休日ということもあり、ロンドンから足を伸ばしてオックスフォードまで来たというのに、通り雨のせいで移動を制限されるのは、すぐに止むとはいえ、気が滅入る。
ロンドンがよく「霧の都」と称されるようにこの国では細かい雨が頻繁に降り、大抵は五分もすれば止む。
それ故に大抵の人は傘自体を持っていないか、フードを被ってそのまま濡れながら歩くのだ。
たとえ持っていたとしてもこの国の英国紳士達は傘を持っていても使わない事が多い。
彼ら曰く、傘は閉じている状態が一番格好いい、らしい。相も変わらず洒落た人種である。お陰様でボクも傘を持っていても使わない習慣がついてしまった。
ボク以外の屋根の下で待っている人々もそのうち雨が止むだろうと友人同士で会話したり自分の携帯を弄ったりしている。ボクもこの後の予定をぼんやりと頭に浮かべて考えていた。
そんな雲の中かと錯覚するような霧雨を押しのけるように、遠くから蛍光イエローとブルーのチェックで装飾された派手な車が徐々に見え始める。
日本では想像もつかないだろうが、あの目立った車こそがこの国の正式なパトカーのデザインだ。
そんなものが立ち竦んでいるボクの目の前で止まる。
予想外の事に驚いて呆然と見ているとサイドウィンドウが開かれる。中から顔を見せたのは、濃いブルネットの髪にヘーゼルの瞳、イギリス人にしては少し赤みがかった健康的な顔色をしている人物だった。
「よっ、嬢ちゃん元気か?」
「……エドワーズ巡査!?」
「残念だな、マスミ。俺はもう巡査部長だ」
考え事が多く、余り喋らないボクが久々に会った彼と会話が途切れないのは彼の人柄も有るだろう。
彼との出会いは二年ほど前、今は隣に居ない白馬君に連れて行かれた時計屋だ。良くも悪くも趣のあったその店で店主をしていたアルバート・エドワーズは時計職人だった事もあり、その職人気質を感じると同時に本当に大人かと疑うくらい自由で溌剌とした人だった。
昔、そんな彼が何故警察なんぞという規則に縛られた組織に入っているのか尋ねたその答えが単純に儲かるからだと聞いた時は脱力した。
その彼が巡査部長に昇進しているとは、全く世も末である。
ちょっと待ってろ、と言われたかと思うとフロントドアが滑らかに開く。当然のようにパトカーに乗り込むようになってしまったボクは随分とあの探偵様に毒されている気がする。何とも言えないが、とりあえず軽めの呪詛を送っておこうと思う。是非棚の角で足の小指でも痛めておいてくれ。
ボクが座ったのを横目で確認し、車を発進させる。しっとりと雨に濡れる車内は不自然なほど静かだった。ほぼ間違いなく
仕方が無いと自分に言い聞かせるも、ため息を吐く。
隣でいつボクに事情を話そうかとソワソワする彼を横目で見る。何だか彼がたじろいだ気がするが、別に睨んだつもりは無い。
「……で? ボクを乗せたって事は何かあったのかい?」
「分かっちゃったか?」
白々しくおどけてみせる彼。それを呆れながら見ると誤魔化すようにひとつ咳払いをする、
途端に先程までの気の抜けた雰囲気から一変し、真剣な声色になる。
「……最近、話題になってるやつがあるだろ?」
「ああ、『二十一世紀のジャックザリッパー』とかで新聞の表紙とか飾ってたあれかい?」
ここ最近現れた、正体不明の犯人にあてられた渾名のようなものだ。
手口は単純。新天地だと浮かれた観光客に気付かれないようにその鞄を十センチ程切り裂く。そしてその隙間から貴重品だけを抜き取る、というものだ。
いくら気が抜けすぎている観光客相手とはいえ、良くもまあそんな芸当をしてみせるものである。まさに要らない才能が発揮されているといったところか。
「今まで通りの手口であれば何の問題も無い……訳では無いが、まあ、とにかく良かったんだ。」
「……うん?」
「実はな……」
エドワーズ巡査部長は一度唾を飲み込むように言葉を区切る。思わず不信げに彼を見てしまったがどうやら彼は言い淀んでいるようだった。
かと言ってボクをここに乗せたという事は巻き込まれる事は確定的だろう。彼の言葉を待つように黙り込めば、やはり続けられた。
「実は、一昨日初めて死人が出たんだ」
「何だって? 彼…だかは知らないが、とにかくただの強盗だったんじゃないのか?」
「ああ、だからこそ俺の管轄外だったんだが、今回の件で強盗犯から強盗殺人犯に変わり、お陰様で俺も出動する羽目になったって訳さ」
