春秋の恥さらしネタ帳 作:春秋
――聖杯戦争。
万能の願いを叶える聖杯を奪い合う争い。
聖杯を求める七人のマスターと、彼らと契約した七騎のサーヴァントがその覇権を競う大魔術儀式。マスターは己のサーヴァントに対する絶対命令権、令呪を宿し、三度のみではあるが強大な存在であるサーヴァントを支配する事ができる。
そしてサーヴァントとは英霊。人類史に残るほどの大偉業を遂げた偉人や、神話伝説に名を刻む英雄たち。その英雄たちの敵として歴史に名を刻んだ反英雄の魂を指す。
という諸々の基礎知識を、ジャックの幼くたどたどしい言葉で伝えられた龍之介。彼は頭が悪い方ではないが、何せほんの昨日までただの一般人――というには血の匂いが濃いが――として暮らしていた男である。教えられたことは頭に入っているが、その内容はあまり理解できていなかった。
それでも分かったこともある。それはこの幼い銀髪の少女が、歴史に名高いロンドンの殺人鬼だという事実。元々が悪魔を召喚しようなどと考えていた狂人であるからして、死者の魂が現れたからといって困惑するものではあるまい。
実際、龍之介は聖杯などどうでも良かった。
いや、ジャックが欲しがっているので手に入れる手伝いをしようという気はあったし、なんでも願いが叶うとなれば獲っておいて損はないだろう、という程度の興味もあった。
しかし、彼の一番の興味はもっと別のモノに向いていた。
霧の街の殺人鬼、ジャック・ザ・リッパーの殺人。彼女と共に戦争に参加し、彼女の殺しをより多く見ていたかった。雨生龍之介の動機は、つまるところその一点に尽きるのだ。
昨晩の生贄を思い出す。
殺人の技術は確かに凄いと思ったし、手並みは慣れがあって素早かった。が、最も目を惹いたのはその後だ。血を啜る幼稚な死神の姿。血と命を取り込み、糧とし、そして最後には涙を流した蒼氷の瞳。
綺麗だと思った。美しいと思った。焦がれたし憧れた。自分では決して至れないと本能で理解できた無垢なる殺戮。見蕩れたし見惚れた。もう一目惚れだ。彼はこれが恋だと言って憚らない。
もしかしたら、恋という表現は間違っていないのかもしれない。
これは雨生龍之介が初めて抱いた、異性に対する凄まじいまでの熱情であったのだから。
ジャック・ザ・リッパー、アヴェンジャーのサーヴァントが召喚された翌日。彼女とそのマスターは仲良く町を練り歩いていた。
理由は生活用品の購入と地理の把握。冬木に潜伏中の龍之介はともかく、ジャックにとっては初見の異国なので物珍しい様子である。
聖杯戦争が始まっている中で無用心とも取れるだろうが、ジャックは自身のスキルによってサーヴァントとしての気配を抑えているため、実体化して出歩いていても特に問題はない。たとえサーヴァントだとバレた所で、稀代の殺人鬼たる彼女はその情報でさえ殺してみせるのだから、なおのこと。
だがそこは流石に殺人鬼コンビというべきか、ただの観光にはならないところが物騒だ。互いに人目が乏しい箇所を探っていたりと、あらゆる行動が殺人という事象に繋がっているのだ。
そんなこんなで、彼らとしては珍しい事に昼間から出歩いていたのだが。
「りゅーのすけ、おなかすいた」
「ん? オッケー、じゃあなんか食べに行こっか」
袖を引く少女の言葉で次の予定が決まった。
本来、サーヴァントである彼女に人間としての食事は必要ない。だが素人同然の龍之介はそんなことを知らないし、魔術師ではない彼は己のサーヴァントに魔力をろくに供給出来ていない。
その不足を補うべく、
少女のおねだりには、一時
……そこに、昨夜食べた現代日本の食品に対する感動が関係なかったかと言われれば、すべてを否定する事は出来ないだろうが。
「わたしたちハンバーグ!」
「ハンバーグねえ……昨日のファミレスでいーかな」
どうやら少女はハンバーグが気に入ったらしい。見た目通りに子供らしいと微笑むべきか、挽き肉という点からいらぬ邪推すべきか。まあ、はしゃぐ姿が愛らしいのでどちらでも良いだろう。
龍之介は隣を歩く少女をチラリと盗み見る。
初めは召喚された家から着れる衣服を拝借していたのだが、流石に老年の女性服というのは傍から見ても違和感があったため、まず真っ先に服屋に飛び込んだ二人。
それなりにセンスはある龍之介だが、さしもの彼も
流石に年頃の少女としての羞恥心くらいは持ち合わせているようだが、それとこれとは話が別の事らしい。
そういう事情から両者ともにどうすることも出来ず、結局は目に付いた女性店員にコーディネートをお願いした。
今の衣装は白を基調としたトップスに薄い桃色のスカート。闇夜に暗躍する殺人鬼にはまるで見えない格好だが、逆にそのギャップが正体のかく乱に一役買うだろう。
試着した彼女に対する「似合ってて可愛いよ」という一言は、彼が女性を惑わす手練手管に長けていたゆえだろう。半ば習慣や反射に近いもので、彼自身の心情はまるで含まれていなかった。何せ彼は切り裂きジャックの信奉者。少女に何より似合うのは、返り血に濡れた無情の黒衣だと信仰しているのだから。
――いらっしゃいませ、ご注文はお決まりでしょうか?
