赤い野良犬を拾った日 作:白狼
感想等、いただけるとありがたいです。
死ぬのだろうかと、漠然と思った。
ああ、これは、きっと。このままでは死んでしまうのだと思った。そう思うほどに、子どもの目には憎悪が宿っていた。
「シアン!それが終わったらこっちを手伝え!」
「はーい!」
薄暗い路地裏の中で少女がゴミを捨てながら叫んだ。少女、と表するには少々多くの情報が足りない。痩せた体、未だに未発達の体。性差というものを感じさせないそれは、ぐいっと額を拭った。
ただ、その見目は悪いものではなかった。淡い、青みがかった銀の髪に、黄昏のような紫の瞳は磨けば光るものがあるだろうが、残念ながら適当にされた格好のせいか彼女には関係のない話だ。
「おい、知ってるか。イーストブルーで。」
「ああ、海賊だろ?」
「いや、新世界じゃあ。」
(ワンピース、ねえ。)
少女、シアンはどこからか聞こえてくるそれに疲れたようにため息を吐いた。
ワンピースなどという漫画は名作だったと思う。自分が幼い頃から多くのメディア化されたそれは、ある程度の年齢になっても十分に楽しめる作品だった。
けれど、それはあくまで鑑賞するべきものであって、絶対的に生きる世界としてはごめんこうむるものだった。
なんといっても残酷すぎる。子どもも大人も、等しく、それ相応に地獄を持っていた。
誰かの死、故郷の滅び、尊厳を踏みにじられていた。
良く悪くも残酷だからこそ、主人公のあり方が光っていたのだろうが、それはそれである。
が、自分はそんな世界に生まれて、生きているのだから悲しい話だ。
シアンと、名付けられはしたが、己の生を忘れたわけではない。ただ。今更その名を名乗るとこの世界で生きていけない気がした。だからこそ、シアンと名付けられたそれを名乗っている。そうして、そんなふうに名乗っている自分はそこそこ治安の悪い島で生まれた。スラム、というほどではないが、子どもが一人で生きて行くには少々残酷な島だった。
が、幸いなことにシアンの、すでに死んでいるが、父は医者をしていた。海賊に殺された彼は、それでも島の人間に相応に尽くしていたようで彼女と、そうして妹を無碍にするものはいなかった。
裕福な島ではないので養う、とはまではいかないが虐げられることもなければ仕事もくれたし、家も取り上げられなかった。
(まあ、それだけで十分か。)
シアンの脳裏には、死体に埋まりながら生き抜いた死の外科医だとか、天竜人に撃たれる一般人だとか、故郷を文字通り焼かれた考古学者だとかが思い浮かんだ。
それに比べれば、自分はなんてまともだろうか。
シアンはそんなことを考えつつ、立ち上がり、そそくさと店の中に入っていった。
シアンの働いている場所は酒場兼食道だった。治安が悪いせいでそれなりに繁盛している。シアンはそこで食事の下準備だとか、給仕をしていた。
愛想も良く、何よりも、町の人間に感謝されていた父を持つシアンを手荒に扱おうとするもののいない酒場は居心地がいい。
(まあ、さすがにずっとここにいるのはなあ。お金を貯めて、ある程度治安のいいところに住み替えるのも検討しないとなあ。)
そんなことを考えながら、シアンは生きていた。
面倒ごとはごめんだった。こんな世界では、自分の命を守るだけで精一杯だった。
なんといっても、自分は海賊になるつもりも、海軍になるつもりも、革命軍になる気も無かった。
そんなことを願えるほどに、シアンは苦しむことも、悲しむことも、何かを愛してもいなかった。
そうだ、そのはずだった。
(なのになあ。)
シアンの目の前には、まるで威嚇するように体を膨らませた子どもが一人。
「おーい、なあ。おなか減ってないの、君?」
「いらん!!」
シアンはそれにほとほと困り果てながら、どうしたものかなあとため息を吐いた。
シアンの住む、島というのは、そうはいってもそこまで小さなものではない。記憶の限り、主人公の住んでいた島のように、首都のようなところと、いくつかの村に分かれていた。
シアンの住んでいたのは、その中でも繁華街に含まれている場所だった。そのせいか、島の中でものけ者というのか、ろくでもないような事情の人間が多い。
それでもシアンにとっては慣れた町で危険な場所などは理解できている。その日、シアンは仕事も終わり、夕方の道を歩いていた。
丁度、妹も仕事から帰って家にいるはずだ。食堂で分けてもらった食事を持って帰ってやろうと帰路を急いでいた。
シアンの家は中心部から外れていたが、まだ治安は良い方だったように思う。小さな一軒家に急いでいると、ふと、視界の端で何かが動いた。