「そんな……」
「そのせいで上も下もてんやわんや。残念な事に
「……なるほど」
思ったよりも重大な責任に圧倒され、最後のその言葉はぽつりと呟くようになってしまった。
ボクがこの事件を解けということだろうか。
最初に浮かぶのは無理だという言葉。
そもそもボクは探偵では無い。ボクに出来るのは[[rb:彼>白馬探]]の推理の為の情報を探し伝えることくらいだ。
「別にやりたくないなら断ってくれても構わねぇぞ」
黙り込むボクに何ともないとでもいうように彼は言った。
彼も優しい人だ。本当はボクに協力して欲しい程犯人を逮捕したいだろうに、断れるようわざわざ道を作ってくれている。
だが、もし、ボクにも何か出来るならば。
気がつけばボクは上着の左胸のポケットに手を当てていた。そこにはあの万年筆があるのだ。布の上から触れるとつるりとした感触と同時に心臓の鼓動が感じられる。まるで万年筆自体が脈打っているようだった。
──全く、キミは……ボクにやれと言うのか?
「……それで、事件の概要は?」
「……」
返事がない彼を訝しげに見れば、その際立った睫毛を瞬かせていた。
「エドワーズ巡査部長?」
「あ、ああ。てっきり断ると思ってたからな……」
「ボクもそのつもりだったんだけどね。誰かさんに毒されたせいか、先が気になってしまってね」
少し微笑んで見せれば、大きくため息を吐かれる。そして片手で目元を抑えながらしみじみと言った。
「……相変わらず可愛くねぇ餓鬼だこと」
「白馬君よりはちゃんと子供だろう?」
「どうだかな」
お互いに軽口を叩き合いながら車に揺られる。ボクのこれは空元気かもしれないが、それでも、せめて、何か、やれるだけ。
雨はまだ止まない。けれども、遠くには確かに青空が広がっているのが見えた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
エドワーズ巡査部長の車は再び都市の中心部へと逆戻りする。事件現場がこの辺りにあるらしい。
「……つまり、今回の殺人事件は盗みがバレて逆上したリッパーが突発的にやってしまった犯行っていう線が濃いってことかい?」
「……やっぱりそうなるよなぁ」
車のハンドルに項垂れながら気落ちするエドワーズ巡査部長。恐らく彼らもボクとほぼ同じ見解に至ったのだろう。
今回の被害者が殺されたのは位置的には都市部にあたる場所だ。だが、いくら都市部とはいえ人通りが殆ど無い場所も存在する。
特にイギリスではそれが顕著に分かれている。賑わっているのは観光地だけで、少し大通りから逸れれば、そこにあるのはただの道。知る人ぞ知る近道のようなものが多い。
遺体はそんな裏路地とも言える場所にあったらしい。
「ただ、本当にリッパーが犯人だとしたら色々とおかしいような気もするけどね」
「そうか?」
「あのリッパーは元々観光客狙いなんだろう? だから被害届も出やすくあるけど……でも、そんなやつがわざわざ裏路地で殺すだろうか?」
「確かにな……」
今回の殺人事件をジャックザリッパーがやったと言うには何だか不自然な気がするのだ。まあ、彼が心変わりしたとか、元々強盗をしていたやつが殺人をするのは別におかしな事ではないと言われたらそれ迄だが。
被害者の名前はアイラ・クリスティー。生まれも育ちもここイギリスで、彼女の経歴からなかなかに充実した生活を送っていたらしい。
彼女は裏路地に倒れているところを道を通った近隣住民が警察に通報して発見された。
死亡推定時刻は午前二時頃。そして死因は腹部刺創による出血性ショック死。近くには切り裂かれた被害者の鞄があり、中から貴重品類が見つからなかった事から、ジャックザリッパーの犯行と結び付けられたのだ。
やはり拭いきれない違和感がある。何かがおかしい。だがそれが何だか分からない。
「着いたぞ。ここだ」
車は規制線が貼られた細い道の前で止まった。
未だに降り続ける霧雨の中、ボクはフードを被って車から降りる。現場は道、と言うよりももはや建物と建物の隙間に図らずも出来た空間、と言った方が正しいように思われた。
現場検証に来ている警官達に片手で挨拶をしながら規制線をくぐるエドワーズ巡査部長の後ろに続いて現場に入る。
何人かの警官には一瞬怪訝な顔をされたが、彼が「白馬」の名を出せば納得したように笑っていた。ボクはものすごく納得がいかないのだが。
