
シチロウとカルエゴは嘗て悪魔学校に通っていた同級生であり長い付き合いの関係である。カルエゴにとって数少ない、本当に数少ない仲の良い悪魔であった。
「何か用か?」
「うん。この後、暇があるか聞きに来たんだけど……仕事の方は暫く掛かりそう?」
「いや。あと三十分程あれば終わる。この後の予定は特にないが、それがどうかしたか?」
「一緒にご飯でもどうかと思って」
「夕食の誘いか? お前にしては珍しいな」
「まあ、偶にはね」
カルエゴは少しの間黙考する。
「──良いだろう。なるべく早く終わらせる」
「急がなくていいよ。気長に待っているから。あ、お茶淹れようか?」
「頼む」
そして、カルエゴは仕事を終わらせ、シチロウと共に夕食を食べに行くのだが──
「……」
ただでさえ険しいカルエゴの表情がこれ以上無い程に険しくなり、顔色も悪くなっている。
「……何故ここへ来た?」
「えっと、夕食に誘われたから……」
「お前が発端じゃなかったのか! それを先に言え!」
「ごめん。言ったらカルエゴ君が断るから黙っててくれ、って言われたから……」
シチロウがカルエゴを連れてきたのはサリバン邸前。カルエゴにとってサリバンは、喧しく、節度が無く、マイペースという彼が最も嫌悪する要素を凝縮した天敵。可能な限り関わりたくない存在である。
そして、サリバン邸にはもう一人カルエゴにとって天敵と呼べる存在が居た。
「とにかく! 私は帰る! 体調が悪くなったと理事長に伝えておけ!」
「私にはとても元気そうに見えますが? カルエゴ君?」
背後から声を掛けられ、カルエゴは全身を硬直させた。
「オペラッ! ……先輩」
彼にとってのもう一人の天敵──オペラの登場に悪かった顔色が最悪にまで至る。
「お招きありがとうございます。オペラ先輩」
「やあ、バラム君」
カルエゴとシチロウにとってオペラは、言っていた様に学生時代先輩後輩の関係である。どんな存在であったかはカルエゴの反応で全て察せるだろう。
「い、一体何を企んでいる!?」
「企んでいるとは人聞きの悪い。サリバン様が、お二人が休日を返上してまで学校の為に働いていると知り、是非ともお二方を労いたいとディナーに誘っただけです」
「それが怪しいって言うんだっ!」
無表情である筈のオペラの表情が心なしかウキウキしている様に見え、カルエゴは警戒心を剥き出しにする。
「──ほぉ? ではサリバン様のご招待を蹴るつもりですか?」
「う、ぐっ……!」
魔界は上下関係が厳しい。サリバンは悪魔学校の理事長という立場でありカルエゴにとって上司である。如何に理不尽で不本意な内容であったとしても断ることが出来ないのだ。
全てを諦め、カルエゴは重い足取りでサリバン邸へと向かって行く。
扉を開けるとそこでは入間が出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ。カルエゴ先生、バラム先生」
「やあ、イルマ君」
入間は二人が来てくれたことを歓迎する。
「よく来てくれたね~。カルエゴくーん!」
「来たくて来た訳じゃありませんよ……」
同じく歓迎するサリバンに対してカルエゴは威嚇同然の不機嫌な態度で応じるが、サリバンには全く通用しなかった。
「目的は何ですか!? 私に何をしようと!?」
「いやだなぁ。オペラから聞いてるでしょ? いつも頑張っている君たちに僕からご馳走しようと思っただけだよ~」
そう言うサリバンに対し、カルエゴの懐疑的な目を向けるのを止めない。
「ここでずっと喋っているのも何だし、早速ディナーと行こうか。オペラ、準備を」
「はい」
早速食堂へと連れて行かれるが、その間カルエゴは野生動物の様に周囲を警戒し続けていた。
広々とした食堂へ着くとナプキンやナイフ、フォーク、食器が完璧に配置されたテーブルがある。
「──ちっ。ならば遠慮なく食事をさせてもらうぞ」
ここまで来ると観念したのか、或いは開き直ったのか堂々とした態度で着席する。
「シチロウ。お前も遠慮せずに食べてやれ」
「うーん。まあ、そう言うなら……」
シチロウはやや躊躇しながら口部のマスクを外す。シチロウの口は昔遭った事故のせいで右側が大きく裂けており、獰猛な牙が剥き出しになっている。彼がマスクを付けるのはその牙で相手を怯えさせない為の配慮であった。
だが、この場に於いては全員がその事実を知っているのでシチロウも普段隠しているものを晒す。
カルエゴの疑念が晴れぬ中でディナーが始まる。
拍子抜けする程に何も起こらなかった。一品、一品配置される度にカルエゴは疑っていたが、特に何も起きない。料理の方も舌が肥えているカルエゴを満足させるには十分な味であった。癪に障るので決して美味いとは言わなかったが。
シチロウも料理には充分満足している。入間の方は小柄な体の何処にそんな量が入るのか分からない量の皿を周りに積み上げていた。
特に何事無く最後の一皿を食したカルエゴ。だが、ここで彼にとって予想していなかったことが起こる。
オペラによって空になった皿が片付けられ、クローシュで覆われた品が置かれる。
「こちらが最後となります」
「何? さっきので終わりではなかったのか?」
デザートまで食したカルエゴ。これ以上何を食べるというのか。
「どうしてもこの料理だけは最後に食べる必要があるので」
「何?」
オペラによってクローシュが外される。
「こちらが本日最後の一品。『センチュリースープ』です」
センチュリースープから立ち昇る湯気と共に美しい揺らめきのオーロラが現れる。
「何……!」
「うわぁぁぁ!」
「これは凄い……」
オーロラの美しさに入間、カルエゴ、シチロウは見惚れてしまう。
「冷めない内にどうぞ」
オペラに声を掛けられ、呆然としていたカルエゴは我に返る。
スプーンを取ってオーロラを放つセンチュリースープを見る。スープには一切色の無い無色。だというのに鼻孔を刺激する香りは数え切れない程の具材がそこに込められていることを示していた。
スプーンで一杯掬い、口の中に入れる。
(これは……!?)
数多の食材が織り成す完璧な調和がそこにはあった。
重なり合った旨味の層が口の中で広がっていき、脳を覚醒させていく。既知の旨みもあれば未知の旨味もあり、それが怒涛の如く押し寄せて来る。
この料理を最後に持って来た意味を知る。この味を最初に知ってしまえば、それだけで満足してしまい、それより後の料理など何も感じなくなってしまうだろう。
美味が生み出す多幸感と満足感がカルエゴの体を満たす。
余談だが、センチュリースープとは飲む者に笑顔を与える。凄まじくみだらでだらしのない笑顔を。要は飲む人を変な顔にさせてしまうのだ。
そして、今のカルエゴの表情はというと──
未だ嘗て見た事の無い先生、友人の顔に絶句する入間、シチロウ。
悶え苦しむ様に体を震わせて笑うサリバン。
無表情ではあるが時折体痙攣させ、夢中でカメラのシャッターを切るオペラ。
──以下の反応から見て推測して頂こう。
大概ひどい目に遭うカルエゴ先生。