シアンは、野良猫か何かだろうとかとなんとなく、とある家屋と家屋の間、その路地をのぞき込んだ。
そこには、乱雑に木箱が積まれていた。
ああ、気のせいかとそこから去ろうとした。けれど、シアンはふと、木箱の影に小さな、足が飛び出しているのを見つけた。
やたらと目につく赤い靴だった。
それに、シアンはやってしまったと内心で頭を抱えた。
(孤児かあ。そういえば、反対側の村に海賊が来たかなんかで流れてきてるのがいるって、誰かが。)
シアンは、ちらりとまたその足を見た。それは変わることなくそこにある。おそらく、自分には気づいていないのだろう。
(無視して、行こうか。)
ここまで近づいてまじまじと見たことはなかったが、そうはいっても見ない光景ではない。ここの住民は、良くも悪くも悪辣というものを知っている。だからこそ、かたぎとそうでないかという線引きはしっかりしているのだ。
(・・・・お金とか、ろくろくもらえないだろうけど。あのぐらいの年なら、誰かしらが世話をしてご飯ぐらいは食べられるだろう。)
ここはそういう所だ。少なくとも、救われたいと足掻くものにはそれ相応のものが与えられる。シアンはそう思ってその場から離れようとした。
が、そうは言っても思うところがないわけではない。ずるずると、シアンはまたその小さな足を見た。
動かない。死んでいるのだろうか。違うのだろうか。
昔に比べれば、ずいぶんとそれに対しての嫌悪感は薄れていた。それに、修羅の世界だよなあとぼんやり考える。
「・・・・・あーあ。」
シアンは一言だけ言い捨てて、その場から走り出した。
(なにやってんのよ、自分。)
シアンはたったと、家から持ってきた握り飯を抱えて道を急いでいた。彼女が向かっているのは、あの少年の倒れていた路地の方向だ。
持っているのは、水筒と握り飯の入った器だ。
この世界がいいのは、パン食だけでなく、米も普及していることだろう。ちなみにシアンは米一択だ。
食事だけを一時的に与えるだけ、なんてことはしないつもりだ。ちょうど、どこかで人手が足りないという話を聞いた。子どもでも雑用係として日々の暮らしは保証してもらえるはずだ。自分の口利きならそこまで悪感情は持たれない、はず。
ひょっこりと路地奥を見た。そこには変わることなく小さな足が見える。
腐乱死体でないことだけを願ってシアンはそっとそれに近づいた。
(ありゃ。)
そこにいたのは、自分よりも少しだけ年下の少年のようだった。
赤い上着を素肌に着て、短パンをはいている。目を引いたのは、どうやら海軍の帽子らしい、白いそれ。
(拾いものか、それとも。)
ぼんやりと、そんなことを考えたがすぐに施行を切り替える。そうして、おそるおそる少年に言葉をかけた。
「なあ。」
それに、少年は少しだけ体を震わせ、そうして顔を上げた。
顔は、幼子にしては少々厳つすぎる印象があった。それは、つり目であることだとか、顔のパーツのほかに内にある何かがにじみ出ているせいだろう。
(あー、でも、なんて話しかけるのか全然考えてなかった。)
シアンはうーんと考えながらそれでもおそるおそる口を開いた。
「なあ、君、一人?」
言葉をかけたが少年は黙り込んだままシアンのことをにらみ付けるように見た。
「なあ、ここにどうしていんの?行くとこあるの?」
「・・・・・関係ないじゃろ。」
シアンは久方ぶりに聞いた訛りに懐かしい気分になりながら口を開いた。
「関係はないけど、家の近くで野垂れ死なれても気分が悪いだろ?ほら、おなか減ってない?」
その言葉に少年は不機嫌そうになり立ち上がって吐き捨てた。
「ほどこしなんぞいらん!」
少年は明らかにふらふらとしており今にも倒れてしまいそうだ。それこそ、顔色も悪い。シアンは放っておくかと考えたが、このままではさすがに目覚めも悪い。
「いらないの?」
「いらん言うとる!」
「そっかあ、じゃあこれ捨てよっかな?」
その言葉に少年の体が震えた。
「今日のご飯の残りなんだけどさあ。なんか、おなかいっぱいでさあ。君、おなか減って層だから食べてくれたら嬉しいんだけどなあ。」
わかりやすい言葉であったが、少年は迷うようにその握り飯を見た。その瞬間、これまたわかりやすく腹がなった。
間抜けな、ぐうううううというそれにシアンは少年に近づいた。
「おーい、なあ。おなか減ってないの、君?」
「いらん!!」
まるで野良猫のように怒り狂うそれにシアンは最後の手段だと持っていた水筒を開けた。そうすると、ぷーんとスープのいい匂いがした。