幸い、と言うべきか遺体は既に運ばれた後だったらしい。それでも血の跡であろうものが道に残っていた。
「ここで亡くなったのか……。誰も何も見てなかったのか?」
「ああ、流石に深夜だったしな。そんな時間にこんな所誰も通らねぇんだとよ」
「監視カメラも……無いか」
道は一本道。この道に入る二人の人間を見ている人がいれば一瞬で解決しただろう。まあ、そう簡単では無いからボクが呼ばれてしまったのだ。
周りを少し見渡すも、そこにあるのは建物の影で作られた薄暗い道だ。
この辺りは既に鑑識達が見た後のようで、ボクがここを探っても何も出てこないだろう。
それならばとボクは奥へ進むことにした。
現場検証は始まったばかりのようで、エドワーズ巡査部長も捜査に参加している。
この道は一本道ではあるが、建物の隙間でこの空間が出来ているため、何度か道が曲がっている。つまり、見通しが悪いのだ。何歩か奥へ進んでいくと事件現場自体が見えなくなる。
「エドワーズ巡査部長! ボクは少し奥まで行ってくるよ!」
「了解だ! 何かあったら呼んでくれ!」
彼に呼びかければ響いた声が返ってきた。
この道はやはり元々通る人がほとんど居ないのか、左右にそびえ立つ建物の外壁には所々に苔が生えている。
所々にある光が入らないために窓も開かれることは無いようで、殆どがカーテンで窓を覆っていた。
狭い道にボクのくぐもった足音だけが聞こえる。
少し進んでもあまり変わらない景色が続いていたが、突き当たりまで行くとそこにはポツンとマンホールがあった。
──まさかとは思うが、そんな推理小説みたいな事があるのだろうか?
その考えの馬鹿馬鹿しさに思わず笑いそうになる。念の為に注意深く周りを観察してみるも、ボクの目からは特に変わったところは見受けられなかった。
物は試しとマンホールを開けることにした。ポケットからハンカチを取り出し、直接触れてしまわないよう慎重に蓋の穴に指をかける。力を込めて持ち上げようとするも、流石にビクともしなかった。やはり専用の工具でも無ければ開けることは難しそうだ。
「なんかあったか?」
突然後ろから声をかけられる。
振り返るとちょうど曲がった道から顔が出てくる所だった。どうやらボクが無謀な事をしている様子は見られなかったらしい。
少しの安堵と誤魔化すようにマンホールを顎で指し示す。
「いや、強いて言うならこのマンホールだけど……」
「こっちもなんも無くてな。とりあえず被害者の友人に聞き込みに行く」
「分かった」
ズボンの裾を軽くはたいて立ち上がる。
まだ事件現場とその付近を見たに過ぎないが、何から手をつけたら良いのかすら分からない。全く、本当にこの事件を解決できるのか先行きが不安でしかない。
彼もボクと同じ事を感じているのか、少し眉をしかめて黙り込んでいた。
相変わらず雨で湿気った空気がボクらを包んでいた。
「お、サボテンが花をつけてるぜ」
そんな鬱屈とした空気を取り払うためか、物珍しげにエドワーズ巡査部長が声をあげる。ちら、とそちらに目を向ければ半透明のレースカーテンを間に挟んで窓辺に観葉植物が置かれているようだった。
濃いピンク色をした花弁がサボテンに接着されたように咲いていた。
いつか話を聞いた事がある。サボテンに花をつけるにはそれなりに世話をきちんとしなければいけないらしい。ここの家主は几帳面だったのだろう。
ただ、ギョロっとした目の(あまり可愛らしいとは言えない)猫の形をした植木鉢を使うセンスに共感出来なかったののはここだけの話である。
未だ捜査のために残る警官達に軽く挨拶をして現場を後にする。
他人の匂いのする空調設備の効いた心地よい空間へと戻る。
バタン、と閉じる音とその衝撃による振動を感じながら椅子の背もたれに寄りかかった。ふぅと息を吐くと何だか体がリラックスしたように感じた。不安と苛立ちから少なからず体が強ばっていたらしい。
「とりあえずこっちでピックアップした被害者の友人……のとこまで行くぞ。はぁ、何か少しでも分かると良いんだが」
エドワーズ巡査部長は一つ溜息を吐いてアクセルを踏む。
車は霧の中のようなロンドンを進んで行った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