「りゅーのすけ、ハンバーグ!」
「はいはい。んじゃ鉄板焼きハンバーグとリブロースステーキで」
昼食を終えて散策を続けしばらく、夕暮れ時のことだった。
それに気付いたのはほぼ同時。これは龍之介が持つ、サーヴァントの知覚に匹敵する殺人鬼の嗅覚を褒めるべきだろう。一瞬だけ交錯したジャックとの視線で意見を合致させた。
――
相手はただの人間なのか、魔術師という奴なのだろうか。それとも、ジャックと同じサーヴァントなのか。楽観的な彼の人格と裏腹な殺人鬼の思考が脳を掠めた時、天使が答えを導いてくれた。
「りゅーのすけ、
「――ん、りょーかい」
昼食をねだった時と同じ音程。同じ韻律。欠片の違いとてないニュアンスのそれは、含まれた意味も全く同じ。額面通り、言葉通りの意味だ。
ゾクゾクする。背筋を這い上がる快感に耐え切れず身震いした。
そう、これなのだ。雨生龍之介が惚れ込んだ少女は、こういう存在なのだ。当然以上に当然で、日常の如き非日常。どこまでも純粋に邪悪を成す、無邪気で幼稚で――無垢なる殺意。
そんな彼女を天使と呼ぶ青年は、信仰に基づき生贄を捧げる事にした。相手が誰でどうだとか関係ない。彼女がそうだと判断したなら、それが当然だと行動するだけだ。
「さっさと家に帰ろっか」
「うん」
散策中に目星を付けた、住民からは死角となりやすい区画に
引っ掛かるかどうかは半々だったが、どうやらこちらが追いかける必要はなさそうだ。裏道に入ると目に見えて人気が少なくなる。灯台下暗し。都心ゆえに生まれた影の部分、と言ったところだろうか。
周囲から完全に人の気配が消えると、
足を止めて振り返れば、またぞろぞろと男たちが
「そこのお兄さん、可愛い娘を連れてるねぇ」
中でも年若い男が声をかけてくる。年齢は龍之介とそう変わらない頃だろうか。時代背景を鑑みれば、まだ生き残っていても不思議ではない如何にもな連中である。
しかし話しかけられた龍之介はというと、男たちの数を数える事に腐心していた。
「いち、にぃ、さん、しぃ、ごぉ、ろく…………十五人、かな?」
「ざんねん。うしろに三人かくれてるよ」
「ありゃ、流石に敵わないなあ」
反対側に待ち伏せていたらしい。逃亡を許さないための伏兵だったのだろうが、サーヴァントを相手に隠れ通す事は不可能だったようだ。
この状況をまるで危機に感じていない二人に焦れたのか、男たちは声を荒らげた。
「ちっ、お前ら分かってんの? これから痛い目みるんだよ?」
「寝ぼけてんのかコラッ」
「もしもーし。聞こえてますかー?」
煽るような彼らの声を、しかしまるで意に介さない。
何故ならそう。既に彼らは、地獄の領域に踏み込んでいる。
「よしジャック、ご飯を食べるときは?」
「うん、いただきますっ!」
――そして、殺戮が始まった。
まず正面に突っ込んで、凄んでいた男の首を落とし。両脇と背後にいた男の心臓をナイフで一突き。呆けた顔で突っ立っている周囲の男たちも同様に、的確に心臓を射抜いていく。
右手で突き、引き抜いて次は左手。地を蹴り飛び跳ね、それは人間の動きではない。時折投擲も併用して、返り血の一切を浴びる事なく十五人を惨殺せしめた。
そこでくるりと背後を確認。丁度、龍之介が反対の三人を仕留めていたところだった。
「うーん、やっぱりジャックみたいには行かないかぁ……」
血濡れのナイフを振り回して呟く。
ジャックの殺しを見て、真似てはみたものの、やはり本物には遠く及ばない。返り血をまるで浴びないスタイリッシュな動きをしてみたかったのだが、簡単にはいかないようだ。
無論、彼女のそれはサーヴァントとしての肉体や、魔性の者としての身体能力が関係している特別性ゆえのものだが、そんな理屈は龍之介には意味を成さない。
「……ん、まっじぃ」
吸血の真似事をしてみたが、彼とて味覚は常人のそれ。殺人鬼はイコールで食人鬼ではなかったらしい。
表情を変えずに命を啜る少女を見据え、まだまだ遠いなと独りごちる殺人鬼であった。
雨生龍之介の犠牲者、46人。
ジャック・ザ・リッパーの生贄、16人。
物欲センサー仕事休めよ。
なんで俺のカルデアにはジャックちゃんが来ないんだよ……