それは、夕飯に食べろと食堂で持たされた肉団子の入ったスープの残りだ。妹の分と自分の分だけだったそれは、シアンが我慢して持ってきた分だ。
(早く帰んないと、あの子も五月蠅いしなあ。)
シアンは等々、強硬手段に出ることにした。
「むぐ!!」
「ごめーん!いやあ、うっかりしたね!でも、口の中入ったんだし、もう食べちゃいなよ!」
握り飯を口に突っ込めば少年は明らかに敵意に満ちた眼を擦る。けれど、口に放られたそれに我慢が出来なくなったのか、がつがつとそれを食べ始めた。シアンは苦笑交じりに水筒付属のコップにとくとくとスープを注いだ。暖かなそれは湯気を立てている。シアンはそっと、それを少年に差し出した。
少年はそれをまるで水でも飲むかのように飲み干した。
やけどでもするかとシアンは慌てるが、別段彼は平気そうに具材を咀嚼している。
シアンは驚きながら、そっと残った握り飯も彼に差し出した。
無言で飲むようにそれを食べきった後、彼は気まずそうに視線を下に向けた。
「・・・・・礼を言う。」
気まずそうに帽子で顔を隠した少年にシアンは変なところで素直だなあと感心した。
「いいや、私も無理矢理食べさせてごめんね。」
苦笑交じりにそう言えば、少年はすぐに顔を上げてシアンのことを睨んできた。
「じゃが、二度とわしにかかわんな。ほどこしはいらん。」
そう吐き捨てて路地裏の奥に向かおうとしたが、その手をシアンは掴んだ。
「待て待て待て!!」
「なんじゃ?」
不愉快そうに少年は取られた手を振りほどいた。が、一応は話を聞く気があるらしくシアンを振り返った。
「君、これからどうすんの?」
「関係なかろうが。」
「あのね。ここらへん、あんまり治安も良くないんだ。素行の悪い人もいるし、それに、海賊だって行き来してるんだよ?」
「うんなもん、殺したるわ!!」
噛みつくようなそれにシアンは少しだけ考えた。というのも、少年の突然の激高はどうやら海賊、という単語が出た瞬間に吹き出したもののようだった。
(あー、たぶん、海賊に町でも焼かれたか。家族でも殺されたのか。)
予想通りというか、予想以上の憎悪をたたえた眼に、シアンは手を引くかと考えた。別段、自分がこの少年に関わる義理などはないのだ。ならば、さっさととんずらをこいたって構わないだろう。
関係ないのだ、しょせんは、こんな世界で自分以外を気にするなんてどれほどまでに贅沢なのだろうか。
そうだ、こんな少年はほかにもたくさんいて、自分だって散々に見てきたはずだ。
けれど、その少年のことが気になってしまったのは。
(昨日、珍しく父さんの夢なんて見たからかなあ。)
優しい人だった。優しくて、そうして、他人のために死んだ人。
なんとなくわかるのだ。目の前の少年、憎しみに満ちた目をした、少年。
早々と死んでしまう気がした。その憎しみに駆られて、さっさと、瞬きの内に燃え尽きてしまう気がした。
それが、あの日、幼い子どもをかばって死んだ父と、何故か被ってしまった。
(まあ、ご飯食べさせた時点で、腹はある程度決まってたかな。)
「おい、聞いとんか?」
少年が話しかけてきたその瞬間、シアンは顔をしたにして、ぐずりと鼻をすすった。それに、異様な雰囲気を感じたのか少年は驚いたように体を固めた。
「・・・・ごめんね。あの、私のお父さん、海賊に殺されちゃって。それで、君を見てたら、心配になっちゃって。」
もしかしたらって、それで、心配になっちゃって。
少年はそれに非常に慌てた。さすがの彼も、目の前で女の子に泣かれてしまった状況は十分な動揺を誘うに足りるものだった。
「・・・・その、わしも、すまん。」
何が悪いかもわからずに、少年はそう謝った。
「ひっく、いくとこ、ある?」
「ない、身内もおらんし。」
「あのね、うちにおいでよ。ねるとこ、あるから。」
「は、いや。」
ひぐひぐと泣く目の前の少女に少年はたじたじとして、そうして、渋々と頷いた。
「世話になっても、かまわんのんか?」
「おっし!安心しろ、ただ、妹がいるけど、我慢してね!」
元気よく顔を上げた先、そこには満面の笑みで浮かべた少女がいた。それに、サカズキは固まり、そうして怒ろうと口を開けた。
が、それよりも先にシアンはサカズキの手を取って、有無を言わさずに走り出した。
「はっはっは!少年、女の涙には気をつけた方がいいぞ!!」
そんなことを言って、シアンは夕日の落ちかけた道を、走っていた。それが、出会いだった。何もかもに吠え立てる、1匹の野良犬との出会いだったと、シアンは覚えている。