こじんまりとしたフラットの廊下を歩けば目的の扉が見えてきた。手を伸ばしチャイムを押すとそれはキンコーン、と古びた鐘の音を鳴らした。
「……何方です?」
ドアチェーンをかけられた扉の隙間から顔を出した女性が怪訝そうにこちらを見つめる。イギリス人らしい焦げ茶色の目と髪の毛。顔のそばかすと少し自信なさげな顔つきが幸薄そうに見える。
「ロンドン市警だ。ちょっと聞きてぇことがあってな。中に入っても?」
「……そちらの少年は?」
ボクを顎で差しながら訊ねる女性。その表情は歓迎しているとは言えない顔だった。ただでさえ警察が家に訪れることなど非日常なのだ。そこにボクみたいなのは煙たがれるのだろう。
「え? あー……」
何故か急に狼狽するエドワーズ巡査部長。こういう時の言い訳は特に考えていなかったのだろうか。
ここで追い返されるのも面倒なことになる。仕方がないが、とりあえず先手を打っておくことにした。
「……実はボク探偵をやってるだ。無理言って今回の事件に協力させてもらってるのさ」
「はぁ、そうですか。……どうぞ」
ボクの言葉に呆れたのか元々そんなに興味が無いのか、家主の女性は渋々といった様子でロックを外す。
まるでボクだけが恥を晒したようで、口を開かなければ良かったと少し後悔する。
扉はいやに軋みながら開かれた。
着古したであろう色素の薄いカーディガンを羽織った彼女の後ろに続こうとすると何故かエドワーズ巡査部長に少し引き止められる。
「おい、勘違いされてるけどいいのか」
「勘違い?」
「男じゃねぇだろ」
ああ。ふむ。なるほど。
レディファースト文化が自然と根付いている彼もやはり英国人だったということだろう。
ならば先程の狼狽はボクのことについてだったか。
ボクとしては別にどちらでも気にしない。器が変わった自らのことを自らが認識出来ているのならばそれが全てではないだろうか。ただ、それに縋るしかないのもまた事実ではあるが。
「今更訂正するのも少し面倒だしね」
「まあ、お前が大丈夫ならいいんだが……」
少し肩を竦めて気にしてないように言えば、納得した様だった。彼なりに色々と心配してくれたのだろう。
部屋の中まで入るとそこはあまり広いとは言えないワンルームだった。比較的新しい物のようだが、少しへたったソファーやベットから生活感が伺える。
彼女をソファーに座るよう促すと自分の家だと言うのに遠慮したように少し萎縮する。
「あー、聞きたいことってのはそんなに大したことじゃない。ただ、この女性について知ってることがあったら教えて欲しい」
「……アイラ……?彼女は友人ですが……何かあったのですか?」
「友人だったか……申し訳ないが実は死体で見つかってな」
「……そんな」
息が詰まったように口を抑える彼女。
親しい友人が亡くなったのだとしたら無理も無いだろう。
数十秒して少し落ち着いたのか、ぽつぽつと語り始める。
どうやらここの家主、ミア・ブラウンは被害者とはそれなりに仲が良かったらしい。なんでも、忘れっぽい友人の為に物を貸してあげることが多かったとか。
「そうか。あと、最後に犯行時刻頃何処にいた?」
「えっ、あぁ、友人の……カレンの家に居ました」
「了解だ、時間取って悪かったな」
最後までおどおどとしていた彼女だが、その性格からか律儀にボクらを玄関口まで見送った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「……結局、特にめぼしい情報は無かったな」
「くそ、どうすっかな」
彼の片手はハンドルを握ったまま、悪態を吐き短い髪の毛をガシガシと掻く。
エドワーズ巡査部長はフラットを出た直後、他の警官へ連絡しミアが最後に居たという友人の所に行かせた。まあ、彼女の言っていた事は真実だろうが、規則的にその確認を取る。
軽く昼食を取り、事件現場周辺でも聞き込みを続けたものの、やはり特に気になるような情報を持っている人物は居らず、そうしているうちに昼下がりになっていた。
雨を取り払うためのワイパーが一定のリズムで揺れ続けている低い音が車内に響く。
暫く待てばミアが訪れたという友人にもそれが真実であるという連絡が来た。結局その後も捜査は進展せず、今日できることは何もないと解散する流れになった。
ボクの時間を奪ってしまったお詫びにとエドワーズ巡査部長が書店へと車を出してくれた。
辿り着いた書店はそれなりに広く、いくつものジャンルに別れた本棚が立ち並んでいた。広さのせいか、客足はまばらに見えてしまう。
専門書やビジネス書の棚を横目に小説がある棚に足を運ぶ。
白馬君からはホームズ全集を読むよう本を押し付けられたのだが、結論から言えば
ただ、それは彼が望んだような感想では無いだろう。
彼が推理小説を読む時、同時に彼自身も推理しながら読むのだ。だからこそ作者と勝負ができて面白いのだという。
ボクの読み方は違う。
ボクは登場人物、多くの場合は主人公の目線に同一化して読んでいることが多い。不可思議な事に巻き込まれ、仲間を作り、何かを解決し、また或いは全てを失う。それでも、ほんの頭を上げるだけで元の平穏な日常へ戻る。
たとえ現実でなくても、そうやって幾つもの世界を旅していくのが心が踊るのだ。
本棚を何度か巡り、選んだのは小さな少年が小さな星にたっている表紙の本。
「……これでいいのか? 遠慮しなくても新刊のやつでもいいぜ……ほら
「そういえばボクが持っていたのは日本語版しかなかったことを思い出してね」
「物好きだな……俺も昔読んだことあるが何かよく分かんなかった記憶しかねぇな」
「そうだね……まあ、物語の展開は比較的単調だからね」
大切なものを見つけた彼は元の星へ帰るために蛇を受け入れ、最期を迎える。宇宙に浮かぶ星々のどれか一つに彼は居るのだ。その星々はボクらの友達になると彼は語ったけれども。
──ボクにはそれがひどく悲しい。
空いているレジで手早く本の購入を済ませる。湿気った空気の外に再び戻った途端、エドワーズ巡査部長の携帯端末に着信が入る。
「何かあったのか? ……何? 現行犯逮捕だと!?」
話を聞いた途端に大きく驚く彼の様子から察するに明らかに何かが起こったようだ。
「……ああ。分かった。すぐ行く」
「何が?」
「例の……『ジャックザリッパー』が巡回中の警官に現行犯逮捕された」
「は……」
現行犯逮捕なんぞで捕まった犯人を憐れむべきか、すっきりしないまま事件解決したことを悲しむべきか、色んな感情に戸惑う。
「悪いが、もう一仕事手伝ってもらうことになっちまったな」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
少々荒いとも言える運転で警察署前に辿り着く。こちらのことを気にせず小走りに中へと進むエドワーズ巡査部長に遅れないよう着いていく。
まあ、結果から言えば追いかける必要は無かったが。
いくらボクが名探偵白馬探の助手のようなものをしているとは言え、
一人取り残されたボクは手持ち無沙汰になる。一日を通して事件に振り回された疲れから、エントランスに設置された椅子に腰掛ける。
数分待っても彼が来ないのは、取り調べに時間がかかっているのだろう。
徐に胸ポケットに差し込んだ万年筆を光に照らす。まだ新品ではあるが常に外気に触れる形で持ち歩いているのだ、細かな傷が付いているのが少し見える。
キャップを外し、ニブの状態も確認する。金色に光るペン先からは黒いインクが滲んでいた。
暇さえあればこの万年筆を確認するボクは、無論デザインが気に入っているのもあるが、自分でも意外なほど彼からの好意が嬉しかったのだろう。
彼が居なければ事件に関わる事も、警察官と知り合う事も決して無かったに違いない。
コツコツと遠くから響く足音に顔を上げるとどうやら取り調べは終わったらしい。
ボクを探す為に見回す彼に、ひらりと片手を軽く振ればこちらに気がついた様だった。
「待たせて悪い。話は聞けたが、自分は殺しはしてないってよ」
「ってことは例の『ジャックザリッパー』であることは認めたのかい?」
「ああ、それは間違いないけどな」
「犯人の言うことを信用する訳じゃないが……少なくとも再捜査が必要になるという訳か」
やはり物語小説のように犯人を逮捕すれば事件解決万々歳、というようにはいかないらしい。
前に彼が愚痴を漏らしていたのだが、一度捜査に詰まるとそれだけで迷宮入りの可能性が上がるのだとか。また最初からとなると、どうなるかは言うまでもない。
とは言え、もう既に半日は使ったのだ。ボクが手伝えることは無いだろう。
振り返り、別れの言葉を告げようとすれば遮られる。
──全く、何でそんな真剣な顔をするんだい?
「犯人は別に居る、間違いなく」
「……根拠は?」
「勿論、刑事のカンだ」
清々しいほど自信満々に言い切る彼に、呆れたようにため息を吐けば笑顔で肩を叩かれる。
「論理的思考ばっかりじゃあ、疲れるだろ? 運も第六感も実力だ。あの探偵坊主にあっと言わせてやろうぜ」
一先ず小さな会議室を借り、話をまとめることにした。
逮捕されたという『ジャックザリッパー』の正体は年端もいかない少年だったらしい。犯行動機は単純に金銭目的だったのだという。
いくら近代化が進んでいるとは言え、やはり貧富の差はどの国でも無くならないようだ。捕まった少年も、ストリートチルドレンと呼ばれるような生活を送っていたらしい。
暫くの間は真っ当に靴磨きをしてその日暮らしな生活をしていたものの、育ち盛りの少年の空腹限界は直ぐに訪れた。
一度だけ、そう思って犯罪に手を染めれば意外とそれは簡単で。数回もすれば罪悪感も殆ど消えていった。
犯行動機を聞いたエドワーズ巡査部長達は渋い顔になったという。
その少年の事情はともかく、確かに彼が殺人を犯すには少し厳しいものがある。性別的に男性の方が女性よりも力があることは事実であるが、それでも大人を相手にするには力が足りないだろう。
とりあえず手分けしてほぼ全て現場写真を見直すところから始めたものの、進展は特に無かった。
特に厄介なのは、現場が住宅街の裏道ということもあり、付近には監視カメラの設置がされていないことだ。
「流石に闇雲に証拠探しするのは無理だったんじゃないか……?」
「くっそ、だめか」
二人して項垂れていると扉を軽くノックして若い警官が入ってきた。缶コーヒーの差し入れに来たらしい。
「お二人とも、ちょっと休んではどうです? 特に助手さんなんかは若いだから」
「まあ、うん。そうだけど……」
「そうだな、ほら一回中断だ」
ボクがまだ探そうと渋っていれば左右から資料を回収される。
ここは大人しく少し休憩すべきか。
「本当は僕達警察がやるべき事だけどね……ま、一旦この話は置いといて。雑談でもしようか。面白い話を聞いたんだ」
「……面白い話?」
「被害者の友人と会ってた人がね、貸家をしているらしくて。彼女の家の証としてサボテンを置いているらしいんだ」
「それはまた何故?」
「勿論、育てやすくて可愛いっていうのが一番の理由らしい。でもね、いくら育てやすいと言っても土が乾いたら水を上げる必要がある。それを気にかける人は良い人だって言うんだ」
「成程、よく考えてあんな」
「丁度最近出ていった前の住人なんか花まで咲かせたらしい。ああ! 写真を送って貰ったから見せるよ。ほら」
映っていたのは濃いピンク色をした花弁が接着されたようにサボテン。そして、とても
「おい、待て。この何とも言えねぇ猫!」
「巡査部長、それはちょっと失礼では……?」
「違ぇ、文句を言いたい訳じゃない。同じだよな?」
特徴的すぎるこの鉢植えを彼も覚えていたらしい。
「ああ。という事はここの家主が……いや、ミア・ブラウンの方か!」
「なるほど、それなら」
「え? 被害者の友人? そもそもどういう事なんです?」
「つまり、ここの家主のこの持ち家で会っていたってことだ。確かにここなら今は住んでいないとは言え、自宅で会っていた事には変わりない」
よく考えたものだ。彼女自身嘘は言っていない。ただ、ボク達が勝手にそう思い込んでしまったのだ。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
後日、彼女が逮捕されたという話を聞いた。
ボク達の予想は概ね正しく、彼女達が会っていたのはあの現場すぐ近くの家だったのだ。
彼女が取り調べで語ったことには、あの日彼女は貸していた物を返してもらう為に被害者と会っていたのだと言う。
だが、それだけでは犯行に及ぶとは思えない。いや、凶器を持っていっていた時点で計画性があると更に話を聞いたところ、少なからず元々殺意はあったらしい。
学生時代からの付き合いだったが、果たしてそれが友人と呼べる関係だったかは分からない。
今回の被害者である彼女はよく物を他人から物を借りることが多かったようだ。ただし、裕福ゆえに無邪気で我儘に育った彼女がそれを返すことは決して無かった。その世話焼きのように常に隣にいたのが今回の犯人。
元々消極的な性格である彼女は断ることが出来なかった。彼女が決して裕福では無いことを知らずに。
彼女にとってそれは脅迫に近いものだった。
下手に頭が良かった彼女はアリバイが成立しているように見せかける犯行を計画し、そして半分成功した。
「今月のお金の足しにしようと、以前奪われた宝石を取り返しただけなんだとよ。……まあ、色々爆発しちまったって感じだな」
「理解できなくはないが、全く共感は出来ないね」
そう言ってミルクティーを口に含めば、まろやかな味が広がる。
「『貴方達みたいな人生の強者には分からないでしょうね』だってよ」
分からないし、分かりたくもない。殺人を犯して捕まるより縁を切った方がよっぽど早いし楽だろう。
「強者、ねぇ……」
──ボクだって自信があってやっている訳では無いのに
持っているティーカップに目を向ければ、甘いミルクティーに反射したボクの顔がゆらゆらと揺れていた。
[newpage]
埃を被り照明すら消えかけたその部屋は、お世辞にも空気が良いとは言えなかった。
されどもこの空間にいる彼らはそんな事を気にも止めない。この程度、いや、それ以上の経験をした者ばかりだからだ。
「……それで」
「こちらが……その時の映像です。余りにも大事だったためか、コードネーム持ちでない潜入捜査官でも入手することが出来ました」
その映像はある男の死の瞬間を映したもの。肺を撃たれながらも何時もと変わらぬ表情をした男は彼らしいと言うべきか。
何にせよ、この映像の結末は変わらない。
頭部を撃ち抜かれ、彼の愛車ごと燃やされる。
それを一通り見終えた彼女はほんの少し顔を顰めるが、それだけだった。
幸か不幸か、優秀なエージェントである彼女には例え実の息子を失ったとしても復讐心に駆られる事は決してない。その聡明な脳は淡々と国家のことだけを考える。
普通の感性を持っているものであれば彼女のことを冷酷だと罵るだろう。彼女のお陰で安寧の一部が保たれていると言うのに。
されどここにそんなことを言う者はいない。
それ故に周りの者も彼女を責めることは無く、次の作戦へと思考を巡らせる。
「やはりコードネーム持ちが日本に集中しているな。引き続き、潜らせ続けろ」
「了解しました」
「湾岸の密輸入の件は先日強襲が成功し、大方は片付きました。残党処理もそこまで時間はかからないでしょう」
「ふむ。その件に当たっている捜査官を二人…いや、三人こっちの案件に回せ」
「了解」
「それと、はこの二人にバックアップを…………」
残ったことを手短に指示し終えると彼らは時間を置いてそこを去っていった。
少しだけ薄くなった埃は彼らが確かにここにいた証だが、数日もすればまた元のような古びた部屋に戻るだろう。
ここに彼らが居たことは決して知られることはない。
これまでも、これからも、永遠に。